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関連記事「鈴木宗男代議士に恫喝されて自殺した農水省キャリア官僚」【週刊文春 2002年2月21日号】 投稿者 事情通 日時 2002 年 8 月 24 日 15:45:06:

(回答先: 衝撃!8/25投票予定の現職香川県知事「真鍋武紀」は日ハム疑惑に深く関わっていた!【週刊新潮】 投稿者 もう肉食は怖くてできん 日時 2002 年 8 月 23 日 04:15:45)

鈴木宗男代議士に恫喝されて自殺した農水省キャリア官僚

戦慄スクープ!未亡人が涙の告発
http://sun.freehost.ne.jp/~planetj/munemune/nakagawa3.htm
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「お前の人生をメチャクチャにしてやるぞ!」
誰もが認める正義感あふれるキャリア官僚は、鈴木宗男代議士から口を極めた恫喝を受け、次第に精神的に追い詰められていった……。
いったい両者の間に何があったのか。残された妻は「本当に悔しい」と嗚咽を絞り出した。
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 墓碑銘には「惻隠」と刻まれている。生前の故人の人柄を偲んで、友人たちが手向けた言葉である。最愛の家族によって手厚い供養もなされている。だが、彼の魂は本当に慰められただろうか。
 水産庁の漁政部協同組合課長を務めていた関根聡さん(仮名)が、都内の自宅で自殺を図ったのは、九七年八月二十四日のことだった。

「その日は日曜日でしたが、主人はだらしないことが嫌いで、休日でも遅くまで寝ていることはありませんでした。不審に思って寝室を覗いてみると、主人の姿が見当たりません。胸騒ぎがして、トイレのドアを開けました」

 妻の悠子さん(仮名)は、驚きのあまり声も出なかった。関根さんはドアのノブにひもを掛け、床に座り込むようなかっこうで、首を吊っていたという。

「こんなことで人が死んでしまうのか」と、悠子さんは漠然とそう思った。遺書はなかった。

 搬入先の病院では、意識不明の状態が続いた。

「自発的な呼吸はもうできませんでした。お医者さんからは、仮に助かっても植物状態になると言われました」

 見舞いに訪れた同郷の友人が、関根さんの耳元で声の限りに叫んだ。

「関根クン! 死んだら絶対ダメよ!」

 そんな呼びかけにも反応することはなく、関根さんは九月十七日、永眠した。享年四十六。三週間ものあいだ、混濁した意識のなかで、彼はどんな夢を見ていたのだろうか。
 告別式には、国会議員からも多くの献花が捧げられた。そのなかでも、ひと際大きく目立つ場所に飾られていたのが、鈴木宗男代議士から届いた花だったという。友人の一人は、その光景が忘れられないという。

「あまりの白々しさに怒りで身が震えました。政治に無関心だった奥さんは当時気づかなかったようですが、関根さんと本当に親しかった仲間たちは『本人は決して喜ばないよ』と口々にクサしていました。そう、関根さんは鈴木宗男によって殺されたも同然なのです」

 関根さんは、順風満帆にエリートコースを歩んできた。東大法学部を卒業後、七五年農林水産省に入省した。食品流通局市場課課長補佐、岩手県農政部畜政課長などを経て九〇
年、海部内閣の農水相だった近藤元次氏(故人)の秘書官を務めた。九二年には、食品流通局商業課に新設された流通構造改善対策室の初代室長に抜擢される。翌九三年に農蚕
園芸局繭糸課長、九五年七月には畜産局競馬監督課長に就任している。

「秘書官時代の関根さんは、コメ輸入自由化問題を抱えて奔走していました。国会対策や農業団体の意見をまとめ上げ、難局を乗り切った手腕は、いまも”関根ドクトリン”と言われ、評価されています。予算をめぐる協議では、農水官僚はたいてい大蔵官僚の言いなりになっていましたが、関根さんは主計局と堂々と渡り合っていました。同期入省のなかでも出世頭で、農水省のあまたある課長のなかでも、競馬監督課長という重要ポストに就くことができたのです」

 競馬監督課長に就任した関根さんは常に出馬表を胸にしのばせるほど、競馬行政に前向きに取り組んでいた。だが待望の「重要ポスト」が、その後の彼の運命を狂わせることになる。意気揚々と仕事に打ち込んでいたキャリア官僚はなぜ、自ら命を断たねばならなかったのか。
 そして関根さんは体調の異変を悠子さんに訴えるようになる。

「課長に就任して一年三カ月後の九六年十月ごろから、主人の様子は目に見えておかしくなりました。遅くまで働いて、疲れて帰ってきても『眠れない』と、毎晩のようにこぼすようになりました。家にいても、座っていたかと思えば立ち上がって、部屋のなかをウロウロして落ち着かない様子でした」

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俺に断わりなく北海道に
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 いったい何があったのか。当時、関根さんは親しい友人たちにこう打ち明けている。

 「鈴木宗男代議士にさんぎん罵倒された。ぼくの官僚生活でこれほどの屈辱を味わわされたのは初めてだ」

 不眠に悩まされ、目は虚ろになった。当然、記憶力や決断力が鈍り、仕事でもミスを犯すなど支障をきたした。やむなく、霞ヶ関周辺の心療内科に通院し、抗うつ剤や睡眠薬の投与を受けた。
 友人の一人が憤る。
 
「関根さんが宗男氏に苛められていたのは、有名な話でした。関根さんが北海道の牧場などを視察した時、宗男氏が『俺に何の断わりもなく北海道に行った』と難クセをつけたのが始まりでした。以来、宗男氏ににらまれ続け、ことあるごとに『おまえなんか絶対に出世させない』『人生をメチャクチャにしてやる!』などと、かなりエゲツないことを言われたようです」

 いまでこそ、宗男氏は外務省に対する影響力が指摘されているが、もともとは農水省に深く根を下ろしていた。

「農水族のドンだった中川一郎氏の秘書時代から、宗男氏は農水行政に深く関与してきた。九〇年代以降、事務方で農水省を牛耳っていたのは、鶴岡俊彦・元次官だった。同和団体
と太いパイプを持ち、まさに農水省は鶴岡の私的機関だったといっていい。その子分が先だって、狂牛病問題を引き金に辞任した永村武美畜産部長だ。この鶴岡−永村ラインに寄生してきたのが、鈴木宗男氏であり、松岡利勝氏だった」(政界関係者)

 アフガン復興国際会議でNGOを排除した問題からも、宗男氏の外務省やNGOに対する恫喝が常態化していることは明らかだ。その構図が農水省でも同様だったに過ぎない。だが、
言葉による凶器が時として人を死に追いやってしまうことを、まさに関根さんの自殺が物語っている。
 小誌は悠子さんが当時の関根さんの言動を思い出しながら、自身の所感を記録したメモを譲り受けた。そこには、宗男氏の常軌を逸した”口撃”によって、エリート官僚が精神的に追い詰められていくさまが克明に綴られている。

<きょう、全く関係なかったのにまちがってあの議員のところに電話をしてしまって、またすごく怒られたよ。「とことん仕事のじゃまをしてやるからな」と言われた−−−ミスが多くなって
いるのだ。その議員の存在がかなり気になっていると思った。とにかくひどいことを言う人がいるものだ>

<朝起きて来ても、またぎりぎりの時間までもう一度横になる−−−これまでにこんなことは一度もなかった。本当は休んでいたいのだろう。かわいそう>

<励まそうと思って「どうなっているの?」と尋ねる。「ゴメンゴメンゴメン……」と頭を下げて謝る。本当に身の置き場がないようにする−−−まったく思いもかけない反応にショックを受け
た。励まそうと思ったのに、問い詰めたように感じている。これは下手なことは言えないと思った>

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「鈴木宗男」というファイル
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 年が明けて一月、関根さんは故郷で講演会の講師を依頼されていた。不況がますます悪化していた時期だけに辞退を申し出た。しかし、急な変更は叶わず、結局、引き受けざるを得なかった。講演台に立った関根さんの姿に、故郷の知人は目を疑った。

「頭脳明晰でハツラツとしていた関根さんが、人が変わったように『あー』とか『えー』と自信なさげに言いよどんでいました。もはや、講演とは言えないような感じでした。よっぼど疲れとんのかな、何ぞあったんかいな、とも思ったんですけど……」

 二月になると、不眠に回復の兆しが見えた。仕事に対する意欲も戻りつつあったこの時期、関根さんは「鈴木宗男」というファイル名のフロッピーを作成している。残された手帳にも宗男氏の名前が散見される。
 悠子さんがホッとしたのも束の間だった。
 関根さんは七月、水産庁の漁政部協同組合課に異動することになった。この人事にかつての上司は首を傾げる。

「協同組合課長は、初めて課長になる人が就くようなポストです。左遷とまでは言えないけど、競馬監督課長にくらべると明らかに格下です。何か大きなミスをしたか、体調でも崩したのかと思ったほどでした」

一方で異論もある。

「当時、漁協組合の統廃合が進められていて非常に多忙なポストだったはずです。しっかりした人にやってもらわなければ困る。関根君の実績を買ったうえでの異動だったと思う」(別の元上司)

 だが、関根さん自身は悲観的な受け止め方しかできなかったようだ。精神的にかなり弱気になっていたせいもあるのだろうが、もはや、宗男氏の影から逃れられないという脅迫観念に苛まれていたにちがいない。

<異動。帰ってきて、すごく暗い雰囲気。落ち込んでいる。
「ああ、これでおしまいだ」
「飛ばされた、じゃまされたんだ」というようなことを独り言のように言う−−−
思い過ごしかもしれないが、確かにあり得るとも思った。良いように解釈して切り換えてほしいと思った>

関根さんは再びふさぎこむことが多くなった。協同組合課は激務で、連日、役所に泊まり込んでの徹夜作業に追われた。体調を崩して、再び不眠に襲われた。
 それでもお盆休みはかろうじて取ることができ、実家へ帰省した。

「ギリギリまで仕事の日程を調整して、もう大丈夫ということで主人の田舎に帰省しました。ところが、深夜十一時頃に主人に仕事がらみの電話が入り、明け方まで話していました。電話を切ると、主人は憮然として『どうしても戻らなきゃいけなくなった』と言って、慌しく帰京しました。誰がかけてきたのかも用件も、私たちにはわかりませんでしたが、嫌がらせを受けているとしか思えませんでした。この時、主人は『何なんだ!』と珍しく怒りを露わにしていました」

 競馬を通じて、関根さんと親交があったジャーナリストの吉永みち子さんは、

「関根さんを実家から呼び出したのも政治家の指示だったと聞いています。七月末、関根さんは急に私のところへ電話をかけてきて『どうしています? またみんなで飲みたいねえ』などと言っていました。八月に入った途端、また電話をかけてきて『飲み会の話はどうなった?』と聞いてきました。夏休みで仲間内の予定が合わなかったと伝えると、『仕方ないか』という話をしたのを覚えています。いまから考えれば、誰かに会って悩みを打ち明けたかったのでしょうか。よほど何かがあったんだなと、亡くなった後でふと気づきました」

 帰京してまもなく、関根さんは自殺を図り、帰らぬ人となった。
 なぜ、本来優秀な霞が関の官僚たちが宗男氏に脅えるのか、はからずもその理由が見えてくる。人事による生殺与奪権をチラつかせ、意に沿わないものは人格が破綻するほどの恫喝をかけてくる。
 にもかかわらず、農水省職員の多くは関根さんが自殺した原因をいまも知らないし、また知ろうともしなかった。

「あの関根が自殺を図ったと聞いた時、椅子から転げ落ちるほど驚きました。どちらかといえば、精神的にタフなほうでしたし……。確かに鈴木宗男代議士とトラブルがあったとも聞いたことはありますが、あくまで噂です。仕事の疲れがたまっていたのかなと思っていたのですが……」(同期の職員)

 これでは関根さんの魂は浮かばれまい。彼が標的になったのは、競馬監督課長に就いてからのことだ。宗男氏は十勝軽種馬農協の組合長を務めるとともに、日本軽種馬協会の理
事職にあり、競馬界とのつながりも濃い。

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「利益を寄こせ」という要求
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 農水省関係者が指摘する。

「競馬は農水省のなかでも、かなり根深い利権構造になっているのです。日本中央競馬会(JRA)の当時の馬券の売上高は三兆〜四兆円に達していました。多くは購入者に当たり馬券として償還され、三割弱が国庫に入ります。残りをJRAが自由に使えるのですが、そのなかから畜産事業に充当することになっているのです。パーセンテージで見るとごくわずかですが、実際には数百億円から数千億円規模になるのです。
 この処理を監督しているのが競馬監督課で、キャリアの優秀な人材が登用されるケースが多いのです」

 関根さんの人物評は「ソフトな人柄だが、正義感が非常に強い」というのが友人たちの一致した見方だ。ルールに対して厳正な態度が却って、一部の者たちに疎んじられたとしても不思議はない。
 実際、関根さんの親族の一人は、彼のこんな言葉を聞いている。

「議員たちから『利益を寄こせ』という要求が結構あって困っている。ゼロ回答だと『おまえなんか飛ばしてしまうぞ』と怒鳴られる。十言ってきたら三とか四にするようにしているのだけど、非常につらい」

 宗男氏が関根さんを恫喝した真意は判然としないが、その行為によって関根さんの精神が蝕(ムシバ)まれていったことだけはまちがいない。

 悠予さんは涙を滲ませ、嗚咽の声を絞り出した。

「あのことがなければ、主人はいまも元気で働き、家族とともに暮らしていたはずです。本当に悔しいです……」

 鈴木宗男氏は小誌の取材に対して、事務所を通じて「一切お断りする」とくり返すのみだった。
 宗男氏が自らの”政治スタイル”を改めなければ、不幸は再発するだけだ。

週刊文春 2002年2月21日号 (C) 文藝春秋

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