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サンデー毎日2000/11/12 衝撃スクープ 韓国旧安企部が明かした「日本人拉致事件」の真相・抄 投稿者 YM 日時 2002 年 9 月 25 日 03:01:51:

(回答先: 現代コリア1998/9 元北朝鮮工作員安明進氏の証言・抄 投稿者 YM 日時 2002 年 9 月 25 日 02:59:52)

サンデー毎日2000/11/12
衝撃スクープ 韓国旧安企部が明かした
「日本人拉致事件」の真相

恥ずかしい限りの「第三国発見」発言で、泥沼化しかねない日本人拉致疑惑問題。森喜期朗首相はノーテンキぶりをまたまた世界にさらしたが、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への対応の危うさは、それだけで済みそうにない。本誌は「疑惑」そのものをめぐり、驚くべき証言を得た。

北朝鮮による日本人拉致として、政府が認定する疑惑は現在7件10人。そのうち、特に北朝鮮が事実無根と強硬に反発し、日朝交渉の大きな壁となっているのは2件2人。元北朝鮮工作員の証言で発覚した横田めぐみさんと、大韓航空機爆破事件で金賢姫の日本人化教師とされた「李恩恵」のケースである。
もとより、7件10人のうち大半は北朝鮮による拉致と断定され、確実視されているが、横田めぐみさんと「李恩恵」についてはうっすらと疑問が語られてもいる。政治の最高責任者による「第三国発見」発言といったゴマカシがまかり通る国において、この2件の疑惑を再取材する必要があるのではないか。北朝鮮に「拉致事件」としての解決を要求するためには、日本の側にゴマカシがあったのでは話にならない。
そう考えて、本誌は2件の疑惑の深層に迫った。そして、2件ともに関係者から、拉致疑惑の大幅な修正を余儀なくさせる、驚くべき証言を得ることに成功した。
まずは、23年前に行方不明になった新潟市の女子中学生、横田めぐみさんのケースである。横田さんの拉致疑惑は、韓国に亡命した元北朝鮮工作員の証言が、公開手配されていた彼女の失踪情報と符合したことから、97年2月に浮上した。
スクープした『産経新聞』の同年2月3日付記事は、次のように報じている。<亡命工作員は韓国の公安当局にほぼ次のような証言をした。13歳の少女がバドミントンの練習を終えて帰宅する途中、日本の海岸から北朝鮮へ連れ去られた。海岸から脱出しようとした工作員が、少女に目撃されたため連れ去ったという>
さらに、スクープ報道があった、まさにその日のこと。テレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」の取材陣が、成田空港からソウル入りした。韓国に亡命した別の元北朝鮮工作員から、当時話題になっていた偽米ドル札製造疑惑の証言を得るための取材だった。担当ディレクターだった高世仁氏が語る。
「『偽札』問題では、数ヶ月前から韓国の国家安全企画部に取材要請をしてありました。突然許可がおり、指定された日に韓国入りしました。ところが、その日の『産経新聞」の報道で横田めぐみさんのことが大きなニュースになっていたため、インタビューに応じた亡命工作員に尋ねてみたのです。すると彼女に関して具体的な目撃証言を始めたので、大騒ぎとなりました。同席した韓国の情報担当官も初めて聞かされた話のようで、びっくりした様子でした」
テレビ朝日がモザイクをかけて画面に登場させた亡命工作員は、ーカ月後には実名を名乗ってマスコミに姿を現すことになる安明進氏(32歳)だった。その4年前、北朝鮮から非武装地帯の地雷原を越えて亡命してきていた。この時のテレビ画面で、安氏はこう話していた。
〈新潟から海上に(戻る時)船に乗ろうとしたのだけど、(我々が工作船を)待っているところまで、(女の子が)そこを通りすがりながらずっと見ていた。連れていこう(ということになった)〉(安氏の韓国語を逐語的に翻訳。かっこ内は編集部注)
海岸で少女に遭遇したため拉致した──『産経』の記事と同様の内容となっている安氏の証言は、その拉致を実行した先輩工作員なる人物から平壌の工作員養成所で聞かされたという話だった。彼女は養成所に隔離されており、安氏は亡命前に同所で彼女を見たとまで証言したのである。そうした報道を受け、警察庁は捜査官をソウルヘ派遣、安氏から事情聴取をした。その結果、日本政府は北朝鮮による新たな拉致疑惑と認定し、横田めぐみさん事件は当時の日朝間の最大の懸案となっていった。
ところが、である。
今回の取材で分かったことだが、なんと、日朝関係を大きく揺るがした安証言は、それから1年余り後、安氏本人によって大きく修正されていたのである。安氏は「工作員は、少女と海岸で遭遇したため拉致したのではなく、最初から日本語教師獲成の目的のため、帰宅途中の路上で拉致した」と軌道修正しているのだ。

大きな疑問残す工作員の証言
日本ではいまだに、海岸で拉致されたと報じる大手マスコミもあるので、ここで情報を整理しておこう。
横田さんは77年11月15日午後6時半頃、帰宅途中に忽然と姿を消した。新潟市立寄居中学校から自宅を結ぶ道の延長線上に、問題の海岸はある。
記者は実際に、秋の夕闇が深まった同時刻、その帰宅ルートを歩いてみた。海岸前には鬱蒼とした神社の森、そして防砂林が広がっている。街灯は少ない。大の男でも一人歩きをためらうような時と場所なのだが、安氏の当初の証言では、彼女はその先の海岸を一人で歩いていたことになる。漆黒の海原が不気味に寒々とあり、波の砕ける音だけが捻るように轡く海岸である。
海に戻ろうとする工作員らを見たとすれば、彼女はそこでいったい何をしていたというのか……。警察の結論は、海岸での拉致はあり得ないと、ならざるを得なかった。
こうして、安氏は証言の内容を変えたのである。

だが、事は、それでつじつまが合うほどに単純ではない。ここから、大きな疑問が浮上してくるのである。
なぜなら、「産経』の記事によって言及された亡命工作員は、実は、安氏ではない。そして、その亡命工作員もなぜか、「海岸での遭遇拉致」を言明していたのである。
記者は韓国の情報機関、国家情報院(旧国家安全企画部。現政権で改称)の幹部を訪ねることにした。
日韓関係の裏舞台を知り尽くした人物。その彼はこう語ったのである。
「横田めぐみさんの拉致を最初に証言した亡命工作員は、安明進氏ではなく、別の亡命者です。しかし、彼の身元は、残念ながら北朝鮮が崩壊する時が来るまで絶対明かせません。生命の危険があるからです。3年前、彼女の拉致疑惑報道が日本でされた時も、安全部の担当官はその人物から得た証言を、日本の関係者に伝えただけのことです」
韓国の常に影となって治安を担い続けてきた情報機関の幹部が、神経質にならざるを得ない北朝鮮問題について、日本のマスコミの取材に応じるなどということは、極めて異例なことである。
彼によれば、この最初の亡命工作員の証言こそが「横田めぐみさんの拉致疑惑を決定づけたもの」だという。そして、安氏の証言は「それを補足したにすぎない」と強調した。
記者がその亡命工作員に対する取材を申し込むと、彼は頑なにそれを拒否した。日本の警察庁ですら事情聴取した形跡のないこの亡命工作員については、いまもって韓国の旧国家安全企画部(安全部)の担当官を除くと、誰もその存在を確認していないのである。

最大の根拠が食い違っている!
朝鮮半島をめぐる政治の闇は深い。疑問はさらに続くのだ。
「遭遇拉致」が否定された瞬間に、なぜ「日本語教師養成のため」という証言が成立するのか、という疑問だ。唯一、その根拠として可能性が言われているのが「李恩恵」の前例があること。ならば、その前例は、どこまで確かなことなのか──。
(中略)
金賢姫の記事を全面的に信用するわけにもいかないが、彼女の供述に基づいて作成された経歴が極めて正確に再現されており、工作員としての統制された生活の節日ともなる日の記憶の確度は高い、と安企部は判断したのだろう。繰り返すが、安企部は「李恩恵の誕生日は57年7月5日」と断定したのである。
一方、日本の警察である。
警察庁が「李恩恵」に該当する行方不明者を発見するのは、金賢姫証言から3年後の91年春。金賢姫のさらに別の証言が提供されてからのことだった。「李恩恵」は「ちとせ」と名乗っていた、という証言である。
その直後に、埼玉県警が「李恩恵」と断定するに至った女性は、78年に行方不明になっていた埼玉県出身の元キャバレーホステス、田口八重子さん(当時24歳)だった。彼女のホステス時代の源氏名が「ちとせ」であったのに加え、誕生日の一致が決定的な根拠になったと、埼玉県警は記者会見で発表した。「李恩恵」の人物特定が報道されると、田口八重子さんの親族宅には連日、マスコミが殺到したが、親族はマスコミとの接触を頑なに拒み続けてきた。
あれから9年の歳月が過ぎ、記者は真相を聞くため改めて親族を訪ねた。親族が重く閉ざし続けてきた口を、初めて開いてくれた。
その証言は、静かに言葉少なだったが、愕然とさせられるものだった。
「八重子の上の姉の誕生日が終戦記念日の8月15日。彼女はそれと近い日でした。戸籍上でも8月10日となっています。埼玉県警の刑事さんが連日来て、まあ(八重子に)近い情報もあったので、あの時はとりあえず認めてしまったのです。だけど、今でも八重子が李恩恵だとは信じてません」
韓国安企部、そして埼玉県警が決定的な根拠として発表した誕生日は「7月5日」。つまり、「李恩恵」特定の最大の根拠が食い違っているのである。この時代ならよくある、一カ月遅れで戸籍登記したという事実もない、と親族は明言した。
そして次の瞬間、親族は「あれは失踪届が出されてありましたから……」と言葉を濁した。八重子さんの失踪届には当然のことながら、住所、氏名とともに、生年月日が記載されている。なにゆえに、埼玉県警は「李恩恵」を「田口八重子」と結びつけたのか。
すでに死亡している母親が、失踪届を出す際、娘の誕生日を「7月5日」とでもしたのか。いずれにしても、戸籍謄本にある八重子さんの誕生日は「8月10日」なのである。
金太中氏が大統領に選ばれた直後の97年12月、安企部の担当官と結婚するにいたった金賢姫は、現在は接触が不可能となっている。韓国に住んでいることすら確認の術がなく、完壁な情報統制下にあるようだ。安明進氏にも取材を申し込もうとしたところ、中朝国境で北朝鮮脱出者の支援活動をしているとのことで、不在であった。
91年の第8回日朝国交正常化交渉では、「李恩恵」問題が議題に上ると、北朝鮮側は激怒して席を立ち、交渉は決裂した。そして97年、横田めぐみさんについての報道は、拉致疑惑問題を再燃させ、日朝間の大きな課題となった。
外務省は10月30、31の両日、中国・北京で第11回日朝国交正常化交渉に臨む。その席で、外務省は拉致疑惑について、どういう事実認識に基づいて交渉するのか。
「政府としては、捜査当局の調査と判断に基づき7件10人の拉致疑惑を認定しているのであって、各証拠に対する評価は、外務省ではなく警察庁の管轄です」(外務省北東アジア課北朝鮮班)
いまもって謎に包まれた亡命工作員の証言をよりどころにしすぎて席に臨めば、逆に、北朝鮮に有利な交渉カードとして使われてしまう恐れはないか。

拉致の実行犯が英雄のように

日朝交渉のためにも、横田めぐみさんと「李恩恵」について、真相を踏まえるべきであろう。2件について仮に「拉致」が間違いだったとしても、北朝鮮による一連の「拉致事件」の事実は動かないのである。
77年以月、石川県宇出津の海岸から拉致された久米裕さん(当時52歳)▽80年6月、宮崎県青島海岸から拉致された原敕晃さん(当時43歳)──の場合、日韓で検挙された北朝鮮工作員らの動かしがたい自供がある。78年夏、福井、新潟、鹿児島3県の海岸で、たて続けに起きた3組6人のアベック拉致疑惑も、北朝鮮工作員によるものと見られている。

北朝鮮が一連の拉致疑惑に対し、沈黙したまま、日本との国交正常化を進めることは、断じて許されることではない。
今年9月2日。韓国に潜入して逮捕され、服役していた北朝鮮工作員のうち、転向を拒否し続けてきた長期囚の63人が、南北離散家族再会に伴い北朝鮮に送還された。そのなかに、原敕晃さんの拉致を実行した辛光洙元服役囚(70歳)の姿もあった。
辛元服役囚は、原さんの戸籍を偽造したうえで旅券を不法に取得し、原さんになりすまして韓国に入国した直後の85年2月、ソウル市内で逮捕された。
北朝鮮への送還の前日、記者は辛元服役囚の住むソウルの宿舎前で、原さんの安否を質そうと取材を申し込んだが、姿さえ現そうとしなかった。
長期囚らが38度線を越えて到着した平壌では、英雄が凱旋したかのごとき熱狂が沸き起こった。主人公の一人である辛元服役囚が花束を受け取る姿も、北朝鮮のテレビは誇らしげに放映していた。その光景は、日朝間に横たわる「拉致疑惑」の、巨大なる〃ズレ〃を如実に映し出しているように見えた。
(北朝鮮間題取材班)

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