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大江健三郎の「日本国民としての責任」論――沖縄問題について(上)(下)(私にも話させて)
http://www.asyura2.com/09/warb2/msg/140.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 11 月 28 日 09:19:49: twUjz/PjYItws
 

http://watashinim.exblog.jp/10494112/

大江健三郎の「日本国民としての責任」論――沖縄問題について(上)

1.

mdebugger氏が、ブログ「media debugger」で、「沖縄の反基地闘争闘争における国民主義」について書いておられる。これを読むと、mdebugger氏は、沖縄の反基地闘争は「国民主義」の限界を所詮は持っているから駄目だ、と言っているかのように受け取られると思う。

mdebugger氏は「私は沖縄の反基地闘争を否定する気はまったくない(以前も書いたように米軍基地は東京に集中させるべきだと思っている)」と一応断っているが、沖縄の反基地運動がはじめから「国民主義」という限界を持っていると規定しているように思われるから、だとすればどうせよというのだ、という話に結局なってしまうのではないか。

こうした形の「国民主義」批判は、90年代以降のポストコロニアリズムの流行の影響もあり、左派では一般的な言説である。これへの反発として(これを反転させた形で)、より悪質な「ナショナリズム」復興論も近年、リベラル・左派の間で出てきている。私は、こうした形での「国民主義」批判というのは多くの問題を含んでおり、これまでかえって悪影響を及ぼしてきていると考えている。

ひょっとすると、私の立場も、「国民主義」批判のものであると思われているのかもしれない。私は以前、以下のように述べた。


「<佐藤優現象>によって、佐藤と結託するリベラル・左派、メディアで言えば『世界』『金曜日』『情況』といった雑誌や、佐高信、山口二郎、斎藤貴男、魚住昭、香山リカ、雨宮処凛、沖縄の左翼(大田昌秀、新川明、仲里効)ら言論人たちによるこれまでの日本政府・日本社会批判といった言論活動は、単なる「利権運動」に過ぎず、国家という枠組みの下での待遇の平等を求めていたものであって、「国益」とは必ずしも合致しない人々(例えば、上記のパレスチナ人、在日朝鮮人、外国人労働者等)に開かれた「普遍性」を持ったものではなかった、ということが示されたと私は思う。それは簡単に国家に取り込まれる、いや、むしろ取り込まれることが前提の運動である。

私たちはある意味で、佐藤に感謝すべきなのかもしれない。佐藤がリベラル・左派内部のさまざまな人間と組んでくれるお陰で、その主張が「利権運動」にすぎない人間があぶりだされるのであるから。

2009年は、金融危機という「非常時」の掛け声の下で、「格差社会の是正」を名目に、「普通の国」化を完成させる「大連立」体制――それこそまさに佐藤が待望しているものだと思われる――が成立する可能性が高いと私は思う(民主党が衆院選で勝っても、そうである)。アジア太平洋戦争下の総力戦体制に、各種の社会運動が簡単に回収されたように、佐藤に結託するリベラル・左派の人々、運動は簡単に「大連立」体制に回収されるだろう。そうした「大連立」に回収されない質の言説を作っていくことが必要だと思う。」http://watashinim.exblog.jp/9193135/


だが、私の上記の主張は、ポストコロニアリズム風の「国民主義」批判ではない。よい機会だと思うので、今回はこの件について述べておきたい。


2.

まず、上の私の文章から引けば、「国家という枠組みの下での待遇の平等を求め」る運動は、それ自体としては批判されるものではない。これが否定されるならば、「国民」としての権利を獲得しようとする運動はすべて否定されることになるから、歴史的事件、市民革命や女性の参政権獲得運動すら否定されてしまう。韓国国籍の在日朝鮮人(「在日韓国人」という言い方を否定しているわけではない)による、大韓民国国内での市民権を一定獲得しようという運動も否定されてしまう。

権利の獲得と引き換えに、その「国家」の侵略行為や抑圧行為を容認したり黙認したりするようになった事例はほとんど無数にあるだろうが、だからといって(90年代以降の「国民国家」論者にありがちな)「戦争協力しなければ十全な市民権は獲得できないのだ」とするのは、ニヒリズムでしかないのであって、戦争協力せずに運動を続ける人々を愚弄するものであると言わざるを得ない。もう少し言うと、「国民主義」だから駄目だ、という立場ならば、マイノリティの権利獲得運動の戦争協力も必然、ということになるから、そうした戦争協力自体をかえって明確に批判できなくなってしまう。上野千鶴子がその典型である。

問題は、こうした「国民主義」的運動が、当該国家の侵略行為やそれへの加担、マイノリティ集団への抑圧行為等に対して、「国民」としての政治的権利を行使して批判するどころか、自らの地位の向上と引き換えに、黙認・容認する時に発生する。私が上記の引用で問題にしたのは、沖縄の左派も含めた日本のリベラル・左派が<佐藤優現象>を推進することは、佐藤による在日朝鮮人への排外主義の扇動や、パレスチナへの抑圧(への先進国の加担)の肯定といった行為を容認していることなのであるから、リベラル・左派の、「国家という枠組みの下での待遇の平等を求め」る運動は、第三世界の民衆ら他の非抑圧者との連帯という「普遍性」を志向したものだと思われていたにもかかわらず(注1)、<佐藤優現象>へのそれらの勢力の加担以降は実態としてはそうではなくなっている、ということである。そして、<佐藤優現象>への加担は、そのような行為を行なっている日本国家に回収されることを予兆している、ということだ。

したがって、「国民」内部での差別的待遇を是正しようという運動それ自体が、「国民主義」の名のもとに否定されるべきではあるまい。批判されるべきは、<佐藤優現象>への加担に見られるように、自分たちの権益の確保と引き換えに容易に右翼や排外主義勢力と結びついてしまう一部の勢力であって、全てを一緒くたにして否定してしまうと、かえってそうした勢力の自己正当化を助けてしまうことになるだろう。


(注1)反帝国主義の立場にある良質な民族主義者は、普遍的な「解放」の文脈で、自分たちの運動を位置づけていると思う。いくつか例を挙げよう。


「今日、われわれはインドを解放しようとしている。それは偉大な仕事だ。だが人道の発展ということはもっと偉大だ。そしてわれわれは、われわれの闘争が、窮乏と悲惨とに終止符を打つための、人類の偉大な闘争の一部だと感ずるからこそ、われわれはまた世界の進歩をたすけるために、なにがしかのちからをささげているのだと、よろこびあうことができるのだ。」(ネール『父が子に語る世界歴史』第1巻、大山聡訳、日本評論新社、1954年、18〜19頁。原文は1931年1月5日付書簡。強調は引用者、以下同じ)


「ヨーロッパの風が東にふきよせるや、安南はフランスにほろぼされ、ビルマはイギリスにほろぼされ、朝鮮は日本にほろぼされる、ということになってしまった。したがって、中国がもし強大になったら、われわれは民族の地位をとりもどすだけでなしに、世界にたいして一大責任を負う必要がある。もし中国がこの責任を負えなかったならば、中国が強大になったところで、世界にとって大した利益はなく、むしろ大きな害になるのである。それでは、中国は世界にたいしてどんな責任を負う必要があるのか。いま世界の列強があゆんでいる道は、ひとの国家をほろぼすものである。もし中国が強大になっても、同様にひとの国家をほろぼし、列強の帝国主義をまね、おなじ道をあゆむとしたら、かれらの仕損じた跡をそのまま踏むのにほかならない。それゆえ、われわれはまず一つの政策、すなわち 「弱いものを救い、危いものを助ける」ことを決定する必要がある。それでこそ、われわれの民族の天職をつくすというものだ。われわれは弱小民族にたいしてはこれを助け、世界の列強にたいしてはこれに抵抗する。全国の人民がこの志をしっかりさだめてこそ、わが民族は発展できるのである。この志をしっかりさだめぬかぎり、中国民族には希望がない。われわれは、こんにち発展しない以前において、「弱いものを救い、危いものを助ける」という志をしっかりさだめ、そして将来、強大になったときは、こんにち身に受けている列強の政治・経済の圧迫による苦痛を思いおこし、将来の弱小民族もこういう苦痛をもし受けていたならば、われわれはそんな帝国主義を消滅してしまわなければならない。それでこそ「治国・平天下」といえるのだ。」(孫文『三民主義』上巻、安藤彦太郎訳、岩波文庫、1957年、135〜136頁。1924年3月2日付講演)


こうした発言を、近年の先進国における「ナショナリズム」復興論、例えば以下の山口二郎の発言と比較するのは興味深い。


「自省的ナショナリズム、あるいは再帰的ナショナリズムという問題ですね。私は、社会民主主義はあと100年ぐらいしか動かないと思うんです。グローバル社会民主主義、先進国から途上国に大きな再分配ってそんな簡単なものじゃありません。まずはそれぞれの国の中で貧困をなくしていく、あるいはミニマムを保障していくという社会民主主義を実践しないと、外には目が向かないと思っています。そういう意味では私も、ポストコロニアルのような議論はあまり好きではなく、やはり国民国家という単位のなかで当面、政治を闘っていくしかないと思います。」(柄谷行人・山口二郎・中島岳志「現状に切り込むための「足場」を再構築せよ」『論座』2008年10月号)


山口においては、ネールや孫文とは逆に、普遍性を否定するために、「ナショナリズム」が擁護されている。


3.

この「国民主義」批判の問題は、近年の沖縄をめぐるリベラル・左派の言説の変容の問題とも絡んでいると思われる。

沖縄戦集団自決訴訟関連の発言を見ると、日本のリベラル・左派の沖縄問題に対するスタンスは、第2次世界大戦の惨劇や戦後の米軍基地の押し付け等をもたらした日本国民の責任として捉える論理から、「沖縄の人々がそう言っているから、その主張を尊重して配慮すべきだ」という論理に変容しているように思われる。

近年のリベラル・左派の論調は、非常に大雑把に言えば、中国や韓国等の周辺アジア諸国による日本の右傾化批判は「反日ナショナリズム」だが、沖縄の人々によるそれは、配慮しなければならない、というものだ。これは、沖縄問題に関する論理が、「日本国民の責任」論から「主張を配慮すべき」論(注2)に変容していることと並行した現象だと思う。

「日本国民の責任」論ならば、周辺アジア諸国との間に関する歴史認識問題も、沖縄の問題と同じく、「日本国民の責任」として捉える、という主張が帰結しやすいだろう。だが、「主張を配慮すべき」論ならば、問題は、主張する相手と日本のマジョリティとの政治的関係、「国益」論上の利害得失に還元される。この立場からすれば、沖縄の問題は、「日米同盟」の問題や、沖縄の国内統合の観点からみて配慮が不可欠であるから、主張は聞いてあげなければならないが、周辺アジア諸国の「反日」の主張は基本的に聞く必要はないので、「国益」論的にまずいのみ場合、配慮する、ということになるだろう。

そして実際に、歴史教科書問題に関する日本のリベラル・左派の論調は、沖縄の集団自決の強制性記述の復活は要求するが、朝鮮人強制連行や「慰安婦」制度の記述を復活すべきという声はほとんど聞こえてこない。ただし、「慰安婦」制度に関しては、米国下院の議決等の国際的圧力が強いから、「国益」を鑑みて、この点に関しては記述復活を要求する声が強くなるかもしれない。

上記の指摘は、沖縄戦集団自決訴訟に関するリベラル・左派の言説で、裁判の焦点たる大江健三郎の『沖縄ノート』の核心部分に関する言及がほとんどなされなかったところからも推測できるのではないか、と私は思っている。

大江の『沖縄ノート』の主張の核心は、読めば誰にでも分かるように、「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」という問いをめぐってなされている。これについては、大江もそのことを認めている。

沖縄戦集団自決訴訟をめぐる左右の対立の奇妙な点は、小林よしのりのような「右」は、大江のこの「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」という文言を取り上げて、口を極めて罵る一方、「左」は、大江の上記の問いについての言及を避けるか、まれに言及したとしてもそれを「日本国民としての責任」論として捉えていないかであることである(注3)。要するに、大江のこの文言は、「反日」的であるから、現在のリベラル・左派は擁護しようがないのだ。

大江の立場は、「<佐藤優現象>批判」でも引用したが、大江の親友であった安江良介の、朝鮮問題に関する立場とほぼ同じものである。ただ、大江や安江と近かった、大田昌秀が佐藤優の熱心な擁護者であるところから察するに、安江も生きていたらどうなっていたかわからないし、最近の大江もどうなっているかわからない(最近の大江の発言をあまり読んでいないので知らない)。ここで論じているのは、あくまでも『沖縄ノート』における大江である。

上記の大江の立場は、高橋哲哉の『戦後責任論』の立場と非常に近いのである。以前にも引用したが、もう一度引用しておこう。


「この責任(注・「日本人としての責任」)は、戦後責任をきちんと果たしてこなかった日本国家の政治的なあり方に対する責任として、日本国家が戦後責任をきちんと果たすように日本国家のあり方を変えていく責任であり、日本政府に戦後責任を果たさせることを通じて、旧帝国の負の遺産を引きずった既成の「国民化」や「皇民化」を可能にし、またそれらによって可能となった「日本人」や「日本国民」を解体し、日本社会をよりラディカルな意味で「民主的」な社会に、すなわち、異質な他者同士が相互の他者性を尊重しあうための装置といえるような社会に変えていく責任なのです。」

「「日本人として」戦後責任を果たすとは、侵略戦争や植民地支配を可能にしたこの社会のあり方を根本から克服し、日本を「日本とは別のもの」に開かれた「別の日本」に変革していくことにほかならないと私は思っています。」(『戦後責任論』文庫版、60頁)


そして、大江のような「日本国民としての責任」論は、大雑把に言って、ある時期から、「右」と「左」から攻撃を受けて、論壇からはほぼ消滅するに至る。

「右」(といってもリベラル・左派内部だが)というのは、「対米自立」論である。これは、沖縄の基地問題について、日本の米国への従属性と、日本の米国からの「独立」の必要性を強調するものである。そのためには、(必ずしも明示はされないが)日本の「ナショナリズム」意識の涵養と、日本の保守派との連携が志向されることになる。今の『金曜日』がこれで、『世界』もこれに近い。沖縄の集団自決の問題も、それもまた「日本人」の歴史として、米国の残虐性を強調しつつ、日本軍の「関与」は認める、ということになる。逆に言えば、「日本人」ではない、東アジアでの日本の加害行為について歴史教科書に盛り込む必要はないのである(「国益」論的な「ナショナリズム」の観点からも盛り込みたくないであろう)。この立場は、直接的に「日本国民としての責任」論を攻撃しているわけではないが、同じく「日本人」を強調しているので、そこから移行(転向)しやすいし、事実、移行(転向)している。

もう一つ、「左」からの「日本国民としての責任」論批判がある。これは、ポストコロニアリズムの立場からなされたものだが、要するに、「日本国民としての責任」を強調すること自体が、「国民主義」に取り込まれている、といったものだ。

この「右」と「左」は、本来は水と油のはずなのだが、実際にはそうはなっていない。前述したように、「反国家」を唱えていた新川明や、仲里効のようなポストコロニアリズム周辺の沖縄左派は、簡単に「国家主義者」である佐藤優とつるむようになっているし、『世界』や『金曜日』などのリベラル・左派ジャーナリズムでも、両方の立場は、両論併記という形でもなく、奇妙なことに同居している。同一人物が両方の主張をしていたりする場合もあるから、むしろこれは、積極的な共犯関係にある、と言うべきであろう。

「日本国民としての責任」論の解体は、恐らく、沖縄左派の転向と並行して、相互に影響を与えつつ進んだように思う。以前、金玟煥氏の「日本の軍国主義と脱文脈化された平和の間で 」の紹介文 で書いたように、金玟煥氏の指摘を借りれば「1995年の「平和の礎」の建立発表の時には「全ての戦争犠牲者を同一視し、日本の戦争責任に関する問題を曖昧にする」として反対の声が見られたが、2004年段階では、こうした論争が沖縄では「収束」したことになっている」のであって、「沖縄戦集団自決訴訟や教科書問題がはじまる以前に、すでに、沖縄の左派の「広島化」はほぼ完了していた」と思われる(注4)。


(注2)岡本厚『世界』編集長が発言したという、以下のものが典型例であろう。

「この裁判は「名誉棄損」裁判というが、靖国応援団やつくる会などが原告を説得して、原告の名誉ではなく、日本軍の名誉を守りたいということから起こされた裁判である。
大江さんや岩波書店が訴えられているが、実際には、歴史修正主義者と沖縄の体験者・証言者との闘いであったわけで、勝訴できたのは沖縄の人たちの新たな証言が次々と出てくれたことにある。まさに、沖縄の人たちの怒りが、この裁判を勝たせてくれたものだと受けとめている。」
http://blog.goo.ne.jp/okinawasen-nerima/e/47a268aaad0e2f889e47bc19f60c26b6


(注3)この、リベラル・左派と小林ら右翼の関係性は、かつて、徐京植が、「「空虚な主体」と「危険な主体」」という卓抜な表現を用いて描写した事象に酷似している。徐の文章を見よう。

「『ナヌムの家』という映画が上映された折、右翼が消火剤を撒いてそれを妨害するというということがありました。その時、その上映運動をしている人たちが上映を全うするための声明を出して記者会見を開きました。私はただちにそれに賛同して、一観客として、そういう時は沢山行ったほうがいいんだという親しい友人の呼びかけに引かれて、朝早く会見場に行きました。しかし私はそこで、ある当惑を感じた。壇上に並んだ人のほとんどが、映画監督の土本典昭さん以外のあらゆる人が言ったことは、「『ナヌムの家』は特定の国を指した映画ではないんだ。普遍的な戦争と性暴力を語っている映画なのだ。それなのにこれに対して右翼国家主義者が反発している。だから言論の自由を守らなければいけないんだ。表現の自由を守らなければいけないんだ」、こういう話です。しかしそうだろうか。もちろん、映画製作者の意図、あるいはそこに込められたメッセージは普遍的なものであるけれども、しかしそこにおける日本人の当事者性をそういう形で解除していいんだろうか。日本がかつて犯した戦争犯罪、現在それがあらわになってきている、そのことに対する対処がいま日本人に問われているという認識でこれを受けとめなければいけないのではないか。映画監督の土本さんだけが、自分はかつて北方領土のことを映画にしたときに右翼から妨害にあった、まさに右翼は日本の弱点をよく知っている、ということを言った。それ以外の人はすべて、いわば自分自身の置かれている日本人としての立場を解除して、普遍的な言葉を普遍的なメッセージとして語った。しかもそれを、この映画上映を全うしたいという呼びかけのほとんど唯一の内容として。これでいいんだろうか、このまま黙っていていいんだろうかと思っていた矢先にある人がそこで手を上げた。名の知れた新右翼というか、民族派の評論家ですが、彼が壇上の人たちに、あんたがたはおかしい、これはなにかそういう抽象的、普遍的人権の問題ではないんだ、日本が問われているんだ、自分は右翼のなかでは少数派だけど日本としてこれを受けとめなければいけないと思う、こう言ったんですね。私はこれを、「空虚な主体」と「危険な主体」との対峙というふうに思うのです。主体の不在状態が危険な主体へと引きずられていく現実というものをそこに見たように思います。もちろん、私はどんなことがあっても、たとえ空虚でも、壇上にいる人たちの側に立ちますが。」(日本の戦争責任資料センター編『シンポジウム ナショナリズムと「慰安婦」問題』青木書店、1998年、65〜66頁。1997年9月28日のシンポジウムでの徐京植の発言より)

ただし、徐の発言時以降、「主体の不在状態が危険な主体へと引きずられていく現実」が際限なく進んだ(進んでいる)結果、今日においては、「どんなことがあっても、たとえ空虚でも、壇上にいる人たちの側に立」つべきである、とは必ずしも言いがたくなっており、往々にしてどっちもどっちとしか言いようがなくなっていると思う。


(注4)佐藤優は、『琉球新報』を含む多くの媒体で、同じく日本批判をする人々でも、沖縄人については、国内統合の観点および日本人「同胞」として、中国人や朝鮮人(韓国人)に対するように粗略に扱ってはならない、などと主張しているが、沖縄左派の転向が既に完了していたからこそ、このような発言を行なっている佐藤が沖縄のメディアで活躍しているのだと思われる。もう少し言うと、沖縄において本土のメディアよりもより強く<佐藤優現象>が生じているのは、佐藤が本土メディアで、沖縄人を中国人や朝鮮人と同一視するなという、かの人類館事件を想起させるような主張を積極的に行なっていることを、沖縄の人々が積極的に支持しているからだと思われる。こうした主張は本土の人物、例えば、リベラル・左派論壇で重用されている濱口桂一郎からも、「まともな保守主義者」の警告として積極的に肯定されている。

私は、沖縄人が中国人・朝鮮人との違いを明確化しようとするのには、アジア太平洋戦争における沖縄戦というトラウマが背景にあるのではないか、と考えている。「集団自決」問題の本質というのは、要するに、当時の本土の日本人が、沖縄人を、中国人や朝鮮人と同じく人間と見なしておらず、奴隷か何かだと見ていたため、簡単に虐殺した、ということである。だから「集団自決」問題とは、本来は「差別」(または異民族支配)の問題なのだ。ところが、本土の保守派が絶対に認めないことは言うまでもないが、沖縄人も、そのように見なされていたということは認めたくないらしいのである。

だから、「集団自決」問題は、差別や異民族支配の問題ではなく、「軍隊は住民を守らない」といった、大多数の人間が信じていない(信じていれば自衛隊は存在しないだろう)一般論を示す問題として語られることになる。

自衛隊・安保容認論の「平和基本法」を掲げる『世界』の岡本厚編集長ら本土のリベラル・左派は、集団自決問題の時にのみ、旧社会党の非武装中立論者のようなものに変貌する。http://okinawasen.web5.jp/html/news/news12.html

http://watashinim.exblog.jp/10494273/

大江健三郎の「日本国民としての責任」論――沖縄問題について(下)

4.

「日本国民としての責任」論が消えていったのは、リベラル・左派の全般的な「右」の立場への移行(転向)という要因が大きいと思われるが、後者のポストコロニアリズムからの「国民主義」批判も、同じく大きな役割を果たしていると思う。こうした批判により、「日本国民としての責任」論自体が消されてしまったからである。

一例を挙げよう。西川祐子は、以下のように、大江を「国民主義」者として批判している。


「戦後歴史学を対称軸として、現に復活しつつある皇国神話と大江が構築した民衆神話はポジとネガの関係をもって対抗的に位置づけられる。三者は桔抗するが、どうじに奇妙に安定した構図を形づくる。三者は互いに支えあっている。反体制の作家である大江健三郎は反体制の神話の創作により安定の一翼を担い、戦後文学を代表する国民的作家となる。この安定した構図が戦後という地政学そのものであるとしたら、わたしはそれを読みぬくことによってネーションという枠組みの外へでたいと思う。」(西川祐子「もう一つの神話の構築――大江健三郎『M/Tと森のフシギの物語』論」、ひろたまさき/キャロル・グラック監修、西川祐子編『歴史の描き方2 戦後という地政学』東京大学出版会、2006年11月、241頁)

同書の巻末には、西川と成田龍一、上野千鶴子、ヴィクター・コシュマンといった、カルチュラル・スタディーズ周辺の面々による「座談会」が、解説として附されている。ここでは、上記の西川の論文の認識に則った形で「座談」がなされており、特に上野は大江を「国民作家」と呼びつつ、冷笑的な姿勢をあらわにしている。

上記のような、大江を「国民主義」として批判、嘲笑する立場は、今日ではステロタイプなものである。これが駄目なものであることは見やすいが、より警戒すべきは、一見、大江の「可能性」を救い出しているように見えながら、実際には、大江の「可能性」を、西川らと同じく殺している言説である。成田龍一の大江論がこれである。

成田龍一は、自身の大江論の中で、以下のように述べている。


「 被爆が「日本」の体験であり(むろん、大江は韓国人被爆者にも言及している)、国民運動として原水爆禁止運動が展開されねばならず、「ヒロシマを生き延びつづけているわれわれ日本人の名において」否定的シンボルとしての広島の提示=「新しい日本人のナショナリズムの態度の確立」を訴える。語りの位相として、「日本」「日本人」という共同性のもとに、被爆者の証言=記憶をたばねて回収していくのである。換言すれば、被爆者の記憶を「日本人」の記憶とし、「日本」の経験と総括し、「日本」「日本人」という単一のアイデンティティヘと方向づけてしまう。だが、この瞬間から大江はさらなる動きをみせ、証言の語りの位相をずらしていく。

 『ヒロシマ・ノート』連載中の1965年春に、大江健三郎は沖縄本島と石垣島を訪れている。重藤文夫によってひらかれた「眼」によって沖縄をみつめようとするのだが(『原爆後の人間』)、「ぼく自身の内なる日本人」を見つめる目へとただちに「反転」したと述べている。こののち、沖縄も大江にとって意味をもつ場所となり、『万延元年のフットボール』における(兄弟の姓となる)「根所」は伊波普猷『古琉球の政治』に想を得、「小説全体の構想への出発が確保された」という(「未来へ向けて回想する――自己解釈(四)」『大江健三郎同時代論集 4』岩波書店、1981年)。

 「沖縄の文化の多様な側面」に触発されたというが、沖縄での大江の体験は、大江にとっての「もうひとつの日本」の発見であったといえよう。大江は、沖縄によって「本土」の「日本人」たる「われわれ」を相対化し、現時の「日本」ではない、「日本」を構想するのである。この試みは、『沖縄ノート』として展開されるが、「このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえる」ことを模索し、「日本」「日本人」が俎上にのせられ問われる著作となっている。

 これは、語りの統一体として設定した「日本」「日本人」をこわす作業で、証言=記憶の「日本」への回収の拒絶である。『ヒロシマ・ノート』での「日本」への回収がただちに解体されている。たしかに、大江のこうした試みも、多様化されたより高次の「日本」に証言を回収する点では差異がないという批判もあろう。証言=記憶を、異化をつうじてより強固に「日本」に回収するという異論があろう。しかし、これは「identity」(『万延元年のフットボール』)を追求するという1960 年代の「枠」ともいうべきものであり、内実をくみかえることによる語りの統一性の解体は、こののち、語りそのものの考察へと関心を移すことにより、この点からの解決が図られる。

 「谷間の村」を描く、『同時代ゲーム』『M/Tと森のフシギの物語』『懐かしい年への手紙』から近年の『燃えあがる緑の本』三部作にいたるまで、「語り」に焦点をあてている。記憶=証言のたばね方に、記憶の問題はいきつく。これは、単一の統一された主体=アイデンティティではなく、複合的な多面体としての主体=アイデンティティの模索ともいえよう。」(成田龍一「方法としての記憶」――1965年前後の大江健三郎」(初出は1995年)、成田龍一『歴史学のスタイル』校倉書房、2001年、174〜176頁)


成田はここで、「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」という問いについて、大江は沖縄に触れることで、日本国内の(文化的)多様性を認識し、単一的な主体としての「日本人」という概念に対して批判的であるように呼びかけている、と解釈している。大江のこの問いは、「国民主義」批判なのだそうだ。

私は成田のこの一節を読んで爆笑してしまった。『沖縄ノート』を読めば、この解釈がいかに珍妙であるかは明らかなのだが、ここでは大江自身に語ってもらおう。


「『沖縄ノート』は、本土の戦後世代である私が、明治の日本近代化の始まりに重なる「琉球処分」によって、沖縄の人間が日本国の体制のなかに組み込まれてゆく、そして皇民化教育の徹底によってどのような民衆意識が作りあげられ、一九四五年の沖縄戦における悲劇にいたったか、を学んでゆく過程を報告した。それが第一の柱です。

 私は戦後日本の復興、発展が、講和条約の発効、独立の出発点から、沖縄を本土から切り離しアメリカ軍政のもとにおいて巨大基地とすることを根本の条件としたこと、それが沖縄にもたらした新しい受難について書くことを第二の柱としました。その実状を具体的な人間の経験をつうじて示すために、とくに私が「沖縄の戦後世代」と呼ぶ、自分と同世代の人々へのインタヴィユーを中心にすえています。私の見る限り、それを伝えている刊本はまだありませんでした。

 そのようにして長い新しい苦難のなかで、沖縄の施政権返還が(巨大基地はそこにおいたままで)達成するまでを、私は報告したのですが、その過程で私のうちにかたまってきた主題がありました。私は太平洋戦争以前の近代・現代史において、本土の日本人が沖縄に対して取ってきた差別的な態度、意識について資料を読みとく、ということをしてきたのでしたが、戦後においても、日本の独立と新しい憲法下において、その憲法から切り離されている沖縄の犠牲のもとに、本土の平和と繁栄が築きあげられてきたことに、本土の日本人は、それをよく認識していないのではないか、そしてそれは近代化以来、現代に続くこのような日本人としての特性を示していることなのではないか、と考え始めたのでした。

 そして、私がこのような日本人としての、もとより自分をふくむ現在と将来の日本人について、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか、と問いかけ、答えてゆこうとする努力が、この『沖縄ノート』の第三の柱をなすことになりました。」
http://www.okinawatimes.co.jp/spe/syudanjiketsu/ooe_chinjutsu03.html


明らかなように、大江は、「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」という問いは、日本国民としての歴史的責任の問題として考えているのである。ところが成田は、『沖縄ノート』を読めば自明である、こうした歴史的責任という問題には一切触れず、大江の主張について、「国民主義」を解体し、複合的なアイデンティティを志向しているもの、などとしているのである。「ナショナリティの脱構築」だ。成田が大江の発言を恣意的に拾ってきて、自分の図式を作り上げているだけであることは明らかであろう(注5)。成田がやっていることは、「日本国民の責任」論の解体であり、大江の主張の脱政治化である。

なお、成田は、ある座談会で、北田暁大の「愛国左翼」擁護論について、「興味深い指摘」、「ナショナリズムと左翼の両者は結びついていましたが、50年代後半以降は批判的運動を展開するときにナショナリズムの部分は直接に表面には出さず、民主主義を強調しました。戦後思想による戦略ですが、あたかも民主主義とナショナリズムが分離していたかのように映るのでしょう」などと、好意的な態度を表明している。北田はこの座談会で、特に90年代の左派がナショナリズムの脱構築やマイノリティ問題や戦争責任問題にばかり目を向けていたことが、丸山真男のような愛国左翼の立場を忘却させ、「朴訥とした愛国心を持つ「大衆」との乖離が出てしま」い、小林よしのりのような右翼が大衆的人気を勝ち取ることを招く一要因となった、などと発言しているのである。

もともと北田(どうでもいいが、上野の忠実な弟子である)はどこにでもいるブロガー以下の、本来論じるにすら値しない人物であるから、大江らの「日本国民としての責任」論を理解していないことは仕方ないとして、成田のここでの姿勢は、「国民主義」批判の「ナショナリズム」擁護論との共犯関係を、大変鮮明に表している。合わせ鏡のようだ。「論壇」が「ナショナリズム」批判から「ナショナリズム」擁護に行きつつあるようだから、それに寄り添って動いているだけかもしれないが、そのように動けてしまう(これは成田のパーソナリティの問題かもしれないが)ところに、「国民主義」批判の問題性があると言えよう。


(注5)もう少し言うと、実は、成田の上記の引用箇所、「「沖縄の文化の多様な側面」に触発されたというが、沖縄での大江の体験は、大江にとっての「もうひとつの日本」の発見であったといえよう。大江は、沖縄によって「本土」の「日本人」たる「われわれ」を相対化し、現時の「日本」ではない、「日本」を構想するのである。この試みは、『沖縄ノート』として展開される」という箇所自体が、恣意的な資料解釈または誤読から成り立っているように思われる。

ここで挙げられている「沖縄の文化の多様な側面」という文言は、成田が言及しているように、「未来へ向けて回想する――自己解釈(四)」にある(『大江健三郎同時代論集 4』327頁)。この一文は、『沖縄ノート』を含む、大江が1965〜1971年に「沖縄問題」に関して書いた文章を収録した本(『大江健三郎同時代論集』第4巻)に附された、大江自らによる解説であるが、この「沖縄の文化の多様な側面」なる文言が出てくる前後の部分を見てみよう。


「僕が沖縄について書いた文章は、政治的な状況につねに関わっていた。しかし沖縄へ行き、滞在する間、僕の関心が政治的なところにのみ向っていたかといえばそうではなかった。沖縄の文化の多様な側面が、僕に激しく触発的であったこと、そこから質の高い喜びをつねにあたえられてきたこと、それはあきらかである。しかも僕は、政治的なものに由来する翳りのなかでのみ報告を書き、文化的な輝やきのなかの経験については、それをよく書くことがなかったと思われるのである。文化的な側面をもまた自分の文章に配分しえていたとするなら、繰りかえしになるが、政治的な憂鬱のつみかさなったこれらの文章に、決して憂鬱なだけではない方向性をも導入できていたかもしれぬのだが。

 しかしあらためてその可能性をはかって見る時、やはりそれは、あの年齢の僕になしとげえぬことだったのだろうというところにおちつく。なぜなら僕は、しだいに時をへだてつつ、沖縄の文化的な輝やきについて、よく納得するようになっていったのだから。それでも納得の原点をなす経験は沖縄でしたのである。自分の仕事としての小説についてみても、僕が沖縄に旅することで受けとめたものが、政治的な主題にそくしては表層に出てこぬのに、文化的な深いレレヴェルでは力を発揮していたと、いまふりかえってあきらかになる例はいくつもある。」(同書、327〜328頁)


大江はこの後、沖縄での文化的な経験が、『万延元年のフットボール』執筆や山口昌男の周縁性理論の受容に影響を与えた、と書いているが、上の引用から明らかなように、文化的な経験自体は、同書収録の沖縄論にはほとんど書かれていないとはっきり述べている。

実際に、『沖縄ノート』を見ると、「多様性にむかって」という章があるが、そこで述べられている「多様性」は、沖縄の人々の「天皇制にたいする態度の、生きた多様性」(同書、122頁)や、沖縄独立論に象徴される「沖縄の人々のものの考え方の多様性」(同書、139頁)であって、文化的な「多様性」ではない。

もちろん、『沖縄ノート』について、大江自身が『沖縄ノート』をも念頭において「文化的な輝やきのなかの経験については、それをよく書くことがなかった」と述べているにもかかわらず、大江が「沖縄の文化の多様な側面」に触発され」た結果として書かれたものだと成田自身は解釈する、と言うことは可能である。だが、成田は、そう解釈するにあたっての論拠を何一つ提出していない。


5.

周知のように、名護市長選は、民主党系候補と共産党系候補との間で、(1)「辺野古、大浦湾の美しい海に新たな基地は造らせない」「名護市に新たな基地はいらない」という信念を最後まで貫くことを市民に約束する(2)名護市の「閉塞(へいそく)的現状」を打破し、現在の利権にまみれた市政を刷新するため「市民の目線でまちづくり」を行い、公平、公正で透明性の高い行政運営を行う――の2点で合意し、民主党系候補に一本化することになった。こうした条件での一本化が成立したことには拍手を送りたい。

ただ、これは地元の人には自明のことであろうから何かを提言するつもりはないが、共産党系候補に象徴されるような「安保廃棄」の立場はとりあえず引っ込めて、「県外移設」という民主党系の候補の主張に統一し、保守層にも支持を増やしていこう、というあり方が、選挙戦術のみならず、選挙以外の運動レベルにまで貫徹されてしまうと、民主党系候補は、当選しようが、何らかの形で妥協するだろう。民主党系候補が「県外移設」を言い続けるのは、「安保廃棄」といった、「非現実的」に見える声が力を持っているからである。この力が弱体化すれば、割と簡単に妥協すると思う。

候補者一本化が成立していなかった時期に、『金曜日』が、民主党系候補の支持の立場から、共産党系候補を攻撃するデマ記事を垂れ流したことが話題になっていたが、これもこの文脈で考えた方がいいように思う。『金曜日』や『世界』は、今や、実質的には民主党の機関誌のようなものだから、民主党がコントロールできる形で、民主党系候補を勝利させたいのであって、その立場からすれば、「安保廃棄」の声が一つの力として顕在化していることは邪魔なのだろう。あの記事は、単に『金曜日』編集部や記者のミスという一過性のものというよりも、構造的なものとして捉えた方がいいと思う。

そして、現在のリベラル・左派は、「安保容認・県外移設」と「安保廃棄」のどちらかと言えば、ほぼ全てが前者の立場である。共産党は、沖縄問題については比較的原則的であるようだが、どこまでもつかは疑問である。以前にも指摘したように、共産党系の衆議院選候補者の半数近くは朝鮮民主主義人民共和国に「より圧力を」かけることを要求しているのであるが、「より圧力を」かけることが安保なしには不可能であることは明らかである。

したがって、沖縄の基地問題に関しても、その是正のためには、「国民主義」批判ではなく、大江のような「日本国民としての責任」論の立場からの沖縄問題への取り組みが不可欠だと思う。そうした立場に立ってはじめて、集団自決の強制性の件だけではなく、「慰安婦」制度等の東アジアでの日本の加害の問題の教科書への記述の要求への動きも生じてくるだろうし、日本の右傾化に
対して、日本国民と(在日朝鮮人を含む)周辺諸国の人間が連帯して対抗する、ということも可能になるだろう。逆に言えば、この立場にしか可能性はない。それを別に「ナショナリズム」と呼ぶ必要はないが、それは「国民主義」または「ナショナリズム」として否定すべきでないものである。

 

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コメント
 
なんだか、入管闘争で「民族問題」出されて、吉本隆明の「共同幻想論」でも説明しきれなくなったブントの人達みたいな文章だな。
パンクしたブントの人達は、例えば福井昌平みたいに親分の神津−薬痴神のかみさんの夜盗自民党の仕切る八王子商店会の再興に賭け、豊田の愛知万博のメインプロデューサーをやつて「共同幻想」を自分の「就活」に繋げるしかなかった。それから、企業の管理者教育に乗り出し、「高原節」の言い回しが講習に行った者に蔓延した。
まあ、「人生いろいろ」だからね。
今、問われるのは、大江の文学的レトリックにこだわるより、沖縄の小学生が「基地はどこに行っても、そこの人達を苦しめるもの。基地をなくするということで考えられないのか」という、素朴かつ単純なことなのではないのか。
2009/11/28 11:26

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