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長崎事件 矛盾するメディアと審判 - その4 少年の両親の状況
http://www.asyura2.com/2us0310/nihon9/msg/347.html
投稿者 baka(不肖容疑者弁護人) 日時 2003 年 10 月 11 日 22:55:30:/8loBLoFXQnoY

(ぷち熟女さんの「おさらいリンク」http://www.asyura2.com/2us0310/nihon9/msg/(ぷ(ぷち熟女さんの「おさらいリンク」http://www.asyura2.com/2us0310/nihon9/msg/248.html
と日本の事件9をもとに、新聞記事、ZAKZAK、週刊文春、週刊新潮、asahi.comと家裁審判の記録を抜書きしてみました。)


警察による少年補導(拉致)後の両親の状況をまとめてみた。

 (1)と(2)は、警察における最初の事情聴取が、少年の両親の了解を得た上で行なわれたとしているが、同席の有無については何も言及していない。
 (4)では、「父親は長崎署捜査本部が生徒の聴取に着手する9日朝、勤務先のレストランに対し、「今日は仕事に行けない」と電話したのを最後に、連絡を絶っているという。」、また、(14)では、「補導された今月9日。少年は稲佐署2階の補導室に入った。付き添っていた父親の横で淡々と話し、事情を聴かれている間、騒ぎ出すこともなかった。」とされており、最初の事情聴取に父親が立ち会ったとしている。なお、(20)では、
「―補導(七月九日)前後はどんな様子だったのか。
 母親 (補導当日は)警察が家に来て、信じられなくあぜんとした。朝食の後片付けの最中で着の身着のまま出て行った。」
となっており、補導(拉致)と両親への警察からの連絡がほぼ同時であったことを窺わせている。
 (21)の被害者父の手記では、「私たちはこの記事を読んで愕然としました。あなたたちが事件を報道で知った日からあなたの子供が補導されるまでの間にあなたたちが認識したこと、その時にあなたたち親子の聞に交わきれた会話、つまり警察に対しあなたたちが述べた事実と全く異なることが述べられています。」とあり、補導(拉致)時に少年の両親が警察と接触したことはあるものの、「補導された後あなたたちが初めて子供に会ったのは補導されてからほぼ一ヶ月たった後ですが、」とも記述されており、警察署で少年と面会していないと解釈できる。これは、(14)と矛盾している。つまり、警察は少年とその両親との面会を阻んだ上で(14)のような内容をリークしたのではないか? 被害者父の手記は、新聞記者の手に依らない公の記録に准ずるものと考えると重大な証言である。
 (3)と(4)は、補導(拉致)の翌日(7月10日)に少年の父親が弁護士と付添人選任について話し合ったとしている。また、「両親は「まさか、自分の子がこんなことをするなんて」と追い詰められている」状況を示している。
 そして、どの報道も7月23日の第1回審判に両親は欠席したとしているが、(10)のような状況では、周囲の助けが無ければ、両親が出席することは至難であったはずだ。ちなみに、(9)と(12)は両親欠席の理由を付添人らが明かさなかったとしている。また、「両親は少年が補導されて以降、帰る場所にも困るほどで親族との連絡も断っている。」(12)
 7月31日の付添人の弁護士3人による記者会見では、「生徒の両親が男児の父親のコメントをどう受け止めているかについては「答えられない」とした。両親が被害者側に謝罪する意思があるかどうかも「コメントできない」とした。」(15) また、「遺族に対する少年の両親の心情や謝罪では、「現時点でコメントできない」「答えられない」と繰り返した。」(16)、「少年の両親は、7月末までの時点で被害者への謝罪はしていないという。」(17)となっている。
 少年とその両親との面会は、
「 母親 (補導から一カ月過ぎた)八月九日ごろ、付添人弁護士に連絡を取り、長崎家裁に行った後、長崎少年鑑別所で、事件後初めて息子と面会した。種元さんへの謝罪の文は書いて持っていたが、どうしても息子の犯行なのかを確認したかった。面会のとき、息子が「はい」と認めたので、弁護士を通じて謝罪の手紙を清書して送った。全然兆候が見えず、頭では息子がやったと分かっていても「まさか、あの子が…」と思った。」(20)
となっており、被害者父の手記(21)と矛盾しない。
 (18)によれば、この謝罪の手紙が、被害者遺族に届けられたのは、8月18日であったようだ。

 bakaには、被害者父の手記(21)における「私たちはこの記事を読んで愕然としました。あなたたちが事件を報道で知った日からあなたの子供が補導されるまでの間にあなたたちが認識したこと、その時にあなたたち親子の聞に交わきれた会話、つまり警察に対しあなたたちが述べた事実と全く異なることが述べられています。」というくだりが、さっぱり理解できない。あっしらサンの解釈
http://www.asyura2.com/2us0310/nihon9/msg/241.html
を引用するのが精一杯です。被害者父は何が嘘なのか明かにできないのだろうか? また、「補導された後あなたたちが初めて子供に会ったのは補導されてからほぼ一ヶ月たった後ですが、その日まであなたたちが子供が罪を犯したのを認めていないのであれば堂々と普通に生活していればよかったではないですか。」(21)と云うのも、言過ぎだ。マスコミが普通の生活をさせてくれないはずだ。
 家裁審判(19)の「遺族に対してもできる限りの謝罪の措置を講じる必要があるのに、少年および遺族への対応は十分なされていない。」や「これまでの親子関係、少年の問題行動への対応の仕方および父母の性格等からすると、処遇機関が父母の協力を得るには、かなりの困難が予想される。」という言種も犯罪的だ。これも、あっしらサンの投稿
http://www.asyura2.com/2us0310/nihon9/msg/186.html
を引用させて頂く。


(1) http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/374.html
 県警は事件に関与した状況や動機などについて、保護者の了解を得たうえで慎重に事情を聴いている。

(2) http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/409.html
 県警は両親の了解を得たうえで市内の警察署で事情聴取し、非行事実を認めたため、県中央児童相談所に通告した。

(3) http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/544.html
◇両親
――少年の両親には会ったのか
 母親には会っていない。10日に父親と付添人選任について話しただけ。両親の方が追い詰められた状況で、県警も両親の方を心配していた。
――少年について何か話していたか
 家で不満を言う子ではなかったし、事件後、噂は飛んでいたが、「まさか自分の子が」と話していた。

(4) http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/598.html
 【眠れぬ日々】
 生徒は調理師の父親とパートの母親の一粒種。一身に愛情を受けて育てられてきただけに、料理人一筋で温和な父親、息子を溺愛(できあい)して過保護・過干渉になった母親の心の傷も計り知れない。
 父親は長崎署捜査本部が生徒の聴取に着手する9日朝、勤務先のレストランに対し、「今日は仕事に行けない」と電話したのを最後に、連絡を絶っているという。
 付添人選任の打ち合わせで10日に父親に会った弁護士は「まったく眠れず、食事ものどを通らない状態。『今夜もどこに泊まるか決めていない』と言っていた」と、両親を気遣った。
 両親は「まさか、自分の子がこんなことをするなんて」と追い詰められているが、生徒は「両親にすまないことをした」とだけ話したという。

(5) http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/322.html
 長崎市の男児誘拐殺人事件で、長崎家裁は23日、送致された市内の中学1年男子生徒(12)に対する第1回審判を、生徒が収容されている長崎少年鑑別所で開き、伊東浩子裁判長は生徒の精神鑑定を行うことを決定した。14歳未満の少年に対する精神鑑定は異例。
 第1回審判は非公開で約2時間半行われた。伊東裁判長は人定質問後、男児を誘拐し殺害したとする送致事実を告知。処分決定のためには生徒の精神状態を調べることが欠かせないと判断し、鑑定人を指定した。
 家裁は今後、観護措置(7月10日から8月6日までの4週間)をいったん取り消し、鑑定人が鑑定書を家裁に提出するのを待って審判手続きを再開する見通し。また生徒の父母には、審判期日が通知されていたが、出席しなかった。

(6) http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/323.html
 長崎市の種元駿ちゃん(4つ)誘拐殺人事件で補導された中学1年の少年(12)の第1回少年審判が23日開かれ、長崎家裁の伊東浩子裁判長は、殺害時や現在の心理状態を調べるための精神鑑定を実施することを決めた。鑑定留置期間は未定。
 この日の審判に両親は出席しなかった。

(7) http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/329.html
 長崎市の種元駿(しゅん)ちゃん(4つ)誘拐殺人事件で、長崎家裁(伊東浩子裁判長)は二十三日、補導された同市の中学一年の男子生徒(12)の第一回審判を開き、生徒を精神鑑定することを決めた。家裁が指定した鑑定人が、犯行当時や現在の精神状態を調べる。生徒の付添人の弁護士の申請を受け、決定した。
 審判は生徒が収容されている同市の長崎少年鑑別所であった。裁判官三人と生徒のほか、家裁調査官、付添人の弁護士二人らが出席、少年法に基づき非公開で行われた。原則的には、出席することになっている生徒の両親は姿を見せなかった。

(8) http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/343.html
異例…精神鑑定決定 長崎の男児誘拐殺人
駿ちゃん誘拐殺人事件で審問
 長崎市の種元駿ちゃん(4)誘拐殺人事件で補導された中学1年の少年(12)の第1回少年審判が23日開かれ、長崎家裁の伊東浩子裁判長は、殺害時や現在の心理状態を調べるための精神鑑定を実施することを決めた。少年の付添人からの申請を認めた。処分を決める前提として専門家による解明が不可欠と判断したとみられる。
 この日の審判は、伊東裁判長ら裁判官3人が少年が収容されている長崎少年鑑別所に出張して非公開で開かれた。裁判官3人のほか、家裁の調査官、付添人ら出席。両親は出席しなかった。

(9) http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/352.html
長崎少年審判、溺愛・母と温厚・父は欠席 --- 出席義務付けられながら、理由は語らず
 なぜ、両親が立ち会わないのか−。長崎市の幼稚園児、種元駿(しゅん)ちゃん(4)全裸殺人事件で、長崎家裁は昨23日、補導された市立中1年の男子(12)に対する第1回少年審判を開いたが、両親の姿はそこになかった。息子を溺愛(できあい)する母(39)と父性の欠如も指摘される父(50)…。情緒不安定が「心の闇」にあるとみられるだけに、少年事件や被害者感情を考慮すれば、両親の責任は小さくない。
 少年審判は、裁判官3人が男子が収容されている長崎少年鑑別所に出向く形で行われ、家裁調査官1人、付添人の弁護士2人が出席した。
 不思議なことに、男子に「溺愛・過干渉・過保護」だった母親と、「温厚で“いい人”」の父親は出席しなかった。
 少年審判の場合、立会人として、両親や親族など身内も出席が義務付けられている。
 出たくないのか、出られないのか。付添人の弁護士も欠席の理由を明かさなかった。
 警察から児童相談所、家裁と段階的に進む過程で、原則的に弁護士以外は接見できない。少年審判では、身内が少年の様子をうかがえる数少ない機会でもある。
 両親は少年が補導されて以降、帰る場所にも困るほどで親族との連絡も断っている。
 苦しい立場ではあるが、男子の成育環境や性質、家庭内の様子を最も把握しており、男子の「心の闇」を解明できるキーマンでもある。

(10) http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/358.html
 長崎少年鑑別所は審判前から緊迫感
 長崎市の男児誘拐殺害事件で、家裁送致された中学一年の男子生徒(12)の第一回審判が行われた長崎市橋口町の長崎少年鑑別所は二十三日、審判開始前から大勢の報道陣が詰め掛け、周囲を警察官が巡回するなど物々しい雰囲気に包まれた。
 鑑別所の玄関はグレーのシートですっぽりと覆われ、塀越しに二十人以上のカメラマン、取材記者が審判開始を待ち構え、張り詰めた空気が漂った。通り掛かった市民も足を止め、鑑別所の様子を遠巻きにうかがっていた。
 同日午後十二時四十分すぎ、長崎家裁の関係者を乗せた二台の乗用車が到着。午後一時すぎには付添人の弁護士二人の車が鑑別所内に入り、予定時間通りに同一時半から審判開始。
 二時間半にわたる審判は、十二歳の少年が質問を受ける時間としては異例の長さ。非行事実について細かい確認がなされたとみられるが、外から様子はまったくうかがえない。午後四時すぎ、審判を終えた関係者は足早に車に乗り込み、鑑別所を後にした。

(11) http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/359.html
 長崎市の種元駿ちゃん誘拐殺害事件で、長崎家裁は二十三日、中学一年の男子生徒(12)の第一回審判を収容先の長崎少年鑑別所で開いた。少年の付添人弁護団から申請があった精神鑑定について、伊東浩子裁判長は鑑定を決定し、鑑定人を指定した。刑事責任を問われない十四歳未満の触法少年の精神鑑定は極めて異例。
 審判は非公開であり、裁判官三人と少年をはじめ、書記官や付添人の弁護士らが出廷、約二時間半に及んだ。少年の両親は欠席した。

(12) http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/361.html
 付添人の戸田久嗣、森永正之両弁護士は23日の審判後、長崎市内で会見し、少年の精神鑑定を22日午後、家裁に申請していたことを明らかにした。理由については「犯罪原因究明のため」とし、少年の今後の処遇や更生、再犯防止などの検討材料とするという。 少年の非行事実の認否を明かさない理由は「審判の非公開性のため」などと説明。少年の両親が出席しなかった理由も明かさなかった。

(13) http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/363.html
 長崎市の男児誘拐殺人事件で、幼稚園児、種元駿(しゅん)ちゃん(4)を殺害したとして補導され、長崎家裁に送致された市内の中学1年男子生徒(12)に対する第1回少年審判が23日、生徒が収容されている長崎少年鑑別所(長崎市橋口町)で開かれ、伊東浩子裁判長は生徒の精神鑑定を行うことを決定した。14歳未満の少年に対する精神鑑定は異例。
 第1回審判は、伊東裁判長ら裁判官3人が鑑別所に出向く「出張審判」の形で開かれ、同日午後1時半から約2時間半、非公開で行われた。生徒の父母には審判期日が通知されていたが、出席しなかった。

(14) http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/495.html
 補導された今月9日。少年は稲佐署2階の補導室に入った。付き添っていた父親の横で淡々と話し、事情を聴かれている間、騒ぎ出すこともなかった。「(園児の)お父さん、お母さんごめんなさい」と素直に謝罪の言葉を口にした。県警幹部には「精神鑑定の必要がある」との報告はなかった。
 長崎の少年は、両親と会いたがっているそぶりを見せている。弁護士の問いかけに「会いたいけれど、事件のこととかがあるので、まだ会いたくない」などと複雑な胸の内ものぞかせた。
 長崎市郊外の少年の親族の家は表札がはずされ、年老いた祖母は「向こう(園児の遺族)に迷惑かけて。なんとかしないと」と涙を流した。県警での事情聴取には父親が同席したが、23日の初めての審判の日、両親の姿はなかった。

(15) http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/627.html
 長崎市の幼稚園児誘拐殺人事件で、家裁に送致された中学1年の男子生徒(12)の付添人の弁護士3人が31日、記者会見した。第1回審判後の生徒の様子について「特に変わりはない。事件については話をしたがらず、わからない部分が多い」と語った。
 審判後、28、30の両日に2回面会した戸田久嗣弁護士らによると「鑑定期間中なので、(動揺させないため)事件についての話は控えている」としたが、事件についてはまだ言いたがらないところが多いという。戸田弁護士は最初に面会した時の「普通の子」という印象も「変わっていない」と述べた。
 被害者の男児の父親が22日に出したコメントについては、内容は伝えていないが、出されたことは伝えたという。被害者の感情については「少年と向き合う中で今後慎重に伝えていきたい」と話した。
 生徒の両親が男児の父親のコメントをどう受け止めているかについては「答えられない」とした。両親が被害者側に謝罪する意思があるかどうかも「コメントできない」とした。

(16) http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/686.html
少年の近況変化なし 事件は言いたがらず
 付添人は二十三日の第一回審判後、少年に二度面会。少年の内面を「分からない部分が多い」とし、近況について「特に変わった様子はない。事件について言いたがらない点もあり、話が進まない」と述べた。
 審判前日に男児の父親が公表した手記について、森永正之弁護士は「少年を追いつめてもいけないので声明があったことは伝えたが、内容は伝えていない」と話し、少年の心理状態に配慮した。一方、遺族に対する少年の両親の心情や謝罪では、「現時点でコメントできない」「答えられない」と繰り返した。

(17) http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/734.html
 ただ、肝心の事件の話になると、概略は語り始めているが、動機や殺意、計画性の有無という核心部分を含め、触れたがらないことも多いという。戸田弁護士は「反省の意思は十分あるが、形に出ているかと言われれば、そうは言えない。分からない部分は多い。少年と向き合い、心を開かせたい」と語る。
 一方、長崎家裁の第1回審判(7月23日)に姿を見せなかった少年の両親は、7月末までの時点で被害者への謝罪はしていないという。

(18) http://www.asyura.com/0306/nihon7/msg/405.html
 次に少年の両親に対しても思うことがあります。捜査が続けられている間もあなた方両親とあなたの子供は何事も無かったように生活を続けていました。もし、捜査の手があなたの子供に及ばず補導されることが無かったら、あなたの子供はまた同じことを繰り返したのではないでしょうか。
 また、あなたの子供が殺人を犯して補導されてから、8月18日の駿の四十九日まで全く連絡はありませんでした。
 そして、今まで放置されなんの連絡もなかったところに、一通の手紙だけが付添人を通じてよこされても、それを謝罪として受け取ることはできません。
                      ただ、事件を知った日にあなた方とあなた方の子供がとった言動、あなた方の子供が補導されるまでにあなた方とあなたの子供がとった言動を考えると、手紙による謝罪は本当にあなた方の本心なのか信用できないのです。今となっては、手紙や公にならない形での謝罪では、到底納得できませんし、受け入れることはできません。

(19) http://www.asyura.com/0310/nihon8/msg/387.html
長崎の男児誘拐殺害事件で、長崎家裁が二十九日、出した決定の要旨は次の通り。
 【処遇選択の理由】
 さらに、少年と父母との親子関係が本件非行に与えた影響は大きく、父母としては、少年が本件のような残忍な非行に及んだことを真摯(しんし)に受け止め、少年あるいは家庭における問題点を真剣に考え、遺族に対してもできる限りの謝罪の措置を講じる必要があるのに、少年および遺族への対応は十分なされていない。
 少年の更生には父母の協力が不可欠であることを考えると、父母には、少年の障害を十分理解させ、社会復帰に向けて家庭の保護機能が円滑に働くよう指導、助言をするとともに、処遇の中で親子関係の調整を図っていく必要があるが、これまでの親子関係、少年の問題行動への対応の仕方および父母の性格等からすると、処遇機関が父母の協力を得るには、かなりの困難が予想される。また、父母の協力が得られるとしても、関与の時期や方法は少年の状態を見極めながら慎重に検討する必要がある。
 収容期間については、裁判所に決定権限はないが、少年が再び本件のような非行を繰り返すことがないよう、少年の性的し好や関心、行動の変化を見極めたうえで、社会的に望ましい行為とそうでない行為を理解させ、父母との関係調整により、少年に安定した帰住先が整うまでの間、継続して収容することが望ましく、少年および父母への対応の困難さや少年の性的し好や関心、行動の変化を見極めるには相当時間がかかると予想されることからすると、かなり長期間にわたる収容が必要である。

(20)http://www.asyura2.com/2us0310/nihon9/msg/167.html「死ぬ場所探した」 中1両親一問一答
 「息子を一生懸命育てたつもりだが、すべて私たち二人の責任です」。長崎市の男児誘拐殺害事件で、中学一年の少年の両親は「何としても両親と社会におわびしなければ」と心に決め一日、長崎新聞社の取材にあらためて応じた。父親は終始硬い表情で、母親は時折、言葉を詰まらせながらも「これからは償いのために生きる」と誓った。
 一問一答は次の通り。
 ―駿ちゃんと遺族、社会に対してどういう気持ちでいるか。
 父親 大変申し訳ない。すべて親の責任だと思っている。わびてもわびきれないが、わびる以外に何もできない。本当に申し訳ないことをした。
 母親 法が許すなら、少年院でも刑務所でも入れてもらい、普通の殺人者と同じように罪を償わせたかった。これからは誠意を尽くして、生活を切り詰め、一生をかけて三人で償っていきたい。今まで隠れたような形になって申し訳ない。深く深く反省しています。息子をきちんと専門家に治療してもらい、社会の役に立つ人間に更生させたい。
 ―これからの生活は。
 母親 社会を不安に陥れ、長崎にいるのも心苦しいが、生きて償っていくためには長崎に住んでいくしかない。批判も正面から全部受け止め、罪を償いたい。
 ―事件後、どう過ごしていたか。
毎晩めい福祈る
 父親 毎日、生きているのがつらかった。抜け殻のような生活で、眠れない日々が続いた。夫婦とも体調を崩し、貧血や目まいで倒れた。毎晩寝る前に、駿ちゃんのめい福を祈って手を合わせていた。息子にも「反省しながら毎日忘れずにお祈りしなさい」と伝えた。
 母親 死に場所を探してさまよった。アドレス帳や免許証も処分した。
 ―どうして謝罪が遅れたのか。
 母親 (補導から一カ月過ぎた)八月九日ごろ、付添人弁護士に連絡を取り、長崎家裁に行った後、長崎少年鑑別所で、事件後初めて息子と面会した。種元さんへの謝罪の文は書いて持っていたが、どうしても息子の犯行なのかを確認したかった。面会のとき、息子が「はい」と認めたので、弁護士を通じて謝罪の手紙を清書して送った。全然兆候が見えず、頭では息子がやったと分かっていても「まさか、あの子が…」と思った。
 父親 駿ちゃんは帰らないが、息子は生きている。それを思うと心が痛んで会えなかった。
 ―少年の両親に対して「市中引き回し」との大臣発言もあったが。
 母親 自分が子供の代わりに死刑になってもいいと思った。
 ―遺族の意見陳述書には目を通したか。
 父親 胸が詰まってどうしようもなかった。大切なご子息の尊い命をなくしてしまい、ご両親、ご親族の方に申し訳ない気持ちでいっぱい。
 母親 あんな残忍なことをして自分たちの罪です。家庭環境が至らなかった。一日も早く三人で謝罪に行くことを当面の目標にしたい。何が何でも生きて、子供を更生させたい。
 ―どんな子供だったのか。
犯行気付かず
 母親 寂しがり屋で、買い物に行くときにはいつも付いてきた。私たちにとってはいい息子だった。息子の犯行とは全然気付かなかった。息子が自分の犯行を打ち明けられない雰囲気の家庭だったのかと思うとつらい。手足も不器用で体力もなかった。将来どうやって食べていくのか心配で、マンツーマンで勉強を教えたりした。いいところを伸ばしてあげたかった。
 本人はコンピューター関係の仕事に就きたいと言い、普通に近づけようと頑張ったことが負担だったかもしれない。周囲に相談していればよかったと、悔やんでいる。
 私がぜんそくで寝込むと優しくしてくれた。子供が変わっているとは思えなかった。気付いてあげられなかった。自分のいたらなさが犯行に追いやってしまったのだと思う。親子三人の罪だと思っている。
 父親 自分は仕事人間で家庭のことはすべて妻に任せっきりだった。妻から何度も相談を受けたが、仕事の疲れもあり十分に相談にも乗れなかった。一部週刊誌などで妻だけ悪く言われるが、本当によくやってくれていた。自分の父親としての責任が足りなかったと感じている。
 ―長崎家裁の処分をどう受け止めているか。
幼さ消え別人
 母親 息子のこととはいえ軽過ぎる。きちんと病気を治し、罪を償うまで出てきてほしくない。
 父親 われわれは死んでしまえば楽だが、子供だけに責任を負わせるのではなく、子供を治していくのが償い。
 母親 次の審判までを目標に生きてきた。
 父親 このままでは最終審判までは持たないとも思った。
 ―補導(七月九日)前後はどんな様子だったのか。
 母親 (補導当日は)警察が家に来て、信じられなくあぜんとした。朝食の後片付けの最中で着の身着のまま出て行った。
 父親 職場で「犯人が捕まった」とのうわさが流れ、よかったと思っていた。
 母親 息子と一緒に事件を報じるワイドショーを見た。息子は全然表情を変えず普通にしていた。私が「ひどいね」と言うと、息子も「ひどいね」と言った。
 父親 本人は一生懸命ごまかしていたのかもしれない。
 ―面会のときの少年の様子は。
 母親 表情がなく別人のよう。自分の子供とは思えない感じ。幼さが消えて神妙な面持ちだった。返事しかしなかった。
 ―今一番何を望んでいるか。
 両親 一日も早く種元さんにお会いして、謝罪することができたらと思います。

(21)http://www.asyura2.com/2us0310/nihon9/msg/226.html
種元さんが発表した文書の全文
 次に少年の両親については述べたいと思います。先日長崎新聞において少年の両親が記者の質問に答える形で謝罪の意を述べている記事が掲載されていました。私たちはこの記事を読んで愕然としました。あなたたちが事件を報道で知った日からあなたの子供が補導されるまでの間にあなたたちが認識したこと、その時にあなたたち親子の聞に交わきれた会話、つまり警察に対しあなたたちが述べた事実と全く異なることが述べられています。あなたたちは謝罪が1ヶ月以上も遅れた理由としてあなたの子供が罪を犯したことを確認したかったという旨を述べていますが、それではなぜ謝罪を手紙として渡そうとするまでの間毎晩駿の冥福のために手を合わせたり、死ぬ場所を探したりしたのでしょうか。補導された後あなたたちが初めて子供に会ったのは補導されてからほぼ一ヶ月たった後ですが、その日まであなたたちが子供が罪を犯したのを認めていないのであれば堂々と普通に生活していればよかったではないですか。あなたたちが記者に述べた言葉は矛盾しています。私たちに言わせればあなたたちは嘘をついていますし、謝罪に必要な他の事実にも触れてはいません。私たち遺族はこのことを絶対に許すことができません。嘘をついてまで謝罪の意を述べたことは、私たち遺族にとって堪えがたい憤りを覚えさせただけです。もう一度はっきり言いますが、あなたたちが記者に対し述べた謝意にはあなたたちに都合のいいように言っている嘘があるのです。嘘のある謝罪の言葉など聞きたくありません。もう今となってはあなたたちの文字となった形での謝罪を受け取ることはできません。私たち遺族に本当に心から謝罪をするのであれば、公の場で、肉声で、それもあなたたちがどのような嘘をついたのかについても謝罪しなければなりません。あなたたちのあの時の言動がなければ事件は早く解決し、息子を殺した犯人が少しでも早く捕まることを望んだ私たちの思い、殺人犯が近くかも知れないということで不安になった方々の早く犯人が捕まって欲しいという思い、事件が早く解決して欲しいと捜査に協力していただいた方々の思いは一分一秒でも早くかなったはずです。私たちは前にもコメントさせていただきましたが、謝罪を頑なに拒否するつもりはありません。謝罪をするのであれば私たちが誠意と感じられる謝罪をしてください。ただでさえ遅きに失した謝罪なのです。謝罪をするのであれば嘘をつかないでください。

平成15年10月6日
種元 毅

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