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旨く回答となれば良いがのう。 投稿者 ボケ仙人 日時 2002 年 9 月 12 日 13:40:15:

(回答先: ボケ仙人さん、新たに質問がございます。 投稿者 学生 日時 2002 年 9 月 10 日 22:51:29)

どの切り口から入ったら良いか難しいのう。しかも、広範囲で中には極めて深遠なテーマも秘められておるぞ。ところであんたは、ちよっとノイローゼ気味じゃないのか?ホームシックかもしれんのう。もっと大胆に生きろよ。デリケートな心は人(生きとし生けるもの)への思いやりの部分で充分じゃぞ。人からどう思われようとも、多少の罪穢れなんぞ屁とも思わぬ気概が欲しいぞ。特に若いうちにわなぁ。逆に、我々は生身の体、現世に生きているからには、奇麗事だけでも済まされんのよ。汚濁の世、混沌の世をいかに澄み切って生き抜こうかと努力するところに、この世に生を受けた意味(魂を磨く)が隠されておると思うぞ。しかし、異国の地で精神的な苦しみに晒されると言う事は、先祖があんたに強くなってもらい、○○家の霊界の掃除をしてもらいと思っとるんじゃろな。そういう意味において、これをきっかけとし日本教を深め、神道の本道(日本人の使命、なすべきことなど)を見極めてほしいものだのう。目を醒ます大きなチャンスをいただいておると思うぞ。土地は離れていても先祖はいつも側におるから、先祖供養をしたほうが良いぞ。
と言うところで、ぼちぼち簡単なところから一つ一つ考えてみようかのう。まず日本教じゃが、民話・神話には日本の先祖の心が隠れておるぞ。また、神仏混交でも構わんぞ。(なぜ構わんのかについては説明に紙面が取られるので割愛させていただくぞ)
正月、初詣、節分、お盆や盆踊り、大晦日、結婚式、祭りや神輿、神社のたたずまい等など、風俗、習慣を含めて日常生活としても神仏とのつながりは深いじゃろ。それを語ってやれよ。そして、日本に帰ったらじっくりと研究しておくれ。
日本教の神は、天照大御神でも天御中主神(アメノミナカヌシ)でも、豊受大神でもいいぞ。まぁしかし、お伊勢さんで天照大御神とした方がまとまりがいいわな。そして、一神教でも嘘にはならないし、そんなことはどうでもいいぞ。一神にして多神、多神にして一神が実体じゃからのう。何の知識の無いものに、難しい事をいっても意味をなさんぞ、むしろ、概念をきちっと伝え、日本人の心根を伝え、人としてのあり方を語ってやれよ。外郭は相手の喜ぶように合わせてやれ。ただし、日本に帰ったら学べよ。
前にも言ったと思うが、宗教とは生きとし生けるものが幸せとなって行く道を示唆するものであり、一般に使っている宗教なる用語は、道そのものを言っており、その道を集団で歩むグループが宗教団体じゃから。宗教をやっとるから良い人じゃろうと言う発想がそもそも間違いじゃぞ。(質問したからには、ちゃんと読み込んでくれよ)道には正しい道もあれば、おかしな道もあるんじゃから、おかしな道を選んだやつらはやっぱり変なやつらなんで宗教のせいじゃないぞ。それで、本来の宗教(教えの元たる教え)が示唆する方向がきちんと把握さえ出来ていれば、誰もおかしな道に踏み込むはずもないんじゃが、学ばず盲目的に付いて行くので、場合によっては邪神の思う壺じゃわな。イスラエルのシャロンやアメリカのブッシュにしても悪魔の詩の件のイラ○国の○○師なんぞも、国民がきちっとモーゼやキリスト、マホメット(ムハマンド)の言葉を大切にしておれば、人様の前に立てるような魂の持ち主でないことが一目じゃがのう。みんな欲に目がくらんどるんじゃろうな。だから、あんたは、日本に帰ったら、宗教を学べよ。心ならずも、いったんは宗教団体に属した方がいいと思うぞ。スポーツでも習い事でも、一旦は教室なりクラブに入るじゃろう.同じじゃぞ。何にも知らん愚か者のくせに、ちょっとは学校の勉強ができるので、自分を過大評価しとる。そこに入る勇気や知恵がないもんじゃから彷徨い、混乱しみんな道を誤っとるのが現代の混沌の理由の一つじゃぞ。謙虚になれよ。そう言う点こそ繊細となれよ。
そうすれば身魂相応に展開するぞ。
虫の話についてはのう、虫と言えども微弱ながら魂があるからには、悪戯に殺すのは不徳じゃわな。しかし、嫌がるとこに出てくるやつらもわるいわなぁ。進化し高等な魂は嫌がるところには出て来んもんじゃ。人とゴキブリを一緒にするなよ。人というものは凄いもんじゃぞ.その凄さを知り、使命をまっとうすることが我々の義務とも言えようぞ。ということじゃ。だから、そんなことをぐだぐだ悩む方が、心に曇りを作って不徳じゃから、もっと前向きに徳積みする事にエネルギーを使っておくれよ。マイナス思考が強いぞ。
中には殺したい想念が強く、虫をいたぶって殺す輩もおるが、こやつらはそう言う霊的レベルにおるんじゃから、死ぬとそう言うやつら(地獄的思想の持ち主)が集まった世界に行くことになる。それは罪とか、穢れじゃなく、霊界は想念の世界、波動の世界じゃから、類似した魂が集まって集団を形成するのが原理じゃぞ。いつだったか、むむさんと霊的進化さんとが日本人は日本人として生まれ変わる云々とあったが、あれは結果はほぼそれに近いが、原理が説明されておらんから誤解が生じるし、それにそこまでの話ならば日本人の定義が必要となるわな。まぁいいけどのう。また、人と虫では波動レベルが違いすぎて人が虫や動物の霊界に落ちることは基本的にはないが、修行のため一時的に虫や動物となることはあるようじゃぞ。じゃが、霊界はわれわれ現世のものでは窺い知れんところがあろうて。神(主神じゃないぞ)でも全貌がつかみきれんようじゃからな。
「偽りと正直 … 魂のレベル」これには幾つかの視点レベルがあるので答えに難しいが、自分に恥じることなく生きるでも良いじゃろうな。前にも言ったように、我々は生身の人間であり、汚濁の現世に生きておるでな、理想どうりは生きられん。しかし、できるだけ不徳のないように、しかも徳を積んで生きねばいかんわな。その葛藤の中で、真理摂理が自分が磨かれ、魂が向上して行くはずじゃな。この場合、嘘とか本当かという定義は空ろだわな。嘘がまことになって、真実を語ったはずじゃったのが結果的に嘘となったり、誤解もその範疇じゃわな。また嘘で感謝されたり、本当の事を言って恨まれたりすることもあるぞ。
こうした様々な不条理も含めて、問題となるのは、人への迷惑度と、自分の心の実体じゃな。
騙すつもりだったのかorそうでなっかったのか。相手への思いやりがあったのかどうか。
そして、自分の一言が相手にとってどの程度の重さがあるのか(重要なのかどうか)と言うことじゃなぁ。細かい事をいちいち魂のレベルを下げただろうか、罪を作っただろうかと考えているのは、自己愛ばかりじゃぞ。すべてが身魂相応に展開するものの、まず、なにごとにも明るく、元気に感謝して生きること。できるだけ、他者の幸せのために尽くす事。先祖の供養をすることなどで、自分の魂を上げて行けば、見える世界、感じる世界が変ってくるでな。
正神は人の魂の向上を促し、邪神は下げることに腐心しとる。愚か者とは、邪神に操られておる者じゃが。邪神は人間全ての心に住み着いておるぞ。「他人を愚か者と…」は良い言葉じゃ。人は、誰もがかけがえのない魂の現身(うつそみ)じゃのう。しかし、人は常に正邪を揺れ動いており、刹那の心で愚か者と変貌するんじゃなぁ。だから、自分が愚か者(その刹那の)の影響を受けて愚か者に落ちてはいかんと言う意味じゃ。なるべく愚か者に陥らんようにな。紙面に限りがあるから説明不足も多々あるがのう、勘弁しとくれ。
「人は皆 神の御霊の分れなり 洗い清めむ 元つ姿に」これは、我が心の師の言葉じゃが、これをあんたに贈ってさよならするぞ。
どの切り口から入ったら良いか難しいのう。しかも、広範囲で中には極めて深遠なテーマも秘められておるぞ。ところであんたは、ちよっとノイローゼ気味じゃないのか?ホームシックかもしれんのう。もっと大胆に生きろよ。デリケートな心は人(生きとし生けるもの)への思いやりの部分で充分じゃぞ。人からどう思われようとも、多少の罪穢れなんぞ屁とも思わぬ気概が欲しいぞ。特に若いうちにわなぁ。逆に、我々は生身の体、現世に生きているからには、奇麗事だけでも済まされんのよ。汚濁の世、混沌の世をいかに澄み切って生き抜こうかと努力するところに、この世に生を受けた意味(魂を磨く)が隠されておると思うぞ。しかし、異国の地で精神的な苦しみに晒されると言う事は、先祖があんたに強くなってもらい、○○家の霊界の掃除をしてもらいと思っとるんじゃろな。そういう意味において、これをきっかけとし日本教を深め、神道の本道(日本人の使命、なすべきことなど)を見極めてほしいものだのう。目を醒ます大きなチャンスをいただいておると思うぞ。土地は離れていても先祖はいつも側におるから、先祖供養をしたほうが良いぞ。
と言うところで、ぼちぼち簡単なところから一つ一つ考えてみようかのう。まず日本教じゃが、民話・神話には日本の先祖の心が隠れておるぞ。また、神仏混交でも構わんぞ。(なぜ構わんのかについては説明に紙面が取られるので割愛させていただくぞ)
正月、初詣、節分、お盆や盆踊り、大晦日、結婚式、祭りや神輿、神社のたたずまい等など、風俗、習慣を含めて日常生活としても神仏とのつながりは深いじゃろ。それを語ってやれよ。そして、日本に帰ったらじっくりと研究しておくれ。
日本教の神は、天照大御神でも天御中主神(アメノミナカヌシ)でも、豊受大神でもいいぞ。まぁしかし、お伊勢さんで天照大御神とした方がまとまりがいいわな。そして、一神教でも嘘にはならないし、そんなことはどうでもいいぞ。一神にして多神、多神にして一神が実体じゃからのう。何の知識の無いものに、難しい事をいっても意味をなさんぞ、むしろ、概念をきちっと伝え、日本人の心根を伝え、人としてのあり方を語ってやれよ。外郭は相手の喜ぶように合わせてやれ。ただし、日本に帰ったら学べよ。
前にも言ったと思うが、宗教とは生きとし生けるものが幸せとなって行く道を示唆するものであり、一般に使っている宗教なる用語は、道そのものを言っており、その道を集団で歩むグループが宗教団体じゃから。宗教をやっとるから良い人じゃろうと言う発想がそもそも間違いじゃぞ。(質問したからには、ちゃんと読み込んでくれよ)道には正しい道もあれば、おかしな道もあるんじゃから、おかしな道を選んだやつらはやっぱり変なやつらなんで宗教のせいじゃないぞ。それで、本来の宗教(教えの元たる教え)が示唆する方向がきちんと把握さえ出来ていれば、誰もおかしな道に踏み込むはずもないんじゃが、学ばず盲目的に付いて行くので、場合によっては邪神の思う壺じゃわな。イスラエルのシャロンやアメリカのブッシュにしても悪魔の詩の件のイラ○国の○○師なんぞも、国民がきちっとモーゼやキリスト、マホメット(ムハマンド)の言葉を大切にしておれば、人様の前に立てるような魂の持ち主でないことが一目じゃがのう。みんな欲に目がくらんどるんじゃろうな。だから、あんたは、日本に帰ったら、宗教を学べよ。心ならずも、いったんは宗教団体に属した方がいいと思うぞ。スポーツでも習い事でも、一旦は教室なりクラブに入るじゃろう.同じじゃぞ。何にも知らん愚か者のくせに、ちょっとは学校の勉強ができるので、自分を過大評価しとる。そこに入る勇気や知恵がないもんじゃから彷徨い、混乱しみんな道を誤っとるのが現代の混沌の理由の一つじゃぞ。謙虚になれよ。そう言う点こそ繊細となれよ。
そうすれば身魂相応に展開するぞ。
虫の話についてはのう、虫と言えども微弱ながら魂があるからには、悪戯に殺すのは不徳じゃわな。しかし、嫌がるとこに出てくるやつらもわるいわなぁ。進化し高等な魂は嫌がるところには出て来んもんじゃ。人とゴキブリを一緒にするなよ。人というものは凄いもんじゃぞ.その凄さを知り、使命をまっとうすることが我々の義務とも言えようぞ。ということじゃ。だから、そんなことをぐだぐだ悩む方が、心に曇りを作って不徳じゃから、もっと前向きに徳積みする事にエネルギーを使っておくれよ。マイナス思考が強いぞ。
中には殺したい想念が強く、虫をいたぶって殺す輩もおるが、こやつらはそう言う霊的レベルにおるんじゃから、死ぬとそう言うやつら(地獄的思想の持ち主)が集まった世界に行くことになる。それは罪とか、穢れじゃなく、霊界は想念の世界、波動の世界じゃから、類似した魂が集まって集団を形成するのが原理じゃぞ。いつだったか、むむさんと霊的進化さんとが日本人は日本人として生まれ変わる云々とあったが、あれは結果はほぼそれに近いが、原理が説明されておらんから誤解が生じるし、それにそこまでの話ならば日本人の定義が必要となるわな。まぁいいけどのう。また、人と虫では波動レベルが違いすぎて人が虫や動物の霊界に落ちることは基本的にはないが、修行のため一時的に虫や動物となることはあるようじゃぞ。じゃが、霊界はわれわれ現世のものでは窺い知れんところがあろうて。神(主神じゃないぞ)でも全貌がつかみきれんようじゃからな。
「偽りと正直 … 魂のレベル」これには幾つかの視点レベルがあるので答えに難しいが、自分に恥じることなく生きるでも良いじゃろうな。前にも言ったように、我々は生身の人間であり、汚濁の現世に生きておるでな、理想どうりは生きられん。しかし、できるだけ不徳のないように、しかも徳を積んで生きねばいかんわな。その葛藤の中で、真理摂理が自分が磨かれ、魂が向上して行くはずじゃな。この場合、嘘とか本当かという定義は空ろだわな。嘘がまことになって、真実を語ったはずじゃったのが結果的に嘘となったり、誤解もその範疇じゃわな。また嘘で感謝されたり、本当の事を言って恨まれたりすることもあるぞ。
こうした様々な不条理も含めて、問題となるのは、人への迷惑度と、自分の心の実体じゃな。
騙すつもりだったのかorそうでなっかったのか。相手への思いやりがあったのかどうか。
そして、自分の一言が相手にとってどの程度の重さがあるのか(重要なのかどうか)と言うことじゃなぁ。細かい事をいちいち魂のレベルを下げただろうか、罪を作っただろうかと考えているのは、自己愛ばかりじゃぞ。すべてが身魂相応に展開するものの、まず、なにごとにも明るく、元気に感謝して生きること。できるだけ、他者の幸せのために尽くす事。先祖の供養をすることなどで、自分の魂を上げて行けば、見える世界、感じる世界が変ってくるでな。
正神は人の魂の向上を促し、邪神は下げることに腐心しとる。愚か者とは、邪神に操られておる者じゃが。邪神は人間全ての心に住み着いておるぞ。「他人を愚か者と…」は良い言葉じゃ。人は、誰もがかけがえのない魂の現身(うつそみ)じゃのう。しかし、人は常に正邪を揺れ動いており、刹那の心で愚か者と変貌するんじゃなぁ。だから、自分が愚か者(その刹那の)の影響を受けて愚か者に落ちてはいかんと言う意味じゃ。なるべく愚か者に陥らんようにな。紙面に限りがあるから説明不足も多々あるがのう、勘弁しとくれ。
「人は皆 神の御霊の分れなり 洗い清めむ 元つ姿に」これは、我が心の師の言葉じゃが、これをあんたに贈ってさよならするぞ。

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