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2023年1月11日15時57分 〜
記事 [政治・選挙・NHK289] 日本のコロナ死“3倍速”で6万人超!米国から強力ウイルス「XBB.1.5」流入で第8波は長期化(日刊ゲンダイ)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/317002


記事の結論は以下の文章であり、私も異論は無い。

「・・・ところが、岸田首相は、最多の死者数や医療逼迫が眼中にないかのように、見て見ぬふり。国民の命を守れない首相はリーダー失格だ。」

記事では、

「新型コロナウイルスの死者数が急増している。8日に累計死者数が6万人を突破したが、5万人を超えてから1カ月余で1万人増えた。3万人から4万人になるのは3カ月かかったから“3倍速”である。発表される感染者数は第7波より少ないのに、第8波の死者数が最速ペースなのは、陽性者の全数把握ができていないからだ。実際には感染者数は第7波を超えている可能性が高い。このため死者数が急増していると考えられる。・・・」

と問題提起している。

しかし、第8波の死者数が最悪で、最速ペースなのは、記事が指摘するように、感染者数が7波を越えているから・・・ということだけだろうか。

岸田政権になってから以降、コロナ対策は行動制限の撤廃に象徴されるように、緩める一方で、ここまで来てしまった。

コロナの危険性は、高齢者と、基礎疾患を持つ人ほど高い事は、これまでの3年間の経験から、国民の誰もが認識しているところだろう。
これまでの3年間を振り返ると、訪れる波の都度、医療の逼迫が言われ、医療機関に電話してもつながらず、救急車を呼んでもきて貰えず、やっと来て貰えたと思ったら、今度は病院のたらい回し、と何かが改善されることもなく、医療にたどり着けない不安と、危険に翻弄されてきた。

問題なのは、同じことが繰り返されているということではないのか。
そのことは、目の前にある問題が、なんら解決、改善されていないことを示している。
ここ1か月の死者数が1万人を越えている。

慣らされてきたことで、感性が麻痺しているにも拘らず、この状況は異常と言うしかない。
この1万人の中で、まともな医療を受けることができた人はどれほどいるのだろうか。
家族が、手を尽くした医療に納得し、悲しみの中、愛する人の死を受け入れられただろうか。
開発された新薬も、適切なタイミングで患者に投与出来ているのだろう、国民の気持ちはは、コロナへの恐怖と、短期間に繰り返し行っているワクチン接種そのことへの不安のはざまで、揺れている。

いま政府が実現すべきは、すべての国民がコロナに感染ししても、当然のように医療を受けられる、、そんな体制、システムではないのか。
かつては、入院すべき患者が入院できずに苦しんだ。
そして今でも、医療機関に受診したくとも出来ずに苦しんでいる。
今は、医療機関に電話してもつながらないという、情けないことで苦しまされている。
コロナの特効薬がない、コロナの変異のスピードに負けて、効果的な治療薬も追いつかない。
そのことは、人間の科学、医学の限界として、希望を持ちながらも、少しは自分を納得させることは出来る。
しかし、もし、医療に辿り着けず、病状が悪化し、命を落とす人がこれほど多くなってきているとすれば、科学、医学の問題の前に、明らかに人災と言うことが出来よう。
そんな状況は、誰とても納得できるものではないだろう。
政府、行政のこれまでの不作為は、厳しく糾弾されるべきであり、

国民の命を守れない首相は、即刻、辞めるべきだ。



http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/169.html
記事 [政治・選挙・NHK289] 安倍シンパが煽る“台湾有事” 今年の10大リスク発表の米調査会社は「リスクもどき」と分析(日刊ゲンダイ)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/317009


「台湾有事」は“つくられた危機”
戦争屋たちに騙されちゃいけない。

今回投稿する記事は、そんな主旨の日刊ゲンダイの記事。


以下は記事の抜粋。

「米国の政治リスク調査会社「ユーラシアグループ」が発表した「今年の10大リスク」は、「ならず者国家ロシア」がトップ、「『絶対的権力者』習近平」が2番目だったことが先週ニュースになったが、このリポートには、10大リスクの他に「リスクもどき」という項目があるのをご存じか。

 英語では「Red herrings」と記され、「人を惑わすような情報」「本題から目をそらさせる偽情報」という意味がある。つまり、リスクのように騒がれているが、騙されちゃいけない、という“警告”のようなもので、そのひとつとして「台湾危機」が挙げられている。・・・」

記事では、「「台湾危機」が「リスクもどき」である理由」が縷々書かれているので、興味のある人は、上記URLに飛んで、記事本文を確認願いたい。


記事は続く・・・

「・・・そんな中で「台湾有事は日本有事」と、明日にも起こるかのように大騒ぎしているのが岸田政権。台湾有事を理由に防衛費倍増に突き進むのは、明らかに国民騙しだ。・・・

・・・「『台湾有事は日本有事』の言い出しっぺは安倍元首相でした。安倍氏が軍需産業が求める大軍拡要請に応えて、緊張を煽ったのです。安倍氏亡き後は高市氏、そして安倍派後継争いの萩生田氏や世耕氏がそれを引き継いでいますが、米中関係は水面下では静かで、台湾有事は“つくられた危機”なのです」(政治評論家・本澤二郎氏)

戦争屋たちに騙されちゃいけない。」

以上が記事の抜粋なのだが・・・

英語では「Red herrings」と記されるような「台湾有事」によって、
日本が「戦争をする国になる」ということ、そのことは、紛れもなく「日本の有事」に違いない。
これこそが、政府、自民党によって「つくられた危機」だろう。

国民の不安を煽る「茶番」は、たいがいにしてもらいたい。

戦争屋たちに騙されちゃいけない。
政府、自民党に騙されちゃいけない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/170.html
記事 [政治・選挙・NHK289] 自民に寝返るなんて「完全にだまされた」 今井瑠々氏26歳に立憲の怒りが収まらないワケ(Aera dot.)
https://dot.asahi.com/dot/2023011100017.html?page=1


今、岐阜で物議をかもしている、元立憲民主党の今井瑠々氏26歳の追っかけ記事。
立憲民主党から金を貰いながら、このままでは国会議員の芽はないと、自民党に鞍替えし、県会議員の毒まんじゅうを喰らうというお話。

本を正せば、ジェンダー平等を囃し立てていた、立憲民主党執行部の言うジェンダー平等には、「人物本位」という基本が欠けていたということになり、執行部にとっては二重の失態だろう。

以下、記事の抜粋を記しながら、コメントを付けていくことにしたい。。
従って、記事が結構長いが、全体の文脈等々は、上記URLで把握されたい。

記事中に、地元支援者の言葉が載っている。

「今井さんは若さを前面に出して目いっぱい戦う。そういう姿勢が年齢層を問わずに共感を得ていた。今、岐阜は衆参両院とも自民党に全敗して国会議員がいない。次の衆院選があれば、古屋氏に勝てると県連一丸で応援していたんです。まさに裏切りです。草の根のサポーターグループもあったけど、1月で解散するそうです」(今井氏の地元支援者)

25歳の若さで果敢にも政治の世界を志し、あえなく落選という挫折もあったからかもしれないが、1年も経たずして、理念が真逆の自民党に鞍替えし、県議の地位を求める。
政は、「信なくんば立たず」と言う。
その「信」を失ってしまった今、政治の世界で、彼女は何を志すというのだろうか。

記事には
「今井氏は、今回の発表の直前までSNSに、今年春の統一地方選に立憲民主党から出馬を、というチラシを持った写真をアップしていた。岡田克也幹事長とのツーショット写真もある。」
と書かれている。・・・
さらに、
「・・・多治見市長選では、県議を辞めて出馬する一人に自民党が推薦を出すことも決めている。実質、その後継として今井氏が自民党推薦で出馬すれば、『当選は間違いない』と誘ったということだ。今井氏もそれに応じてくれた」
と。・・・
「これまでの今井氏のSNSを見ると、
「国葬反対という4文字では到底語りきれない、極めて政治的な議論が必要な問題が、日本中を騒然とさせて今日を迎えました」

「私の国葬についての考えは、”内閣が独断で強行する”国葬には反対です」

 などと自民党の考えとは相いれない内容が多く書き込まれていた。」

と、 今井瑠々氏の寝返りを、批判している。

記事の最後には、

「立憲民主党の幹部は、

「今井氏が自民党に、というニュースを見て泉代表も『今井氏は頑張っていける候補だと思っていた』と残念そうでした。岐阜県連からは『岐阜5区の今井氏は有力な候補なので党の重点選挙区として月額の活動費をアップしてほしい』との要望も寄せられ、その方向で検討していたばかりでした。ただ、評価が高い一方で、2021年の衆院選で大善戦し、最年少候補と持ち上げられて舞い上がり、傲慢(ごうまん)になっているという話も出ていました。今井氏は、政党交付金から支出されている党からの活動費を受け取りながら、自民党と裏で通じていたことになる」

と、虚しい「愚痴」が載っている。

立憲民主党執行部、岐阜県連の幹部たちは、自分達の人を見る目の無さ、あるいは若者をひきつけ、引き留める、そんな政治理念、あるいは政治家としての人間的魅力に欠けていることを、言い過ぎだというなら不足していることを、反省すべきではないか。

政治の「いろは」も知らないポット出の若者を、責めたところで仕方がないのではないだろうか、とも思う。
しかし、このことが、若者の間に蔓延する政治不信を、さらに助長しかねないことを危惧せずにはいられない。

http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/171.html
記事 [政治・選挙・NHK289] 安倍、菅、甘利、岸田…権力者たちが「言葉を破壊し続ける」この国の「悲惨な現実」 (現代)
安倍、菅、甘利、岸田…権力者たちが「言葉を破壊し続ける」この国の「悲惨な現実」
現代 2022.09.16

「暮し」を軽蔑する政治家たち

『暮しの手帖』初代編集長・花森安治が「暮しを軽蔑する人間は、そのことだけで、軽蔑に値するのである」という言葉を残している。この度刊行した『暮しの手帖』での連載をまとめた一冊『今日拾った言葉たち』の作業を進めながら、とにかくよく、この言葉を思い出した。新型コロナウイルス感染拡大の中で、この国の為政者は繰り返し私たちの「暮し」を軽蔑してきた。具体例はいくらでもあるが、二つほどあげてみる。

安倍晋三「私が責任を取ればいいというものではありません」(2020年4月7日)
菅義偉「私が目指す社会像、それは自助、共助、公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる」(2020年9月16日)

最初の発言は、新型コロナウイルスについての記者会見で、イタリア人記者から「日本の対策がもし失敗だったら、どのように責任を取るのか?」と問われた際の答えである。これまで、政治は結果責任、と繰り返し述べてきた人が、いざ、結果が問われる局面になった途端、「責任を取ればいいというものではない」と逃げる準備を急いで始めていた。それは、不安を抱えている人たちをさらに不安にさせる言葉だった。

続く菅前首相の発言は、首相の就任会見でのこと。コロナ禍で公助のあり方が問われ続けたが、まずは自分でやってみて、公助に頼るのは最後にしてほしいと述べた。エンターテイメント業界に従事している人に生活不安を抱えている人が多いとの指摘を受けて、フリーランスとフリーターを混同しながら答えたこともあった。とことん、「暮し」が見えていない。そもそも、見ようとさえしていなかったのかもしれない。

前任の二人の首相との差別化を図るためにも、岸田文雄首相が自民党総裁選で胸の前に突き出しながら強調したのが「岸田ノート」。このように、とにかく自分は人の話を聞き、メモをして、それを政治に反映させていくのだと繰り返していた。

わずか1年ほど前のことだが、今では、「岸田ノート」には何も書かれていなかったのではないかと疑いたくなるほど、国民を見ず、後ろを振り返りながら党内のパワーバランスばかり気にしている。「暮し」は軽蔑されたままだ。

見晴らしが開けるような言葉

日々、生活しているとありとあらゆることが起こり、そして、流されていく。『暮しの手帖』での連載をまとめた『今日拾った言葉たち』では、そうならないよう、流れてくる言葉を受け止めて考えてみた。隔月で刊行される雑誌にどのような言葉を載せようかと、新聞を読み、テレビを見て、ラジオを聞いて、そして、インタビュー取材を通じて印象に残った言葉を書き留めながら、その時々に出会った「言葉たち」について考察を続けてきた。

本書の「まえがき」を、「暮しを軽蔑する人間は、言葉を大切にしない人間だ。それをひっくり返して、言葉を大切にする人間は、暮しを軽蔑しない人間だ、なんて言えるかもしれない。もう何年も、言葉を拾い続けながら、そう思い続けている」と締めくくった。

先述したような政治家の言葉も数多く取り上げているが、それ以外にも、個人的に自分を支える背もたれとなるような言葉もいくつも取り上げた。人間は言葉によって動くのだから、その言葉がだらしなくなっていくのが許せないし、食い止めるような言葉を集めれば、見晴らしも変わってくるはずなのだ。

ライターの長田杏奈氏が、私が担当しているラジオ番組のゲストコーナーに出演した時に、「社会問題わらしべ長者」という言葉を使っていた。ある社会問題について、「これは自分には関係ないことだ」と遮断してしまえばどんな社会問題も遠ざかってしまうが、そうではなく、この問題がなぜ起こるのかを考えていくと、散らばっているように見えた問題がつながっていく。

とりわけ、ジェンダー問題について関心を持った結果、社会への視野が広がったとして、こうした状況を指して「社会問題わらしべ長者」と述べた。本書にも収録したが、こうやってつなげていけばいいのだ。「それはあなたの問題でしょ」と誰かを切り捨てようとする動きへの抵抗にもなる。

「真摯に受け止め」「全力を尽くして」

今、目の前にある問題について、じっくり考えさせないようにする言葉が流れてくる。よく言われるように、「誤解を与えたとしたら申し訳ございません」という謝罪は、あたかも、自分的には問題はなかったんですけど、受け止める側の無理解でこうなりましたと言いたげだし、「以降はこのようなことがないように気をつけてまいります」という言い分は、今起きている問題を追及されるのを回避する言い方である。

安倍元首相の国葬実施が世論の反発を招いているが、岸田首相は8月31日の会見で、「御意見、御批判を真摯に受け止め、正面からお答えする責任があります。政権の初心に帰って、丁寧な説明に全力を尽くしてまいります」と述べた。短い言葉の中に、「真摯に受け止め」「初心に帰って」「全力を尽くして」が入っている。これ、政治家がその場限りでなんとか乗り越えようとする時に頻出するワードばかりだ。

このところ、政治家が言葉を壊し続けてきたが、岸田首相は、壊れた後に残った、政治家にとって使い勝手のいい言葉ばかりを使っている。「岸田カラー」はいつまでも見えないが、残った絵の具を使っているのだから、自分のカラーは作り出せるはずがない。無論、言葉も同じである。

旧統一教会と、自民党を中心とした政治家とのかかわりが問題視されているが、いつものように、いい加減に言い訳しておけば逃げられるだろうと企む政治家から、あまりにも雑な見解が流れてくる。

たとえば、山際大志郎経済再生担当大臣。自身の秘書の中に旧統一教会の信者がいたのではないかとの報道を受け、再度調査をするかと記者会見で問われ、「確認できないのは調査をした上で、確認ができないと申し上げているので、同じことを調査しても確認できないという結果しか出ないんじゃないでしょうか」と答えている。

何度か繰り返して読んでみるが、ちっとも意味がわからない。山際大臣はいつも真顔だ。真顔でとんでもないことを言う。それ、説明になっていないですよ、と返しても、また真顔で奇天烈な見解を並べる。なぜこうなのか。理由は明確である。これまでも、先輩たちがそれで逃げてきたからである。

「記憶を確認する」

本書『今日拾った言葉たち』で用いた政治家の言葉に次のようなものがある。記憶している人はいるだろうか。

「記憶を確認して、1週間以内にはお話しできると思います」

これは、大臣室や地元事務所で建設会社などから現金を受け取りながら、政治資金収支報告書に記載していなかった金銭授受問題が発覚、経済再生担当大臣を辞任した甘利明氏が、辞任6日前に述べていた言葉である。

で、「記憶を確認する」ってなんだろう。記憶って、確かにちょっと時間をかけて辿るものもあるけれど、それは「えっと、ここのお店に来たことってあったっけな?」と振り返るくらいのもので、金銭授受について、何日もかけて記憶を確認するって一体どういうことなのだろう。

どういうことでもないのだ。トンチンカンなことを言っても、主要メディアが素直に「甘利大臣は、『記憶を確認する』と述べ、明言を避けました」などと報じてくれるのを知っているのだ。「この人、『記憶を確認する』とか、とてもバカらしいことを言ってますが、なんで直ちに辞めないのでしょうか」が無難な原稿だと思うのだが、そうはならない。

こんなことが繰り返された結果、言葉が壊れ、「暮し」が軽蔑される。自己責任社会が強化され、「まずは自分でやってみる」と国のトップが言ってしまう。問題視されている事案への説明を求めても、瓦礫のような言葉をつなぎ合わせて、「真摯に受け止め、初心に帰って、丁寧な説明に全力を尽くしてまいります」と返ってくる。

とても困る。でも、そればかりが繰り返されるので、うっかり、この状態に慣れてしまう。順応してしまう。間もなく開かれる安倍元首相の国葬にしても、彼が深くかかわっていた旧統一教会問題についても、「いつまで指摘しているんだ」と、指摘するほうをなじるような声が少しずつ出てきている。これぞ、いつもの流れである。言葉を壊した人たちは、ちゃんと語らなければ、物事が曖昧なまま放置されることを経験則として知っている。だから、真顔で壊れた言葉を使う。

これだけ壊れてしまった言葉をどうすれば立て直せるのだろう。劇的な処方箋は存在しない。それぞれ、指摘し続けるしかない。あまりにつまらない結論である。幸いにも世の中には豊かな言葉に溢れていて、そういう言葉を大切に摘むと、社会への見晴らしを保てる。

本書をまとめる作業をしながら、言葉を軽視する流れを断ち切るためには、言葉を探しながら受け止めていくしかないとの考えに至った。これまたつまらない結論だけど、結論がキャッチーである必要はないのだし、流行りの「論破」的な方面に乗っかって、斬新な見解を提示する必要もない。

言葉を軽蔑する人間は、そのことだけで、軽蔑に値する、と思う。「確認できないのは調査をした上で、確認ができないと申し上げているので、同じことを調査しても確認できないという結果しか出ないんじゃないでしょうか」なんて言う人には、「早く辞めろ」だけでいい。壊れた言葉を使う彼らは、私たちの生活を舐めているのだ。

https://gendai.media/articles/-/99830

http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/172.html
記事 [政治・選挙・NHK289] ヤクザ、右翼、統一教会。反社勢力を利用し続けてきた自民党の自業自得 (MAG2ニュース)
ヤクザ、右翼、統一教会。反社勢力を利用し続けてきた自民党の自業自得
MAG2ニュース 2022.08.05配信

旧統一教会と所属議員との浅からぬ関係が次々と明らかになり、国民から大きな批判を浴びている自民党。しかし党本部からも関係が取り沙汰されている代議士からも、悪びれる様子は微塵も伝わってこないのが現状です。なぜ自民党と国民の感情との間にここまでの乖離があるのでしょうか。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では著者で元全国紙社会部記者の新 恭さんが、自民党の「裏面史」を紐解きつつその理由を解説。さらに岸田首相の当問題を巡る一連の対応を批判するとともに、今こそ党総裁として強いリーダーシップを示すべきとの率直な意見を記しています。

反社会的集団を利用してきた自民党の裏面史

次々と、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と関わり合った政治家の具体事例が明るみに出ている。関連団体のイベントに出席したり祝電を送った国会議員がこれだけいますと先手を打って発表した日本維新の会や立憲民主党のケースもあるが、教会との深い関係を漂わせるのは、圧倒的に自民党だ。

平井卓也衆院議員は昨夏、地元・香川で開催されたUPF(天宙平和連合)のイベント「ピースロード」で、実行委員長をつとめた。武田良太衆院議員と山本朋広衆院議員は17年2月、UPFが開いた「世界平和国会議員連合」の総会に出席、韓鶴子総裁から「それぞれ自分の国の氏族メシアになってください」とご託宣を受けた。

ほかにも、細田博之衆院議長、逢沢一郎衆院議員、萩生田光一衆院議員、江島潔参院議員、岸信夫防衛相、二之湯智国家公安委員長、末松信介文部科学相…と数え上げればきりがない。

それでも「統一教会と自民党には、組織的関係はない。個別の調査はしない」と茂木幹事長は言う。

党執行部の決定や承認を経て統一教会となんらかの関係を取り結ぶことを「組織的関係」というのなら、むろんないだろう。自民党の政治には昔からオモテとウラがあり、統一教会はウラの担当だ。統一教会の組織票を自民党が割り振っていたとしたら、それはウラの動きといえよう。

統一教会票といっても、せいぜい10万票ていどとみられる。だが、この票の強みは教会本部の号令一下、確実に決められた候補者に流すことができるところだ。その割り振りを安倍元首相がしていたという疑惑があるが、ここへきて重大な証言が飛び出した。

統一教会のイベントに2020年から3度参加した伊達忠一前参院議長は、HTB北海道テレビの取材に対し「選挙でお世話になったお礼」と、参加の目的を明かしたうえで、安倍元首相と統一教会の関係について次のように語ったのだ。

「宮島喜文。長野から出てる。これを前回(2016年の参院選)で『どうだろう?』と安倍さんが(聞いて)、『統一教会に頼んでちょっと(票が)足りないんだウチが』と言ったら、『わかりました、そしたらちょっと頼んでアレ(支援)しましょう』ということで」

「今回(今年7月の参院選)は安倍さんは『悪いけど勘弁してくれ』と。『井上(義行氏)をアレ(支援)するんだ』という話になって、宮島は辞退したんですよ」

伊達氏が同じ臨床検査技師出身であることから肩入れした全国比例候補、宮島喜文氏(前参院議員)への統一教会票の割り振りをめぐる、安倍元首相との生々しいやり取りである。どうやら、安倍氏に頼めば教会票を動かせると伊達氏は認識していたようだ。

16年の参院選では、安倍氏が教会票を回してくれたので宮島氏が当選、今年の選挙ではその分を井上義行氏に割り振ることになったため、宮島氏は出馬を断念したということらしい。

安倍氏の意向しだいで票の行き先を変えられるというのは、どうみても尋常な関係ではない。安倍事務所には、統一教会の関係者が出入りしていたとも聞く。

自民党の元総裁や参院議長が教会票のやりくりに関わっていてもなお、茂木幹事長は自民党と統一教会の組織的関係はないとシラを切り通す。統一教会もまた「組織的に特定の候補者様を応援することはない」と、個人のせいにしている。

統一教会について、公明党の北側一雄中央幹事会長は「反社会的な団体」と記者会見で断じた。創価学会を棚に上げた発言ではあるが、間違いなく、統一教会は反社会的な活動を行ってきた。

自民党の政治家がそのような団体となぜ付き合ってきたのか。1950年代にまでさかのぼれば、ヤクザ、右翼勢力を利用してきた自民党の戦後裏面史と繋がる。

日本の戦後は闇市を仕切るヤクザの勃興とともに始まった。非合法組織を当局は大目に見た。日本敗戦でがぜん強気になった不良三国人の暴動を鎮圧する目的もあった。

朝鮮戦争の勃発を機に、日本の「赤化」を恐れるようになった米国は対日占領政策を転換し、米国への協力者として利用すべくA級戦犯を巣鴨プリズンから釈放した。その代表的人物が、のちに首相になる岸信介氏であり、「児玉機関」で知られる児玉誉士夫氏であり、右翼団体「国粋大衆党」の総裁だった笹川良一氏だ。

この間、国内では木村篤太郎法務総裁(自民党)が、政財界人脈とヤクザ組織からなる「反共抜刀隊」の結成を画策するなど、右翼勢力の再編を進める動きが出て、ソ連、中国の影響を受けた左翼勢力とのイデオロギー対決が強まっていた。1955年の保守合同による自民党結成は、そうした時代背景の産物といえる。

統一教会の開祖、文鮮明氏を岸信介氏に紹介し、反共主義の政治団体「勝共連合」の結成につなげたのは笹川良一氏だ。統一教会と自民党の間を取り持った人物といっていい。

裏社会ルートの資金提供で自民党を支えたのは児玉氏だったが、その親分格である笹川氏は政官財のオモテとウラを縦横無尽に行き来し、自民党に多大な影響を与えた。巣鴨プリズンを出所するや、各政党、関係省庁に働きかけ、モーターボート競走法を制定。全国モーターボート競走会連合会を設立して会長におさまり、市町村が主催する競艇の収益金の3.3%を受け取る儲けの仕組みをつくった。

競艇収益の国庫納入を画策する運輸省を抑え込むため、収益を社会貢献に充てるとの名目で日本船舶振興会を設立し、天下りポストを用意した。さらには、空港周辺対策を表看板に航空公害防止協会をつくって空港駐車場の運営を一手に引き受け、国への安い“賃料”支払いと、高い駐車料金収入の差による、大きな利ざやで荒稼ぎした。

競艇から得られる莫大なテラ銭を武器に、政界人脈を築き、運輸省官僚を抱きこんで、公営ギャンブルから空港利権まで手中にしたのである。

一方で、笹川氏は青少年の道徳教育や慈善活動に情熱を注ぎ、勲一等旭日大綬章を受章している。

振り返ってみれば、笹川氏と同じように、自民党もまたオモテとウラを巧みに使い分け、揺るぎない権力基盤をこの国に作り上げてきた。

安倍元首相が凶弾に倒れた奈良の街頭演説には、統一教会の信者が多数動員されていたと聞く。左翼勢力を排除するため、文鮮明氏と手を握った岸氏と笹川氏らの“遺伝子”は、今の自民党にも受け継がれている。

7月30日に放映されたTBS「報道特集」で、興味深い証言をした米統一教会元幹部がいる。アレン・ウッド氏だ。

1970年に日本武道館でおこなわれた統一教会と国際勝共連合のイベントで、司会をウッド氏が務めていた。笹川氏のスピーチをこう振り返る。

「彼(笹川)は胸をたたきながら『私は文(鮮明)氏の犬だ』と言いました。驚くべき発言でした。日本で最強の人物が自分を文氏の下に位置づけたのです。あの時、『我々は世界を支配できる』と思いました」

この証言を聞いて思い浮かんだのが、安倍元首相による「UPF」イベント(2021
年9月12日)へのビデオメッセージだ。

「盟友のトランプ大統領とともに演説する機会を頂いたことを、光栄に思います」

「今日に至るまでUPFと共に世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁ら、皆様に敬意を表します」

統一教会がどこの紛争の解決に努力したのか知らないが、大仰に教会を持ち上げる安倍氏の姿勢は笹川氏とダブって見える。

UPFの梶栗正義会長が信者向けに配信した映像も「報道特集」で放映された。安倍氏からビデオメッセージの約束をとりつけるまでの交渉経過を明かしている。

「先生、もしトランプがやるということになったら、やっていただかなくちゃいけないけどどうかと。“ああ、それなら自分も出なくちゃいけない”という話を実は2021年の春にやりとりをしてたんですよ。先方から『やりましょう』という答えが返ってきて私の耳に入ったのが、8月24日。この8年弱の政権下にあって、6度の国政選挙において私たちが示した誠意というものも、ちゃんと本人が記憶していた」

UPF側のビデオ出演要請に対し、当初渋っていた安倍氏は、トランプ米大統領の出演決定を聞いて態度を変えた。それは、安倍政権下での全ての国政選挙で統一教会が協力してきたことをちゃんと記憶していてくれたからだ、と梶栗氏は言っているのだ。

教会員の力で総理大臣をも動かせることへの自負がにじむ発言である。しかしそれは、日本の政権がいかに甘く見られてきたかという証左でもある。それなのに、いまだ自民党から統一教会との関係を解消する動きはほとんど出ていない。

安倍元首相の実弟、岸信夫防衛相は「統一教会とはお付き合いもありましたし、選挙の際もお手伝いをしていただいております」と述べ、問題はないとの認識を示していたが、厳しい批判の声を受けてようやく「関係を見直す」と姿勢を転じた。本気かどうかは甚だ疑わしい。

岸田首相は「社会的に問題になっている団体との関係については、丁寧な説明を行っていくことは大事であると思います」と、相も変わらず他所事のようなコメントである。こういう時こそ、決別宣言をするなり、強いリーダーシップを示すべきではないだろうか。

https://www.mag2.com/p/news/547740

http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/173.html
記事 [政治・選挙・NHK289] 特集/創価学会・池田大作氏「称号・賞獲り」のカラクリ "勲章の権化"と化した池田センセイ /段勲(ジャーナリスト)

特集/池田大作氏「称号・賞獲り」のカラクリ
"勲章の権化"と化した池田センセイ
段勲(ジャーナリスト)

昨年の春先、まったく無名の宗教家が他界した。葬儀を終え、しばらく月日を経て、遺族や信徒たちが書斎に入り、遺品の整理を行った。膨大な蔵書や机の中をかたづけているうち、これまで見たことのない賞状やら記念品が続々と出てきたのである。
 生前、社会福祉に打ち込んでいたくだんの宗教家が、多くの公的機関や諸団体から贈られていた賞状などだった。所属の信徒はもとより、遺族さえも知らな かった受賞の数々。本人が話題にすることもなかったし、受賞の晴れがましい式典にも、出席を拒んでいたほどであったという。
 信徒の供養で禄を食む宗教家は、生活を質素にする一方、弱者を救うことなど当然という哲理を持っていた師である。宗教家として、社会福祉などごく当たり前の振る舞いなのに、賞状など贈られること自体がおこがましいと思っていたようだ。
 宗教家が、世間に褒められたり、まして賞など贈られることを、むしろ恥とさえ感じていたのである。だが、同じ宗教家でも、池田大作・創価学会名誉会長のような、勲章の権化と化した奇特な人物もまたいるのである。

 「世紀の大思想家に並ぶ」の記事は  後世の語り草に  

創価学会の機関紙、聖教新聞の一面記事が、「池田名誉会長の受賞紹介」で埋められるようになって久しい。勲 章、名誉教授号、名誉市民証、名誉会員の授与……。聖教新聞が_勲章新聞_と見間違うほどの変わりようだが、その極致に達した記事が、去る六月二十八日付 の同紙である。おそらく、後世の語り草になるとも思われる記念すべきその記事を紹介してみよう。
 二面、三面をぶち抜いた大見出しは、「池田SGI会長の功績は世紀の大思想家に並ぶ!!」と、感嘆詞が二つも付いた大仰さ。上段に、池田氏が受賞してい る四枚のスナップ写真が紹介されており、その下段、横一列に、世界の思想家一二人の顔写真が並んでいる。いずれも、中学、高校の社会科教科書に登場するような世界史に燦然と輝いている著名人たちだ。以下、順次紹介してみよう。

聖教新聞(創価学会の機関紙)より
レオナルド・ダ・ヴィンチ :(池田氏は)「万能の天才を彷彿させる」ロシア・レオナルド・クラブ レオナルド国際賞
ナポレオン :(池田氏は)「英雄の精神遺産を宣揚」ナポレオン歴史協会 名誉会員
ヴィクトル・ユゴー :(池田氏は)「ユゴーの如き信念と実践」フランス・ロシェ社 平和・人道賞
ソロー :(池田氏は)「人間革命はソローと共鳴」アメリカ・ソロー協会 終身名誉会員
トルストイ :(池田氏は)「共に英知と真実の求道者」国際児童基金協会 トルストイ国際金メダル
デューイ :(池田氏は)「偉大なる教育者の後継」デューイ研究センター 人間教育貢献賞
ホセ・リサール :(池田氏は)「独立の父の人類愛を持つ」フィリピン・リサール協会 リサール大十字勲章
タゴール :(池田氏は)「詩聖と同じ文化の心が」インド・アジア協会 タゴール平和賞
マハトマ・ガンジー :(池田氏は)「マハトマと共通の平和行動」インド マハトマ・ガンジー民衆福祉財団 ガンジー平和賞
アインシュタイン :(池田氏は)「アインシュタイン博士が主張した建設的行動の人」世界平和国際教育者協会 アインシュタイン平和賞  
魯迅 :(池田氏は)「魯迅、孫文、周総理と一致」中国・北京魯迅博物館 名誉顧問
キング :(池田氏は)「キング博士の非暴力を体現」アメリカ・モアハウス大学 最高学識者称号

ここに並んだ12の賞。ノーベル賞のように、世界的に知られた賞ではない。むしろ、初めて見聞する賞の方が多いが、世界の偉人たちと肩を並べる池田氏の"功績"に与えられた賞だという。
 賞の重みはさておき、池田氏の功績は、このような世界史に残る偉人たちと同格なのかどうか。意見が大きく分かれるところだが、身内の機関紙とはいえ、こ こまで報じるとあっぱれというしかない。あと残されている世界の偉人は釈迦とキリストと、日蓮聖人ぐらいのもの。早晩、この偉人たちとも池田氏は、おそら く、同列に並べられるであろう。
 世界の人口、五十数億人のなかで、聖教新聞で報じる池田氏ほどの偉人は見あたらない。皆無といっていい。それなのに、ノーベル平和賞の声はなかなかかからないし、肝心な日本国が、これまで池田氏に贈った賞は一枚もないのである。

急げ、小泉総理!  「勲章の王様」から 「裸の王様」へ  

ただ、強いていえば、随分とむかしになるが、富士宮市から名誉市民号が贈られている。加えて近年、市町村など全国の地方自治体から立て続けに、平和貢献賞類の賞が贈られた。国より先に、市長や町長が池田氏の功績を認め始めたかと思われたのである。
 だが、その地方自治体にしても心もとない。聖教新聞が一面で、連日のように報じていた地方自治体からの授与ニュースが、ぴたりとストップしてしまったのだ。流行病でもないのに、どうしてこうなってしまうのか。
 理由の一つは、自治体の長が、一宗教団体教祖の「功績」を認める形で、税金で賞を授与する姿勢はいかがなものか。こうした意見が一部の議会で問題提起さ れ、一部のマスコミも追従した。以来、池田氏に対する地方自治体の賞贈りが、突然、途絶えてしまったのである。
 自治体がやはりまずいと判断して自粛したのか。それとも、賞贈りを自治体に働きかけてきた池田・親衛隊が自粛したものか。察するところ後者と思われる が、それにしても近年、池田氏の勲章受章の多さが際だっている。一般紙から、かつて"勲章の王様"とまで報じられたほどだ。
 こうした批判に池田氏は時折、二つの論法を用いて反論している。ひとつには、「学会の皆様を代表して受けている」「皆様も喜ぶから」と、いう。そんな気 持ちもあるだろうが、本意ではない。例えば、九六年末、東京牧口記念講堂で開催された本部幹部会で、先ほども登場したフランスの文豪、ヴィクトル・ユゴー を引き合いに出し、本人自らがこう発言しているのだ。
 「辻(創価大学名誉教授)先生は、小説『人間革命』に対しても、ユゴーの思想と顕示性を求めずにはいられないと語り、さらに池田先生は生き方そのものが ヴィクトル・ユゴーを彷彿させるものであると、こう言っておられるんです。このへんでひとつ拍手でもしてくださいよ(場内拍手)」  たとえ、"辻先生"が本当に池田氏をそう評価したとしても、「世紀の大思想家」や真の宗教家なら、自ら口に出し、拍手を強要するようなみっともないまね はしない。むしろ、遠大な世界平和の実現を目標にする大宗教家が、大学教授あたりに、過去の一思想家に生き方が似ていると褒められたら、むしろ恥と思わな ければならない。その程度で喜び、拍手など求めていたら、それこそ苦難辛苦が伴う世界平和の実現などとても無理であろう。
 もう一つは、池田氏がよく口にするのは「日本の民族は嫉妬心が強い」という言葉だ。日本人が他民族に比較して、果たして、嫉妬心が強い民族かどうかは分 からない。が、この言葉の裏には、「世間やマスコミは批判ばっかりして、どうして俺を偉い人だと認めないのか」という、いらだちが隠されている。
 池田氏の目に余るこうした尊大さを助長させている背景には、常に取り巻いている側近にも要因がある。二人の元学会最高幹部が話していたこんなエピソードを紹介してみよう。
 「私が池田氏に呼ばれて話し合う機会が出来たとき、いつも苦労することがあった。それは会ったとき、どうやって池田氏を褒めたら喜び、機嫌がよくなる か。そればっかりを考えていた。たとえば、どこそこの大学教授に先生の著書を読ませたら、ものすごく感動しておりました。少し大げさに作って伝えるこの種 の話が一番よかった」
 要するに、側近のゴマすりである。もう一人の元最高幹部はこうだ。氏が青年部の男子部長時代、
 「みんなは気づいていないが、池田先生は、中国の毛沢東を100人束ねたよりもまだ偉い人だ」
 学会青年部を集めた会合で、こんな池田氏宣揚の指導をいつもしていた。名前を明かしてもいいだろが、福島源次郎元副会長(故人)である。ちなみに氏は晩 年、毛沢東を100人束ねた池田氏にあっさりと背を向け、『蘇生への選択』という意見書まで書き、池田氏の行動を痛烈に批判した。こうなると青年部時代、 福島氏は、池田氏を心の底から尊敬していたのかどうかも怪しくなる。
 ともあれ、昭和三十五年の会長就任以来四〇年間、こうした側近だけに囲まれてきた池田氏は、故・内藤国夫氏がよく言っていたように、いつの間にか"裸の王様"になっていたのである。
 勲章や名誉欲など、宗教家の対極にあることにもマヒし、むしろ側近者たちもそう煽ってきた。とりわけ、平成三年、宗門との離反以降、信仰の根本である 「本尊」の在りようがぎくしゃくしたことで、組織の求心力が失われた。肝心の本尊に替わる組織の求心力として、池田氏の存在の重さをより高める必要があっ たのである。その飾り付けとして勲章や名誉が欠かせないものになってきたのだ。しかし、急ぐあまり、無理も起こる。
 脱会した海外幹部による、
 「学会本部の命令で、大学から池田先生に名誉教授号が贈られるよう、努力せよと言われたことがある」
 との証言が残されているし、また、インドのガンジー財団関係の賞贈与にしても、きな臭い話が取りざたされており、その政府記録書も手元にある。
 また、隣国、韓国の各都市から池田氏は最近、とみに名誉市民号などが贈られ始めている。海を渡ってこれらに付随する様々な情報も寄せられており、早晩、続報としてまとめてレポートしたい。

https://forum21jp.web.fc2.com/contents8-1.html

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池田への名誉称号授与の背景を探る!
「寄付者には名誉称号」各大学が規定
驚き!!池田大作・創価学会に対する認知度。中国からの名誉称号数は全体の3分の1以上!

『慧妙』紙 最新号

◆50万ドル以上の寄付者には名誉職位!!
◆寄付と称号の因果関係は濃厚

 池田大作に贈られた海外からの名誉称号獲得数は、ギネス級である。大学からの名誉称号だけに限っても、2010年7月現在、293件に達している。
 不思議な事に、学会は池田が「世界の知性が認める偉大な人物」であると喧伝するが、それにしては爆発的な賞賛ブームが起きるでもなく、毎年、コンスタントに20個前後の名誉学位が小出しで授与されている。この現象は、海外からの顕彰が相手からの自発的なものでなく、創価学会からの計画的な働きかけで発生していることの証左ではないか。つまり、学会から寄付や贈書を行ない、それへの対価として名誉学位を授与してもらうよう、工作しているのではないか。そういう疑念が世間に渦巻いている。
 このように言うと学会は、「デマだ」とか「授与してくださった国や大学、団体に対して、あまりにも無礼、非礼、極まる話だ」と反発したり「各大学からの名誉称号は、あらゆる角度で厳正な審査が行われる。そして教授会等での決議を経た上で、大学の総意として決定されるものだ。そんなことも知らない。調査しない。どれだけ幼稚か。『焼きもち』か」(引用はすべて聖教新聞幹部座談会=2005年10月10日付)と反論するが、彼らこそ大学の名誉称号システムについて無知か、あるいは知っていて故意に隠蔽しているのではなかろうか。
 池田が獲得した名誉称号のうち中国からの名誉称号数は圧倒的(現在111個)で、全体の3分の1以上を占めている。そこで本稿では、池田への名誉称号増産国である、中国の称号授与事情について説明する。後は推して知るべしだ。
 
 中国は近年、経済成長が著しく、GDP世界第2位の経済大国になろうかという勢いであるが、大学教育界はまだまだその恩恵に与っておらず、各大学とも資金調達に汲々としているというのが実情である。
 そこで多くの大学は教育基金会を設立し、大学への国内外からの寄付の窓口としている。これは中国の名門大学ではない。超エリート大学である北京大学にも清華大学にも基金会があり、資金調達すなわち寄付獲得に努力しているのだ。
 では、寄付と名誉称号の因果関係はどうか。
 今年5月に池田大作に名誉称号を授与した、清華大学の教育基金会ホームページに、その辺の説明がある。
 「海外からの50万ドル以上の寄付者には(中略)条件が整えば、大学の名誉各位あるいは指導的職務にに就いていただく。(趣意)」
 最近何かと訴訟沙汰の多い、日本の新興宗教「ワールドメイト」代表の深見東州も、清華大学に5百万元(約7千5百万円)を寄付して、深見東州文化基金を設立し、清華大学の”顧問教授”になっている。これは「指導的職務」の方と思われるが、池田大作が受けた”名誉教授”は「名誉職位」に相当する。
 やはり、寄付と称号授与の因果関係はかなり濃厚、と言わざるを得ない。
 さらに、寄付の対価としての名誉称号を明記している大学もある。池田大作が1990年に名誉教授号を受けた武漢大学だ。
 同大学のホームページにある「武漢大学資金調達経営管理方法(試行)」によると、
 「第5条 1千万元(1億5千万円)以上の寄付提供者で、その他の相当条件を備えた者には、武漢大学名誉博士号を授与する。」
 これは5年前に明文化された規約であり、池田大作が武漢大学名誉教授号を授与された20年前の相場とは異なるかも知れないが、寄付で名誉教授になるには大枚をはたく必要があるようだ。
 以上、紙幅の関係で2大学しか紹介できないが、このように寄付の募集や寄付への礼遇は、どの大学も当り前の慣習として行っているのだ。もちろん北京大学にもある。
 日本の早稲田大学ホームページの「寄付礼遇」について説明したページにも「財政的な授助だけでなく、本学の事業を支援し、大学の発展に寄付していただいた方には、『校賓』および『名誉博士』の称号もございます」との案内がある。
 「名誉称号は金で買えない」などという学校側の反論が無力であることは、以上のことからも明らかである。
池田大作の数多の名誉学術称号は、上述のシステムを最大限に利用したものであろう。
 その推測があながち的外れでないことを示す資料がある。
 上海大学のホームページにある「上海大学1997年大事記」(学事年表)だ。
 それによると、1997年3月26日に、創価学会副会長三津木俊幸と池田大作の秘書潮田普二が、シドニー大学の学長を伴って、上海大学の学長と面会している。
 シドニー大学の学長(当時)は、私立大学学長という教育者の側面の他に、第1上海投資管理有限公司(投資コンサルタント会社)の社外取締役という顔も持っている。つまり投資実業家だ。
 そういう人物を伴って、学会副会長と池田の秘書が上海大学を訪れ、その1ヶ月半後の5月12日に、池田大作に名誉教授称号が授与されているのである。そこに因果関係を感じるのは筆者だけであろうか。

◆「池田氏は日蓮正宗を称賛」だって!?
◆中国・池田研究機関のお寒い認識

 学会は「世界の知性が池田先生の思想を求めている」と喧伝し、それゆえ世界中の各大学が名誉称号を贈っているのだという。
 しかし、それが本当なら、創価学会と利害関係のない立場で、池田大作に好意的に言及したり、その思想を宣揚したりしている、団体や個人のページがインターネット上で絶無、というのはどういうわけか(英語圏および中国語圏の範囲での調査)。
 それどころか、学会と利害関係のある組織や個人のサイトですら、いったい池田大作の何を知っているのかといぶかしく見えるページがあったりするのだ。
 例えば、東北師範大学の「池田大作哲学研究所」のホームページだ。
 この研究所は、中国で近年「ブーム」になって次々と誕生している池田大作研究機関の一つだ。
 それらの研究機関は、創価大学が研究用図書を贈呈したり、看板を贈ったり、研究組織の役員に創価学会関係者がいたりと、学会のヒモ付きである場合が多い(専用HPで確認できたことはすべてそうだった)。次の記述は、そんな池田研究機関が設立後に開設したホームページで掲載していた、池田大作プロフィールの一節である。つい最近(2006年)の記述だ。
《池田氏は、日蓮正宗は「人間のための宗教」であり、「平和、文化、教育」を推進するための宗教であり、人間の美徳を磨き輝かせる宗教である、と言う。(中略)
 青年部は創価学会の考えを実践し、創価学会の精神を身に付け、生命尊厳を至上とする日蓮正宗の教義信条として、平和運動を展開していくことを固く誓っている。》
 なんと、池田や青年部が日蓮正宗をべた褒めしているではないか。
 「池田大作哲学研究所」と「哲学研究所」の看板を揚げている研究所でありながら、池田の現在の宗教的属性すら正しく紹介できていないのである。
 じつは上述のプロフィールは、20年以上前、中国青年報あたりに載っていた学会概要を引き写したものだ。
インターネットのあちこちに転がっている内容だ。
 また、その内容が青年部紹介に特化しているところを見ると、おそらく学会青年部と中華全国青年連合会とが交流を始めた頃(1984年)に、学会側が中国側に提供したプロフィール資料であろう。
 いずれにしても、「池田大作の哲学や行動を正視眼で見ることができる」(学会の主張)という海外の知性が、池田の基本属性も知らずに、大昔の資料を無検証に引き写し、知ったかぶりをしている、という状況なのだ。研究所設立後4年が経っているが、上記述が訂正されないでいるところを見ると、彼らはまだ、池田の宗教属性の変化(変節)に気づいていないようだ。
 彼らは、いったい池田の「哲学」の何を研究している、というのであろうか。

◆称号授与した側の驚きの理解度
◆「自民党総裁池田大作氏が講演」だって!?

 もうひとつ、池田を理解しているはずの中国のある学者の論文を紹介する。ここにも驚くべき記述がある。
 湖南大学教授の馬偉林教授が、中国南宋時代の思想家について研究した論文に一節である。ここで池田への言及がある。
 「日本の徳州時代、朱子学は官学になった。昨年初秋、日本を訪れた際、自民党総裁池田大作氏の創価大学の入学式のスピーチを聴いたが、その3分の2は朱子の学説について講じたものだった。」(『源頭活水』2007年6月)
 驚かされるではないか。馬氏は名誉称号教授側の来賓として招かれていたのだ。つまり「池田の価値」を最も知っている立場として臨席していたのだ。
 にも拘わらず、その1年後に書かれた論文で言及した池田大作に対する理解度はこの「程度」だったというわけだ。
 もちろん大学者とはいえ、専門外のことはよく知らない、ということは当然である。池田の素性を知っていようが知るまいが、馬氏の学者としての評価には影響しない。
 ただ、学会側が池田の名誉称号を過大評価するためによく言う「海外の学者の方が日本人より池田先生を理解している」とか、「大学の最高決議機関である評議会に推薦があった数多くの候補者の中から、副学長が委員会を務める学位審査会が審査するという、慎重で細心の手続きをおこなって決定している」などという主張が、いかにでたらめなものであるかを指摘するための例として挙げたのである。
 上の2例からも分かるとおり、中国の学術界における池田大作に関する認知度・理解度はそうとう低いといえる。池田大作の「偉大さ」については、創価学会パンフで自称宣伝していることを知っている、という程度だろう。
 このような程度の認知度で、さしたる学術成果もない池田が、中国から111個もの名誉称号を受けるには、それなりの手法に頼る以外にはあるまい。
 創価学会は名誉称号授与に付随する”抽選的な社交辞令”を最大に利用し、学会員に「池田先生は偉大」と印象付けようと腐心する。
おそらく中国側も、そうした創価学会の恥ずべき体質に苦笑いしつつも、資金調達のためにも今後もせっせと名誉称号を贈り続けるであろう。
 
 世界の大学が求めているのは池田思想ではなく池田マネーなのだ!!

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