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「やりたい族」と「なりたい族」H14/12/20 木村 剛 【日本海新聞】
投稿者 hou 日時 2002 年 12 月 31 日 20:30:30:


http://www.nnn.co.jp/essay/souro/index.html


木村 剛

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平成14年
12/20 「やりたい族」と「なりたい族」
11/20 未来の使命忘れた銀行

10/19 不良債権解決へ全力

09/14 花盛りの企業不祥事

08/14 新生銀行と邦銀の違いは何か?

07/20 米国資本主義のたくましさ

06/15 ワールドカップと日本経済

05/18 内部統制システム構築を

04/13 柳沢金融相の喜劇的回答

03/27 不良債権処理は王道進め

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 木村 剛(きむら・たけし) 1985年、東京大学経済学部卒後、日本銀行入行。金融サービスに関する総合コンサルティングを行うKPMGフィナンシャルを設立し、代表取締役に就任。現在は総務省郵政事業公社化に関する研究会委員、内閣府経済動向分析検討チーム委員などを務める。『通貨が堕落するとき』『「日本」が破綻するとき』など著書多数。


「やりたい族」と「なりたい族」
H14/12/20

 現在、多くの日本企業が自信を喪失している。それは、いまの日本企業が「守るべき価値」あるいはミッション(使命、存在価値、任務)を失ってしまったからであるように思う。少なからぬ日本企業のミッションは「おカネもうけ」ではなく、単に「組織を守る」ことに堕してしまっているような感じを受ける。

 確かに「組織を守る」方が「おカネもうけ」より日本の風土に合っている。しかし、それがだんだん怪しくなってきた。米国資本主義は株主重視で、日本資本主義は従業員重視などと形容されたこともあるが、今の日本企業は従業員重視とはとてもいえない。


起業時の原点に返れ
 経営者は、従業員を別の会社に平気で売り飛ばすようなことをやっているし、自分を守るためには従業員の解雇を率先して実行している。組織を守るつもりのない日本企業は、守るべき価値を完全に見失ってしまった。「経営者を守れれば、従業員などどうでもいい」というミッションなのかといぶかりたくなる。

 米国資本主義は、本来のミッションを忘れて、「おカネもうけ」という単なる結果に過ぎないものを聖なるミッションと誤認してしまった。その一方、日本資本主義は、唯一の目的であった「共同体を守る」というミッションを見失い、「経営者を守る」だけという状態に堕している。

 おカネもうけをミッションと誤認したゆがんだ資本主義と、ミッションを失った抜け殻の資本主義。ゆがんだ米国資本主義と抜け殻の日本資本主義を比較して、どちらが勝ったとか、あちらが劣っているとか言い募っても、次元の低い空しい争いだ。

 日本資本主義にとって、日本企業にとって、今一番必要なのは、守るべき価値(追求すべきミッション)を取り戻すということである。個々の企業でいえば「自分たちは何を実現するためにビジネスをしているのか」という根源のミッションに立ち返って、もう一度起業時点の原点に返ることなのではないだろうか。

 こんなサービスを提供したい、こんな社会になればいいとか、いろんなミッションがあったはずだ。そして、あらゆるミッションは、お客さまの生活へと還元していく。とどのつまりは、人々の生活をどうするかという点に尽きる。

 企業という器を通じて、人々の生活をよりよくするために、こんな商品を供給したい、あんなサービスも提供しようという、夢や希望がミッションに凝縮されているはずだ。

 だとすれば、一番重要なことは、お客さまのことをよくよくおもんぱかるということに尽きてくる。お客さまは何をしてもらいたいと思っているのだろうか。彼らが幸せになるためには何が必要なのか。それを考えに考え抜くということが、会社のミッションの基盤である。


どう考える客の幸せ
 そのミッションを日々のビジネスで追求する。お客さまがそれを評価してくださる。ミッションのささやかな一部が実現する。その結果として売り上げが上がり、利益が上がるという好循環が生まれる。原型となる「資本主義の精神」をもう一度取り戻してみよう。個々の会社にとってのミッションは、隣人であるお客さまの幸せをどう考えるかに尽きる。

 キレイゴトではなく、私はおカネもうけのためだけのビジネスは永続できないと信じている。どんなに短期的にうまくやろうが、最終的にはウィン・ウィン・シチュエーション(win−win−situation=お客さまも会社も潤う)ということでない限り、ビジネスを継続していくことは不可能だ。

 お客さまをおもんぱかったミッションに基づいてビジネスをして、喜んでいただいたお客さまからおカネをいただき、それで利益を計上する。そういうウィン・ウィン・シチュエーションでなければ、長いお付き合いの商売はできない。

 そういう観点からいえば、経営者という人種は「やりたい族」でなければ務まらないように思う。「やりたい族」というのは私の造語なのだが、私は、人間には「やりたい族」と「なりたい族」の二通りがいると考えている。

 「やりたい族」というのは、例えば「自分は部長になって、これをやりたい」という人。「なりたい族」は「部長になりたいから、これをやろう」という人のことだ。一生懸命仕事をしているという現象面は、同じなのでなかなか判別しにくいが、実はまったく違う種族である。

 大企業であろうが、零細企業であろうが、私は経営者である限り「なりたい族」ではなく、「やりたい族」でなくてはいけないと信じている。自分はこれを「やりたい」から社長になる。社長になればこれができる。そうした発想を持つ種族でなければならない。


「やりたい族」何人?
 そうでなければ、ミッションの追求などという苦行を耐えていくことはできない。「やりたい族」には「何かやりたい」というミッションがある。ミッションがあるから、それを成し遂げるために必要なポジションがある。それが最終的には、社長というポストになる。

 ところが実際の経営者のなかには「なりたい族」が少なくない。社長というポジションがまずあって、そのあとでミッションを探すという場合がある。「社長になりたいからこれをやる」という図式だ。

 こういう「なりたい族」の人が経営者になってしまうと、社長になった時点で目的がなくなってしまう。そうすると、自分のポストを守ることしか考えられなくなる。財界活動で名を上げるとか、勲章をもらうということしか考えられなくなる。だから企業が堕落する。

 組織というのは、経営者が「やりたい族」だからこそ初めて組織として機能するものである。企業がミッションを追求し続けられるか否かは、結局のところ、社長が「やりたい族」なのかどうかということにかなりの部分を負っている。日本企業に「やりたい族」の社長は果たして何人いるのだろうか。(KPMGフィナンシャル=KFi=代表)

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