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。すまりあでのふ思うかは分自 投稿者 書記長 日時 2002 年 9 月 25 日 19:13:58:

(回答先: Re: 件名訂正。「賞揚するする」の「する」が一度余計。省略。 投稿者 現実的ぼくしんぐ 日時 2002 年 9 月 24 日 19:27:34)

 私が思うに、人間は価値観を追求することを止めたら人間と
しては生きていけない。
 なぜなら、それを止めたら行動・価値判断の基準がその個人
にとってなくなってしまい、どういう場合にどう行動し、何を
どう判断し、何が良くて何が悪いのかわからなくなってしまう
からだ。
 こうした基準がなくなってしまったら、結局経済利害や身体
生命の保全、弱肉強者の論理、他人の自分に対する賞罰といっ
たものだけで行動・判断するほかはなくなり、それは要するに
ロボットとかけだものである。
 強盗に脅されれば、即座に心に痛みを感ずることなく人前で
下半身だけ裸になって排泄したり、自分の親とか配偶者を撃て
るような者だけが自分をニヒリストだということができる。
 人間が価値の追求をやめることはなかなか難しいのが実際で
ある。
 世界観をも包摂したような価値観の追求とは、突き詰めてい
けば哲学とか宗教になる。
 だから、人が宗教や自分のポリシーをもつようになることは
自然なことなのだ。
 そうした価値観の中には、歴史を共有する集団、すなわち「
民族」とその「文化」への帰属意識とか愛着・崇敬というもの
がある。民族は人種とは一致しないし、ある民族に属するもの
が他民族とその文化を愛着・崇敬することもありうる。
 こういう意味で、ナチズムやシオニズムは特殊な不自然なも
のではない。
 宗教に熱心な人は自分の属する民族やその伝統・文化に対し
て比較的冷淡ということは言えるだろう。
 しかし、宗教も民族も文化も信念も哲学も、すべて愚かで偏
狭な錯覚とみなすのは非人間的なことである。
 「絶対的平和主義」・「価値相対主義」はこの程度のことさ
えわからなくさせる、戦後の自分たちが置かれている被占領・
従属状態を正当化するための自己欺瞞的かつ非人間的な奴隷と
いなおり投降捕虜の哲学である。
 投降は悪くないのだが、居直ってえばりちらしても見苦しい
し、そうしたことは子供に悪い影響を与えるのである。

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