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書記長の言説は「寝言」であり、書記長は「こわれている」か 投稿者 あっしら 日時 2002 年 10 月 18 日 17:46:54:

(回答先: Re: 書記長は完全に、こわれている。 投稿者 高円寺 日時 2002 年 10 月 18 日 01:32:11)

書記長とは何度か直接的な議論をしているが、「敗戦責任問題」や「国家観」ではすれ違ったままだと認識している。
(“近代”をどう捉えるのかという問題に帰着すると思っている)

しかし、書記長の言説が「寝言」で、書記長は「こわれている」といるとはどう思い込んでも判断できない。

言説に直接的に現れている内容を除き、思い込みで得られる判断は、

● 書記長は、歴史的現実であった戦前の「大日本帝国」を“超えた”もしくは“異次元”の理念的存在としての「大日本帝国」に置き換えて論議している。

● 書記長は、戦後日本のなかで醸成されてきた国家価値観や社会価値観から無媒介的に戦前日本を非難したり憎悪したり否定する言説を危険なものとして批判するため、意識的に戦前日本の正当性を主張している。

とうものである。


> 当時の日本の皇国史観は日本の歴史的伝統の一部であり明治
>維新の原動力の一つであった神道原理主義的思想に由来する、
>当時の社会システムの基礎である明治憲法の根本理念でした。
> 皇国史観的な思想が日本社会で占める位置やその内容、及び
>その解釈の変化は日本特有の精神史・思想史の発展の流れだっ
>たのであり、純粋な国内問題だったのです。

外圧のなかで“近代”を志向せざるを得なかった日本(統治者)が、その枠組みとして選択したものを示したのであって、民主主義・国民意識・合理主義・自由主義も、内容は異なるとはいえ、近代国家の価値観的基礎という意味では同じである。

国家目的の達成に資する合理性という観点で優劣の判断はできても、戦前の国家価値観と戦後の国家価値観を比較して理念で優劣を付けることは無謀な判断だと私も思う。


> よその国の文化的伝統と比較判断されることによって、よそ
>の国からどうこう言われる筋合いは今でもありません。

よその国からどうこう言われても仕方がないのはよその国に対して行った行為であり、そして、その行為が国家価値観を裏付けとしているのならば、国家価値観も非難されることを甘受しなければならない。

> 今までの全ての社会はそのシステムの基礎になる民主主義や
>自由主義、平和主義とか社会主義とかイスラム教とかキリスト
>教とか人権思想とかの理念を採用しています。戦前の日本の社
>会理念とそれに基づく教育のありかたをマインドコントロール
>と呼ぶなら、上述の様々な理念とその教育は全てマインドコン
>トロールと言わねばなりません。しかしそうしたところで、そ
>れはただの「社会教育」と道義になりあまり意味がありません。

論理(抽象)的な価値観体系になればなるほど、その醸成に果たす公教育の役割が大きくなる。
それは、民主主義であろうが天皇制であろうが同じで、マインドコントロールと呼びたいのであればともにそういうものである。

自分(国家社会の多数派)が理解できることはまっとうな考え方として受け止め、理解できないことはマインドコントロールのせいだと考える思考情況は、まさにマインドコントロールの成果である。

> 対外的には、大東亜宣言に見られるような大東亜共栄圏の思
>想などを参照すればわかるのですが、当時の人種差別・有色人
>種に対する人権無視の抑圧搾取・アジアとアフリカの全面的植
>民地化状況が当たり前の世界の中で最も先進的かつ人道的とさ
>え言える理念・理想を公式に掲げていたのです。

先の戦争が「大東亜戦争」と命名されたのは対米英蘭戦が開始された昭和16年12月8日から4日後の12月12日閣議であり、明治維新以降の対外政策とりわけ対外軍事行動が「大東亜共栄圏の思想」によって展開されていたわけではない。

日本が名誉ある自存した独立国家として存続するためには、朝鮮半島を足掛かりにした大陸での権益確保が不可欠であるという認識のもとでの「富国強兵策」が一貫として採られていた。

「大東亜共栄圏の思想」は、対米英蘭戦という国家総力持久戦を遂行するための価値観基礎及び軍事占領した地域の支配安定に資する理念と考えるほうが歴史的には妥当である。

>「破滅的な教導によりその集団そのものを自壊に追い込んだ
>」のではなく、英米帝国主義や中ソ共産主義勢力により世界的
>ブロック経済下で追い詰められていき、破滅させられたという
>のが客観的な歴史的事実です。日本の軍国主義自体、日本を取
>り巻いていたそうした過酷な国際環境を原因とするものだった
>のです。

まず、第一に、「近代経済システム」の論理認識が不十分なまま、英国を中心とした西欧の植民地拡大主義の後追いをしたことが“破滅”の根本要因である。
大陸の地べたを取ることに「近代経済システム」の利益はなく、商品販売市場及び原材料調達市場の確保にこそ利益があるということを軽視した。

国家としては、国防政策(軍事)と国策(外交)の分離、陸軍と海軍の不統一、国際情勢の合理的な認識、産業力育成より目先の軍備を優先、現地軍司令部への統御欠如、責任ある判断の欠如、政・官・財の利益優先などをあげつらうことができる。

国防政策は、彼我の国力の差から、米英との戦争は回避し、ロシア(ソ連)や中国そして仕掛けられた場合の米英との短期決戦を想定したものであったにも関わらず、対米英戦に自ら踏み出した日本(統治者)の無能無策は指弾して余りあるものがある。

対米戦が避けられないものであったとしても、米国に仕掛けさせて艦隊決戦を行って勝利し、早期に講和を結ぶというストーリーでなければならない。
(勝利できるということではなく、それ以外の選択は自らが立てた国防方針に違背するという意味)


(10万英霊のことを考えたらここで引くわけにはいかないと言って、300万の英霊を生み出す結果になる戦争継続を正当化する精神構造は、合理性を失った倒錯としか言い様がない)


> 一時期の難点をもって、ある社会の体制やその社会・文明単
>位そのものの独立した独自のありかたを否定しようとするのは
>いったいどういう連中なのでしょうか。それは世界を唯物弁証
>法の解釈と理想のもとに変革しようとする各種の左翼主義者た
>ちや英米帝国主義の世界征服の手先となった者たちなのです。
> 彼らにはその社会・文明を破壊してそうした自分たちの思い
>通りの世界のあり方に無理やり人々を編入させようとする企み
>があるからなのです。

現在の世界は、まさにそういう連中が“こと”を進めている。
そのような意味で、書記長の言説は了解できないとしても意義があると考えている。


> こういう当たり前の視点から観れば、戦後の日本は戦前の日
>本より国家・社会としては、量的な側面ではない質的な面にお
>いては比較できないほどに劣っているのです。アメリカのいい
>なりになって国民経済を振り回され、戦争にまで無理やり狩り
>出されようとしている現状がよい証拠です。

戦前は英国に見習い、戦後は米国に見習って、確固たる主体的な価値観や論理もない無能な統治者が、日本をずたずたにしてきた。

戦前の日本を戦後の日本にぶつけるのではなく、ともに“近代”の荒波のなかで右往左往しながら、国民及び諸外国国民に犠牲を強いてきたという論理的な反省が必要だと思われる。

書記長の言説を乗り越えるためには、「敗戦責任問題」を国家国民的課題として明確にする必要がある。
そして、それが、朝鮮半島及び中国との“対立”を緩和する大きな役割を果たし、昨今の国際情勢のなかでまともな対外政策を選び取る力ともなるはずである。

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