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(回答先: コールマンはパッチワークの天才か 投稿者 誰がために金は成る 日時 2003 年 10 月 08 日 15:44:04)
実はティエリ・メイサンの本についてはフランスで初版が出たとき以来、
日本の出版各社に翻訳出版企画を持ちかけて提案しつづけてきたしたが、
どこも「うちで出す本ではない」と拒絶するか、無関心で返答なしという
のが実態です。
さらにいえば、イェール大学骸骨団(Skull&Bones)について秀逸なルポが
出ているのですが、これも米国で出版された直後から私自身、日本の主要な
出版社に翻訳出版を働きかけてきましたが、やっぱり「うちで出す本でない」
という情けない返答か、または完全無視でしたね。
事実を直視できない者は、勇気を欠いた阿呆です。
プラトンは「勇気」を最高の徳と位置づけました。
私は若い頃はその意味が理解できなかったけれど、いろいろと世の中を
見聞きすると勇気こそ最高の徳性である、という意味が実践的に理解できます。
日本の出版社は、社畜がチマチマした業績を保守していればいい、と考えて
サラリーを無為に貰い続けるコロニーみたいな場所に成り果てたようです。
『だれが本を殺すか』というルポが出て、かなり大きな反響を生みましたが、
経験的に言えるのは、まずもって出版社自身が「本を殺している」ということです。
私は、日本の出版社の知的頽廃を非常に腹立たしく感じています。
(メイサン氏の諸説や骸骨団について出版すると政治的な跳ね返りが怖い、とかいう
配慮から拒否にたのではないと見ています。出版社の編集社員は、こういう現実を
はなから知らないのでしょう。知らないから興味もないのでしょう。
現実を見ようとしない社畜は、現実とテクストとの界面で仕事をする編集者には
不向きです。そういう愚鈍な編集者が本を出している出版社は、現実に追いつけずに
廃れて行くでしょう。 廃れないようにと粗悪な本を出していけば悪循環に陥るだけです。)
……ついでにコールマンについてコメントさせていただきますと……
一種のdisinformationのスピンマスターだと認識しています。
つまり、軽率に彼の書いていることを信じるな、ということです。
裏づけのない知識はそういうものとして扱うべきです。
それを真に受ければ一種の粗悪な“宗教”になってしまいます。
太田竜氏の着眼点には注目すべき点も多いと思いますが、
彼が行なっている行為の社会的意味を、我々は考える必要があります。
裏付けのない舶来情報をそのまま垂れ流して、二言目には「日本人は白痴だから」
と悪態を付く……。 これは一種の知的頽廃です。
太田竜氏は日本で反スターリン主義の運動を作り出すうえで少なからぬ活躍をした人
でした。しかし、彼の知的態度、情報の扱い方が、もし今も昔もあまり変わって
いないのだとすれば、それは極めて大きな問題だと思います。
舶来知識を信仰するのが「左翼」の体質だったとすれば(いわゆる旧左翼も新左翼も
含めて)、そういう知識のブローカーが社会のコントロールを志すのは危険な話です。
(こうした知的頽廃とナイーヴな危険性を、私は今年になって高揚した「非戦」運動の
現実のなかでじっくり見ることができました。)
欧米その他の海外の情勢については、現地からの情報に依存せねばならないわけですが、
裏付けをとったり、どこまでの利用価値や信頼性があるか、情報そのものの評価を
行なう作業が欠かせません。それがないと下劣な新興宗教になってしまうでしょう。
……以上が私の所感です。