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チョムスキーへのインタビュー:「私たちはイラクとの戦争を阻止できるのか」
投稿者 あっしら 日時 2003 年 1 月 27 日 21:53:05:


http://terasima.gooside.com/interview021228.html


Interview With Chomsky by SchNEWS、December 28, 2002

(翻訳:寺島隆吉+岩間龍男+寺島美紀子)

マーク・トーマス:イラクと対テロ戦争に関する米国の外交政策で話を切り出したいと思いますが、現在のところ何が起きているとあなたはお考えでしょうか。

ノーム・チョムスキー:まず第1に、「対テロ戦争」という言葉を使うことについては、私たちは慎重になるべきだと思います。それは論理的に不可能なことです。米国は世界で主要なテロリスト国家のひとつです。現在「対テロ戦争」を担当している人たちはすべて、国際司法裁判所によって、そのテロリズムで非難を受けた人たちです。彼らが安保理決議を拒否し、英国も棄権することがなければ、彼らは国連安全保障理事会によって非難をされていたでしょう。彼らは20年前に対テロ戦争を宣言し、彼らが行ったことを私たちは知っています。彼らは中央アメリカを破壊しました。南アフリカでは150万人の人々を殺害しました。私たちはいくらでもそうしたリストを挙げることができるのです。だから「対テロ戦争」などというものは有り得ないのです。

 9月11日にテロリストの仕業である異常な歴史的な事件がありました。これは、西側が世界の国々に対して日常的に行っていた類の攻撃を、自分では歴史上はじめて受けた事件でした。9月11日は米国だけでなく全世界の政策を疑いなく変化させました。世界中の政府は、それを抑圧と残虐行為を強化する機会と見なし、ロシアとチェチェンから西側まで、自らの国民に更なる規律を課しているのです。

 これは大きな影響がありました。例えば、イラクを例にとってみましょう。9月11日よりも前の段階でも、イラクに対し米国は長い間関心を持ってきました。なぜならイラクは世界で2番目に大きな石油埋蔵量を持っているからです。したがって、米国はどうにかしてそれを手に入れるために何かをしようとしていました。それは明白なことです。9月11日がその口実を与えました。9月11日以降、イラクに関してレトリックの変更がありました。「我々は今、計画していることを推し進めるための口実がある」。イラクは今年の9月までは従来通りでしたが、それ以降突然「我々の存在に対する差し迫った脅威」に変わりました。コンドリーザ・ライス(米国安全保障顧問)は、「核兵器の次の使用は、ニューヨーク頭上のきのこ雲だ」と警告しました。政治家による大々的なメディア・キャンペーンが行われました。「我々はこの冬にサダムを倒す必要がある。そうしないと、我々みなが死ぬことになる」と。サダム・フセインを恐れているのは世界中でアメリカ人だけだということに気づかれないようにした功績で、あなた方は知識人たちを誉めなければなりません。誰もがサダムを憎んでいて、イラク人も疑いなく彼を恐れています。しかし、イラクと米国を除いては、誰一人として彼を恐れてはいません。クウェートもイスラエルもヨーロッパも恐れていないのです。彼を嫌いかも知れませんが、恐れてはいないのです。

 米国では、人々は非常に恐れており、そのことについては疑いの余地はありません。米国の世論調査では戦争への支持は非常に少ないのですが、戦争への支持は恐怖に基づいています。それは米国では古くからある話です。40年前に私の子供たちが小学生だった時、原子爆弾の攻撃があった場合は机の下に隠れなさいと教えられました。私は冗談を言っているのではありません。米国は常にあらゆるものを恐れていました。例えば犯罪についてです。米国の犯罪は、高率ではありますが、他の工業社会とだいたい同じぐらいです。しかし、米国の犯罪に対する恐怖心は、他の工業社会をはるかにしのぐものでした。

 それは意識的に作られたものでした。現在政権を握っている人たちは、彼らのほとんどが1980年代からの担当者だということを思い出して下さい。彼らはすでに恐怖心を作り出すことを経験してきて、どのようにしたらいいのか正確に知っているのです。1980年代を通じて、彼らは人々を恐怖に陥れるキャンペーンを定期的に行いました。

 恐怖を作り出すことはそれほど難しいことではありません。しかし、今回のタイミングは明らかに議会の選挙運動のためのものだったので、政治解説者でさえその意味をくみ取ることができました。大統領選挙戦は来年の中頃に始まります。彼らは勝利を掌中に収めなければなりません。そして次の冒険に進んでいきます。さもないと人々は自分たちに起きていることに注意を払うようになってしまいます。それはちょうど1980年代のような、人々に対する大きな主要な攻撃です。政権担当者はほとんど正確に同じ手法を繰り返しているのです。1981年に彼らが行った第1のことは、米国を大きな赤字に追い込むことでした。今回は金持ちのための減税と過去20年間で最大の連邦支出増加によって、彼らは国を赤字に追い込んでいます。

 こんな事は、異常に腐敗した政権、エンロン社政権の類に起こり、したがって、おそるべき額の利益が異常に腐敗した悪党一味に流れ込んでいます。実際こうしたことは新聞の第1面に出すわけにはいきません。だから第1面からその資料は消し去らねばなりません。人々がそれについて考えないようにしなければなりません。そして、そのためにいつも考え出される唯一の方法は人々を恐れさせることです。彼らはそれに熟達しています。

 だから国内の政治的要素がタイミングと関わってきます。9月11日はその口実を与えました。そして(イラクへの)長期の重大な関心が存在しました。だから彼らは戦争を始めなければならないのです。私が推測するには、大統領選挙戦の前にその戦争を彼らは終わらせたがっているでしょう。

 問題は、戦争をしている時は何が起きているのかあなた方に分からないことです。たぶん、楽勝だろうし、またそうなるはずです。イラクの軍隊は実質的に存在しないし、おそらくイラクは即座に崩壊するでしょうが、そのことに確信を持つことはできません。CIAの警告を真剣に受け止めるならば、彼らはそのことについてはかなり率直です。もし戦争になれば、イラクはテロ行動で反撃してくるかもしれないと、彼らは言うのです。米国の冒険主義は、世界の国々が抑止力として大量破壊兵器を開発するよう追い込んでいます。彼らには他に抑止力がないのです。通常兵器は明らかに抑止力にならないし、(かつてのソ連のような)外的抑止力もありません。自分を守る唯一の方法は、テロと大量破壊兵器です。だから彼らがそうしていると推測するのは、妥当なことです。それがCIAの分析の根拠になっており、英国情報部も同じことを言っているのだと私は思います。

 しかし、大統領選挙の最中には戦争を起こしたくないと考えています。戦争の結果をどうやって扱うのかという問題がありますが、それはそんなに難しいことではありません。ジャーナリストも学者もそれについては何も話さないことも期待できます。アフガニスタンについていったいどれほど多くの人々が話題にしたでしょうか。アフガニスタンは過去の状態にもどってしまって、軍閥や悪党たちによって支配されています。そのことについて誰が書いていますか。ほとんど誰も書いていません。アフガニスタンが過去の状態にもどってしまっても、誰も気にしないし、みんなそのことについては忘れてしまっています。

 イラクで人々が互いに殺し合うような事態になれば、私はすぐにでも記事が書けます。「後進的な人々を我々は救おうとしたが、彼らは下劣なアラブ人なのでお互いに殺しあいたいのだ」と。その時までには、米国は次の戦争に突き進むだろうと私は推測しています。その相手はおそらくシリアかイランになるでしょう。

 実はイランとの戦争はすでに始まっています。トルコ南部にイスラエル空軍のおよそ12%がいることはよく知られています。イランとの戦争に備えてそこにいるのです。イラクのことなど気にかけていません。イラクを組みしやすい相手と考えていますが、イランは常にイスラエルにとっては問題でした。イランはその地域では扱いにくい国で、イスラエルは何年もの間イランを扱う際には米国に追従してきました。あるレポートによれば、イスラエル空軍は現在、諜報活動や挑発行為などのためにイラン国境を飛行しているといいます。そしてそれは小規模な空軍ではありません。それは英国空軍より大きく、米国を除くNATO諸国の空軍より大きなものです。したがっておそらくイランとの戦争は進行中なのです。アゼリー人の分離主義を扇動することになっているという主張がありますが、それはある意味ではなるほどと思えます。それは1946年にロシアがしようとしたことであり、それによってカスピ海の石油産地からイランを分離するでしょう。そしてイランを分割することが可能です。おそらくそういったことが進行していて、次はいかにイランが将来私たちを殺そうとしているのか、だから今彼らを取り除く必要があるといった話が出てくるでしょう。少なくともそれがお決まりの型なのです。

武器貿易に対する反対キャンペーン:米国という巨大な兵器生産機械は米国兵器の性能誇示・宣伝・販売の手段として、まだどれくらい戦争を必要としていると思いますか。

チョムスキー:いわゆる軍需産業はハイテク産業のことであることを覚えておかねばなりません。軍需産業は経済の国家部門のある種の隠れ蓑です。私がいるマサチューセッツ工科大学MITでは、おそらく何人かのエコノミストを除いてすべての人がこのことを知っています。これは軍が彼らの給料を支払っているからです。ハイテク経済の次の世代を生み出すために、軍との契約のもとで、資金がMITのような場所に流れ込んできます。コンピューターやインターネットといったいわゆる新経済を見れば、軍需生産の口実で研究開発のための連邦政府契約のもとで、MITのような場所から新経済が直接生まれることがわかります。そして何かを売れるようになった時に、それはIBMに渡されるのです。MITの周辺地域には小さなエレクトロニクスの企業がいつもありました。現在は、小さな生物工学の企業があります。その理由は次の最先端の経済は生物学になるからです。したがって、生物学基礎研究への政府からの資金が現在たいへんに増加しています。将来的に誰かが購入し金儲けができる新規の小さな会社を作りたいならば、遺伝子工学や生物工学を扱うのがいいでしょう。これは歴史を通じて言える事です。それは通常、経済を動かしている活動的な国家部門です。米国が石油を支配したがるひとつの理由は、利益が還流し、様々なふうにして利益をもたらすからです。それは石油の利益だけでなく、軍事物資の販売にもつながります。米国のそしておそらく英国兵器の最大購入者は、豊かな産油国であるサウジアラビアとアラブ首長国連邦です。彼らは大部分の兵器を購入して、それは米国のハイテク産業の利益にもなります。そのお金は米国の国庫と財務省証券にもどっていきます。様々な方法でこれは主として米国と英国の経済をてこ入れします。あなたが記録を見たことがあるかどうか知りませんが、1958年にイラクが英米の石油生産の共同管理を破った時、英国は完全に正気を失いました。当時英国はまだクウェートの利益に依存していました。英国経済を支えるために英国はオイルダラーを必要としていました。イラクで起きたことがクウェートにも広がりかねないように見えました。だからその時点で、英国と米国はそれまで植民地のようだったクウェートに名目上の自治権を与える決定をしました。英国と米国はクウェートに、自国の郵便局を運営しても良いと言い、国旗を持ってもいいという類のふりをしました。英国は、何かうまくいかない事でもあれば、支配維持を確実にするため情け容赦なく介入をすると言っていました。米国もサウジアラビアやアラブ首長国連邦で英国と同じ介入を用意していたのです。

武器貿易に反対するキャンペーン:それは米国がヨーロッパや環太平洋を支配する方法だとも言われています。

チョムスキー:確かにそうです。ジョージ・ケナンのような賢い人々が指摘するように、中東のエネルギー資源を支配することは、ケナンのいわゆる他の国々に対する「拒否権」を米国に与える。彼は特に日本のことを念頭に置いていました。現在日本人はこのことをたいへんによく知っています。だから日本人は石油への独立した入手方法を得ようと懸命になっています。それが、彼らが一生懸命になっている理由のひとつであり、ある程度まで成功を収めています。インドネシアやイランや他の国々との関係を確立して、西側の支配システムから抜け出そうとしているのです。

 実際、(第2次大戦後の)この大変慈悲深い計画、マーシャル・プランの目的のひとつは、ヨーロッパと日本のエネルギー源を石炭から石油に変えることでした。ヨーロッパも日本も自国の石炭資源を持っていましたが、米国に支配を与えるためにエネルギー源を石油に切り替えました。ヨーロッパと日本を石油に基礎を置く経済に転換させるために、マーシャル・プランの130億ドルのうち20億ドルが直接石油会社にまわされました。権力にとっては、資源を支配することは非常に重要なことであり、次の数世代に石油が主な資源だと予測されるのです。

 国家諜報委員会は、様々な諜報局を集めたものですが、2000年に「グローバルな動向2015」と呼ばれる予測を公表しました。その中で、グローバリゼイションの結果として、テロリズムは増加するだろうという興味深い予測をしています。率直にそのことが言われています。いわゆるグローバリゼイションは、経済理論とは正反対に、経済的な格差の広がりにつながるだろうと言われています。しかし彼らは現実主義者なので、その格差は無秩序や緊張や敵意や暴力を生み出し、その多くは米国に向けられると言っています。

 彼らはまた、ペルシャ湾の石油は世界のエネルギーと産業体制にとってますます重要になるだろうが、米国はそれには依存しないだろうとも言っています。しかし、それを支配しなければなりません。石油資源を支配することは、単にそれにアクセスすることよりも格段に重要です。なぜなら支配は権力に等しいからです。

マーク・トーマス:現在の高まりつつある反戦運動は、ベトナム反戦運動に匹敵すると思われますか。直接行動や抗議に関わっている者として、私たちはどんな目標を達成できると思われますか。戦争を阻止できる可能性はあると思いますか。

チョムスキー:時間が限られているので、それは本当に難しいことだと思います。それを(権力者にとって)「高くつく」ものにすることは出来ますし、それは重要なことです。たとえ戦争を阻止できなくても、次の戦争を阻止するために戦争が「高くつく」ものにすることは大切なことです。

 ベトナム反戦運動と比べると、反戦運動は比較にならないほど現在進んでいます。人々はベトナム反戦運動について語りますが、実際それがどんなものだったか忘れていますし知りません。ベトナム戦争は公には1962年に始まりました。空軍の動員、化学兵器を使っての戦争、強制収容所など、あらゆる方法で南ベトナムを公に攻撃した時です。その時は何の抗議もなく、4、5年後に北ベトナムを爆撃した時にやっと抗議行動がなされました。北爆はひどいものでしたが、ベトナム戦争全般から見れば枝葉の出来事でした。主要な攻撃は南ベトナムに対するものであり、それについて重大な抗議行動は全くありませんでした。

 今回は戦争がまだ始まっていないのに、抗議行動があります。米国を含むヨーロッパ史全般を見てみても、戦争前の実質的段階で抗議行動があった例を私は思いつきません。現在、戦争前に大規模な抗議行動があります。過去30〜40年に西側諸国で経験してきた大衆文化の大きな変化であり、途方もなく素晴らしいことです。それはまさに驚異的なことです。

SchNEWS: 抗議行動が、6ヵ月に1度の行進といった限られた範囲から抜け出ると、攻撃にさらされるように思われます。最近ブライトンで戦争への抗議行動をしていた人々が道路に座り込んだために、コショウをかけられ、警棒でなぐられました。

チョムスキー:抗議行動が激しくなればなるほど、取締りも厳しくなるのが常です。ベトナム反戦の抗議行動が本当に高まり始めた時、その鎮圧も厳しくなりました。私も長い実刑判決を受ける寸前までいきました。そしてそれはテト攻勢によって取りやめになりました。テト攻勢の後に、体制側は戦争に反対するようになり、彼らはその裁判を取り消しました。現在多くの人々はグアンタナモ湾(キューバにある米軍基地)に拘留されるかもしれませんし、人々はそのことに気づいています。

 国の中で抗議行動があれば、その時には鎮圧されるでしょう。彼らはそれから逃れることができるでしょうか。それは(国民の)反応によって大きく左右されることです。50年代の初期にいわゆるマッカーシズム(赤狩り)が吹き荒れました。それが成功した唯一の理由はそれに対する抵抗運動がなかったからです。彼らが60年代に同じ赤狩りをしようとした時、即座に失敗しました。なぜなら人々はそれを単なる笑いものにしてしまい、彼らにはそんなことが出来なくなったからです。独裁政権でもその望むことすべてを出来るわけではありません。ある程度の大衆の支持が必要だからです。そしてより民主主義的な国では、権力システムは脆弱です。このことについては何の秘密もありません。それが歴史なのです。これらすべての問題は、どのくらいの大衆的抵抗があるかによって決まることです。


NOTES:

1)1889年12月、ブッシュ政権はノリエガ将軍を麻薬密輸の容疑で逮捕するという名目でパナマに侵攻した。しかし『アジア国際通信1999年05月15日号』によれば、本当の目的は「パナマ運河は永遠にアメリカの領土であり、パナマ国防軍を抹殺し運河を自分で管理する」ことあり、そのため米軍2万6,000人がパナマを侵略した。3日間の戦闘でパナマ側は民間人を含めて400人〜 2000人の死者が出たという。これに対し、ハイテク兵器を駆使した米軍はわずか23人の死者であった。 この生々しい実態についてはアカデミー賞受賞ドキュメンタリー『The Panama Deception 』(1992) に詳しい。1993年6月12日NHKがこれを放送した。参考文献としては、八木啓代『MARI 』幻冬舎、ペドロ・リベラ『侵攻の記録』などがある。ノリエガ将軍は投降した後、米本国で裁判され、1992年「麻薬密売」の罪により40年の拘禁判決を受け、現在も米国で服役中である。国際法上はあり得ない措置である。

2)フセインがクウェート侵攻をアメリカに打診したとき、時の政権はそれを黙認するジェスチャーを示し、それが侵攻の引き金になったと言われている。チョムスキーも述べているように、フセインはアメリカがパナマでやったと同じことをクウェートで行なおうとして、逆にアメリカの仕掛けた罠にはまったとも言えるわけである。つまりイラン・イラク戦争で援助して強大になりすぎたフセイン政権を弱体化させ、同時に当時まではイギリスが利権を得てきたクウェートの石油をアメリカのものするシナリオを描き、その通りに実行されたのが湾岸戦争だった。この間の事情を詳しく調べ上げたのがベトナム戦争当時の司法長官ラムゼー・クラークであり、その調査結果は1992年の国際犯罪法廷(International War Crimes Tribunal)で報告され、『いま戦争はこうして作られる:ラムゼー・クラークの湾岸戦争』(中平信也・訳、地湧社、1994)として出版されている。また、このとき使用された劣化ウラン弾の被害については『劣化ウラン弾:湾岸戦争で何が行なわれたのか』(日本評論社)に詳しい。

3)2003年1月現在、イラクにおける武器査察団の活動をフセインが妨害していることが問題になっている。しかし1991年から98年までの8年間にわたる武器査察に当たって、査察に次々と難題を持ち込み、それを妨害して遂には査察団を退去に追い込んでイラク爆撃の口実を作る工作をしたのは、実はアメリカと、それに追随するイギリスであった。この詳細は益岡賢のHPでライの著書WAR PLAN IRAQイラク戦争計画の紹介を兼ねて詳しく展開されている。しかもここでは、アメリカがフセイン打倒をイラク国民に呼びかけながら、実際に反対派が決起し、イラクの18の地方のうち14の地方で実権を握り、フセインが破滅に向かい始めたときにアメリカはイラク政府が戦闘用ヘリと輸送用ヘリを使用するのを黙認し、反対派が殺戮・壊滅させられるのを見殺しにしたことも記述されていて興味深い。この傍証として元国連大量破壊兵器査察官だったスコット・リッターの著書『イラク戦争:元国連大量破壊兵器査察官スコット・リッターの証言、ブッシュが隠したい事実』(合同出版、2002)がある。

4)テト攻勢。1968年初頭、北ベトナム軍と南の解放戦線軍は、多くの都市を標的とした同時攻撃、テト(旧正月)攻勢にうってでた。この攻勢はアメリカ国民に衝撃をあたえ、ベトナム戦争の行き詰まりを自覚させることになった。こうしてアメリカ人の多くはこの戦争には勝てないと考えるようになった。1965年ごろからはじまったベトナム反戦運動は大きな高まりをみせ、68年3月31日、ジョンソンは北爆の部分的停止を表明。しかし最終的にベトナム戦争が終結したのは1975年4月30日であり、それまでに推定では200万以上のベトナム人が殺され、300万人が負傷し、また数知れぬ子供が孤児になった。アメリカ軍の広範囲にわたるナパーム弾の使用によって多数の人々が重傷を負ったり焼死しただけでなく、枯葉剤(生物化学兵器)枯葉作戦とは何だったのかによって後にいたるまで人体に後遺症が残り、森林は枯れ、基本的には農業国だったベトナムの環境を荒廃させた。枯葉剤による奇形児の誕生は投下当時よりも今が最も多いという。

5)グアンタナモ湾。キューバの米軍基地内にある収容所を指す。ここには現在も沢山のアフガニスタンで捕えられた捕虜が収容されている。国際的人権擁護団体であるアムネスティ・インターナショナルAmnesty NEWS RELEASE 2002 januaryは移送中及びグアンタナモでの捕虜たちに対する虐待が伝えられていることに懸念し、「捕虜に対する劣悪な処遇はどんな場合でも正当化できない甚だしい国際法違反である」と語っている。というのは、アフガニスタンからグアンタナモへ移送中に拘束具をはめられたり頭巾をかぶせられたり鎮静剤を投与されたりしたこと、あご髭を強制的に剃られたりしたこと、またグアンタナモでは雨風に対する防護がない小さな檻に収容されていることが伝えられているからである。国際法によれば、戦争捕虜は、戦争犯罪もしくは他の刑事犯罪で裁かれるのでなければ、「積極的敵対行為」が終了した時点で、本国に送還されなければならない。しかしアメリカは国際法で認められている「拘禁の適法性に異議を唱える権利、独立した裁判を受ける権利、黙秘権、弁護士の法的な援助を受ける権利」などを否定し、一方的に軍事法廷にかけると主張している。


REERENNCES:

板垣雄三(編)、2001、『『対テロ戦争』とイスラム世界』(岩波新書)

加藤周一・井上ひさし・樋口陽一・水島朝穂、2002、『暴力の連鎖を超えて』(岩波ブックレット)

国際行動センター、1998、『劣化ウラン弾:湾岸戦争で何が行なわれたのか』(日本評論社)

田中宇、2001、『仕組まれた911』(PHP)

寺島隆吉、1999、「チョムスキーと国際理解教育とコソボ紛争:多文化平和コミュニケーション研究・序説(1)『岐阜大学教育学部研究報告:人文科学』第48巻第1号:137−152 

寺島隆吉、2000、「チョムスキーと国際理解教育と東ティモール問題:多文化平和コミュニケーション研究・序説(2)」『岐阜大学教育学部研究報告:人文科学』第48巻第2号:105‐123

寺島隆吉、2002、「チョムスキーと国際理解教育とアフガン戦争:多文化平和コミュニケーション研究・序説(3)」『岐阜大学教育学部研究報告:人文科学』第50巻第2号:97‐133

浜田和幸、2002、『アフガン暗黒回廊:アメリカ軍産複合地下帝国の陰謀』(講談社)

最上敏樹、2001、『人道的介入:正義の武力行使はあるか』(岩波新書)

八木啓代、2000,『MARI 』(幻冬舎)

アンドレアス、2002、『戦争中毒:アメリカが軍国主義を抜け出せない本当の理由』(きくちゆみ・監訳、合同出版)

モレリ、2001、『戦争プロパガンダ、10の法則』(草思社)

クラーク、1991、『被告ジョージ・ブッシュ有罪:国際戦争犯罪法廷への告発状』(日本国際法律家協会・訳、ブックス・ブラクシス)

クラーク(編)、1992、『アメリカの戦争犯罪』(戦争犯罪を告発する会・訳、柏書房)クラーク、1994、『いま戦争はこうして作られる:ラムゼー・クラークの湾岸戦争』(中平信也・訳、地湧社)

サイード、2002、『戦争とプロパガンダ』(中野真紀子&早尾貴紀・訳、みすず書房)

スティグリッツ、2001、『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(鈴木主税・訳、徳間書店)

チョムスキー、1969 『アメリカン・パワーと新官僚:知識人の責任』(太陽社)

チョムスキー、1994、 『アメリカが本当に望んでいること』(益岡賢・訳、現代企画室)

チョムスキー、2001、『9.11:アメリカに報復する資格はない』(山崎淳・訳、文藝春秋)

チョムスキー、2002、 『「ならず者国家」と新たな戦争』(塚田幸三・訳)

チョムスキー、2002、『9.11:アメリカに報復する資格はない』(山崎淳・訳、文春文庫)

チョムスキー、2002、『金儲けがすべてでいいのか』(山崎淳・訳、文藝春秋)

チョムスキー、2002、『アメリカの「人道的」軍事主義』(益岡賢・訳、現代企画室)

チョムスキー、2002、『ノーム・チョムスキー911』(出版部・訳、リトルモア)

チョムスキー、2002、『チョムスキー世界を語る』(田桐正彦・訳、トランスビュー)

バースキー、1998、『ノーム・チョムスキー:学問と政治』(土屋俊・土屋希和子・訳、産業図書)

ペドロ・リベラ、2001、『侵攻の記録』

リッター、2002、『イラク戦争:元国連大量破壊兵器査察官スコット・リッターの証言、ブッシュが隠したい事実』(合同出版)

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