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Re: 「敗戦責任」と天皇  [その1]
投稿者 甘南備の住人 日時 2002 年 11 月 19 日 04:24:43:

(回答先: 「敗戦責任」と天皇  [その1] 投稿者 あっしら 日時 2002 年 11 月 17 日 17:20:06)

日本国の経済的な挫折や第3次世界大戦への危機が目の前に迫っているこの時期に、天皇制といういつでも討論できるようなテーマをぶっつけてくるのは何故だろか?などと、謀略のイロハを思い出しながら板の動きを眺めていますが...

それはさておき、僕は天皇制については少々違った見方をしております。少なくとも「法の建前がこうなのに現実はこうだ。だからおかしい」といったアプローチはしておりません。法律、なかんずく憲法は現実の反映と言うよりもむしろ将来にわたる規範というか望ましいと考えられる方向を示したものだと考えているからです。だから、明治憲法が制定されたから直ちにその通りにならなかったからと言ってなんらおかしいことはない。諸外国でも同じような試行錯誤の結果としてそれぞれの国体を形成されていると思います。

ひるがえって明治憲法が制定された前後の状況を考えて見ましょう。

徳川400年(でしたか?)の治世の末期の状況は支配階級である武士の極端な退廃と町民層の極端な貧富の差によって非常に不安定な状態にありました。このような中で西南諸藩の反乱が起こり明治維新となったわけです。つまり、この時を持ってそれまでの統治機構は破壊されたわけです。放りだされた世の中は当然のこと騒然となった。

徳川から統治権を引き継いだ新政府は、だから、世情の安定から統治を始めなければならなかったわけです。
しかも、アメリカからは黒船が来て開国を迫る。辺境にあって徳川の目が行き届かなかったために武器・兵法・キリスト教に至るまで西洋の事物に接することが出来ていた新政府の高官には、宣教師や貿易商人の口を通して、植民地化され国としての主体性を奪われている東南アジアの状況が解っていたのでこれに対する対策も講じなければならない。と、いわゆる「内憂外患」の状態が新政府の出発点であったわけです。

このような中で彼らは何を考えたか。
諸外国の干渉と植民地化を防ぐための方策を建てなければならない。
諸外国に乗じられることの無いように国内の安定を図らねばならない。
それらは休む間もなく急いでやり遂げねばならない。
しかし国内の工業力は絶望的な後進の状況だ。
こうした八方ふさがりの中で、何とか考え出されたのが、天皇制の強化確立と言う、ある意味では麻薬にも似た国体の採用だったのではないかと考えています。
つまりは沈没しかけている船を救うための緊急対応として打ち出されたものではなかったかと考えています。
そしてある時期、明治の末期か大正の中ごろまでは、苦し紛れに捻くりだした体制が非常に有効に働いてきたと思います。この意味で私は新政府の実権を握っていた連中は、その教養や出身階級の低さを超越した大きな働きをしたと考えています。

こうした働きを、後世の醒めた目で見て、法の定めるところに合っていないなどとは言って欲しくはない。
また、「天皇が神ならば官僚の手を借りることなく総てを自分の判断で行え」などとも言って欲しくない。「神格化する」という言葉は、言い換えれば、神でないから神のような権威を持たせようと言う位置づけであり、そのことは当時の国民は十分に理解をしていたのではないかと思っています。
「議論をしている暇が無い位緊急を要する事態だから当面専断できる体制で行こう」と決断した表現が天皇制であったと考えています。

ただ惜しむらくは、このような緊急対応態勢というものは、世の中が安定してくると時宜にかなうように絶えず検討し変化させてゆかなければ何時か行き詰まるものであるのに、引き継いだ2代目3代目がそれを怠ってきたことです。
そのために、妙な方向に向いてしまったこともあります。
適切な人を配置し得なかったがためにそれに輪を掛けた状態となった事もあると思います。

ただ、現在のわが国や東南アジアの有り様を見れば、ほとんどの国が念願の独立を果たし、そこそこの生活を享受しているので、明治憲法の方策はあながち間違いではなかったのではないかと考えています。ただ、共産勢力による思いがけない干渉とその結果については、別次元の問題として、今後の解決に待たねばならない問題ではありますが。(外国勢力の排除と国内問題としての勢力争い=内戦 とは、次元の異なる問題であると考えています。それを一緒くたにして考えるから責任を他人に押し付けるような発言になる。)

新憲法下における天皇制については、憲法で天皇の行う国事行為の範囲がキチンと定められており、政府による案の作成と国事行為としての天皇の裁可の区分が守られているので、天皇の目的外利用(と言っては失礼ですが)の虞はほとんど無いものと思います。それも普段はほとんど意識しないくらい自然な存在となっており敬愛しています。(少なくとも私の中では)それに比べれば、法王など宗教的な指導者の方が何倍も危険な存在だと僕は思っています。何しろ宗教裁判権を持っていますからね。祭文の強制による無意識下の誘導も出来るし...(これは一種の洗脳でしょ?)。

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