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例5:「機密を漏らした」「流言した」とされたらしい文書 転載 投稿者 ウッチャー 日時 2002 年 9 月 01 日 22:03:08:

(回答先: 例4:会社の命令に従わず反抗的だ、とされたらしい文書 転載 投稿者 ウッチャー 日時 2002 年 9 月 01 日 22:01:43)

『まだ旧体制下の新聞社と月極契約している人たちへ』 から。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/

例5:「機密を漏らした」「流言した」とされたらしい文書

掲載時期:98年秋 (当時の原文そのままです)
「共同体と機能体--3」

Q.途中入社者は賃金表のなかでどう位置づけるのですか。
A.現在、特別な能力を持った人を中途で採用するときは、嘱託として採用し年
俸制を適用しています。現時点では、これ以外に中途採用することは考えて
いません。 (社外秘「新人事・賃金制度」より)

嘱託というのは「正式の雇用や任命によらないで或る業務にたずさわることを 頼むこと」である。つまり正社員とは一線を画しているわけである。

◇ ◇ ◇
二十年以上も組織論を研究した堺屋太一は、伝統も名声も資産も規模もある 組織が、実に短時間に滅亡する原因を三つに分けた。『機能体の共同体化』『環 境への過剰適応』『成功体験への埋没』である。そして『機能組織の共同体化』を 招く根本的な原因は「組織倫理の退廃」にあるとした。

「倫理には腐敗と退廃がある。腐敗とは、悪いと知りながらも悪辣な行為が横 行する現象である。汚職や権限の濫用、身内人事などは、倫理の腐敗に当るこ とが多い。これに対して倫理の退廃とは、何が悪いのか分らなくなる現象だ。世 間一般では罪悪とされていることが、1つの組織の中では正義と認められている とすれば、倫理の退廃の極みといえる。いわゆる暴力団はその典型だ」(「組織 の盛衰」より)

「新聞記者はヤクザ稼業」とはよく言われるので、倫理の退廃も驚くことではな い。新聞は本来、機能体である。倫理の退廃は、機能体の共同体化を招き、堺 屋氏の指摘する「組織が死に至る病」となるだろう。一般に「倫理」や「正義」と いった言葉ほど定義の難しいものはないが、「組織内の」さらに「機能組織の」と すると、かなり明確になると思う。機能組織には明確な目的があるからだ。

◇ ◇ ◇
プラトンの想起説というのがある。魂というのは既に永遠不滅の存在たるイデ ア(普遍)を学んでしまっており、人間は現実世界において、それを少しづつ想起 する、というものだ。魂が不滅かどうかは別として、私は遺伝情報などによりやは りイデアはあると思う。

例えば、外見的な美男美女というのは人類でかなり似通っている。世界の田舎 の一部の民族では極めて不健康に太った人間に美しさを感じているかも知れな いが、情報が行き渡り、より多くの人間を見たら、やはり目鼻立ちの整ったスリ ムな人間を美しいと思うに違いない。過去の誤解は、単に外の世界を知らなかっ たからに過ぎない。若き日のアラン・ドロンは多くが美男と認めるし、オードリー・ ヘプバーンはやはり美女である。それは、美男美女の永遠普遍のイデアが、や はり人間の魂の中に存在するからと考えるほかない。

同じように、正義や倫理にも、似通ったものがある。人殺しは人類の多くが悪と 考え、倫理的に間違っていると感じるに違いない。だからこそ、核戦争は何度も 一歩手前で踏みとどまってきたし、平和を求めて国連ができ、加盟国が増えつつ ある。この正義や倫理のベクトルは一定であって、多少の揺り戻しがあっても、 長期的に戻ることはない。終着点が魂の中にあるからである。

◇ ◇ ◇
そう考えると、日経の組織内倫理は、保たれているのか、退廃しているのか。 私は勿論、退廃しつつあると考えている。冒頭で挙げた例にはそれが色濃く出て いる。まず、基本的にプライバシー以外は情報公開を迫るべき機能を持った新 聞が、単なる人事制度を堂々と「社外秘」としている。これは自己矛盾であり、倫 理の退廃と言うほかない。

さらに、雇用大流動化時代、といった特集を何度も組み、終身雇用の終焉と有 効な人材活用を明らかに主張しながらも、自分たちだけは聖域に置き、中途採 用は頑としてしない。ヘビースモーカーがタバコの有害性を主張し「吸うのはやめ るべきだ」と主張しているようなものである。これが倫理的に通用するのか?そこ に普遍性はあるのか?考えるまでもない。機能組織以前の問題である。こうした 「棚上げ体質」を日経新聞症候群とでも名付けたい。少なくとも朝日新聞はマス コミの批判対象になるように情報が漏れるオープンな会社で中途採用も活発。
テレビ業界でもNHKなどは大量中途採用をしており、日経の特異性は際だって いる。

私のホームページを閉鎖させるなどして、こうした実態を必死に隠そうとしてい るところを見ると、悪事であることをいくらかは認識してはいるようだ。ということ は、倫理の「退廃」というより、「腐敗」という面もある。「社外秘」とするのも、後ろ めたいものを認識している裏返しだ。いずれにせよ、腐っていることに大差はな い。

◇ ◇ ◇
ただ、やはり明らかに倫理の「退廃」とした方が適切な場面が多い。3月は異 動の時期だが、自己紹介で皆が外さないのは入社年次である。「ロクサンの ○○です」「ゴーハチの○○です」などという挨拶は、完全な倫理の退廃だ。バカ じゃないか、といつも思う。そういう時代でないことは、自分らが発行する新聞を 読めばわかるのだ。

世界中で日本と韓国という極めて限られた田舎地方でしか通用していない「夜 回り」という取材方法を平気で続けているのも、倫理の退廃の好例だ。

パーテーション(仕切り)がない島型配置の机も、個人あてにかかってきた電話 なのに編集部内15台の電話が一斉に鳴り響く仕組みも、機能体としては明らか に集中力を欠いて仕事の能率を落しており、これを是正しようとしないのは倫理 的にイデアからほど遠い。機能体組織における倫理の退廃である。

こういった、棚上げして批判することが倫理的に通用せず、全く普遍性がない ことは、誰もが感じるだろう。ただ、知られていないだけだ。日経は批判の的にな ることを恐れ、冒頭のように何でも「社外秘」にしている。例えば、社員がどの部 署に何人いるかという何でもないデータも、社外の人間は知るのが難しい。

昨秋の名簿によれば、最も記者数が多いのは産業部で132人、次が整理部 で120人。この2つが圧倒的に多い。同期28人中、整理部には9人もいる。以 下、証券部68、経済部64、流通経済部53、政治部36、商品部30、中堅・ベン チャー部27、日経ウイークリー編集部24、国際23、経済解説部19、科学技術 部18、ウイークエンド経済部16、アジア部11と続く。最も打切り手当が高い(つ まり給料が高い)のは経済部という。

この程度の全くプライバシーと関係のない情報でさえ、社外の人間はなかなか 知ることができない。記者希望で就職活動を進める者でさえ同じで、従って、社 内事情も知らずに入社して後で後悔するわけである。それで官僚には「情報公 開法を制定しろ」と平気で社説で主張するわけである。だから説得力以前の問 題で読む気も起らない。私がこうして情報公開するのは、私が倫理的に社内の 狂った状態に染まっていない証と思って欲しい。

日本の大多数の有権者は政治腐敗を放っておいているが、「自分たちが選ん だ政治家がやったことだから」と半ば諦めているからだろう。自分を棚上げしな いだけ倫理は保たれており、日経よりましである。

◇ ◇ ◇
中央官僚は、より多くの予算を分捕り、より権限を拡大した者が評価され昇進 していく。権限を後ろ盾に派手に接待を受けるウエットな関係が当り前になって いる。日経の記者は、深く掘下げた企画記事や調査報道よりも、夜回りを重ねて 社長人事を抜いたり官僚の手先になれる人間が評価され昇進していく。社長や 官僚が悪いことをしているわけでもないのに「夜回り」と称して毎日、社長の家の 前までハイヤーで駆けつけ「お帰り」を待って話を聞くウエットな関係が当り前に なっている。これらも一般人の倫理観からかけ離れた典型的な「倫理の退廃」
である。読者が人事情報ばかりを望んでいるというデータは全くない。単なる閉 鎖的な日本という国での共同体化した組織の慣習である。つまり、日常的な夜回 りや重要ポストでもない人事の取材の結果を記者の評価基準とする組織は、祈 祷で病気が治ると信じている奥地の少数民族みたいなものだ。普遍性はなく、い ずれ消え去る運命にある。

現在の日本のように莫大な借金があるにもかかわらず不必要な公共事業にカ ネをつぎ込むようなカード破産まがいの政策は、普遍性がなくマーケットが受付 けていないために株価も上昇しない。当然、首相は、国際会議に出るたびに世 界中から「なんとかしろ」と言われる。自民党は自らの支持基盤である土建業者 を救う公共事業を、日本経済・世界経済よりも優先している。首相の尊大な表情 から判断すると罪悪感も感じていないようだ。国全体のために働くという政府・代 議士の本来の機能から考えると、機能体における「倫理の退廃」がはなはだし い。

◇ ◇ ◇
今の部長はイベントが大好きだ。休日を潰しての花見や運動会、1泊旅行が毎 年、企画される。プライバシーの概念などないため、全員の生年月日まで平気で リストアップして張出してしまう。家族と勘違いしているわけである。まさに共同体 化を強めている。「組織倫理の退廃が機能体の共同体化を促進し、組織を死に 至らせる」との堺屋氏の分析によれば、次に来るのは間違いなく組織の死であ る。ただ、残念なことに、日経新聞は規制に守られている。官僚も同様だ。堺屋 氏の分析は「規制」についての考察が抜落ちている。

渡福の米寿祝いは、共同体が機能体化した例で、これは規模が小さいうちは、 さほどの問題はない。大学生が気の合った仲間同士でベンチャー企業を設立す るのも、共同体が機能体化した例の1つだ。アサヒコーポまで行くと無理である が、小規模のうちは両者の両立が可能だろう。好きな者同士でやっているうちは 誰にも危害はないし、社会に与える影響も少ない。共同体の目的は、満足感を 得ることだから、満足感がなくなったら組織を解散すればいい。

しかし、逆に機能体が共同体化すると、組織は死に至る。そうなると、本来、機 能体に相応しいはずの構成員が組織から出て行かざるを得ないという不幸があ る。さらに問題なのは、さっさと死んでしまえばいいのだが、共同体化してもな お、規制に守られているがためにレイムダックとして幅を利かせ続ける組織が存 在することだ。それが日経である。

官庁は行革の対象となり、金融業界にはビックバンがある。しかしマスコミは、 日米交渉において再販制が公正取引法に違反する貿易摩擦の1つとして取上 げられても、平気な顔で自らへの規制だけは必要だと主張し、他に関しては規制 緩和だという。「橋本首相、再販維持に理解」などという3段見出しの記事が日経 に載っていたが、あの大本営発表には本当にあきれてしまった。倫理の退廃も はなはだしい。銀行が給料が高いと言いつつも、自らの高給は隠す。自らは必 要のない莫大な交際費を使っているくせに、企業の交際費を批判する。これらは 皆、日経新聞症候群(棚上げ体質=倫理の退廃)である。

倫理の退廃で共同体化を進めた機能体、日経。死に至る道を歩んでいるにも かかわらず規制に守られ、狂った倫理をひたすらに隠し続ける。規制は再販制 だけでなく、非関税障壁たる言語があるため外国の新聞社は参入が不可能に 近く、しばらく新規参入も自由競争も望めなさそうだ。それならば、やはり何らか の手段で機能体的なものをはっきり分け、本来の機能に相応しい記者が働きや すい状態にしなければ、狂った人間がのさばり続け、読者や社会にとって悪影響 を及ぼす。しかし、日経批判は難しい。文芸春秋でウォルフレンが大蔵と癒着す る日経の
狂った倫理を指摘(以下参照)し、「噂の真相」でも特別取材班が日経幹部が大 蔵幹部を膨大な費用を使って接待しているという社内から見ればいかにも当然 としか思えない事実が報じられているが、こうしたメディアが限界だろう。日経に 嫌われることのデメリットは言論活動をする者にとって計り知れないし、社畜化し た社員は終身雇用を信じているので、倫理よりも自らの立場を守るために共同 体内の異常な倫理に自然に染まっている。

>「日本の新聞は自己検閲で国際的に知られているが、大蔵省がからむこの特 定
>の分野では、自己検閲は極端な域に達している。この仕組みにおける中枢組 織
>は『日本経済新聞』だ。同紙と、例えば英国の『ファイナンシャル・タイムズ
>』や米国の『ウォールストリート・ジャーナル』の違いは、官僚との結婚とで
>も呼ぶべき関係にある。『日経』はまぎれもなく、経済ニュースと経済評論の
>分野で日本の主要なフィルターだが、同紙の編集幹部と記者たちは大蔵省のさ
>まざまなレベルの役人たちと密接な関係を保っている。こうしたコネはきわめ
>て重要とみなされ、社内の昇進にもかかわるほどだ。経済史におけるさまざま
>な奇妙な同盟関係のなかでも、これはもっとも意味ある同盟の1つである。_

>_人々の描く現実の像であってほしいと大蔵省が願うまさにそのものを、『日
>経』は忠実に人々に伝えるからだ。そして『日経』は忠実に、真実のひとかけ
>らだけを伝える。しかもそうすることによって『日経』は、他の新聞雑誌の経
>済記事に多大の影響を与える。それを示す派手な実例は、日本の直面する最 優
>先課題が財政赤字の削減だという考えを担ぎまわったことにある。日本はここ
>20年ほど巨額の財政赤字を抱えていたが、官僚たちはさして心配する様子は
>なかった。それが突然、日本経済の現状を論じる事実上すべての発言が、財 政
>赤字を何とかしなければ、という説教の大合唱に合流したのだ。この新たな優
>先課題設定の真の理由は、消費税率引き上げ正当化の新たな口実をもうける こ
>と、また大蔵官僚の裁量権を削ることは誰にもできないことを再確認させるこ
>とにあったのだが、それらは一切、論評の対象にならなかった。こうした情景
>を目にするとき私は、『日経新聞は大蔵省発の音響刺激の増幅装置だ』という
>自分の比喩は正しかったと確信がもてるのだ。日本の第一線の経済評論家や 学
>者たちは、この音響増幅装置に接続されているスピーカーに過ぎない。」
(カレル・ヴァン・ウォルフレン、「文芸春秋」3月号より)

およそ世の中のあらゆる事象は、「共同体的なもの」と「機能体的なもの」に分 けられる。そして混迷の時代である今、それをはっきり分けるべき時にきていると思う。

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