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北欧型福祉社会と米国型市場原理の共通起源、「制度経済学派&リアリズム法学」についての試論(日本は何処へ向かうべきか?)
http://www.asyura2.com/10/senkyo76/msg/406.html
投稿者 鷹眼乃見物 日時 2009 年 12 月 19 日 06:25:38: YqqS.BdzuYk56
 

■[机上の妄想] 北欧型福祉社会と米国型市場原理の共通起源、「制度経済学派&リアリズム法学」についての試論(日本は何処へ向かうべきか?)


<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091219


【参考画像1】Lara Fabian - Il ne manquait que toi(Only I missed You)・・・右上の画像はhttp://amtm.org/en/they-support-us/lara-fabian.htmlより
[http://www.youtube.com/watch?v=WC-5L6GBBeM:movie]


【参考画像2】レオナルド・ダ・ヴィンチ『受胎告知』ウフィッツィ美術館
[f:id:toxandoria:20091219053447j:image]
Leonaldo da Vinci(1452-1519)「The Annunciation」 ca1472-1475 98 x 217 cm Oil and tempera on wood Uffizi Gallery、 Florence


・・・ウフィッツィ美術館発行の図録によると、このイタリアの至宝と呼ばれる絵画はモンテ・オリヴェートのサン・バルトロメーオ教会に由来し、師ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio/1435-1488)の指導を受けていた頃の作品、つまりダヴィンチが若い時代(20〜23歳)の作品であり、1867年からウフィッツィ美術館が所蔵している。


・・・このレオナルド・ダ・ヴィンチ『受胎告知』のマリアの「青い衣」に使われている美しいラピスラズリの青は一般に「フェルメール・ブルー」と呼ばれており、それはキリスト教で聖なる天上の色とされてきた(参照/下記★)。


★小林康夫著『青の美術史』(平凡社ライブラリー)


・・・ある色彩の専門家によると、「青い色」の特徴は「良い、美しい」と「強い、固い」という対照的な両極端の価値(心理)に結びつく傾向が大きい。つまり、「青い色」そのものには何の責任も罪もないのだが、何かの切欠でいずれかの極端な心理へ強く結びついてしまうということである。


・・・例えば、かつて我が国の“KY”安倍元首相は、中東へ派遣される航空自衛隊員に対して、司馬遼太郎の「坂の上の雲」ならぬ「青嵐の天空を貫く美しい国のために・・・」なる檄を飛ばしたがあるが、これなどはあの石原慎太郎のマッチョな一物の屹立が障子を突き破った(遥か昔のことではあるが・・・)野蛮なエピソードが連想されて、聖なるマリアの青ならぬ、彼らの偏向した愛国心の奥底に「潜む野卑な獣性」(Phallus、Eros、愛国(Patriot)観念の潜在意識下での幼児的融合)が現れていて背筋が寒くなる。


・・・そして、哲学・美学などの分野でこの種のテーマは「記述(例えば色の名前)と判断(良い、強い、愛国心、愛社精神などの価値判断)を区別するための論理的必然性の問題」と言われてきた。


・・・このような色彩心理学のテーマを考えるときに大切なのは、必ず現実的な経験(≒歴史経験、歴史から学ぶ知恵、現実的な社会経験・ビジネス体験など)を視野に入れて論じるということであり、もしそれがなければ、その価値判断は一般の人間にとって普遍的な視点からすれば無意味なことになる。


・・・例えば、コンピュータにある色の名前と定義を次々と記憶させ、それらが他の言説と結びついたときの意味と物語を論理文脈(アルゴリズム) 的に解釈・表示させることは容易である。


・・・しかし、そのコンピュータの解釈の結果が「良いか悪いか」、あるいは「正しいか根本的誤りか」については、現実的な経験を積み、 ある程度まで謙虚に正しい基本を学んだ「人間」でなければ、絶対にそのような価値判断はできないという厳しい現実があるのだ。


(米国における『オバマ医療保険制度改革』法案の現況)・・・情報源:2009.12.17・朝日新聞


◆オバマ大統領は、「医療費抑制」(国民一人当たりで日本の2.7倍、OECD加盟国中で最高額!)と「無保険者層」(約4,600万人、総人口の約15%相当!)の解消、及び「高齢者・障害者向けの公的保険であるメディケア」の拡大(対象層/65歳→55歳へ)を目指して、「医療保険改革」法案を議会へ提出した。


◆関連の法案は11月に下院を通過して現在は上院で審議が行われており、事実上の目標期限であるクリスマスまで1週間を切った。が、見通しは厳しく、民主党員を一人でも取りこぼすと当法案は不成立になるという、まさに瀬戸際ギリギリに追い詰められている。


◆共和党を中心とする保守派の反対意見は次のようなものが多い。


・・・メディケア(Medicare/高齢者・障害者、低額保険料負担、約4,400万人)の拡大は過大な財政負担となる。子供や孫に借金漬けの制度を遺してはならない、大きな政府になるのは許せない。 ← イラクやアフガニスタンの天文学的戦費は問題でないのか?


・・・医療保険制度改革は、政府による統制強化につながり、国民から選択の自由を奪う。オバマは社会主義者だ。


・・・この法案は医療保険ではなく国家統制の法案であり、社会主義者にアメリカが乗っ取られる。


・・・・・


我われ日本人から見ると、これらの反対意見は頑迷で無知なものに見えてしまうが、このような考え方こそがアメリカ国民の過半超える人々の常識だと見ておくべきかも知れない。


また、このようなアメリカの“惨状”をコミュニケーションという観点から見据えると、恐らく、アメリカという国は一種の「リスクコミュニケーションの危機」に襲われつつあるのかも知れない。その背景と原因を探るのが、この試論の目的である。


なお、リスクコミュニケーション (Risk Communication) とは、“行政・専門家・企業・メディア・市民などが社会を取り巻く様々なリスクについて絶えず正確な情報を共有しつつ相互に意思疎通と合意形成を図ること”が民主主義社会の重要な基盤であるという理解のことである(関連参照、下記★)


★2007-08-01付[ toxandoriaの日記/2007年春、ドイツ旅行の印象/ハイデルベルク編]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070801


(当試論の結論)


「北欧型の福祉社会」と「米国型の市場原理社会」の起源が、20世紀初頭の「制度経済学派とリアリズム法学」という共通基盤の中にある“らしい”という発見は非常に興味深いことだ。そして、両者の目的が、「集団民主主義」(集団内での“社会的十分性”も視野に入れた“個別的衡平性”の実現)で社会改良を促進する「公正資本主義」 (Reasonable Capitalism)ということ(=非マルクス主義的な経済発展段階説)であったことにも驚かされる。


しかし、後者(米国型の市場原理社会)は“アメリカ建国いらいの伝統である“個人の自由原理に基づく個人の行動領域を最大限に解放し、それをより拡大する”という方向へ過剰に傾斜して、今の日本へも大きな被害(『小泉・竹中劇場』による超格差社会化への急傾斜)をもたらした米国型・新自由主義(ネオリベラリズム)に追随する方向へ向かってしまった。ここには「権力の論理へ軸足を置く経済学」と「人間の論理へ軸足を置く経済学」の問題も絡むが、その点についての論は又の機会に譲ることとする。


結局、同じルーツを持つ“人権思想”(=何よりも最大限に人権を尊重すべきという哲学)でも、各国の歴史・文化・地政学的経験などを十分に踏まえるならば、それぞれが個々の個性的なあり方を、その最も奥深い理念部分から構築することが可能だということだ。その意味することの重要性は、冒頭の【参考画像:レオナルド・ダ・ヴィンチ『受胎告知』】の解説で述べた色彩心理学の知見に照らせば良く理解できるはずだ。


特に、ソーシャル・ポリシー(Social Policy)のように国民の生命・財産のすべてを運命づける最重要の政治的課題については、必ずそうすべきだということだ。ひたすらグローバル市場の進展だけを大義に掲げて、国民を誑かしてまで強制的に日本へその「米国型ソーシャル・ポリシー」を移植しようとした『小泉・竹中劇場』のやり口は、まさに国家反逆罪的な行為だった。


我が国においては、公正な批判機関たるべきマスコミ(マスゴミ?)までもが、このような国家の暴走(暴政化への傾向)へかしずく癖が身についてしまった。しかも、彼らは「政権交代」後の今に至っても、いまだに「自民党・長期政権にかしずいてきた走狗体験のトラウマ」(=国家機密費のお零れなど、美味い汁を十分に吸い過ぎてシビレ切った脳髄のマヒ状態)から抜け切れていない。


だから、このような時にこそ全国民の衆知を集めるべきであり、ナントか諮問会議に列席する常連御用学者らだけに、あるいは意図的な国民向けミスリードで美味い汁を吸い続けようとするマスコミだけに任せっ放しにすべきではない。今こそ、あらゆる分野のアカデミズムの出番ではないか。民主党政権に対し“補助金・助成金を増やせ!”と叫ぶばかりが能ではない。今こそ日本の未来のために、分野の如何を問わず、アカデミズムは持てるだけの知恵を出し尽くす覚悟が求められているのだ。


ともかくも、60年になんなんとしてムダな時間を浪費してきた自民党による「暴政」が、その末期症状に苦しむ中で最後に「小泉・竹中劇場」が持ち出した“表層的な意味で米国かぶれのネオリベラリズム政策”が如何に食わせ物で、危険極まりないものであったかということが思い知らされる。短くいえば、まさに彼らは「パンパン型搾取経済」(=新自由主義思想が暴走中の米国に隷属する買弁資本主義)の狂信者であったのだ(関連参照、下記■)


■普天間基地、パンパン型搾取経済、けものみち、自民対米隷属政治についての予型論的考察、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091210


しかも、我が国で、この種の根本問題を左右すべき国会議員たち(Law Makers)の過半数が“遊び好きで、しかもヤクザ化した旗本・御家人同然の世襲議員”らだということは悲劇的な事態だ。社会福祉にかかわるソーシャル・ポリシーだけでなく、このような意味での民主主義政治のあり方の基本についてもスウェーデンなど北欧諸国から大いに学ぶべきだ(参照、下記◆)


◆小泉進次郎と行こうZE 自民党がナビ付き横須賀ツアー・・・自衛隊横須賀基地で名物“軍艦カレーも食えるゼ!”/人気沸騰・申し込み殺到/50人の定員に対し約5200人が!、http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091208ddm005010142000c.html


◆自民なりふり構わず、人気回復は“進さま”頼み!?、 http://www.sponichi.co.jp/society/news/2009/12/14/01.html


一方、グローバリズムが進む中で北欧型の福祉社会にも解決すべき課題が次々と生まれつつあることも事実だが、少なくともその北欧型モデルが、米国型・新自由主義(ネオリベラリズム)の如く、更なる壊滅的破綻を予兆させる「危険極まりない時限爆弾」(リーマン・ショック再来の危機をはらむ過剰CDS型の金融破綻、ドバイ型・過剰債務先送り型破綻、あるい超低金利環境下での公的資金氾濫によるハイパー・インフレ到来の危機など)を抱えているようには見えない。


因みに、ヘルムート・シュミット元西ドイツ首相(Helmut Heinrich Waldemar Schmidt/ 1918‐ /欧州社会をリードする言論人・文化人)は、この更なる壊滅的破綻を予兆させる時限爆弾を抱えているかに見える“米国型・新自由主義(ネオリベラリズム)”の現状を『捕食動物化した資本主義(Predator Capitalism)』と呼び、オバマ大統領の経済諮問委員会委員長であるポール・ボルカー(Paul Volcker/ 1927- /グリーンスパンFRB議長の前任者、ボルカー・ショックと呼ばれる金融引き締め政策を断行して1979年当時のスタグフレーションを鎮静化した)も、これに同調して大いなる懸念を表している(参照、下記▲)


▲Interview with US Economic Recovery Advisory Board Chair Paul Volcker/America Must 'Reassert Stability and Leadership'、http://www.spiegel.de/international/business/0,1518,666757,00.html


ところで、北欧型税制の特色を見ると、スウェーデン、デンマークなどの国々では、いわゆる所得控除を廃止しており、それに相当する部分を社会保障手当として支給している。このため、一面では国民の税負担が重く見える。しかし、もう一つの側面から見れば医療・福祉・教育等の大部分を「無料」で受けることが可能であるため、スウェーデンに代表される北欧型の福祉社会は、基本的に「非常に安心な社会」を実現しているといえる。これこそが、米国型・市場原理社会と北欧型・福祉社会の根本的な相違点なのだ。


しかしながら、現実には医療の質の問題などで不満も噴出しつつあると思われ、グローバリズムの加速傾向も経済・財政の基盤となる部分へ影を落とし始めている。とはいえ、再び我が国で出現するかも知れない“「小泉・竹中劇場」の亜流政治”に騙されて、再び日本が「パンパン型搾取経済」(=買弁資本主義)へ向かおうとする前に、日本国民は「北欧型福祉社会」の代表たるスウェーデン・モデルの重要な意味を十分に学び、理解すべきである。


(20世紀初頭の米国における“新自由主義=制度経済学派”の台頭/それは「公正資本主義」が目標であった)


19世紀末〜20世紀初頭のアメリカでは、「政治の革新」と「経済への政府干渉」の必要を説く運動が興り、この時代は「革新主義(Progressive)の時代」と呼ばれる。そして、この時代の経済思想の特徴は「新自由主義/ニュー・リベラリズム」(New Liberalism/1980年代以降にに定着したネオ・リベラリズムと直接的な関係はないのだが・・・)という言葉で代表されている。


このニュー・リベラリズムの考え方は、アダム・スミス流の古典的な「人間の平等と契約の自由を重視する」こととは異なっており、その独創性は「個人的な自由を一層拡大するためにこそ、政府(国家)は一定の介入を積極的に行うべき」だと主張した点にある。


また、19〜20世紀初頭のアメリカ経済思想の黎明期は、レオン・ワルラス(Marie Esprit Léon Walras、1834- 1910/スイス、新古典派の祖)が活躍した時代にほぼ重なっている。そして、冒頭で述べたことであるが、その時代のアメリカは「プラグマティズム」と絡みつつ「制度経済学派」が台頭した時でもあり、その中心的存在はソースティン・ヴェブレン、ジョン・ロジャーズ・コモンズらであった。


<注記>制度経済学派または制度派経済学(Institutional School)


アダム・スミス、デヴィッド・リカード、マルサス、ジョン・スチュアート・ミルなど英国の経済学者に代表される労働価値説を基礎とする古典派経済学を批判し、社会的な行動様式や集団的活動形態などの切り口から市場経済のあり方などを理解する経済学研究の一手法。ドイツ歴史学派の影響を受けつつ、ダ―ウイニズム(進化論)とプラグマティズム(Pragmatism/具体的な事象に即した有効性・有益性を重視する学派でアメリカを代表する哲学)の知見も取り込んでいる。


「制度経済学派」の創始者と呼ばれるヴェブレン(Thorstein Veblen/1857- 1929)の特徴は、「私的所有」よりも「社会資本」の充実を重視する立場であり、一部の階層が“金ぴか生活”をするための“単なる金儲けの手段”としての営利企業は“一国の産業体制そのものを管理し消費者に消費財を公正に分配する任務”(国民に一定の生活水準を保証する“社会的十分性”を担う役割)には適していないと考えた。


一方、ジョン・ロジャーズ・コモンズ(John Rogers Commons/1862- 1945)も「制度経済学派」の代表者の一人とされるが、彼の社会改良主義的な経済思想の特徴は“アメリカ伝統の自由主義的フレームを重視しつつ、強力な労働組合運動・独占的巨大企業・公益企業などに関する諸改革の実行について、その時代の州と連邦レベルの立法・行政(Law Makers)へ大きなな影響を与えた”という点にある。そして、ロジャーズの到達点は「集団民主主義」(集団内での“個別的衡平性”の実現)で社会改良を促進する「公正資本主義」 (Reasonable Capitalism)ということ(=非マルクス主義的な経済発展段階説)であった。


いわば、これら19〜20世紀初頭のアメリカ経済思想の黎明期に一世を風靡した“現代アメリカ経済思想の源流”とも看做すべき「制度経済学派」に属する経済学者に共通するのは、「社会に公正をもたらす資本主義」を実現しつつ、アメリカ建国いらいの伝統である“個人の自由原理に基づく個人の行動領域を最大限に解放し、それをより一層拡大する”ということであった。


しかも、意外に思えるかも知れぬが、実はこの20世紀初頭のニュー・リベラリズムは現代のネオ・リベラリズム(Neo Liberarism/新自由主義思想)にも、その根底で大きな影響を与えていると考えられるのだ。それにしても、何故に「公正資本主義」(20世紀初頭の新自由主義)が、現代社会に“大きな格差と経済の不安定化”をもたらすことになる「米国型・ネオリベラリズム=レーガノミクス以降の新自由主義思想」へ変質したのであろうか?


それを語る前に、まず直近の「我が国の『小泉・竹中劇場』に大きな影響を与え、その結果として現代日本へ悲惨な大格差社会をもたらし、その責任を負うべき立場となった「ネオリベラリズム(新自由主義思想)」の概要を次に纏めておく。


(『小泉・竹中劇場』が日本へソックリ持ち込もうと工作した米国型・新自由主義(ネオリベラリズム)の概要)


ミルトン・フリードマン(Milton Friedman/1912-2006/シカゴ学派のリーダー)のマネタリズムを理論的根拠とする「ネオリベラリズム」が先進国の政策としての具体化し始めたのは、アメリカ合衆国のレーガン政権による「レーガノミクス」とイギリスのサッチャー政権による「サッチャリズム」であった。それは市場経済に対する政府の介入を縮小し(所謂「小さな政府論」・・・ただ、これは決して政治権力を弱めるという意味ではない!)、“強制的”な規制緩和を通じてそれまで政府が担っていた役割・機能を市場と民営化に任せることが主張された。


別に言うならば、そこでは、いわゆるケインズ主義が“政府の需要(消費者側への刺激策)をコントロールによる「総需要管理政策」を指向する”のに対して、新自由主義は“供給(企業)サイドとマネタリズム(貨幣供給量)の役割を重視する「サプライサイド政策」が採られる”ことになる。つまり、企業減税などで潤沢な資金を民間市場に流しつつ規制緩和と公的部門の民営化で市場経済を中心とする社会全体をトリクルダウン的に(雨だれの如く上からのおこぼれが下層へ向かい滴り落ちることで)活性化させるという訳である。


しかし、これらの諸政策が悉く失敗に帰したこと、そして、特にその総本山ともいうべきアメリカ経済がサブプライム・ローン問題と過剰な金融工学を震源とするリーマン・ブラザーズの破綻を契機に全地球規模の金融・経済パニックの引金を引いてしまったことは記憶に新しいところだ。


また、我が国においても『小泉・竹中劇場』の“無残な負の遺産”が、つまり長引く不況による雇用環境の破壊、格差拡大、貧困率の拡大、中間層の没落、地域経済の疲弊・破綻、医療・福祉環境の劣化・崩壊などが、『60年にも及ぶ自民長期政権』→『民主党政権』への<政権交代>後の今でも、相変わらず日本国民を酷く苦しめていることも周知のとおりだ。


しかも、甚だ見苦しいことであるが、野党となった自民党は、旧友の“マスゴミ”と結託して、そもそもの自民党の責任を棚上げにしたうえで“現代日本の異常事態の責任はお前らにある!”と叫びつつ“政権交代したばかりの民主党政権”を攻撃している。


(北欧型福祉原理と米国型市場原理/ “リアリズム法学” という同根から生えた二つの異質な社会福祉の現状)


「リアリズム法学」は20世紀初頭にアメリカと北欧(スカンジナビア)で興った法社会学の一派である。それまでの学説では、“判決とは法規(判例、制定法)を大前提とし事実(具体的事実関係)を小前提とする三段論法の結論に当たるもので、公判とは裁判官によって結論が変わることのない形式的・機械的・非個人的なプロセスだ。従って、それは事前予測が可能な確実な論理的手続きだという理解”であった。


ところが、このようなドグマに対して心理学・社会学など各種社会科学の成果を駆使して鋭いメスを加えたのが20世紀初頭にアメリカとスカンジナビアで興った「リアリズム法学」である。そのため、現代の裁判では“複数の先例から一個の先例を選択し、制定法についても可能な複数の解釈から一個の解釈を採用することができ、特定の裁判官の活動に政治的責任を問うことも可能で、事実認定のプロセスが裁判官の主観的作用であるということなどが当然視されるようになり、今ではそれが法曹界での常識となっている。


しかしながら、やがてスカンジナビア型の「リアリズム法学」はアメリカ型の「それ」と異なる方向へ進化(深化)することになる。つまり、前者がスカンジナビアのキリスト教的・歴史的な意味での地政学的知見を背景として「普遍的人権」についての理解を深めたのに対し、そもそも欧州から離脱して新大陸でゼロから建国したという歴史経験から、アメリカの地政学的知見は“徹底的な自由原理に基づき、個人の行動を最大限に解放し、それを限りなく拡大することを最終目的とする”という極めて「特異な人権意識」の方向へ発展した。


このため、同じ「リアリズム法学」の影響を受けたと見るべき「制度経済学派」の根本がスカンジナビアと米国では大きく異なる価値観を創造することになった。これこそが、北欧(スカンジナビア)と米国の各々が20世紀の現代史を通して「制度経済学派」を異なる方向へ進化させてきた理由(根拠)である。


北欧(≒西欧)と米国について、このような原理部分の違いを考慮しつつこれら二つの社会福祉制度のモデルを概観するため、スウェーデンとアメリカの社会福祉制度の概要を纏めると以下のようになる。


(1)北欧型福祉制度/スウェーデンの社会福祉(概要)


スウェーデンのソーシャル・ポリシー(強いて訳せば、社会経済政策)の先駆的な性質が初めて世界的に注目されるようになったのは1930年代からだ。大不況・大量失業への対策として、当時の社会民主党政府がアメリカのニューディール政策に先駆けて公共事業の拡大と協同組合方式の導入を図った。これが資本主義とも社会主義とも異なるスウェーデン方式のソーシャル・ポリシーとして注目を浴びたのである。


そのスウェーデン型福祉国家モデルの主な特徴を列記すると以下(●)のようになる。ノーマライゼーションの理念を始めとして我が国の福祉政策もスウェーデンから多くを学んではいるが、このように<根本的な理念部分を地政学的な観点から独自に深めることの重要性>に気付かぬまま、約60年にも及ぶ自民党による独裁・腐敗型の長期マンネリ政権(パンパン搾取型経済に甘んじた政権)下で無駄な長い時間をやり過ごしてしまった。


そのため、長期自民党政権の最後の局面で「小泉・竹中劇場」が極端な米国型ネオリベラリズム(なんでも民営化路線)を移植することに殆ど無抵抗・無防備に近い状態となり、現在の悲惨で恐るべき状況(遂に国民皆保険制まで、言い換えれば国民健康保険・国民年金までもが財政破綻の見込みを口実に廃止→民営化の可能性が検討されかねないというリスクに晒されている!)に追い込まれることとなった訳だ。


●全国民が、普遍的で包括的な社会保障制度の理念を共有している・・・日本でよく見られる“国民(基礎)年金や公的医療保険(国民皆保険の原則)などイラネー!”という類の2チャンネル型の暴言を吐く愚かな国民は殆ど存在しない。


●完全雇用の維持に国が責任を持っている


●産業(自由市場&企業)をベースとしつつ社会保障、雇用維持、環境保全、公共財の保全・維持について国が積極的な役割を果たす「混合資本主義(混合経済社会)」を理念としている


●労使が十分に組織化されており、両者間の問題解決が自主的かつ民主的に行われる


●政治腐敗の予防が十分に作用しており、高度な国民意識による良質な民主主義が機能している・・・日本でよく見られる“堕落したマスゴミによる国民をミスリードするための虚偽報道や不見識なウヨvsサヨによる掛け合い漫才的でムダな時間と知恵を浪費するような意味での低劣な悪玉菌増殖型の腐敗現象”は殆ど存在しない


また、スウェーデンの「社会保障と税制」にかかわる大きな特徴を挙げるとすれば、以下の二点(a、b)となる(情報源、http://www.eco.kindai.ac.jp/zaisei63/pdf/2F.pdf)。


a 課税対象となる社会保障給付の規模(数)と金額がきわめて大きい


・・・一般家庭の所得全体は「賃金・利子等の要素所得(70%)、社会保障給付(30%)」から成っている。


・・・この中で「老齢年金・障害者年金・傷病手当・失業保険手当等(25%)」は課税対象で、「児童手当・住宅手当・公的扶助・奨学金等(5%)」の部分は非課税。従って、非課税部分(5%)を除いた残り95%部分が課税対象となる。


・・・「賃金所得(要素所得の約85%)」の所得階層分布は、殆ど正規分布となっており、その中央値(350万円程度)は日本の水準より低いが、スウェーデンは共稼ぎが多いので一般家庭の平均収入はその2倍程度と推測される。


b賃金所得の階層間「格差」がきわめて小さい


・・・必然的に、スウェーデンもグローバル市場主義という時代の流れに飲み込まれて、やや格差が拡大したとはいえ、未だに上位2番目の階層と中位階層の格差は1.6倍程度(1990年代前半1.40倍→やや増加傾向)に止まっている。


・・・OECDの相対貧困率(mid-2000s)を見るとスウェーデン5.3%は加盟国の中でデンマーク(同%)と並びトップを誇る。日本の同貧困率は14.9%で、メキシコ18.4%、トルコ17.5%、米国17.1%に次いで4番目に貧困率が高い(OECD加盟国の平均は10.6%/情報源 ⇒ http://stats.oecd.org/Index.aspx?DataSetCode=POVERTY


・・・因みに、上の「要素所得+課税対象の社会保障給付」=総課税所得に対して平均で約30%の所得税がかけられるため、残りの70%が「可処分所得」となるが、スウェーデンの所得税は強い累進性のバイアスがかかっている(参照、下記参考データ◆)ため、上位層と下位層の所得格差が小さくなる。


◆スウェーデンの付加価値税と所得税にかかわる参考データ


<付加価値税>

・・・標準税率25%/食品、ホテル・交通などのサービス料金は12%の軽減課税/書籍・新聞・スポーツ・イベント入場料は6%の軽減税率/医療・介護・公立幼稚園などの公共サービスは無税


<所得税>


・・・31万6700クローネ未満/約29〜37%のコミューン(地方)税のみ


・・・31万6700クローネ以上〜47万6700クローネ以下/コミューン税+20%の国税


・・・47万6700クローネを超える部分/コミューン税+25%の国税


なお、スウェーデンに関する冷静で客観的な観察or体験情報はあるようで意外に少ない。が、下記のスウェーデン生活体験者らの情報は参考になると思われるので、ここに転載しておく。特に、日本の“世襲議員問題(=バカ殿様のような国会議員身分の世襲を当然視する異様にミーハーな空気の充満、そして巨額財産の無税(合法的脱税?)相続という世襲の特権化)の如き異常な政治を許す”などはスウェーデンでは、とても考えられないことのようだ(出典:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa454241.html)。


・・・・・


回答者:violetmira 下記URLにスウェーデン社会福祉視察された日本人のレポートが掲載されてます。


スウェーデンは日本に次ぐ世界2位の長寿国、かつ出生率も先進国有数の高さを誇る国。充実した社会保障を支えるのが「税金」!大まかに言うと、給与の50%をもろもろの税金に払うそう。


非常に重税のように見えますが、医療・福祉・教育等の大部分は、そのお陰で「無料」で受けることが可能。この税金を皆共通にかかる内部費用と考え、全収益の中からその内部費用を引いた残りを分配していると考えれば、「給与(生活費)が少ない」と言う発想にはならないかも。


もちろんスウェーデン社会は問題ゼロってわけじゃありません。


でも議員ポストの職業化(世襲化&巨額財産の無税相続という特権化)はやってない。大臣をのぞいた一般議員は定職に就いていて、議会が開かれるたびに仕事を休んでかけつける。


議員の身分と利権は無縁であり、ボランティア活動に似ている。 半業として政治へ参加するこのような行政のあり方は、集団を共同体たらしめるにあたって非常に参考になるように思えます。


反対に日本ときたら、市議会委員、国会議員に信じられない高額な年金を払ってます。


年金900万円(年間)もらっても、ボケて寝込んじゃ何千万〜何億のシルバーマンションか月に数十万のサナトリウム、もしくは家でいじめられながらオムツ替えて〜と泣き喚く始末。


俺は早死にしちゃうから関係ないよと言っても、成人病、特にガンになれば、もう金が湯水のように流れていく。


親がリストラされて、現在通学中の高校、大学を断念したり、志望する学校を断念する。ある日、交通事故に遭遇して、車椅子生活になっても日本の福祉じゃ、所詮、家族の世話にならなきゃ生きていくの難しい。


何で重税なのか、その理由がわかっているからスウェーデン人の大半は北朝鮮人みたいに脱出したがらないんです。


・・・


gogojinsei 「スウェーデンの社会福祉と介護」というHPにBBSがあるので、この質問をそこに書き込んで聞いてみてはどうでしょうか?


ちなみにNo.1(honmakainaさん)の答えは間違っています。スウェーデンでは昨年9月に国・県・市町村の議員を一斉に選ぶ選挙があり、減税をして福祉は個人的なお金を出して行おうとするのを退け(穏健党の主張が敗退)、人間の尊厳を保つために必要な福祉は税金で運営する選択(社民党の主張が勝利)をしています。


この選挙ではたくさんの若い人たちが選挙小屋という政党のほったて小屋を訪れて政策ショッピングをしていましたし、その結果として税金を出して福祉を民主的にコントロールする方法を選んでいます。


よく考えてみれば日本の福祉は税金でまかなう部分が低い反面、個人々々が老後の福祉に備えて保険を掛けなければならない分お金がかかります。税金としてまとめて納め、民主的にコントロールしていこうとするスウェーデン国民の方が賢いのではないかと思います。


なお、税金は福祉だけに使われるのではありません。参考のため小学生の体験HPも見てごらんなさい。スウェーデンの良さが伝わってくると思います。(http://www7.airnet.ne.jp/art/keikun/)


・・・・・


前に述べたことだが、20世紀初頭のアメリカとスカンジナビアに興った「制度経済学派」(Institutional School)と相互に影響し合ったと考えられる「リアリズム法学」(同じく、20世紀前葉にアメリカ大陸や北欧諸国を席巻した法社会学の学派)は、各々の「ソーシャル・ポリシー」(健全な市民社会を維持するための政策課題の基盤となる理念の設計)についての視点を、米国と北欧では全く逆向きに深化させてしまったと看做すことができるのだ。


つまり、スウェーデン、デンマークなど北欧諸国では、福祉社会型の「ソーシャル・ポリシー」が“個別的な衡平性(Individual Equity)”(配分的正義/人々がそれぞれの能力に応じて地位や財産を手に入れる平等/アリストテレスによる)、“社会的十分性(Social Adequency)」”(矯正的正義/社会全体における罪と罰との均等や取引・交換における平等のように、場の全体を視点に入れつつその全体との調和を図る算術的比例に基づく平等/同じくアリストテレスによる)、“集団的衡平性(Group Equity/衡平を支持する集団的な責任意識)”の三要素をバランスさせる意識が深まったため、その社会そのものが「社会に調和する経済学(市場原理)」(ドイツ風に言えば『社会的市場経済』)を採用する方向へ進化したと看做すことができる。


(2)米国型福祉制度/アメリカの社会福祉(概要)


アメリカ社会で最も目立つ伝統は、自由な産業・企業社会と自由な労働社会(労働者の移動の自由)を最大限に重要視することである。そのため、元々、福祉や社会保障は連邦政府の役割ではなく、各産業・企業や、それらが立地する州政府の役割として出発してきた。しかし、流石に、それでは究極的には国家の長期財政に混乱が生じるため、やがて「社会保障制度=連邦・・・失業保険・災害保険など産業が原因となるリスクへの対応」、「労働に関係しない扶助関係=州政府」という形で分担するようになった。


ここにこそ、アメリカが“医療に関する「国民皆保険の原則」を持たなかった理由”がある。つまり、病気一般は産業原因によらないので、国家の社会保障の視野に入らないで当然とする立場なのだ。そのため、「公的医療保険」は、1965年に制度化された「65歳以上のOASDI受給者と末期の腎臓病患者だけ」を対象とするメディアケアと低所得者向けのメディケイドだけとなっている。


<注記>アメリカでの「医療保険制度」別対象者の概要


イ 民間医療保険(民間保険会社/市場原理で運用/HMO、PPO)約18,200万人

ロ 公的医療保険(市場原理のフレームから落ちこぼれた弱者用)


ロ-1 メディケア制度(Medicare/高齢者・障害者、低額保険料負担)約4,400万人


ロ-2 メディケイド制度(Medicaid/低所得者、低額保険料負担)約3,300万人


ハ 無保険者(Medicare or Medicadeから排除された人々)約4,600万人 ← 総人口の約15%相当!!


<注記>OASDI(老齢・遺族・障害保険)


アメリカの公的年金制度が「老齢・遺族・障害保険(OASDI/1937〜)」である。一部の例外を除き、一般被用者(民間企業の会社員や公務員)と年収が400ドル以上の自営業者は強制加入。


OASDIのスタート当初は公務員が適用対象外であったが、今は1984年以降に採用された連邦政府職員は強制加入、 州・地方政府職員は協定により団体で任意加入することができる。また、公務員はOASDIに上乗せとなる独自の年金制度を持っている。


なお、アメリカの社会福祉は“産業主義・企業主義”であるため、日本のように無職者・専業主婦などが加入できる国民年金は存在せず、専業主婦に対するOASDIの支給率は非常に低いものとなっている(下記の事例▼を参照)。


▼アメリカの年金について(http://qanda.rakuten.ne.jp/qa2737199.htmlより転載)


質問者:snowball75 アメリカの年金について、お問い合わせします


私は今32歳でアメリカ人の彼(37歳)と遠距離恋愛中です。結婚話も出ているのですが、アメリカで生活する となると私の方の経済的基盤が語学力のこと含めて不安定なため、生活していくのに経済的不安があります。


彼は大手証券会社に勤めており、税引き前の年収 約$90,000(約1080万)です。彼の年金が満額もらえる年齢は67歳なのですが、仮に私が専業主婦で彼が67歳まで働いたとき、アメリカでは満額 時何パーセントの年金(social security)がもらえるのでしょうか?


回答者:gbrokk 若い時からアメリカに移住して現在ソシアルセキュリテイを貰っている老人です


普通のサラリーマンとして40年近く働いた結果、現在貰うソシアルセキュリテイは年間18,000ドルです、家内は10年少し働いて年間6,000ドルを貰います、二人とも米国籍です


つまり夫婦の年金収入は月に2,000ドルぽっちで、生活費の半分以下にしかなりませんのでソシアルセキュリテイだけでは生きて行けません、それさえも所得税の対象になる事をご承知ください


彼は職業がら企業の年金や私的な年金制度に参加しているとは思いますがソシアルセキュリテイの支給額は必ずしもその人の収入と比例するとは限りません、国民全部で支えあうシステムですから高給取りでも案外少ないのです


そもそも現在の世知辛いアメリカで専業主婦は昔の夢になりました、貴方も自分の力で稼ぐ覚悟をお持ちください


・・・・・


1960年代のケネディ民主党政権が自動車労連とともに「公的医療保険」の導入を図ったとき、その対抗策として共和党が提案して導入されたのが「健康維持機構(HMO/Health Maintenance Organization)」である。これは一種の前払いによる会員型医療制度(複数の民間保険会社を組織化したもの)で、その後にPPO」(Preferred Provider Organization/自己負担率がHMOより高いがHMOのように主治医を通さなくても専門医を選んで直接診断を受けることができ、病院やその他の医療サービスの選択についてHMOよりも自由度が大きい制度)ができた。


日本のような公的医療保険がない(国民皆保険制でない)アメリカでは、このHMOとPPOが一般国民の医療保険の中核的な受け皿となっている。ただ、このように個人で民間の保険会社の医療保険に加入するアメリカでは、勤務先の団体保険(この場合、保険料の7〜8割は会社が負担する)に加入すれば、健康状態のいかんにかかわらず加入できる場合が多い。


しかし、純粋に個人で加入する場合は、健康状態によっては加入を拒否されることがある。しかも、個人負担の場合は、日本の一般サラリーマン並みの医療サービスを受けるための保険料が月額で10万円以上になり、それに加えて、診療費の免責があるため7〜8万円未満の診療費の場合は全額自己負担になるという試算もある。
ところで、1965年以降、アメリカの総医療費の伸びの平均は経済成長率や物価上昇率を遥かに上回る12〜13%で推移してきた。そのため、国民一人当たりの医療コストは日本と比べて約2.7倍の水準で、医療費の高騰(OECD加盟国の中で最も高い!)はアメリカの最大の社会問題の一つとなっている。


<注記>アメリカの医療費が高騰する主な原因・・・下記の二点が指摘できる。


●過剰医療(医療過誤訴訟を回避するための措置として過剰医療)


●民間保険会社の寡占状態(これを維持するためのロビー活動が活発)


その医療費高騰問題には、従来の「出来高払制」から「定額前払制」のHMOが導入されて一定の歯止め効果が見られたが、今度はそのHMOの診療内容に不満が出つつある。例えば、それは救急患者や重篤患者への診療拒否にとどまらず、個人的な加入希望者への既往症などを理由とする加入拒否問題が多発するようになったからだ。当然ながら、これらの非人権的な問題は、営利企業たる経営を優先するために発生するのだ。


また、医療における「無保険者問題」もアメリカにおける最大の社会問題の一つであり、現在はその数が約4,600万人に達しており、1990年代は年に約10万人ずつ増えていたが、その数の上昇傾向も更に加速しつつある。


「一般国民を対象とする公的医療保険」がないアメリカでは、それらしきものと言えば「メディケア」と呼ばれる65歳以上の高齢者を対象とする公的医療保険があるにすぎず、それも入院保険が強制されるだけであり、一般診療の加入は任意(高額な保険料の負担が条件)となっている。


結局、アメリカは「労働市場と連動した社会保障制度」のみを認めるという考え方がソーシャル・ポリシーの基本となっており、この<特異な根本理念>が「社会保障や医療保険にも市場原理を適用するという考え方」の土台になっているのだ。そして、この点こそが、スウェーデン、デンマークなどの北欧型あるいはヨーロッパ型のソーシャル・ポリシーとの決定的な違いをもたらしている。


たしかに、市場原理を活かした経済の活性化と持続的発展、そして国民一人ひとりの自立は大切なことであるが、アメリカの「労働市場と連動した社会保障制度」のみを認めるという考え方は、欧州や日本の現状と比べれば“はなはだ異常だ!”と看做さざるを得ない。だから、そこへ限りなく接近しようとした「小泉・竹中劇場」の“カイカク”なるものが如何に危険極まりない代物である(あった)かが理解できるはずだ。


・・・・・


<主な参考文献&資料>


高 哲男:現代アメリカ経済思想の起源(名古屋大学出版会)
井上誠一:高福祉・高負担国家、スウェーデンの分析(中央法規)
藤田伍一・塩野谷佑一編:先進諸国の社会保障、アメリカ(東大出版会)
丸尾直美・塩野谷佑一編:先進諸国の社会保障、スウェーデン(東大出版会)
中岡望の目からウロコのアメリカ、http://www.redcruise.com/nakaoka/?p=153
アメリカ合衆国社会保障制度の概要、http://homepage2.nifty.com/087480/b.cus_syakaihosyou.htm
海外の公的年金制度、アメリカ編、http://allabout.co.jp/finance/gc/13217/2/
スウェーデンの社会保障と税制、http://www.eco.kindai.ac.jp/zaisei63/pdf/2F.pdf
スウェーデンの税制について(その5)、http://palcomhk.blog79.fc2.com/blog-entry-411.html  

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