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Re: 参考資料(幕末〜明治)2 投稿者 通りすがり 日時 2002 年 11 月 07 日 01:11:30:

(回答先: 参考資料(幕末〜明治) 投稿者 通りすがり 日時 2002 年 11 月 07 日 01:00:06)

一昨年、私は鹿島昇という人の「裏切られた三人の天皇−明治維新の謎」という
本により、維新の際薩長間に、徳川家茂及び佐幕派であり鎖国に固執した孝明天
皇、それに同調した睦仁親王を暗殺して、長州出身の南朝の後裔である大室寅之
祐を睦仁親王にすりかえて明治天皇にするという密約があり、その首謀者は岩倉
伊藤等であつた、とする異説があることを知つた。具体的には、伊藤博文が自ら
隊長となつた長州力士隊にかつて吉田松陰が南朝再興の理想を託した一人の少年
奇しくも睦仁親王と同年の16歳になる大室寅之祐なる者がいて、吉田松陰の命を
受けた木戸と伊藤が掌中の玉の如くして養育し、孝明天皇と睦仁親王を暗殺した
後で、睦仁親王とすりかえたというものである。それによれば、
1.睦仁親王は天然痘を患い、「あばた」の残る虚弱体質であり、書は下手で、即位
 前乗馬の記録はないのに対し、明治天皇は「あばた」がなく、5尺7寸・24貫の
 巨漢で、達筆であり、鳥羽伏見の戦の際馬上閲兵した、また相撲を得意とした
 という。
2.中山日記における「寄(奇)兵隊の天皇」という表現、突然の東京遷都、昭憲
 「皇太后」の呼称(本来ならば「皇后」であるべき。また、大正天皇もこの呼
 称でよいと御裁可されたという。)、南北朝正閏論における南朝正統の御裁定
 (天皇は「北朝」系であるにもかかわらず。)等々の事実がある。
私は、この異説により、多年の疑問が氷解したように感じた。これによれば、長
州出身者に対する厚遇、乃木大将の殉死(吉田松陰との関係)等の説明が出来るか
らである。また、これが事実であるとするならば、天皇制の日本近代史における
意義が一層増すように思われた。

私は長崎県平戸市にある松浦史料博物館に勤める、私の兄の知人に本件につき訊
ね、次の返事を得た。
 現在平戸城に、亀岡神社の宝物「祐宮(サチノミヤ)御初衣」が公開展示され
 ています。この初衣には大納言中山忠能卿が松浦家第35代松浦煕(ヒロム)(乾
 斎)公(1791-1867)に宛てた添翰があります。同封した添翰のコピーの中に祐
 宮(後の明治天皇)の御誕生等について詳しく記されています。
 これを見ますと、娘典侍慶子(ヨシコ)は皇子を懐妊され、8月27日表向き着
 帯(腹帯)、中山家の産所において9月22日に若宮降誕とあります。
 貴殿ご存知のように、慶子様は松浦家第34代松浦清(清山)(1760-1841)の第
 八女愛子様と忠能卿の間に誕生し、後に光明天皇の典侍として宮仕えをし
 ておられます。
 因みに明治天皇は松浦清公の曽孫に当たられます。
 明治天皇の出自については諸説があるかも知れませんが、当地平戸の識者の
 間では慶子様御生母説が有力でこれが定説となっているようです。ただ、慶
 子様が愛子様の娘であるということに、疑義をお持ちの方もおられるようで
 す。

何れにせよ、祐宮(睦仁親王)は中山忠能が外祖父であることに間違いはない。
そこで、最後の藩主であり私の曽祖父3名が仕えた、第37代松浦詮(アキラ)公
(1840-1908)について、「松浦詮伯伝」を調べてみた。
その結果、詮公が中山家はもとより、三条・岩倉等と相当近い関係にあつたこと
と皇室から厚遇を受けている事実をあらためて知つた。

その「松浦詮伯伝」の中に、次のような記述がある。
 明治10(1877)年1月5日、天皇及び皇后両陛下の御真影を拝戴す。21日宗族規
 約を設け、始祖源融(トオル)公神影の前に於て、誓約書に連署す。
署名人は正四位松浦詮、その長子従五位厚、次子従五位靖(ハ力ル)、分家従五
位豊及び従五位渡辺章綱の5名でこれに詮の家令・家扶(何れも正四位)、靖の
家令(従五位)、渡辺章綱の家扶(従五位)の4名が副暑している。これをみて、
源融公の末裔ということであれば他にも大勢いるであろうに、実質的に渡辺章
綱だけを拘束する規約が何故この時期に必要であつたのか、ということを考え
た。
実は、渡辺章綱(後に子爵)は、鹿島氏の著書によれば、泉州伯太一万三千石の
藩主であり、役職は大坂城の定番であつた。徳川慶喜の命を受けて孝明天皇暗
殺の犯人を調べ、それが岩倉と伊藤であることを知り、後年設立した長崎の青
年学校でこの事実を広言したため、伊藤の仕向けた刺客に襲われ、1894年死亡
したことになつているが、実は逃れて1911年まで生きたという数奇な運命の持
主である。私の考えでは、松浦家は維新の舞台裏を知つた上で、内乱等の不穏
な動きに対処するため、宗族規約という名目で、渡辺章綱の言動を牽制するこ
とを図つたのではないだろうか。その背景には他よりの圧力もあつたかも知れ
ない。

幕末、藩主の命を受けて情報活動を行つた平戸藩士に籠手田(コテダ)安定
(1840-1900)なる人がいる。1867年京に上り国事を偵察し、薩摩の五代、長州
の伊藤の知遇を受けた。後に滋賀県令・貴族院議員となり、天皇の寵を辱くし、
平戸藩士中ただ一人華族(男爵)に列せられたこの人こそ、明治天皇の出自を確
実に知つていたといえるだろう。(注1)
平戸島にはその北端に田助港というところがあり、幕末各藩の志士をのせた船
舶が寄港し、多々良孝平という篤志家のところに、西郷吉之助(隆盛)、桂小五
郎(木戸孝允)、山県狂介(有朋)、大隈八太郎(重信)等が屡々来て国事を談じた
とのことである。その意味で平戸は、吉田松陰遊学のことと併せ、明治維新に
ゆかりのある地である。

私はまた、ホームページで歴史に関する自説を発表している山梨在住のさる歴
史評論家(34歳)に連絡をとり意見を求めた。彼の結論としては、
 自分は大室寅之祐に間違いないと思う。インターネツ卜で討論の場を設けた
 ところ、大変な反響があり、反対を含め様々な意見があつたが、結局明治天
 皇が誰であろうと「ヨリシロ」としての天皇制の意義は大きいものがあり、
 今更とやかく言つてもしようがない。
とのことであつた。

思うに、この問題は、将来天皇制を論ずる上で避けて通れないことで、これが
解明されてはじめて日本の近代史の総括が可能となるのではないだろうか。
前述の通り、すりかえの事実がもし本当であれば、正にそのこと故に天皇制の
意義が増すものと考える次第である。

ところで、私には疑問が今一つある。それは、私の母方の曽祖父井上寅之助
(1845-1913)の命名に関することである。l917年刊行の「平戸郷土誌」の中の
「平戸ノ偉人名士」の「藩臣ノ部」に次の通り紹介されている。
 井上頼徳 井上三郎左衛門頼駿ノ嫡男ニシテ弘化二年乙巳十二月九日ヲ以テ
      平戸村ニ生ル旧名左馬允又、三郎左衛門ト称シ後藩主ノ命ニヨリ
      寅之助ト称ス字ハ士終、尚亭ト号シ、兼山、鑑岡ノ別号アリ(後略)
前述の大室寅之祐という名前を知つたとき、曽祖父の名を思い出した。藩主詮
公は何故「寅之助」となのらせたのか。もしすりかえのことが真実であるならば、
詮公は当然知り得る立場にあつたと思われる。1867年6月近習役となつた曽祖
父にパロディとして命名し、後世にメツセ一ジとして伝えたかつたのか、今と
なつては知るよしもない。(注2) 更に言えば、井上寅之助の長男(1891-1978)
が戦後亜細亜大学教授として、帝国憲法による手続の欠如を根拠とし日本国憲
法無効論を説いたことには因縁めいたものを感ずる。

尚、余談ながら、昨年秋「裏切られた三人の天皇」の著者に、明治天皇の出自に
関し面談したき旨連絡したところ、電話があったが、今に至るまで実現していな
い。
                                 以 上

(注1)井上家と籠手田家は隣家同士であり、家族は亙いに出入し、籠手田安定が
 滋賀県から連れ帰った愛妾から私の祖母、姉妹(寅之助の娘達)が琴、三味線
 の手ほどきを受けたという。また井上家の今一方の隣家は沖家で、日露戦争
 の露探として横川省三と共にハルピンで処刑された沖禎介の実家である。
 私が育った家は、観光写真で有名な平戸のキリスト教会と相対して建ってい
 るが、この土地は母方の祖父が大正末期に籠手田家より購入したもので、上
 記籠手田家とは数百米の距離のところにある。籠手田安定の長男は大正中期
 陸軍砲兵大佐で退官帰郷、私の父方の祖父古川義一とは、郡在郷軍人会の連
 合分会長の前・後任者という関係であった。今から80年以上前の話である。
 尚、戦後、井上家と籠手田家の子孫は東京に移住し、敷地は残っているもの
 の、何れも人は住んでいない。
(注2)吉田松陰の幼名は虎之助で、大室寅之祐(本名は庄吉)の名はここからとっ
 たものとも思われる。「寅之助」は虎之助と寅之祐を合わせたようにも思われ
 る。「寅之助」の由来についての言い伝えは残っていない。


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