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【「近代経済システム」の終焉を告げる「21世紀デフレ」】 活動力の「非保存性」と通貨の「蓄蔵性」という根源的矛盾 投稿者 あっしら 日時 2002 年 10 月 23 日 16:49:31:

日本経済というか日本国民の経済的回復策として「デフレの解消」を唱えながら、デフレを抜け出すことができない“宿痾”とする“不謹慎”な投稿になるが、先を見通しながら現実の問題を解決していく構えが重要だと考えているのでご了承いただきたい。

現状の日本は政府の合理的な政策と企業の合理的な経営によってデフレから脱却することができるが、その先に待っているのはやはりデフレ状況である。

それでも「デフレの解消」を主張するのは、現在の経済論理ではデフレが経済的災厄をもたらすからであり、デフレが災厄とはならない経済論理が現実化されていないからである。

倫理的な観点ではなく経済論理の観点から、多くの勤労者が「実質可処分所得」を減少させ、「老齢年金」の負担増加と支給切り捨てという現実が生まれているかをじっくり考える必要がある。

日本経済は、近代化を志向して以降、壊滅的な戦争期はあったとは言え経済的発展を続け生産性も上昇させてきた。
長引く不況とはいえ、諸外国に生産した財を超過的に輸出していながら、財の供給力はあり余り、デフレが進行しているように財の供給も“過剰状況”にある。
このような経済条件の日本で、多くの勤労者が「実質可処分所得」が減少し、「老齢年金」の負担増加と支給切り捨てがスケジュール化し、財政危機のなかで消費税の引き上げが求められている。

端的に言えば、多数の国民が生涯を通じての生活条件を低下させられたり低下されられようとしている現実は“異常”なのである。

その“異常”さを、不況だから、構造改革過程だから、高齢化社会だから、財政危機だからというような戯言で説明されて納得する(騙される)ようでは、現実の問題を解決することはできない。

量的規模である生産力が拡大し、活動力の質である生産性が上昇していながら、それに反するような国民生活切り下げという変動を生じさせている論理(わけ)を掴まなければならない。

(論理はわからなくとも、自己防衛・直感・感情に依拠して、「ここまで頑張ってきたのにふざけるな!給与を上げろ!公的負担比率を引き下げろ!年金支給水準を最低でも維持しろ!」と叫び行動することこそが、「デフレ不況」を解消させる最短の道である。それを率先してやろうとしない「連合」なる組織は蒙昧である)

「不況だから」:不況になった理由が問題なのであり、その結果で生じた問題の原因を不況に求めるのは思考停止以外のなにものでもない。

「構造改革過程だから」:デフレという経済事象はそれ自身がスパイラル的にデフレを悪化させるものであり、デフレを加速させる構造改革を進めれば国民生活はいっそう悪化する。

「高齢化社会だから」:今後ますます高齢化は進んでいく。高齢化社会に対応するという名分で高負担・低支給を追求していけば、現役世代はリタイア世代のために働く比率が高くなり、リタイア世代も生活水準を切り下げることになるから、経済社会は崩壊的様相を呈するようになる。

※ 『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:国民経済における余剰資本と余剰通貨 《年金問題の本質は“高齢化”にあらず》』
http://www.asyura.com/2002/dispute2/msg/121.html


「財政危機だから」:財政がぎりぎりの状況で公的債務を返済しながら財政支出を継続するためには消費税増税などのかたちで国民負担増加を求めるのは、国民経済をさらに低落させ、税収そのものも減収になりより財政危機が深化する自滅政策である。


国民生活水準が切り下がったり切り下げざるを得ない理由付けがデタラメだから、より国民経済が悪化し、国民生活がより低下していく愚昧な政策を平気で提示したり実行することになるのである。

利潤(消費や投資に使われない“退蔵通貨”)が経済社会に害悪をもたらすという認識を持たなければ、「21世紀デフレ」問題を乗り越えることはできない。

(貧富の差を問題にしているのではなく、財や用役の購入に使われない通貨の存在を問題にしている。天下の回りものである通貨がデッドストックになっていることが、「21世紀デフレ」の根源要因である)

この問題についてはこれまでもいくつかの投稿を行ってきたので、いちばん根っこと考えている経済論理について説明したい。


● 活動力の「非保存性」と通貨の「蓄蔵性」

資本は、活動力・生産手段・活動対象を一体的な活動過程に組織化する主体である。
そして、生産手段である機械設備も原材料や中間財も、人々の活動力に還元できるものであるから、資本は、現在の活動力と過去の活動力が有機的に結合したものと言える。

このような意味で、資本の大きさを表現するものでもある通貨は、組織化された活動力の量を示す表象である。(財の価値実体については「労働価値」説を採っている)

消費や投資に使われない“余剰通貨”(退蔵通貨)が生じるのは、活動力は保存できないものでありながら、その表象である通貨が蓄蔵(保存)できることに拠る。
(物理的には保存できる財であっても、販売して通貨に転換しなければ経済主体は存続できないのだから、活動力と共に財も保存性がないと言える)

消費は通貨が資本化される過程であり、投資は資本が消費を行う過程であるから、“余剰通貨”は、資本化されない、すなわち、資本活動(本源的には幅広い意味での生存維持活動)に使われない通貨ということになる。

保存できない活動力の表象でしかない通貨が保存できるというパラドックスが、私的所有を基礎とし利潤追求を活動動機とする「近代経済システム」に様々な歪みを生じさせる。
活動力こそが“富”の源泉であるのに、その表象である通貨のほうが価値が高いと思念(錯誤)しているのが近代的価値観を産湯に使った人々の特質である。

「(資本)活動力の総和=通貨総量」であるはずなのに、使われないまま保存される“余剰通貨”が生まれれば、活動力の総和=財と用役の総和>通貨総量となり、“余剰通貨”が増加すればするほどその落差が拡大する。
これが、利潤という名での通貨蓄蔵を高らかに是認する「近代経済システム」が抱えている根源的なデフレ・ギャップである。
(「信用創造」や財政赤字支出で使われる通貨は退蔵されている“余剰通貨”ではなく使われている通貨)

「近代経済システム」の200年ほどの歴史は、このような根源的デフレ・ギャップを様々な手法でなんとか抑え込む過程であった。

※ デフレを抑え込む手法については下記の書き込みを参照

『“デフレ”は「近代経済システム」が根っことして抱えている“宿痾” − 不良債権処理や金融緩和政策でデフレは解消できない −』
http://www.asyura.com/2002/hasan15/msg/695.html


21世紀を迎えた世界は、「近代経済システム」が抱える根源的デフレ・ギャップを抑え込む手法を枯渇させつつあるのに、デフレ・ギャップの現出を破壊ではなく好ましいものとして活用できるシステムを確立していない。

「21世紀デフレ」を乗り越えるためには、活動力こそが“富”の源泉であるという価値観に立ち返り、“余剰通貨”を資本化する政策と経営を行うしかないのである。

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