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2026年4月26日03時30分 〜
記事 [政治・選挙・NHK299] 高市政権が公約「消費税ゼロ」断念へ秒読み…党や政府内で「誰が口火を切るか」のチキンレース勃発(日刊ゲンダイ)


高市政権が公約「消費税ゼロ」断念へ秒読み…党や政府内で「誰が口火を切るか」のチキンレース勃発
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/386871
026/04/24 日刊ゲンダイ


「撤回」を言い出すか、時間の問題か…(C)日刊ゲンダイ

 公約を破る気なのか。

 ここ数日、SNSで〈飲食料品の2年間限定の消費税率ゼロ、レジ業者の要望で中止〉なる真偽不明の情報が流布されている。2年間の消費税ゼロを巡っては、高市首相が衆院選に際し「実現に向け検討を加速する」と公約に掲げていた。目下、消費税減税などを話し合う超党派の「社会保障国民会議」で検討中で、22日も実務者会議が開催された。

 これまで、参加したレジシステムのメーカー側から税率変更に伴う改修作業に「1年程度を要する」という意見が出たことはあったが、消費税ゼロが頓挫した事実はない。

 SNSで流れる情報はフェイクだが、そうした臆測が飛ぶ原因はある。選挙公約に掲げたクセに、高市氏本人にまるでヤル気が見えないことだ。

 実際、高市首相は衆院解散表明時には、消費税ゼロを「悲願」としていたが、選挙後に「本丸の給付付き税額控除を実施するまでのつなぎ」と態度を後退させた。国民会議にも、2月下旬の初回会合にちょこっと出席しただけで、以降は一度も来ていない。

「総理は消費税ゼロについて、今年度中の実現に意欲を示し、今秋に想定される臨時国会での関連法案の提出を目指すと表明しています。そのために、6月にも国民会議で中間報告をとりまとめる予定ですが、意見はバラバラ。レジ改修が短期間で済む『消費税1%』論も出ていますが、実現できるかは不透明。自民党内の反対も根強く、もはや時間切れとみられています」(官邸事情通)

 要するに、公約撤回は秒読みというわけだ。

誰もが「ババを引きたくない」


誰もババを引きたくない…(小林鷹之政調会長=中央、自民党の部会会議で)/(C)日刊ゲンダイ

 あとは誰が公約の「撤回」「断念」を表明するか、がポイントになってくる。

「もちろん、最終的には総理が表明することになるでしょう。ただ、撤回は総理本人のダメージに直結する。本音では、事前に党や政権幹部に撤回や断念を示唆してもらいたい。誰かに“露払い”を任せたいわけですが、損な役回りを担う人物はいなさそう。党と政府内では『誰が口火を切るのか』とチキンレース状態です」(同前)

 誰もが「ババを引きたくない」とビクビクしているということ。その筆頭は小林鷹之政調会長だ。今月9日、共同通信が「26年度中の消費減税にこだわらず」と小林氏が示唆したとの記事を配信すると、すぐさまXで反論。〈見出しにある発言はしておりません〉と投稿していた。

「記事では小林さんの会見での発言を扱っており、確かに直接的に『こだわらない』とは言っていません。しかし、彼は記者との良好な関係を重視していますから、いきなりXで反論するのは異例の対応。本人は『減税撤回の言い出しっぺ』と受け止められることを嫌がって、あえて投稿したのでしょう。『将来の首相』と言われているから、ダメージを受けたくないのだと思います」(永田町関係者)

 まあ、高市首相の「消費税ゼロ」はそもそもが選挙の争点潰し。ハナからヤル気がなかったと考えるのが自然だ。いずれにせよ、撤回を言いだしたら、国民は激怒すべきだ。

  ◇  ◇  ◇

 高市首相の“口だけ”政治についての最新ニュースは、関連記事【もっと読む】【さらに読む】などで詳しく報じている。

http://www.asyura2.com/26/senkyo299/msg/513.html

記事 [政治・選挙・NHK299] 「反日的な外国宗教団体が自民党を通じて国を乗っ取ろうと」 小沢一郎議員、『旧統一教会、衆院選で自民290人応援』報道に怒り (中日スポーツ)
「反日的な外国宗教団体が自民党を通じて国を乗っ取ろうと」 小沢一郎議員、『旧統一教会、衆院選で自民290人応援』報道に怒り
中日スポーツ 2025年12月31日
https://www.chunichi.co.jp/article/1187141

立憲民主党の小沢一郎衆院議員が31日、事務所名義のX(旧ツイッター)を更新。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が、2021年の衆院選で自民党の国会議員290人を応援した、と教団の内部文書に記されていたとの報道に、怒りあらわに私見をつづった。

 各社の報道によると、旧統一教会の徳野英治元会長が2021年10月の衆院選について、韓鶴子総裁に「われわれが応援した国会議員の総数は自民党だけで290人に達する」という報告をした―との記載があったと、韓国メディアが報じた。韓国警察は文書を押収しており、詳しく分析しているとみられるという。

 この衆院選は、安倍晋三元首相が銃撃され、死亡した事件が起こる前年にあたる。内部文書には、同事件で殺人罪などに問われている山上徹也被告について、「本部会長の指示で会員記録を削除した」との記載があったほか、高市早苗首相の名前も32回登場したという。

 小沢議員は「要は、反日的な外国宗教団体が自民党を通じて国を乗っ取ろうとしたという、とんでもない話。しかも愛国を強調する保守系議員が片棒担ぎとは」とバッサリ。「曖昧にすること自体、この国の危機である。自民党は説明を」徹底解明を求めた。

http://www.asyura2.com/26/senkyo299/msg/514.html
記事 [政治・選挙・NHK299] 創価学会の教祖 池田大作氏の驚くべき経歴 闇金の取り立て屋、諜報部員、渉外部長、教祖 (創価学会なぜなに相談室)
創価学会の教祖 池田大作氏の驚くべき経歴 闇金の取り立て屋、諜報部員、渉外部長、教祖
創価学会なぜなに相談室 2021-05-22配信
https://ameblo.jp/cultsoudan/entry-12676133108.html

池田大作氏は富士短大の夜間部を中退した後、鉄工所や印刷屋など職を転々とした後、創価学会二代目会長・戸田城聖氏が興した貸金・中古品販売会社「大蔵商事」に入社。ここでは高利貸しの取り立をしていました。
池田の若いころの写真です。大蔵商事の名刺つき。

池田には「寝込む老人からも布団をはぎ取る冷酷な取り立て」という伝説があるように、情け容赦ない非道な取り立てをしていたため営業成績はとてもよく、戸田から見込まれて、創価学会内で出世していきました。

青年部員として宗教活動に励んでいた池田は、戸田の目利きで、池田の能力を発揮できる部署「諜報部」や「渉外部」に異動することになります。
ここでは、買収、マスコミ戦略、盗聴、尾行、張り込みなど探偵結社のようなことをしていました。
ここで頭角を現した池田は、戸田の後継者争いで勝ち抜き、現在の教祖になったのでした。

池田の経歴につては、創価学会の幹部や宗教学に詳しい方が本にしていますが、池田の人生をコンパクトにまとめて記事くれた書がありますのでそちらから抜粋して、池田の過去をお見せします。


「高利貸し営業部長」だった極貧「池田大作」の知られざる屈辱人生
(新「創価学会」を斬る【第7回】)
ジャーナリスト 山田直樹

32歳で創価学会3代会長に就任以来、実に43年。池由大作名誉会長ほと離反者を生み、さまざまな告発を受けた人物はいない。学会員の絶対的な崇拝の対象となる一方で、この人物の特異な人間性は、常に多くの裏切りを生み続けた。今や与党・公明党の事実上のオーナーとして法王の座を手に入れた池田氏。連載第7回は、とうしても触れられたくないその知られざる過去に迫る。

これまで指摘してきたように、創価学会の行動原理・思考形態は、日本の新興宗教団体の中でも極めて特殊と言える。教祖様″を絶対視し、崇拝し、その言葉を無批判に受け入れる点は、多くの新興宗教団体と共通しているが、敵対者への強い攻撃性や憎悪は、やはり、この団体の持つ大きな特徴と言っていいだろう。

しかし、これは同時に、「脱会すれば、このようになる」との恐怖を学金員に植えつける、組織を守るための絶大な効果をもたらしてもいる。そのような恐怖と憎悪こそが創価学会(員)のエネルギーを引き出す源泉″であり、同時に、「自分たちのしている事は正しい。世間も驚嘆する偉業をなし遂げている」というカタルシスを多くの学会員に抱かせる基となっているのも特色だ。目を輝かせて池田大作氏の偉大さ、素晴らしさを訴える学会員を見ていると、これだけの陶酔感、使命感を多くの学会員にもたらす池田氏のパワーには驚嘆せざるを得ない。

今回は、その池田大作という人物の人間性を解明する中から、学会の根本的な病理を検証したい。

公称550万部の創価学会の機関紙・聖教新聞は、これまでの連載でも触れたように敵対者への口汚い誹謗・中傷記事で溢れている。しかし、もちろんそれだけではない。常に1面を飾るのは、池田大作氏の業績紹介であり、礼賛記事である。

例えば、先月(11月)1ヵ月間の同紙はどうか。この中で、勲章など池田氏の受賞関連の1面トップ記事は実に13にのぼる。名誉博士2件、名誉市民4件、顕彰状・感謝状3件、受賞4件という具合だ。繰り返すが、これはたったひと月の間である。

<ブラジル マイリンケ市SGI会長夫妻を名誉市民に>(3日付)
<人間革命の哲学が21世紀の扉を開いた 台湾各地から池田SGI会長に感謝状>(9日付)
<フィリピン キャピトル大学が決定 池田SGI会長に名誉博士第1号)(11日付)
<カリブ海永遠の美の島ドミニカ SGI会長夫妻に国家賓客称号>(15日付)

……等々である。

12月に入っても、それは変わらない。12月4日付聖教新聞には、

<非暴力 源流の国・インドで大反響 ガンジー・キング・イケダ展>という特大の記事が載っている。これは、アメリカ、パナマ、イギリス、ニュージーランド、ウルグアイなど世界中を巡回している、ガンジーとキング牧師、そして池田大作氏の偉業を称える展覧会の紹介記事だ。その展覧会が当のガンジーの国・インドで開催されたというのである。

敵対者を口汚く罵り、これまで言論出版妨害事件や宗門との激しい抗争を繰り返し、脱会者への徹底した攻撃を行なってきた池田大作氏が、よりによって非暴力・不服従″のマハトマ・ガンジーや黒人公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師と肩を並べたという展覧会なのだから、いくら創価学会が後援するイベントとはいえ、鼻白む人は少なくあるまい。

貧困の中の虚と実
日本人の美徳の一つに「恥を知る」 があることは、これまで欧米の文化人類学者が幾度となく指摘してきた。

慎み深さや奥ゆかしさという言葉でもそれは言い換えられるが、しかし、多くの日本人には、毎日毎日、自らが全権を握る機関紙に自分が勲章や名誉称号を受けたことを写真つきで大々的に報じさせ、あるいは世界中でノ「ガンジー・キング・イケダ展」なるものを開催させる池田がどう映るだろうか。少なくとも彼が、その「恥を知る」日本人の特性とは無線な人物であることだけはお分りいただけるだろう。

いずれにせよ、他の宗教団体指導者と最も乖離しているのは、池田氏の異様なまでの勲章へのこだわりや名誉欲、そして自己顕示欲である。それが何に起因するかを知るには、やはり彼の生い立ちから遡らねばなるまい。

池田氏が産声をあげたのは、1928年1月2日。現在の大田区大森北2丁目あたりだ。海苔業者、池田子之吉・一夫婦の第6子(五男)、本名・大作(のち大作と改名)として生を受けた。

頭脳も肉体も取り立てて誇るべき点のなかった池田少年は、極貧の少年・青年期を送っている。

創価学会側が出している『年譜・池田大作』(第三文明社刊、以下『年譜』と略)によれば、7歳頃から、父・子之吉がリューマチで寝込むようになり、この後、家業の海苔作りを手伝い始めたと記述されている。

兄たちの出征でますます貧しくなった池田少年は、午前2時に起床して、海で海苔張り、4時から新開配達、学校が終われば、海苔はがし、夕刊配達、夜は海苔のごみとりといった生活を送る。尋常小卒業後は、後に萩中国民学校と改称される高等小学校に進学、卒業後は、新潟鉄工所に勤務。強制疎開や空襲によるバラック住まいなど、池田家の貧困生活は子沢山だっただけに厳しかったようだ。

地元に残る数少ない小学校時代の同級生によると、「昭和17年に萩中国民学校を卒業する時、池田君は4組にいました。彼はとにかく印象のない男だったね。勉強も目立たないし、身体も強くない。それに海苔漁師はみんな貧乏だった。彼の家はたしか分家で、生活は特に苦しかったはずです。後で創価学会会長があの池田だなんていう話になって、みんな驚いたものですよ」

戦争が終わっても、池田青年の極貧生活は変わらかった。

その貧しさは、まだ2代会長戸田城聖氏の弟子時代の池田青年が、東大の宗教学者・小口偉一氏に答えたインタビューでも窺える。

<小学校では栄養不良で三・四回も死にそこない、がんらい身体が非常に弱かったんです。終戦の年には六回目の肋膜をしていましたし、肛門性もので、耳や鼻などみんな悪く、血痰がでてたんです。(略)三年目の八月に戸田さんの出版に小僧から入りました。信用組合にも入っていたんですが、給与もなく乞食同然で苦しくてしかたなかったんです。(略)信仰しなかったならば二三くらいで死んだだろうといわれています)(56年・『新心理学講座4宗教と信仰の心理学』)

当時、池田氏が住んでいたアパート、青葉荘の元管理人(78)が述懐する。「池田さんは、ここに住んでいました。当時、アパートはコの字型に3棟ありましてね、その一つの東向きの4畳半に住んでましたよ。結核で一時期酷かったようです。祖母が熱にうなされる池田さんに薬を持っていったこともあるそうです。冬の寒い日、熱があるので、池田さんが窓を開けて、鏡だけそこから出して寝ていたこともあったと開きました。当時すでに宗教に人っていて、経を唱える声が大きくて注意したこともあったようです」

極貧の上、結核にまで侵されているのでは、その生活の悲惨さは想像を絶するものだっただろう。

ジャーナリストの溝口敦氏は、『池田大作ドキュメント 堕ちた庶民の神』で、

<ふつう新興宗教に入信する動機は、一口に病・貧・争といわれるが、池田はそのすべてを体験したわけである>と指摘しているが、池田氏の特異な人間性は、こういったどん底の環境の中で形づくられたと思われる。

先の『年譜』は、池田氏と創価学会の出会いを以下のように記している。

<47年(19歳) 8月14日 小学校時代の同級生に誘われ、創価学会の座談会に、「協友会」の友人二人を伴って出席(蒲田・三宅ゆたか宅)。戸田城聖と出会>)

この時、池田氏は、戸田の人柄に感銘して突然立ち上がり、こう述べたという。

「先生が、青年らしく勉強し、実践してごらんと、おっしゃったことを信じて、先生について、勉強させていただきます」

さらに、即興詩を披露して感謝の意を表したことになっている。

これは、学会・池田氏の「正史」だが、池田氏の貧困からの脱出ストーリー、学会への入信、さらに現在に至るサクセス物語には、しばしば手が入れられ、美談に仕立て上げられている。実は、この戸田氏との出会いも虚偽である。

ここに登場する三宅宅での出会いを詳細に語りうる人物がいる。その家の娘・三宅妙子さんだ。三宅さんは父親が地元・蒲田の支部長を務め、しばしば自宅で座談会が開かれていた。そこには多くの信者が集った。池田青年は確かに妙子さんの姉が誘ってきた3人の小学校時代の同級生の〕人として、座談会に現れてはいる。が、「いま創価学会で言われているような、池田と戸田先生の伝説的な出会いはそこではありませんでした」と妙子さんはいう。

「『人間革命』や学会の書物には、美化された出会いが描かれていますが、その日、我が家には戸田先生はいらっしゃらなかったのです。もちろん、池田は詩も詠んでいませんでしたよ。彼は我が家に来てから、10日後に入信します。私は池田にデートに誘われ、日比谷に映画を見に行ったこともあるので、当時のことはよく覚えています。あの頃の池田は、今に見ていて下さい、僕のこれからを見て下さい″と、よく言っていました。上昇志向が非常に強い人でした」

金融取り立てで辣腕
創価学会に入信し、戸田と出会った池田氏は、やがて権力への階段を駆け上がっていく。

上の名刺と写真をご覧いただきたい。大蔵商事 − 現在の池田氏を語る上で、避けて通ることのできないキーワードである。当時、戸田が自分の愛人らを役員に据え、小口金融、今でいう消費者金融の大蔵商事を設立、ここでメキメキ頭角を現したのが池田氏だったのだ。池田氏は、この大蔵商事営業部長という職をきっかけに一気にそれまでの貧困から抜け出し、創価学会第3代会長への道を実き進み始めるのである。

創価学会元教学部長の原島嵩氏が振り返る。「大蔵商事というのは、今のサラ金の原型とでもいうものです。利回りがいいという売り文句で資金調達をし、それを貸し付ける。貸付先の多くは個人、会社もあったようですが、いずれにしても学会員たちでした。彼はそこで、資金調達や取立てに殊腕を振るい、やがて学会を資金面で牛耳っていったわけです」

どの世界でも、財布の紐を握るものは一番強い。

小川頼宣・創価学会本部元広報部副部長がいう。「戸田城聖第2代会長は金の面は自分で何とかしようとして、大蔵商事など金貸しや信用金庫などを随分とやったんです。その尻拭いと言うか、酷な言い方をすれば金貸しの手代をしていたのが池田大作です。彼も当初は好きでやっていたわけではないと思うのですよ。しかし、彼には才能があったようで、池田がここ金あるよ″という家には、見た目は貧乏な家でも必ず金があった、ということを古参の幹部から開きました。逆に門構えの立派な家の前でここはどうだ?″なんて聞いても、池田がここにはない″と言えば、その通りだったそうです」

先の池田氏の小学校時代の同級生は、大蔵商事に入った頃の池田氏をこう語る。「昭和25年に池上でやった最初の同窓会に現れた時だったな。あの時のことは今でも忘れられない。昭和17年卒業組は今昔会という同窓会を開くんだけど、その時、池田は遅刻してきた。同窓会に顔を出したのは後にも先にもその時だけだよ。遅刻してきたのに、恩師に挨拶もせずに、どっかりと席をおろして、いきなり演説を始めたんだ。大きな声で。みんな驚いたよ。遅刻してきたのに、いきなりですからね。ひとしきり自分の話が終わったら、初めておっ先生、元気か″なんて片手をあげた。田中角栄みたいなあれだよ。目立たないだけのあの男が、いつの間にかそういう尊大さを身につけていたんだ」

大蔵商事時代の彼が、水を得た魚のごとく活き活きとし、さらに周囲が驚くほどの尊大さを身につけ始めたのは注目に値する。

やがて戸田から信頼を得た池田氏は本部の青年部を経て、参謀室長に抜擢されることになる。池田氏は後に、大蔵商事時代について、こんな発言を残している。

「大蔵商事では一番いやな仕事をした。どうしてこんないやな仕事をするのかと思った。鶴見で、まったく未開の所へ地盤をつくりながら、同時に学会員を起してきた。私は何もないところから闘った。当時は戸田先生が世界一だと云っても通用しない。本当に苦戦の連続であった」

「戸田先生は葉っぱを御札にする。本当にする。そうしなければ広宣流布は出来ない。必ずそうする。広宣流布の為ならば葉っぱを札にしてみせる、.と云う戸田先生のきょう信が今日の学会を築いた。それだけにきびしかった。学会はこの精神を忘れてはならない」(いずれも68年2月10日の『社長会』にて)

この高利貸し時代は、あらゆる面において、今の池田氏をつくる基となったことは間違いない。

そして58年4月、肝臓と糖尿が悪化して戸田が鬼籍に入った後、池田氏は権力闘争に勝ち抜き、60年5月、第3代創価学会会長に上り詰めるのである。

池田氏はよほどこの大蔵商事時代に触れられたくないのか、先の『年譜』でも、<・50年(22歳) 11月27日 この年の秋より戸田城聖を顧問として営業を開始していた大蔵商事の営業部長となる>と、簡単な記述があるのみだ。

やはり、「消費者金融の営業部長」の肩書は、「池田博士」 にはあってはならないものなのだろう。

怨念とコンプレックス
長い長い池田氏の人生を語るにはとても紙幅が足りないが、彼の人生を振り返ると少年・青年期の貧困や病気、そして学歴へのコンプレックスや怨念が権力を手中にした途端、それまでの鬱憤を晴らすかのように一気に解き放たれたように思えてならない。

会長就任の5年後、37歳の池田会長にインタビューした評論家・高瀬広居氏の『人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方』(65年)の一節は興味深い。

<池田会長は、モダンな本部応接室のアームチェア一にアグラをかき直すと、煙草を一服し、静かに、そして激しい語気でいった。

「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」

同席の大幹部数人は深く肯き、息をのんだ>

何年か前までは、拭い難いコンプレックスの只中にいた青年が、短期間にこれだけの言葉を吐くほど変貌したことに驚くのは、筆者だけではあるまい。そして同時にこの37歳という年齢で、すでに池田氏を諌める人物もいなくなったのは、学会にとってだけでなく、池田氏本人にとっても不幸なことだったに違いない。

池田氏、そしてその周囲は、その後、池田神格化″のために、滑稽なまでにあらゆる手を講じるようになるのである。

元学会幹部の解説では、「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら久しぶりだな″と呟くエピソードがあります。池田先生は700年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる。きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢400年だったそうです」

また、池田氏はよく会員の前でピアノを弾くが、これも鍵盤を叩くだけで、実際には自動演奏のピアノだったり、うしろからメロディーを流しているのだそうだ。それでも女子部員たちは感激で、涙、涙なのだという。「池田が訪れる会場周辺の花を咲かせるという古典的な演出もあります。期日に合わせ、地元の人が何週間も前からドライヤーで花の蕾を温めるのです。多くの会員が梯子を持ち出して延々とその作業を行い、見事、満開の桜を咲かせたこともあります。先生のお陰で一夜にして桜が咲いた、というわけです。池田は見事だ。よくやったね″と満足気に言い、それを開いて会員達はまた涙を流すのです。魚など1匹もいないドブ他に事前に鯉を放流して池田に餌を撒かせ、ここには魚はいないのに、先生が餌付けすると蝕まで現れてしまった″と会員達を感激させた例もあります」(同)

冒頭にも触れた異常な勲章や博士号のコレクターぶりといい、池田氏がここまで自分を神格化する根本は一体なんなのか。

前出の原島嵩氏によれば、「やはり根底にあるのは池田のコンプレックスでしょう。例えば、彼の学歴は富士短大中退です。しかし、20年近く経ってから、卒論を桐村という教学部の幹部に書かせてまで卒業しました。幹部には東大卒や早慶卒なども多いのですが、彼らを前にして お前たち、馬鹿だろう″などといってははい″と答えさせ、悦にいっていましたね。最高学府を出た人たちをひれ伏させることに彼は喜びを感じるわけです。そしてもう一つは、権力へのコンプレックスです。彼は57年の参院補選で選挙違反で逮捕(大阪事件)されたわけですが、この時に権力の恐ろしさを学び、復讐を誓い、それが今の行動につながっているのだと思います」

こうして独裁者となった池田は、折々にこんな発言を残すようになる。

「今の政治家は、やれ勲章を貰うとか、金をとるとか、また有名人は利己主義になって、自分の名だけ売って、金儲けをするとか、めちやくちやな世界であります。私ども創価学会員は、位もいらない、有名でなくともよに、大臣もいらない、また権力もいらない」(63年8月3日付、聖教新聞)

「勝つか負けるか。やられたらやりかえせ。世間などなんだ。私は恐れなど微塵もない。勇者は私だ。(中略)反逆者には『この野郎、馬鹿野郎』でいいんだ」(埼玉指導 89年3月12日)

「2001年5月3日、広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい。(略)宗門の悪侶、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証としたい」(94年9月2日付、聖教新聞)

「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るために立った。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ」(96年11月3日 『創価同窓の集い』にて)

その言葉の激しさには、やはり驚嘆させられる。創価学会が持つ、敵対者への激しい憎悪や復讐心は、彼の屈折した半生から出てきたものと思わざるをえないのだ。

日本支配の欲望
「彼特有の他人や敵への異常な攻撃性というのは、持って生まれた性格の他に自身の極貧、病弱体質、能力の凡庸さへのコンプレックスからくる世間への怨念が影響していると思います」

というのは、ジャーナリストの乙骨正生氏だ。

「池田氏は口癖のように自分は戸田先生の復讐のために立ち上がった″師である自分が迫害された時は、自分の仇を討ってくれ″と言いますが、これは自分を認めようとしない世間への強い恨みに満ちたものだと思います。海外から何百という勲章をもらおうと、池田氏をよく知る日本では、静岡の富士宮市の名誉市民以外、なんの称号ももらえないのです。海外の大学から名誉教授の肩書をもらい、様々な勲章をもらって悦にいっているのは、いまだにそのコンプレックスを克服できない証拠ではないでしょうか」

宗教学者の山崎龍明氏(武蔵野大学教授)も、やはりコンプレックスをキーワードに、こう総括する。

「オウムの麻原もそうでしたが、私もやはり池田氏を考える場合にこの言葉が第一に浮かびます。大森海岸の海苔屋に生まれ、学歴もない彼が、社会的に認知されている人をコントロールできる快感を覚えたのではないでしょうか。彼らの共通点はエリートを支配することに喜びを感じることです。池田さんは実は非常に小心で、自信のない人だと思います。自信あるリーダーというのは、相手を一方的に支配しようとはしません。気が小さいからこそ、怖いのです。しかし、問題はそのリーダーに率いられ、肥大化した集団が信者どころか、日本全体を支配しようとしていることです。宗教、教団が持っている暴力性、.排他性、差別性というものは物凄く強い。ヨーロッパの歴史を見れば分ると思いますが、肥大化したこういう集団を動かした時には無限の力が働き、人間一人一人を蹂躙していくことは歴史が証明しています。排他、除外というものは、宗教によって美化されます。普通の組織、政治とは違った、宗教自身の持つ恐ろしさを忘れてはなりません」

日本人は、この特異な人間性を持つ人物にわが国の将来を託すのだろうか。それは果して国民の総意なのだろうか。

衆院でわずか34議席をとるだけの政党と、その事実上のオーナー・池田大作氏に国の政策を壟断されることを容認するとしたら、それは民主主義の放棄に等しい行為なのではないか。

次回は、この特異なカサスマが亡き後、この巨大教団がどこへ進むのか、その将来を検証してみたい。(次号につづく)
http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/532.html

http://www.asyura2.com/26/senkyo299/msg/515.html
記事 [政治・選挙・NHK299] 創価学会の実態はカルトでテロ組織  (市民記者 闇を照らし浄化する聖なる光  2023年2月5日配信)
創価学会の実態はカルトでテロ組織
市民記者 闇を照らし浄化する聖なる光  2023年2月5日配信
https://note.com/yamiwoterasu/n/n2f955589964a

はじめに

 ここまで筆者の創価学会関連の記事をお読み頂いた方であれば、創価学会の実態が、ただのカルトでなく、テロ組織である事に、お気づきだと思う。

 創価学会の正体についてストレートに書いた事はなかったので、今回は実態に焦点を当ててみようと思う。
第一章 戦前の創価教育学会は国の戦争推進に協力し、特高警察とも太いパイプを持つ典型的な体制派の宗教団体であった

これに関しては週刊文春が以前配信した記事の引用をお読み頂ければすぐにわかる事です。

今日、創価学会は「反戦・平和の団体」を標榜し、世間からもそう見られることが多い。そこで象徴的に語られるのは前身の創価教育学会が治安維持法違反・不敬罪により特高警察の弾圧を受け、初代会長の牧口が巣鴨拘置所で獄死した事実である。創価学会はそれらを軍部政府と対決した末のこととしている。

しかし、歴史的事実は大きく異なる。当時の創価教育学会の実像を赤裸々に記録した戦前・戦時中の機関紙誌がある。35年7月から約1年間発行された『新教』と41年7月から1年弱続いた『価値創造』だが、創価大学はじめどの図書館にも所蔵はない。学会は都合のいいごく一部分のみ公にしあとは封印してしまっている。「歴史を歪める資料」とみなしているからだ。

■知られざる歴史をつぶさに調べ上げた
筆者は現存が確認されている『新教』の大半と『価値創造』のすべてのそれぞれコピーを入手した上で30年代から50年代初頭にかけての知られざる歴史をつぶさに調べ上げ、先頃、『創価学会秘史』(講談社刊)という単行本にまとめた。詳しくはそれに譲るとして、当時の学会の実像は次のようなものだ。

57歳を目前にして日蓮正宗と出会った小学校校長の牧口は30年11月に教育書『創価教育学体系』の第一巻を出す。資金面で支えたのが元部下で補習塾の経営者に転じていた29歳年下の戸田だった。この時が創価学会の創立とされているが、実際のところ、組織的な活動はその後しばらくは見られない。

4年余り後、日蓮正宗と教育論の融合を唱える牧口の下に若者が集まり始め、創価教育学会は組織の相貌を現していく。活動の先頭に立っていたのはかつて左翼運動に身を投じ、「長野県小学校教員赤化事件」と呼ばれた一大弾圧で投獄後に転向していた元教員たちだった。その頃、国は転向政策に力を入れ始めていた。思想犯保護施設を整備し、知識水準が高い左翼活動家たちの思想善導を推し進め、戦時体制に組み込んでいくわけだ。そこで利害が一致したのが牧口ら創価教育学会だった。失意の底にある元赤化教員たちは新たな信者を獲得する折伏(しやくぶく)の対象としてうってつけだったのである。

このため牧口らは特高警察やその元締めである内務省警保局、さらには共産党取り締まりに辣腕を揮い転向政策の仕掛け人でもあった大物思想検事の平田勲らと緊密に連絡を取り合っていた。折伏要員を長野県に派遣する際には東京の治安当局に地元での手配を依頼し、そのおかげで20代半ばの若者一人に対し特高課長や思想検事、教育当局者らが勢揃いで応対する歓待ぶりだった。

牧口は天皇中心の国体観念を支持していたし、中国大陸への拡張政策にも反対はしていなかった。満州事変後に入植した初期の会員に対しては最大限のエールを送っていた。「わが国は大東亜戦争完遂、世界新秩序建設のために、1億国民血みどろになって、獅子奮迅の勇猛戦を行っている」などと、太平洋戦争が始まると幹部からは戦争翼賛的な発言が次々と飛び出した。『価値創造』はヒトラーの『我が闘争』の紹介に大きく紙面を割いてもいた。

■兵器産業に乗り出そうとすら企てた

その頃、現世利益を強調する折伏に舵を切っていた創価教育学会には出版業を中心に中小企業経営者が多く集まるようになっていた。彼らは戦争文学で儲け、それを信心の功徳と感じ、営業成績を競い合っていた。戸田はその最たるもので、40年に創刊した小学生向け雑誌『小国民日本』では海軍特集を組み、少年航空兵の募集に一役買っていた。さらに戸田は会員が個人経営するレンズ工場を買い取り、兵器産業に乗り出そうとすら企てた。

それでも創価教育学会が弾圧を受けたのは他の宗教・宗派を「邪宗」として認めない日蓮正宗の原理主義が行き過ぎたからだ。牧口は「取払え」と称して伊勢神宮の大麻(おおぬさ)などを撤去して焼却することを会員に行わせていた。天皇も含め国を挙げて日蓮正宗に帰依すべきとの牧口の考えは国家神道とは相容れず、それがため投獄されたのが実相だ。決して反戦・平和を唱えたからではない。

創価教育学会に集った元赤化教員の何人かはその後、出征して戦地で命を落としている。牧口や戸田はそうした事実にまったく関心を払わなかった。戸田は終戦直後に中国で戦病死した元赤化教員の一人に関し「信心が足りないからあえなく死んだ」との趣旨の発言を戦後間もない頃の座談会で言い放っていた。

■表の正論と裏の謀略
戦後、事業に失敗した戸田は軍隊式組織論を導入して折伏を大々的に行い、学会組織は急角度で拡大していった。宗門の反対を押し切り宗教法人化を目指す中、池田氏ら青年部メンバーは宗門の老僧を暴力的に吊し上げる事件を52年に起こした。創価学会の傍若無人な組織力を前に宗門はもはやなす術がなかった。

じつのところ創価学会が大々的に「反戦・平和の団体」を標榜したのは池田氏の会長就任からちょうど10年が経った70年以降のことだ。折伏至上主義で「貧・病・争」に悩む社会の下層を取り込み組織を膨張させてきた学会はその年前半、批判を力ずくで押さえようと言論出版妨害事件を引き起こし、激しい社会的反発を招いていた。そこでとったのが学生やインテリ層も取り込もうとするソフト路線だった。すでに過去の人となっていた牧口の獄死を反戦・平和の象徴的出来事にすり替え、かわりに真実を封印したのである。

学園紛争が吹き荒れていた前年、創価学会は日共系でも反日共系でもない第3の道として学生部を母体に新学生同盟を組織化していた。68年に入信し学会の東大総合委員長も務めた元公明党参院議員の福本潤一氏によると、「その頃は折伏戦ばかりで、全共闘から入ってくる人もいたけど定着しなかった」という。ただ、その後のプロパガンダは成功した。核兵器廃絶など平和運動が一定の実績を積んでいったのも確かだ。池田氏は72年に行われた歴史学者トインビーとの対話を皮切りに中国の周恩来など各国要人との会談を次々実現して海外進出を進めたが、その際、「反戦・平和の団体」との表看板は大いにものを言った。

しかし、創価学会が真に過去から連綿と受け継いできたのは独善的で閉鎖的、そして不寛容な組織体質だ。そして、いつ何時も最優先されるのは組織の維持拡大である。

前出の福本氏はそうした創価学会の二面性を「表の正論と裏の謀略」と表現する。平和運動を声高に叫び始めたかたわら、学生部の精鋭メンバーは70年代前半、敵対関係にあった共産党の委員長宅などの盗聴を繰り返し、偽装入信させたスパイをライバル教団に潜入させたりもした。90年に始まった日蓮正宗との宗門戦争でも盗聴や尾行は秘密部隊である創価班広宣部を中心に広く行われていたことが知られる。「情報収集のためのゴミ漁りや深夜の団地での匿名ビラのばらまきなど何でもやりましたよ」と、元広宣部員は当時を語る。ただ、大方の一般会員はそんな実態を知らされない。


創価学会「極秘資料」が暴く負の歴史
文春オンライン 2018年5月3日 07:00 より引用

 初代会長牧口の獄中死が反戦平和を訴えた為だというのが真っ赤な嘘だというのはこれを読めば解りますが、その「弾圧」された原因に関しても、実はこの記事の中で触れられていない、深刻なものがあったのです。

 この事実、よっぽど都合が悪いようで、ネットで調べても殆ど出てきませんが(創価学会からのクレームで削除されられたサイトもあるのでしょうが) 昭和18年6月29日、創価教育学会の中野支部長・陣野忠夫が、治安維持法並びに不敬罪の容疑で逮捕されています。

 この陣野が逮捕された事自体は、創価教育学会に対する国の弾圧開始の象徴的な出来事として多くの記述が残っているのですが、その逮捕のきっかけとなったのが、陣野が子供を亡くした近隣住民宅に上がり込み、お前の子供が死んだのは罰が当たったからだなどと折伏をはじめ、余りに非常識で異常な言動に激動した子供の親が、警察に「あいつらを何とかしろ!」と激怒して駆け込んだ事なんです。

 創価教育学会が、戦後と同様、極端な他宗教排撃を行っていて、その為に物議を醸していたのは事実で、それは記事に触れられている通りなのですが、強引な折伏も戦前から健在で、度を越した以上行動を取っていた為、社会問題化しつつあったようです。

 常識的に考えたらわかりますが、国の戦争推進に協力し、赤化教員を折伏して日蓮正宗信徒に転向させる事までしていて、特高警察との太いパイプを持つに至ったような体制に従順な宗教団体が、国から弾圧されるというのは尋常な事ではありません。

 そうした出来事が起きた以上、そうなるのに相応しいだけの何かがあった事になりますし、その何かというのが、実はこの「限度を越した強引な折伏」にあったのです。

 従って、創価教育学会の場合、仮に戦争がなかったとしても、この強引な折伏が、教団の拡大によって確実に社会問題化し、いつかは国の取り締まり対象になってであろうと考えられるわけで、創価教育学会が受けたものは、単なる弾圧というより、社会と国民に対して迷惑行為を繰り返す非常識なカルトに対する取り締まりという側面も強かったのです。

 創価学会に関する書籍でこの点を強調しないのは、創価学会に対して、甘すぎるのではないかと思います。
第二章 日蓮主義を信奉する旧日本軍の軍人らの入信で組織が変質した戦後の創価学会


 これがこの記事の題の核心部です。

 終戦後、創価学会には、日蓮主義を信奉する旧日本軍の軍人らが入信してきました。

 ここにいう日蓮主義というのは、暗殺テロ事件である血盟団事件や、クーデター未遂事件である二二六事件の元凶となった北一輝の思想など、目的を達成する為には、暗殺テロやクーデター決行、武装闘争を厭わない、テロ思想に該当する急進的なものです。

 事実、池田大作の側近中の側近であり、山口組系暴力団後藤組の後藤忠政組長に亀井静香氏ら反創価学会活動を行っていた四名の暗殺を依頼した人物としても知られ、最近亡くなった藤井富雄は、旧日本軍の将校です。

藤井 富雄(ふじい とみお、1924年〈大正13年〉8月17日 - 2021年〈令和3年〉7月11日)は、日本の政治家。
東京都議会議員(11期)、公明代表(初代)、公明党最高顧問、公明党東京都本部顧問などを歴任した。
経歴
・旧制日本大学高等工学校(現:日本大学理工学部)卒業。
・陸軍士官学校、第二次大戦終戦直後に創価学会に入会し、池田大作の側近として折伏大行進時代の学会を支えた。
藤井富雄 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より引用

 また、創価学会の初代顧問・塚本素山も旧日本軍の軍人です。
 ソースにはありませんが、敗戦時の階級は少佐との事。

塚本 素山(つかもと そざん、1907年(明治40年)9月1日 - 1982年(昭和57年)4月4日[1])は、日本の陸軍軍人、実業家。千葉県出身。陸軍士官学校卒業。本名は、塚本清。
経歴
1907年(明治40年)9月1日、千葉県に生まれる。
旧制千葉県立佐倉中学校を卒業する。1935年(昭和10年)、陸軍士官学校(少尉候補者第19期)を卒業する。
1945年(昭和20年)8月、陸軍大将の田中静壱の専属副官を務める中、宮城事件の鎮圧に同行、終戦となる。敗戦直後から辰巳栄一と親交をもった。そして1949年頃に米軍の情報関係者の仲介で児玉誉士夫と知り合った[2]。
1956年(昭和31年)、日鉄中央機械、日新興業、日新実業が合併した塚本総業を設立し、代表取締役に就任する。塚本不動産社長、八盛興業社長、日新興業会長、大和通運会長を務め、日本カーフェリー(現・マリンエキスプレス)取締役、ニューナラヤ(のち、千葉三越。2017年3月閉店)取締役などを兼任する。
1961年(昭和36年)、創価学会に顧問制度が創設され、日蓮正宗法華講連合会会長(当時、初代委員長)の平沢益吉、三菱銀行員の戸田喬久の2人と共に創価学会顧問(初代)に就任する。
埼玉県熊谷市の法潤寺の建立を発願し、1963年(昭和38年)に、法潤寺が建立された。また、同年に大和製鋼(現・大阪製鐵)の代表取締役に就任した。
1965年(昭和40年)から塚本素山ビル4Fの日本刀美術館(現・佐倉市の塚本美術館)館長を務める。
1969年(昭和44年)8月、藤原弘達の『創価学会を斬る』が出版されそうになると、小佐野賢治や田中角栄に、8000万円で出版を止めさせる交渉をさせた。これが世論で問題にされて以来、創価学会の活動は鈍くなった[3]。
「藤原弘達#創価学会・公明党に対する批判」も参照
埼玉県朝霞市の日成寺の建立を発願し、1978年(昭和53年)に、日成寺は建立された。
千葉県長生郡一宮町の法清寺の土地を寄進し、死後1984年(昭和59年)に、法清寺は建立された。

人物
・戦前からの日蓮正宗の法華講員である。
・戦後、政財界の顔役として活躍する。

役職歴
・塚本総業代表取締役
・創価学会初代顧問
・日本刀美術館館長
塚本素山 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 終戦後、創価学会は軍隊型に組織改編されて、準軍事組織となります。
 また、創価学会には、終戦後、こんな噂が流れたそうです。

 旧日本軍の軍人たちは、創価学会を足場に、クーデターを起こそうとしているのではないか。
 旧日本軍の軍人らの入信と、創価学会の準軍事組織化、会員達の好戦性から、国に目をつけられ、昭和31年12月、法務省刑事局は「その信条に基づく行動に暴力的な動向が顕著に窺われるからである」、「(折伏の)手段として多数の青年行動隊を軍隊の組織区分に準じて編成し、この折伏の実践に当たらせるものである」との理由に拠り、新興右翼団体に分類し、公安調査庁の調査団体に転落しました。

 なお公安警察内部に創価学会を監視する部署と係官がいるという話は有名ですが、評論家の伊達宗克氏によると、「昔から聞いていますよ」、「創価学会は昭和二十年代後半から折伏大行進ははじめ、相手の家に押しかけて仏壇を焼き払うような事件がよく起きたものです。これは届け出があれば捜査しなければならないし、それ以前の調査するのが公安当局ですから、当然、創価学会は調査対象にされますよ。学会に限らず、過去に過激な行動をとった宗教団体は、やはり現在も調査対象になっています」(極秘入手!! 池田大作氏と創価学会・公明党に関する公安 秘 調査報告書の戦慄 『週刊現代』1978年10月26日号)と語っているのですが、実際には日蓮主義を信奉する旧日本軍の軍人らが当局からマークされており、彼らが入信してきた事で、創価学会もマークされるようになったと考えた方が自然です。

 つまり創価学会は、終戦後、ほどなく国の監視下にあったと考えて差し支えないという事です。
第三章 1971年のクーデター計画立案事件

 こうした事実を踏まえた上で、この事件を読むと、全く違った文脈になりますよね。

 池田氏は「内部はどこまでも革命児でなければならない」という考えの持ち主である。国家を転覆させても、自分が天下を取りたいという野望を抱いており、「水滸伝」や「三国志」、ヒトラーの「第三帝国」を、公明党の議員や青年部の幹部に勉強させ、ありとあらゆる権謀術数を会得させようとしているという話もある。
 いざというときには、クーデターもやりかねない怖さがある。
 実際、1971(昭和46)年頃、青年部の最高幹部の間で過激なクーデター計画が話し合われていたという証言もある。学会の人材をひそかに送りこんで、自衛隊と放送局、電波を全部抑え、クーデターを決行すると言う内容だったらしい。

黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録 矢野絢也著 より引用

 別の記事でも書きましたが、3年前の68年参院選で25名が逮捕される新宿替え玉事件を起こし、言論出版妨害事件の表面化で創価学会の異常な体質が改めて浮き彫りとなって70年に池田大作が公式謝罪に追い込まれたという時期です。

 折伏大行進以降、定期的に事件を起こして逮捕者を出し、非難を浴びる事を繰り返していた為、世間の創価学会に対する警戒感は極めて高くなっており、今後、創価学会がどうなっていくのか、不透明感が非常に高まっていました。

 創価学会の青年部の最高幹部らは、このまま学会が消えてなくなってしまうなら、起死回生の一手として、クーデターを起こす事で権力を掌握し、創価学会の国教化を図る事で団体の継続を図ろうと考えたのです。

 なお創価学会には新宿区信濃町に銃や日本刀、ドスを収納した武器庫を隠し持っていた事があるという内部証言もあったそうです(ソース:わが池田大作バッシング 野田峯雄著)。

 つまり、遊びなどでなく、本気だった、という事です。
第四章 繰り返される暗殺

 東村山市議で朝木明代さんが転落死した事件は、創価学会による暗殺だったと疑われており、現在も、この説を支持する人が大勢います。

 第二章の藤井のところでも触れましたが、亀井氏ら反創価学会活動をしている四名を「ためにならない」といって暗殺依頼した事実もありますから、余計と、ですよね。

 また、室蘭市の日蓮正宗深妙寺の住職・大橋信明氏、札幌市聞仏寺所属の法華講幹部富岡孝一氏、對島妙子氏らの交通死亡事故も、創価学会による暗殺が疑われています。

 元学会幹部で実態を暴露する書籍を出版している小多仁伯氏も、車のタイヤに細工されたそうです。

 数センチの長さのネジを差し込み、空気穴にも細工を施し、JAFの整備工に「過去のいろいろな修理や事故を処理してきたが、これほど悪質で程度の悪いのは初めてです」と言わしめる程のものだった、と。

 同氏は「私が高速道路を走行する際、スピンして事故を起こさせる狙いではないかと想像できたのです」と著書で語っています。

 また、創価学会の嫌がらせについての調査報告で、次のようなものも存在しているのです。

事例2
創価学会脱会者 (信心歴 20年以上)
創価学会は、創価学会の脱会者に対し、組織的に嫌がらせや殺人に近い行動を取っている。
創価学会の脱会者や批判者には「仏罰」があたる場合があり、「仏罰」は創価学会自らが作り出している。

Q 交通事故に遭われたそうですね
A ええ。車で側道を通って国道に出たとたんに、突っ込んできた大型の車に衝突されました。そのため、ずいぶん長い期間入院しました。

Q その加害者が創価学会信者だった?
A ええ。何度か面会しているうち、そのようなことを聞きました。

Q それは、本人から聞いたのですか?
A はじめは、ええと、本人ではありませんた。しかし、あとで本人に確認したら、そうだと言っていました。

Q その事故の加害者は、この近くの町の住人ですか?
A ええ、そうです。

Q あなたが創価学会を脱会したのと、その事故の因果関係をどう思いますか。
A 私は、明らかに創価学会が加害者だと思います。そのような嫌がらせを受けた人の話を過去に何度か聞いるし。

Q それは、どのような話ですか?
A 車で引かれそうになったとか、死んだ動物を庭に投げ込まれたとか、糞便を入り口のドアにまかれたか、あげたらきりがありません。ただ、創価学会員がやったという証拠が無いのです。組織的に行動するため簡単に証拠がつかめないのです。また、選挙の時のF取り(票取り)や折伏(信者の勧誘)の時に、友人知人の名前をすべて(創価)学会に教えているため、こちらのほとんどの人間関係を把握しています。従って、友人にも簡単に協力してもらえません。先方の身元がばれてしまう危険があるためです。証拠は無くとも、状況的に明らかに創価学会の仕業だと確信しています。

Q 証拠が無いのに創価学会の仕業だというのは?
A 状況から明らかです。今までこんなおかしなことは、かつて一度もありませんでした。それが、創価学会を批判して脱会したとたん、身辺にいろいろな事故や嫌がらせめいたことが起き始めました。私と同じように辞めた元信者の中には、「学会幹部が言うように誹謗(批判)したり、退転(脱会)した者には仏罰が当たる」と、本気で信じている人もいるくらいです。結局、創価学会もオウム真理教と同じです。オウム真理教がハルマゲドンを自ら起こそうとしたように、創価学会は仏罰を自ら作り出しているのです。

 上記は以前も紹介した、恐らく日蓮正宗が調査して、機関紙に掲載していたの出来ないかと考えられる「創価学会の非合法活動に関する調査」の一部です。

 実際、ここで名が挙がったような名のある方でなくとも、創価学会からの嫌がらせを受けるようになった途端、煽り運転の被害を受ける回数が極端に増えたとか、危険運転をする車と遭遇して、危うく事故を起こしかけた、といった被害証言をされる方がいらっしゃいます。

 つまり交通事故に見せかけた暗殺未遂、暗殺が成就して交通死亡事故となったケースが、山のように存在していると考えられるという事です。
第五章 マインドコントロール

 創価学会が学会員らをマインドコントロールしている事は有名な話ですし、被害者救済法に公明党と創価学会がマインドコントロールの文言を盛り込む事に強硬に反対した事実からも、その事はわかると思います。

 実はこれに関しても、戦後、創価学会に入信してきた旧日本軍の軍人の中に、軍で洗脳を担当していた人物がいたとされていて、どうやら旧日本軍が使用していた洗脳の技術が、学会員に対するマインドコントロールに応用されて使用されていたのではないかとも言われているのです。

 なお、この話はあまり一般的な話でありませんので、著作等を調べても、出てこない可能性がある事を断らせて頂きます。

 現在は流石に行われていないようですが、昔の創価学会は、入信すると、学会員達が大勢で取り囲み、その人の人格を徹底的に否定するような発言を一斉に浴びせ続ける行為を行っていたそうです。

 全ての地域で行われていたかは不明ですが。

 この方法は中国共産党の「思想改造」における洗脳手法と非常によく似ていて、偶然にしては話が出来過ぎている為、恐らく、同じような手法が用いられていたのであろうと考えられています。

 学会員は、宗教が絡む形で、これまでに多くの傷害事件を起こしていますが、それらはマインドコントロールされているが故です。

 有名なのは男子部員約300名が福岡県開信寺に殴り込み、身障者を含む信徒と僧侶らを集団リンチした事件ですが、それ以外にも度々、集団だったり、単独によるものだったりの違いはありますが、暴力沙汰を起こしていて、中には勧誘を巡り、怒ったから殴る蹴るの暴行を相手に加えただとかの小さな事件も無数に起こしてきたようです。

 これらは、学会を批判されたり、宗教の教義に関する話になると、好戦的になったり、怒りから相手を攻撃してしまうような心理状態に、マインドコントロールによって操作されている事が原因です。

 また、学会からの指示に忠実に従い、執拗な嫌がらせを働いたり、非常識な言動や異常な言動を取ったり、問題を起こすのも、マインドコントロールが原因です。
第五章 全てを繋ぐ鍵

 目的の為なら、暗殺もテロも辞さない、クーデターや武装闘争も厭わない、そんな思想を持った日蓮主義者の旧日本軍の将校らが入信して来て、軍隊型に組織改編し、創価学会を準軍事組織に作り替えてしまった。

 この事実を知った上で、クーデター計画を練った事実、武器庫を隠し持っていた事実、暗殺が多発していたと考えられる事実、マインドコントロールが原因で、学会員達が暴力事件を無数に起こしてきた事実を読み返すと、全く違った面が見えてくると思います。

 それがこの団体の実態(正体)の答えです。

 日蓮主義者の旧日本軍の将校らは、噂通り、本気で、クーデターや武装闘争を起こそうとしていました。

 だから戦う為の武器を貯蔵しておく必要があり、決起時には学会員達を兵士として戦わせる為に、マインドコントロールする必要があり、頭数が必要だから折伏によって学会員の人数を増やす必要があり、その為にはお金が必要だったから、一円でも多く、学会に金を集めようとしたのです。

 また、その為には、目的の為には手段を選ばないから、暗殺によって邪魔者(仏敵)を排除する事も平然とやってのけた。

 彼らが目指していたのは、恐らく、日蓮主義国家の建設と統治です。

 公明党が結党当初、国立戒壇を作る事を目標としていたのは有名ですが、これが彼らの本心であり、本性だったという事です。

 また、これが目的ですので、旧日本軍の将校出身の日蓮主義者達が、目にかけた学会員に、テロやクーデター、武装闘争に必要となる知識を伝授したり、いざという時に動かせる私兵的な組織を、独自に作っていた可能性は十分考えられます。

 そして彼らが知識を伝授して育てた学会員の中から、彼らと同じように、目的の為なら手段を選ばない、暗殺もクーデターも武装闘争も辞さずの、過激派の日蓮主義者に育った学会員達も、大勢生まれた事でしょう。

 1971年のクーデター計画立案事件は、こうした土壌を背景として発生した問題であったと考えると、一番しっくりきます。

 創価学会による暗殺事件が相次いだのも、日蓮主義者に育てられた若い学会員達が歳を重ねて幹部になり、彼らが若者を育てる時に、同じ思想を吹き込むという再生産が繰り返された結果、暗殺を肯定する思想が組織文化として定着し、長期間に渡って継承された為であると考えられます。

 戦後の創価学会の実態は、日蓮主義を実践し、理想をかなえる為であれば、暗殺もクーデターも武装闘争も辞さずの、過激派の急進的な日蓮主義者達による日蓮主義運動を継承した団体だった、という事になるのでしょう。

 現代の基準で考えれば、完全にカルトですし、また、テロ組織に他なりません。

 なお、二代目の会長の戸田城聖、三代目の会長の池田大作を見て、この話にピンとこない方もいらっしゃると思いますので、以下は補足です。

 戸田は、教団を利用して金儲けできればいいと考えていたようです。

 池田は、金儲けに加えて、自分が日本の国王になりたいという誇大妄想的な願望を抱いていたそうです。

 要するに、戸田と池田は、日蓮主義者達を利用して、自分の欲望をかなえようとしていただけなのでしょう。

 逆に日蓮主義者の旧日本軍の軍人達は、自分達が前面に出なくて済む為、戸田と池田を担いで利用してやろうと考えていたのでしょう。

 両者の思惑が一致して、組織内で異なる思想を持った者同士が共存する状況が生まれた。

 そんなところだったのだと思います。

 現在の創価学会は日蓮主義の影響がかなり弱まっていると考えられます。

 しかし、相変わらず、嫌がらせを働いて敵対者を自殺に追い込もうとしたり、精神障害者にでっち上げて社会的に抹殺しようとしたり、中傷を拡散して破滅させる等の、事実上の暗殺を肯定する組織文化は根強く継承されていますし、学会員に対するマインドコントロールのシステムも健在で、カルトとしての側面は、綺麗に残っています。

 つまり昔の創価学会から日蓮主義の要素だけ取り除いた状態です。

 また、公明党が長期間に渡って政権党の地位にあった事、国交大臣のポストを握り続けた事で、非常に強固な利権を持つ利権集団に変貌を遂げており、総体革命の実質的な成就によって、地方自治体の多くに強い影響力を及ぼす存在となり、中央省庁=官界や財界にまで、影響力を行使可能なモンスター教団化しています。

 そんな団体がカルトであるという、最悪の状態にあるのが現実です。
終わりに

 この記事は以上で終わりますが、何故、創価学会が、平気で仏敵を暗殺するのか、異常な言動を取るのか、クーデターを企てようとするような事を過去にしでかしたのか、その謎は全て解けたと思います。

 私はこのような危険な団体だと承知していますので、学会員達は、一刻も早く脱会すべきだと考えていて、二世や三世、四世の人で、マインドコントロールが解けるか、解けかけている人達に対しては、脱会を勧めるようにしています。

 上記の記事でも触れましたように、創価学会は、解体、消滅に向かうとしても、カルトの宿命として、綺麗にすんなりと消えてくれるという可能性は考えられなくて、最後にクーデターやテロを起こす危険性もあるので、尚更、そうなるよりも前の段階で脱会した方が良いと考えています。

 学会員でない方に関しては、できるだけ、創価学会とは関わり合いにならない事、可能な限り、距離を置かれる事をお勧めします。

http://www.asyura2.com/26/senkyo299/msg/516.html
記事 [政治・選挙・NHK299] 「国旗損壊罪」で何を守る 自民党の考えは「国旗を大切にする一般的な国民の感情」 思想の自由はどうなる?(
https://www.tokyo-np.co.jp/article/484213?rct=politics




自民党の頭の中は、

「日本国旗ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」


産経新聞は少し前にその社説で主張している。

「(日の丸への)尊重義務を憲法で規定することが必要だ。日本国国章損壊罪の創設をその第一歩にしたい。」

とんでもない考えだ。

思い出してもらいたい。

「国旗国歌法」の制定にあたって、内閣総理大臣の談話(平成11年8月9日)が発せられている。

「・・・国旗と国歌に関し、国民の皆様方に新たに義務を課すものではありません・・・」

と。

しかし、

そして、やはり、

今、「国旗損壊罪」。

そして、やはり、

次は、「不敬罪」。

彼らの頭の中は、

「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」


倒錯した精神と腐った脳みそ。




以下に記事の全文を転載する。


日本国旗を傷つける行為を処罰する「国旗損壊罪」について、自民党のプロジェクトチーム(PT)は24日、「自国国旗を大切にする一般的な国民の感情」を法律によって守る利益(保護法益)に位置付けることで一致した。損壊行為を「将来にわたって抑止する必要があること」を、法整備の理由(立法事実)の一つとすることも確認した。大型連休明けの5月以降、具体的な条文案の検討を始める。

 国旗損壊罪を巡っては、憲法の思想・良心の自由や表現の自由に抵触する恐れが指摘されている。PTはそれを踏まえ、処罰に際して行為の意図や目的を問わず、外部から認識できる「態様」を規制する方針だ。

◆柴山昌彦座長代行は「内心詮索、断じて避けるべきだ」

 座長代行の柴山昌彦元文部科学相は記者団に「行為者の内心を詮索するようなことは断じて避けるべきだ」と説明した。PTは今後の議論で、どのような行為が「損壊」に当たるかを整理し、法定刑などの詳細も詰める。

 自民は日本維新の会との連立政権合意書で、外国の国旗などに限って損壊行為が罰せられる「矛盾を是正する」と明記した。ただ、刑法の外国国章損壊罪は外交関係の円滑化を目的に定められているため、別の保護法益を検討していた。(井上峻輔)


記事の転載はここまで。




日本国憲法に明文されている国民統合の象徴は天皇。

天皇を象徴とする日本の場合は、国旗は国を識別するツールであり、時に国のアイデンティティを示す役割を持つ。

日本国憲法下において、国民統合の象徴である天皇に対する「不敬罪」は存在しない。

日本では、1947年(昭和22年)の刑法改正により、天皇・皇后および皇族に対する不敬罪は廃止された。

法の下の平等や思想・良心の自由、表現の自由の観点から、日本国憲法とは相いれないものだからだ。

現在の日本では「不敬罪」はむしろあってはならないものであり、名誉毀損罪や侮辱罪、礼拝所不敬罪など、一般的な法規に基づき類似の行為が処罰される場合を残しているに過ぎない。

告訴権者が天皇や皇族の場合、内閣総理大臣が代わって告訴できる規定もあるが、法律上の扱いは一般国民と同等となっている。


記事によれば、

「・・・国旗損壊罪を巡っては、憲法の思想・良心の自由や表現の自由に抵触する恐れが指摘されている。PTはそれを踏まえ、処罰に際して行為の意図や目的を問わず、外部から認識できる「態様」を規制する方針だ。・・・」

とんでもない考えだ。

これを世間では「問答無用」という。

幼児がお子様ランチに付いている「日の丸」の旗を破ろうものなら、明白な「国旗損壊罪」・・・なのか?

法の下の平等を謳う日本では、差別的取り扱いがあってはならない。


日本にはその象徴である「天皇」に対する「不敬罪」は無い。

ましてや、「国旗」をや。

自民党の考えは「国旗を大切にする一般的な国民の感情」悪用し、国旗を国民を支配するための道具とする、邪さが露わだ。

政府・自民党に逆らう者に「公益を害する者」というレッテルを貼り、人権を剥奪して弾圧するような立法を許してはならない。


日本の国旗は、国際社会で日本を識別するツールであり、国民を支配するための道具に非ず。

「日の丸」を政治の道具にして恥じない自民党。

近代立憲国家の日本を破壊せんとする、最も危険な政党。


彼らの頭の中は、

「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」







http://www.asyura2.com/26/senkyo299/msg/517.html
記事 [政治・選挙・NHK299] 高市首相と麻生副総裁ついに亀裂か? 永田町がザワついた「焼き魚狂騒」の噴飯(日刊ゲンダイ)


高市首相と麻生副総裁ついに亀裂か? 永田町がザワついた「焼き魚狂騒」の噴飯
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/386909
2026/04/24 日刊ゲンダイ


亀裂!?(C)日刊ゲンダイ

 高市政権発足から今月21日で半年となり、メディアが実績や政治手法などを検証する記事を掲載している。永田町がざわついたのが、21日の毎日新聞の記事だった。

 高市首相は今月10日、首相官邸に自民党幹部の麻生副総裁、鈴木幹事長、萩生田幹事長代行の3人を招いて昼食をともにした。1時間の「ランチ会」のメニューは切り身の「焼き魚定食」だったが、<麻生氏が手を付けることはなかった>と報じたのだ。<麻生氏周辺は、会食の形式やメニューから「気遣い」が見えないことに、「首相側がいかに党を軽視しているのかを物語っている」といらだちを隠さない>とも書いていた。

 麻生氏は高市政権誕生の立役者だ。麻生派の票が高市首相に回ったことで決選投票に勝利した。以来、政権の後ろ盾だが、高市首相は年明けの解散総選挙を麻生氏にも麻生派の鈴木幹事長にも事前に伝えず激怒させ、選挙後には“上がりポスト”と受け止められかねない衆院議長を麻生氏に打診して、固辞されたとされる。

 以降、高市首相・麻生副総裁両者の関係はギクシャクしているとみられ、「焼き魚定食に手を付けなかった」ことで「やっぱり」となったのだ。

「官邸の食堂から取り寄せたようだが、食堂にはステーキなど、もっとしっかりした食事もある。それなのになぜ、焼き魚にしてしまったのか」(官邸事情通)

 実際、高市首相が21日、衆院予算委員会の坂本委員長ら自民の予算委メンバーを、首相公邸に招いて慰労した際のメニューはもっと豪華だった。和食のコースでアワビや肉が振る舞われたという。

「焼き魚とアワビ……。ちょっと差がありますよね。ますます麻生さんを軽視しているように見えてしまいます」(前出の官邸事情通)

官邸が“火消し”に走ったか


派閥会合では高市首相を持ち上げ…(C)日刊ゲンダイ

 ところが、である。23日、FNN(フジテレビ系)が、「高市総理が自民党幹部とのランチ会を定例化」と「独自」ニュースで伝えた。その中で、<一部報道ではランチ会で出された焼き魚定食に麻生副総裁が手を付けず高市総理との溝が指摘されましたが、出席者によると「食べていた。何も問題ない」ということです>と報じ、毎日新聞の記事を否定したのだ。

「高市さんと麻生さんの間に亀裂が生じていると思われたら党内がガタガタするし、国民にも印象が悪いということで、官邸周辺が火消しに走ったのでしょう」(自民党関係者)

 麻生氏は23日の派閥会合で、高市首相の政権運営について「物価高対策として補正予算を執行し、今年度予算も無事成立させられた。積極的な外交を展開し、日本の存在感を高めつつある」と高く評価していたという。これも火消しの一環か。

 政治評論家の野上忠興氏が言う。

「高市首相は衆院選で圧勝して怖いものなしに見えるが、やはり党内基盤がないから政権維持に汲々としている。そういう意味では焼き魚の件は象徴的ですが、低次元な話でしかない。焼き魚に手を付けるどころか、物価高で買えない人だっているのに」

 永田町の権力闘争で物価高が収まるわけじゃないし、“殿上人”には庶民の苦労は分からない。

  ◇  ◇  ◇

 自民党内で孤立を深めている高市首相。公約だったはずの「消費税ゼロ」も頓挫寸前か。関連記事【もっと読む】『高市政権が公約「消費税ゼロ」断念へ秒読み…党や政府内で「誰が口火を切るか」のチキンレース勃発』でも詳しく報じている。

http://www.asyura2.com/26/senkyo299/msg/518.html

記事 [政治・選挙・NHK299] 「歯止め」なんてお笑い草だ ついに「死の商人」と化したこの国の行く末(日刊ゲンダイ)

※2026年4月22日 日刊ゲンダイ1面 紙面クリック拡大


※紙面抜粋


※2026年4月22日 日刊ゲンダイ2面

「歯止め」なんてお笑い草だ ついに「死の商人」と化したこの国の行く末
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/386818
2026/04/22 日刊ゲンダイ ※後段文字お越し


国民の誰も望んでいないのに、好き勝手にやりたい放題(C)共同通信社

 安全保障環境の変化や歯止めを強調し、「平和国家」を堅持などと言うが、国民だましの絵空事。いよいよ、中国敵視が鮮明となり、NSCとやらが検討する「例外」も恣意的に歪められていくのは明らかだ。

 国民が誰も望まない中、米国と防衛産業だけが高笑い。

  ◇  ◇  ◇

「紛争の発生を未然防止し、日本の安全保障の確保にもなる」「どの国も1カ国のみでは自国の平和と安全を守ることはできなくなってきている」「同志国が日本と同じ装備品を保有していれば、部品などを相互に融通し合うこともできる。これは非常に大きな意義だ」

 総理大臣就任から、21日で半年を迎えた高市首相。女性初の総理として注目を集め、2月の衆院選で圧勝。下落の兆しが見られ始めたとはいえ、依然として高い政権支持率を維持しているタイミングを見て「時は来た」と思ったのだろう。戦後、平和国家を掲げてきた日本の国家像を根底から覆す歴史的な政策転換を打ち出した。

 政府はこの日、防衛装備移転三原則の運用指針を改定し、長年続けてきた「5類型」(救難、輸送、警戒、監視、掃海)による装備品輸出の制約を撤廃し、戦闘機や護衛艦といった殺傷・破壊力のある“武器”を原則輸出できるよう大きく舵を切ったのだ。

 国家安全保障会議(NSC)が殺傷・破壊能力を基準に「武器」と「非武器」に分類。武器の輸出先は日本と「防衛装備品・技術移転協定」を結ぶ米国や豪州、フィリピンなど17カ国が対象で、非武器の輸出先に制限はない。高市は「平和国家としての歩み、基本理念を堅持するということに全く変わりはない」と語っていたが、全く信用できない。「例外規定」があるからだ。

 政府は「武力紛争の一環として現に戦闘が行われている国」への武器輸出はできないとし、「案件ごとに一層厳格に審査を行う」といった「歯止め策」を説明。具体的にはNSCが武器輸出の可否を判断し、輸出先国とその周辺国との軍事バランスの影響、輸出先国の保全体制といった審査項目を設けて管理。第三国への武器流出を防ぐため、現地調査を含めて移転後のモニタリングを強化するという。だが、その一方で、日本の安全保障に関わる地域で同志国が武器を必要とするケースなど「特段の事情」がある場合は認めるというから唖然呆然だろう。

民意を蹂躙した防衛クーデターと言っていい

「望ましい安全保障環境を創出し、継戦能力を支える(国内)産業基盤を強化するため、防衛装備移転を戦略的に推進する」

「日本の安全を確保し、地域と国際社会の平和と安定に寄与するものだ」

 高市と同様、木原官房長官も武器輸出「全面解禁」に至った背景について「安全保障環境の変化」を訴えつつ、引き続き「平和国家」を堅持する姿勢を示していたが、今の政府案が掲げる「歯止め策」なんてお笑い草。国民騙しの絵空事に過ぎない。

 今回の決定で強く危惧されているのは、輸出される日本の武器によって、紛争の助長や拡大を招くのではないか──ということだ。それは先の大戦の反省を踏まえ、武器輸出に厳格かつ抑制的に対応してきた「平和国家」から「死の商人」に堕することを意味する。

 本来は国会の慎重審議や決議が必要なのは言うまでもないのに、輸出の可否はNSCで判断し、国会に対しては輸出を認めた後の事後報告というデタラメ。事前の国会関与を認めない点について、国家安全保障局は「同じ議院内閣制を採る欧州各国の例に準拠した」と説明していたが、何を言っているのか。これでは何らチェック機能が働かず、日本の武器輸出が地域の安定や平和に資するのか、第三国に流出しないのかが全く分からない。

「特段の事情」なんてしょせんはNSCのハラ次第。時の政府の方針や考えで解釈は容易にねじ曲げられ、恣意的に歪められていくのは明らかではないか。

 市民団体「武器取引反対ネットワーク」の杉原浩司代表はこう言う。

「武器輸出はとうとう全面解禁。つまり、メード・イン・ジャパンの武器が殺戮行為に使われるわけで、そんな重大な政策転換にもかかわらず、国会審議を無視し、NSCと閣議決定で決める。そして歯止め策には何の実効性もない。これは民意を蹂躙した防衛クーデターと言っていい。絶対に認めてはならず、強い憤りを感じています」

国会の事前承認もなく軍拡政策の大転換を進めるインチキ


国民は怒れ(C)日刊ゲンダイ

 武器輸出について現政権がここまで強く踏み込んだ背景には、防衛産業の支援が国力強化につながると考えている高市の時代錯誤の姿勢があるだろう。

 今と同様に武器輸出の是非をめぐる議論が起きた1976年5月、三木内閣で外相を務めた宮沢元首相は国会で、「我が国は兵器の輸出をしてカネを稼ぐほど落ちぶれてはいない。もう少し高い理想を持った国として続けていくべきだ」と答弁。

 宮沢は武器輸出に伴う紛争の長期化、激化させるリスクを肌感覚で理解し、危険性を認識していたからだが、国力強化を掲げる高市の考えは正反対。防衛産業を重点投資対象の「戦略17分野」の一つに位置付け、3月の国会答弁でも、「経済成長にも国民生活の豊かさにもつなげる。そして国をしっかりと守る」と訴えていた。

「もう時代が変わった」。高市は宮沢答弁の感想を問われた際、こう言っていたが、時代が変わったのではない。裏金事件で「今だけ、カネだけ、自分だけ」という自民の悪しき体質が露呈した通り、今の高市政権も結局は「カネが稼げるのであれば何でもあり」という半グレ集団やトクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)と同程度の低レベルの知能や知識しかない。つまり、ハナから「高い理想」など持ち合わせていないのだ。

 そもそも衆院選でも強く訴えていなかった軍拡政策の大転換を、国会の事前承認もなく進めるというインチキな手法そのものが「平和国家」を守る姿勢とは程遠いだろう。

メディアも高市政権の実相をきちんと報道するべき

 米国とイスラエルによる国際法違反の騙し討ちのイラン攻撃、すでに交戦期間が4年超となったロシアによるウクライナへの軍事侵攻……など、国際社会を取り巻く安全保障環境が変化しているのは間違いない。とはいえ、毎日新聞が3月下旬に実施した世論調査でも、武器輸出に反対する声が49%を占め、賛成(26%)を上回ったほか、他のメディアの調査でも「反対」が多数を占めているのだ。

 国民が誰も望まない中で武器輸出すら解禁する高市政権の姿勢は異常、異様としか思えない。高笑いしているのは米国と防衛産業だけではないか。

 メディアもメディアだろう。軍拡するほど安全になるという“詐欺”は戦前、戦中でも見られた光景だ。世界恐慌を機に経済が疲弊した当時、日本では政治不信が高まり、軍部が台頭。陸海軍の予算が肥大化した結果、軍事力の過信を招き、自滅的な戦争を始めた。

 今の日本も同じだ。国際競争力はどんどん低下し、かつて世界で称賛された「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の姿は見る影もない。そこで自信喪失状態に陥った一部の右派系の国民が、故・安倍元首相や高市のように「強い日本を取り戻す」といった薄っぺらのスローガンを掲げる国家主義の政治家に飛びつき、その流れに煽られる形で中国を執拗に敵視。しかし、台湾有事をめぐる高市発言で中国を刺激した結果、逆に中国からさまざまな原材料について「日本の軍事関連企業には輸出しない」と迫られる始末だ。

 威勢よく拳を振り上げたものの、中国からの輸入が途絶えれば防衛装備品すらつくれないわけで戦う前からすでに負けていると言っていい。「継戦能力を高める」なんて言葉も飛び交っているが、高めるも何もイラン攻撃で米国のミサイル不足が指摘された通り、武器には限りがあるのだ。

 となれば日本が今、舵を切るべきは戦闘を助長するような武器輸出の全面解禁ではない。武器以外の手段で外交問題を解決することだろう。それこそが平和国家「日本」のあるべき姿なのだ。

 政治評論家の本澤二郎氏がこう言う。

「『時は来た』とばかり、武器輸出を強行する高市首相は今後も何でもやりかねない。悪辣としか言いようがありません。メディア報道も京都の児童殺害事件ばかりに力を入れるのではなく、戦争できる国に突き進む高市政権の実相をきちんと伝えるべきです」

 ついに「死の商人」と化した、この国の行く末はどうなるのか。

http://www.asyura2.com/26/senkyo299/msg/519.html

   

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