教科用図書検定調査審議会 殿 2007 年11 月16 日に文部科学省初等中等教育局教科書課より「沖縄 戦における『集団自決』に関する学説状況などについて」「ご教示を賜 りたい」とのご依頼を受けました。それに対して、私の意見を述べさ せていただきたいと思います。 まず教科書課よりの依頼文書には「今回、審議会から先生の意見を 伺うこととしたことなどについては、静謐な審議環境のため、公表を 控えていただければ幸いです」とあります。しかし、秘密裏に検定を おこなったことが、今回のような研究状況を踏まえず私の著書を歪曲 する歪んだ検定をおこなう結果を生み出したことを考えれば、とうて い承諾できるものではありません。検定過程を広く市民に公開し、そ のなかで検定手続きがおこなわれるべきであると考えますので、私は この意見書を手続き終了前に広く市民に公表することをあらかじめ申 し上げておきます。 今回の意見の依頼にあたっての貴審議会のやり方には疑問がありま す。こういう依頼をおこなうのであれば、先の検定意見について説明 するのが最初に貴審議会が行うべきことと思います。文科省は検定意 見発表後、参考にした主な著作2 0 点あまりを挙げていますが、これ らのどこをどのように読んで、日本軍の強制を削除するという検定意 見を決めたのか、まずそれを市民に説明すべきです。そのうえで専門 家の意見を聞くべきでしょう。自らの説明責任を果たさずに、また手 続き終了まで一切を非公開のままに進めようとしている貴審議会の手 法は、きわめて問題です。 また意見を依頼した専門家の選定過程も不明朗です。沖縄県史や慶 良間列島の自治体史の編纂において「集団自決」の該当箇所を担当し た研究者にも意見を依頼しているのでしょうか。 現在、沖縄県において新沖縄県史の編纂が進められ、沖縄戦専門部 会がその編纂作業にあたっています。少なくともその専門部会委員全 員ならびに沖縄県史編集委員会委員の中の沖縄戦研究者から意見を聞 くべきです。さらにこうした意見書を提出させるだけでなく、直接、 審議会委員がインタビューをおこない、「集団自決」に関する学説状況 を正確に把握するように努めるべきです。 上記のような沖縄戦研究の専門家と言える研究者に対して、意見の 依頼をきちんとおこなわないようであれば、貴審議会が誠実に研究成 果を把握しようとしていないと非難されても仕方がないでしょう。 貴審議会の姿勢に大きな疑問があるゆえにこそ、私はこの意見書を 市民に公表し、市民のみなさんとともに議論を進めたいと考えていま す。 さて、ご依頼の内容に入っていきたいと思います。 教科書執筆者の幾人かから伝えられるところによりますと、文科省 が検定意見を通達する際に私の著書『沖縄戦と民衆』( 大月書店、2001 年) を根拠にして、日本軍が住民を「集団自決」に追い込んだ、ある いは強いたという叙述を認めず、日本軍の強制性を削除させたとのこ とです。調査官は、私の著書には「軍の命令があったというような記 述はない」旨の意見を述べたと聞いています。 『沖縄戦と民衆』の「5 『集団自決』の構造」の最初の小見出しは 「強要された住民の『集団自決』」( p155、以下、ページ数は同書の該 当箇所を示す) となっています。さらに本文のなかでも「日本軍や戦 争体制によって強要された死であり、日本軍によって殺されたと言っ ても妥当であると考える」( p156)などと述べています。渡嘉敷島の項 で「赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されていないと考 えられる」( p161)、座間味島の項では「『集団自決』を直接、日本軍が 命令したわけではないが」( p163)などの記述をしていますが、他方で、 渡嘉敷島では「軍が手榴弾を事前に与え、『自決』を命じていたこと」 ( p160-161)、座間味島では日本兵が島民にあらかじめ手榴弾を配って 「いざとなったらこれで死になさい」と言っていたこと( p162) など も指摘しています。 「集団自決」についての結論的な部分( p184) では、第1 に、「『集 団自決』は文字どおりの『自決』ではなく、日本軍による強制と誘導 によるものであることは、『集団自決』が起きなかったところと比較し たとき、いっそう明確になる」と結論づけています。 さらに第2 に、「『集団自決』はアジア太平洋戦争における日本軍の 敗北の過程で各地の島々で起きている事象である。その前提には日本 軍がアジア各地で現地住民に対しておこなった残虐行為があり、その ことが重要な引き金となっている。そういう意味で日本による侵略戦 争のひとつの帰結であった」と述べています。言い換えると、日本軍 が中国などでおこなった残虐行為の経験が、日本軍将兵や従軍看護婦 などから住民に伝えられ、そのことが米軍に捕まることへの恐怖心を 一層煽ったこと、日本軍による侵略戦争の経験が「集団自決」を生み 出す背景にあったことを指摘しています。読谷のチビチリガマでは日 本軍はいませんでしたが、元兵士と従軍看護婦が「日本軍の代弁者の 役割を果たし」ました( p158)。 第3 に「米軍が上陸した沖縄の島々での住民の行動を見ると、『集団 自決』をおこなわなかった人々の方が圧倒的に多い。日本軍がいない ところでは、住民は自らの判断で投降し助かっている」と述べていま す。つまり住民が集団で米軍に保護されている島々や地域は日本軍が いなかった所であることを各地の島々、地域を分析して論証していま す。日本軍がいる所では住民が米軍に投降しようとは主張できません。 そうすればスパイとして処刑されてしまいます。実際に日本軍に殺さ れた例はいくつもあります。そうしたことから日本軍の存在は「集団 自決」を引き起こすうえで重要な役割を果たしていると結論づけてい ます。 沖縄戦における「集団自決」が、日本軍の強制と誘導によって起き たこと、日本軍の存在が決定的であったことは、沖縄戦研究の共通認 識であると断言してよいでしょう。 渡嘉敷島と座間味島において、それぞれの戦隊長が自分は自決命令 を出していないとの主張は、1970 年代あるいは1980 年代から、研究 者の間でも広く知られていることです。座間味の戦隊長らがおこした 訴訟における主張は、訴訟が提起された2005 年以降に新たにわかった ことではなく、ずっと以前から知られていることにすぎません。です からその訴訟を根拠にして、学説上の変化や新資料の発見などと言う のは、沖縄戦研究のこれまでの歩みを無視するものでしかありません。 沖縄戦研究者はそうしたことを十分に認識したうえで、問題は、あ る一つの命令があったかどうかではなく、日本軍が沖縄に上陸してか ら何か月もかけて住民を「集団自決」に追い込んでいった過程が問題 であるとの認識から、「集団自決」の諸要因を明らかにしてきました。 その研究成果を一言で言い表すとすれば、私が著書の結論でまとめた ように「日本軍による強制と誘導によるもの」であるということなの です。 なお検定意見の通達の際に、調査官は、軍命令がなかったという理 由から日本軍の強制性の叙述を削除するように指示したということで すが、「集団自決」がおきた際の直接の軍命令の有無と、日本軍の強制 とは明らかにレベルの異なる問題です。 民間人であっても捕虜になることを許さない日本軍思想の教育・宣 伝、米軍に捕らえられると残酷な扱いを受けて殺されるという恐怖心 の扇動、多くの日本軍将兵があらかじめ手榴弾を配って自決せよと言 い渡していたことなど、日本軍はさまざまな方法を使って住民を「集 団自決」に追い込んでいった、あるいは「集団自決」を強制していっ たのです。「集団自決」が起きる際に部隊長が直接命令したかどうか、 という論点からは、そうした日本軍による強制と誘導を否定すること はとうていできません。ですから検定意見は、レベルの違う問題を混 同した、論理的にも筋の通らないものでしかありません。 さらに言えば、あらかじめ多くの日本軍将兵が住民に手榴弾を配り、 いざという場合には自決するように命令あるいは言っていたことは、 正式の命令であるかどうかという形式論ではなく、住民にとっては命 令としか受け取れなかったという当時の沖縄がおかれた状況を把握し ておくことも必要です。それらは実質的には、日本軍による命令だと 言うしかありません。 私の著書のなかでも詳細に述べているように、沖縄に駐留していた 日本軍は、法的行政的な手続きとは関係なく、人の動員や物資の調達 を村や区( 字) あるいは住民に直接命令していました( その実態は p48-61)。特に米軍上陸後は、日本軍はそうした手続きを無視して、防 衛隊や義勇隊、弾薬運びなどの労働力の調達をおこなっていたことが 数々の証言からわかっています( p141-147)。日本軍の資料においても 「民家の洞窟に入り健康男子を捜索連行する」と「第3 2 軍沖縄戦訓 集」に明記されています( p146)。そうした日本軍による行為を住民は 拒否できない状況であったこと、日本軍将兵から言われたことは軍命 令と受け取るしかない状況だったことを認識しなければ、沖縄戦当時 における軍と住民の関係を理解できないでしょう。 用語の問題について触れておくと、「集団自決」とは日本軍の強制と 誘導によるものであるという特徴を明確に示すために、「強制集団死」 あるいは「強制された集団死」という表現も使われるようになってき ています。「集団自決( 強制集団死)」というように併記することもご く普通の使い方になってきていることを付け加えておきます。 なお『沖縄戦と民衆』のなかで「集団自決」の要因についてはさま ざまな点を指摘していますが、より整理したものとして拙稿「沖縄戦 『集団自決』への教科書検定」(『歴史学研究』第831 号、2007 年9 月、 このなかのp27− p30 で「集団自決」を引き起こした要因を簡単に説明) ならびに、より簡潔に整理した拙稿「住民を『集団自決』に追い込ん でいったのは軍でした」(『通販生活』2007 秋冬号) を参考資料として 添付しましたので、それらもご参照ください( 資料1 ・2 )。 検定意見によって書き換えさせられた叙述は、「日本軍によって壕を 追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった」、「日本 軍に『集団自決』を強いられたり」、「なかには日本軍に集団自決を強 制された人もいた」などであったと伝えられていますが、こうした叙 述は、私の著書の結論と一致するものであって、これまでの沖縄戦研 究の通説を適確に表現したものと言えます。 これらの叙述を書き換えさせる根拠になぜ私の著書が利用されるの か、とても理解できません。研究の全体の結論を無視して、そのなか のある一文のみを持ってきたとしか考えられません。これは検定意見 を作成した者が、常識的な日本語の読解力もないか、きわめて悪意を 持って歪曲したものか、どちらか以外には考えられません。 教科用図書検定調査審議会が、私の著書を歪曲して、このような検 定意見をつけたとすれば、貴審議会の重大な歪曲、悪用に対して、厳 重に抗議したいと思います。検定意見を通達する際に、私の著書のみ を根拠に挙げて、叙述を変えさせた以上、貴審議会は、はっきりとそ の理由を説明するべきです。私の著書を悪用しながら一切の説明も弁 明もせずに、私に意見を求めるのは、非礼極まりないと言うべきでし ょう。 もし貴審議会がそのことを知らず、検定意見を通達する際に、調査 官が独断で話したことだというのであれば、調査官に対して厳重に抗 議するとともに、貴審議会においても、そうした歪曲をおこなった調 査官に対して厳重に注意すべきではないでしょうか。さらにそうした 歪曲を許すような現在の検定手続きそのものを見直すことを提起する のが審議会としての最低限の責任ではないでしょうか。 教科書執筆者への検定意見の通達の際に、私の著書を根拠に日本軍 の強制性の叙述を削除させたことは、著書の内容を歪曲したものであ り、歪曲を基にした検定意見そのものが根拠のない、間違ったもので あることを示しています。そうした歪曲によって根拠付けられた検定 意見は撤回するしかありません( 資料3 参照)。 検定意見をそのままにして、執筆者( 教科書会社) からの正誤訂正 に基づいて叙述のいくらかの修正を認めるということは― 仮に基の叙 述そのままの復活を認めるとしても― 、歪曲をそのまま温存・正当化 する行為であり、研究者あるいは誠意ある者としてあるまじき行為で す。 さらに念のために付け加えれば、本年3 月に検定結果が発表されて から、慶良間列島などでの体験者の新しい証言がいくつも出てきてい ます。しかし「集団自決」における日本軍の強制性は、これらの新し い証言を待つまでもなく、これまでの証言やその他の調査研究によっ て十二分に明らかにされているものです。かりにこれらの新証言をも って日本軍の強制性を認めるというような判断をするとすれば、その ことはこれまでの沖縄戦の調査研究の成果を根本から否定するもので あり、そのこと自体が研究成果を無視した暴論というべきです。 以上述べてきたことから、教科用図書検定調査審議会は、沖縄戦の 「集団自決」につけた検定意見を撤回するべきです。そのうえで、「集 団自決」における日本軍の強制性を明記した叙述を認めるべきであり、 それが貴審議会が取るべき最低限の責任であると考えます。 2 0 0 7 年1 1 月2 2 日 (サイン) (印) 林 博史 関東学院大学経済学部教授 236-8501 横浜市金沢区六浦東1 関東学院大学経済学部 【添付参考資料】 資料1 林博史「沖縄戦『集団自決』への教科書検定」 『歴史学研究』第831 号、2007 年9 月 資料2 林博史「住民を『集団自決』に追い込んでいったのは軍でした」 『通販生活』No.231、2007 秋冬号、2007 年11 月 資料3 林博史「教科書検定への異議」上下 『沖縄タイムス』2007 年10 月6 日・7 日 なお添付資料としては付けませんでしたが、拙著『沖縄戦と民衆』( 大月 書店、2001 年) は私の見解を裏付ける、不可欠の参考文献です。 【添付参考資料】 資料1 林博史「沖縄戦『集団自決』への教科書検定」 『歴史学研究』第831 号、2007 年9 月 ( 別紙添付) 資料2 林博史「住民を『集団自決』に追い込んでいったのは軍でした」 (『通販生活』No.231 、2007 年秋冬号、2007 年11 月) 今回の教科書検定で文部科学省は、「『集団自決』は日本軍の強制でない」 と判断しましたが、その判断の参考著作物のなかに、私の著書『沖縄戦と氏 衆』があげられています。 教科書執筆者の方から聞いたのですが、文科省の教科書調査官は検定緒果 を通知する場で、「『沖縄戦と民衆』を見ても、軍の命令があったというよう な記述はない」と、軍の関与を否定する根拠として私の本を唯一の具体例と して挙げたそうです。驚くと共に、恣意的に参考資料を使っていることに怒 りを覚えました。 確かに私の本には「赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されて いないと考えられる」(同書161 頁)というような一文はあります。しかし、 これは「集団自決」当日に「自決せよ」という軍命令が出ていなかったとみ られるということを書いただけで、軍による強制がなかったということでは ありません。 同じ本の別の頁には「いずれも日本軍の強制と誘導が大きな役割を果たし ており」「日本軍の存在が決定的な役割を果たしているといっていいであろ う」(共に173 頁)と書いており、これが「集団自決」に対する私の基本的な 考え方です。そんなことは本全体を普通に読めば分かるのに、たった1 、2 行を全体の文派から切り離して軍の強制性を否定する材料に使うのですか ら、ひどい検定としか言いようがありません。 島民は米軍への恐怖心を植えつけられていた。 座間味島、渡嘉敷島での「集団自決」の際に日本軍の部隊長の命令があっ たかどうかが裁判で争われています。 しかし、当日の部隊長命令の有無は、実はそれほど大事な問題ではありま せん。米軍上陸のはるか前から日本軍が住民を「集団自決」に追い込んでい った過程こそが重要なのです。 (1)捕虜になるのは恥だ、いざという場合は自決せよと日頃から日本軍や教 育を通じて叩き込まれていました。 (2)ふだんから島民たちは、「米軍に捕まれば、男は戦軍で轢き殺され、女は 辱めを受けたうえひどい殺され方をされる」と日本軍から言われていました。 米軍に対する島民の恐怖心を日本軍が煽っていたことは、生き残った方たち の誕言からも明らかです。 (3)「米軍に投降する者は裏切り者だから殺されても当然だ」という考え方 も植えつけられていたので、捕虜になるという選択肢は島民の頭の中にはあ りませんでした。 (4)軍に全面的に協力し、軍が玉砕するときは住民も一緒に死ぬという「軍 官民共生共死」の意識が住民に叩き込まれていたことも「集団自決」の大き な要因です。たとえば慶留間(げるま)島では、敵上陸の際には全員で玉砕す ると阿嘉島から来た部隊長が米軍上陸前に島民に訓示していました。 これらの事実は、私がアメリカで見つけた米軍の資料にも書かれています。 慶良問(けらま)列島の占領作戦を担当した米師団の作戦報告書には、慶留 間島では米軍が上陸してきたら自決せよと複数の日本兵から命じられてい たことや、座間味島でも島民たちが自決するように指導されていたことが、 複数の島民の尋間記録として記載されています。いずれの証言も、「集団自 決」が起きたすぐ後の3 月下旬から4 月初めのものです。 このように、いざとなったたら死ぬことを日本軍によって住民が強制・誘 導されていたことが「集団自決」問題の本質なのです。 「軍の強制」を否定する根拠としてよく取り上げられる本『母の遺したもの』 には梅澤裕・座問味島部隊長が自決命令を出していたとは確認できないこと が、生き残った女性の証言として載っています。でも本質的な問題は、軍命 の有無ではなくて軍による強制・誘導だったのです。 軍による強制を否定する論理には矛盾が多い。 これまでに明らかにされた事実を教科書に簡潔に記述するとなれば、これ までの教科書通り、つまり、「日本軍によって集団自決に追い込まれた」あ るいは「強いられた」となるわけです。 仮にこれまでの教科書に「部隊長の命令によって『集団自決』が起きた」 と書かれていたのならば、やや事情が違うかもしれませんが、そんなことは 一言も書いてないのですから、修正する必要などないのです。 検定結果を支持する人たちは、様々な論理で「軍の強制」を否定しますが、 その一つ一つを冷静に見ていくとおかしさが分かります。 たとえば、「住民に自決を促したのは役場の人間だ」「軍が住民に直接命令 を出す権限はない」という主張です。確かに制度上は住民に命令する権限は ありませんが、実際には「人を出せ」「物を出せ」と軍は住民に命令してい ました。住民や役場の人問は、下級兵士に言われたことでさえ拒否できない 状況でした。 渡嘉敷でも座間味でも、「いざというときはこれで自決せよ」と軍から手 榴弾を渡されていました。軍の承認なしに手榴弾を入手して配ることは不可 能です。この事実ひとつをとってみても、軍が住民に命令を出す権限がなか ったという法制度上の話に意味がないことが分かります。 そんな雰囲気の中で村の幹部が「集団自決」を主導したとしても、それを 軍の無関係を証明するものだというふうに結びつけるのは当時の沖縄の状 況を無視するものです。 米軍が上陸したところでも、前島や粟国島などのように日本軍がいなかっ た場所では住民は投降しています。この点でも日本軍の強制性を示すことに なるのではないでしょうか。 また、琉球政府援護課の元嘱託職員が「援護法の適用を受けるために軍命 があったと申請した」と新聞杜の取材に誕言したことも、軍関与の否定材料 としてよく使われています。 しかし、前述した米軍の作戦報告書は「集団自決」直後に記録されたもの です。援護法ができる7 年も前の時点で、「日本軍に自決を命じられた」と 住民は米軍に証言しているのですから、「援護法目当てに軍命をでっちあげ た」という説は時系列で考えてもおかしい。 援護法は戦争の被害者ではなく、日本軍に協力した者にしか適用されませ ん。そのため、食糧を強奪されても「食糧提供」と申請しなければなりませ んでした。「集団自決」も軍命令と言わなければ援護の対象にはならなかっ たのは事実で、申請時には厚生省の役人からそういうアドバイスがあったか もしれません。だからといって、その場で軍命をでっちあげたということで はないのです。 2001 年以降、中学校の教科書から「慰安婦」という表現が消えるなど、 日本軍の加害に関する記述が教科書から減りました。今回の検定は、沖縄戦 に関しても日本軍の加害性を弱めることが狙いでしょう。 今回のような論理で「日本軍による強制」が否定されると、「集団自決」 は住民が自ら命を捧げた尊い行為にされてしまいます。このように事実がね じ曲げられてしまえば、悲惨な沖縄戦のイメージはがらりと変わり、後世に 実像が伝わらなくなります。だから沖縄の人たちは政治的立場を超えて検定 結果に怒っているのです。 資料3 林博史「教科書検定への異議」( 上下) (『沖縄タイムス』2007 年10 月6 日・7 日) 日本軍の強制を削除させた教科書検定に対する沖縄県民の怒りの前に政 府はようやく対応せざるをえなくなってきた。そのなかで浮上してきたのが、 検定そのものは認めたうえで、教科書会社から記述の訂正があった場合には 「真摯に対応する」として、元の記述の表現を若干変えれば、事実上、同趣 旨の記述の復活を認めるという方法である。この方法では、日本軍の強制性 を否定した検定意見はそのまま無傷で残り、将来にわたって禍根を残すであ ろう。 文部科学省が教科書執筆者たちを呼び出して、検定意見を通知した方法を 見ると、検定意見が執筆者に説明され、それに対して執筆者で対応を協議し、 どのように修正するかを決めて回答する。この手続きを日本史教科書であれ ば古代から現在まですべてを2 時間で終えなければならない。つまり持ち帰 って資料や研究に再度あたることが許されず、その場で対応を決定しなけれ ばならない。 複数の教科書執筆者の話によると、この席で文科省の調査官は、「最新の 成果といっていい林博史先生の『沖縄戦と民衆』を見ても、軍の命令があっ たというような記述はない」などと言って、私の著書『沖縄戦と民衆』を例 に挙げて、日本軍の強制を削除させる根拠にしたという。執筆者たちは結局、 その場で検定意見を受け入れざるを得なかった。そこであくまで拒否すれば 検定不合格となり、教科書作成のそれまでの努力がふいになるからである。 ある執筆者は帰宅後、私のその著書を取り出してみたところ、「いずれも日 本軍の強制と誘導が大きな役割を果たしており」「日本軍の存在が決定的な 役割を果たしている」という結論であることを確認し、「無念」の思いにと らわれたと語っている。 私は著書の中で1 つの章を「集団自決」にあて、その中で「日本軍や戦争 体制によって強制された死であり、日本軍によって殺されたと言っても妥当 であると考える」との認識を示したうえで各地域の分析をおこない、渡嘉敷 島のケースでは「軍が手榴弾を事前に与え、「自決」を命じていたこと」を 指摘している。 座間味島のケースでも日本兵があらかじめ島民にいざという場合には自 決するように言って手榴弾を配布した証言を紹介している。「集団自決」が なされるにあたって「軍からの明示の自決命令はなかったが」というように、 同書執筆時点( 刊行は2001 年12 月であり、執筆は前年からおこなった) で確認できた証言などから、いま自決せよというような命令は出されていな かったと思われたのでそうした認識は示している。その箇所だけが文科省に 利用されてしまった。 しかし、私の著書では、あらかじめ自決するように手榴弾が配布されてい たことや、捕虜になることは恥だと教育されていたこと、米軍に捕まるとひ どい目にあわされて殺されると叩き込まれていたこと、住民が「自決」を決 意したきっかけが「軍命令」であったことなども指摘し、さらに日本軍がい なかった島々では米軍が上陸しても「集団自決」がおきていないことを検証 し、結論として先に引用した部分のほかに「「集団自決」は文字どおりの「自 決」ではなく、日本軍による強制と誘導によるものであることは、「集団自 決」が起こらなかったところと比較したとき、いっそう明確になる」と断言 しているのである。 渡嘉敷島や座間味島については、この間、新しい証言が次々に出てきてお り、この著書の記述を書き改めなければならないと痛感しているが、しかし 日本軍の強制と誘導が「集団自決」を引き起こしたことは、それまでに明ら かにされていた証言などからも明白であり、私の著書のみならず沖縄戦に関 するすべての研究が同じ結論に達していたものだった。 最近、新しい証言が出てきたから、それを理由にして教科書会社からの正 誤訂正を認めると話が出ているようだが、そうしたやり方は、これまで長年、 沖縄の人々の努力によって積み重ねられてきた沖縄戦の調査と研究をまっ たく否定するもので、決して認めることはできない。 教科書調査官が執筆者たちに言い渡した検定意見は、明らかに虚偽に基づ いて執筆者を欺いたとしか言いようがない。資料も文献もない文科省の一室 にいた執筆者たちは調査官の意見に反論する材料も機会も与えられないま ま、その検定意見を認めて書き換えるしかなかった。 執筆者たちが検定意見を持ち帰って、私の著書を確認すれば、調査官が根 拠にしている研究では「日本軍の強制と誘導」によると結論付けているでは ないか、そうであれば、日本軍によって「集団自決」を強いられた、あるい は「集団自決」に追い込まれたという記述は、この研究成果を正しく反映し た記述ではないか、という反論を行うことができただろう。しかしその機会 は与えられなかった。こんなやり方は詐欺と非難されても仕方がないのでは ないか。 文科省は、日本軍の強制を否定するような研究がまったくないので、仕方 なく、全体の文脈からは切り離して私の著書から一文だけを抜き出して、結 論とは正反対の主張の根拠に使ったのである。 現在の検定意見言い渡しの方法が、そうした詐欺的手法を可能にしたので あり、検定制度そのものの見直しも必要である。 文科省はこうした手法で執筆者たちを騙し、検定意見を押し付けたのであ る。 このようなやり方のどこが合法的なのだろうか。これが教育に責任を負う 官庁がおこなうことなのだろうか。 こうした詐欺のような手法で押し付けられた検定意見をそのままにして 正誤訂正でごまかそうとすることはけっして認めるわけにはいかない。文科 省は、著作を歪曲し間違った検定をおこなったことを認め、検定意見をただ ちに撤回すべきである。