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参考まで 投稿者 ウッチャー 日時 2002 年 9 月 14 日 08:39:40:

(回答先: Re: 朝日はイラク戦争に必ずしも反対でないように感じる。 投稿者 ウッチャー 日時 2002 年 9 月 10 日 18:57:30)


今では米国のメディアも、見本になるような状況でもないのではないかと思われます。
日本に比べたら、やはりましと言うほかないのですが…

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97/06/21: ◆ニュースの眼 検証・ペルー事件報道 足の引っ張り合いでいいのか

 「テレビは二十四時間公邸を照らし出していたが、果たして事件の本質を伝え
ることはできたのか」――十三日、東京都内で行われた「ペルー大使公邸人質事件」
報道をめぐるシンポジウム(主催・マスコミ倫理懇談会全国協議会)の席上、テレビ
朝日の早河洋報道局長がこう語った。
 テーマは「いま マスコミに問われているもの」。登壇した共同通信、
産経新聞、TBSといったメディアの幹部からも、当局の厳しい情報統制下にあ
って、国民の「知る権利」に応え切れなかったという反省が異口同音に語られた。
 「知る権利」という言葉を聞くと、ベトナム戦争当時、米国防総省の秘密文書
、いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」の報道をめぐる論争が思い起こされる。
 この秘密文書をすっぱ抜いた『ニューヨーク・タイムズ』を相手取り、
米司法省は連邦地裁に文書の公表差し止めを請求、地裁は三日間、記事の
掲載中止を命じる。報道が権力に押さえ込まれようとしたその時、すぐさま今度
は『ワシントン・ポスト』が文書の掲載に踏み切ったのである。この報道で『
ポスト』は『タイムズ』と並ぶ一流紙の地位を確立したといわれる。
 ひるがえって日本の現状はどうか。今回、ペルーで行われた強力な情報統制に
対し、共同通信やテレビ朝日系列のカメラマンらが「公邸内取材」を実施した。
 ところがその後、日本のマスコミはこぞって共同・テレ朝批判を繰り返し、
結果としてマスコミ同士が足を引っ張り合う形になった。権力の論理になびきが
ちなこの姿勢は、日本のマスコミにはびこる“発表ジャーナリズム”の病理と
無関係ではないように思える。
 権力側は、常に自分たちに都合の良い情報を流し、都合の悪い情報は隠ぺいす
る。情報操作の壁を打ち破り、国民の「知る権利」を守るためには、米国のよう
に権力に対するメディア側の団結が不可欠であると痛感した。(落合克志記者)
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米国で日刊新聞「ニューヨーク・タイムズ」が創刊された日 9月18日(1851)


1851年の今日,アメリカの代表的な高級紙である「ニューヨーク・タイムズ」が創刊された。「ニューヨーク・タイムズ」と改称されたのは1857年のことなので,正確には「ニューヨーク・デイリー・タイムズ」がデビューしたのが,148年前の今日のことになる。急進的な論調で人気のあった「ニューヨーク・トリビューン」紙で,記者をしていたヘンリー・レイモンドが,ジョーンズとウェスリーという2人の銀行家と共同で,正確で公正なニュース報道をモットーにスタートした。
4ページでスタートした同紙は,やや保守的ではあるが誇張のない正確な報道と,1部1セントという安価さが人気を呼び,4年後にはトリビューンと拮抗する有力紙となった。しかし政治の世界に身を置くようになったレイモンドが,南北戦争(1861〜65年)の後に南部への寛大な処置を説いたため,多数の読者を失ったという。また,1890年代に入ると,ピュリッツァー賞に名を残しているピュリッツァーの「ニューヨーク・ワールド」紙と,ハーストの「ニューヨーク・ジャーナル」紙などの新興大衆紙に押されて,売り上げはさらに下降線をたどった。
90年代に入って,破産の危機に瀕した同紙を救い,今日の基礎を築いたのはオックスだった。印刷工から編集者,そして新聞発行者へという叩き上げの実業家であった彼は「印刷に値するすべてのニュース」という新しいスローガンのもと,取材網の拡大,日曜版の強化,イエロー・ジャーナリズムとも呼ばれた大衆紙ではあるが良い点は積極に取り入れ,それをニューヨーク・タイムズらしい上品さで提供する,という体制を築いた。価格も3セントから再び1セントに値下げされ,発行部数は3年で4倍の10万部に伸びたという。
第一次世界大戦では,その取材網を総動員した精力的な報道で世界に注目され,第二次世界大戦後には,創刊以来のライバル「ニューヨーク・トリビューン」紙を破って,アメリカの主要な新聞と目されるようになる。1963年のことだが,前年から続いた100日以上の新聞ストが解決した後,休刊中の様々な記録を掲載した702ページ,重さにして3キロ以上という超特大の日曜版を発行するというユニークなサービス精神で,世間をあっと言わせたこともある。
 1971年には,ベトナム戦争にからむアメリカ国防総省の機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を入手した同紙は,特集を組んでの報道を決意。この文書は,ベトナム戦争が泥沼化した66年ごろから,政府が将来の教訓とするために作成させた分析記録で,反戦運動の起爆剤としてコピーが密かに持ち出されたものだった。ニクソン政権により記事差し止めのために告訴されたが,最高裁判所の裁定によりタイムズ紙が勝利をおさめ,その結果,政府印刷局は全12巻の公刊を余儀なくされたのだった。
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