★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > 戦争23 > 690.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
「大量殺戮を前にして 辺見庸」サンデー毎日より全文記録
http://www.asyura.com/2003/war23/msg/690.html
投稿者 一般人 日時 2003 年 2 月 12 日 01:49:05:

(回答先: 「大量殺戮を前にして 辺見庸」サンデー毎日より 投稿者 一般人 日時 2003 年 2 月 11 日 11:15:13)

一応、全文記録。

-----------------------------------
「反時代のパンセ(大量殺戮を前にして 5)」 辺見庸

マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」を恵比寿まで見に行った翌日の未明、ことのついでにとテレビが中継するコリン・パウエルの国連安保理演説にも最後までつきあったら、ダブルチーズバーガーとフライドチキンとニューイングランドクラムチャウダーとメリーランドクラブケーキをたてつづけに食い、仕上げにバナナシェイクをジョッキで一気飲みしたあげくにストロベリー・フレイバーのジェローのてんこ盛りでもたいらげたみたいに、しばらくげっぷがとまらず難儀した。映画が二時間、演説が七十分。この時期、米語をこれほど浴びれば胸やけやげっぷも当然である。就寝前、東京にたまたま来ていたプエルトリコ系米国人の友人R から電話が入ったので、そのことを告げ、どうしたらげっぷが収まるのか問うたら、「いっそのことさらにコークを半ダースほど飲んでみてはどうだい」とまぜっかえされた。Rは私が二十年ほど前にカリフォルニア州バークレーでぶらぶら遊んでいたころの知りあいでである。ムーア監督ほどではないがかなりのデブで、絵に描いたようなリベラルであり、当時の私にとっては、ま、よきアメリカを代表する男であった。だが、「ボウリング・フォー・コロンバイン」についてRは「悪くないけど...........」と素っ気ない。私もこの映画を好感しはしたけれども、とりたててたまげるようなことはなかった。というより、さほどには興がそそられなかった。

二十年前、小さなまいける・ムーアのような男たち、つまり、いささかの皮肉をこめていえば、"健全な正義漢"が、アメリカにはいまよりたくさんいた。軍産複合体を支えるジェネラル・モータース社やロッキード社を嫌い、全米ライフル協会を軽蔑し、それらとかかわりのあるビール会社やスポーツチームに中指を立て、大枠で民主党を支持したり同党の欺瞞性を糾弾したり、ライフル・ネーダーを信奉したりするのは学生らの間では少しも珍しくなく、バークレーあたりでは常識すぎてむしろ鼻につくくらいだったのだ。北部には社会主義を信じていると言う市長だっていたし、六、七十年代ほどではないにせよ極右から極左まで会おうと思えば人物は選りどり見どりだった。だからといって、今と比べものにならないくらいに米国がよかったかともいえない。警官の黒人への暴力もドラッグも若者による動機不明の銃撃事件もいま同様にあったし、軍は軍でベトナム戦争の反省もなく人口十万程度のグレナダに侵攻して総員たった六百人ほどの軍隊をやっつけて「勝った、勝った」と大喜びし、主要メディアも祝勝報道でわきかえるほど大バカであった。「こんなアメリカに誰がした?」と映画の惹句はいうけれども、アホでマヌケで乱暴な米国は、いまふうにいえばエコでピースフルでクラフティ(滑稽)な米国を内包しつつ、ずっと昔から実在していたのだ。もしアル・ゴアが得票どおりに大統領になっていたら、これほどひどいことにはならなかったのではないかという者も多いが、果たしてどうだろうか。父ブッシュの発動した第一次湾岸戦争を当時上院議員だったゴアは大いに支持していたし、副大統領になってからはビル・クリントンとともに軍に命じスーダンの医薬品工場を爆撃させたりしているのだから。それならば、米国のどこが変わったのか。たしかに、かつてはいくらでもいたムーアのようなまっすぐな正義漢が激減したかもしれない。かわりに、信じられぬほど無知で乱暴な輩が激増しているように見える。そして昔日とからぬもの、それは深い思弁性のなさのようにも思われる。

だがこれはわかりやすいけれどもずいぶん皮肉な見方だと前述のRは苦笑するのである。彼によれば、ブッシュ好戦政権の中核はいわゆるネオ・コンサーバティブ(新保守主義)グループだが、それを支持する者には、単純なアホだけでなく、かつてベトナム反戦運動を闘いながらその後に変節していったような元リベラル派が意外なほど多く、そのことが事態を複雑にしているという。思えば日本でもそうではないか。元全共闘だの元ブントだの元**派だのが変節して「新しい歴史教科書をつくる会」で辣腕をふるったり、労務担当重役になって組合を締めあげたり、筋金入りの歴史修正主義学者になっていたりする例がいくらでもある。然り、泥棒が警官になる理屈と同じで、洋の東西を問わず元左翼や急進リベラリストの変節漢ほど質の悪いものはない。「ボウリング・フォー・コロンバイン」はむろん、そのあたりのパラドックスを描くまではしていない。そこまで注文をつけるのはきょうび贅沢すぎるというものだろう。

繰り返すが、私が驚いたのは映画ではない。映画とは試写でなくちゃんと銭をはらって見るものだとつくづく思う。客に発見がある。この映画を見にきたお客、とくに若い客のいやまあ多いこと、私はそれに驚いた。見終わって帰途につく若者たちのどこか昂揚した面持ちにも、正直目を瞠った。反米、嫌米、反ブッシュの感情が世代を超えて広がりつつある。なんとしてもイラク攻撃しようというブッシュ政権への反発が映画への感応をいや増しつよくしているようでもある。わるい傾向ではない、と思いはする。ただ、寒風にさらされ、われに返れば、すこぶる奇妙な感慨にもふけってしまうのだ。

米国の横暴に憤るのに、みずからの指針ではなく、米国の正義感にまたも無意識に依存している。ノーム・チョムスキー、ラムゼー・クラーク、エドワード・サイード、バーバラ・リー、スコット・リッター、グレック・パラスト、そしてマイケル・ムーア........。彼らのメッセージに依拠し激励され権威づけられて、自らの反戦意識を確認し増幅する。反発の対象は米国、反発の正当化も米国産の言説の借用。自衛隊も米国式、市民運動も米式。換言すれば、憎むも好むも米国と言うことになってはいないか。映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」で私が身を乗り出したのは、マリリン・マンソンの語りのシーンだった。「メディアは恐怖と消費の一大キャンペーンをつくりだす。このキャンペーンは人々を怖がらせることにより消費へと向かわせようという発想に基づいている。」とマンソンは言う。恐怖と消費の無限連鎖をいいあてている点で、彼の言はそのハード・ロックの質よりも秀逸である。戦争をしかける米国、命を賭してそれに抵抗する米国人。ベトナム戦争のころ、私はいっとき米国人によって見られたベトナム戦争を見て、米国人によって反対されてたベトナム戦争に反対していた。戦争を発動する者とそれに抵抗する者。それは米国の全体像を構成する一つの不思議なセットとなっているようでもある。恐怖と消費、非道と正義が拮抗し連環して米国はある。日本はその連環から抜けて自前の頭で考えるのではなく、またぞろ米国の正義を借用し消費しつつ米国への反感を強めている。ムーアの映画を見てパウエルの益体もない国連演説を聞いていたら、そんな気がしてきた。これってひとつのセットじゃないか、と。

(サンデー毎日・2003.2.23より)

 次へ  前へ

戦争23掲示板へ



フォローアップ:



 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。