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【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:「近代経済システム」における保有余剰通貨の“価値”保存方法 《金融資産取引》〈その7〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 17 日 20:44:03:

『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:基礎 〈その1〉』から『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:近代的預金と「信用創造」(「バブル形成」の考察を含む)〈その6〉 後半部』に続くものです。


『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:基礎 〈その1〉』( http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/903.html )から、レスのかたちでぶら下がっています。
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■ 「近代経済システム」における保有余剰通貨の“価値”保存

経済主体や疑似経済主体(家計や政府)は、経済活動を営んでいる過程で、当座(数ヶ月や数年、家計では数十年や死亡までの場合も)必要としない通貨を保有する状況に遭遇する。

そのような通貨が家計や経済主体の手元に蓄蔵されたままであれば、その額に見合う輸出が行われない限り、国民経済レベルでは、労働成果財の価格が低下して経済主体の利益が減少したり、資本に転化するための通貨が不足することになる。
それらは、経済活動の停滞を意味する。家計と経済主体が揃って労働成果財に通貨を向けないことで、労働成果財の価格が理論値(通貨増加率と「労働価値」上昇率の関係)よりも低下するからである。
これを、経済指標に現れるとは限らない“根源的デフレ”と定義する。

通貨の蓄蔵から生じる経済的隘路は、預貯金を通じた「信用創造」や公的財政支出(税収に基づくものか、郵便貯金や簡易保険を含む債務ベースものであるかを問わない)により、ある程度まで打開することができる。

通貨が資本化されないことで起きるデフレ状況は、保有通貨の“価値”(労働成果財購買力)を高めることを意味するので、保有通貨の“価値”保存ということに関しては願ってもない状況である。
(労働成果財に向けられないことも資本化されないことと同じである。これは、逆に言えば、労働成果財に向けた通貨は経済主体に戻ることで資本化されるのであり、先般書いた“低中所得者向け減税を行っても結局は経済主体や金持ちに戻るもの”という表現の経済論理的な意味でもある)

しかし、戦後経済史を辿ればわかるように、そのほとんどの期間、日本で通貨を保有している経済主体が悩み続けてきたのは、通貨“価値”の劣化を意味するインフレにどう対応するかであった。


● 預貯金及び非労働成果財(金融資産)購入の目的

金貨(金属通貨)制や金本位制であれば、不要不急の保有金貨は退蔵し、不要不急の保有紙幣は兌換して退蔵というかたちで、通貨の“価値”を保存することができると考えられていた。
労働成果財の価格が下落するというデフレ状況(不況)であれば、労働成果財の生産活動に通貨を投入する意義は減少し、紙幣に対する信認性も薄らぐため(発券銀行の破綻可能性)、兌換して金貨のかたちで蓄蔵するほうが合理的になる。(金貨や金にあると主張されている価値実体性のあやふやさは既に指摘しているが、それでも、紙幣よりは信認性が高い)
このような通貨退蔵の動きに対して有効な阻止手段を持てなかったことから、デフレ状況がさらに進むという悪循環に陥った。

通貨管理制の通貨は、そのような通貨退蔵の動きを封じてしまったものである。
管理通貨制の通貨は、金本位制のように、1円=0.001gといった通貨単位と金量との公定表示がないことで、従来の通貨が持っていた機能のなかから“富”の蓄積手段を奪ったのである。

今でもゴールドバーにそれを託すこともできるが、金には価格の保証がなく価値実体のあやふやさもつきまとっている。そして、金も財であることから、インフレ傾向ならともかくデフレ傾向であれば、逆に損失を被る可能性もある。

現在、デフレ状況下で金に対する選好性が高まっているが、これは、経済論理に照らすと、管理通貨制に対して持たれている根源的な“不信”の現れと見ることもできる。
金が単なる労働成果財であるのなら、デフレ状況では価格が下がっていくはずだから、通貨のまま保有しているほうが有利なはずである。
インフレヘッジとして金を選ぶことに合理性があるとしても、デフレヘッジとして金を選ぶことに経済的合理性はない。
そうでありながら金が選ばれているとしたら、それは、意識されていようといまいと、インフレやデフレという経済事象を超えた通貨そのものさらには経済システムそのものに対する不信の突きつけである。
現状の動きは、金が単なる労働成果財ではないということを再認識させると同時に、ペーパーマネーに信認を与える基礎である社会的分業(経済主体間による労働成果財の交換)に対する不信の現れだとも言える。


経済論理にとっては当たり前のことでありながらきちんと認識されていない経済原則は、「通貨の“価値”を維持する最も確実な方法は資本化である」ということである。

おいおい、デフレ状況では、財ではなく通貨そのもので持っているほうがいいと説明したばかりじゃないかというご指摘が飛んでくるとは思っているが、原則は原則である。

原則が貫かれていないという経済状況は、誤った経済政策それも原則を歪めるほどの愚策を統治者(通貨当局を含む)が採っていることを意味する。

原則が破壊されている状況がどういう災厄を国民経済にもたらすかは、ここ数年間の日本経済を見れば少しわかるが、最終的にはそのレベルでは済まない災厄をもたらす。その内容については、別の書き込みで詳述する。
要点だけを述べるなら、通貨自体には価値の裏付けがないことや利息の源泉が何であるのかを踏まえ、通貨を保有する目的が究極的には労働成果財の購入にあることを考えると自ずと見えてくる。


戦後の「近代経済システム」は、世界レベルにおいて、長い間インフレを基調としながら推移してきた。
インフレ傾向のなかで、資本化しない通貨や財の購入に向けない通貨をそのまま手元に残しておけば、保有通貨の“実質価値”は劣化していくことになる。

これを資本化という手段以外で何とかして防ぎたいというのが、預貯金や非労働成果財(金融資産)の購入を行う根源的な目的である。

預貯金や金融取引を通じて保有通貨の実質価値を増加させたいという願望は、個々の経済主体なら実現できることもあるが、国民経済レベルでは果たせないものである。


● 預貯金による通貨“価値”の保存

通貨の“価値”を保存するための一般的な方法は預貯金であろう。
貯金は性格が異なるものなので、全般的な説明は預金をベースに行う。

預金に対して支払われる利息は、銀行が預金を使って行う貸し出しや投資で得た利息や利益の一部である。(自己資本を貸し出して得た利息はすべて銀行のもの)
貸し出しで得られる利息は、現実では違うこともあるが、経済論理的には、労働成果財を生産し販売している経済主体が得た利益の一部でなければならない。

労働成果財を生産していない経済主体や労働成果財の生産活動目的ではない支出に対しても貸し出しは行われるが、その場合に得られる利息は、株式取引で得る利益に相当する“通貨の移転”であり、論理的には労働成果財の生産活動で得られる利益に依拠するものである。(国民経済がうまく回っているときは、見えないところでその論理が実現されているのである)
個々の通貨に固有名詞があるわけではなく受取利息にも区別があるわけではないが、経済論理を考える上では、この区別と利息の源泉に関する論理は重要である。

貸し出し利息であれ、預金利息であれ、利息+元本が順調に戻ってくるのは、借り手が元本を使って利息を上回る利益を獲得したときである。
現象的にはそう説明できるものだが、経済論理としては不十分な説明でしかない。不十分な説明でとどめたままであれば、「バブル崩壊」や不良債権そして「デフレ不況」というここ十余年の経済事象を分析することはできない。

利息+元本が順調に戻ってくるのは、借り手が元本を資本化して利息を上回る利益を上げたときである。

前述との違いは“元本を使って”と“元本を資本化して”というものでしかないが、この違いが実に重要なのである。
資本化しないまま使われた通貨が生み出した利益は、非労働成果財の取引を通じた“通貨の移転”から生じたものである。これは、受け取る利息も同じく“通貨の移転”から生じたものであることを意味する。
わかりやすいく言えば、そのような利益や利息は、誰かの購買力=通貨をもらい受けたにも関わらず、その時点では、購買対象である財の増加が伴っていないのである。

これがまさにバブルがバブルであるゆえんであり、そのようなバブルが貸し出しを通じて形成されたことから、銀行の不良債権が激増したのである。

預金で通貨の価値が保存もしくは価値の減少を縮小できるのは、預金に託した通貨が、資本化され労働成果財の生産と販売の活動に利用されるからである。

預金で通貨の価値が保存もしくは価値の減少を縮小できるのは、「通貨の“価値”を維持する最も確実な方法は資本化である」という経済原則に預金が使われるからなのである。

預金で通貨“価値”が保存されるためには、家計であれば消費者物価上昇率以上の、経済主体であれば卸売物価上昇率以上の預貯金金利が付かなければならない。
(労働成果財生産経済主体はGDPデフレータで実質価値を評価するのがふさわしいとも言えるが、生産経済主体という面を強調する意味合いからも単純化して説明する)

しかし、ある時期までの家計の預貯金は、通貨“価値”の劣化を少なくする役目は果たしても、通貨“価値”を保存する役目は果たしていない。

60年代(10年間)に消費者物価は1.72倍になっているから、年率で5.57%の消費者物価上昇である。当時の公定歩合は、最低が5.48%で最高が7.30%で、ほとんどの時期が5%台である。銀行の貸し出し平均約定金利は、最低が7.35%で最高が8.20%で、ほとんど時期が7%台である。預金利子が(貸出金利−公定歩合)を超えることは稀だから、預金利子が消費者物価の平均上昇率である5.57%を超えてはいなかったと推定される。(データ未発見)

60年代は通貨発行残高が4.5倍で貸し出し残高が4.8倍と倍率が1.067だから、商業銀行が、中央銀行からの貸し出しにほぼ依存しながら、貸し出しを増加していったことがわかる。
家計部門は、預金に依存している限り、じりじりと保有通貨の価値を減少させていったことになる。それを外から補ったのが、2.76倍という実収入の増大である。

60年代(10年間)に卸売物価は1.14倍になっているから、年率で1.31%の卸売物価上昇である。定期性預金の利子が1.31%以上であれば、経済主体が預金した通貨の“価値”は保存されたことになる。
経済主体は、「労働価値」の急上昇という恩恵を強く受けることで、保有通貨=資本の価値を維持したのである。

80年代(10年間)は、消費者物価が1.23倍で年率換算2.09%、卸売物価が0.96倍で年率0.996%である。
80年代前半の公定歩合はほぼ5.00%で貸出金利は6.5%から7.1%程度である。「バブル形成期」の80年代後半は、3%と5%といったものである。
80年代は通貨発行残高が2.1倍で貸出残高が3.2倍と倍率は1.524だから、貸し出しにおける預金及び自己資本の寄与率は高まっている。
経済主体の預金は、卸売物価が下落したことから預金金利が0%でも通貨“価値”の保存ができたことになる。1%も預金利子が付けば、預金を通じて通貨を実質的に増加させることができた。これも、「労働価値」が上昇した恩恵である。

通貨の価値を保存するのは労働成果財を生産する経済主体であるから、その利益の一部しか得ることができない利息で、銀行や家計が通貨の価値を保存することは基本的に無理な話なのである。

ところが、現在は消費者物価も卸売物価もデフレであり、家計も経済主体も、0.001%の預金金利でも預貯金通貨の価値を保存どころか上昇させることができるようになっている。

「デフレ不況」になって初めて、預金が持っている通貨価値保存機能がどの経済主体の預貯金にもあまねく発揮されるようになった。
90年代はじめの高い預貯金利子時期に預貯金を行って最近その払い戻しを受けた経済主体は、通貨価値を大きく上昇できたことになる。

これは、預金が通貨の蓄蔵機能を果たしたと言ってもいい経済事象である。

ところが、現実の多くの人は、経済(生活)の先行きや預貯金に不安を感じている。
このようなパラドックスが生じている原因の一つは、まさに「デフレ不況」に陥っていることだが、テーマにふさわしい要因は「ペイオフ」である。
しかし、家計部門で考えれば、ペイオフの対象である1金融機関当たり1千万円超の預金を持っている家計は少数派である。(貯金はペイオフの対象ではないが預け入れ額の制限がある)
「ペイオフ」に怯えているのは経済主体(政府部門を含む)と一部の金持ちということになるが、これとて、量だけとはいえ巨大化したメガバンクを破綻させてペイオフを実施するわけにはいかないから、メガバンクに預金している限り、預金及びその利息は保証されていると言える。これは、個々の銀行の財務状況の善し悪しとは全く関係ない判断であるとともに、根源的には量的制限を受けない“無価値”の通貨を使っている限り可能な政策である。
このような理屈を嗅ぎ取っているから、預金が中小金融機関からメガバンクに移動しているのである。

(これは、メガバンクへの預金は安全だという主張ではない。メガバンクの預金にペイオフを適用することで生じる日本経済の未曾有の混乱を予想すれば、そのような政策を採ることは自国破壊者や愚か者以外にはできないということであり、自国破壊者や愚か者が統治権限を持っていれば話は変わってくる)


郵便貯金は、政府が家計から通貨を借りる手法と考えることができる。
郵便貯金は、中央銀行からの借り入れという過程がないので、銀行に預金される通貨よりも素性が良いとも言える。すべてが、一度は「労働価値」という濾過過程を通ってきた通貨である。

逆に恐ろしい問題は、郵便貯金が、国債や政府借り入れに近い性格のものだということである。

郵便貯金は、経済主体への貸し出しに使われるのではなく、財政投融資というかたちで公的組織の貸し出しに振り向けられたり、株式をはじめとした“投資”に使われている。

財政投融資を受けた公的組織がその事業で貯金利息を上回る利益を獲得したり、株式“投資”で貯金利息を上回る売却益を獲得できなければ、利息を支払うことができないのみならず、元本さえ払い戻しできない可能性がある。

銀行の貸し出しであれば、借り手経済主体が行き詰まれば銀行が抵当権を行使して回収したり、不良債権で処理したり、究極的には銀行の破綻で預金をペイオフで処理したりできるが、貯金の借り手や貯金者に対してはそのようなことはできない。究極的には、税金で貯金を返済しなければならない。
現在のところ、郵便貯金の安全性は、過去の貯金の払い戻しに対応できる以上の新規貯金があることで保証されるという構造になっている。

(官僚や政治家の利権問題はともかくとして、公的組織が民間企業ではなかなか取り組みにくい事業をやっていることや電電公社・国鉄・専売公社など収益性のある公的組織は既に民営化してしまっていることから、300兆円もの郵便貯金は、600兆円の公的債務に加算されると考えたほうがいいと考えている。利息付き郵便貯金については、新規貯金受け入れを中止し、収益性のある公的組織の利益から利息を払い終わった段階で、民営化=資本の通貨化をやりたければやるという道筋のほうが国民経済的には理に叶ったものだった)


● 非労働成果財(金融資産)の取引

預貯金はなじみがあるが、非労働成果財と言っても具体的には何を指すものか不明と思われるので、派生的な取引は別として中心的なものを簡単に列挙する。(投資相談コーナーではないので説明内容についてはあしからず)

非労働成果財のなかには土地という特殊な財があり、日本では地価の再評価が行われず担保能力も高かったことから金融資産的な見方が根強く、現実にも金融資産と同じ思惑で取引も行われているが、ここでは除外する。
(土地は非労働成果財であるが、農作物や建物は労働成果財である)


金融資産の取引が成立する条件は、当たり前すぎることだが、金融資産の買い手が存在することである。
買い手がいなくならなくとも、金融資産の購入に向けられる通貨の量が減少すれば、通貨がどうしても必要であれば、理論価格未満の価格で売却しなければならなくなる。
逆に、金融資産の購入に向けられる通貨の量が増大すれば、理論価格を超える価格で売却することができる。

金融資産は、あくまでも金融資産でしかなく、通貨そのものではない。


1)債券

発行主体や通貨種別を問わず、表示された利率で利払いを受け、表示された期限で元本の返済を受けるものである。
債券は、償還期限まで保有し続けなくとも、債券市場で時価で売却できる。債券価格は、金利変動を主要因として変動するものと、発行主体企業の株価変動を主要因として変動するものとがあるが、本来的債券は、金利変動で価格が変動するものである。

債券は定期性預金に近いものと考えればいいが、預金よりもリスクが高く、その代償として利率が高く、途中解約での適用利率低下というデメリットもない。債券のなかでは、主要国の国債がもっともリスクが低いと考えられ、利率も低い状況になっている。
一般的に、同じ通貨建てであれば、利率が相対的に高いものはリスクが高く、相対的にリスクが高いものは利率が高いものである。
債券におけるリスクは、利払いの停止や元本返済額の切り捨てである。担保付きであっても、日本の銀行が喘いでいることでわかるように、元本でさえ全額戻ってくる保証はない。

債券の時価は、リスク変動を除外すれば、既発債券の金利に較べて新規同種債券の金利が上昇することで安くなり、逆の場合は高くなる。(基本的に、売却時点で新規債券を購入して得られる利息額と同じ利息額になるかたちで既発債券の価格は収斂していく)


株価に連動する債権がワラント債(新株引受権付社債)や転換社債である。これらは、発行企業が株式を利用して債務負担の軽減をはかろうとするものである。
転換社債は株式取得時に新たに通貨を支払う必要はないが、ワラント債は、株式取得時に新たに通貨を支払わなければならない。


債券の購入は、経済主体が銀行を経由しないで経済主体に貸し出しを行う経済活動であるとまとめることができる。


2)株式

株式取引の対象となる株式には新規発行株式と既発行株式があるが、株式市場で取り引きされる株式は上場されている既発株式であり、通常イメージされている株式取引は既発株式の市場取引であり、ここで取り上げるのもそれである。(ここでは、部分所有権の移転を伴わないインデックス取引などは考慮外)

株式市場は、「近代経済システム」とりわけ資本主義を掲げる国民経済において、動く通貨の量と取引方法の多様性から最大の金融資産取引の場である。

株式市場で取り引きされる株式価格は、本来、発行経済主体のあずかり知らぬことであり、発行経済主体にとっての株式取引は、経済主体の部分所有権の保有者が変わるというものでしかない。(発行経済主体にとって自社の株価が経済的に意味があるのは、破綻や融資の問題を別にすれば、時価発行増資や転換社債が関わるときである)

株式市場は、経済論理的には、経済主体の部分所有権の移転取引であり、その移転価格は、債券と類似した部分所有権の果実である配当金の率によって規定されるものである。
株式には支払い通貨の返済に関する取り決めがないことから債券よりもリスクが大きく、債券利回りよりも高い予想配当金率になる株価が妥当なものである。(株価が安くなれば、同じ配当金の率は高くなる)

そして、株式売却で得た通貨の損得に関しても、他の金融取引と同じように、インフレ率を考慮して評価されなければならない。

株価は、「通貨の“価値”を維持する最も確実な方法は資本化である」という経済原則に守られて上昇するものである。
インフレで既存生産設備は相対的に安くなり、安くなった生産設備でインフレで高くなった財を生産し販売することにより、利益率と利益額が高くなることで配当金率が高くなるというのが経済論理だからである。(労働力価格も、その時点の価格基準で、およそ1年後にインフレ率が考慮されたものになる)

現実の株価を問題にすれば、債券の利率を大きく下回る予想配当金率まで上昇した株価は、経済論理的に言えばバブルである。

株式市場でバブルが形成されるという経済論理は、通貨が労働成果財の生産や販売で得られる利益の分配状況から算出される額を超えて部分所有権(株式=非労働成果財)移転取引に投じられることが基本であり、このバブルがバブルでなくなるのは、株式を手放した経済主体が、それで得た通貨を労働成果財の購入に向けたときである。
それで得た通貨で他の株式を購入したら、その売却者がその通貨を労働成果財の購入に向けたか?さらに次は?・・・・という連鎖的な問題になる。
この連鎖の数が多くなったり連鎖の期間が長くなることで、4年間で3倍といった株価上昇という巨大バブルの下地が形成される。

もう一つの要因は、ある経済主体が発行した株式の全量が価格チェックを受けるわけではないことである。
株式市場で現実に取り引きされる株式は発行済み株式のごく一部である。そのごく一部の取引で価格が形成され、取引の対象にならなかった他の株式までがその価格が評価されることで、バブルが形成され、そして、崩壊することになる。
(土地や不動産のバブル形成も同じである。売却行動を起こしていない経済主体までが、保有する株式や不動産の売却で得られる通貨額を夢想するにとどまらず、それを支えとした現実の経済活動まで行う)

このバブルが経済主体の保有余剰通貨によってのみ形成されていれば、高値で株式を売却した経済主体に通貨が移転するだけの話で済む。はっきり言えば、理論株価を上回る部分は、喜捨であり、お布施であり、他人にお金を差し上げただけの話である。そうならなかった経済主体は、経済動向に関してよほどの洞察力があるか、よほど運が良いかである。

しかし、株式市場に投じられた通貨が貸し出しを受けたものであれば事情が異なる。

“喜捨”を受けた経済主体にとっては、その通貨が、株式購入者にとって自前のものか借金したものかはまったく関係ない。しかし、貸し出しで渡った通貨が株式購入に使われ、返済時期に購入価格を大きく下回った価格になっていれば、貸し出しの利息がおろか元本までもが返済できなくなる。貸し出しの担保が借り手の既保有株式であれば、その株価も下がっていると推測されるので担保価値を減じており、「バブル崩壊」のように不動産価格も下落していれば、不動産が担保であってもその価格は下落している。
こうなれば、抵当権を行使しても貸し出しが回収できない不良債権になってしまう。
銀行が不良債権で悩む一方で、不良債権になった通貨を自分のものにして厖大な利益を上げた経済主体がいるのである。
銀行の帳簿にある不良債権に見合う通貨量が、銀行及び借り手以外のところに移転したという話である。
(日本人にそういう通貨を持っている人は滅多にいないということであれば、外国人に移転したということである)

理論価格を超えて現実の価格が上昇し、最後には銀行の不良債権分が誰かは特定できないが他の経済主体の保有通貨になるという論理は、土地が売却益を獲得する手段とみなされて取り引きされる場合にもそのまま適用できるものである。
但し、土地の方が株式よりも取り引きされる割合が少ないので、さらに、過激な動きになり、土地の担保価値性が高いので、不良債権の規模も厖大なものになる。(高く買った土地を担保にしてさらに貸し出しを受け、別の土地を買うというサイクル)


80年代に株式を購入し80年代末に株式を売却した人であれば、よほどのドジを踏まない限り、消費者物価の上昇をはるかに超える売却益を上げたはずである。(85年から89年の4年間に平均株価で3倍も上昇した)
90年以降も、空売りを巧く使った経済主体は大きな利益を上げたはずである。
88年や89年に株式を購入し、今なお保有している多くの人は、売却しても購入時の通貨を遥かに下回る通貨しか手に入れないはずである。

株式市場の今後について経済論理的な見通しを考えると、株価は下落せざるを得ないという結論になる。それは、これまでの説明でわかるはずである。

株価も、「通貨の“価値”を維持する最も確実な方法は資本化である」という経済原則に従うものだから、まず、資本が生産する財がデフレという状況であれば、株価も下落して当然である。
否そんなことはないと株価の上昇に期待して多くの通貨が株式市場にとどまり続けると、それらは労働成果財の購入に向けられない通貨なのだから、ますますデフレが進むことになる。
デフレは、生産活動に通貨を投じるよりもそのまま保有しているほうが有利な経済事象だから、ただでさえ経済主体の活動を低迷させるものである。
株式市場に多くの通貨が浮遊し続けている状況や日本円が海外にとどまっている状況(ユーロ円など)はそれに輪をかけるものだから、経済主体の活動及び活動成果はさらに低迷し、「デフレ不況」が深化することになる。

経済論理価格を超えた株価維持政策は、「デフレ不況」をさらに悪化させると同時に、株価の下落圧力をさらに貯め込む政策でしかないのである。

このまま愚策が継続されていけば、株価が上昇傾向に転じるのは、ハイパーインフレになったときであろう。それは、500万円で購入した株式を1000万円で売却できるが、購入した時点の500万円で買えた労働成果財よりも、売却時点の1000万円で買える労働成果財のほうがはるかに少ないというものである。

悪夢を見たくないのなら、統治者は、防御措置のみ構じて、株価の推移は放置しなければならない。(声高に叫んでいる自由主義経済なのだから日本は...(笑))

債券の取引であれば利回りに固執するが、長期右肩上がりの株価に慣れ親しんだ“投資家”は、株式に対して売却益しか頭にないようだ。
購入できる株価の根拠としていろいろな値が利用されているが、取り引きされている株式は発行済み株式の一部でしかないことや株式は値下がりどころか紙屑同然になるということは忘れられがちのようである。

株価上昇局面ではもっと上がるだろうという期待感から、保有株式の売却は控えられる。これが、株価を押し上げる支えでもある。少ない量の株式しかないから、今後株価が上昇すると多くの経済主体が考えれば、価格は理論値からより乖離するかたちで上がっていく。上昇率が高く上昇局面が長いほど、この傾向が強まる。

逆に、株価下落局面ではもっと下がるだろうという不安感から、保有株式の売却が促進される。これが、株価をさらに下げる圧力になる。多量の株式が市場に出るから、価格が下がるのである。下落率が大きく下落局面が長いほど、この傾向が強まる。
株式はそのままでは財の購入に使うことができないものである。売却を通じて通貨に転換しなければならない。この論理から、株価下落局面だと多くの経済主体が考えると、損失であってもできるだけ多くの通貨を早く確保しておきたいという動きを誘発し、保有株式の売却が加速されていくことになる。

これらは、現実の株価が思惑だけで変動していることを説明したものであり、株式の売買に関する助言ではない。
株式を保有している人は、思惑の交錯から株価は直線的な変動ではなく波動的に変動することや個別銘柄は必ずしも全体の動きに従うものではないことを考慮して、自由な選択をすべきである。(不況だからこそ業績がアップするという経済主体もあるだろう)


増資を含む新規発行株式について一言。
新規発行株式も、払い込みされた通貨が必ずしもこれまで説明した意味での資本化に結びつくとは限らないものである。払い込みを受けた通貨で、他の会社の既発株式を買ってもいいし、その他の金融取引に使ってもいいからである。
世の中が財テクブームであれば、借金してまで財テクをやろうという経済主体もいるくらいだから、将来は必要かも知れないが当座は必要ないという財務状況で返済しなくてもいい増資(それも時価発行)を行って、財テクに使った経済主体もいるだろう。(このような増資で増えた株式のために、1株当たりの配当金が減少したり0になったりして、理論株価が下落した企業もあるはず)
このようなことを捨象すれば、新規発行株式は、株式発行→払い込み→資本化という流れである。

一方、80年代に民営化されたNTTやJR(一部)の株式売却と上場は新規発行株式とは異質のもので、その流れは、資本→株式化→売り出しと逆になる。
資本全体の所有者であった国家が、資本を株式化してその一定部分を売り出して通貨に転換するというのが民営化である。


3)資産担保証券

最近は不動産の証券化が注目を浴びている。

これは、経済主体が、不動産に固定化した資産を通貨に転換したり、債務を減少する目的で行うものである。

抵当証券に代表されるものは債券に近いもの(債権)で、SPC(特別目的会社)の出資証券に代表されるものは株式に近いもの(部分所有権)だと考えている。

SPC(特別目的会社)の出資証券というかたちでの不動産の証券化は、公営企業の民営化と同じで、資本の通貨化である。

これらの安全性や収益性が、究極的には、不動産価格(=不動産賃貸料)に依存している。
証券の購入に向けられた通貨が、貸し出しの返済に回って銀行の財務改善に使われるだけであればデフレすなわち不動産価格を押し下げる方向に働き、新規ビルの建設に使われるのであればデフレ解消方向に貢献するが、不動産の供給増加になるので不動産価格を押し下げる方向に働く可能性がある。
そして、不動産を通貨に転換した経済主体は、デフレが進むことで有利になるという簡単な説明にとどめる。


この他、他の通貨で保有通貨の価値を保存したり増加させる外国為替取引もあるが、それは、外国為替レートに関する説明をこれまでにも行っているので省略する。


次回以降は、「銀行が保有通貨の価値を保存する方法」・「金利の問題」・「土地の問題」・「保険や年金の問題」・「財政支出=公共事業の問題」・「余剰生産力の問題」などを考える予定。


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