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鐵扇會に対する基礎認識・2662年昭和節版 投稿者 隣の見過ぎ 日時 2002 年 4 月 29 日 23:41:22:

右翼板を読んできた小生が、新入りの方、浦島太郎な方の為に鐵扇會設立以前、
以後の様子を説明したい。
記憶のみに頼って書くので不足、間違い等が有れば積極的に指摘して頂けると有難い。

鐵扇會構成員の方は鐵扇會の事は鐵扇會の板で言えと思われると思うが、鐵扇會
の板で書いて個人情報を補足され「あーあ、もしもし」等と電話が掛って来ては
堪らないので鐵扇會の板では書かない。

個人的見解は行頭に「※」印を付す。


2659年 春
  初心者氏と燎原氏、岩井氏、奥村氏らの対立が表面化。

2659年 昭和節
  鐵扇會発足。同時に燎原氏、岩井氏、奥村氏が鐵扇會に対し妨害活動開始。

対立の原因
  註1 おのれがわしを「アングラ上がり」とかぬかすから、
  註2 「ほいぢや、毛唐の軆に大和撫子の顏を貼つて、それを商賣にしやうとしてゐた
  註2 『初心者・元気だぞ』はだうなんだ?」とよ、單に質問しただけぢやないの、
  註3 そもそもの發端はよ(笑)。
  註4 「あれこそアングラ中のアングラぢやないの?」と、これは意見だ。
  これは、岩井氏所有の掲示板『新々仁義無き戦い・アカ撲滅編』で、
  当時鐵扇會構成員堂本直紀氏と岩井氏、燎原氏他との激闘が繰り広げられていた中の、
  岩井氏の5月10日の発言の一部である。
  この発言は、堂本直紀氏が総裁を務める政治結社国際愛国社の掲示板に、
  堂本直紀氏自身が転載して保存されており、今でも閲覧可能である。
※◇解説◇
※この年の紀元節に、鐵扇會の設立が決定し、設立へ向けての根回し活動中に起った出来事と推測する。
※註1は、堂本氏が岩井氏に、<鐵扇會への参画を呼びかける中>(<>内は推測)、堂本氏が岩井氏の、
※これまでのネットでの活動歴に難色を示したものと思われる。註2は、註1に対して、初心者氏が、
※ネットで猥褻図画販売を画策していたことに対しての、岩井氏の質問である。
※註3は、註1註2のやり取りが、対立の発端になったことを示している。
※註4は、岩井氏の、初心者氏(現鐵扇會首魁)に対する意見である。
  初心者氏(現鐵扇會首魁)は、幾つかの掲示板に(いずれも鐵扇會設立時に閉鎖)タイトルCGを
  提供しており、初心者氏(現鐵扇會首魁)のCG製作力は一定の評価を得ている。

2659年 5月12(?)日
  燎原氏、岩井氏、奥村氏その他の方が極秘裏に集っていた板を鐵扇會に
  補足され、鐵扇會がログを一部改変し公開。
  http://www.tetsusenkai.net/kuzuita/

2659年 5月??日
  奥村氏が鐵扇會に対抗し「やれうちわ」を製作。
  鐵扇會が公開した物と同じ物を設置。
  http://www.kojyaku.co.uk/yareutiwa/

2659年 6月13日
  燎原氏、この日を境に半年ほどネットから身を引く。
  燎原氏、岩井氏、奥村氏らの表立った妨害活動は終息。

鐵扇會設立初期
  蓑田氏が鐵扇會首魁と抗議活動に関して意見対立。
  が、蓑田氏は代案を出せず。

2659年 10月下旬
  鐵扇會首魁が、鐵板8に於いて、鐵扇會の板に二、三月程定住していた
  心身共に中学生程度と思われる大和魂君のカキコを「あーあ、もしもし。
  基本的な事を勉強してから書け」と粉砕。大和魂君は鐵板を去る。
※かわいそー。

2659年 11月上旬
  鐵扇會首魁が、共和派の板で妄想モード全開。
  共和派の人間が鐵板に来なかったので、共和制批判を共和派の板では無く
  鐵板8に展開。
※共和派の批判は共和派の板に書こう

2659年 11月25日
  鐵扇會首魁、ネット自決。
  方々から失笑を買う。
  一方、鐵扇會構成員jazzman氏に因ると、内外あわせて、50通の
  ねぎらいと賛辞を鐵扇會首魁へ送られる。

2659年 12月6日
  鐵扇會構成員人吉皇彦氏が掲示板鐵の扉に於いて、ゴジラ氏の字が小さい
  という指摘に対し粗雑な対応をとる。これに鐵扇會構成員、旗御飯氏、
  降魔の翼氏が人吉皇彦氏に成り代りゴジラ氏に謝罪。
  が、人吉皇彦氏に対し鐵扇會を脱会したばかりの亞死亞氏が執拗に
  絡んでくる。これに対し常連のつつじ氏が意見。これを亞死亞氏が粉砕、
  まだ管理権が有った亞死亞氏がつつじ氏の発言を削除。
  亞死亞氏の発言を、田村清次郎氏、当時鐵扇會構成員高橋博彦氏が一部誤読。
  同時に高橋博彦氏は鐵扇會に対して意見する。
※誤読した者が一人だけならまだしも二人も誤読したのだから亞死亞氏の文章に
※問題があるのでは?

2659年 12月7日
  前日から早朝の件に関し、鐵扇會が処分。
  人吉皇彦氏、旗御飯氏、降魔の翼氏  謹慎
        高橋博彦氏       除名
  後に撤回されるが常連だったつつじ氏に対して、亞死亞氏の人格を
  知らずに正論投稿したという訳ワカメの理由で投稿自粛を要請。
※それまで亞死亞氏は殆どカキコしていなかったのに亞死亞氏の人格を
※知っている訳がない。
  この「告」は鐵扇會の全ての板、鐵扇會外の数十の板に掲載される。
※鐵扇會會則に依ると除名処分は基幹頁に掲載を持って除名処分となるらしい。
※鐵扇會自体が會則に則らない行動を執っているのに除名云々とは笑止千万。
※鐵扇會は高橋博彦氏を精神病を想起させる理由で除名したが、鐵扇會は個人の
※健康問題を理由に除名を行ったりする會なのだろうか。
  鐵扇會は、天皇陛下御即位十年記念祭典に出席したYOSHIKI氏に
  意見した東大教授への公開質問状と回答を公開。
  その後、何故か東大教授への抗議活動を決定。會内部のみならず各方面に
  呼びかける。この行動は各方面で非難の声が上がる。

2659年 12月14日
  鐵扇會、東京大学小森教授に対し抗議活動を敢行。

2659年 時期不明
  鐵扇會構成員黒瓜氏は會員掲示板で
  「「初心者・元気だぞ」氏を天皇の次に大事にしよう」
  と発言。当時、會員掲示板でこの発言に異を唱える者はいなかったらしい。

2659年 12月20日頃〜年末〜1月
  それまで散発的だった鐵扇會に対する話題がこの頃を境に急激に盛上がる。
  鐵扇會構成員に除名の件を穿り返された高橋博彦氏は、本格的に鐵扇會首魁
  に対し批判を開始。
  高橋博彦氏。鐵扇會構成員よりメールで、「右翼共和派掲示板・憂國掲示板
  より手を引け、引かないとボロボロになるぞ」と脅迫される。
  謎の人物、ダビ男氏登場。
  12月21日、心氏、鐵扇會総括掲示板「←↑↓→菩提僧莎訶←↑↓→」
  を開設。12月30日迄に基本的総括が終了したので、12月30日頃閉鎖。
  ダビ男氏は鐵扇會首魁ではないかという話題になる。
  鐵扇會が、鐵扇會批判掲示板を開設。当初は公開されていたがすぐに会員制へ。
  ダビ男氏は撤退を宣言。1月4日を持って事実上撤退。
  ダビ男氏と入れ替るが如く匿名、後の棺光一氏登場。
  棺光一氏は右翼共和派の板で弾かれるプロクシ[cache1.cc.interlog.com]
  で憂國掲示板に精力的に書込を行う。
  棺光一氏もまた、鐵扇會首魁ではないかという疑いを持たれ、
   鐵扇會首魁=ダビ男=棺光一  は定説となりつつある。

2659年の鐵扇會入会者77名。
2660年1月30日現在、脱会、除名、行方不明者13名
  脱会、除名、行方不明率 16.9%

2660年 2月現在
  棺光一氏、未だ飽きもせず毎日、憂國掲示板に長文を大量投稿。

2660年 2月4日
  圧力が加えられたのか?。右翼共和派の掲示板が停止する。(現在も停止中)

2660年 2月16日
  紫門 圭♂氏が、憂国掲示板分析資料を作成。
  ネット中毒患者、棺光一氏の病歴が克明に記されている。
  http://asyura.addr.com/sora/bd5/msg/486.html

2660年 2月24日
  憂國掲示板で、皇太子妃殿下に対する不敬発言を掲載した現鐵扇會首魁、
  初心者・元気だぞ(=ダビ男=棺光一)製作によるwebサイトが、一年数ヶ月
  放置されていたことが判明する。

2660年 2月28日
  軍艦百年実行委員会の自動リンクページに独断でリンクを貼った
  鐵扇會構成員人吉候彦氏に謹慎処分。
  謹慎を知らせる「告」が鐵扇會とは無関係の板に貼付けられる。

2660年 3月13日
  憂國掲示板で、鐵扇會掲示板鐵の扉、會員によるカウンターアップ疑惑発生。
  真相は、カウンターの故障。修復する気は無い模様。
  その後4月中旬、掲示板の変更により壊れていた日毎のカウンターを除去。
  昭和節に行われた掲示板改変では、複数の掲示板に共通するカウンターを設置。
  今後、鐵扇會の掲示板カウンターは、今までの鐵扇會掲示板鐵の扉のアクセス数と、
  鐵扇會の全ての掲示板の合計アクセス数が表示される。

2660年 3月19日
  憂國掲示板で、peace 霊柩車氏は、棺光一氏と鐵扇會の広報文との決定的な酷似点を発見。
  23日鐵扇會中央執行部は憂國掲示板で鐵扇會首魁と棺光一氏の同一人物説を否定する
  公式見解を発表。

2660年 3月第5週明け
  掲示板、「八紘一宇」と「民族の掲示板」が強制閉鎖された模様。
  最近、活発になりかけていたのに惜しまれる。

2660年 4月10日
  憂國掲示板で、棺光一氏は一水会機関誌「レコンキスタ」に時枝松陽の名で
  政治結社国際愛国社総裁堂本直紀氏が特集を載せたと発言。
  11日未明、堂本直紀氏は、「相手から接触があったらしいが、うちの団体の
  時枝松陽という人物が対応した。それは自分ではない」と明言。
  同11日朝、鐵扇會構成員黒瓜氏は「堂本さんにお会いしたことのある会員は、
  レコンの後ろ姿のお写真を拝見して、「あ、おじちゃんだ、まちがいない」と
  いう声がありましたことをお伝えしておきますが、勘違いであったかもしれません。」
  と内部情報を暴露。
  幽霊氏や妖怪氏は、棺光一氏と「ある会員」の、時枝松陽氏に対する認識が同じ
  であると指摘。
※「あ、おじちゃんだ、まちがいない」この独特な言回しから「ある会員」とは
※鐵扇會首魁のことと思われる。
  その後、棺光一氏はターボ氏から投稿姿勢の不整合性を指摘されるが、
  苦しい言訳に終始する。

2660年 4月29日
  鐵扇會構成員人吉侯彦氏は、鐵扇會発足一周年WEB更新告知を憂國掲示板に貼付ける。
  当日、夏樹静子氏から、「平成11年4月29日・昭和天長節を機に、既存の右翼民族派と
  一般市民とが大同団結し」という文に対し「これは嘘ですわね>お人よしさま」と、指摘が
  入る。
  同日から翌日にかけて鐵扇會構成員人吉侯彦氏は、同一告知文を数度貼付ける。

2660年 4月30日
  棺光一氏、00時54分『■棺光一の「価値相対主義・基本用語解説13−K 個人主義」』の
  投稿を最後に憂國掲示板から消える。ダビ男時代を含め昨年末からの、高橋博彦氏
  管理の掲示板の書込をネタにした価値相対主義講座などと題した執拗なネットストーカー
  行為に終止符を打つ。ただ、撤退宣言が有った訳ではなく自然消滅のような状態。
  当日10時45分野嵜健秀氏、「Cieldo漢孝市の世界」なるサイト、を
  憂國掲示板で紹介。その後5月3日、野嵜健秀氏はエキサイト掲示板で
  ※以上、棺は69件もの大量投稿(電波入り捲り)を行つた。※この後、私は次の様な指摘を
  した。  (憂國掲示板4月30日 10時45分の野嵜氏自身の書込を転載) ※これを見た
  棺=漢は、サイトを消して逃亡。現在、上記URIにアクセスしても繋がらない。
  と、野嵜健秀氏勝利宣言。
  小生が野嵜健秀氏紹介のサイトの確認を怠ったため、棺光一氏の撤退と野嵜健秀氏の
  書込の因果関係は不明である。
  読者の方で詳細をご存じの方は情報をお寄せ頂きたい。

2660年 6月6日
  鐵扇會は、森喜郎内閣総理大臣の「神の国」発言騒動で「昭和の日」が廃案になった
  ことに対して、森喜郎内閣総理大臣、主要野党党首、報道各社に抗議活動開始。
  これを呼びかける告知を数々の掲示板に投稿。
  この告知のリンク先のカウンターは、鐵扇會各掲示板に共通するものを設置。
  告知があったひとつの日本茶掲示板で、さぶ氏が掲示板での抗議要請に違和感を表明。
  これに対し、鐵扇會構成員黒瓜氏は苦情は鐵扇會に直接よこすようにと発言。
  その後、さぶ氏には鐵扇會からの説明と思われる添付ファイル付き470KBのメールが届く。

2660年 6月6、7日
  鐵扇會は日本茶掲示板で、抗議活動の告知を3回張付け、イエローカードを2枚獲得する。

2660年 6月10日〜7月20日
  自称「DTP屋/フリージャーナリスト/サイバーハカイダー」の河上イチローは、
  日記「団々珍聞」で、森喜郎内閣総理大臣の「神の国」発言問題で、森喜郎内閣総理大臣を
  揶揄する画像を複数製作、公開する。最初の画像は、天皇陛下を中心にし、周りに、
  松本智津夫、池田太作、福永法源、高橋弘二、森喜郎を配した不敬極まりない物。
  6月16日、河上イチローは日記「団々珍聞」で、この画像に数件の抗議が届いたと書く。
  その中に鐵扇會も含まれていた模様。
  その後も鐵扇會とやり取りが続き7月19、20日の日記で、「天皇 じゃなくって 
  黒いシルエットに ? ぐらいなら 万歩譲ることにした これで どだろか?」
  と鐵扇會が譲歩。河上イチローは天皇陛下の御姿を真っ黒に修正した画像を新たに公開。
  設立当初から皇室コラ撲滅を掲げていた鐵扇會は、陛下のシルエットならば皇室コラを
  容認するという右翼界初の判断を示す。

2660年 6月16日〜7月20日
  皇太后陛下が御崩御あそばされる。
  鐵扇會は喪に入る。その告知文の一部分「鐵扇會では大ひなる悲しみをもつて、」の
  「大ひなる」は間違いで、現代仮名遣、歴史的仮名遣でも「大いなる」と書く。
  「大いなる」を歴史的仮名遣で全部平仮名で書くと「おほいなる」と書く。(広辞苑参照)
  6月18日、憂國掲示板で読者氏がこの間違いを指摘する。その他の場所でも鐵扇會の
  喪のありかたに対し批判を展開。
  6月20日、鐵扇會構成員蓑田狂気氏が、読者氏の掲示板「読者に語る」にやって来て
  反論をする。その後、1ヶ月間に渡り、読者氏と鐵扇會構成員蓑田狂気氏による不毛な
  論争が行われる。その論争が終盤にさしかかった頃、読者氏は論争の記録を「蓑田狂気の狂気
  の世界」と、センスの欠片もない名を付け、読者氏のサイトで保存。ページのデザインは、
  「スーパーナチュラルネットアイドルさとこのホームページ」を盗用。後に「蓑田,狂気の世界」
  と、改題、デザインも変更。
  鐵扇會首魁は、私生活では歴史的仮名遣を使っている一方、過去にネット上では歴史的仮名遣
  を使っている人達を、気違いと中傷している。喪の告知文の間違いも、普段からの不遜な姿勢
  がもたらしたものであろう。(前年5月頃、野嵜健秀氏を鐵扇會に勧誘したが、断られ歴史的
  仮名遣使用者の一部を、中傷するに至る。詳細は、野嵜健秀氏のサイト「言葉言葉言葉」に
  保存されている。)

鐵扇會構成員黒瓜語録(憂國掲示板より)
    鉄扇会に文句あるんだったら「鉄を語る掲示板」ってのが
    あるから、まず涙でぬれた頬をぞうきんで拭いてから
    そこに来なさい♪まってるよ〜♪
  題:変態さんへ♪
  投稿日 6月2日(金)17時04分 投稿者 黒瓜/鐵扇會 [ppp12-fukuoka3.mtci.ne.jp]

2660年 10月1日
  鐵扇會は、週間金曜日編集部が、謝罪して来たと数十の掲示板に投稿。
  詳細を鐵扇會のサイトで公開。それによると、9月17日に鐵扇會構成員
  ゴジラズワイフ氏が、週間金曜日編集部に鐵扇會の活動を紹介する。
  9月20日、週間金曜日編集部が、誌上で紹介したいと鐵扇會に返事する。
  9月21日鐵扇會構成員ゴジラズワイフ氏は、鐵扇會の活動目的を簡単に説明し、
  會に伺いを立てないと紹介出来ないので待て、と返事する。
  (20日21日のやり取りを記したページには、背景色と同じ文字色で鐵扇會首魁に
   よる説明がある)
  同21日、週間金曜日編集部は、鐵扇會が右翼っぽい団体であるとやっと気づき、
  掲載見送りの返事を送る。
  25日、鐵扇會首魁は週間金曜日編集部へ、反論及び質問のメールを送る。
  このメールには、週間金曜日のサイトにも言及しており、「こんなことやってます」
  のコーナーのログの題名の一部を抜粋して「これらの団体と、鐵扇會の定義のちがひは
  何か?」と訊ねる。
  週間金曜日のサイトでは、ログの題名の一覧を<LI>タグで記述しており「・○○反対の会
   (xxx号)」と表示される。これをコピペしても冒頭の「・」は<LI>タグで記述されて
  いるため、コピペには反映されない。25日のメールでは、抜粋した題名の冒頭に
  「・」の代りに「■」を使用している。
  題名や箇条書の冒頭に「■」を好んで使う者が数ヶ月前まで存在していた。
  それは、憂國掲示板で大活躍していた棺光一氏である。鐵扇會首魁は、意外なところで、
  棺光一氏との共通点を晒してしまう。
  28日、週間金曜日編集長から質問状の回答が届く。
  30日、鐵扇會首魁は、質問状の回答に対して返事を送る。
  そして、10月1日、鐵扇會は、週間金曜日編集部が、謝罪して来たと数十の掲示板に投稿。
  これに対する反響は、好意的なものも見受けられたが、当然の如く批判もあった。
  この件に関して、最も盛上がったのが河上イチロー氏のサイトの時事一般掲示板。
  鐵扇會の投稿後、約50分で「ふざけんじゃない。単に「週金」の手違い、というだけ
  じゃないか。鬼の首取ったような書き方して、何かと思って見れば。」と突っ込まれる。
  (他の掲示板でも、ガキっぽい、幼稚などの意見が見受けられた。)
  半日後、一時期、世界戦略研究所掲示板、鐵扇會掲示板で、論旨不明、棺光一氏に負けず
  劣らずの執拗さで名を馳せた、MKしのぶ氏が登場。鐵扇會掲示板での件を持出し、
  他の参加者は、MKしのぶ氏に辟易する。他、読者氏も登場し鐵扇會に対し反論を加える。
  その後、鐵扇會構成員源さん氏は掲示板を荒す。
  管理人は、掲示板の荒れ具合に憂慮の念を示し、4日、読者氏は、管理人の意向に添い、
  その後の議論を読者氏の掲示板へ誘導する。
  翌5日、鐵扇會構成員源さん氏は、醜い文体で読者氏へ反論する。しかし、その後何事も
  無かったかのように時が過ぎていき、放置プレイ決定か、と思われた頃、13日、読者氏は
  掲示板利用者からのメールでの指摘により鐵扇會構成員源さん氏が投稿していた事に気づき
  8日遅れの反論をする。6時間後、鐵扇會構成員源さん氏が反論、文末に「時間をかけて
  レスを考えていただいたようですが、もう来ませんので安心してください。」と捨て台詞を
  吐き去る。翌日、読者氏が返事、鐵扇會構成員源さん氏の低脳振りに呆れる。
  鐵扇會とは関係ないが、10月23日、河上イチロー氏がネットから去り、翌日、西村新人類氏
  により、河上イチロー氏がオウム信者である事が暴露された。

2660年 11月25日
  東京都総務局人権部が、鐵扇會に謝罪してきたとの宣伝を各所に貼付ける。
  それによると、7月頃、東京都が「人権施策推進のための指針」のため、意見募集を
  しており、鐵扇會首魁をはじめ他の鐵扇會構成員数名が、都に意見を送る。
  8月8日、東京都総務局人権部が、意見を送ってきた者に御礼の返信を出すが、
  BCCで返信せずCCで返信したため、意見を送った者のメールアドレスが、
  意見を送った者全員に知れ渡ることになる。
  10月4、8、12日、鐵扇會は、東京都への教育指導が目的との大儀名分を掲げ、
  東京都の失態で手に入れたメールアドレス宛にCCで、週間金曜日が謝罪してきた件の宣伝を流す。
  10月6日、東京都総務部人権部が、鐵扇會に手に入れたメールアドレスの破棄要請を送る。
  その他、宣伝を送りつけられた者から苦情のメール7名計9通が鐵扇會に届く。
  10月15日、鐵扇會は、東京都総務局人権部宛に公開質問状を送付する。
  これは流出アドレス宛にも同時に送付。
  10月25日、東京都総務局人権部は、鐵扇會宛に質問状の回答と謝罪を鐵扇會に送付。
  鐵扇會はそれに対する返答を11月3日に送付。
  11月25日、鐵扇會は今回の一件を公開。そこでは、この件で鐵扇會に意見した7名の
  ヘッダの送信者名、メールアドレスも公開される。
  また、厚生省も何かミスをしたそうで、「厚生省、鐵扇會に謝罪す!」と、鐵扇會の売名が
  行われる日もそう遠くないようである。

2660年 11月29日
  鐵扇會の東京都謝罪云々の宣伝を貼られた、日本茶十二支掲示板の「現世御利益掲示板
  またの名を戌板」で、掲示板オーナーの柴犬ワン氏は、(1)ハンドル「/鐵扇會」での
  投稿の禁止、(2)鐵扇會の宣伝活動投稿の禁止、を宣告する。
  12月4日、まぐわいあ?そうさ!氏が、鐵扇會への批判をする。
  これに対し、鐵扇會構成員池内晴紀氏が、鐵扇會の名を外して釈明投稿。
  鐵扇會構成員池内晴紀氏は、日本茶十二支掲示板の巳板も運営しているが、
  ここ数ヶ月、巳板に鐵扇會が宣伝投稿をした形跡がない。

2660年 12月9日〜11日
  現世御利益掲示板に、この3日間、鐵扇會の宣伝が30件投稿される。
  宣伝はその都度削除。掲示板オーナーの柴犬ワン氏は、アクセス制限をかけるが、
  鐵扇會構成員は、リモートホストを変えて執拗に投稿する。
  柴犬ワン氏は、陰湿な嫌がらせ宣伝コピペ投稿をする鐵扇會の情報を警察に提供する。

2660年 12月24日
  12月20日、元宮内庁職員死去。
  鐵扇會はこれに便乗し、會の宣伝をする。例の如く、現世御利益掲示板にも宣伝が貼られる。
  24日は3件貼られる。掲示板オーナーの柴犬ワン氏は、警察に情報提供をし、
  宮内庁にも、ご遺族にご迷惑が掛かった場合のお詫びのお願いをした。
  宣伝は、25日に1件、26日に29件、29日に15件貼られる。
  25日、論争が、西村元宏氏管理の掲示板「時事放談」に飛火、翌月半ばまで論争が続く。

鐵扇會の部外者に対する基本姿勢
  11月29日以降の、鐵扇會宣伝コピペ騒動で、一部の掲示板利用者が、鐵扇會構成員が
  意見を投稿しないことに疑問を抱いている。この理由は3月頃、高橋博彦氏によって
  このように明かされている。
    鐵扇會では初心者から内部に、かなり以前から外部のものとは決して議論をするなよという
   お達しが徹底しているのですよ。その理由は、「オレ以外にまともな議論のできる奴が
   會には一人もいない。もし、議論になって劣勢になれば、オレが苦労して作った鐵扇會に
   傷が付く。だからお前らは高校生レベルのもの以外は決して相手にするな。
   誰か来てディベートになりそうになったら、わずかでもその瑕疵を見つけて削除しろ」
   ということです。
※このお達しは、戌板以外では徹底されているようには見受けられない。
※<2661年4月追記>
※上の部分の反響が大きかったので一言。これは、2661年1月版から載せている。
※上の引用文は、八神邦建氏が、鐵扇會の掲示板に投稿した文章が削除され、その事に対する
※愚痴を投稿、それに対し高橋博彦氏が返事をしたものである。
※高橋博彦氏が投稿した直後、鐵扇會構成員旗御飯氏が「「思い込みによる独自の解釈」を、
※「事実」として語るのは辞めませんか?」と、投稿している。
※この件以外にも、変名も含め八神邦建氏は、鐵扇會の掲示板では多くの削除を食らっている。
※上の引用文は、極めて誇張された表現で書かれたものであるものと、小生は認識しているが、
※鐵扇會首魁の鐵扇會に対する異様な執着心や、鐵扇會構成員の行動実体に照らし合せると、
※そのまま掲載しても問題ないと判断したので掲載した。
※皆様には、鐵扇會の行動実体を各自の目で観察した上で、上の部分を評価して貰いたいと思う。
※<2661年4月追記、ここまで>

2661年 1月11日〜13日
  「「初心者・元気だぞ」氏を天皇の次に大事にしよう」の発言で有名な、
  鐵扇會構成員黒瓜氏のサイトが鐵扇會内に移転、その旨の宣伝が行われる。
  今回も、現世御利益掲示板に宣伝が14件貼られる。宣伝はその都度削除。
  11日2件、12日10件、13日2件。
  掲示板オーナーの柴犬ワン氏は、これらの情報を警察に提供する。

2661年 2月
  今月も、日本茶十二支掲示板の「現世御利益掲示板またの名を戌板」では、
  鐵扇會の大量宣伝迷惑投稿対策に追われる。

2661年 3月5日〜中旬
  鐵扇會は、この日より、「サッカーW杯「日韓・韓日」呼称交換運動」を開始。
  3月中旬頃まで数回にわけ、色々な掲示板に宣伝を貼りまくる。
  宣伝を貼られた掲示板では、この運動に興味を示す人、懐疑的にみる人、
  宣伝そのものが迷惑だという人、などの反応に別れた。
  鐵扇會構成員は、この宣伝に対して、懐疑的、迷惑、と反応した掲示板で、逆ギレし、
  掲示板管理者、利用者は対応に苦慮する。
  特に、鐡扇會構成員光輝八紘氏は、普段使用している、OCN群馬県渋川のアクセスポイント
  ではなく、プロクシ[webcache.net]を通して、鐵扇會に対して否定的な見方をする人間に対し、
  日本人なら誰でも辟易する醜い文体で、誹謗中傷を繰り広げた。
 3月5日
  鐵扇會構成員JAZZ氏は、日本茶十二支掲示板の「日本論・思想の十字架/雑談コーナー<寅板>」に
  宣伝を貼る。すると、九州人の龍超範氏は「jazzmanよ、われ、九州人じゃったろ確か。
  わしゃ恥ずかしか、いつまっでんパシリのメッセンジャボーイで使われてくさ、いじめられとらんのか?
   おおう?…ふるるうう〜、情けんなかあ。」と、叱る。
  しかし、鐵扇會構成員JAZZ氏は龍超範氏の叱責を無視する。
  龍超範氏は、数ヶ月前に、本部を横浜から東京都世田谷区上祖師谷に、支部事務所を
  東京都港区虎ノ門に移転した政治結社国際愛国社総裁堂本直紀氏の別名。
  なお、堂本直紀氏は、投稿内容により名前を変えている。
  堂本直紀氏は、鐵扇會設立時、鐵扇會の構成員として名を連ね、政治結社国際愛国社も
  鐵扇會の賛同団体として名を連ねる。氏は、鐵扇會設立前後に鐵扇會に対し妨害活動を
  行っていた、燎原氏、岩井氏、奥村氏、との戦いの最前線を担当していたが、
  数ヶ月で脱会、政治結社国際愛国社も鐵扇會の賛同団体から名を外す。
  3月8日、今度は、鐵扇會構成員若獅子氏が宣伝を貼る。翌9日未明、松平超範氏は、
  来週に、ネット世界における、「組織と個人の問題」について質問する事を予告、
  14日、龍超範氏は、質問を書き連らねる。主筆が変名で出てくることを許可するも、
  鐵扇會構成員若獅子氏は、似非九州人=JAZZみたく、龍超範氏の質問を無視する。
 3月6日
  鐵扇會構成員光輝八紘氏は、鈴木小太郎商店掲示板に宣伝を貼る。
  その宣伝行為に管理人鈴木小太郎氏は、やや苦言を呈す。すると、鐵扇會構成員光輝八紘氏は
  逆ギレ。鈴木小太郎氏は、鐵扇會構成員光輝八紘氏の対応に困惑する。
  15日、鈴木小太郎氏は鐵扇會に対し、「1.鐵扇會の宣伝投稿自体は削除しない。
  2.鐵扇會の宣伝投稿に対する感想・意見等の一切の投稿はこの掲示板では禁止し、削除等の措置をとる。」
  と、宣告。鈴木小太郎氏は、戌板の人間ほど暇ではないので上記の措置にした。
  しかし、18日に不自然だということでこの措置を撤回。
 3月6日
  鐵扇會は「ADAMのマスコミ批判・多事反論」掲示板に宣伝を貼る。すぐに、シフト氏が反論。
  8日未明、鐵扇會構成員光輝八紘氏プロクシ[webcache.net]を使用し、掲示板参加者との醜い応酬を始る。
  鐵扇會構成員光輝八紘氏は、8日は、未明、昼間、夕方に4件投稿、9日は、午前0時台6件、
  午前1時台14件、午前2時台10件、午前3時3分、午前4時53分、午前6時58分に投稿。
  10日は、早朝から正午前まで12件投稿。
  鐵扇會構成員光輝八紘氏の狂気の連続投稿で、掲示板運営に支障を来したため、
  管理人ADAM氏は10日正午過ぎ、鐵扇會構成員光輝八紘氏を投稿禁止処分にし、
  鐵扇會構成員光輝八紘氏のために「光輝八紘の掲示板」を新設、管理人ADAM氏は
  鐵扇會構成員光輝八紘氏に今後は「光輝八紘の掲示板」で発言するように命じる。
  翌朝、大伯皇女と名乗る不敬な人物や、鐵扇會構成員霧島錬太郎氏が、
  「本人に了承を得ているのか」、「IDやパスは連絡しているのか」などと訳の分らないことを書く。
  しかし、鐵扇會構成員光輝八紘氏は一向に現れず。
  12日、鐵扇會の名を外した霧島錬太郎氏が、「本人不在の吊るし上げですか?」などと、
  調べもせずに頓珍漢な言いがかりをつけてくるも すぐに反論される。
  その後は、荒しが出現するも、鐵扇會構成員光輝八紘氏が現れなかったので、
  17日、管理人ADAM氏は「光輝八紘の掲示板」を閉鎖した。

2661年 3月
  今月も、日本茶十二支掲示板の「現世御利益掲示板またの名を戌板」では、
  鐵扇會の迷惑宣伝投稿対策に追われる。

2661年 3月6日〜4月中旬
  鐵扇會構成員光輝八紘氏は、「サッカーW杯「日韓・韓日」呼称交換運動」の宣伝を、
  フリーライター樋口ヒロユキ氏のwebサイト「ほんやら堂」内の
  掲示板「◆◇◆峠の茶屋◆◇◆」に貼る。
  この宣伝に対し、樋口ヒロユキ氏らの掲示板常連は、感想、疑問、批判を書く。
  それらの意見に、鐵扇會構成員大和 士魂氏が返事を書く。
  スローペースで質疑応答が行われていたなか、
  4月3日、鐵扇會構成員光輝八紘氏[eden.gala.com.pl]が登場。議論のペースが早まる。
  4月6日未明、大和維新塾の掲示板「アブナイネタを教えて下さい」に、"ノ氏が
  鐵扇會首魁が生IPで投稿したと書き、「◆◇◆峠の茶屋◆◇◆」のURLを貼る。
  この一時間前に、鐵扇會構成員光輝八紘氏は[ppp-77-132.big.or.jp]で、投稿している。
  翌7日未明、くほほ氏[am254.lip.ttcn.ne.jp]が、鐵扇會構成員光輝八紘氏に対し、
  極端な権威主義者でみっともないと、注意する。
  約一時間後、鐵扇會構成員光輝八紘氏[eden.gala.com.pl]は、くほほ氏に、
  具体的にどこが権威主義なのかと書くのが普通の人間と、くほほ氏を中傷する。
  早朝、くほほ氏[ab63.lip.ttcn.ne.jp]は、「クイズなんだよ。お前みたいに一人よがりの人間に、
  そこまで丁寧にしてやる必要はない。頑張ってその論証を探して反省文書いてみろよ。くほほ。」
  と、反省を促す。7日午前8時過ぎ、管理人樋口ヒロユキ氏は、鐵扇會構成員光輝八紘氏と、
  くほほ氏とのやり取りを削除する。
  その後の議論で、鐵扇會構成員光輝八紘氏の投稿量が激増する。
  4月17日未明、管理人樋口ヒロユキ氏は、樋口ヒロユキ氏自身のwebマガジンの宣伝を貼る。
  18日未明、鐵扇會構成員光輝八紘氏[adsl-63-198-115-116.dsl.snfc21.pacbell.net]は、
  合計約300行に及ぶ大量投稿をする。
  この大量投稿により、樋口ヒロユキ氏のwebマガジンの宣伝が、目立たなくなり
  樋口ヒロユキ氏は、生活に困窮しているのだろうか、この大量投稿にブチキレる。
  ほかに、鐵扇會構成員光輝八紘氏に「っていまやオレがこの掲示板のホストなのだろうがよ」と、
  妄想が見受けられた。
  18日9時、鐵扇會構成員光輝八紘氏の投稿を削除、掲示板への注意書を作成。
  同時に鐵扇會構成員光輝八紘氏の投稿を禁止した。
  18日昼、虚塵氏が、鐵扇會構成員光輝八紘と名乗っていた人物が、鐵扇會首魁であると教える。
  一時間半後、Azisai氏が「たまに骨のある論客が出ると何でもあそこの會長にしてしまうのが
  負け犬の痛いところだな。」と投稿。
  21日朝、噴出し君氏[am232.lip.ttcn.ne.jp]が、Azisai氏に対し「>骨のある論客 
   お前本気で言ってんのか?こんな妬み嫉み手前味噌の塊野郎が「論客」だとすれば、
  まさにどっかの会じゃ張り付け活動が精一杯なんだろうな。了解了解。人材って貴重だねぇ(藁)。」
  と、どっかの会の人材不足を哀れむ。

2661年 5月15日
  フリーライターの樋口ヒロユキ氏、鐵扇會の掲示板に投稿するも放置される。

2661年 6月上旬
  共産主義を患う白龍氏が主宰する、共産革命倶楽部の交流用掲示板で、
  日米関係の話題になる。そこに鐵扇會構成員霧島錬太郎氏が首を突っ込む。
  掲示板常連ほか「米中打倒こそ王道」と唱える反YP派氏が反論。
  すると鐵扇會構成員霧島錬太郎氏は「米国と仲良し」と気持ち悪いことを書く。
  それに対し反YP派氏が反論するが、鐵扇會構成員霧島錬太郎氏は、これを黙殺した。

2661年 7月2日
  複数の鐵扇會構成員が、現世御利益掲示板に靖国参拝問題研究WEBの設置の
  宣伝を貼り捲るが即刻削除される。小生は当日に3件の投稿を確認した。
  近頃、現世御利益掲示板は、削除報告をしなくなっている。

2661年 7月11日〜16日
  民族戦線社の掲示板「臥 龍 窟」で、しつこく居座っていた鐵扇會構成員光輝八紘氏に
  対して、「なんだお前」君氏[ab116.lip.ttcn.ne.jp]が、
  「なんだお前。あんだけ評判悪いのにまだ居んのか(笑)」と呆れ返る。
  12日午前4時直前、鐵扇會構成員光輝八紘氏[gate3.big.or.jp]が、「なんだお前」君氏へ
  「お褒め頂き、ありがとうございます!
   ところで、どこで評判悪いのかな?具体的に書いていただけると尚更感謝致します。
  もう一つ、(笑)ってアンタ、ひきつってるよ。」と感謝する。
  16日未明、「なんだお前」君氏[ab237.lip.ttcn.ne.jp]が、
  「>お褒め頂き、ありがとうございます!
   褒めてねぇよ。コーテーションマーク付けるな。お前の性格考えると気持ち悪い。
   >ところで、どこで評判悪いのかな?具体的に書いていただけると尚更感謝致します。
   人に頼るな。ネットの世界じゃ「教えて君」言われて嫌われるぞ、この間抜け。」
  と、注意する。さらに、
  「ほんで、なんでおどれはたかが「(笑)」←で、それ書いた奴がひきつっていると、
   そう思うんじゃ?お前わりかし「掲示板」なんて世界に合ってないよ。
   だから今回は笑ってあげない。真面目に言ってあげる。」
  と、鐵扇會構成員光輝八紘氏へ、真面目に諭す。

2661年 7月19日〜28日
  鐵扇會構成員が、共産主義系の掲示板にも宣伝を貼付け回わっている中、
  19日頃から、goro氏[gate3.big.or.jp]が、宣伝の付随物みたく湧いて出てくる。
  それらの掲示板で、goro氏[gate3.big.or.jp]は、常連の投稿文に見られる
  日本的共同体風景を嗤い、他の投稿者の評論をするが、案の定、掲示板参加者から
  嫌われ、罵倒に走り消えていった。

2661年 8月14日
  野嵜健秀氏は、日記「闇黒日記」で、「月曜評論」平成13年8月號「大阪の目」で
  「けつねうろん」氏の記事を、「ひよつとして鐵扇會の初心者・元氣だぞが書いて
  ゐるのではないかとすら思はれる駄目な記事である」と酷評する。

2661年 8月27日
  鐵扇會構成員Malayan氏は、憂國掲示板に宣伝を貼る。
  約2時間後、超極右思想HP管理者誠悟氏は、「兼ねてからの連絡が一方的に
  無視されている」ことを理由に、鐵扇會に対し、憂國掲示板上での発言を認めず、
  内容の如何に問わず一切を破棄する旨を宣告。
  29日、超極右思想HP管理者誠悟氏は、電信での問い合わせが殺到したため
  見解を発表する。
  それによると、超極右思想HP管理者誠悟氏は、鐵扇會の宣伝投稿について、
  鐵扇會中央執行部に対し、以前から最低限挨拶を付けることを再三要請していたが、
  改善される様子もなく、内容より姿勢に問題があるとし、掲示板への書き込みを
  認めないと言う結論に達した模様。
  31日、鐵扇會に対し、商業主義的な雰囲気と、野心を感じて以来、
  鐵扇會に近づかなくなった、梅干し婆ー氏が、
  超極右思想HP管理者誠悟氏の判断と対応を支持する。
  9月3日、カリスマ生徒氏も、超極右思想HP管理者誠悟氏の判断と対応を支持する。

2661年 8月27日
  鐵扇會構成員Malayan氏は、ASSAHI新聞掲示板に宣伝を貼る。
  28日、コピペ趣味者氏は、憂國掲示板の超極右思想HP管理者誠悟氏の
  鐵扇會への警告文全文を、鐵扇會の宣伝の下にコピペする。
  29日、コピペ趣味者氏が、不肖・森氏の、岩井氏に対する記事に返信する。
  その直後、岩井信一氏は、クッキーをオンにしていたことに気付き、
  岩井信一氏が、コピペ趣味者氏であることを自己申告すると同時に、
  鐵扇會に対し「すまんのぉ>鉄扇会  (爆笑)」と、謝罪した。

2661年 9月2日
  野嵜健秀氏、棺光一(鐵扇會首魁)の「価値相対主義・基本用語解説」を復刻、公開。
  野嵜健秀氏曰く「こんな馬鹿みたいに長いだけで無意味な文章なんか、讀んでゐません」

2661年 10月26日
  鐵扇會構成員Malayan氏は、超極右思想HPの憂國掲示板に宣伝を貼る。
  日付が変った27日、憂國氏が、超極右思想HP管理者誠悟氏による、
  鐵扇會への警告文とその説明を転載。
  一時間後、てっせんかい氏が、日本茶掲示板に、憂國掲示板の憂國氏の投稿文全文を転載。
  朝、小森 誠氏が、現世御利益掲示板に「鉄扇会出入り禁止掲示板がまた一つ増えちゃったようです」と、
  日本茶掲示板で見つけた、8月29日の超極右思想HP管理者誠悟氏による説明を転載。
  26日に鐵扇會構成員Malayan氏が、超極右思想HP憂國掲示板に貼った宣伝は、
  27日には消えていた。

2661年 10月30日
  鐵扇會構成員Malayan氏は、超極右思想HPの憂國掲示板に宣伝を貼る。
  翌日には、宣伝が消えていた。

2661年 11月13日
  鐵扇會構成員Malayan氏は、超極右思想HPの憂國掲示板に宣伝を貼る。宣伝は後に削除される。
  翌14日、超極右思想HP管理者誠悟氏は改めて鐵扇會の書込禁止を表明。

2661年 11月28日
  鐵扇會構成員Malayan氏は、超極右思想HPの憂國掲示板に宣伝を貼る。宣伝は後に削除される。

2661年 12月2日
  掲示板「アジア・太平洋情報会議」閉鎖。
  管理人の元諜報員氏は以前から鐵扇會の宣伝を拒絶してきたが、12月1日より
  これまで以上に鐵扇會の宣伝が繰返される。執拗な宣伝が繰返されるなか、倉田佳典氏は
  夏 光華(Xia Kwang-Hua)氏の発言に衝撃を受け2日午前8時前、鐵扇會の掲示板に
  「アジア・太平洋情報会議」への会活動としての投稿自粛を要請する。しかし改善されず。
  午後8時半、元諜報員氏発行のメールマガジン「アジア・太平洋軍事・諜報ニュース」に
  以前までの内容とは全く違う「鐵扇會に対する基礎認識・2661年11月版」を
  全文無断転載し、発行。これが事実上、このメールマガジンの最終配信となる。
  その後、掲示板は閉鎖された。
  他、元諜報員氏が運営していたサイトも全て閉鎖された。
  3日、鐵扇會中央執行部は鐵扇會の掲示板鐵乃扉の倉田佳典氏の投稿の返事を
  鐵乃広場に80行以上に及ぶ長文を投稿。
  3日夕方、倉田佳典氏は鐵乃広場に「情報交換に支障 鐵扇會はアジア太平洋
  掲示板からの撤退を!」と題して撤退声明のお願いをする。ただ、先に投稿された
  80行以上に及ぶ鐵扇會中央執行部の長文は「せっかくで申し訳ないが、
  下に書いてある文章はまだ読んでおりません。」と読んでいないことを表明。
  3日深夜、鐵扇會中央執行部は「悪趣味なタイトル、ありがとうございます」と題して
  「倉田さん、倉田さん同様、「せっかくでありますが、下に書いてある文章は
  まだ読んでいません」とだけ、こちらも申し上げておきましょう。」と
  読んでいたからこそ書ける返事をする。
  4日、応援者です氏が自らの素性を「私は、鉄扇会さんのある会員さんのサイトが
  荒らされた時に相談に乗った弁護士です」と説明し「いっそのこと、
  きちんとした対応を會としてなさったらいかがでしょう?」と鐵扇會をそそのかす。
  7日、2ちゃんねる政治思想板「【緊急】アジア太平洋会議管理者、キレる!? 」
  スレッドの109番は4日の応援者です氏の投稿に対して、文章の特徴などから
  応援者です氏が鐵扇會首魁ではないかとの疑いを示す。

2661年 12月3日
  倉田佳典氏「アジア・太平洋情報会議」閉鎖の知らせを各所に貼る。
  その後4日から6日にかけ、倉田佳典氏はこの件に絡み「★阿修羅♪空耳の丘」に、
  元諜報員氏のネット活動略歴や鐵扇會設立以前からの鐵扇會首魁との関係、
  倉田佳典氏自身の鐵扇會と鐵扇會首魁との関係、「アジア・太平洋情報会議」への
  鐵扇會の宣伝投稿の問題性、さらに、元諜報員氏が続けてきた活動が停止することにより
  稀少情報が得られにくくなることの問題性、他、鐵扇會の分析をまとめた長文を投稿。
  ちなみに、同文を鐵扇會掲示板鐵乃広場にも投稿する。
  倉田佳典氏が長文の投稿を終えた直後、それまで滅多にクレームがつかなかった
  倉田佳典氏に対し、元内部よりの人間氏が倉田佳典氏を、「この倉田ってのは正気か?
  ただのキチガイか?憶測だけのデムパ情報(というか、勝手な分析)
  ばっかして楽しいのか?」と中傷する。

2661年 12月5日
  3日に倉田佳典氏の「アジア・太平洋情報会議」閉鎖の知らせを投稿以降、鐵扇會への
  批判が多くなってきた、大和維新塾の掲示板「アブナイネタを教えて下さい」に
  となりの飲みすぎ氏が、先に投稿されたとなりのトトロ氏による3日に倉田佳典氏に
  あてた鐵扇會中央執行部声明の加工コピペ文に返信、「グーグルで"揣摩憶測"と"嗤う"
  という単語をand検索してみたら6件ヒットしたぴょん。そのうち3件は棺光一がらみだぴょん。
  ちなみに嗤うだけの検索では6,030件、揣摩憶測だけの検索では92件。
  "嗤う"という単語を使う人の1.5%が揣摩憶測という単語を併用し、
  そのうちの50%が棺光一の文章だぴょン。
  つまり"嗤う"なんて単語を使う人たちの中の百分の一以下の確立の人物と
  鐵扇會中央執行部の言葉づかいが一致するんだぁな。
  さらにはネット人口の中で"嗤う"なんて単語を使う人のパーセンテージを考えれば
  もはや"揣摩憶測"だなどとはほざいてほしくないんだなぁボカァ・・・。」
  と、鐵扇會中央執行部と棺光一氏との言葉づかいの著しい同一性を指摘する。
  その後、夏 光華(Xia Kwang-Hua)氏が「鐵扇會劇場・その2(「ファイナルファンタジー10」
  バージョン)」と題した作文を投稿。
  6日未明、学徒♪氏が「はじめまして (^^)/」と題して寒いことを書く。
  6日夕方、倉田佳典氏は「★阿修羅♪空耳の丘」に長文を書き終えた旨を投稿。
  日付が変った7日、となりの三杉良氏が「またデンパくん誕生」と題し、「>>倉田佳典へ
  おまえ大丈夫か?鐵扇會にクーデター?こいつ、まともな人間ではないのかも・・・?
  おまえも、ファイナルファンタジーとかいってる妄想ヲタクと同類か?怖い怖い」
  と、倉田佳典氏を中傷する。
  その他の掲示板などでも、倉田佳典氏が鐵扇會に言及して以降、それまで殆ど
  見受けられなかった倉田佳典氏に対する誹謗中傷が激増した。
  7日夕方、数日間初島に行くも富士山を望めなかった、とてつもなく不運な
  「アブナイネタを教えて下さい」の副管理人のYOHKO氏は、元諜報員氏関連の
  投稿のいくつかを削除。日付変った8日、るカヽ氏はこの削除に抗議。
  15分後、天災ばかぼん氏は、2ちゃんねる政治思想板「【緊急】アジア
  太平洋会議管理者、キレる!?」スレッドの109番の投稿を転載。
  午前1時半頃、Rimi Dalv氏はるカヽ氏を誹謗する。その直後、
  「アブナイネタを教えて下さい」の副管理人のYOHKO氏は、改めて見解を発表。
  それによると「当事者不在で無関係の此処で御投稿されるよりは相応しい
  場所があるだろう」とのこと。
  天災ばかぼん氏の投稿よりわずか1時間40分過ぎの午前2時前、応援者氏は
  天災ばかぼん氏に対し「僕のことでしょうか」と反論。
  午前3時半、3月に鐵扇會構成員JAZZ氏を叱った龍 超範氏が「応援者が、これ以上
  「応援」叶わず、衰弱・消滅するのを見届けます。」と、応援者氏を見届ける。
  8日夕方、ワーム駆除後復活した「アブナイネタを教えて下さい」の管理人
  橘藤雄氏は、鐵扇會首魁にカラオケ代500円借りたまま今まで忘れていたと告白。

2661年 12月6日
  日猶同祖論を考察する掲示板でイサクパパ氏が、他の掲示板の倉田佳典氏の
  投稿を読んで「また鐵扇會の連中が跋扈し始めてるようですな。」と報告。
  6日昼間、八神邦建氏は「組織はそのトップの意志と性格・人柄を善悪ともに反映すると
  思っております。だから、あそこのメンバーのやることなすこと、これすべて「初心者
  元気だぞ」(以下「しょげん」と略記)という人物の性格を反映しているだろうと
  感じられます。」ほか、反感を買われる原因などの解説をイサクパパ氏に返信。
  この投稿で、鐵扇會首魁の名前を「しょげん」と略したことから、
  以後「しょげん」の愛称が流行ることになる。

2661年 12月7日
  夏 光華(シア クァンホァ)氏の掲示板「光華的談話」で倉田佳典氏は、
  「【緊急】アジア太平洋会議管理者、キレる!?」スレッドが2ちゃんねるの
  軍事板ではなく政治思想板に立ったことから、このスレッドを立てたのは
  鐵扇會関係の人間ではないか推測する。

2661年 12月10日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場で、3日から6日まで投稿してきた倉田佳典氏は、
  3日以降倉田佳典氏に対して返答も何もしていない鐵扇會中央執行部に対し
  返答を催促する。半日後、鐵扇會中央執行部は明日から回答すると約束。
  鐵扇會中央執行部は11日午前から14日朝まで5回にわたり、
  倉田佳典氏に対し合計約千行に及ぶ異常な長さの返答をする。
  なお、鐵扇會はこの件に絡み一方的に第三者を通じ倉田佳典氏ほかに交渉案を
  メールで通知。回答期限を17日一杯までと一方的に設定。
  しかし、鐵扇會の土俵に乗ることとなるので倉田佳典氏ほかは交渉に応じず。

2661年 12月15日
  日猶同祖論を考察する掲示板で紫門氏が、鐵扇會掲示板鐵乃広場の倉田佳典氏に
  対する鐵扇會中央執行部の約千行に及ぶ異常な長さの返答に対して、訳がわからないので
  意味がわかる人がいれば解説して欲しいと、解説を求めたと同時に、
  「せっかく最近は記事の充実が成されてきたのにまことにもって残念なことである。
  このままではあの会は誰にも相手にされなくなってしまうのではないだろうか。」と
  鐵扇會の先行きを心配する。
  紫門氏の質問に対しハンドルネームを変えたisaacpapa氏は「自己顕示欲のお強い
  ナルシストなのでしょうが、」で始る文章で感想を述べる。この返信に対し、16日深夜
  紫門氏は、「自己顕示欲」という表現に納得し、さらに「単純なことを複雑に表現し、
  一方的に土俵を切り替えて期限を切り返答を迫る。そこにあるのは論旨のすり替えであり、
  政治的言語の羅列による責任回避。尚且つ抑えようの無い自己顕示があのように
  一読で唾棄されるような長文となるのですね。」と感想を述べる。
  18日、14日朝に鐵扇會中央執行部が倉田佳典氏と夏 光華(シア クァンホァ)氏らに
  司馬遷「史記」の中の「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉を宛てた
  ことに対し、八神邦建氏は、鐵扇會が自らを「鴻鵠」扱いし、相手を「燕雀」扱いした
  鐵扇會に対して「たいした「鴻鵠」もあったもんだ。だいたい、こういうことわざは、
  おのれの心のうちに秘めて、ひとりつぶやくものであって、掲示板などに「他人を
  見下げる意図」で使うものじゃない。」と憤慨する。
  19日、急に鐵扇會の話題が出てきて何のことかわからない東北蝦夷派氏は
  鐵扇會とは何か質問。この質問に翌20日、八神邦建氏は鐵扇會の定義を述べる。

2661年 12月20日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場で鐵扇會中央執行部は「アジア・太平洋情報会議」問題の
  完了を一方的に宣言。

2661年 12月20日
  岩井信一氏は「>おい鉄  ぐふふふふふふふふふ あんたら、ちゅうか「あんた」
  お前の和解は胡散臭いよねぇ(笑)。」とみる。

2661年 12月20日
  日猶同祖論を考察する掲示板で紫門氏は、鐵扇會掲示板鐵乃広場の
  鐵扇會中央執行部宣言の「情報掲示板から本會告知広報を消去できるという劇的改善」
  という表現を自ら嫌がらせと認めたとして爆笑。また、鐵扇會が完了宣言したことにより
  演説が読めなくなったと残念がる。
  21日、八神邦建氏は鐵扇會の自己完結と感想を述べる。
  21日晩、紫門氏は、八神邦建氏の投稿に相槌を打つ。
  22日、東北蝦夷派氏は19日の八神邦建氏の鐵扇會の定義に対し、
  「解り易いご説明有難うございます」と感謝する。また、鐵扇會のサイトを
  見た感想も述べる。

2661年 12月28日
  日猶同祖論を考察する掲示板で倉田佳典氏は、「いろいろこちらでも話題に
  なっているようで、お騒がせしてすみません。」と謝罪し「先方は私との議論を
  一方的に打ち切っていますので、私のほうからは、もうなにを発言しても仕方ない
  かんじですね。(^-^; あとは読んでいる人に判断してもらうほか無いでしょう。」
  と述べた後、夏 光華(シア クァンホァ)氏の掲示板が移転したと知らせる。

2661年 12月28日
  鐵扇會構成員若桜氏は、超極右思想HPの憂國掲示板に宣伝を貼る。宣伝は後に削除される。

2661年 12月28日16時58分
  日猶同祖論を考察する掲示板に唐突と出てきたFBI氏が、
  題に「どうぞ(鐡乃風1312a)」と書き、鐵扇會全構成員に送られる鐵乃風を転載。
  ちなみにこの文書で3月の鈴木小太郎氏の発言を「自分の板で「鐵扇會の宣伝投稿は
  削除しません しかし 反鐵扇會の投稿は 削除します」と 書いた」と書いてあるが
  3月の鈴木小太郎氏の発言は小生がここから約300行上に原文をそのまま引用して
  いる通りで、鈴木小太郎氏が3月に一度も「反鐵扇會」と表現した事実は無い。

2661年 12月29日
  日猶同祖論を考察する掲示板でFBI氏の投稿後7時間沈黙が続いた後、
  午前1時過ぎisaacpapa氏は、題「さぁ〜休みだぁ〜!」本文「なんか書こ〜」と投稿。
  一時間後、通行人氏がなんか書く。一時間半後、isaacpapa氏は通行人氏に返信。
  6時、八神邦建氏は「どうぞ(鐡乃風1312a)」を読んで爆笑する。
  9時半、くえびーな氏も八神邦建氏と同じく爆笑する。
  午後1時過ぎ、半月振りに投稿した管理人高橋博彦氏が鐵扇會首魁と鐵扇會への
  個人的感想を述べる。
  31日午前1時過ぎ、紫門氏は「先日の「くえびーな」は紫門でございます。
  かみさんのクッキーが残ってました^^)」と訂正する。
  31日正午ごろ、倉田佳典氏は「どうぞ(鐡乃風1312a)」を読んで「しかし、
  鐵扇會は、中と外で言っていることが全然違いますね。」と感想を述べ、
  鐵扇會と元諜報員氏の件に関して意見を述べる。
  31日午後1時過ぎ、isaacpapa氏は倉田佳典氏に返信する。

2662年 1月6日
  日猶同祖論を考察する掲示板が停止する。

2662年 1月6日
  鐵扇會は、鐵扇會構成員ゴジラズワイフ氏と、鐵扇會構成員光輝八紘氏に
  戒告処分を下す。後にゴジラズワイフ氏は鐵扇會を脱会するも鐵扇會を
  支援する活動を行う。

2662年 1月7日
  昨年8月の学習研究社の雑誌「ムー」8月号の記事「神国日本の真相・
  天皇はやはり神だった」が大好評な八神邦建氏のサイト「八神邦建正式電脳頁、
  『神国の森』」内の「ひもろぎの岡」掲示板で八神邦建氏が、株式会社
  ティーカップ・コミュニケーションから、日猶同祖論を考察する掲示板
  管理人高橋博彦氏に送られた通達を転載。
  それによると「外部の方よりのご連絡で調査したところ、(略)管理者にかわり、
  Tea Cupにて掲示板の一時停止をしました」とのこと。
  八神邦建氏は「外部の方」とは鐵扇會の可能性が非常に強いとみる。
  7日晩、紫門氏は八神邦建氏に対し「鉄扇は右翼の鏡ですよ、ほんと。」と初笑いする。
  8日、倉田佳典氏は、日猶同祖論を考察する掲示板が停止した件に関して
  高橋博彦氏ほか関係者に対し「これ以上また何かあると困るので、
  もう当分コメントは控えたいと思います。」と発言を自粛する。
  8日深夜、弥栄厳父氏は、題「鐵は其の手できましたか」
  本文冒頭「右翼にしては、何か弱々しいですな。(笑) 告げ口ね・・・」と発言。

2662年 1月15日
  「ひもろぎの岡」掲示板で、代々木で野宿生活を送る猿3氏は、すこし前に
  八神邦建氏から日猶同祖論を考察する掲示板が停止した事情を聞き「心の広場」を
  奪われたに等しいと激怒、鐵扇會に対する追求姿勢を明らかにする。

2662年 1月16日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場に猿3氏が「憂国と人権を語る者へ」と題して
  不良外国人の現状とその対策を鐵扇會に問いかける。
  16日昼と晩に、鐵扇會構成員源氏が猿3氏に返答する。
  17日、猿3氏は丁寧な返答に礼をし、所感を述べる。
  18日、鐵扇會構成員旗御飯氏は猿3氏に返答。猿3氏の不思議な表現を電波扱いする。
  19日昼、猿3氏は「ビニールハウス右翼カブレ君ノ末」と題して暗示的な投稿をする。
  19日晩、鐵扇會構成員山本直樹氏、猿3氏に返信。
  20日未明、鐵扇會構成員旗御飯氏は猿3氏に返信。
  20日午前、猿3氏は「猿3去ルサ」と去る。
  20日夕方、鐵扇會構成員光輝八紘氏は猿3氏に対して「↓ファンキーな奴だねえ。
  病院は行ったのか? 」と質問する。

2662年 1月18日午前9時8分
  韋駄天迷宮の韋駄天掲示板に、FBI氏が「鐵扇会の馬鹿メールハッキング」と題し
  鐵乃風を転載。本文の中でも「鐵のあるまぬけ会員のメールサーバから 
  ハッキングされている」とFBI氏がハッキングしたものと主張している。
  今回転載された鐵乃風によると「どうぞ(鐡乃風1312a)」を転載したのは
  鐵扇會に入り込んだスパイの犯行であると記述している。

2662年 1月18日夕方
  「ひもろぎの岡」掲示板で八神邦建氏は、面白いので韋駄天掲示板のFBI氏の
  投稿を転載する。
  18日深夜、紫門氏は転載された鐵乃風を読んだ感想を述べ、鐵扇會掲示板鐵乃広場の
  現実世界の問題を問いかけた猿3氏と鐵扇會構成員達との対話は「ネットの中だけの
  右翼であることを宣言してる」と鐵扇會の負けと判定する。
  18日深夜、久しぶり出てきた高橋博彦氏が日猶同祖論を考察する掲示板について説明。
  それによると、昨年暮れに二名の鐵扇會構成員から誹謗中傷投稿の削除を要求する
  メールが届くも、高橋博彦氏は批判投稿であるとして鐵扇會の要求をつっぱね、
  その後掲示板が停止させられたので抗議主は鐵扇會だと断定する。
  19日未明、(゚ー゚) 〜〜〜〜氏は転載された鐵乃風を読み(゚ー゚) 〜〜〜〜氏に
  関して誇張された表現で記述されている部分を訂正する。
  ほか鐵扇會首魁に抗議中と表明。
  19日昼、猿3氏は鐵扇會首魁に対する更なる追求姿勢を表明。
  21日、八神邦建氏はまむし氏に改めて鐵扇會首魁のやりかたには問題があると発言する。

2662年 1月21日
  八神邦建氏が、鐵扇會中央執行部から「鐵扇會及び會員に関する誹謗中傷の投稿文を
  削除されるよう要請致します」と書かれたメールを受取り「心外なメールですが、
  どこがどのように「誹謗中傷」であるのか、具体的な事例をあげてご説明ください」と
  返信する。
  それらのメールを八神邦建氏は鐵扇會掲示板鐵乃広場に転載する。
  また今後のやり取りは「ひもろぎの岡」に公開すると表明する。
  日付変った22日、八神邦建氏は具体的に質問し、さらに詳細な回答を求める。
  22日晩、なぜか鐵扇會構成員源氏が八神邦建氏に返答。
  23日未明、八神邦建氏は質問した件とは関係ない、日猶同祖論を考察する掲示板の
  八神邦建氏の投稿を引用した鐵扇會構成員源氏を注意するが、鐵扇會中央執行部の
  署名がなかったことから個人的感想と受止める。同時に八神邦建氏は、
  円満解決を望んでいると表明する。

2662年 1月21日
  帝國電網省掲示板喫茶室で、八神邦建氏は鐵扇會から削除要請メールが届いた件の
  相談をする。その後約十日間にわたり、管理人竹下義朗氏ほか掲示板常連により
  鐵扇會批判が繰広げられる。

2662年 1月22日晩
  鐵扇會中央執行部よりメールで八神邦建氏へ返答。
  八神邦建氏の質問には具体的に答えず、株式会社ティーカップ・コミュニケーション
  に対処を要請したと通告。

2662年 1月22日晩
  「ひもろぎの岡」掲示板で、紫門@斬鐵会氏は「私はここに「@斬鉄会」なる
  ネット上の会員団体を提案いたします」と提案する。

2662年 1月23日朝
  鐵扇會掲示板鐵乃広場で鐵扇會構成員大和 士魂氏は、八神邦建氏に対し
  「ひもろぎの岡」掲示板の投稿文を引用し内容の是非を、八神邦建氏に対して質問する。
  23日昼、八神邦建氏は鐵扇會構成員大和 士魂氏に返答。曖昧な指摘でなく
  「どの投稿者のどの書きこみを削除してくれというのか」と具体的に答えるように
  要求する。また水面下交渉は望まないと表明。

2662年 1月23日
  八神邦建氏は、FBI氏がハッキングして入手したと主張している鐵乃風が初めに転載された
  韋駄天掲示板の管理人の木村氏にメールで「鐵扇会より当該のFBIさんの書きこみの
  削除要請や苦情はきておりますか」と質問したところ、「来ていません」」と返答。
  八神邦建氏は、一次転載元の韋駄天掲示板には何の苦情もなく、二次転載した
  「ひもろぎの岡」だけに苦情が来たことを疑問に思う。

2662年 1月24日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場で多数の鐵扇會構成員の発言で錯綜するなか、
  紫門だぞ〜@斬鉄会氏は、鐵扇會側へ代表者を決めるように要請する。
  八神邦建氏は、鐵扇會中央執行部の署名が無い鐵扇會構成員の発言には回答しないと表明。

2662年 1月25日未明
  八神邦建氏は、鐵扇會を徹底追及する姿勢を明示する。

2662年 1月25日午前
  日猶同祖論を考察する掲示板が復活する。

2662年 1月25日
  日猶同祖論を考察する掲示板が復活したことを受け、八神邦建氏は
  鐵扇會が株式会社ティーカップ・コミュニケーションに出した、
  日猶同祖論を考察する掲示板とひもろぎの岡への削除要請を不当とみなし、
  鐵扇會に対して、削除要請するにいたった理由と動機の釈明、ひもろぎの岡への
  いいががりに関しての謝罪を正式に求める。

2662年 1月25日深夜
  日猶同祖論を考察する掲示板で、管理人の高橋博彦氏は掲示板停止前後から
  復帰までの経緯を説明する。それによると、昨年12月25日に
  鐵扇會中央執行部JAZZ氏から鐵扇會関係の投稿の削除要請がメールが届き、
  さらに鐵扇會構成員大和 士魂氏からもメールが届く。
  高橋博彦氏は、それらのメールに昨年12月29日に返信、鐵扇會の要求を
  つっぱねたが、配慮に欠けた対応だったと反省する。
  掲示板停止後、高橋博彦氏の代理人が鐵扇會首魁と会談の機会を持つことになり、
  その旨を株式会社ティーカップ・コミュニケーションの事務所に出向き報告。
  とりあえず復活したものの交渉が進んでいないことから「この板が復活したことの
  是非を問う道筋には日猶は置かれていないと私自身は考えております」と表明する。

2662年 1月25日
  2ちゃんねる政治思想板の「【緊急】アジア太平洋会議管理者、キレる!? 」
  スレッドの500番に「今だ!紫門の女房とセクースしながら500ゲットォ!!」と
  「鉄扇会について教えてください」スレッドの404番には「八神氏の変死体が
  発見されないことを祈る」と投稿される。
  26日、八神邦建氏と紫門氏は、これらの投稿を両氏に対する脅迫と受止める。

2662年 1月26日未明
  「ひもろぎの岡」掲示板で、ねこ日本海だぞ〜@斬鉄会氏は
  「斬鉄会掲示板立ち上げましょか?」と新掲示板立上げを提案する。

2662年 1月26日
  紫門氏と八神邦建氏は、日猶同祖論を考察する掲示板が復活し、鐵扇會の主張が
  否定されたとして、鐵扇會に対し27日一杯を期限に謝罪を要求する。
  また謝罪が無かったときは謝罪したものとみなし、その事実を広く告知すると宣言。

2662年 1月26日
  日猶同祖論を考察する掲示板で、高橋博彦氏は当分の間、鐵扇會追求の投稿の自粛を求める。
  但し、交渉が決裂したと判断される場合は投稿内容に制限を加えないとのこと。

2662年 1月27日夜
  ねこ日本海やで@斬鉄會氏は「斬鐵(ざんてつ)掲示板」を立上げる。
  また掲示板を立上げた告知が各所になされる。
  ちなみに、掲示板のアカウントは「zannentetsu」となっている。

2662年 1月28日午前0時
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で、八神邦建氏は三度に分け「「斬鐵掲示板」立ち上げの辞」を発表する。
  28日未明、高橋博彦氏が挨拶。並々ならぬ決意を述べる。
  そして、鐵扇會首魁へ刺しで話合うことを提案する。

2662年 1月28日
  「ひもろぎの岡」掲示板が停止させられる。八神邦建氏によると
  株式会社ティーカップ・コミュニケーションからメールが届き、
  「外部の方よりのご連絡で調査したところ、(略)管理者にかわり、Tea Cupにて
  掲示板の一時停止をしました」とのこと。また「外部の方より「私信の公開」と
  「不正アクセス行為に抵触する方法で得られた情報の貼り付け」といった指摘等を
  いただいております。」と。

2662年 1月28日
  日猶同祖論を考察する掲示板で、高橋博彦氏によると株式会社ティーカップ・
  コミュニケーションからメールが届き、それによると鐵扇會から話合いの
  結論が出でいないと抗議を受け、問題が解決するまで再停止し再開させないとのこと。
  それに対し、高橋博彦氏は、板挟みの株式会社ティーカップ・コミュニケーションの
  事情を考慮するも、今回の対応に疑問を感じずにはいられない高橋博彦氏は
  今回の経緯を世間に問うことを考えていると返信する。

2662年 1月28日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で紫門@斬鉄あるのみ!氏は、鐵扇會がFBI氏に対する
  追求姿勢をみせないことなどから、FBI氏が鐵扇會の人間ではないかという推理を発表。

2662年 1月28日
  鐵扇會構成員Malayan氏は、超極右思想HPの憂國掲示板に宣伝を貼る。宣伝は後に削除される。
  30日、超極右思想HP管理者誠悟氏は改めて鐵扇會の発言を認めないと表明。

2662年 1月28日
  八神邦建氏は、「ひもろぎの岡」掲示板が停止された件で、株式会社ティーカップ・
  コミュニケーションに対して、鐵扇會から具体的な削除要求がなされていない内に
  掲示板が停止されたとして抗議する。また、約款に規定に則った問題投稿の指摘を要求する。

2662年 1月28日
  ざ右翼の掲示板「国士達の呟き」で民の声氏は、宣伝を貼った鐵扇會構成員
  霧島錬太郎氏に「ハッキリ申し上げて、あっちこっちの掲示板への転載PR。
  非常に印象悪いですぞ。普段の議論に加わっているわけでもないのに。「此処の掲示板を
  宣伝の場にしました事、御容赦下さい」と言われても、毎回毎回やられていちゃあ、
  マニュアル通りの挨拶としか思いませんな。」と注意する。

2662年 1月29日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場で紫門@斬鉄あるのみ!氏は、鐵扇會がFBI氏を告訴していない
  ことから、鐵扇會に相談窓口を紹介する。

2662年 1月29日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場で鐵扇會中央執行部は、高橋博彦氏、猿3氏、ひさぽん氏、
  八神邦建氏、紫門氏らに5つの条件を要求し、それらの条件に合意すれば
  株式会社ティーカップ・コミュニケーションに対して掲示板再開への打診をすると約束。
  回答期限は2月末まで。なお、猿3氏、ひさぽん氏、八神邦建氏、紫門氏らを
  2月15日まで投稿禁止にする。
  これらの鐵扇會の要求に対して、八神邦建氏は斬鐵(ざんてつ)掲示板で
  八神邦建氏本人に鐵扇會からメールが届いてないことから、公式文書として
  認めず従う義務もなければ責任もないと表明。

2662年 1月29日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で、八神邦建氏は鐵扇會が八神邦建氏らを組織として
  みているのではないかということから「われわれが「なんらかの組織である」と
  思い込んでいるなら、それは「思い過ごし」であり、「妄想」であることを
  断言します。」と発言する。

2662年 1月30日
  日猶同祖論を考察する掲示板が再び停止する。

2662年 1月30日
  「しょむ研」「ひだりんく」「國粋趣味同志會」掲示板で、鐵扇會の投稿テロの
  駆除に追われている管理人の水泡 まつ梧朗氏に対し、杉山真大氏は一つの掲示板で
  右から左まで扱う方針に限界があるとして、掲示板の分離を提案する。
  その提案に対して、管理人水泡 まつ梧朗氏は鐵扇會登場以前は問題が起きなかった
  ことから、これまで通りの方針で行くと表明。

2662年 1月30日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場で鐵扇會構成員人吉侯彦氏は、日猶同祖論を考察する掲示板
  管理人高橋博彦氏の代理人D氏へ報告を述べる。
  代理人D氏は無理矢理引きずり出された形で、十数投稿に分け代理人D氏が
  立会人M氏と同席し1月半ばの午後から3時間にわたり鐵扇會首魁と
  会談した様子などを発表。
  ところが鐵扇會構成員Malayan氏と鐵扇會構成員四條縄手氏は、代理人D氏に対し
  最高一日一投稿と命令する。後に代理人D氏の投稿の大半が削除され、
  鐵扇會中央執行部源氏は31日に「たまにしかネットにつながない會員諸氏、
  多忙をぬって本會掲示板を短時間で巡回する會員諸氏を置いていって
  しまうことになる。こういう配慮があなたには、いやあなたがたにはいつも
  不足しているのです。」と代理人D氏にいい放つ。

2662年 1月31日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で八神邦建氏は、株式会社ティーカップ・コミュニケーション
  からのメールを転載。それを読んだ紫門@斬鉄氏は問題点を指摘する。

2662年 2月1日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で喉が痛い氏が、鐵扇掲示板鐵乃広場の
  鐵扇會中央執行部源氏の代理人D氏に対する投稿制限の理由を読み
  「たまにしか学校にいかない子供、投稿拒否の児童を、置いて逝ってしまう
  ことになる。こういう配慮が先生方、いや教育委員会にはいつも不足しているの
  です。」「こういうサヨッキ−な記事を連想してしまいました。」と発言。

2662年 2月1日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場で鐵扇會中央執行部Malayan氏は、早朝に数度いやがらせ投稿を
  したと代理人D氏を誹謗し、代理人D氏の投稿を削除し、さらに接続禁止処分にする。
  その後1月30日の代理人D氏の投稿を一日おきに再掲する。

2662年 2月1日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で八神邦建氏は、鐵扇會に対し「FBI投稿が
  ハッキング投稿であることの証拠となるデータを提出したら、削除に応じる。
  そうでなければ、あれは冗談なのだから転載してもなんらさしつかえのないものと
  みなして板を再開する」との骨子の質問を鐵扇會にメールを出したと発表。
  回答期限は2月4日正午。

2662年 2月1日
  「しょむ研」「ひだりんく」「國粋趣味同志會」掲示板でほりあき氏が、
  管理人の水泡 まつ梧朗氏に対して鐵扇會投稿禁止の具体的理由を質問する。
  12日、管理人水泡 まつ梧朗氏が回答。
  「1.集団で同じ書き込みを同時に行い、掲示板の他の書き込みを潰す。
  2.人の書き込みを全く読まない。注意事項にも従わず、自分が勝手に決めたルールに
  基づいてしか行動しない。」とのこと。

2662年 2月2日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で八神邦建氏は、考察「「鉄扇会」はネットやくざ?」を発表。

2662年 2月4日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場で鐵扇會中央執行部旗御飯氏は、「■重要! 代理人D氏及び
  八神氏に(今後の予定と本會提案)」を発表。

2662年 2月4日
  八神邦建氏は「ひもろぎの岡」掲示板を再開する。

2662年 2月4日
  八神邦建氏は、斬鐵(ざんてつ)掲示板のミラーサイト掲示板「第二硫酸鐵」を設置。

2662年 2月4日
  岩井信一氏、八神邦建氏を激励する。
  また鐵扇會には真摯な方から忌み嫌われる宿命があると笑う。

2662年 2月6日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で倉田佳典氏は「たぶん会長?の情緒不安定さをなんとかしないと、
  鐵扇會は、いつまでもサナギのままで、蝶になって飛翔出来ないと思いますね。
  なんというか、正直すぎる。。。(^-^;」と鐵扇會首魁を心配する。
  おそらく2ちゃんねる政治思想板の「鐵扇会vs斬鉄会」スレッドを読んだ感想と思われる。

2662年 2月7日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で岩井信一氏は、「ネットの巨大な力を利用して、それを
  利益にまで昇華出来る集団を目指す」と鐵扇會設立以前の若い衆が実際に発言したと証言。
  また「現会長だか今も会長だかは知らんが、その会長は、「折角ネットでそういう団体を
  立ち上げるのだから、アングラ小僧に潰されては何にもならない。」ということで、
  当時アングラ系にも裏のスキルが欲しくて結構触手を伸ばしておりましたのですが、
  結局胡散臭いのでそっぽ向かれる。そっぽ向かれると「初心者・元気だぞ」が
  ヒステリックに攻撃するの繰り返しでしてね。」とも発言する。

2662年 2月7日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場で立会人氏が、代理人D氏の投稿に本人了承のもと訂正を入れる。
  その後投稿禁止を解除されたばかりの代理人D氏が反論を述べる。ちなみに
  4日の鐵扇會の提案は現実味としての重要性を失っていることから実質的に無視。

2662年 2月7日
  kojima氏の掲示板ActionJapaneseで、代理人D氏の同じ事務所の同居人で
  PC・ホストは同じだが別人であるパシリの代理人E氏は、代理人D氏と鐵扇會首魁の
  会談の様子を語る。「元木田さん。あなたは私の10倍しゃべる。本題だけなら
  15分で終わる内容を、聞きもしないのに、何かの煙幕代わりなのか知らないが、
  機関砲のように。正直言ってこちらこそ迷惑だったよ、そんな話につき合わされて。
  そのしゃべりすぎたことを後悔し、不安になって執行委への伝言として、
  私に苦笑せざるを得ない無用の口止め「決して周辺環境のことは、書かないよう、
  くれぐれも宜しく・・・」などと板で書かせる始末だ。下らぬ話題、枝葉末節に
  氏は戦々恐々としているらしい。」

2662年 2月7日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場で桜旗氏は哀歌を投稿。
  「つくづくと 御陵の森に 立ちまじり   何処へ仰ぐか 冬の扇よ 」
  8日、鐵扇會中央執行部光輝八紘氏は返歌を投稿。
  「ゴミ溜めに咲きたる雑草 自らを   桜と思うは 幸いなりけり」
  9日、桜旗氏は鐵扇會中央執行部光輝八紘氏に呆れる。
  その後鐵扇會中央執行部光輝八紘氏は桜旗氏を欲求不満なのではないかと中傷し
  「ひさかたの光のどけき鐵乃広場   静心なく 桜旗 散るらむ」と歌う。

2662年 2月7日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で八神邦建氏は、5日に鐵扇會掲示板鐵乃扉に投稿したが
  削除され、その後八神邦建氏の生IPが晒される。その事に対して八神邦建氏が
  抗議の投稿をしようとして投稿ボタン押すと「Ayumi Hamasaki Official Fanclub TeamAyu
  (歌手浜崎あゆみのサイト)http://www.teamayu.com」が表示され爆笑する。

2662年 2月7日午後11時
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で岩井信一氏は「面白いものが手に入りました」と題して
  以下の文書を発表する。
   ----------------------------------------------------------------------
   〇鐵扇会会員の方の名義を使いプロバイダーAOLに加入して頂き、
   その手数料の半額が鐵扇会の活動資金に補填される仕組になっております。
   〇加入頂きます期間は、登録完了日(申し込み日ではない)の3ヶ月経過後、
   約15日までです。つまり、3ヶ月半です。
   〇最初の3ヶ月は、使い放題無料です。最後の半月は、一月分の料金が加算されます。
   〇プランの最低料金は、280円です。
   〇我々が受け取る事のできる手数料は8000円です、そのうち半額を会員様に払い
   戻し致します。
   〇つまり、たったの280円(会員様負担)で、会員様は4000円、鐵扇会に4000円
   貰える仕組になっているのです。(会員様への振込手数料は、鐵扇会負担)
   会員様は、3720円単純に、儲かる計算になります。
   〇但し、今回は、プロバイダーですので、クレジットカードを所有している方のみです。
   カード番号等は、受付センターのオペレーターが、追って連絡いたします。
   (個人情報は鐵扇会にはわかりません)
   -----------------------------------------------------------------------
  また「いずれ正式な「ページ」としてアップします。」と表明。

2662年 2月8日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で岩井信一氏は、鐵扇會の掲示板に喧嘩を売ろうと
  投稿しようとしたが、生IPで接続しているにもかかわらず「proxy経由投稿は
  許可されてをりません鐵扇會にmail等で該当ホストの許可設定を申し出て下さい」と
  表示され「メールで許可得ないと意見も書けんのか。軟弱な集まりじゃのぉ。」と
  呆れ返る。また投稿できなかったものを転載し、昨年7月の民族戦線社の掲示板
  「臥 龍 窟」の「「なんだお前」君ってのはわしじゃ。」と自己申告する。

2662年 2月9日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で斬鐵怪異中央卸売部氏は、「とても面白いものが出来ました」
  と題して7日に岩井信一氏が入手した文書を掲載した鐵扇會活動資金支援に関する
  ページをコピーしたサイトの宣伝を貼る。

2662年 2月9日
  八神邦建氏は、斬鐵(ざんてつ)掲示板3として掲示板「鐵の怪文書館」を設置。

2662年 2月9日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場で永田泰次氏は、鐵扇會構成員山本直樹氏を注意する。
  それに対し鐵扇會構成員山本直樹氏は反論。鐵扇會中央執行部源氏は
  永田泰次氏は桜旗氏の新しい捨てハンであると根拠の無い妄想で、両氏を中傷する。
  桜旗氏は、鐵扇會中央執行部源氏の発言を笑う。
  また「うらぶれて もののあはれと 道すがら  土塊ひとつ 苗木をひとつ 」と歌う。
  永田泰次氏は、鐵扇會中央執行部源氏の発言に吹出す。

2662年 2月10日朝
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で鐵扇會を1月に脱会したばかりの西山隠士氏が脱会理由を
  当時の氏の発言の転載を加えて語る。
  それによると、会員用掲示板で1月6日、活動資金支援に関しての疑問と質問を投稿。
  また活動資金支援のページが載せられた鐵扇會構成員の(名前は転載時には伏せられている)
  サイトにある別のページの間違いをURL付きで指摘する。
  その後、西山隠士氏は鐵扇會中央執行部の対応を確認し即座に脱会を決意した。
  10日晩、西山隠士氏は鐵扇會在籍時の様子を発言。
  内部では情報の流れが偏っており、初期の下層構成員からの自由な発議はなくなり、
  現在の活動内容は幹部から下達される。また下層構成員が自由に発言できる
  雰囲気が無く、会を批判しようにも何も知らされてないので批判のしようが無いとのこと。
  さらに、鐵扇會首魁や中央執行部は下層構成員に対し、鐵扇會に対して批判的な
  場所には近づかないようにさせ、批判は信じないよう情報操作に努めているとのこと。

2662年 2月10日
  高橋博彦氏は、日猶同祖論を考察する掲示板の再開の目途が立たないことから
  「日猶同祖論を考察する掲示板(縄文の焚き火板)」と題した暫定掲示板を設置。

2662年 2月11日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板でisaacpapa 氏は、岩井信一氏を注意する。

2662年 2月12日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で西山隠士氏は先日の発言内容の一部に問題を感じて
  発言の削除を申請。その後の流れから、貼られたURLをもとに10日に名前を
  伏せられた鐵扇會構成員が通信機器販売業を営んでいると発覚する。
  それを受けて、八神邦建氏はその会社の宣伝を掲示板のフッターに貼ってあげる。
  その後、その会社を営む鐵扇會構成員の名前も発覚する。

2662年 2月12日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で八神邦建氏は、鐵扇會から斬鐵(ざんてつ)掲示板に
  対してのメールが届き、そのメールを公開する。
  そのメールを読んだ紫門@斬鉄氏は笑い、管理人のメールアドレスを改めて掲載する。

2662年 2月12日
  八神邦建氏は、斬鐵(ざんてつ)掲示板4として
  掲示板「さすらいの斬鐵掲示板(脱皮済み)」を設置。

2662年 2月13日
  「ひもろぎの岡」掲示板、再び停止させられる。

2662年 2月13日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で八神邦建氏は、複数の右翼団体の名前を出して
  それらの団体に相談しようかなと発言。これを読んだターボ氏は八神邦建氏を注意する。
  14日にもマダム神風氏が注意する。14日夕方、この発言を八神邦建氏自身が削除した。

2662年 2月13日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場で鐵扇會中央執行部Malayan氏は、11日と13日に
  西山隠士氏より関係者と鐵扇會に謝罪が届いたと報告。

2662年 2月13日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で倉田佳典氏は、鐵扇會の
  「あなたのネット活動を弊會は保証する」という言回しはやめた方がいいと忠告する。
  14日、竹下義朗氏もこの言葉は頂けないと発言。

2662年 2月15日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場で鐵扇會中央執行部Malayan氏は、一方的に
  「■ティ−カップ掲示板「日猶同祖論」閉鎖問題終了の御報告」と終了させる。

2662年 2月15日
  八神邦建氏は停止させられていた「ひもろぎの岡」掲示板を再開する。

2662年 2月15日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で八神邦建氏は「「鉄扇会」はネットやくざ?」に
  補足訂正を加えて新たに公表しなおす。

2662年 2月17日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で米国在住のRIO氏は、「鐵扇會のプロクシアレルギーには
  辟易してます」と発言。氏は米国から閲覧するため鐵扇會の閲覧制限の影響を受けやすい。

2662年 2月18日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板に、棺雲光一/一本独鈷@武闘派氏が突然出てくる。
  紫門@斬鉄氏は、棺雲光一/一本独鈷@武闘派氏を鐵扇會首魁ではないかとみる。
  その後、両氏ほかと対話や罵詈雑言が飛び交う。

2662年 2月22日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で八神邦建氏によると、韋駄天掲示板、2ちゃんねる、
  阿修羅の各管理人に、FBI氏による鐵乃風の転載、または転載の転載に対する
  鐵扇會からの削除要請がされてない模様と発表。
  また、FBI氏本人に対して事を起さない鐵扇會に疑問を抱く。

2662年 2月23日
  紫門氏と棺雲光一/一本独鈷@武闘派氏が会談を行う。
  紫門氏は、棺雲光一/一本独鈷@武闘派氏が鐵扇會首魁と同一人物でないことを確認する。
  その後、棺雲光一/一本独鈷@武闘派氏は斬鐵(ざんてつ)掲示板から手を引き
  掲示板「鉄&斬鉄専用♪」を設置。

2662年 2月22日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で八神邦建氏は鐵扇會に対し「「FBI」投稿に対する
  「被害届け・告発」「転載掲示板」の各管理人への削除請求を、なぜいまだに
  おこなわないか」という質問状をメールで届けたと発表。
  以後毎日にわたり送付している模様。

2662年 2月27日〜3月1日
  日猶同祖論を考察する掲示板(縄文の焚き火板)で管理人の高橋博彦氏は、
  日猶同祖論を考察する掲示板停止問題は終っていないと改めて表明。
  停止に至る詳しい経緯を再度述べ、鐵扇會と株式会社ティーカップ・コミュニケーション
  に対して質問状を送りその文面を公表する。

2662年 2月28日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板に、物好きの心氏が出てきて見解などを述べ、勝手に総括する。

2662年 3月1日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で、八神邦建氏は役に立たないアドバイスを続ける
  心氏に警告を言いわたす。

2662年 3月2日
  心氏は、斬鐵(ざんてつ)掲示板での八神邦建氏の警告を受け、総括と返信のために
  別板『憂々白書』を設置。
  総括と返信を書き連ねるも4日には書くことが無くなり閉鎖の方針を示す。
  その後、紫門氏に閉めずに続けるように言うが、誰も発言しなくなり
  閑古鳥が鳴き始めどうしようもなく荒廃する。後になぜか結婚する大和維新塾掲示板
  「アブナイネタを教えて下さい」の管理人橘藤雄氏を冷かす掲示板に
  転用されるもパッとせず。

2662年 3月3日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で心氏が、八神邦建氏の警告を無視し発言。
  その後数日にわたり、心氏と常連との言いあいになる。

2662年 3月中旬
  一本独鈷@武闘派氏が鐵扇會掲示板鐵乃広場に投稿するが誹謗中傷される。

2662年 3月22日〜23日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で八神邦建氏は、おとぎ話「冷凍うどん買出し事件」を語る。

2662年 3月24日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で紫門鬼一@斬鉄氏は「はっきり申し上げる。
  FBIは初心者・元木田蔵です。故に鐵扇會はFBIを告訴することができないのです。」と
  確信を持って述べる。また、3年前の憂國掲示板の「「Peace 霊柩車」も「ねこ」も
  紫門の変名なのです。」と自己申告する。

2662年 3月25日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で高橋博彦氏は、鐵扇會掲示板での鐵扇會構成員JAZZ氏の
  発言を引用し「今書いている鐵扇會のJAZZ氏は、以前、私とメールのやりとりを
  していた頃のJAZZ氏とはまったく異なる人物の印象がある。どちらかというと、
  今のJAZZ氏は鐵扇會会長さんの面影を感じる。数年前、叔父上の硫黄島での玉砕を
  私に熱く語ったかつてのあの純粋なJAZZ氏の面影はまったくない。」と語る。

2662年 3月26日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板でひさぽん@懲りずに斬鉄氏が鐵扇會の不思議を発見。
  「鉄の広場ってフシギだよね。自分たちは掲示板はメインではないので、
  レスとかもゆっくりとなるみたいなことを言うけど、削除する投稿に関しては
  速攻だよな。(笑)」

2662年 3月27日
  岩井信一氏、呆れる。

2662年 3月29日
  鐵扇會構成員若桜氏は、「しょむ研」「ひだりんく」「國粋趣味同志會」掲示板に宣伝を貼る。
  30日、管理人の水泡氏は「日本語の読めない自称「日本主義者」ども」と題して、
  複数の鐵扇會構成員の名前を列挙し鐵扇會関係者に注意するように呼びかける。

2662年 4月5日
  鐵扇會は「■ネット犯罪者による本會内部文書漏洩に関する届出準備ならびに
  届出・事後対策の御報告■」を発表。
  鐵乃風漏洩に関する概略を記述し、2月19日鐵扇會構成員山本直樹氏が
  警視庁大塚署に必要書類を200枚以上提出。
  ちなみに、警視庁大塚署の住所、電話番号、担当者名も公表。

2662年 4月6日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で紫門氏が本日午前11時に警視庁大塚署の担当者に電話。
  鐵扇會が5日に発表したページの大塚署の担当者の発言のように記述されている
  部分を担当者に読み聞かせると「即座に「私の言ったことと逆だなぁ」と笑いながら
  申されておりました」と発言。また紫門氏は担当者に紫門氏自身の連絡先を教える。

2662年 4月6日
  鐵扇會掲示板鐵乃広場でねこ日本海氏は、鐵扇會がFBI氏を告訴したようでは
  ないことからFBI氏を告訴するように鐵扇會に注文する。

2662年 4月7日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で高橋博彦氏が5日発表の鐵扇會のページを読み
  不自然な部分を指摘する。ほか紫門氏が明らかな間違いを指摘する。

2662年 4月7日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で元諜報員氏が鐵扇會がなぜ侮辱罪という軽い罪で
  告訴したのかと疑問を表明。

2662年 4月10日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で元諜報員氏が若手の鐵扇會構成員に対して退会勧告を行う。

2662年 4月10日
  BBSゴジロー通信でゴジラズワイフ氏は、昨年、「ADAM」「峠の茶屋」「臥龍窟」など
  各掲示板に投稿していた、鐵扇會光輝八紘氏は本物ではないと証言。
  理由は、本物は自宅から自由に接続できずネット喫茶で決められた時間にしか
  接続出来なかった。とのこと。

2662年 4月10日夕方
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で八神邦建氏は、フィクションであるが大事なところは
  実話にもとづいていたりする記録を「ある盗聴記録」と題して、10日にO警察署内にて
  隠しマイクにて収録されたとされる記録を公開。
※以下は概略である。原文が必要な方は各自努力されたい。
     (中略)
  S「鐵扇會が、うちの署の名前や、私の名前や電話番号まで載せてるけど、
   ああいうのは困る。それに、これを見ると、うちの署の住所と電話と私の名前の
   ところをのぞくと、全くウソ。いいもしないことを、いったかのように書いてる。
   おどろきましたよ。なに考えてるんでしょうな」
  八神「迷惑でしょうね」
  S「正直いってそうですな。ケンカに警察を巻き込まんでほしいね。
   ホームページに警察がああいったって、ありもしないことをかかれると、ちょっとね」
  紫門「FBI投稿の件ですが、鐵扇會はハッキングで訴えてきたんですか」
  S「それはなかった。侮辱罪で立件したいってことだけだよ。そのFBIとかの
   ハッキングをどうのこうのということでは、訴えを起こすなんていってなかった」
     (中略)
  S「鐵扇會の山本くんだっけ? 200ページもプリントアウトして、もってきたが、
   どーもおかしい。いったん、証拠書類として提出したくせに、あとで、
   提出証拠書類の大部分を、取り下げて持ちかえった。こっちに残った証拠書類は、
   その一部だよ」
     (後略)

2662年 4月11日
  ガオガオ戦略情報研究所の掲示板BBSゴジロー通信で管理人ゴジラズワイフ氏は、
  鐵扇會構成員光輝八紘氏の人格をこう表現する。「彼に関しては彼と一度でも
  面識のある人ならば改めていうことではありませんが現代の若者にしては、長幼、
  先輩後輩のケジメや言葉遣いを弁えた、とても礼儀正しい好青年です。彼は決して
  あのような品性のないその場を乱すような文をところかまわず撒き散らし、垂れ流す
  人間でないことはここに宣言しておきます。」

2662年 4月17日
  BBSゴジロー通信で管理人ゴジラズワイフ氏は、氏を代理人に光輝八紘氏が鐵扇會を
  16日に正式に脱会したと発表。また念のために「光輝八紘は一般的な例として
  例えば茶番の自決の直後から姑息にこそこそと別名で出るような卑怯な二重基準の
  人間ではありません」と証言。

2662年 4月18日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で、ねこ日本海氏は光輝八紘氏に敬意を表し今後の活躍を祈る。
  19日八神邦建氏は、ゴジラズワイフ氏の見上げた姿勢に感服する。

2662年 4月19日
  BBSゴジロー通信で管理人ゴジラズワイフ氏は、鐵扇會首魁に対する引退勧告を発表。
  理由に「アジア・太平洋情報会議」問題の不始末。もうひとつの理由に、
  鐵扇會構成員の名前の借用に、最終的な責任を取るという態度が伺われないこと。
  また残存構成員に対して「現在の鐵扇會がどのようなことになろうともそれぞれの
  心の中の鐵扇會は大切にしてほしいと切に思います」と激励。
  22日に引退勧告の理由に4月9日に鐵扇會首魁が失態を起したことも含まれると発表。
  24日に4月9日の失態に関してそれまで鐵扇會首魁の本質を見抜けなかった
  不甲斐なさに忸怩たる思いであると表明。また現在、氏と鐵扇會首魁との電話や
  メールの連絡が連絡が取れない。かつては鐵扇會首魁から氏に対する2〜4時間の
  長電話はざらで酷いときは午前3時から午前9時まで電話をさせられていたとのこと。

2662年 4月27日
  斬鐵(ざんてつ)掲示板で高橋博彦氏が、翌28日に代々木公園で日猶斬鐵関係の
  オフ会を開くついでに、鐵扇會首魁や鐵扇會構成員の参加を呼びかける。
  その後の様子から、鐵扇會関係者の出席はなかった模様。
  参加する気がなかったのか、都合がつかなかったのかは不明である。

2662年 昭和節
  鐵扇會発足3周年。
  発言時期によってことなるものの、鐵扇會発足間もないころ、鐵扇會首魁は
  「2年で 2000人ぐらい 集まれば」「鐵が 3年で 1000人ぐらいなれば」と
  構成員の加入予測や願望を述べていたが、2662年昭和節現在の延べ入会数196名と
  予測より大幅に低迷。ちなみに現在の構成員数は百数十名(実質的幽霊会員含む)
  鐵扇會は発足当初から、第二段階として3年目から実世界活動も視野に含めた運動を
  行うことを表明している。今後、どのような活動を行うか注目される。

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