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イラク攻撃の後に来るもの
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/301.html
投稿者   日時 2003 年 2 月 17 日 21:45:57:

(回答先: 防衛次官、日米弾道ミサイル迎撃実験「当然 投稿者 日時 2003 年 2 月 17 日 21:42:03)

☆今世紀初頭の米国の凋落は、かなり高い確率で起こるだろうが、日本がそれにおつきあいするのはできれば勘弁してもらいたいものだ。
理想としてはアジアを足場として自由貿易圏を拡大していくことだが、現実にはなかなかね。。

企業と人−「破たん」から学んだこと−
第28回「豪華客船とアメリカ――イラク攻撃の後に来るもの」(その1)
(アローコンサルティング事務所 代表
 箭内 昇氏)

最終更新日時: 2003/02/17
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 アメリカによるイラク攻撃が近いという。その背景には石油産業への覇権、中東問題におけるイスラエル支援、あるいは国内不況の目くらまし戦術などがあるといわれている。

 しかし、ベトナム戦争のさなかに青春時代を過ごし、ニューヨーク駐在時代に冷戦終結と湾岸戦争を見てきた筆者にとっては、このイラク戦争が90年代後半からはっきりしてきたアメリカ凋落の決定的な引き金になるように思えてならない。

 ドメスティックなアメリカ人

 その第1の理由は、最近アメリカの独善傾向が加速しており、いずれ国際社会で孤立するのではないかという懸念だ。

 筆者は、この数年年に2、3回はアジアを中心に、貧しいといわれている地方を旅行している。中国奥地、チベット、ネパール、パキスタン、マダガスカルなど。そして昨年も中国雲南省、東トルコ、北インドの小さな村々を歩いてきた。

 それらの地方で違和感を覚えることのひとつは、アメリカ人旅行者をほとんど見かけないことだ。現地の旅行社に聞いても大分前から漸減傾向にあり、通訳が失業状態にあるという。 しかし、アメリカの若者も80年代までは世界中を旅行していたように思う。当時、筆者が東京で知り合った若いアメリカ人夫婦は、大学生時代にアジアを旅行中インドで知り合って結婚した。そして日本で1年間英会話教師で貯金をため、再び東南アジアに旅立った。当時は彼らのようなアメリカの若者がアジア中にあふれていた。

 昨年9月にニューヨークで久々にその夫婦と再会した。結局、日本を離れた後、ほぼ半年かけてアジアの奥地まで旅行して帰国したという。一生の思い出であり、最初は風俗習慣など抵抗を感じることがあっても、長期滞在するうちにそれがその地では必然であることが理解するようになったとも言った。

 確かにたとえばインドを旅行すると、いたるところで腰を下ろして青空トイレをしているシーンに出くわす。道路の中央分離帯という信じられない場所で見たこともある。何の羞恥心もないのだ。

 しかし、街に出れば牛、豚、山羊、羊、ラクダ、象、猿などさまざまな動物が人間と混然一体となって生活している。道路は彼らの排泄物でいっぱいだ。豚などは他の動物の排泄物をあさっている。こうした光景を見ると、人間だけがトイレを使うことが不自然に思えるから不思議だ。

 雲南省の少数民族の村を訪ねたときは、主婦たちが人間の10倍くらい大きな落ち松葉の束を背負って山から下りてくる光景を見て驚いた。いぶかしく思って現地人に聞くと、自宅の門前に松葉をうずたかく積み上げるのだという。「うちには働き者の女がいますよ。今年も燃料は大丈夫です」というサインだそうだ。もし、松葉が不足している場合は、村人たちが助け合うのだという。女性差別なんかではなく、昔からの素朴なコミュニティなのである。

 宗教も同じだ。ガンジス河のガトーで炎と煙に包まれた火葬や忘我の境地で沐浴する裸僧を見、チベットの寺院で老女がひざと手から血を出して五体投地で一心に祈る姿に触れれば、世界は地域や文化風俗だけでなく、心の分野でもきわめて多様なことを痛感する。

 しかし、最近のアメリカ人はすっかりドメスティックになってしまったようだ。友人に聞いても、旅行は国内かカリブ海地方などアメリカ圏か、ヨーロッパ先進国が多いという。

 さすがに問題と思ったのか、アメリカの学校では最近になって生徒に海外旅行を勧めるプログラムを作り始めた。それでも行き先は南米のコスタリカなど、いわばアメリカの別荘地のような安全なところが多い。アジアやましてイスラム圏など、ビジネスマン以外は行きたいとも思っていないようだ。

 もちろん、その背景にはテロがある。93年世界貿易センター爆破、95年オクラホマシティ連邦政府ビル爆破、98年ケニヤ、タンザニア米大使館爆破、そして2001年9月の同時テロと続けば、アメリカ人が海外や異文化に警戒心を高めるのもうなずける。

 しかし、アメリカは一方でこの間91年の湾岸戦争を皮切りに、92年ソマリア出兵、96年イラク爆撃、98年スーダン、アフガニスタンミサイル攻撃、99年コソボ空爆と好戦姿勢を強めていったことも事実だ。

 卵とニワトリの関係かもしれないが、皮肉なことに、アメリカにとって冷戦が終結した90年代以降、一人勝ち構造を強めるほど外敵を増やし、その結果自閉に向かうという「独善のワナ」に陥っているような気がしてならない。

 冷凍されたサラダボウル

 アメリカは建国以来多文化国家であり、それがパワーの源泉だった。アメリカは、植民地時代から人種のるつぼ(メルティング・ポット)といわれてきたが、その実態はアメリカニズムであり、植民人種の白人社会への同化であった。しかし、60年代のケネディ時代から始まった激しい公民権運動を契機として、70年代にはそれぞれの民族の文化を尊重し並存させようという多文化社会が構築されていった。レタスもニンジンも混在するサラダボウルの時代のはじまりだ。

 筆者は、80年に出張したときのワシントンのレストランでの出来事が忘れられない。全米銀行協会の役員がランチを招待してくれたのだが、レストランに入る前、「あなた方が姿を見せると、異様な雰囲気になると思うが気にしないでくれ」という。そしてドアを開けた瞬間、何十人もいる客がいっせいにこちらに目を向け、中は水を打ったように静まり返った。

 そこは白人オンリーのレストランだったのだ。当時はホテルのレストランでも黙っていると必ずドアか厨房出入り口脇の悪い座席に案内された。本音と建前は使い分けられ、まだ人種差別が根強く残っていた時代だった。

 しかし、88年に駐在員としてニューヨークに赴任したとき雰囲気は一変していた。弱者救済のアファマティブ政策が功を奏したのか、職場での黒人や女性の進出が目覚しく、一般生活面でもおびただしい数のエスニックレストランが出店し、多様な文化・芸術活動が隆盛していた。白人たちも建前を貫くうちに、異文化の良さに気づいたのだろう。

 筆者はサラダボウルを実感し、アメリカ社会の奥深さに感動した。そして、このサラダボウルの中から生まれた価値観やルールこそ、グローバル・スタンダードだと確信したものだ。

 しかし、今から振り返ると91年の湾岸戦争のころからこのサラダボウルに異変が起きはじめたような気がする。当時のアメリカはどん底状態の不況や多発する凶悪犯罪などで国中が暗かった。

 だが、アメリカ人宅を訪れると、快適なリビングルームの大画面TVにはイラク空爆の実況放送が映し出されていた。それはまるでテレビゲームのようであり、現地の過酷な環境や最前線の兵士やイラク国民の恐怖などは伝わりようもなかった。

 昨年ニューヨークを訪れたとき、ひょんなことからこのTVゲームの記憶が突然よみがえった。

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 現地の海運会社の友人によれば、今アメリカでは空前のクルージング・ブームだという。豪華客船でカリブやヨーロッパの都市を訪ね、エキゾティックな観光を楽しんでから夕方になるとまた船に戻る。食事はやはりアメリカンに限るというわけだ。そして食後はお楽しみのダンスやエンタテーンメントが待っている。せっかく観光地に行きながら、当地の実態などについては無関心なのだ。

 つまり豪華客船はアメリカという国そのものを運んでいるのであり、アメリカ人観光客の安全と快適性を確保しているのだ。

 このクルージングの話を聞いたとき、あのリビングルームで見た湾岸戦争のTVゲームと同じ構造だと思った。アメリカは湾岸戦争後、空前の好景気が続く中で独善的になり、いつの間にかのぞき窓から世界を見るようになって天動説に陥っていったような気がする。

 経済面でも同様だ。90年代初めまでニューヨーク・タイムスの1面に掲載されていた円やマルクとの通貨レートは、いまやTVの経済ニュースにすら出てこない。まるで世界にはドル以外の通貨などないといわんばかりだ。

 エンロン事件を契機とした企業会計規制の見直しにしても、アメリカで活動するすべての外国企業に対して一律適用を主張し、EU諸国の強い反発を招いている。

 昨年ニューヨークからボストン郊外にドライブしたとき、車や建物などいたるところでおびただしい数の星条旗を目にした。この異常に多い星条旗が鉄条網のように見えたほどである。

 アメリカは同時テロがダメ押しとなって排他的思想を一気に強めた。その結果サラダボウルは冷凍されてひとつの固まりになり、別の物体に変質したように思えてならない。サラダボウルの中のレタスやニンジンは、外見こそ異なるが味は同化したように感じるのだ。

 しかし、冷凍サラダボウルから発信されるメッセージはもはやグローバル・スタンダードではなく、単なるエゴイズムである。こうした状況でアメリカがイラク戦争を強行すれば、多様な価値観を包含して新世界を築いてきた輝かしい歴史を自ら葬り去ることになるだろう。世界の尊敬を失った国が、軍事力だけを突出させれば自壊の道をたどることは多くの歴史が証明している。

 はがれ落ちる金メッキ

 イラク戦争がアメリカ崩壊の引き金になると予感するもうひとつの理由は、ケネディ時代から始まったアメリカの地盤沈下をカバーしてきた腕力で張り込んだ金メッキが剥がれ落ちると思うからだ。

 筆者の世代は中学高校生という多感な時代にケネディ大統領をまばゆく見てきた。しかし、彼の政策を今振り返るとその実態は英雄とは程遠く、また驚くほど現在のブッシュ政策に類似する。ケネディは就任直後の61年、キューバ難民を使ってカストロ政権を倒そうというCIA主導のピッグス湾攻撃を実行したが、見事に失敗した。カストロは予想以上に国民を掌握していたのだ。

 この直後ケネディは失地回復の意味もあって、ベトナムに大量の顧問団を派遣し、翌年から1万人以上の部隊を投入した。この派遣は54年のジュネーブ協定を完全に破るものであり、欧州諸国の反発を招いた。

 63年に暗殺されたケネディの後を継いだジョンソン大統領は、64年8月、議会から無制限の武力行使権限を獲得し、泥沼のベトナム戦争にのめりこんでいった。この決議はトンキン湾を巡航中のアメリカ駆逐艦が北ベトナムの魚雷艇に攻撃された事件への対抗策だったが、なんとこのトンキン湾事件は捏造されていた。後になって、議会の決議はトンキン湾危機が勃発する前に用意されていたことが判明したのである。

 結局このトンキン湾決議は反戦ムードが高まる中で70年に廃棄され、国内外の嘲笑を浴びた。

 ケネディを一躍英雄にした62年のキューバ危機事件も、実はアメリカにとって失うものが多かった。欧州諸国との同盟関係に大きなひびが入ったからだ。

 フランスのドゴール大統領は、キューバ危機をアメリカから単に「知らされた」だけだったことに対して大きな不満をもった。その後ケネディが、同盟国に対してアメリカの防衛コストの肩代わりを要請するにいたり、ドゴールはますます態度を硬化させ、独自の核兵器開発に踏み切り、ついにはNATOからの脱退を表明した。

 ドゴールは、さらに63年にイギリスがECへの加盟を希望した際これを拒否した。イギリスはアメリカの「トロイの馬」であり、加盟を認めればECがアメリカに影響されると主張したのである。

 筆者は、国際世論を無視してイラク攻撃を強行しようとする今のアメリカの姿勢に、こうしたケネディ時代の独善的で好戦的な政策が二重写しに見えてならない。

 結局アメリカはベトナム戦争に敗れ、疲弊しきった財政と国内の混乱を経て、70年代以降ドル切り下げから三つ子の赤字へと長期凋落の道を歩み始めていった。

 この間アメリカの国力を維持できたのは軍事力と外交力であり、いわば金メッキの化粧で地肌を隠してきた。しかし、皮肉なことに米ソ冷戦構造が崩れると同時に、地肌が露呈し始めたのである。

 85年11月、レーガンとゴルバチョフの首脳会談から雪解けが始まり、89年のマルタ宣言で完全に冷戦が終結した。この間の出来事を振り返ると、86年のチャレンジャー打ち上げ失敗、イラン・コントラ疑惑、88年のイラン旅客機誤射など「油断」ともいうべき失敗が相次いだ。

 マルタ宣言後はさらに深刻だ。91年の湾岸戦争は一応勝利を収めたものの、フセイン政権打倒には失敗した。95年には財政難による連邦政府機能停止、98年には巨大ヘッジファンドLTCMの破綻、2000年の大統領選挙ではブッシュとゴアの開票騒動、2001年の同時テロではCIAやFBIの機能不全、アフガニスタン出兵ではビンラディン捕捉の失敗、そして今年再びコロンビア号の空中爆破と続く。

 これらの失敗には重大な共通項がある。軍事力の限界、財政の破綻、マネーゲームの終焉、民主主義への不信、国際情報力の低下、最先端技術のほころびなど、いずれもこれまでの強国アメリカを支えてきた土台が崩壊し始めているのだ。

今回のイラク攻撃は、仮に軍事的に成功しても外交的にアメリカの力を低下させることは間違いない。筆者はニューヨーク時代に新聞で読んだイスラエル発砲事件を覚えている。湾岸危機のさなかの90年、イスラエル警察隊がパレスチナ22人を射殺した事件だ。

 国連安保理がイスラエルを非難し、調査団の派遣を決議した。このときイスラエルは調査団の受け入れを拒否したが、アメリカは沈黙した。イラクとイスラエルで国連安保理の決議を使い分ける強引な外交はいつか破綻するはずだ。

 アメリカは、制圧後のイラクの支配にも失敗するだろう。民族意識が強烈である上、各国の利権が渦巻く複雑な世界だ。

 アメリカがイラク戦略に失敗して軍事力で支配できないものがあることを知ったとき、いよいよ金メッキが剥れ落ちて凋落の実態が露呈するだろう。

 アメリカは、この「独善のワナ」から抜け出すために、まず冷凍サラダボウルの解凍から始めるべきだ。そのためには豪華客船から降り、自分の目と足で現地の生活と人間を体感するのが一番だ。そして、世界の各地にアメリカ人のバックパッカーが出現するようになれば、21世紀もアメリカの繁栄は続くだろう。

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