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Re: 「金の延べ棒発見」 エイプリルフールでした 台湾、一時大騒ぎ(東京新聞) 投稿者 PBS 日時 2002 年 4 月 06 日 10:18:56:

(回答先: 「金の延べ棒発見」 エイプリルフールでした 台湾、一時大騒ぎ(東京新聞) 投稿者 sanetomi 日時 2002 年 4 月 04 日 00:15:48)

◆2億6000万円の黄金!

 4月2日に興味深いニュースが飛び込んできた。

 『南アで発見の黄金200キロ、孫文への革命資金か』というニュース。発信元は朝日新聞ニュース速報。以下にその本文をご紹介してみよう。

 「南アフリカのキンバリー鉱山で見つかった100年近く前の金の延べ棒200キロ(200万米ドル相当)の行方が話題になっている。一緒に見つかった毛筆の手紙に、金の送り先として孫文が率いた革命団体『中国同盟会』が指定されていたからだ。台湾の国民党は同盟会の後継者として権利を主張する構えだが、中国も感心を示しており、中台の黄金争いになるかもしれない。2日付の台湾紙・中時晩報が南アの『華僑新聞報』の報道を伝えた。

 2人の労働者が3月下旬に竪坑で、さびついてずしりと重い3個の金属の箱を見つけた。3個の箱には手紙が残されており、『国家の興亡、匹夫に責あり』という内容とともに、中国船の船主に託し、同盟会の人に渡すように書かれていた。

 南アの金鉱では17世紀から中国人労働者の存在が知られている。手紙の内容が真実だとすると、孫文の思想に共鳴した華僑たちが、清朝打倒の革命資金として金の延べ棒を用意したようだ。

 問題はこの『落とし物』の持ち主の特定だ。1905年に結成された同盟会は後に分裂するが、11年の辛亥革命を経て他の政党もまとめて中国国民党につながった。このため、国民党は南アで訴訟を起こしてでも所有権を主張する意向だ。一方で南アにある中国大使館にも金の話が伝えられており、こちらも所有権を争うと伝えられている。」
〔2002-04-02-19:20〕

 2億数千万円の金の延べ棒といえば、これは誰でも欲しくなる。しかし元々の持ち主は百年近く前に南アにいた華僑で、その正当な受取人が孫文の「同盟会」となると、話はきわめて複雑だ。

 ところがこのニュースが流れた翌日(4月3日)、時事通信が以下の情報を流した。

 『孫文への寄附金?南アで孫文あての金の延べ棒?―だまされた台湾メディア―』

 「【台北2日時事】南アフリカ共和国の鉱山の坑道で、約百年前に中国人労働者が埋めた金の延べ棒が大量に見つかり、それは中国の革命家、孫文らが進めた運動への寄附金だった――。南アの華字紙がエープリルフールの一日、こんな“おふざけ報道”をして、台湾のメディアがまんまとだまされた。
 『中国と台湾が獲得に乗り出した』とも報道されたことから、二日付の有力夕刊紙・中時晩報が一面トップで詳細に報じたほか、ケーブルテレビのニュース専門チャンネルもこの『ニュース』を伝えた。
 南アの華字紙は、『延べ棒』は『計二百キロ(時価二億六千万円)』もあり、これと一緒に『(孫文らが一九〇五年に結成して中国国民党の前身となった)〔同盟会〕に延べ棒を渡すよう指示が書かれた書簡』も見つかったと報じていた。」

 つまり200キロの金の延べ棒の話は、エイプリル・フールの作り話だったというのである。騙されてしまい、一面トップをこの記事に割いた台湾の新聞は世界中の物笑いのタネとなってしまった。
 ……で済む話だったはずが、なおここには奇怪な情報が存在するらしい。

 「金の延べ棒は実際に見つかっている。それも3月に見つかったのだが、わざわざ4月1日に発表して誤魔化したものだ。南アフリカには当時すでに中国系秘密結社の紅幇のメンバーが多数入り込んでいた。孫文の革命は実態は紅幇による革命で、その資金を南アの紅幇が拠出しようとしたのは当然だった」という情報がある。

 この時代のことをザッと眺めてみよう。

 日清戦争によっていよいよ落日が明らかとなった清王朝に対し、当時28歳の若き革命家・孫文は1895年(明治28年)に広東省広州で最初の武装蜂起を企てる。だが密告で計画が発覚し、孫文は同志二人と日本に逃れる。

 ここで孫文は清王朝圧政の象徴であった弁髪を切り落とし、「革命家」を名乗る。このとき孫文が革命勢力の同胞としたのが、「反清復明」(清王朝を打倒し、漢民族の国家〔明〕を復活させる)の言葉の下に結集されていた秘密結社・紅幇(洪門)であった。実は孫文自身もまた紅幇の一員だったことが明らかにされている。すでに当時、紅幇は世界各地にメンバーを配置し、さまざまな階層社会のなかに「反清復明」を誓う密かな存在が広がっていたのだ。

 また孫文は9年間にわたり日本で亡命生活を過ごしたのだが、ここで彼は、後にアジア革命運動の支援者として知られる宮崎滔天、あるいは国家社会主義の理論的指導者となった北一輝らと同志の絆を結んだのである。今回の金の延べ棒の受取人として名が出た「中国同盟会」は、1905年(明治38年)に東京で結成されたものだった。

 孫文はその後10回の武装蜂起を試み、ことごとく敗退している。そして孫文が日本に亡命しているなかの1911年(明治44年)10月10日、武昌(湖北省=現・武漢市)で起きた11回目の蜂起がついに成功し、翌年1月に南京で「中華民国臨時政府」が樹立され、臨時大統領に孫文が就任したのだ。欧米列強によって国土のほとんどが植民地化されていた清王朝は、孫文の勢力によってついにその命脈が絶たれた。

 孫文革命の成功は、革命勢力の主体となった秘密結社の存在と、革命支援基地としての日本の存在があった。

 以上の歴史の流れを読むと、清王朝を倒し漢民族の国家を樹立させることに世界中の華人たちが協力した事実が浮かび上がってくる。しかも孫文の同胞であり、「義」のためには生命を厭うこともない秘密結社・紅幇のメンバーとなれば、その熱意は並大抵のものではない。

 南アの鉱山に「中国同盟会」宛の金塊があっても不思議ではないのだ。そして、もし本当に2億数千万円分の金が存在したとすれば、それは表の世界に登場するようなものではない。

 今回の金の延べ棒騒動、はたして『4月馬鹿』のお笑い情報だったのだろうか。

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