★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
http://www.asyura.com/2003/dispute6/msg/226.html
〜果てしなく繰り返す愚か者の饗宴〜
投稿者 TORA 日時 2002 年 12 月 29 日 14:49:07:

新橋・横浜間に鉄道が開通した明治5年(1872年)の東京に奇怪なブームが巻き起こった。突如人々が先を争ってウサギを飼い始めたのだ。今もってその理由はわからない。
ただ明治維新で特権階級から転落した士族達がこのブームに飛びつき、ウサギはあきれる程の高値で取引されるようになる。悪徳商法が横行し、中には自分の娘を売ってまでウサギを買い占めようとする者も現れた。東京府は「兎取締ノ儀」に基づきウサギ一羽につき毎月1円の税金を徴収し、事態の収拾に乗りだした。たちまち兎バブルは崩壊し、町のそこここにウサギ鍋の店が姿を現したという。

オスマン・トルコの宮廷で愛されたツリパという名の花が、神聖ローマ帝国大使オジエ・ギスラント・ビュスベクの帰任に伴ってアントワープにやってきたのは1562年のことであった。
赤い百合ツリパは愛好家の手によって品種改良が進みチューリップと呼ばれ、数年後にはアウグスブルクのフッガー家などの富裕家の庭園を飾るようになった。オランダの国土は狭く、その大半は海面より低いという悪条件のもとにある。しかし進取の気性に富んだオランダ人は、1581年念願の独立を手に入れ、自慢の航海術を利用して海外へ乗りだし、貿易で得た富を毛織物という生産財に投入することにより、当時30年戦争の荒廃のさ中のヨーロッパで唯1国経済的繁栄を謳歌していたのである。

経済強国になったオランダは国内においても、芸術文化の花を咲かせていった。市民がパトロンとなったオランダでは、深い教養を必要とする歴史画、宗教画よりも身近な生活から題材をとった風景画や風俗画、静物画が発達した。レンブラントに代表される一連のオランダ絵画を賞賛して後の歴史家達は、「17世紀の奇蹟」と呼んだ。絵画だけではない。
人目を引く珍しい花の所有が富の象徴となり、貿易で一儲けした商人達の間で花壇作りが大流行した。収集家はチューリップを花の色によって「皇帝」「副王」「元帥」「将軍」等と命名し、栽培業者達は変わった品種を求めて改良を競い合い、バイヤーは新種が発表される傍から、それらに高い値段をつけていった。
1624年白い花弁に深紅と青の模様の入った最高級品「皇帝」には1200グルデンの値がつけられた。

球根さえ手に入れれば、それを高値で別の人間が買ってくれる。
値段は右肩上がりに上昇していくから、損することはない。循環論が機能し、球根の値段は上昇を始める。バブルの始まりは何時でも同じだ。本格的な狂乱が始まったのは1634年である。
オランダ中の人々が奪い合うようにチューリップに金を注ぎ込み始めた。何故キャッシュ・フローを生まないチューリップが、国中を巻き込む投機の対象となったのかは不明である。
ただチューリップの花の模様は球根についたウィルスによるものであり、安物の球根に「皇帝」の花が咲くかもしれないという不確実性はギャンブラー達に夢を与えた。また、チューリップにはギルド(組合)がなく、参入が容易かったことも影響していただろう。後を絶たない新参のギャンブラーのために、少ない金額でも投機を可能にする手法が次々と開発された。例えば分割払いによる決済や1つの球根の1/2とか、1/4といった取引単位の小口化である。これらのアイデアは、商人、貴族は言うに及ばず、女中、機械工、船員、農夫、煙突掃除人、兵士、果ては外国人まであらゆる階層の市民を投機の渦に巻き込んだ。やがて売り手は球根を持っている必要もなくなっていた。球根の現物でなく「約束の期日に球根を入手出来る」という契約書、つまりオプションの売買が行われるようになったのだ。株価が暴騰した昭和末期の日本でワラントが流行ったのと同じ現象である。
球根を手にする権利という紙きれを買って、さらに高値で売ればその差額だけ儲かる。人々は幸福だった。取引は酒場で行われる。愛好家は脇へ押しやられ、欲に目が眩んだにわか投機家達が贅沢な食事をしながら、チューリップ取引を楽しんだ。

ブームの絶頂は1636年後半から1637年の頭であった。たった1個の球根に当時の労働者の年収の10倍の値段が付いた。3年前に2000グルデンだった「皇帝」は5500グルデンで取引され、その対価として4600グルデンの金と新しい馬車、2頭の葦毛の馬と馬具を用意した商人もいれば、12エーカー(約5ha)の土地を引き渡す地主も現れた。2500グルデンの「副王」を手にする為に、ある農夫は小麦4t、ライ麦8t、太った雄牛4頭、豚3頭、羊12頭、雄牛の頭2つ分の葡萄酒、ビール4t、バター4t、チーズ450Kg、ベッド1台、服1着、銀杯1個を差し出した。球根1個に全財産を投げ出す人間が幾らでもいた、ということだ。当時のオランダ最高の画家レンブラントが「夜警」の代金に受け取った代金が1600グルデンである。1637年2月に行われたオークションでは、99個の球根に現在の金額にして10億円以上に相当する金銭が支払われたという。

美しい花ではなく金を巡るゲームと化した「チューリップ狂時代」は市場の突然の破たんによって、僅か3年で終わる。暴落のきっかけは、1636年後半から始まったペストの流行かもしれない。
とにかく1637年2月の第2週に何人かの参加者が春が近づき、球根を引き渡すため契約書を換金する必要に気付いた。売りのムーブメントは静かに始まり、僅かな値下がりを起こす。人々の目を覚まさせるにはそれで充分だった。バブルの後には、必ず恐慌が起こる。
瞬く間に売り注文は膨れ上がり殺到した売りはパニックを呼び、チューリップの球根の価格は断崖を転がり落ちる様に暴落した。借金をしてまで参加していた多くの投機家に残されたのは、紙切れとなった契約書と借金の証文書だけであった。

チューリップ・バブルが起きて良かったこともあった。
現在ハーレム・ライデン間の約30kmは「チューリップ街道」と呼ばれ、街道沿いの農村では赤や黄の原色のチューリップの絨毯が大地を覆う。観光客達は花盛りの時期に街道見物に出かけ、花畑の横で今なお活躍する跳ね橋、風車、きらめく運河等、オランダならではの風景を楽しむことが出来る。勿論彼等はたっぷり金を落としていく。

熱狂が人々の判断を狂わせ、時には一国の経済をも破壊する力を持っていることは1900年代の日本を知る我々には先刻承知であろう。著名かつ賢明な投資家ウォーレン・バフェットは言う。
「価格とは支払う金額であり、価値とはそれによって手に入れるものである。」しかし狂乱の中では、尻尾が胴体を振り回すかのように、価格が価値を翻弄する。1920年代のフロリダで奇怪なブームが巻き起こった。突如人々が先を争って土地を買い始めたのだ。このバブルは1927年終結する。1980年代後半の日本では、人々が先を争ってゴルフ場会員権を買い漁り始めた。このバブルは1990年に幕を閉じる。

次のバブルは?

 次へ  前へ

議論・雑談6掲示板へ

Click Here!


フォローアップ:



 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。