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ゾクチェン入門 (その1) 中沢 新一
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投稿者 洞窟の中で 日時 2003 年 3 月 15 日 20:53:20:

ゾクチェン入門 (その1) 中沢 新一
 これから二日にわたってゾクチェンについてお話をしていきます。ゾクチェンにつ
いて話すと言ってもこれはとても難しいことで、知識とか情報のようにしてみなさん
に何かを伝えることは不可能なことです。知識を超えたもの、霊性、スピリチュアリ
ティというものを少しでもみなさんにお伝えすることができればと思います。

 普通の講義とか勉強の場合ですとこのまますぐ始めますけれども、人間の心の非常
に深い部分に関わっていることですから、これはもう人間の力だけではとても何かを
伝えるということはできません。ですから、チベット人もいろんな深い教えに関わる
ときにはとても最初は緊張して、みなさんに心構えを準備してもらうようにしていま
す。まあ、チベット人の場合は、何かの講義のような場所に来る時には、最初からそ
れなりの心構えをしているものですが、ただ、私たちはこの日本にいますし、なかな
かこの世の中にあふれているいろんなものを超えた力で、心の中にある一番深い魂の
部分に触れるようなことを伝えることは、非常に難しいです。そのために始めにお祈
りをしないといけないと思います。

 (プリントを開いてみてください。)

 最初にある言葉は、グル・パドマサンバヴァに加持の力(私たちの心に人間の力を
超えた力)を与えて下さい、というお祈りの言葉です。 知っている方もいらっしゃる
かもしれません。知らない方は心の中で唱えて下さい。

 (お祈り。グル・パドマサンバヴァの七行詩)

 さて、これから二度にわたってゾクチェンについてお話をしようと思います。僕は
今まで人前でゾクチェンについて話をしたことはありません。ですので、今日は初転
法輪というか(笑)、初めてのことになります。

 ゾクチェンを勉強し始めてから20年近くたちますが、今でも20年前にゾクチェンを
勉強していた時の光景は細かくいろいろ憶えています。僕が初めてネパールへ行って
チベットのお坊さんたちに会った当時(1979年)、日本ではゾクチェンという言葉は
ほとんど聞かれませんでした。ものの本を見ると、そういうものはないと書かれてお
りましたし、先生方の間でも「昔はあったけれど今はないんだよ」というふうに言わ
れていました。ところが今はアメリカでもたくさんゾクチェンの本が出されていてい
ますし、夢のような気持ちがします。初めて向こうに出かけてチベット人の元で勉強
し始めてみますと、ゾクチェンという言葉がいっぱい飛び交っているわけです。山の
中にいくとゾクチェンの行者さんたちがたくさんいました。今は、ネパールでも、シ
ッキムでも、ブータンでもあまり数は見かけなくなってしまいましたが、昔はたくさ
んのチャクチェン(マハームドラー)の行者やゾクチェンの行者さんたちがいました。
山の中で一人で暮らしている方が多かったです。洞窟の中で修行している人も多いし、
小屋の中で一人で住んで修行している方もいました。その姿かたちがまた凄かったで
す。トクデンという人たちは長い髪の毛を何メートルも頭の上に大きな塔のようにし
て結い上げ、もちろん洗いませんし、お風呂も入りませんから、近くへ行くとなかな
か壮絶な臭いのする方たちが(笑)山の中で一人で暮らしていました。その人たちは
何日もかかって行かなければならなりませんでした。僕も最初の頃はゾクチェンもチ
ャクチェンも知らなかったので、何を聞いていいかも分かりませんでしたが、側にい
るだけでなにか非常に静かな波動が伝わってくるようでした。たくさんのこの行者さ
んたちを見かけましたが、その頃はもうお年でしたから、あれから20年たった今はほ
とんどいなくなってしまいました。今ネパールの山の中に出かけて行ってみても、そ
ういうゴムチェンとかトクデンと呼ばれるような方たちは本当に数が少なくなってし
まっています。ですからそういう人たちを最後に見かけることができたのかもしれま
せん。外国には何人かでていらっしゃいますが、それでもチベットの周辺部の山にい
る方たちというのは全然趣の違う方たちでした。

 僕はゾクチェンをケツン・サンポ・リンポチェから学びました。とてもやさしい方
でした。そしてある意味ではとても厳しい方でもありましたが、本当に手取り足取り
この教えを教えてくれました。最初のゾクチェンの教えの段階がクライマックスにく
る頃、ゾクチェンというのはやはり加行をしなくてはいけません。昔の本を読みます
と、「同じ所に一日だって留まってはいけない。いつも場所を替えなければいけない。
人に見られてはいけない。服を一糸まとわず素っ裸にならなければならない」と書か
れているわけですね。で、先生がその教えの時に、「これからンゴンドゥ(加行)と
いうのをしますから、あなたは素っ裸になって森の中へ入って、誰にも見られないよ
うにして、毎日居場所を替えるようにして、一週間ほど暮らしてください。そして戻
ってきたらあなたにワン(灌頂)を与えますから、その間一生懸命修行してください」
と言いました。

 先生はそのころボードナートという、チョルテンがあって、わりあい人だかりがす
る場所の近くに住んでいましたから、森を探すのが僕のひと仕事でしたけれども、近
くに王様のゴカルナの森というのがあって、その頃は今と違ってわりあい管理がいい
加減でしたので、僕がまるで乞食のような格好で大きな荷物をしょって、ゴザなんか
付けておっちらおっちら公園の中へ入っても、別に咎められもしない時代でした。公
園の中の一番奥まったあたりの、猿や鹿が非常に多いところでしたが、そこに小さな
広場があって、ここがいい、ここを修行の場所にしよう、と、そこへ筵を敷いて洋服
を全部脱いで素っ裸になってンゴンドゥを始めるわけです。

 これをどうして人に聞かれないようにするかというのはすぐにわかります。まるで
気違いのようにならなければいけないと書かれています。心の中にあるものを全部音
にして出しなさい、と言うわけです。怒りがあったらそれを全部大きな声にして吐き
出してしまう。そのためにはどんな汚い言葉でもいい、どんな気狂いぢみた言葉でも
いいからその周りに向かって吐き散らすんですね。そして、吐いて吐いて吐き散らし
て、心の中に何も残らないぐらいになるまでそれをやりつくさなければならない。そ
れから、人間以外の生き物がどういう心をしているかということを知らなければいけ
ない。これは今の生物学では不可能だと言っていますが、不可能は不可能なことで、
確かに、あなたはミミズになりなさい、犬になりなさい、猿になりなさい、というふ
うに言いますが、なかなかこれは生物的には難しいことです。けれども、何を言いた
いかということはわかりますね。この世界にある心というのは人間の心だけではなく
て、人間の心のもっと大本になっている心がある。この心はもう心というものを超え
ているので、別の言葉で、‘セム・ニー’とか‘イェシェ’とかいろんな言葉で言い
ますけれども、人間の心を超えたものがこの世界にはいろんな生命の形になって現わ
れてきている。あの動物たちは進化の過程であの心になっているし、人間は人間の心
になっている。その大本の心を超えたものを捕まえなければならないから、まずその
ためには、この世にある心が人間の心だけではない、ということを知らなければなら
ないわけですね。仏教では‘セムチェン(有情)’ということを言います。これは意
識を持つもの、動物のことを言います。ですからウィルスなどもセム・チェンにはい
るわけですが、このセム(心)・チェンが世界には満ち溢れている。私たち人間も心
を持っているけれども、これもセムの一つの現われです。そしてこういう心がどうし
て作られてきているかというと、長い進化の過程で作られているものですね。どうし
てこんな脳の形をしているんだろうとか、この脳を使ってこういう言葉をしゃべるよ
うになっているんだろう。そのもっと大本をたどっていった時に、心を超えた働き−
霊性(スピリチュアリティ)という言葉が一番いいかもしれません−へたどり着いて
いかなければいけない。ですから他の生き物を見ても、その生き物が自分と違うもの
だと見てはいけません。それはなぜかというと、その大本のセムニーというものがこ
の犬や牛の心の働きとなって現われているわけですから、これらは全く自分たちと兄
弟ですし、全く異なるところがないものです。そのことを知るためには、私たちが心
の中にあって人間として考えていること感じていることの全てを超えたところに、も
っと別な心の現われ方がある。そしてその心の現われ方−猿や犬の心の現われ方−の
もっと大本があるはずだ、そこへたどり着いていくためのものが、実はゾクチェンの
教えということで、そこへ行くためにいろんな準備をします。そのためにはまず、自
分の心の中に何があるかということをすごく観察しなければいけません。人間として
作られている自分の心がどんな歪みをもっているか、怒りはどこからどんなふうに出
てくるのかを全部観察しなければなりません。これができるためには自分の心を隠し
ていてはだめです。感情とか、自分が本当は欲しいものだけれど表に出てはいけない
ようなものを、心の中に隠してはいけないです。ですからそれをまず知るために、自
分の心の中に何があるか、自分の心のおもちゃ箱をまず全部ひっくり返してみる必要
があります。そうすると怒りがあったり、嫉妬があったり、妬みがあったり、隠され
た欲望があったり、たくさんのものがこの心のおもちゃ箱に入っています。それをす
るために森に入って自分の心の中を全部ひっくり返すことをしてみます。そうして、
ここにこんな在庫品があったんだ、本当に汚い心がこんなところに隠されているんだ、
どうりで自分はいつも変な行動をするけれどもそれはこんなところから出ているんだ、
ということを全部見届けないと、人間の心というものがどういうふうに造られている
のかわからない。これがわからないとゾクチェンと呼ばれているところまで踏み込ん
でいくことができないんですね。ですからこれを行うために何日も森に入って、洋服
を脱いで(=トゥグロー・メーバ)、クンツサンポのようにまっ裸になって、心を制
約するもの、自分を縛っているもの、こういうもの全部を解いて(捨てて)、と、言
ってももちろんその段階ではそんなことできてはいませんがその気持ちになって、心
が素っ裸なあのクンツサンポの状態になって自分の心をまるで透明な鏡に写してみて、
あ、こんな形をしているんだ、こんな歪みをもっているんだ、ということをずっと見
届けないといけません。

 それから、他の生き物の心というものがどういうふうになっているか、それを体験
するためにはその生き物になってみないといけません。これは演劇学校でよくやって
いることと似ているかもしれませんね。日本の暗黒舞踏というのを帰って来て見まし
たが、同じことをしているのでびっくりしました。女の子が半日木にしがみついて蝉
の心になる訓練をしていましたけれど、まあ、あんなものですね。ゾクチェンのンゴ
ンドゥが森の中でやっているのは、日本の暗黒舞踏とよく似たことをやっていると思
います。いろんな動物になります。叫び声を上げたり、泣いたり、笑ったり。とにか
く心の中にある在庫品を全部だしてしまわなければならない。そして、こういう心が
いったいどこから来ているのかというところの近くまでたどり着くようになるために
は、何日も何日も一人でこれをやらなければいけないと言われていたわけです。僕は
二週間近くやりました。そして、さんざん騒いだし、吠えたし、笑ったし、泣いたし、
さあ、それじゃ先生のところへ行ってみようと、先生のところへ出かけて行って、先
生に、こういうことをしました、こういう体験をしました、ということを申しました
ら、「これからゾクチェンのワンを行いましょう」と言って、その翌日の朝、今度は
先生も筵を持って乞食のような格好をして森の中へ入って行きました。

 誰にも気づかれないよう早朝出かけました。太陽が中天に差し掛かって光が強くな
った頃、ワンを行いました。このとき僕は昔の本に、「弟子も先生も素っ裸になれ」
と書いてあるのを読んでいましたので、先生の前で洋服をぽんぽん脱いでいったら、
「いや、いや、そこまでやる必要はない」(笑)。先生は上半身裸になって、僕もせ
っかく脱いだのでそのまま裸で灌頂を受けましたけれど、その時の光景はよく憶えて
います。太陽光線の強い光の中で太陽が非常に重要な働きをするヨーガを勉強します。
ほとんど裸の状態でおこなって、「心(魂、日本語ではなかなかうまい言葉がないで
すねー、霊性、スピリチュアリティー…)これは少しも固まっていません。流動して
います。いつも動いています。そして透明に輝いています。これをあなたの中に注ぎ
込みます」と先生は一気にそれを注ぎ込んでくれました。その時の灌頂の中で言って
る言葉には、非常に背筋が凍る思いがしました。「セム・カン・イン(心は何か)」
ということを繰り返し言うんですね。それからまた、「ケラン・スー・イン(あなた
は誰ですか)」ということも言いました。私は誰なんだろう。セム・カン・イン−心
は何なのか。ここが一番重要なことです。心はいったい何なのか。この問いかけがそ
の後の僕の人生を決定していることですし、あなたは一体何者なのか、誰なのか、と
いうことを考え抜くこと、そして考えるだけではなくて自分の魂で理解すること、こ
れが一番重要なことだ、ということをその時教えられました。

 そして、この灌頂が終わって先生が、「これで私はあなたをゾクチェンの入り口ま
で連れてきましたけれども、扉を開けて中に入っていくことは自分一人でやりなさい」
と言いました。これが重要なことだと思います。自分一人でやらなければならないこ
とです。連れてきていただくのは扉の前までです。扉を開けるやりかたは教えてくれ
ますが、しかし扉を実際手で押し開けて、中へ入っていくことは自分でやらなければ
ならない。誰にも頼ることはできない。ですからこのゾクチェンというのは、一生涯
続く探求になります。自分の心は何なのか、私はいったい誰なのか、ということの問
いかけを、誰よりも深いところから答えようとするのがゾクチェンです。それは、誰
のものでもない心、何ものでもない心というものをこの鏡から照らし出して、私たち
の心や個体性(=あなたは誰か)というものを照らし出す、そういう霊性の場所にた
どり着く教えです。

 決してこれはゾクチェンだけの特別な教えというわけではありません。どんなやり
方であっても、このゾクチェンが言っているような心の一番の大本にたどり着くこと
は可能です。けれど、べつに特別な修行をしたからと言ってそこにみんながたどり着
けているわけではありません。ことに後で詳しく述べますが、今は少しマニュアルの
ようになっています。「ゾクチェンというのは、こういう修行を何日やって、テクチ
ュウを何日、トゥカルを何日をやれば、さあ、あなたはブッダです」というようなこ
とを言いますけれども、これは真っ赤な嘘です。こういうことはありえません。そん
なにスムーズなことを教える先生がいたら、この先生はちょっとあやしいな、と思っ
たほうがいいと思います。こういうことは有り得ないことです。マニュアルで伝えら
れるものではありません。それを僕は実感でわかります。最初は非常によくできたマ
ニュアルがあって、先生はそれをまず最初の鍵として渡してくれます。最初の鍵にす
ぎないんですね。これは鍵なんです。まだこの扉が開くかどうかもわからないような
鍵です。この鍵を渡してくれ、自分で鍵穴に鍵を入れて鍵を開け、そして扉を開ける。
これは全部自分で行わなければいけません。その時はマニュアルは全部捨てておかな
ければいけない。それぐらいこれは個人の体験というものが非常に重要になりますし、
そのためには何かのステップ・バイ・ステップに従って勉強していけば自分が何か優
れたものになるんだとか、このマニュアルをこなしていけば自分は次のイニシエーシ
ョンを受けられるからより優れた存在になるとか、そういうことは絶対ありえないこ
とです。もし、そういうことだけがチベットの仏教のある側面として強調されている
としたら、それはチベット仏教が持っているある種の間違った側面だと思います。こ
れはいりません。ただ、鍵をもらうためには必ず必要なことです。そしてそれを渡し
てくれるのは優れた先生です。その先生は体験をもっているからです。この先生は決
して、自分がマニュアルで学んだからこのマニュアルをまた弟子に教える、というこ
とで教えを伝達しているんじゃありませんよ。この先生も若い時にきっと自分の先生
から教えをもらいました。最初は確かにそういうマニュアルのような(ロンチェン・
ニンティクとかたくさんある)本を通して勉強したでしょう。しかしその先生もおそ
らく、「これはあなたに対して与えた鍵に過ぎないわけですから、これをもってこの
本に書かれている言葉のひとつひとつをあなたが頭で分かったと思いこんではだめだ」
と言ったはずです。頭でわかることではないんですね。言葉は鍵です。この言葉をも
って扉を開いていきますが、その扉の奥にはもう言葉ではとらえられないものが広が
っています。それを感じとるのは一人一人の体験です。これを行うことによって優れ
た先生たちは書かれていることの言葉の意味を理解して…、理解と言っても、これは
私たちが普通学校で勉強するようなああいう理解ではないんです。言葉は言ってみれ
ば広い海原の氷山の頭の上にすっと浮かんだものに過ぎません。そこを掴んで、この
水の中にある大きなもの−しかもこれは広がりがありません−を捕まえる努力をしな
ければいけないんですね。これはですから勉強をいくら重ねても分からないことです。
 逆に言うと勉強なんかぜんぜんしなくても、そのことを既に知っている人もいます。
日本人の中にもそのことを、誰に教えられることもなく知っている人が何人もいまし
た。宗教−チベット仏教や仏教−などというものが生まれる遥か前から、このことを
知っている人はたくさんいました。おそらくは旧石器時代の人の中にもいたと思いま
す。この人たちは決して言葉によって伝えられた教えを通して真理に近づいたわけで
はありません。これは手がかりにしたに過ぎないわけですね。ブッダは、「自分は最
初の覚醒者ではない」と言っています。これはブッダの教えがどういうものか、その
本質をよく表しています。ブッダは自分の前には7人の覚醒者がいました」と語ってい
ます。7人というのは沢山ということでしょう。そしてこの覚醒者たちは、考えてみま
すと、言葉や文字を持っていない時代の覚醒者です。ゴーダマ・ブッダは、それが自
分の中に流れ込んでいる、と語っています。ゴーダマは確かにインドで学問や哲学が
発達した時代に悟りを得ている人ですが、「自分が得ているこの悟りは、決してヒン
ドゥの哲学を学んだからでもないし、ヨーガ行者についてステップ・バイ・ステップ
でマニュアルを踏んで勉強して得たものでもない。自分が得ているこの覚醒は過去7人
のブッダから面々と伝えられたものだ」という言い方をしているのは、人間の英知と
いうのが非常に奥深い歴史をもっているものだということを表しています。

 人類が残した霊性の探求はいろんな形をとりました。キリスト教でもイスラム教で
も道教でも優れた探求は行われましたし、あるいはもっとそういう宗教の形を持たな
いオーストラリア・アボリジニーとか、アメリカン・インディアンとか、シベリアの
シャーマンとか、いろんなところで霊性の探求が行われました。そして、この霊性の
探求はほとんど同じ処に触っています。何に触っているか。ゾクチェンと呼んでもい
いようなものに触っています。みんな触れています。こういう大きな人類の霊性の探
求の中でも、ゾクチェンのやり方は優れたやり方だということが言えます。これは僕
の実感であると同時に、長いこと学問をやってきましたから学問の上に立っても言え
ることです。とても優れたやり方です。その体験というのは(入門のなかでは詳しく
お話することはできませんが)テクチューとトゥーカルという二つのヨーガから成り
立ちますけれども、トゥーカルというヨーガの体験では、とても古くから人類の霊性
の探求の中で与えられた体験と同じものが与えられます。

 どのくらい古い来歴をもっているかというと、おそらく最大6万年だと思います。い
い加減な年数を言っていると思われるかもしれませんが、これにはちゃんとした根拠
があります。新しくて3万年、最も古く見積もって6万年ぐらいのスパンをもった霊性
の探求の伝統の上に立った体験です。ですから、ゾクチェンの体験−チベットではボ
ン教とニンマ派が伝えています−は、数万年の歴史をもったとても古いものです。一
番新しく見積っても、あの中央アジアに現われている人間の歴史を考えてみたら1万8
千年は下らないものだと思います。それぐらい古いものです。つまり、私たちが通常
仏教と言っているものよりも古いものです。このように、ゴーダマ・ブッダの教えは
非常に古い来歴をもったものだということをお知らせしたいと思います。つまり紀元
前500年にゴーダマが覚醒した時をもって仏教の始まりとする、というのは歴史の中に
現われた仏教の教えであると思います。ブッダはそういうことは言っていません。私
の教えは歴史の中に現われた形をとるだけではない、ずっと過去からある、と言って
います。この過去の霊性についてブッダが言っていることを単なる比喩だとか、謙遜
の言葉と受け取るべきではないと思います。彼には実感があると思います。それは、
自分が今たどり着いているこの霊性の探求が明らかにしているものは、非常に古い来
歴を持っているもので、恐らくこの人間という魂を持った生き物−昔ふうの言い方を
すると魂を持ったサル−が、自分の心の中に体験するようになったものに深い関係を
持っている、これが仏教だ、と言っています。この考え方を密教の人たちは自分たち
のものとして展開していきました。そして、マハームドラーやゾクチェンという霊性
の探求の中で、とうとうその一番古い来歴をもっているところへたどり着いたのだと
思います。
 たどり着いたというか、一つにはチベット人は最初からこれを知っています。奇妙
な言い方ですが、パドマサンバヴァがチベットにやって来るよりもはるか前からチベ
ット人のごく限られた人々ですけれども、このゾクチェンというのを知っています。
ですから今、この教えはニンマ派だけではなくボン教にも伝えられています。ボン教
のゾクチェンの教えというのは非常に古い来歴を持っています。今伝えられているボ
ン教のやり方というのはニンマ派の影響を受けて受けていますので、ほとんどニンマ
と変わりありませんが、いくつかの部分を注意深く見ていますと、ニンマ派のやり方
にはないやり方があります。そしてこのないやり方を注意深くまた掘り出してみます
と、これは不思議なことに、南アフリカの旧石器時代のシャーマンや、オーストラリ
アの原住民が行っていた霊性の探求と非常によく似た部分をいまだに伝承しています。
微かな部分です。表面上は、ボン教のゾクチェンもニンマ派のゾクチェンとほとんど
同じになって見分けがつかなくなってしまっていますが、いくつかの部分でそれがわ
かります。非常にこれは古い来歴をもった教えです。

 以前僕は『バルド・トドゥル』の解説を書いたときに『三万年の死の教え』とタイ
トルをつけましたが、これもそのような考えからきています。3万年と言いましたが今
は少し訂正しましょう。「6万年の死の教え」と言ったほうがいいと思います。なぜ6
万年かと言いますと、その時に今日のような私たち人類が生まれ出ているからです。
その時からあった探求です。なぜその時からあった探求かと言いますと、それは今の
考古学が明らかにしていることです。チベットの考古学も今は発達し始めていますし、
チャンタン王国や西チベットにはシャンユン王国が古代にあったとい言われていてこ
の発掘が進んでいますので、これによって今にさまざまことが明かにされてくると思
います。非常に古い来歴をもっているものです。
 それぐらい古い来歴をもった魂の探求を、そうそう現代人がちょっとしたマニュア
ルを勉強して、数年間ヨーガをやったからと言って獲得できるものではないと思いま
す。私たちの心は僕たちが習った先生たちの時代よりも遥かに現代的になってしまっ
ていて、この非常に古い来歴をもったものに直接触れることがなかなか難しくなって
います。

 ですから僕が、森の中で先生と裸で向かい合ってゾクチェンの教えを受けて、そし
て、「さあ、ここから扉を開けて中に入っていくのはおまえ一人でやりなさい」と言
われてからもう二十年が経ちましたが、その間僕は(さっきも冗談のように言いまし
たけれども)ゾクチェンについて立ち入ったことを話すことはありませんでした。そ
れは自分でそれができないと思ったこと、それから、これは不思議な言い方ですが、
許可が降りなかったからです。これはべつに、先生が許可をしなかったから、とかい
うことではありません。この教えを守っているダーキニーという霊的な存在が、許可
を出さなかったからです。十数年この許可はおりませんでした。そしてその間、自分
のゾクチェンの探求も確かに教えのとおりやりました。しかし何か自分とこのゾクチ
ェンが言っているものとの間に、薄いベールが被っているように感じ続けていました。
テクチューとかトゥカルというヨーガをやって、そしてその時に体験できることとい
うのも実際に体験してみましたけれども、それでもまだ実感がないんです。「あ、こ
れがセムニ−というものだ」というものに触れた体験がまだできなかった。十数年間
そういう状態が続いています。その時代は、きっとこの教えを守っているダーキニー
が、自分に、これについて立ち入ったことを話すことに許可を下ろしていない、とい
うことがよく分かりました。

 しかしこの状態が自分自身の中で大きく変わってくる時期が来ます。1994年からで
した。1994年にケツン先生が僕をネパールに呼んで、「ゾクチェンの新しい段階のヨー
ガを教えます」と言って下さいました。

 ゾクチェンのヨーガには大きく分けて二つの種類があります。屋外で燦々たる太陽
のもとで行うヨーガが一つ。もう一つは真っ暗闇の、光がぜんぜん入ってこない小屋
の中に入って何日間もやるヨーガです。ゾクチェンはこの二つのタイプのヨーガでで
き上がっています。これまで先生が僕に教えてくださったのは、燦々とした陽光の中
で行うヨーガの方で、真っ暗なところで行うヨーガの方は長いこと教えては下さいま
せんでした。僕は確かにそれを非常に学びたいと思っていましたが教えてはくれませ
んでした。

 この教えはボン教とニンマ派の中で伝わっています。特別な光が射さないムンカン
という小屋を作らなければなりません。そしてこのムンカンに篭ってヨーガをやりま
す。食事はちょうど中華料理のおかもちのようなかんじで、外から食事を入れてカタ
ンと蓋を下ろし、それを中から受け取る、というようにうまくつくってあって、中に
は便所もあって一切光がささないように出来ています。先生は扉の外に来て毎朝教え
を与えて下さいます。一切口をききません。そして一切他の修行はしません。お数珠
を唱えることも、観想(メディテーション)も、呼吸を整えてするツンモのヨーガも、
何もしません。そのかわり真っ暗闇の中で行う特別なヨーガがあって、これを前後合
わせて九日間行います。

 このヨーガはとても強力なものですから、それまでのゾクチェンのよりもずっと強
烈な体験があって、いろんなものが見えてきます。そのヨーガも7日目ぐらいにさしか
かる時には、いろんなものが自分の眼の前に現われてくるようになります。で、いろ
んなイメージが出てきても、操作を加えないでほっときなさい、と言います。ですか
ら言ってみれば自分が映画の映写機のようになっているわけですね。暗闇の中にいろ
んな不思議なものが次から次へと現われてきました。その中で、これは不思議なこと
ですが、パドマサンバヴァのイメージがありありと僕の眼の前(の斜め上)に現われ
ました。そして語りかけを行いました。その語りかけはなぜか日本語でやりました(笑)。
「私がしたようにしなさい。私がしたようにしなさい…」ということを3回言って消え
ました。それを聞いて僕はなぜか驚きました。自分がしたようにしろとはどういうこ
とだろう。その時から僕は、グル・パドマサンバヴァという人がチベットで何をした
人なのかということを、深く考えるようになりました。それを探求することが自分の
人生に課せられた大きな任務だと考えるようになりました。

 そして9日めの朝、陽が出てからだと眼が痛くなりますので、夜明け前に扉が開けら
れました。扉を開けてくれながら先生が、「タシデレ」と言って外に出してくれまし
たが、その時の光景は不思議でした。足元にトカゲの卵があって、この卵が透明に光
っていたんですが、その美しいことといったらなかったです。何もかもが新鮮でした。
今まで見ていたネパールの山の光景が生まれて初めてみた小屋のように、木のように、
山のように見えました。何もかもが新鮮で、まるで生まれたばかりの子供がこの大人
の意識で世界を見ているようでした。そして先生が僕に、「何か変わったことはあっ
たのか」と言って体験を聞きましたが、最後に僕が、「パドマサンバヴァが出てきま
した」と言ったら先生は笑っているわけですね。しかも日本語でしゃべりました、と
言ったら、もっと笑っていました(笑)。で、「何を言ったんだ」と言うから、「自
分のようにやれと言った」と言うと、「ああ、それはいい。あなたは日本人だし、パ
ドマサンバヴァも外国人だった。パドマサンバヴァがチベットで行ったように、あな
たもしなさい、と言っているのだろう。つまりあなたは外国人としてこの道を別なふ
うに創造しなさいと言っているのだろう」とおっしゃいました。

 そのとき以来です。自分の心の中に大きな変化が生じてきました。だんだんだんだ
ん生じてきました。

 さて、その山の中のムンカンという光が全く射さない瞑想小屋の中で前後9日間過ご
しましたけれど、その間先生は隣の部屋にずっといてくれました。そしてこの隣りの
部屋にいる間じゅう、僕がお願いした先生の伝記をチベット語で書いてくれていまし
た。みなさんの中にもお読みになった方がいるかもしれませんが、『知恵の遥かな頂』
(角川書店)というタイトルにしたあの本をずっと書いていてくれたわけです。そし
て僕が闇の部屋の中から出てくる日にちょうどそれが書き上がって、渡してくれまし
た。渡してくれて、また笑いながら最後のところを開いて、自分が書いた詩を読み上
げるわけです。とても面白い詩でしたが、最後にいい詩が書いてあるんですね。僕へ
の当てこすりが書いてあるわけです。「世の中の人の気にいることのために、間違っ
た言葉を喋ってはいけない」と書いてありました。ああ、これは僕への当てこすりだ
な…、当てこすりという言葉はいけないですね(笑)、僕への教えだ、ということが
よくわかりました。つまり先生は、僕がネパールを離れて日本へ帰って、マスコミだ
とかいろんな社会的な場面に引っ張り出され、いろんなことをしゃべらされていて、
そしてそれが僕の心にものすごく悪い影響を与えているということをよくご存知でし
た。そして僕もそういう状況から逃げ出さなければいけないと思いました。人前に出
て重要なことをしゃべったりする機会を自から失いたいと思いました。名前も世の中
でちやほやされることも捨てなければならないと思ってはいたのですが、これがなか
なかできなかったんですね。そいういう自分の心の状態を先生はすっかり見抜いてい
ました。

 そしてあの本で僕は少しごまかして訳しています。まるでみんなに向かって、他人
を喜ばせる甘い言葉をしゃべってはいけません、みたいなことを書いていますが、あ
れは僕への言葉です。つまり、「あなたはこのヨーガを行ったんだから、今日を境に
今まで続けてきたことはやめなさい」と笑いながら教えてくれたんですね。なかなか
チベットの先生というのは味なことをするんですよ。さらさらさら、っとこう書いて。
で、先生の心は良くわかりましたから、「ありがとうございました」と言って、僕は
また日本に戻ってきました。

 そして僕にはその後、とても大きな事件が発生しました。これはペマさんなんかも
深く関わったオウム真理教の事件です。

 あの事件が起こって、僕はマスコミがいろんな攻撃をしてくるのを見ていました。
見ていました、というのは、まるで何か自分ではないもののイメージに向かって、み
んなが槍を射掛けたり、鉄砲を撃ったりしている感じがしたからです。しかし、その
時僕は思いました。あ、先生が、世の中のよくない人たちの喜ぶ言葉を言ってはいけ
ない、と言っていたのはこれなんだ、ということがよくわかりました。ですから僕は
されるがままにしておこうと思いました。つまり自分のイメージなんていうものを僕
の実体だと勘違いして、それに向かって槍を射たり鉄砲を撃ったりしている人たちが
いても、なされるがままにしなければいけない、というのが先生の教えだと思いまし
た。つまりこれが消えるまで放置しなければいけないし、そしてそれが消えたとき初
めて僕がながいこと自分の心の中にかかっていた薄いベールから解き放たれるんだと
思います。

 古代ギリシャでは、真理の女神に会うときに「ベールを裂く」という言い方をされ
ていますが、そういう状態が訪れるだろう。そのとき初めて自分は、頭で理解してい
るようなゾクチェンから解放されるだろう。そのためには社会的にも死ななければな
らないし、いろんな意味で自分の周りに作り上げたものから死を体験しなければいけ
ないと思いました。人間の死もそうです。自分は自分の身体をもって生きていると思
っています。そしてこの肉体が機能停止することをまるであたかもこの世界から自分
が完全になくなってしまうかのように考えていますが、そんなことはありません。こ
れはイメージと全く同じ作り上げられかたをしています。この肉体はいつかは機能を
停止していきますが、私たちのセムニー(心の根源・霊性の根源)はこの肉体のイリ
ュージョンが解体しても死ぬことはありません。普通世の中で言われている、不死と
か遺伝子操作によって次の自分が残っていく、なんてこととは全く関係がないことで
す。が、同じです。つまり自分の社会的な姿をばらばらに引き裂いてしまって、なす
がままに殺してしまわなけない。そしてこれが死んでいったときに、ようやく自分は
肉体だけになって、肉体といっしょにあるこの魂と生きられるようになりますし、そ
うするとこの肉体というもう一つの、もっと根源的なイリュージョンが消え去ってい
くことさえ見届けることができるだろう。そういう状態にまでたどり着かなければい
けないだろう。ああ、ラマの教えというのはすごいな、と僕は本当に思いました。こ
れを確実に予言していました。そして、そうしなければいけないと先生は言っていま
したから、1995年から2‐3年の間はとてもひどい目にあって、日本の精神・宗教の世
界は混乱した状況を体験しましたが、僕には予言の成就としか思えませんでした。そ
してこの予言はだれのものかというと、先生の予言であるし、グル・パドマサンバヴ
ァの予言であると思いました。

 その頃を境にして僕は完全に向こう側に行っちゃった人になったわけですね(笑)。
なるべくそういうポーズを見せないようにしてきましたけれども。今日はですから、
向こう側からお話をします。知識を伝えるわけではありませんし、情報を伝えるわけ
でもありません。もっと重要なことをお伝えしたいと思います。
 そしてそれから不思議なことが次々に起こるようになりました。中でもその2年後に
ブータンに出かけたときの体験は、驚くべきものでした。

 ロンチェン・ラプジャム−ニンマ派のゾクチェンの思想家の中でも最も偉大な思想
家の一人−がチベットを政治的な抗争で追われてブータンに亡命したことがあります。
不思議なことにゾクチェンを勉強すると、たいがい失脚や亡命などを体験することに
なります。後でお話するヴァイローチャナの伝記の中にもよく出てきますが、これは
昔から言われていることです。ですからゲールグ派のお坊さんたちは、「ゾクチェン
を修行する者は不幸になる」と言っています。これに対してドゥンジョム・リンポチ
ェが『ニンマ派史』の中で、そいうことはないんだと反論をたくさん書いていますが、
私は本当かもしれないと思っています(笑)。なぜならば、この世でするすると波乗
りのように大きくなっていくものには、ゾクチェンの本体に触れることはできない、
という宿命があります。そしてウヅァンのロンチェンパも追放されて山を越えブータ
ンに行きました。そしてブムタンというところに到着します。どうしてブムタンへ行
ったかというのには深い理由がありますが、それは明日お話しましょう。(カンドゥ・
ニンティクというゾクチェンの教えをパドマサンバヴァはブムタンに埋めています。
それで出かけたというのが一つの理由でしょう。)しかし(現在でも国境を超えるの
は大変ですが)当時の旅行は大変です。山を越えてブムタンにたどり着いて、そして
ブムタンからさらに山の中に入ってサムテンリンというお寺へ行きます。

 今このサムテンリンというお寺は火事にあって燃えてしまっていますから、僕はそ
こに行ったとき非常に胸を打たれて、このお寺はいつか復興しなければいけないと心
に誓いました。生きているうちに必ず実現したいと思っていることですので、その時
はまたみなさん協力して下さい(笑)。

 そしてサムテンリンのお寺から急な山をまた3時間ぐらい登っていくと、ここに、ロ
ンチャンパが住まいとしたタルパリンというお寺があります。このタルパリンという
お寺は面白いところです。大きな岩窟が頂上近くにあって、その大きな絶壁の下にお
寺があります。ロンチェンパがいた瞑想室はまた少し下の方に作ってあります。

 モンスーンの時期に行きましたので雨が降っていました。知り合いになった、ブー
タンに住んでいるチベットから来たおじさんに連れられて登りました。ロンチェンパ
の伝説がその村にはたくさん伝えられています。ふつう本に記録されているロンチェ
ンパの伝記はおすまししたロンチェンパですが、ブムタンの人が伝えているロンチェ
ンパの伝記は面白いものです。どういうガールフレンドがいたかとか、どういう子供
が生まれたのかとか、面白くてやばいことまで伝えていますね(笑)。そういう面白
い話を聞きながらサムテンリンからの山道をずっと登って行きました。

 ブータンの人たちは山登りが得意ですから、4,700メートルぐらいの山道を長靴です
っすっと登って行きます。しかも重いリュックを背負っていくんですが、その中には
チャンというお酒がいっぱい入っているわけですね。山を登りながら、僕にも奨めて、
まあ、飲めって(笑)。僕らは心臓は、ばこばこいうわ、…4,700メートルを超えてい
ますから大変なところですけれど、それをがんがん飲まされて、それだけ飲めば高山
病は起きないって言って。ま、確かに起きませんでしたですね(笑)。で、このタル
パリンに着きました。

 このタルパリンへ着いたとたんに不思議なムードに包まれました。中でも僕が驚い
たのは…、「いいところがあるから来なさい」と言って連れてくわけですね。お寺か
らずっと裏山に入った松林の中の小道ですが、『セム』で写真をご覧になった人もい
ると思いますけれども、そこの道端に穴が繰りぬいてあるんです。で、「昔から言い
伝えられていることだけれども、この穴にロンチェンパが座って、弟子たちを一人一
人呼んで、昼間教えたゾクチェンのわからないところを弟子が質問をし、それにロン
チェンパがこと細かに教えたんだ。ある時は、今自分が訂正中の『ズドゥン』である
とか、『ニンティク・ヤシ』の中のいくつかの本、『サプモ・ヤンティク』の中のい
くつかの本を弟子たちにここで講義した。『ニンティク・ヤシ』の中のいくつかの本
というのは、このブムタンで書かれています。それをやったのが、この穴です、座り
なさい」。で、座りました。

 そこに座った時に、これは何とも言いようのない感覚ですが、全ての方向に開かれ
ていく感じがしました。それはたぶん僕は‘ロンチェン’という言葉をロンチェンパ
の名前から連想しているんだと思うんです。ロンチェンというのは、限界もなくひろ
びろとした、空のこころの状態を表しています。‘ロンチェン’、大きいこころの状
態。ロンチェンパという名前でいつも僕はそのことを考えますが、その言葉が自分の
全身に響いたんでしょうね。その穴の中に僕がいつまでも座っているものですからブー
タンの人たちもあきれて帰ってしまいましたけれども、いろんなことを考えさせられ
ました。

 そしてその体験があった帰りに今度はパロの方に降りて、有名な岩壁にお寺を掘っ
たタクツァン・ゴンパへ出かけて行きました。大変な山道でした。その時の体験は非
常に不思議で、歩いている間じゅう自分の前に虹が出ていました。目の前に出ていた
わけでしたから、これは自分の心から出ているものなんでしょう。ずっと出つづけて
いましたので、今日は不思議なことが起こるな、ということがよくわかりました。そ
して、その岸壁の中に刳り貫かれたお寺の中に入りました。

 そのお寺はパドマサンバヴァが来ている所で、イェシェ・ツォギャルもいた洞窟で
す。そこに座っていた時、…これは本当に不思議なことなのでこういう機会がなけれ
ばお話しないことです。大学ではそういうことは話してはいけないことになっていま
すので話さないようにしていますけれども…、ペル・センゲというグル・パドマサン
バヴァの弟子のストゥーパがあります。グル・パドマサンバヴァの後を追ってブータ
ンにたどり着いて、そこで死んだという弟子のストゥーパです。そのストゥーパが揺
れているように思いました。そして声が聞こえてきました。また声が聞こえてくるん
です。今度はチベット語でした(笑)。「本当の名前を教えましょう。本当の名前を
教えましょう…」。そして、僕の本当の名前というのが、僕の耳の中、こころの中へ
響きわたってくるんですね。

 僕は確かに中沢新一という名前を持っています。それは日本に生まれた日本人のア
イデンティティの名前です。でも自分の心の構造はこの日本人の中だけでは収まりが
つかない部分があって、それはたぶん秘密の名前があるからだろう、と思っていまし
た。チベットの勉強をする日本人はよくチベット名を貰います。日本人なのにテンジ
ン・○○とか付いている人たちがいっぱいいますけれども、僕は貰いませんでしたし、
先生もあえてくれようとしませんでした。何か意味があるんだろうと思っていたんで
すね。よく外人さんには漢字で自分の名前を書いている人がいて、かわいいな、とは
思いますけれども、自分のやることではないだろうと思っていました。本当の名前は
いつかは出てくるだろうと放置していましたが、自分の名前がストゥーパから聞こえ
てきたのにはびっくりしたんですね。この名前はチベット名でしたが、翻訳してみる
と、「新一」ですね(笑)。不思議な話ですね、これは(笑)。「お前の名前はシュ
ンヌー・ペル、シュンヌー・ペル、シュンヌー・ペル」。三回また聞こえるんです。
‘シュンヌー’は「若い・新しい」‘ペル’は「吉祥」という意味ですから、まあ言
ってみれば家の両親もたいしたもので、チベット人の予言通りの名前をつけておいて
くれたんだなと思いました。

 が、それよりも驚いたのは、あれは人間の感覚の不思議さというものだと思います
けれども、その横の壁面に直接描かれている一つの像が、自分の前に大きく(ここま
で)飛び出して来たんです。「お前の本当の姿です」と言って飛び出してきたました。
これはチベットの山の女神のツェリンマです。僕はびっくりしました。眼前(ここ)
まで来てすっと引っ込んじゃうんです。僕はドラッグはやりませんが、ただゾクチェ
ンがたどり着いていく意識は、それととても近いところまでいきます。近いというよ
り、それよりもっと深いですけれども、たぶんそういう意識になっていたんだと思い
ます。

 その時と良く似た感覚というと、子供の頃に池に張った氷を恐る恐る渡ったことが
ありますが、その時、厚い氷が張っているから大丈夫だろう、と思って渡って行きま
したら、ずぼっ、と氷が割れて水の中に入って行きました。あの時の快感は忘れられ
ません。氷が割れて、足が抜けて、水の中に入っていく。あの感覚とよく似ています。
自分が今まで守られていた薄氷がわれて、僕はなにもしないで、ずぶずぶっ、と、こ
の水の中に溺れていく。そういう感覚です。「ベールを裂く」という言い方もしまし
たけれども、それに良く似た感覚です。で、自分は今まで型どおりの修行をしてきた
し、勉強をしてきたけれども、まだ何もわかっていなかった、ということがよく分か
りました。真実は何の前触れもなく自分の前に開かれます。そしてそれは学問も知識
も問も単なる呼び水に過ぎないもので、私がたった一人の裸の人間となった時に、心
の前に大きく開かれてくる、そうしたものだということがよく分かりました。

 そしてネパールに帰って先生に報告しようと思っていたら、先生は突然フランスに
出かけてしまいましたので、部屋の中には誰もいないんですね。誰もいなくなって、
一人でしょうがなくて書庫の本を何気なく読んでいました。ふと手にとった『ヴィマ
ラミトラ・ニンティク』という『ニンティク・ヤシ』の中の本をぽんと開いて…。こ
れはとても難しい本です。今までは全く理解できない箇所がたくさんありました。ど
う考えても分からないところばかりだったんです。これが分かるようになっているん
です。冗談を言っているかと思われるかもしれませんが、習ってもいないことがわか
るようになっています。ということは、ここに書かれていることは習ったからわかる
ということではないんだ、ということがよく分かりました。このゾクチェンというの
はこの存在の世界の根源にすでにあって、それに触れるかどうかでこれが分かるかど
うかということが決まるのであって、いくら勉強を重ねたところでこの本は分かるも
のではない。分からなかったんです。難しいです。いまだに精神の状態が悪かったり、
朝するヨーガがうまくいかなかったりすると、分からなかったりするんですね。こう
いうことはよく起こるんですよ。僕はディルゴ・ケンツェ・リンポチェという方は非
常に親しい方でしたから、会えばよしよし、と言ってかわいがってくれましたけれど、
ある時僕がテレビ局の人と近くに行ったときには、先生に僕は見えないんですね。不
思議なことがあるものだと思いました。見える時と見えない時というのがよくありま
すが、今までは見えなかった本がよく見えるようになりました。勉強じゃないんです。
知識じゃないんです。つまり自分が社会的に死んで素っ裸になって、そうして何か大
きなものと向かい合った時に、ようやくそれが自分の中に注ぎ込まれてきました。で
すからさぞ、ケツン先生も僕を見ていて歯がゆかったと思います。あれほどあなたの
中に自分の魂を注ぎ込んでいたのに、そこに目覚めるのに十何年もかかってしまった。
それが僕の心の弱さであるし、カルマであるし、愚かさが自分の前にベールを掛けて
しまっていたんですが、ようやくそのベールが裂けたという実感を持つことができて、
そしてそのことを先生に報告しようと思うと、これまたやることがにくいと思います。
その場にいないんですね。フランスへ行ってしまっている。なかなかチベット人がや
ることは奥が深いものです。ある意味で言うと、僕はゾクチェンを勉強し始めてから
予言ということを信用するようになっています。全ての予言じゃないですよ。そして、
それは成就する、と思うようになりました。

 ですから、20年間さまざまな自分なりの探求をして、そして体験を重ねて、ようや
くみなさんの前でこうやってしゃべる許可が下りました。ダーキニーの許可です。ダー
キニーというのは不思議な存在です。この許可がない限りしゃべってはいけない。し
ゃべっても、ゾクチェンの表面的な外側の知識しか伝えることができないと言われて
います。ですからこれから少しづつゾクチェンのことについてお話していきましょう。
ただ今日は入門のほんの入り口のことしかお話することができません。なぜならば、
しゃべる方にも聞く方にも、準備が必要だからです。何人かの方たちはかなり近いと
ころまできているかもしれませんけれども、まだまだ道が遠い人もたくさんいると思
います。一度にまとめてそれをお話することはこういう教えの性格ではできないこと
ですので、みなさん、徐々に徐々に自分の心をその存在の源泉の場所に近づける努力
をしていただきたいと思います。

 それは別にゾクチェンをマニュアルどおりに勉強したからとか、有名なラマについ
て灌頂やティーチィングを受けたからそれによって学んだ、ということにはなりませ
ん。これを僕は身をもってみなさんにお伝えすることができます。世の中にゾクチェ
ンパと自称する人もたくさんいますし、偉いラマから灌頂やティーチングを受けたり
して何か自分が偉くなった気分になっている人たちがたくさんいるかもしれません。
気分が良くなっている人たちに水を掛けたりするのは趣味ではありませんから、よか
ったですね、とは言いますが、しかし、それは本物ではありません。そのためには、
僕の体験から言いますと、死ななければなりません。いろんな意味で死んでいかなけ
れば、復活できません。死なないと、この源泉の水に触れることがができないように、
この世はできているようです。そして、ゾクチェンを優れた先生から正しいやり方で
学んで、正しい心持ちをもってそれを自分のものとする時、この死は必ず訪れます。
かつて生きていた自分を捨てて、死んで、まるで薄氷を踏みぬいてその死と無の底無
しの暗闇の中に自分が落ち込んで行った時、まだこの世に望みがある人はそこでもが
きます。ああ、やばい、やばい…、と言ってもがいて、精神科のお医者さんや学校の
先生のところへ行ったり、新興宗教のご教祖さまとかのところへ行けばなんとかなる
とか、占いの人の所へ行ってみようとか思います。そういうことを一切してはだめで
す。これは、落ちるがままにして下さい。暗闇の中を落ちるがままにしていいです。
希望も持つことがないし、絶望も抱くことがないくらいにして下さい。そうすると不
思議なことに、この暗闇の底からあなた方を引き上げてくれるものがあります。ふう
っと力を抜いたときに、上に浮かび上がってくる力があります。何かが助けます。こ
の力です。なんにもない無の力です。無の中から何かがわき上がってきて、そして計
らいを全部捨てて、−計らいを捨ててというのは親鸞上人の言葉ですが、ゾクチェン
の言葉で言うと無努力−、努力を一切捨てて、この暗闇の中に自分を放置してご覧な
さい。落ちるがままにしてご覧なさい。下手をするとこれはそのままになります。そ
してもう一回存在の方へ浮かび上がらせてくれます。私たちは、死んで復活するとい
うことが、現実に魂のなかで起こります。たぶんイエスもそのことを言っていたんで
しょうね。そしたら出来の悪い弟子たちがこのことを、実際に死んで薬か何かで復活
することと勘違いしたんでしょう。あるいは、本当は死んでいなかったのが蘇ったの
かもしれませんが(笑)。イエスもそういうことを言おうとしていたんだと思います。
 この霊性の教師たちというのは人類の中にたくさん生まれました。このことは本当
にみなさん、理解して下さい。霊性の教師というのはたくさんいました。旧石器時代
からいるんです。オーストリアの砂漠の中にもいっぱいいたし、ギリシャにも、シベ
リアにも、アメリカにも、日本にも、そしてチベットにもいた。チベットには仏教が
やって来るずっと前からこの教師たちがいた。そしてそれは今もいる。そして、この
先もいるでしょう。それを私たちが見えなくなるかどうかの違いですが、教師は確か
にいるでしょう。

 その教師がどんな姿をしているか。これが面白いところです。私たちはきっと教師
たちが、金色の袈裟を着て現われたりすると思うかもしれませんが(笑)、ところが
ところが、そうじゃないんですね。乞食の格好をして現われるかもしれません。ここ
が僕などがよく知っている昔のチベット人のいいところです。トクデンとか、ゴムチ
ェンパといわれる山の中にいる人たちは、乞食と見分けがつきません。そして、その
人たちが里に降りてきた時、金色の袈裟を着ているかというと、そうじゃないんです。
乞食とおんなじ格好をして街の中を歩いている。それをみんなが尊敬しているんです
ね。わからない人にとってはただの乞食です。ただ、この人が霊性の教師であるとい
うことがわかっている人には、宝物のようなものが、垢だらけでぼろを纏って人の世
の中を歩いている、ということがよく見える。そのことの美しさにみんな感動してい
るんですね。こんな美しいことはないじゃないですか。素晴らしいものが袈裟を着て
いるのは当たり前ですよ。そんな当たり前なことではないことがこの世の中では起こ
るということを、昔のチベット人はよく知っていました。だからそういう光景をよく
見ました。汚いおじいさんにみんなが五体投地をしているんですね。ほんとに汚いお
じいさんなんですよ。だから一緒にいる友達に、「あの汚いじじいはなんだ」と聞く
と、「ばかやろう!あの方こそサンワ・ニンティクという密教のすごい行者なんだ」
って言っているわけですね(笑)。それでそのお坊さんもぜんぜん威張ることなく、
みんなが知りたいことの要点だけを教えて帰って行きます。

 僕が知っているチベット人の偉いラマたちは本当にそういう方たちでした。僕の先
生のケツン・リンポチェも本当に飾らない質素な方で、僕から見たら、もうちょっと
威厳を出した方がいいんじゃないか、と思うくらい威厳を出すのが嫌いな方です。ド
ゥンジョム・リンポチェ(ドゥンジョム・ジクデル・イェシェ・ドルジェ)、これは
とてつもないテルトンの先生でしたが、この方も気さくな方でした。僕が最初に会っ
た時、挨拶するなり僕の手を握って…、僕は感動したんですね、きっと空海のように
「ああ、東から弟子が来た」とでも言うのかと思ったら、「お前のしている腕時計は
すごいなー」(笑)。その頃出始めたばかりのデジタルのだったので。(笑)

 ディルゴ・ケンツェ・リンポチェ、この方も素晴らしい、山のような方ですが、に
こにこ、にこにこ笑って、僕にいろんなことを教えてくれるんですけど、これがカム
方言で。全くわかりませんでした(笑)。

 そういう先生方をたくさん見てきました。ですから、欧米に行って教えているチベ
ット人のラマの態度を見ていますと、これは僕が知っているあのラマではないな、と
いう気がします。欧米の方たちは真理・本当のものが、何かやはり神々しい威厳と共
に作られるという感覚がカソリックの中で作られてしまったのかもしれません。あの
方たちはイエスが馬小屋で生まれたことを忘れてしまったのかもしれません。汚い赤
ん坊だったんですよ、あれは(笑)。そこはキリスト教のすばらしさだと僕は思いま
すが。真理がいつも日常の中にころがっているようにしてある、決して威張らないし、
決して自分から厳かさを演出したりすることもない、そういう先生たちこそが僕は本
物だと実感します。そして、ロンチェンパも、ニャン・ティンゲズィン・サンポのよ
うな古い先生も、ヴァイローチャナもそうでしたし、ニンマ派の多くの行者たちはと
ても飾らない人たちだったようです。

 ロンチェンパにそっくりに作った像というのが残っていますけれども、これは面白
い像ですね。普通ロンチェンパの像というと、きれいな格好をして、トゥカルの格好
をしていますが、「これがロンチェンパそのもの」としてロンチェンパも承認してい
たと言われている小さな像があります。これを見ますと、ハゲのおじいさんが笑って
いるんですね(笑)。50歳ぐらいのハゲのおじいさんが、にこにこ笑っているんです
ね。もう哄笑に近いです。がっはっはっ、と笑っているところをパチリ!とおさめた
んでしょう。で、それが自分だと認めていた。あの像を見ますと、あ、ロンチェンパ
という人はこういう人なんだな、ということがよくわかります。他の派の人たちから
ロンチェンパはちょっと危険な人だったと言わてれていましたが、多分そうだったと
思います。よくわかります。危険なことを平気で口にする、面白い方だったと思いま
す。

 これから僕はチベット人の昔のお坊さんたちの話をしていきますが、この人たちは
人間味に溢れたやさしい、しかし人間の叡智というものはこういうものだということ
を体現している、そういう人たちです。決して神々しい宗教的なベールの向こうにい
るような人ではありません。彼らは人間です。人間の中にこの真理が宿っていること
こそ素晴らしいということを、チベットの、ことにゾクチェンの先生たちは言ってい
ます。ゾクチェンの先生たちは、真理は決して超越の中にはない、この世界の中にあ
る、ひとつひとつの日常の中に光っている、そのことを教えようとしていましたから、
ゾクチェンパは結婚していますし、家庭を持っています。ある人はお裁縫をしていま
す。情けないものですよ、ゾクチェンパがミシンを踏んでいるところなんかを見るの
は(笑)。ある人は商人をやっていたりします。しかしそれでも、その生きかたの中
に実現しているもの、これがゾクチェンだと言っています。そういう教えについてこ
れからお話していきましょう。

 このゾクチェンは現在ではいくつかのとても整ったやり方で教えられるようになっ
ていて、大きく分けると「セム」という教えと、「ニンティク」という二つの教えで
できています。

 「セム」という教えはとても古い来歴をもつもので、シュリー・センハというイン
ドで生活していた中国生まれ(中国のどこでかはわかりません)の思想家がヴァイロー
チャナに伝えた教えです。この「セム」の教えはたくさんの教えに分かれていきます。
「ロン」の教えになったり、また「セム」の教え自体もいろんなふうに発達して伝わ
っていきました。この伝統が非常によく残っているのはカムの方です。もう一つの教
えは「ニンティク」の教えと呼ばれているものです。「ニンティク」の教えがどこか
ら来たか。これは非常に難しい問題です。ガラップ・ドルジェという人物が非常に重
要な人物だと言われていますし、これをチベットに伝えたのはヴィマラミトラという
人です。この二つの教えが合体して「ゾクチェン」という教えになりました。この二
つの教えはもともとは少し系統が違う教えです。

 今日詳しくお話するヴァイローチャナが伝えたシュリー・センハの「セム」の教え
というのは、心の本体についてダイレクトに踏み込んでいゆく教えです。しかもその
教えを、当時の人たちは「無努力の教え」と呼んでいます。努力をしない。つまり、
どのような形であっても修行や学問によって到達する教えではないと言ったんです。
どんな努力もしてはいけない、と、いうふうな名称が与えられました。まあ、レッテ
ルかもしれませんし、自分でもそう言っています。努力をしない教え、無努力の教え。
これが「セム」の教えです。

 もう一つの「ニンティク」の教えは少し系統が違います。先ほど言いましたように、
これは数万年の古い来歴をもつ教えだと私は思います。トゥカルというヨーガを行う
教えです。

 そしてこれをチベットに表立って教えたのはヴィマラミトラという方でした。この
ヴィマラミトラという方が非常に重大な存在です。なぜなら、「セム」の教えについ
てはシュリー・センハから学んでいますし、「ニンティク」の教えも体得している方
です。おそらくはこのヴィマラミトラという方が「セム」と「ニンティク」の教えの
二つを自分の教えとして伝えていたんだと思います。

 またチベットにはもうひとつ「ニンティク」の教えがあります。これは「グル・パ
ドマサンバヴァの教え」と呼ばれているものです。この「グル・パドマサンバヴァの
教え」というのは、長いこと人間の世界に現われなかったものです。ニンティクの‘
ニン’はダーキニーのニン、‘ティク’はティクレ=滴(ドロップ)、英語で「ダー
キニーのハート・ドロップ」と訳されていることがありますが、どうしてダーキニー
と呼ばれているか。ここは深い意味がありますよ。ダーキニーという存在が何かとい
うことで。(これは明日しゃべりましょう)

 この「ニンティク」の教えはヴィマラミトラが教えて、そして隠しました。なぜ隠
したかと言いますと、「ランダルマが破仏を行って仏教を壊滅させる」という予言を
彼はしたからですね。ウルというところのシャというお寺に隠しました。ウルはラサ
から北のほうへ車へ6時間ほど行ったところでしょうか、きれいな丘陵地にできたお寺
です。そして隠してあったこの教えが10-11世紀ぐらいになって掘り出されます。これ
を発掘した人はダンマ・フンギャルという人でした。この方は先ほどお話したゾクチ
ェンパの、最もゾクチェンパらしい人です。この人はただの寺男なんですね。ウルの
シャというお寺にいた寺男です。だから周りにいた人たちは誰もその人物が学問をし
ているなんて知らなかった。ところがこの人にヴィマラミトラが直接ニンティクとい
う教えを伝えました。そしてこの人から、チェツンやシャントン、ニブムなどのいろ
んな人を通じて、ヴィマラミトラ・ニンティクの流れが伝わりました。

 もう一つの教えはなかなか世の中に出てこなかった。これはグル・パドマサンバヴ
ァが伝えたという教えです。このことをこれからお話しましょう。

 グル・パドマサンバヴァはチベットの精神世界にとって最も重大な存在です。歴史
上の人物であるだけではなくて、人類の霊性の教師の中でも最も優れた人の一人であ
ろうと思います。これは僕も、チベットの人たちがパドマサンバヴァのことを尊敬す
るあまりに過大評価しているせいもあるかもしれない、と思っていたんですが、どう
もそうではないようです。この人がとてつもない人物であるということを実感するよ
うになりました。彼はチソンデツェン王に招かれてチベットを訪れ、そしてチベット
に霊性の種を蒔きました。パドマサンバヴァが何人であるかはよくわかりません。よ
くウッディヤナに生まれたというふうに言われて、どの伝説にも書かれていますが、
ウッディヤナとはどこでしょうか。わからないんですね。普通はパキスタンのスワッ
トだと言われています。しかしこれを言い出したのはトゥッチというイタリアのチベ
ット学者です。彼がスワットだと書いたのでそれが定説になってしまっていますが、
たいした根拠はありません。僕はおそらくスワットではないと思います。もっと北だ
と思います。ブルシャ(キルギット)。つい最近までソ連領でしたが、この中央アジ
アのどこかの王国の人だと思います。なぜそういうことが言えるかと言うと、パドマ
サンバヴァのニンティクと呼ばれている教えが、チベットの南の方で伝承されている
からです。なぜ南かと言いますと、これは後で言いますように、パドマサンバヴァが
中央チベットから、おそらくは追放されたのかもしれませんが、南のチベットに出て
行きます。その時そこに残した教えとよばれているからです。この教えを見てみます
と、アリウス派とかグノーシス派、ネストリウス派とかの、東の方に出て行ったキリ
スト教の考え方のこだまのようなものを、これは微妙なところですが、感じます。そ
れからガラップ・ドルジェという神話上の人物の伝記が、イエス・キリストとよく似
ているということです。これは不思議なことですが、おそらくは中央アジアで8−9世
紀頃に大変な思想的ムーブメントがあったからだと思います。ここには様々な思想が
流れ込んでいました。仏教、タントリズム、道教、初期の中国禅、西からはキリスト
教ネストリウス派やバシリデス派のグノーシスも来ています。それが大きなるつぼに
なって思想の運動を作り出しています。それが8−9世紀の中央アジアの思想の状況だ
ったと思います。私たちは今まであまり重要な歴史的資料がないのでこれを無視して
きました。これからどういうやり方でそれを明らかにしていくか、まだはっきりした
手段は見つかっていませんが、さまざまな資料の中から中央アジアがこの時代大変な
思想の発達を遂げていて、そしてパドマサンバヴァという人物がここで彼の思想を形
成したんだろうと推測されます。

 パドマサンバヴァはインドへ出て、ネパールで長いこと暮らしていたようです。そ
の時チソンデツェン王から、チベットに来てください、と招待が来ます。最初パドマ
サンバヴァは断ります。しかし断るというのは古代の礼儀です。誘われてすぐに行く
というのは、今の女の子と同じようにあまりカッコいいこととはされなかったことで
す。必ず三回は断らなければいけませんね。四回目に断ったらこれは駄目ということ
ですが、グルはチベットへ出かけて行きました。チベットに旅行された方がいらっし
ゃると思いますが、初めてチベットへ入ったグル・パドマサンバヴァがチソンデツェ
ン王と出会った場所にストゥーパが立っています。どちらが先に挨拶するかでもめて
いるんですね(笑)。どっちが偉いか、ってひと悶着あった場所のストゥーパとかい
ろんな物が残されていて、本当に歴史的な現実というのを感じます。

 チベットに入って彼は大変偉大な技を行いました。サムイェ寺が建立されました。
パドマサンバヴァはこのサムイェ寺という河原にできた大きな寺院に住めばよかった
はずです。そこに君臨することもできたんですが、そいうことはしませんでした。こ
のサムイェから渓谷沿いに入っていったチンブーという渓谷の奥の奥に大きな岩窟群
があります。ここへ入りこんでいます。僕はけっこう世界聖地オタクですからいろん
な聖地を品定めして歩いていますが(笑)、このチンブーというところはおそらくは
世界最高の聖地だと思います。聖地というのは単にその場所の霊気が強いかというこ
とばかりではなく、そこへ人間がいかに自分の精神性を注ぎ込んだか、ということで
その深さが決定されますが、このサムイェ・チンプーに蓄積された霊性というものは
とてつもないものです。キリスト教の聖地とかいろんなものがありますけれど、とて
もとても。このチンプーに満ちている霊気は大変なものです。

 古代のチベット人がどういうところに聖地を作っているかというと、山と山が出会
ったところの渓谷を登り詰めた、山の中腹あたりを選んでいます。両脇から山が迫っ
ていて、そこに谷川が流れていて…。日本の場合はここに聖地をつくります。なぜな
ら滝に打たれる修行をするからですね。チベット人はそこには作らずもっと高い山の
中腹につくります。てっぺんには作りません。そして不思議なことにこの中腹域には
岩壁・洞窟群ができあがっています。この洞窟が古代チベットの聖地であり、古代チ
ベットのシャーマンたちが修行する場所であったと思います。チンプー、サムイェ寺
の裏山の渓谷です。チベットに行ったらぜひここを訪ねてみてください。サムイェに
はファックな中国の公安がたくさんいますが、チンプーまで行くとさすがにいません
ので、ここで初めてチベットの霊気を吸うことができると思います。

 そしてこのチンプーにはグル・パドマサンバヴァが住んでいた洞窟が現在でも残さ
れています。決して大きいものではありません。深い洞窟ですけれどもチベット人が
聖地に選ぶところは洞窟の奥の奥ではないんです。入り口から少し入ったところの窪
みの辺りを聖地に選んでいます。チベット人だけではなくて、新石器時代以来人類が
聖地として選ぶ場所はだいたいこの洞窟の中程の窪み、ラスコーの洞窟の絵が描かれ
ているあの場所ですね。ここにパドマサンバヴァは住んでいました。ですから、チソ
ンデツェン王や他の大臣たちは下のサムイェに住んでいますので、グル・パドマサン
バヴァに会うときは大変な思いをしなければなりませんでした。現在は下で耕運機が
待っていてそれに乗せて運んで行くということが行われているようですが、僕が行っ
たときはたまたま大洪水が起こっていましたので河も裸足で渡らなければならなかっ
たし、トラクターも一台も出ていなかったので全部歩いて登らなければなりませんで
した。チソンデツェン王は大変だったんだろうなと思います。もちろん輿に乗ってい
たとは思いますが、担ぐ人は大変だったと思いますね(笑)。そしてそのタクマル(赤
い岩窟)と呼ばれているこの地帯でグルはいろいろな教えを説いていました。

 どういう教えを説いていたかと言うと、一つは(みなさんのお手元にある)『マモ
(女神様・カンドゥマ)の教え』です。

 女神の教えは洞窟の中で教えるには最高です。なぜならば、人類は古代から深い洞
窟を大地と人間の世界の中継地点、女神の宿る場所としてお祀りしてきたからです。
女神はだいたい水源地の洞窟に祀られています。これは日本でも同じです。水源地の
洞窟が女神の住居ですが、女神は大地に住んでいます。そしてこの大地に少し触れる
ために洞窟が穿たれました。あるいは自然に穿たれた洞窟をこの女神に出会う場所に
選んでいます。ここを中心に古代の人々は大地の豊穣や人間の豊穣を祈るためのさま
ざまな儀式を行っていました。洞窟は女神を呼び寄せる場所です。

 そしてタントリズムという仏教の新しい宗教の形態が発達した時にも、この女神は
大きな価値をもって採用されました。あるいはもっと言いますと、インドのドラヴィ
タ族が、自分たちがつくっていた女神の宗教を取り入れるために、タントリズムを発
展させたのだとも言えると思います。ですからこの修行者たちにとって洞窟は、極め
て重要な働きをしています。

 洞窟の中でいろんなメディテーションを行います。女神を呼び寄せるためにチベッ
ト人がこの時パドマサンバヴァから初めて知ったやり方は、まず観想というヴィジュ
アライゼーションです。精神を集中して女神の像を強い精神力で浮かべることによっ
て、この女神の霊性を自分の身近に呼び寄せる、あるいは自分がそれに変身してゆく
という修行方法をパドマサンバヴァは伝えたわけですね。しかもこの『マモの教え』
を読んでくといろんな面白いことが書かれています。

 (テキスト)

 『マモの教え』
 吉祥をそなえたダーキニーの集まりに対して、心からなる尊敬を込めて礼拝をいた
します。」

 洞窟の中でパドマサンバヴァが唱えた光景が思い浮かびますね。前にはチソンデツ
ェン王やイェシェ・ツォギャルや、大臣たち、それから25人の優れた弟子と呼ばれて
いる人たちがいます。これはパドマサンバヴァが祈っている言葉です。

 (空間性の原基である)「広がり(イン)」と「原初的知性(イェシェ)」とが一
体である68種類のダーキニーの最高者である、世界を快楽とともに進む女性の御心を、
本性と方便と顕現とからとらえることができる。」

 という教えから始まっています。

 これは、無あるいは空と呼ばれているものは広大無辺な広がりである、その広大無
辺な広がりは、単にあの青空のように外に広がった空間ではなく、我々の心の本性が
もともとこの広がりを持っている、という意味です。

 つまり、心は空間性を超えているものです。私たちが普通空間とか空と言ったとき
これは言葉や概念で捕らえています。無と言ったり空と言ったりしましたが、これは
言葉です。しかし私たちは何かを理解し伝達するために、脳の中の知能の部分を使わ
なければなりませんから、しょうがなくてこれを使っています。広大無辺な限界のな
い広がり、という意味の一つの象徴は空(ソラ)です。日本で空と言ってもなかなか実
感がわきませんが、チベットで、おそらくはパドマサンバヴァが天空を指さして「空」
と言った時、その空はとてつもない青と広がりをもったものとして実感されていたこ
とでしょう。あの空には限界がない。そしてどこまでも深く根がない。どこまで行っ
ても底にたどり着かない。底がない、限界がない、あの空のようにあなた方の心はで
きている、ということはパドマサンバヴァは教えていたと思います。

 私たちの心が大空のように限界もなく底もないとはどういうことか。私たちはこん
な限りのある肉体を持ってこの大脳を働かせながら、言葉を操ったり、理解をしたり、
何かを伝達しようということを行っています。どうしてこの心が大空のような広がり
をもっているなどと言えるのでしょうか。心の中に広がっているもの(=イン)は青
空のような空間ではありません。空間というのは人間が動いて行ける、そういう場所
ですね。そういう場所ではない。私たちが身体を動かしたり、物を動かしたりしてい
るこの空間は外の世界に現われた空間です。この空間も無際限の広がりをもっていま
すが、なぜ、この空のような無際限な空間があるかと言えば、外に現われていない空
間、空間の中に現われていない空間がある、ということを言おうとしている。難しい
ことを言おうとしています。それを分けるために、‘イン’と言っています。‘イン
’というのは私たちの存在そのもの、心そのものを作っているものです。これは限界
がない、と言っています。どんなものにも縛られない、言葉によっても捕らえきるこ
とができない、そういうものが私たちの存在の中で絶え間なく活動し続けている、と
言っています。そしてそれは‘イェシェ=原初的知性’と一体だと言っています。つ
まり、空である私たちの心は知性の働きであるイェシェと一体だと言っているんです。
 ここが後のゾクチェンの考え方として非常に強調されてくるところですが、イェシ
ェというのは知性の働きの最も純粋で、最も原初的な働きのことを言おうとしていま
す。あらゆるものがイェシェの働きの現れです。TVのワイドショーで喋っている人た
ちのあのお話もイェシェの顕現です。学者が話している学問のことも、森首相が喋っ
て時々問題を起こしていることも(笑)イェシェの現れです。あらゆるところでイェ
シェが働いています。しかしそのイェシェは、イェシェそのものの姿を見届けた者に
は、限界がなく全くの偏りのない正しい働きを見せますが、普通の人間にはその本体
が見えません。ですから私たちは、イェシェの働きが自分の存在の中で絶えず行われ
ているのに、イェシェから外れたことを行っています。イェシェが見えないからです。
イェシェの本体を掴んでいないからです。まるで私とあなたは別物であるかのように、
私と外の世界が別物であるかのように頭は考えます。言葉もそうしろと言っています。
「私」と「あなた」(会場を指して)私・私・私…。たくさんいますね。私という意
識はとてつもなく私たちの心を縛り上げています。「何が一番大事か」ということを
誰に聞いてもその通りだ言うでしょう。「私」が一番大事です。私たちは知らず知ら
ずのうちに私に執着しています。しかしこの私もイェシェの現われです。しかし私た
ちは私に執着しているから外の世界を対象として見ています。この時はもうイェシェ
本来の働きは見えなくなっています。イェシェは主体も客体も区別しません。区別は
あっても執着しません。このような働きが私たちのこの心の中で起こっていますが、
この働きが見えません。ですからこの世界は至るところイェシェの働きに満ち満ちて
いて、こうしている時にも、この言葉を語り聞いているものはイェシェです。イェシ
ェが美しいマンダラ状のヴァイブレーションを行っています。しかしそれがしばしば
見えなくなります。みなさんが僕に何の雑念もなく僕に心を向けて言葉を聞いてくれ
て、わたしがみなさんに受けようなんて思わないで、全く穢れのない心で言葉を喋っ
たとすれば、その時、この場にイェシェが現われてきています。イェシェが働いてい
ます。しかし瞬間的にそれが見えなくなります。それはわたしたちが、「ダー(=私)」
というものに執着を持っているからですね。「私がこうして喋っている」と、今僕が
意識を持った瞬間に、この言葉はもうイェシェの言葉ではありません。この意識を一
瞬たりとも持った瞬間にもう見えなくなります。瞬間瞬間に僕はその意識を捨ててい
ますが、その時働き出し、そしてあなた方の心の中で聞こえているもの、これがイェ
シェです。

 ですからイェシェをどこか遠くに探し求めたりするのは間違っています。神様がど
こか遠くにいると思って探しだそうとするようなものです。ここにいます。あなたの
心に働いている、脳の中で働いている、存在全体の中で働いている。つまりあなたの、
その存在全体中で動いているものは、限界のない広がり。これは外の空間となって広
がっている空ではない。けれどもそれは何もしばるものがない、どこにも限界がない、
どこにも底がないようなもの。‘イン’ですね。しかもそれは知性の活動を行ってい
ます。この知性の活動は宇宙全体を満たしている知性的なものの活動です。しかもそ
れは、ゾクチェンが教えているように波動状態です。これが宇宙を満たしている。そ
のことをここでは言っています。ですから、イン・タン・イェシェ・イェルメー(=
インとイェシェの働きが完全に一体になっている。全く同体である)というい方をし
ます。深い認識です。

 そしてそれを表しているのが68種類のダーキニーである、と言っています。ダーキ
ニーはチベット語で‘カンドゥマ’と言いますが、これは「空を行く女性」という意
味です。大地の中にいる女神をわざわざ空を飛ぶ女性と言っているんですね。これは
でも、この洞窟の中で修行していた人のリアリティだと思います。このダーキニーが
自分の眼前や周りに出現してくるヴィジョンを持ちますが、この様子を見ていればこ
れは自由自在に天空を行く女性と名付けたくなります。と同時に、これは大地から現
われ、大地に帰属している力です。

 そしてそれに触れるには洞窟が最も良い場所です。チベットの宗教は洞窟で生まれ
洞窟で発達しました。そして今でももっとも重要な場所は洞窟です。あの高原地帯に
チベット人たちが住んで最初の霊性の探求を行ったのは−これは今の言葉でいうとシ
ャーマニズムとしか言いようがないですが−どういう場所であったか。洞窟です。洞
窟の中で彼らはメディテーションを行いました。そしてしばしばこの洞窟から外の空
を眺めていたでしょう。洞窟の入り口では空を眺める修行をし、また洞窟の入り口を
閉ざせば真っ暗になります。この洞窟の中で明かりを閉ざす修行を古代チベット人は
必ず行っていたはずです。しかしこれはチベット人だけではなくて、北インドから中
央アジアにかけての霊性の探求を行う系統に属する人たちは全てこれを行っていたと
推測されます。洞窟の入り口へ出て空(天空)をずっと見つめながらあの限界のない
空と私たちのこの心の限界のないイン・タン・イェシェ・イエルメーの状態を実現す
るためにヨーガを行う人と、もう少し洞窟の奥に入って、洞窟の真っ暗闇の中で―こ
れはタントリズムの人たちですね−自分の眼前に女神やヘールカなどの神々の姿やマ
ンダラを思い浮かべる瞑想。これが恐らくはチベットの宗教者たちが長いこと続けて
いた修行だったと思います。

 このゾクチェンパと呼ばれている人たちの多くは、チベットの古い宗教者の家系−
後にンガッパと呼ばれることにもなる−のボン教の家系に属する人たちが多かったと
思います。グル・パドマサンバヴァやヴィマラミトラ、ヴァイローチャナが伝えた教
えは、そのような古い伝統とそれ程大きな違いはないものだったからです。しかし、
パドマサンバヴァやヴィマラミトラがチベット人のもとに伝えた教えは、そういう今
まで自分たちが自然発生的に古代から伝えていた叡智のやり方とは全然やり方の違う、
複雑で確実で奥深く、しかも深い哲学に満ちたものだということをチベット人は即座
に理解したんですね。

 チベット人のこの即座の理解の仕方にはとても驚くべきものがあります。チベット
人がどういう人たちかと言うと、突然の変化を好む人たちだと言うことができると思
います。昨日までの友達が友達でなくなることもありますし、ケチクマーって(指を
ぱちんとならして)、突然の変容をします。日本人はなかなかそういう変容を行いま
せんね。ずるずるずるずる、じわじわじくじく変容して行きますから、縄文時代の日
本人と今の日本人を比べてみてもそんなに違わないです。チベット人は突然飛躍を行
います。こんなことを申し上げると(ここにいる)チベット人の方は気を悪くするか
もしれませんが、あんなに文明に遠かった人たちが、突如としてサムイェ寺を建立し、
仏教の体系を作り上げ、文字を作り、それをもってインドの難解な哲学を短期間で翻
訳し、そしてこの翻訳が驚くほどの正確さ。しかも中央アジアやインドからやって来
た先生たちの言葉を正確に理解し、そこで説かれている高度で難解な哲学を体得して、
そしてすぐに自分たちのものにしてしまった。驚くべき能力だという気がします。な
ぜそのようなことが可能だったかというと、長い歴史があるからだと思います。チベ
ット人自身が、仏教が入ってくる前まではチベットには何も文明がなくて、ようやく
仏教が入ったから文明の花が花開いたと言っています(書いています)。そんなこと
を言うから中国人も喜んで「チベットは未開の国だ」というようなことを言ったりし
ますが、そんなことはないです。外見上、物質的文化においては確かに未開状態が長
く続いていたはずです。しかし宗教的伝統においてはそうではなかったと思います。
大変に高度なものが伝えられています。その片鱗はニンマ派の古いテキストの中にも
残されていますけれども、ボン教のテキストを見てみることです。『シャンシュン・
ニェンギュウ』とか『アティ』などの古い本を読んでみますと、ボン教の中にそいう
古い宗教の体系がとても高度なものとして伝えられていたということが残されていて、
それがはっきりわかります。ですからチベット人の世界にはそういうものが長く伝承
されていたわけです。それはある意味で言うと体系化もされていなし、未開な表現方
法をとっていたと思いますが、しかし複雑で高度な探求が積み重ねられていたでしょ
う。だからそこにパドマサンバヴァが触媒をフッと入れた時に、大きな変化が起こっ
たわけですね。突如とした変化が起こりましたけれども、このための準備をチベット
人は5万年6万年の長い間をかけて蓄積していたと思います。ですからそこへパドマサ
ンバヴァという人物が中央アジアから現われて教えを与えたその時、チベット人は即
座にそれを理解したんですね。

 そしてあの翻訳の技術のすばらしさ、正確さは驚くべきものです。私たち日本人の
仏教理解が大変な努力をしない限り、あるいは優れた何人かの思想家でない限り、ど
うも表面的に流れてしまうというのは、自分で翻訳をしなかったからです。中国人が
もののみごとに漢訳してくれていたものをそのまま受けとって勉強しました。だから
最初から仏教を何かわかったような気がしてしまうんですね。般若波羅密多…を、「あ、
般若波羅密多ね」と、分かったような気持ちになってしまいますけど、プラジュニャー
パラミタの難しさといったらないです。で、これをチベット人は一語一語自分の心に、
自分の理解に叩きこむように訳していきました。ですから、この膨大な経典も非常に
わかりやすいように正確に訳されています。しかし中でも驚くのがこのゾクチェンに
ついての翻訳です。非常に難解で複雑なものですが、これをチベット人は正確無比に
翻訳して、今日までこれを間違いなく伝えることに成功しています。

 その霊性をチベット人の中に目覚めさせたのはパドマサンバヴァという人物でしょ
う。謎の人物です。よくわかりません。パドマサンバヴァが教えた教えというのはい
くつかしか残されていませんし、実際の言行録−なにを語ったか−というのも伝説の
形でいくつかしか残っていません。そして比較的短い滞在の後にイェシェ・ツォギャ
ルとともにラサを去って南チベットのロカ地方に退去してしまいます。何があったの
か。これは謎ですね。おそらくパドマサンバヴァが外国人であることと関係があるか
もしれません。なぜならばパドマサンバヴァが伝えようとした霊性は大地にあるもの
を大事にするものですが、しかしそれを超えて、もっと普遍的な人類というものにた
どり着いていくような教えを彼は伝えています。それが可能だったのはパドマサンバ
ヴァがおそらくは外国人だったからです。外国からやって来た人が普遍的な真理を語
った時、チベット人は素直な人たちだから耳を傾けたでしょう。そして自分たちが守
り伝えてきた古い宗教の形は、確かに優れたものではあっても、このチベットの土地
とかチベットの民族に縛られたもので、もっと大きな人間や宇宙、存在そのものなど
の高まりにまで広がってゆくものではない、ということをパドマサンバヴァの教えを
通じて実感したんでしょうね。しかし彼は外国人でしたので、これには反対した人も
たぶんいたと思います。そして、パドマサンバヴァはチンプーを去り、イェシェ・ツ
ォギャルと共にロカ地方に去っていきます。それ以後の伝記はようとして知られませ
ん。ですから伝説が残っているだけで、ここにパドマサンバヴァが来たという伝説が
南チベットからブータンにかけて沢山残っていますが、それを証拠立てるものは残っ
ていません。

 しかし私たちには重要な手がかりが遺されています。それは12世紀になって、この
南チベットからパドマサンバヴァが埋めていたたくさんのテルマを発掘する作業が始
まり、それに成功する人々が現われたからです。ニャン・ニマ・ウーセルという人物
がこの中の中心人物です。ロカ地方を中心に活動した人で、マオチョー・ゴンパがそ
の中心になりました。この人の周りには、南チベット宗教グループというのができて
たくさんの人が集まり、思想運動を始めたんです。長いこと途切れていたパドマサン
バヴァの教えが南チベットにあって、それが発掘されて、その教えをこれから発展さ
せていく、という運動が12世紀に始まりました。そしてそれは、『ニンマ・タントラ
全集』の中にもたくさん残されていますし、『リンチェン・テルゾゥ』にもいくつか
残されていて今日それを見ることができます。このように、ラサからブータンへ抜け
て行く途中にパドマサンバヴァが残していったと教えと呼ばれるものを私たちは今日
知ることができます。それを読んでみますとまた驚きます。ヴィマラミトラの教えと
は全く違うものです。ヴァイローチャナの教えとも全く違うものです。しかし、ゾク
パ・チェンボそのもの教え−これはインドの考え方でもない、中国の考え方でもない、
恐らくは中央アジアの思想的な坩堝の中で実現されたであろうような思想−が、なぜ
か12世紀のチベットで表現されているんですね。しかもそれはグル・パドマサンバヴ
ァの教えそのものだと言われています。これは不思議なことですね。そしてこの教え
が次第に南チベットで発達してきて、グル・パドマサンバヴァの教えとして伝えられ
るようになりました。

 そして14世紀、今度は中央チベットでまた新しい宗教運動が始まります。それは、
カルマパ・ランジュン・ドルジェ、ロンチェン・ラプジャム、リンチェン・リンバ、
こういう人物たちによって始められた運動です。どういう運動かというと、一つはヴ
ィマラミトラが伝えたニンティクとヴァイローチャナが伝えたセムのゾクチェンを、
どうしたら統一できるか、というもの。それからもう一つは、南の方のチベットでグ
ル・パドマサンバヴァのニンティクが発見されているけれども、これと、ヴィマラミ
トラが伝えたニンティクとどうやって統一したらいいのかというもので、この宗教運
動が1320年代に徐々に徐々に起こってきたんですね。この14世紀の中央チベットには、
宗教的に情熱が燃え盛っていました。チベット人の中には宗教的パトスが何度も場発
的に燃え上がりますが、14世紀には爆発しています。その時中心になったのはサムイ
ェ・チンプーです。ここに現われたラマ、リクジン・クマララージャという人物が、
カルマパ・ランジュン・ドルジェとロンチェンパにヴィマラミトラから伝えられたニ
ンティクを完璧に教えました。そしてこの二人が、今いろんなところで伝承されてい
る様々なゾクチェンを一つに統一してしてゆこうとする動きを始めたんですね。そう
したものの中からカルマパ・ランジュン・ドルジェが「カルマ・ニンティク」を作り
出しました。そしてロンチェン・ラプジャムはリクジン・クマララージャの弟子とし
てこの教えを完璧に体系化するために、『ニンティク・ヤシ』という体系を編纂し、
それから『ズドゥン』という素晴らしい哲学書を著してこの二つを合わせます。そし
てもう一つ重要な要素、つまりグル・パドマサンバヴァが教えたニンティクの教えを
どうやって今形成されているゾクチェンの中へ統一させたらいいのかという課題がロ
ンチェンパに手渡されたわけですね。

 ロンチェンパは大変な天才的な人物だったでしょう。しかし彼が最初から全部、何
から何まで作り上げたわけではありません。当時彼はカンリ・トゥーカルを自分の教
えと修行の場所にしていましたが、そこに噂が届きます。東チベットのテルトン・ペ
マ・レーデルツァルという人物が現われて、「カンドゥ・ニンティク」というグル・
パドマサンバヴァの教えを発掘したというニュースが届くわけですね。これは、ロン
チェンパが31〜2才の頃でしょう。この当時彼の周りではいろんなことが起こっていま
した。彼の宗教的人格が爆発する時期です。この時期にロンチェンパはそのニュース
を聞いて、内心少し穏やかではなかったかもしれません。きっと彼は、このパドマサ
ンバヴァのニンティクを発掘するのは自分だと思っていたと思います。なぜかと言う
と、リクジン・クマララージャが予言を残しています。それは「パンガンパ・リンチ
ェン・ツルドルという人物が現われますが、この人物はお前で、その人物がカンドゥ・
ニンティクという教えを発掘するであろう」というもので、これは古くからある予言
だったからです。

 ペマ・レーデルツァルは東チベットのロロ渓谷の近くを修行の場所にしていました。
ロロは今のチベットとインドと中国の国境の辺境地帯です。ここでスバンシリ河が屈
曲してチベットに流れ込んでいますが、この河の支流にロロという小さな(と言って
もチベットですので大きいですが)渓谷があります。この方はもともとブータンに近
い方だったと思います。この方についてブータン人はたくさん面白い伝承を残してい
ます。彼の父親と母親はきょうだいどうし、つまり近親相姦で生まれた子で、そして
幼年時代から大変不思議な能力を示したラマだったと言われています。この人物が若
い時にパドマサンバヴァの霊感を受けて、カンドゥ・ニンティクの教えを発掘します。
つまり、自分の霊感の中で捕らえたこの教えを紙に書くことを行いました。そしてト
ゥルク・レクデンパという弟子にこれを伝えていました。これがロロ渓谷であったと
いうことです。

 これを聞いたロンチェンパはちょっと心配になったと思います。僕の想像ですよ。
自分がロンチェンパの立場だとしたら、これを早く知りたいという気持ちがあります。
ところがロロは彼が住んでいるところからはとても遠いところで、途中の道中も非常
に危険な場所でした。彼にはウーセル・ゴチャいう弟子がいました。この弟子に僕は
非常な近親感を持っています。ウーセル・ゴチャは後半生をネパールのパタンで過ご
されました。その人が住んでいたという場所に僕は何度も出かけていますし、この人
物に深い共感を持っています。このウーセル・ゴチャがロンチェンパの意を察して、
「私がロロに行ってきましょう」と言いました。そして数ヶ月掛かって困難な旅をし
てロロ渓谷へ出かけ、トゥルク・レクデンパの下へ行って「ウのカンリ・トゥカルの
ロンチェン・ラプジャムがあなたの教えを学びたいと言っているので、ぜひこの教え
を私に与えて下さい」と言ったわけです。そして、トゥルク・レクデンパはウーセル・
ゴチャに灌頂を与え、そしてカンドゥ・ニンティクの教えを与えました。ウーセル・
ゴチャはまた困難な旅を通過してロンチェン・ラプジャムのもとに帰ってきます。そ
の時の光景が『カンドゥ・ヤンティク』という本に詳しく書いてあります。ウーセル・
ゴチャが懐かしいカンリ・トゥカルに差し掛かったとき、空には大変な異変が起こっ
たようです。そして、ロンチェンパも大変喜んでこれを迎え、トゥルク・レクデンパ
が伝えてくれたパドマサンバヴァのカンドゥ・ニンティクを学び取ります。教えを学
び取る時には、ラマというのはどんなに偉い人でももう一回弟子となるという非常に
いい伝統が、チベットにはあります。

 しかしロンチェン・ラプジャムがこの教えを紐解いて見てみますと何か足りないも
のを感じました。これがパドマサンバヴァのニンティクだとすると、何か足りない、
と直感したんですね。話を聞いてみると、これを発掘したペマ・レーデルツァルは若
死にをしてしまったという。しかもなぜ若死にをしたかと言うと、まだ完成していな
いうちにこのカンドゥ・ニンティクという宝を掘り出して文字にし、人目に晒してし
まったがためだと言われている。実際そうだというのが分かるわけですね。
 その晩からです。ロンチェンパの周りに大地の女神、ダーキニーたちが次々に現わ
れるようになりました。どういう風に現われたかというとお弟子の女性たちに憑いた
んですね。彼女たちが踊り出してダーキニーの言葉を使えるようになったんです。も
う幾日も幾日も徹夜で一睡もしないでいるところに、このダーキニーが現われて予言
をするわけです。そして、「ロンチェンパ、あなたこそがこのカンドゥ・ニンティク
を完全な形で発掘すべき人物で、リンチェン・ツルドゥルというのはお前だ。お前が
やりなさい。」と、次々と現われた女神がロンチェンパに伝えました。そして、この
熱狂的な雰囲気の中で霊感を受けて作り出したのが、「カンドゥ・ニンティク」の教
えです。

 これが14世紀以後のニンマ派のゾクチェンの教えの一つの主流になります。主流に
はなりますが、これまた16世紀ぐらいに一度途絶えます。それをもう一回復活したの
がジグメ・リンバという人で、これは「ロンチェン・ニンティク」という形で今日伝
えられています。大変によくできた教えです。ジグメ・リンバという人は大変に優れ
た人物でしたから、過不足なく誤解のないように、非常に明瞭なテキストを書きまし
た。このマニュアルは非常によく出来てきます。そして今のゾクチェンを学ぶ人たち
は、このジグメ・リンバが書いたものをまず最初の出発点としてゾクチェンの教えの
中に入っていきます。これはとても良くできた本です。

 良くできた本だというのはどういうことかと言うと、ゾクチェンにはいろんな系列
の考え方が流れ込んでいて、この中にいろんな概念があるんですね。これはどれ一つ
とっても完全にすぽっとジグゾーパズルにはまらないようになっています。ですから
昔の11-13世紀のロンチェンパの前のものを読んでみますと、いろんなものがでこぼこ
して少しもぴたっと収まらないんですね。ところがこれをロンチェンパがぴたっとジ
グゾーパズルに収め込んだんです。そしてそれをジグメ・リンバがもっと美しい形に
表現してくれました。だからそれを通じてゾクチェンというものに、ずっと入ってい
くことができます。

 ここがでも私がが考えるところ、一つの落とし穴だと思います。つまり、いろんな
概念があまりにスムーズに出来あがっていると、これをスムーズに学んでいって知識
として理解していき、そして自分の中に一つの世界観と作っていったとき、あまりに
スムーズなものとしてできあがって頭で理解したということが、あたかもゾクチェン
を体得したということと一体になってしまう危険性があります。今アメリカでさかん
にゾクチェンの本が英訳されて出ていますが、そのどの本にもこの悪影響が出ていま
す。もともとゾクチェンの概念は単純な概念に翻訳不可能なものです。しかも、もと
もとはいびつな格好をしていてジグソーパズルが嵌らないような構成を持っています。
それをかろうじてロンチェンパは整えてくださいました。これをそのまま鵜呑みにし
て、概念としてすっと翻訳できるものだと思いこんでしまいますと、ゾクチェンの本
など翻訳するのはいともたやすいことです。ニャムチクという言葉が出てきたら、“
unbounded wholeness(限界のない全体性)”として訳してしまえ、イェシェを“pre
mordial wisdom”、と、さーっと訳していくことが可能です。しかしこれが落とし穴
だと思います。それによってゾクチェンがあたかも英語に訳され、それによって理解
されたと思いこんでいる人たちがたくさんいます。アメリカにはゾクチェンパがたく
さんいます。そしてその人たちは、すらすらとこの英語に訳された概念を言いますが、
私の実感ではこれは落とし穴だと思います。ロンチェンパはとてもすばらしい仕事を
してくださったので、今までいびつで様々な形を持っていたゾクチェンの言葉を、一
つのすんなりとまとまった美しい見事な体系に収めてくれましたが、それをそのまま
私たちがあたかも始めから出来上がったかのように受けとって学ぶと、とんでもない
誤解に陥るということです。

 私はゾクチェンは翻訳不可能であろうと思います。翻訳不可能であるものをどうや
って伝えるかというと、これは一つ一つの言葉を解釈し、そして体験と合わせる、と
いう過程を通して、時間をかけて理解していくことしかできません。ですから、ゾク
チェンの本を簡単に、スムーズに、きれいに翻訳したものがあるとしたら、これは少
し危ないぞと思ったほうがいいと思います。そしてチベット人もそう言います。例え
ば、ジグメ・リンバが書いた本を読むとよく書けています。すばらしいものです。す
らすらすらすらと、流れるように概念が展開していきます。そしてそれを頭で理解し
実際にヨーガをしてみると、その体験も出てきます。でもそれがゾクチェンかと言う
と、違う、というのが僕の実感です。


 ゾクチェンとは先程も言いましたように、古い来歴を持っているものです。しかも
その体験の層は、ことによっては旧石器人が体験したであろうようなあの宗教体験の
深まり、シャーマンの深まりにまで達しています。そんなものが、そんなスムーズな
概念で現代人にすんなり伝わるとは到底思われません。そういうことを私はしみじみ、
つくづくと感じました。だからゾクチェン研究所のようなものを作って、この複雑な
ものをもう一回でこぼこなものとして取り戻す作業をしたいと思いました。ロンチェ
ンパの前にあったチベット人のいろんなゾクチェンの考え方を、もう一回復元してみ
たいと思います。そして復元されたものはどれもこれもいびつな格好をしていたりし
ますが、しかしこのざらざらした感触こそが、おそらくはあのゾクチェンパが実際に
体験していたものだと思います。もちろん優れた修行者たちは私たちのような現代人
とはちがいますから、自分の心の本体(セムニー)と理解を行う知能との間には、ほ
とんど何も障害物が入っていないでしょう。だからあのロンチェンパが書いたものか
らすっとその本然に入っていくことができますが、私たちはそうではありません。現
代人の頭脳をしてしまっています。体系ができてしまっていますし、いろんなものが
頭の中で渦を巻いてしまっています。そういう現代人の中にゾクチェンという体験と
いうものを開くためには、これはあまりスムーズなやり方をとってはいけないだろう
というのが僕の今の考え方です。

 これから何度かゾクチェンについてお話していきますが、私はなるべく今教えてい
るような、あるいはこれは16世紀の伝統ですが、非常にスムーズに出来上がったゾク
チェンの教えとして語ったりすることをやめようと思います。むしろでこぼこしてい
たり、ざらざらしていたり、旧石器の人間の感覚そのものであったりするものを、み
なさんにお伝えしようと思います。これがあの洞窟の中についこの間までいた(今も
いますが)トクデンとかゾクチェンパの方たちが体験しているもので、それにたどり
着くために私たち現代人はスムーズなやり方をとっては駄目だと思います。スムーズ
なやり方をとったがために、僕の目の前にはあのベールがいつまでも存在し続けた。
これをみなさんに初めにお伝えしたいと思います。これは決してスムーズに学び取れ
るものではないし、人間の中に眠っているとても古い古い感覚、…古いと言うのは逆
に言うと私たちの始まりであり、あるいはこれが人類の未来かもしれない、そういう
ものに触れる体験ですが、そういうものに触れるために、私たちは一度ぶきっちょに
なって、足も片方が不自由にびっこを引いて歩くようにして、片目も潰れ、何もうま
く行動ができないようになって、そういう状態でこのものを見すめ、自分には何もか
も理解できるなんて思う考えは一切捨てて、この思想に取り組んで行かなければなり
ません。それぐらい難しいものです。

 今度は時間を少し元に戻して、チベットに最初にゾクチェンを伝えた人の話をしよ
うと思います。

 この人の名前はヴァイローチャナという人物です。ニェモに生まれました。ニェモ
というのはウとツァンのちょうど間ぐらいの、ラサからシガツェに向かう途中の道を
ちょっと入ったところにあります。今は小さな農村ですが、ニェモからはたくさんの
宗教的な天才が生まれました。ヴァイローチャナはそこで生まれた最大級の宗教的天
才です。

 子供の頃から非常に頭のいい子で、パドマサンバヴァがチベットにやって来て霊性
の教えの種を撒いた頃、人間の運命というのはそういうのが決めますね、ちょうど彼
の人生がこれから上り坂になっていくときに出会ったわけです。まだ少年でしたがチ
ソンデツェン王のもとで出家して、そして非常に頭のいい子でしたので、これを翻訳
官として育てようというのが、インドから来た先生やチソンデツェン王の共通の意志
でした。そこでヴァイローチャナは翻訳官になる勉強を行って、サンスクリット語や、
ブルシャケー(ギルギットの言葉)、ウゲンケー(ウッディヤナの言葉)などをチベ
ット語に即座に写していく訓練をしました。大変な優れた能力をもっていた子供です
から、翻訳官として大変な能力をあらわしたわけです。そしてチソンデツェンがこの
ヴァイローチャナを何人かの同僚とともにインドへ派遣して、さまざまな仏教を学ん
でくるように、と命じました。そこで彼の運命が大きく展開していくことになります。

 困難な旅をしてインドにたどり着きました。この様子はヴァイローチャナの伝記の
中にもよく残っています。そしてどうしたことか、彼はシュリー・センハという当時
北インドで教えていた有名な先生の弟子になりました。どうしたことかと言うのは、
たぶんチソンデツェンもインドの先生たちも、インドのどこかの大きな仏教大学のよ
うなところへ行って、論理学とか大乗仏教の経典であるとか、密教のなかでも非常に
オーソドックスなチャクラサンバラとかヘーヴァジュラというような密教を学んでこ
させるためにインドへ派遣したんです。ところがヴァイローチャナはシュリー・セン
ハと会います。

 シュリー・センハという人はこれも謎の人物ですが、はっきりしていることは、中
国で生まれたということです。ロンチェン・ラプジャムはシュリー・センハの人物を
言うために、「ギャナ・ハシャン・シュリー・センハ」という言い方をしています。
‘ギャナ・ハシャン’とは「中国の禅坊主」という意味です。これはチベットでは蔑
称です。つまりサムイェで宗教論争が行われて、中国系の禅は全部だめ、この伝統に
つながるものは異端だということになったんです。ですからギャナ・ハシャンという
言いかたは、オーソドックスなチベットの仏教の言い方からすると、よくない教えの
持ち主だ、という意味で言われていたんですね。ですがロンチェンパという人は、先
ほども言いましたように面白い、…危険だと言われていた方ですので、そういうとこ
ろ気を利かしているんでしょう。これは『チューイン・ゾゥ』に書いてあることです
が、「私がこれからみなさんに教えるのは、ギャナ・ハシャン・シュリー・センハ(中
国禅僧シュリー・センハ)の教えである。これは素晴らしい教えである」と、さらっ
と書いてあります。わざわざそういうことを書く方だったんですね(笑)。おそらく
そういう伝承があったんでしょう。

 このシュリー・センハという先生は大変不思議な先生です。もちろん当時インドに
伝わっていた仏教も密教も、大概マスターしていました。どんな密教でも彼は教える
ことができたでしょう。ところが、ヴァイローチャナに教えたのはそういう教えとは
一風変わった教えでした。ゾクチェンという教えでした。このゾクチェンという教え
は当時シュリー・センハが滞在していた王国でも、一般に教えることは禁止されてい
たと書かれています。普通の教えではないと言われ、しかも外国人には教えるなとい
うお達しがでていました。これをシュリー・センハはヴァイローチャナに教えていま
すし、ヴァイローチャナも、それを教えて下さい、それが自分が学びたかった教えで
す、とお願いしました。

 これは当時としてはとても危険な行為だったようです。王国では禁止されていまし
たし、ましてや外国人にそれを教えることは御法度でした。これをシュリー・センハ
はヴァイローチャナという青年を見て教えようと思ったんですね。そしてどういうふ
うにしたかというと、深夜教えました。昼間ヴァイローチャナは、ただのチベットの
田舎からやってきた留学生として後ろの方で小さくなって講義を聞いていたんでしょ
う。そこでは般若経の教えを説いたり、あるいは密教の有名なチャクラ・サンバラの
体系とかいろんな教えを説いていたでしょう。それをヴァイローチャナがいっしょに
教えを聞いていても、他の人たちは何とも思いません。ああ、外国人が奇特なことだ、
ぐらいにしか思わなかったでしょう。ところが夜、みなが寝静まった頃、ヴァイロー
チャナはそっとシュリー・センハの部屋に呼ばれて、そこでゾクチェンという教えを
伝達されています。このゾクチェンという教えをシュリー・センハの他に伝えている
先生はそう多くはなかったようですし、ヴィマラミトラもシュリー・センハのもとで
同じようにゾクチェンを学んでいるようです。また伝承によるとパドマサンバヴァも
そうだと言われています。

 そしてヴァイローチャナはこの教えを受け取るやチベットに帰ろうとします。身に
危険を感じたからでしょう。その時彼は、あまり表立った荷物をもって帰ることはで
きません。ゾクチェン関係の大きな書物などというものが国境地帯で見つかったりし
たら大変なことになります。当時は国境の検閲が厳しかったので、とてもそんなもの
は持ち歩けなかったんですね。そこでどうしたかと言うと、これは古代人がよくやる
やり方です。荷物を開かれた時に気づかれないよう貴重なテキストを持ち出すやり方
です。いろんな方法がありますが、ヴァイローチャナが使ったやり方は羊皮紙のよう
なものにやぎの乳で書いておいて、後で炙り出すというものです。古代人はこの方法
をよくやっています。日本書紀を読みますと、百済の使者が日本へいろいろ連絡をす
る時に、黒い扇子に黒いインクで書いて、あとで炙り出すという方法をとっています。
昔は(今もそうかもしれませんが、)途中で泥棒にとられる危険性がとても多いので、
泥棒が見たときに立派な本だったりしますと貴重なものと知れて持っていかれてしま
います。ところがただの羊皮紙だと、こんなものなんともない、持っていけ、となり
ます。だから身の安全が保たれます。ましてや国境を危険な状態で通過していくとき
は大変な用心をしなければなりませんでした。そこでヴァイローチャナは用心に用心
を重ね、シュリー・センハが与えてくれたゾクチェンの最高のエッセンスであるたっ
たひとつのテキスト(このほかにもたくさんのテキストを彼は暗記したでしょうが、
伝説ではこれからお話するたったひとつのテキスト)をこの羊皮紙に秘密に書き付け、
それをふところに入れて北インドを逃げ出したと言われています。

 そしてチベットに無事戻って火に炙って浮かび上がらせました。その時、チベット
へ持ち込んだ最初のテキストだと言われているのが、この『リクパ・クジュク』とい
うテキストです。  これがチベット人が最初に知ったゾクチェンの言葉です。‘リク
パ’と‘クジュク’という二つの言葉でできていますが、この言葉がチベット人に伝
えられた最初のゾクチェンの本で、ゾクチェンのタントラだと言われています。本当
に短いものです。ヴァイローチャナは五つのタントラをご本人で訳したと言われてい
ますが、そのうちの一つです。しかも非常に来歴のあるもの。つまりチベットにもた
らされた最初のゾクチェンの言葉がこれです。  ‘リクパ’というのは、瞬き出るよ
うな爆発的な存在の力、知性の働きのことを言っています。どんより曇ったものでは
ありません。なにか直感的な悟りが私たちの心のなかにひらめくこと、これもリクパ
です。普通日本の仏教や密教では「明知」と訳されてマリクパと対置させられていま
す。この場合の‘マリクパ’というのは私たちみんなの煩悩の雲に覆われた無明の心
を言っていますが、それに対してリクパというのはそのような無明が取れた状態、マ
リクパがなくなった状態を言っています。しかしここはゾクチェンの言葉ですからそ
れとはまたちょっと違います。これを動きで言うと、何かがぴちぴちと躍り出ること、
溢れ出ること、爆発することを言っています。禅宗では「活〓〓地」という言葉で私
たちの心の本性の状態を、魚がぴちぴち跳ねるようだ、と言っています。それとよく
似た概念です。どんよりしていない、どこかへ篭っていない、瞬間的に瞬きでるよう
な、爆発して外へ現れるような、そういう感覚がリクパという言葉の中には含まれて
います。  そして‘クジュク’はカッコウという意味です。非常にポエティックなテ
キストだということがわかりますね。「リクパのカッコウ」という意味です。カッコ
ウという鳥が初夏に鳴く声を聞いたことはありますか、みなさん。なによりもびっく
りするのは大声で鳴くことですね。耳のこんなところで「カッコウ!」と鳴かれた日
には本当にびっくりします(笑)。そしてこの「カッコウ」という声が初夏の到来を
告げる声です。これはヨーロッパでもナイチンゲールなど、カッコウの鳴き声は非常
に強い印象を人々に与えていますが、チベット人にとってもカッコウの鳴き声は非常
に印象深かったようです。それまでは荒れ地のようなところだったのに、カッコウが
鳴き始めと草が生え始め、そこに花が芽生えて、きれいな草原が一面に広がってくる
ようになる。そういう初夏を告げる鳥として、チベット人にとっては特別な意味をも
っている。これはボン教の古いテキストにも出てきますから、たぶんチベット人は古
代からカッコウに特別な意味を与えていたのでしょうね。チベット人だけではなくイ
ンド人にとっても特別な鳥です。何か明るいもの、生き生きとしたもの、何かを蹴立
てて飛び立っていくような勢いにみちたもの、こういうものをカッコウという鳥の中
に見ていましたから、詩の中にカッコウが出てくるときには、勢いよく夏が来たぞ、
という伝言を与えてくれます。

 このテキストのタイトルは『リクパ・クジュク』と言われていますが、ヴァイロー
チャナかシュリー・シンハがそういうタイトルをつけたのかどうかは断定できません。
インドにもともと伝わったのなのかどうかはわかりません。この接続の感覚はチベッ
トぽいです。リクパとクジュクをいっしょにする感覚はどうもチベット人のセンスで
す。ことによるとこれはヴァイローチャナご本人が、「先生がお伝えになったあの短
い言葉のタントラのタイトルはなんですか?」と聞かれたときに、即座に思い付いて、
「ああ、あれは『リクパ・クジュク』だ」と、こう言ったのかもしれませんね。チベ
ット人は詩が非常に好きですし即興で詩を作る能力が非常に高いですから、たぶんヴ
ァイローチャナご自身の、これは「リクパ・クジュクだ。この感覚がよく分かるでし
ょう」という、この言葉によって、チベットにはゾクチェンの教えが伝えられました。
あのゾクチェンは大声で夏を告げるカカッコウのようなものだ、こういう感覚が込めら
れていますね。とてもきれいな詩的なものです。そして短い詩の中にたいへん深遠な
内容が込められています。


【リクパ・クジュク】

 ナツォ・ランシン・ミニーキャン
 sna tshogs rang bzhin mi gnyis kyang
 世界の多様性は、その本性において二元性を超えたものでありながらも

 チャシェー・ニードゥ・トゥタンデル
 cha shas nyid du spros dang bral
 (個体性をもって現象する)その個体性そのものは、
 心がつくりあげる概念の構成からは自由である

  ジシンパシェ・ミトーキャン
 ji bzhin pa shes mi rtog kyang
 世界に「まさにかくのごときもの」と確定できるようなものを
 思考することはできないが

  ナンバルナンゼ・クンツサン
 rnam par snang mdzad kun tu bzang
 かくのごとくに(心によってつくりだされ)
 まざまざと現われた多様な現象はそれ自身においては
 (善悪の判断を超えた)絶対的な善なのだ。

 ズィンベー・ツォルウェー・ネーバンテー
 zin pas rtsol ba'I nad spangs te
 存在は自ずから成就しているのであるから、
 努力によって何かをつかみとろうとする心の病気の根を絶って

 フンギ・ネーペー・シャクパ・イン
 lhun gyis gnas pas bzhag pa yin
  あらゆるものがそのままで完成状態にある、
  その中に無努力のままとどまることが、私の教え。

どういうことが語られているかというと、

【ナツォ・ランシン・ミニーキャン】


 ナツォというのはいろんな現われをしているものという意味です。花、山、川、人
間、動物、植物いろんなものがこの世界にはいろんなもの(=ナツォ)として現れて
います、ということです。

 ランシンはその本性、ミニーキャンは二元性を超えている。つまり、世界にはいろ
んなものがあるけれども、二元性を超えているという意味です。二元性を超えている
というのはどういうことかというと、「私」が外の世界を見たとき、対象をたくさん
見ます。人間という主体が周りにある世界を対象として見たとき、「山」「川」とい
うふうに世界は確かに多様です。でもここで言われているのは、そうではないですね。
そういう二元性はないと言っています。「見ている私も私によって見られている花も
一体だ」と言ってるんですね。ですから、禅宗の言葉に「我花をみる。我花であり、
花は我である」という言い方がありますが、このこの言葉で言い伝えられようとして
いるものとよく似た内容を伝えようとしています。世界は沢山の無限の多様性をもっ
て表れているけれども、それは本性において、「私」と「彼」「あれ」と「それ」と
いうふうに分別できるものではないと言っています。その分別を超えたものをとらえ
るものがあります。禅宗ではうまい言葉を使って、「無分別智」という言い方をしま
す。分別を超えているもの、これが「霊性」と呼ばれているものです。人間が分別の
心を超えて、霊性に満ちた・魂に満ちた眼をもって世界を見たとき、私と花とは別物
ではないということです。あらゆる多様性は二元性を超えていますと言っているわけ
ですね。巨大な(=ニャムチク、という言葉があとで出てきますが)全体性の中にあ
る、ということがこの最初の中で言われていることです。

【チャシェー・ニードゥ・トゥタンデル】


 これは、いろんなものは個体性をもって表われている。あなた、あなた、あなた、
全部個体性をもっている、しかしその個体性は心が作り上げる概念から自由である、
というのが言葉どおりの意味です。

 これはどういうことかと言うと、先ほど「ナツォ・ランシン・ミニーキャン=一個
一個の多様性を持ったものは全体性の中につながっていて、二元性を全部超えている
んだ」と言っていましたが、しかし、この世界は個体性を持ったものとして表われて
いても、その個体性をもったものをべつに、個体性は本当はなくてあるのは無だけだ、
とか、そういう言い方ではないんですね。個体性は確かにあります。あるけれども、
その個体性はあるがままで全体性に巻き込まれていますよ、ということを言っている
わけです。だから、全体性に巻き込まれているから、あなたはここに個体性として「あ
る」とも言えるし、同時に、全体性の中に巻きこまれたものとして「ない」とも言っ
ている。

 この個人の表れ方は、個体性があってもそれはなくなりはしませんが、その個体性
は全体性の中に巻き込まれているから、この個体性は決して概念が頭ででっち上げた
ものではありませんよ、ということを言っているわけです。もっと言うと、概念が私
とかあなたという形で概念化してくるものは、大きな巨大な全体の運動の中に巻き込
まれていますので、それは心が構成して作り上げたものです。この個体性の幻想―こ
の身体を持って、洋服を着て、この目をしている−は心が構成して作っているもので
す。私たちは目で見たり、感じたり、記憶を思い出したりしながらあるイメージを作
り上げています。これは真実の個体性ではありません。なぜならこれは心が構成して
いるものだからです。じゃあ、ここにあるものがないかというと、ないことはないん
です。あります。

 もっと言いますと、この世界にあるものが全部バーチャルなリアリティで夢みたい
なものだから、一個一個の個体性なんてないんだ、そこにある山なんてそんなものな
いんだ、全部心が外の世界に映画のように投写しているものだからそんなものはない
んだ、とヴァーチャルリアリティとか今のコンピュータ関係の考え方には多いですね。
だから現実感覚がなくなっていきます。唯識でもこれと似た考え方を行います。唯識
は三界は心が作り上げたものである、だから心がなくなれば三界はなくなる、という
言い方をしますが、それとは違う考え方がここでは言われています。リアルなものは
ある、個体性はある、と言っているんです。そしてこの個体性はあるけれども孤立し
ていないですよ、これは全体性の中に巻き込まれていて、この全体性の中に巻き込ま
れている個体性を如実に見る眼をもてば、それはその個体性についていままで持って
いた心の構成が作り上げる幻想は一切消えてゆくけれども、このリアルなものはある。
山は山としてある、川は川としてある、概念構成から自由なものとしてそこにありま
すよ、リアルなものはありますよ、と言っているんですね。これはですから唯識の考
え方とは違いますね。唯識は「三界は心である」と言いますし、バーチャルリアリテ
ィの人々も「ヴァーチャルプログラムが投射された現実の中に私たちはいる」あるい
は「この世界はヴァーチャルだ」と極端に言う人もいます。インドの哲学者シャンカ
ラの考え方もこれに近いでしょう。これはリアリティを否定します。三界はイリュー
ジョンです。ところがゾクチェンの考え方はそうじゃない。リアルはありますよ、と
言っているんです。リアルはリアルとしてあります。山は山としてある。しかし、こ
れは概念が構成した山というものを解体することができる。解体しなければ本物の姿
は見えてこないでしょう。しかし、概念の構成が作り上げた山や川や、あなたやあな
たが消えていったからと言って、山や川やあなたがなくなるわけではない、リアルな
ものはここにあると言っています。ただ、それは、「ナツォ・ランシン・ミニーキャ
ン」です。個体性としてあらわれたものも二元性を超えて、(ニャムチク=)全体性、
無際限な広がりを持った全体の、巨大な存在の流れの中に巻き込まれてあるのだから、
単独に自立しているものと考えることはできない、ということですね。

 だからゾクチェンの考え方はリアルなものを否定しないというところが重要なこと
です。リアルなものはある。しかしこのリアルなもについて心が構成したものは幻影
として破壊してしまうことができる。しかしそれによってこの世界のリアルな本性が
なくなるものではない、と言っているんです。

 これはある意味でいうと、私たちがこの世界に生きていることに大変な勇気を与え
ます。夢ではありません。あの花も植物もリアルなものです。けれどもこのリアルな
ものに到達するために、私たちが通常使っている感覚器官や頭の中の構成作用では、
そのもののリアリティにたどり着くことはできないです。なぜならば、私たちの心は
この際限がないと言われている全体性をそのまま体得することはできないからですね。
ゾクチェンというのはこれを体得した時に初めて、際限のない全体の運動の中に巻き
込まれてあるこの個体性というものの、リアルな姿を見届けることができる。ゾクチ
ェンの考え方はここが重要です。つまりリアルを見抜くということであって、決して
幻影をそのまま去ったからといって悟りが得られるとかいうことではありません。こ
の考え方は、哲学的に言えば中観の考え方とも少し近いと言えるかもしれませんし、
禅の考え方とは非常に近い考え方ですね。

【 ジシンパシェ・ミトーキャン】


 ‘ジシンパ’というのは初期のゾクチェンの中でとても重要な概念です。ジシンパ
とジニェーパという言葉が二つ出てきますが、このジシンパというのは、「あ、世界
とはかくの如くそのとおりだ(パチン、と手をはたく)」と、いうことですね。これ
を如実に見る認識のことをジシンパといっています。つまり心が構成しているものを
自分の心の中から全部剥ぎとって、裸になったリアリティを如実にあるがままに見る
ことです。

 ジシンパ(=世界はかくのごときものだ)という、(チェ=)それさえも、無思考、
考えない、と言っている。つまり、世界はかくの如くある、という認識を考えすらし
ない、と言っています。それを考えた瞬間に世界は対象化されてしまいますから、そ
れは世界は、「かくあるものである」と頭が再び構成することになりますね。それを
超えたリアリティを見なければいけない、というのがここの考え方です。だからジシ
ンパというのは非常に重要な言葉ですが、しかしそれさえも考えません(ミトーキャ
ン)が、…。

【 ナンバルナンゼ・クンツサン】


 ここでは掛詞を使っています。‘ナンバルナンゼ’は、チベット語でヴァイローチ
ャナ・ブッダのことを言いますが、かくの如くざまざと顕れる。これをナンバルナン
ゼと言っています。かくの如くまざまざと顕れたナンワ(顕れ)はクンツサンである。
‘クンツサンポ’と名詞形にしたときはゾクチェンの原初の仏さま、存在のリアリテ
ィそのものを表わしていますが、ここではクンツサン、=絶対善だ、と言っています。
ということは、かくの如く如実に顕れたものは全て絶対善であると言っている。

 つまり私たちがゾクチェンの心をもってこの世界のあるがままの姿を見て、この世
界を見通したとき、いろいろなものは素晴らしい顕われ方をしています。人間もまる
で花が咲き出でるように、生命の中からその存在を輝かして顕れています。一人一人
がみんなそうです。それが心の中に悩みや煩悩を抱えたりしていると、自分がそうい
うものであることがなかなか見えなくなっていますが、それを全部取り除いてみまし
ょう。取り除くと言うよりも、そんなものがあっても構わない。そんなものがあって
もまるで空の雲のようなものであって、その背後にある青い空のことを考えろ、とい
うことでしょうね。だから、ナンバルナンゼ・クンツサン=かくのごとく如実に顕れ
ている存在は絶対善だ、と言っているわけですね。クンツサンポ(サマンタバトラ)
というのは、日本語で言うと絶対善です。全部よし、オール・グッドという意味でし
ょう。なんか白樺派の「日々是好日」みたいなかんじがしますが(笑)、あれを強烈
にしたようなものですね。全部よし。OK。大肯定。これが‘クンツサン(絶対善)’
という意味です。この世界には絶対善しかないんだ。もし悪があるとすれば、それは
客人である外から訪れる煩悩によって私たちのリクパが曇らされたときに、外の世界
を見つめる私たちの心にダーシェン=私というものに対する執着が発生する、その時
に発生する。けれども、この悪はこの世界にもともとリアルなものとしてあったもの
ではない、ということが言われていますね。私たちの心の本性においては絶対的な善
であって、それと同じようにこの世界にあらわれているものは、「ナンバルナンゼ・
クンツサン」と言っているわけですね。

 

【ズィンベー・ツォルウェー・ネーバンテー】


 と、いうことを理解し、努力するという病気を脱却して、という意味ですね。

 これはあらゆる精神的探求者や宗教者に対する一番よい処方箋でしょう。努力して
グレードを上げていったり、悟りに近づいていったり、ああ、自分は何とかリンポチ
ェから灌頂を受けたからまたひとつ存在のステップが上がったとか、新しい教えを貰
ったから自分はすごく賢くなって、そのとおり勉強していくとどんどん立派になって
神に近づいていく。こういう努力をずっと重ねていくことによって、いつかはリアリ
ティの本体・悟りに近づいていくことができるだろう、というこれは、ツォルウェー・
ネーバンテー=みんなお病気です、と言っています。一切の努力、修行はお病気です。
なぜならば存在の本体はここで完成しているでしょ。ほら、どれを見ても全部完成し
ているじゃないか。あなたの心自体がそのあるがままで完成してあるじゃないか。と
ころが私たちはそれを見ることができない。そのために、この世界のどこかに、ある
いはこの先自分が行くいつかの時に、何か努力をすればそこにたどり着いていけるん
じゃないか、というようなことを考えている。これは全部病気だと言っているんです
ね。この病気を全部捨ててしまおう。これが、「努力をしない=無努力」というゾク
チェンの教えの根幹です。

 無努力というのは別に、ごろごろしていれば何とかなる、とかいうことを意味して
いるのではありません。先程言いましたように、ゾクチェンパは山の中へ篭ったりし
て、端からみると大変な努力をしているように見えますが、あれは努力をしないとい
う努力をしているんですね(笑)。努力をすることほどたやすいことはありません。
努力をすれば何かが得られると思い込んで、努力をしていれば日々の充実があるよう
に私たちは思い込みます。だから新興宗教はお金が儲かりますし、自己開発セミナー
も客が絶えないわけです。みんな努力をしてそれがどこかにあると思いこんでいます。
ゾクチェンパは、それは全部病気です、と言っているんですね。それはもう心として
完成しているし、存在自体も完成している。この完成を見届けること自体が重要であ
って、そのためには無努力の状態に入らなければいけません、と言っています。この
無努力の状態に入るにはたいへん努力をしなければならない、というのが面白いとこ
ろです。なぜなら、私たちがジェットコースターで落下していくのは非常に楽です。
私たちは努力をすればするほど病気の中に落下していくことができますし、それは快
感です。努力くらい快感なものはありません。目標が定められていその目標のために
マニュアルがあって、中間試験、期末試験を突破して、一学年上がってまた次の段階
へいって、だんだんだんだん高くなっていく。これが修行というものでしょう。が、
これは病気です、と言っているわけですね。ああ、困りましたね。あれだけ修行修行
と言っている人たちにどうしたらいいでしょうか。それは病気です、と言っているわ
けです。

 【フンギ・ネーペー・シャクパ・イン】


 フンギ・ネーペーは、あらゆるものがそのままで、ここで完成しています、心の中
ですでに完成状態にあります、という意味です。シャクパインは、このように理解な
さることです、このように私が教えますからかくの様に理解しなさい、こういうこと
です。

 この短い詩は金剛詩にも属します。当時のタントリストがこういう短い詩をたくさ
んつくります。また、ラダワ、日本で言えば口訣というものでしょう。日本の古い伝
統ですと口訣には切り紙灌頂ということを行います。切り紙の小さいところに境地を
書きつけたものを弟子が頂く、というのが相承伝承の形式になっていますけれども、
インドではたぶんこれがそうです。シュリー・センハがヴァイローチャナに与えた口
訣(ラダワ)です。短い詩の形に悟りの境地を凝縮してきり紙ならぬ羊皮紙にミルク
で書いて手渡したもの。短い詩ですが、ここには何万ページと書かない限り思想を展
開できないほど深遠なことが書かれています。これをいつも心の中に秘めてヴァイロー
チャナは生きていたわけですし、ゾクチェンパと言われている人たちはこの詩を非常
に重要なものと考えていました。

 これがチベットに最初にもたらされたゾクチェンのタントラです。非常に深遠な内
容をもっています。この内容を自分のものとして体得するには、つまり無努力の状態
に辿りつくためには大変努力をしなければなりません。なぜなら私たちの精神は重力
の法則によって落下するようにできているからです。落下するために努力しています。
あらゆる宗教的努力、あらゆる認識的努力は病気です。私たちは病気を深めるために
宗教の中に入り、学問に入り、そして人生の中に入りこんでいるかもしれません。私
たちが無努力を実現して、このリアルな世界に生きることができるとしたら、この生
き方がゾクチェンだと言っているわけですね。あるいはこのリアリティの境地そのも
のがゾクチェンだと言っています。でも、ここではまだ‘ゾクチェン’という言葉は
使っていません。非常に分かり易い言葉を使って深遠無比な内容が語られています。

 これをヴァイローチャナがチベットに伝えたわけです。ヴァイローチャナにチソン
デツェン王が、「おまえはインドでなにを学んできたんだ」と聞きますと、こういう
教えを学んできたんだ、と言ってシュリー・センハから学んだゾクチェンを語りまし
た。チソンデツェンは大変気に入りました。お妾が沢山いたのでこの王女さまたちも
非常に感動しました。

 たぶんこれはチベット人の心の中に、日本人や禅宗や浄土宗に通じるある種の悟り
の傾向があるんだと思います。インド的なステップ・バイ・ステップの体系にはなじ
まない何かがあるのだと思うんです。インド人の先生たちは大変なマニュアルを決め
ているんですね。唯識何年、中観何年、五体投地何年、それじゃ密教に入りましょう、
というように膨大なカリキュラムがあって、これはこれで立派なやり方ですけれども、
チベット人の心の奥底にはそれとは違うものが眠っているようです。彼らはある面部
分まじめな方たちですから、インド人から学んだものを本当にまじめに勉強をします。
鰯の頭に信心かな、ぐらいにまじめです。なんでばかなことをこんなに一生懸命勉強
するかなあ、と僕らが思うようなものまで大事にする面白い方たちです。ただ、心の
奥底にもう一つのものが眠っているようです。これは東アジア全域に広がっている世
界のリアリティを認識するためにはステップ・バイ・ステップでいくのではなくて、
瞬間的に真理そのものにタッチしてしまう、このやり方の方が本当だ、という考え方、
これがチベット人の中に眠っています。中国人はこのことをものすごく発達させまし
た。禅です。つまり瞬間的に(=頓)悟ってしまう「頓悟」というやり方を発展させ
ました。これも東アジアの人間の心の中にあるリアリティについての見方の、間にス
テップを入れたり媒介を入れたりするんじゃなくて、直接触れてしまう、というやり
方に対する好みを、禅宗として発展させたわけです。日本人がこれをどういうふうに
発展させたかというと、浄土真宗でしょう。あれも何もしません。修行しないんです。
あの浄土真宗の坊さんたちを見ているとこの言葉を誤解しているとしか言いようがな
い人がいっぱいいますけど(笑)、親鸞が言わんとしていることはそういうことでは
ありません。親鸞はこれとほとんど同じことを言っています。「計らいを捨てろ。計
らいをすてると阿弥陀如来が瞬間的に来る」と言っています。ここの考え方でしょう
ね。つまり媒介などいらないんです。何の媒介も要らない、何の修行も要らない、何
の計らいも要らない。しかしそれが実現できた瞬間に阿弥陀如来がこの世界に、自分
に眼前する、というのが親鸞上人の考え方ですね。これは後々になると、修行しなく
てもいいとか、悪を犯してもいいとか、いいかげんなことを言う連中がいっぱい出て
きますすけれども、親鸞上人の考え方はこれと同じです。日本ゾクチェンパ第一号か
もしれませんね(笑)。あの方は努力に努力を重ねて努力を放棄して、無努力にたど
り着き、他力というところにたどり着きました。五木寛之がそうかはまだわかりませ
んけれども(笑)。しかしこの東アジアの中にはどうも頓悟の考え方が眠っているよ
うです。これに対してインドから西の方ではちょっと違う考え方ですね。ことにイン
ド人はヨーロッパ人と同じ考え方をしますから、ステップ・バイ・ステップで概念の
体系をしっかり決めてから次の段階にとりかかる。巨大な建築物を作るわけです。こ
れに対して東アジアの方は、いやいやそれは確かに立派なことだけれも、いくら作っ
ても駄目じゃないか。いくらやっても、立派な伽藍はできるけれどもリアルなものに
はたどり着かないんじゃないか。なぜならリアルというものは道端にある石ころのよ
うなものだから。石ころが真理だと見れば真理だけれど、見ない眼にはそれは真理で
はない。だから、巨大な伽藍を作ったり、哲学の体系を作ったりすることになるだろ
う。そのやり方を仏教のインド系の人たちは愛好しているが、私はどうもそうではな
い、というところがあります。頓悟の心があります。ですから、ゾクチェンは禅だ、
というような愚かなことを言い方をする人たちがありますが、禅ではありません。禅
との交流はありますが、中央アジアあるいは北インドに発達した思想の非常に高度な
形態です。しかもこれは頓悟です。瞬間的に何の媒介もなく、直接に真理にたどり着
いてしまう、このやり方。これの広がっている領域は広大です。

 ですからゾクチェンを日本人に説くということは、わたしの考えでは外国思想を伝
えているような気がしません。空海や最澄はインドの中国経由の密教の思想を日本に
持ってきたし、最後までその意識は消えなかったかもしれません。空海の場合には、
そのために日本化の努力をいろいろ行いました。ところがゾクチェンに関しては、僕
はなにか、ヨーロッパの哲学を勉強しなさい、とか、デリダがとか、ヘーゲルがとか、
というような気持ちでみなさんに教えているつもりは何にもないんですね。なぜなら
これは日本人が知っていることだからです。しかも鎌倉時代には日本人はこの思想を
全く独自な形の思想で展開しました。日本風のやり方です。チベット人のようにあん
なにスマートにカッコよくないですね。浄土真宗のあの毛坊主!きたない髪の毛を伸
ばして、あのぼろぼろしたようなお坊さんたちですね。今の本願寺系だともっと、お
坊さんで袈裟を着てるんだけど髪伸ばして、ぜんぜんさまにならないです。あのさま
にならなさをよしとする感覚、これが日本の何かでしょう。日本人はどうもあんまり
カッコよく決めるってことがいいと思わないところがあるようです。だから同じリア
リティについての頓悟の考え方でも、浄土真宗として展開されたもの、あるいは浄土
真宗の考えとよく似た考え方は、これは不思議なことですけれども日本の神道の考え
方に非常によく似ているんです。これは鈴木大拙さんが『日本的霊性』という本の中
でよく解明しています。不思議なことですね、これは。

 ですから、やれ仏教だ、やれ神道だと、こういうふうに分けたりするというのは本
当に愚かなことだ、という気がします。あるのは霊性だけです。日本的霊性というの
はあります。チベット的霊性があります。中国的霊性があります。そしてこの霊性は
どれも心の底で、瞬間的な悟り、頓悟をよしとしています。マニュアルを作って、段
階的にステップ・バイ・ステップで努力と勉強を積み重ねて真理にたどり着くという
やり方、これは後々ヨーロッパでは哲学やキリスト教神学として発達しましたが、こ
れをよしとしない考え方があります。チベット人の中にもこの頓悟の考え方がありま
す。そしてヴァイローチャナは中央アジアと北インドからこの頓悟の考え方をもって
きてチベット人の心の中に放り込みました。そしてそれはゾクチェンの教えとなって
大きな火となってのちのち広がってゆくでしょう。 ところが、ヴァイローチャナの前
には大変な悲劇が待ちうけております。こんな教えは許さないという人たちがたくさ
んいたからです。つまり、これからチベットは王国として作っていくのに、石ころに
真理があってそれが道端に転がっている、という言い方をされたんじゃカッコつかな
いでしょう。せっかくサムイェの大きいお寺を作っても、伽藍に意味がない、と言わ
れたんじゃカッコがつかないですね。やはり王国を使って権力というものを作ってい
くためには出家から始まった学問の大きな体系が必要です。伽藍も必要です。権威の
体系も必要です。チソンデツェン王は悩んだでしょうね。心の底ではパドマサンバヴ
ァも似たことを教えていたし(この頃はもういない)、ヴァイローチャナも自分に同
じことを教えていた。だけども周りの連中はこの教えを、いかん、と言うわけですね。
ヴァイローチャナはだんだん追いつめられていきました。都合がよくないことにヴァ
イローチャナは非常にもてる男だったようですね。きっといい男だったんでしょうね。
王女様たちのファンがいっぱいついちゃったわけです。いつもヴァイローチャナが講
義する前には、女の人がいっぱいいたわけです。これはスキャンダルの格好の材料に
なるわけですね。密通ということを言われました。それからインド人が悪口を言って
きたんですね。自分たちの教えを盗んだやつがチベットにいる。ヴァイローチャナと
してはスキャンダルまみれになっちゃったわけですね。チソンデツェンは困りました。
そして彼をカム地方のツァワロンへ追放することになりました。当時のカム地方はラ
サ近辺のウヅァンとは全く別世界でした。ツァワロンがどこにあるのかははっきりし
ません。今のツァワロンは熱帯のような気候のところです。そんなところへ流されて
いたら本当にヴァイローチャナはかわいそうだという気がしますが、たしかにカムの
人気もないようなところへ追放されています。

 ではチベットでこのゾクチェンの教えがヴァイローチャナがカム・ツァワロンへ追
放されてしまったあとに途絶えてしまったかというと、そうではない。本当に数奇な
運命が待っていました。こんな田舎で、こんな優れた若者がいるかというようなユダ・
ニンボという人物が出てきて、ヴァイローチャナの弟子になります。そして彼にゾク
チェンの教えを伝えました。そしてある時、ユダ・ニンボはラサに上っていき、ラサ
のサムイェ寺に着いて自分の先生のヴァイローチャナの教えはこういう教えです、と
説き始めました。もう何年もたっていますので、ヴァイローチャナの記憶はサムイェ
寺から消え去っています。昔ヴァイローチャナというのがいたなあ、ぐらいに記憶さ
れている程度ですね。そこへ、ユダ・ニンボというカム地方からやってきた人間が現
れて自分の先生の考え方を説いている。みんな驚きました。

 そしたらそこへインドから新しい先生が呼ばれてやってきていたんですね。これが
ヴィマラミトラという人物です。彼はインドから呼ばれてチベット人に顕教や密教を
教えていました。このヴィマラミトラという人は大変な慎重な人物です。シュリー・
シンハの弟子ですからゾクチェンをマスターしていますし、ガラップ・ドルジェ系列
のニンティクの教えも習得している大変なラマです。ですが、非常に賢い人でしたの
で、ゾクチェンをここで教え始めると自分が危険にさらされることをよく知っていま
したから、教えることはしなかったんですね。ところがサムイェ寺で教えを説いてい
るユダ・ニンボというカム地方からやってきた人物の教えに耳を澄ませてみてみると、
彼はびっくりしました。なぜチベット人のカムからやってきた人間がゾクチェンを知
っているんだろうと、驚いたわけです。

 今でもこの二人の会見の場所はサムイェ寺の中に残っています。東屋のようなとこ
ろでこの二人が出会って、ヴィマラミトがユダ・ニンボに尋ねます。「おまえはその
教えを誰から聞いたんだ」「ヴァイローチャナから聞きました」。ヴィマラミトラは
ヴァイローチャナのことは小耳に挟んでいましたがよくは知らなかったので、「どう
いう人だ?」と聞いてみたら、「それはシュリー・シンハの弟子でチベットにゾクチ
ェンの教えを最初にもたらした人物だけれども、ゆえないことがあってカムに追放さ
れてしまった。しかし自分はヴァイローチャナの弟子としてこのゾクチェンの教えを
このように伝えています」。ああ、と、ヴィマラミトラはびっくりしたわけです。こ
こでヴィマラミトラはチソンデツェン王のもとに出かけていって、チソンデツェン王
に「このようなことを申してはなんですが、王はチベットに大変な損失を犯しました。
なぜなら、チベットの宝であるようなヴァイローチャナを追放してしまったからです。
あのヴァイローチャナこそチベットの宝です。こんな優れたチベット人はいないです
よ」と言ったわけです。で、チソンデツェン王もほっとしたわけです。自分は追放し
たけれども内心じくじたるものがありました。自分は間違ったことをしたのではない
か。あのヴァイローチャナが言っていた教えを自分は真実だと思うが、しかしスキャ
ンダルもあったし、政治的な理由もあって追放せざるを得なかったけれども、何かと
悪いことをしんじゃないか、という気持ちあったんでしょう。そこで当時のサムイェ
寺の最高の思想家・学者としてよばれていたヴィマラミトラが、ヴァイローチャナを
連れ戻しなさい、と助言してくれたわけです。よかった、と思ったでしょう。そして
カムのヴァイローチャナのもとに使いが遣られて、ヴァイローチャナが再びサムイェ
寺に呼び戻されて、ここからヴァイローチャナとヴィマラミトラの共同作業が始まり
ました。『ギュルー・チュースム』というのと、あのゾクチェン・タントラの翻訳作
業が始まるわけですね。これは膨大なものです。もちろんこの二人が全部やったわけ
ではありません。長い時間をかけて作っています。そのピークは『クンチェ・ギャル
ポ』というタントラですけど、これに至るたくさんの翻訳作業が行われて、ヴァイロー
チャナの活動は再びチベットで続けられます。これはヴィマラミトラとの共同作業と
して行われたようです。

 しかしこのヴィマラミトラという人はとても奥深い方なんです。外見はとても地味
で、学者のようなたたずまいをして、性格もとても地味な方だった。けれどもその体
験学識は大変深いもので、彼こそがゾクチェン全体の体系を知っていた人です。ヴァ
イローチャナは「セム」の教えを知っていましたが、「ニンティク」の教えに関して
は学んでいませんでした。これを全て知っていた人は、実はヴィマラミトラでした。
そして、ヴィマラミトラはとても慎重な方でしたので、活動の重要な部分はほぼ秘密
裏に行われています。そして多くのゾクチェンの書籍は隠されました。この隠された
ものから次々に発達を遂げてきますが、明日は、このヴィマラミトラとヴァイローチ
ャナの「セム」の考え方から説明をしていきましょう。

 本当は今日しゃべったようなことは自分のこころの中で反省したり反芻してみない
と薬になりません。ああ、いいことを聞いたなということで終わってしまいますと、
薬は与えられたばかりで飲まなければ何にもなりません。もちろん毒も与えられただ
けで飲まなければ効かないのでいいですが(笑)、薬も与えられて飲まなければ何の
役にもたちません。チベットの先生はよく、「私はあなたに薬を与えたけれども、お
飲みになるのはあなたですよ」と言いました。本当は、このゾクチェンについての教
えというのは、自分で深く沈思黙考してみなければなりません。ですからこのような
椅子に座っているよりも、物を考えるための東洋人のありかたというのは大地にじっ
くり腰を下ろすことですから、本当はそのやりかたがいいのですが、今回は入門です
ので、おおざっぱなことしかお話できませんのでこれでいいでしょう。けれども、も
う少し僕もこれで初転法輪を終えたところで(笑)、チベットの先生方の協力を得な
がら日本人にこのゾクチェンの考え方をどうやって伝えていくか、ということを、僕
なりに20数年来考え続けていることがありますので、それを徐々に徐々に教えていき
たいと思います。


 今日はその第1回目で長時間に亘りましたけれども、これもパドマサンバヴァのお力
添えでしょうね。


じゃ、また明日ということにします。 (お祈り「グル・リンポチェの七行詩」) 

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