村山元総理のお別れの会
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2026年4月20日 植草一秀の『知られざる真実』
4月20日午後、都内のホテルで村山富市元内閣総理大臣のお別れの会が営まれた。
村山元総理は2025年10月に老衰のため101歳で亡くなられた。
私は村山総理が総理の職を辞したのち、社会民主党の招聘で会議に招かれ、村山氏を前に講演をして村山氏と政策論議をしたことがある。
日本政府は1990年代にバブル崩富の処理を誤り、日本経済を恐慌寸前の状況に陥れた。
1990年代前半の不況はバブル崩壊不況だった。
日経平均株価は39000円水準から15000円割れの水準に暴落。
日本経済に深刻な影響が広がった。
このなかで1995年前半から1996年6月にかけて株価は26000円台に上昇。
日本経済はようやくバブル崩壊不況から抜け出す気配を強めた。
この時期に経済政策を担ったのが村山内閣。
村山内閣下の積極政策が日本経済を緩やかに浮上させた。
村山元総理は自分の任期中は日本経済の状況が改善した点について質問を交えて和やかに談笑された。
その日本株価は96年6月を境に急落に転じた。
橋本内閣が消費税率を2%引き上げる閣議決定を行った翌日から株価下落が始動。
私は病み上がりの日本経済にいきなり消費税率2%引き上げは病み上がりの患者に寒中水泳をやらせるようなものでリスクが大きすぎると主張した。
日経平均株価は96年6月の22666円から98年10月の12879円へと暴落。
三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券、日本債券信用銀行、日本長期信用銀行などの破綻が相次ぎ、日本経済は金融恐慌寸前の状況に転落した。
後に私は橋本氏から平成研究会(橋本派)での講演に招かれた。
橋本氏は私の説明に納得し、財務省に消費税増税を誘導されたことを話された。
日本経済の失われた30年の経緯は正確な記録として後世に伝える必要がある。
村山氏のお別れの会には私も出席して献花をさせていただいた。
お別れの会では河野洋平元自民党総裁が式辞を述べられ、その後、衆参両院の議長からも弔辞が捧げられた。
その後、村山氏との関係の深かった4名の方が追悼の辞を述べられた。
社会民主党代表の福島みずほ氏は村山氏が「政治の父」、土井たか子氏が「政治の母」だったと振り返った。
私が社民党の行事に何度か呼ばれたのは土井たか子氏からの招請だったと記憶する。
当時社会民主党はまだ大きな力を有していた。
福島市は追悼の辞で
「私は、村山さんから『戦争だけはやっちゃいかん』と言われてきた。」
と述べた。
いまの日本の情勢下で村山氏の言葉は極めて重い。
その村山氏の最大の業績は1995年に村山談話を発表したこと。
村山氏自身が時間をかけて表現を推敲して公表したものだと福島氏が語った。
村山氏は談話でこう述べた。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。」
福島氏は、
「世界で戦争が起き、日本では憲法9条改悪の動きが強まるなかで、村山談話を継承し発展させていくことが、日本が当事国となる戦争を止め、平和をつくっていくことにつながると確信している」
と述べた。
村山談話に対する批判が存在するが、村山談話を歴代内閣が継承し続けている。
この歴史認識に基づく日本の痛切な反省とアジア諸国等に対する心からお詫びによって戦後の「和解」が大きな前進を遂げたことは紛れもない事実である。
改めて村山談話の意義を再確認する必要がある。
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