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猶太と世界戰爭

愛宕北山著

汝は汝の神エホバの汝に付したまはんところの民をことごとく滅しつくすべし  申命記七・一六

ダイヤモンド社


世界的規模に於て戰はれつつある今次の大戰は、果して樞軸國家群對反樞軸國家群の戰争といふ一事によつて全部的に説明され得るであらうか。またそれは、暴慢なるアングロサクソン民族に對する被壓迫民族の戰ひといふ一事によつてその眞相を盡くされ得るであらうか。時として説かるる所の東亞新秩序乃至世界新秩序の建設は、單に聯合國の打倒とアングロサクソン民族の撃滅とによつて達成され得るであらうか。
かつて我々は支那事變の經過中に、我々の眞の敵は米英等であることが到る處に於て確認されてゐながらも、それと明らかに指摘し得ざる種々の事情のために、時として我々の敵愾心の向け方に多少とも迷つたことはなかつたであらうか。そしてその敵愾心が、大東亞戰によつて初めて眞の敵が明示されることによつて、一時に天をも衝かん許りに燃え上るのを感じたのではなかつたか。
しかしその後時日の經つに連れて、再び我々の心には、大東亞戰の眞の敵が單に米英に非ざることを豫感しつつありはしないであらうか。これは最近の世界状勢を多少とも達觀し得る者には、意識の程度に差こそあれ、必らず感得されつつあるかの如くである。しかしながら、如何なる理由に依つてか、いまだにわが國に於てはそれを公然と口にすることが遠慮されつつあるかの感を抱かしめられる。勿論この遠慮が、米英の背後に敵を見ることとは米英を敵として戰ひつつある我々の戰争目標を曖昧にするといふ心配よりなされる場合には、一面に於ては尤ものことであつて、我々としても決してそれを非難しようとする者ではないが、しかし事實はさやうに簡單ならざるごとく見えることも否定し得ないのである。日支事變中に眞の敵を指示することを遠慮せしめたと同一乃至類似の理由が、或はこの場合にも存在してゐるのではないかと思はせられるのである。
然しながら我々はこの序文に於てはこれ以上に論議することを避けるであらう。本書の全部がかかる疑問に答ふるものだからである。當路者が聲を嗄らして呼號する對米英敵愾心の如きも、上述の點に關して勇気ある決斷が下される時おのづから焔々と燃え上るであらう。その時には、我々の敵が同時に樞軸諸國の敵である許りか、また人類全部の敵である眞相も判明するに至るであらうし、また我々の敵が如何に奸悪であり、従つてまた如何に強力てあるかが判明する許りか、我々の建設せんとする東亞乃至世界の新秩序の内容と意義もまたおのづから明らかになるであらう。

ここに集められた諸篇はかつて雑誌その他に發表されたものより選擇されたのでああるので、その性質上多少の重複を來してゐる點もあるが、機会に触れてなされた言説のうちに反つて我々の立場の正當性も證されると考へるので、各部の始めに「はしがき」めいたるものを加へるにとどめて、他の部分への加筆は差控へることにした。切に讀者の寛恕を乞ふ所以である。
昭和十八年七月

著 者 識


T 猶太魂の本質…………………………………………………………… 一
一、猶太問題研究の精神史的意義……………………………………… 三
二、猶太魂の本質…………………………………………………………一四
三、猶太の神祕の謎を解く………………………………………………六九
・・「十五」なる數の猶太神祕力に對して有する意義・・
四、猶太の世界支配諸機關………………………………………………七七
五、猶太聖典及び法典の成立と猶太的「タルムード論理」…………九四
4 六、「シオン議定書」の成立、傳播、眞僞…………………………一〇二
七、國際猶太祕密力の世界新聞統制(譯補)………………………一二五
U 猶太と世界戰争………………………………………………………一六三
一、猶太の人間還元・・猶太問題研究根本原則十箇條……………一六五
二、大東亞戰爭勃發後の世界情勢……………………………………一七三
三、今次世界大戰の性格………………………………………………一九六
H 四、世界大戰へと駆り立てるもの……………………………………二〇六
五、日本と猶太…………………………………………………………二一九
六、日猶抗争としての日支事變………………………………………二六七
七、前世界大戰に於ける猶太の策謀と獨逸の敗戰…………………二九七
V 猶太鏡…………………………………………………………………三一一
一、シュルハン・アルフ・・「用意の出來た食卓」………………三三一
二、著名なる猶太法師の言葉…………………………………………三五九

T 猶 太 魂 の 本 質

かつて「猶太禍の迷妄」を説き、またフリイ・メイスン祕密結社
を人道主義的團體なりとして擁護することによつて猶太に忠勤を
勵んだ「人爲的猶太人」の一群があつたが、その傳統は今は、猶
太問題は猶太人に國土又は國家を與ふれば解決するといふ「志願
シオニスト」の一團となつてゐる。二つに共通の非日本的なる倣
岸不遜さは、無知に基づく生兵法の結果とのみ片づけられないエ
ホバ的妖気を帯びてをり、怪奇なる日猶同祖説とその猶太性に於
ては大差のない陰惨なる背景を感ぜしめる。本第一部はかかる妖
気を退散せしめんがための破邪顕正の筆剣である。


一、猶太問題研究の精神史的意義

あらゆる人間的行爲に前提があるやうに、すべての學術にもまた前提がある。十九世紀の歐洲に於て「無前提性」を標榜したところの學問も、實際に於ては決して無前提ではなかつたのであつて、唯物論的實證主義こそその前提だつたのである。多少逆説的に言ふならば「無前提性」の説かれる場合こそ反つて強烈な前提が存在してゐるのである。この意味に於て猶太問題研究にも亦明らかに前提が存在してゐるのであるが、それが如何なるものであるかはおのづゥら明瞭であるにも拘らず、ここでは直ちに猶太問題そのものの持つ意味を見ることに移りたいと思ふ。
猶太問題もまた、あらゆる人間界の重大問題と同じく、單なる部分的人生問題ではない。即ち、それは、在來屡々歐洲に於ても考へられたやうな單なる宗教問題ではなく、實に英國宰相ビーコンスフィールド卿事猶太人ディスレイリも言つてゐるやうに、先づ第一に民族の問題であり、また猶太人が過去に於ても現在に於ても「國家中の國家」を形成してゐる點に於ては重大なる國家問題であり、世界の富の七割乃至八割を少數民族として獨占してゐるといふ意味に於ては注目すべき經濟問題であり、更にまた、殆どあらゆる極左的思想の創案乃至宣傳者であるといふ關係に於ては由々しき思想問題であり、全體としては國家と民族との存立如何に多大の關係を有する危険なる社会問題である。
猶太問題の全貌がかやうな廣範なものであるとすれば、それの研究はまた同様に廣範なものとならねばならない。從つてかやうな研究は、その對象の性質の然らしむる所として、研究者の側に於ける態度決定の如何によつて全く相反した結果をも生ずることは自明であらう。ここに吾々が既に論及しておいた學術の前提が再び問題となつて來るのであるが、この場合にも吾々はそれがやがておのづから明瞭になることを信ずるので、先づ現在の世界の諸國に於て猶太問題が如何なる様相を示してゐるかを端的に述べることにしたいと思ふ。
何人にも明白な事實は、現年の世界が大體に於て二つのイデオロギー的陣營に分れてゐることである。これは恐らく世界の常識に属してゐると考へられるが、現在の世界の對立が、二つと言はれて三つと稱せられてゐない點は特に注目に値するのであつて、現在の世界の猶太問題の考察に當つても、このことは重要な意味を持つて來るのである。この事情を精神史的に言へば、世界の一方にはいまだ十九世紀的唯物思想にその存在の根拠をおいてゐる所謂デモクラシー諸國があり、他方には、それらの諸國からは有名無實の惡評を浴せかけられてゐる二十世紀新興勢力としての所謂ファッシズム諸國が對立的に存在してゐるのである。然るに十九世紀と言へば、フリイ・メイスン祕密結社のモットーである「自由・平等・博愛」を看板として遂行された猶太解放革命としての佛蘭西革命に始まる世紀であつて、その本質は合理主義・個體主義・相對主義・唯物主義等の特質を持つ惡平等思想の支配した時代であるに過ぎず、またその猶太解放は實質的には猶太の世界支配の容認にすぎなかつたので、十九世紀は即ち猶太の世界支配の確立の世紀に外ならないとさへ言ひ得るのである。而してかのデモクラシーとは、實質は猶太獨裁の別名に外ならない。現在のデモクラシー國家なるものは、それが今なほデモクラシー的本質を残存してゐる程度に正比例して、猶太獨裁に服してゐるのである。これに反して所謂ファッシズム諸國に於ては、それが全體主義でありまた民族主義である程度に正比例して、猶太獨裁は清算されてゐるのである。
然しここに或人は、ボルシェヴィズムのソ聯は如何であるかの問題を提出するであらう。然しこれは單にボルシェヴィズムの仇敵がファッシズムであつた一事のみからも極めて明瞭である通りに、ボルシェヴィズムも自由主義も本質的には何等の相違はないのである。これを近來の著名の語で言へば、自由主義は共産主義の温床である、といふのである。言葉を變へて言ふならば、前者は後者の頽廃的段階たるのである。從つて両者は、共同の敵としての新興勢力が擡頭する場合には、例へば日支事變に於ける英・米・佛・ソ聯の仲のよさが證明して餘りあるやうに、直ちに共同戰線を張るに至るのである。自由主義の地盤としての資本主義も、ボルシェヴィズムの地盤としての共産主義も、共に何れも合理主義であり、相對主義であり、個體主義であり、就中、拝物宗であるからである。これを吾々の當面の問である猶太問題から見る時には、この二つの國際主義の代表者であり、支持者であり、宣傳者であり、統一者である所のものは、同一の猶太に外ならないのである。ソ聯なるものは、その成立より見るも、スターリンを第一線に立たしめて督戰してゐるカガーノヴィッチ閨閥の支配状況から見るも、米國フリイ・メイスン系金融猶太人の投資の一形式であると言つても決して過言ではないのである。それ故にソ聯の眞相を掴まふとする者は、時折演出されるその内部に於ける内輪喧嘩を過大に評價して、既に全猶太がソ聯を見捨てたと誤信してはならない。パレスチナ系乃至トロツキーの第四インターナショナル系の猶太人がスタリーリンに不満であることが萬一にも事實であるとしても、米國猶太は巨額の投資をさう容易に斷念し得る筈はないのである。最近カガノーヴィッチ閨閥に異状があつたと稱せられるが、これか事實ならば或はソ聯の動向にも何等かの根本的變化があるかも知れないが、今それを論ずることは早急に過ぎるであらう。
而してこれら諸國に於ける猶太問題の扱ひ方は、それらの國に於て占むる猶太勢力の大きさに正比例した結果を示してゐる。即ち、かの所謂デモクラシー國家に於ては、それが仮令全くの禁止を喰うてはゐないにもせよ、この問題の特志研究家は身邊にあらゆる意味の迫害を受ける。この事情は、活眼をもつてそれら諸國の動静を見るならば、容易に明瞭となるのである。而して國際共産主義國として完全なる猶太獨裁下にあるソ聯に於ては、猶太問題の論議乃至研究は生命にかけて厳禁されてゐるのである。勿論一般民衆間の反猶太主義は極めて根深く、早晩それが爆發點に達することは歴史の論理であるが、しかし千九百三十六年十一月の佛蘭西の「ル・ジュルナル」誌の報ずる如くにスターリンもまたその母より猶太の血を承けてゐるとすれば、露西亞人の露西亞の出現は容易なことではないであらう。
最後に、ファッシズム諸國の場合であるが、これらの國に於て猶太問題が、當然かくあるべき處置を受け、また受けつつあることは、今更詳記の要はないであらう。
以上見たやうに、現代は正に新舊二つのイデオロギーの對立時代であるが、これは單に國家の性格が示してゐるだけのものではなくて、何れの國家の内部に於てもまたより小規模に於て認められ得る世相である。然して今や世界の重要な一環である所のわが國に於ても、事情は決して例外ではないのであつて、全國力を挙げての日支事變下の現在に於ても實に然りなのである。この事實は、一部のお人好しや爲にする所のある連中からは否定されるか、或は黙視乃至看過なるべきであると主張されるのが常であつて、「わが國は大和の國である、」等といふ空疎極りなき擬裝的言説さへ叫ばれる事もあるが、これは世界の現状と、歴史の本質と、現在日本の世界的地位とを知らぬ低能者流の寝言であるか、或は事變中又は事變後の或る時期を待ち設けて策動せんとする人民戰線残黨の仕事であるに過ぎない。世界がイデオロギー的に分裂してゐるのに照應して、悠久幾千年の光輝ある歴史を有する皇國日本もまた今やその内部に同じイデオロギー的對立を藏してゐるのである。從つて現在の世界に於てボルシェヴィズムを尖端とする自由主義が全くの「反動」であるのに照應して、皇國日本に於てもその系統に属する思想の信奉者はいつも反動化してゐる。勿論吾々は、皇國の将來に關してはいささかの不安も感じないものであるが、しかしこれらの反動主義を放置することは、所謂自由主義的「文化」主義者・・現代の所謂映画に「文化」ありとする程度の・・の場合であらうと、赤化主義的「科學」主義者・・十九世紀的唯物論に「科學」ありとする程度の・・の場合であらうと、彼等の持つ猶太戰線性のために幾多の犠牲を生ずることを憂えざるを得ないので、それらの犠牲を最小限に止めるために適切な英斷的處置を切に期待する者である。犠牲は既に救出し難く泥沼の深みに陥没してゐる彼等のみで充分であつて、幾多の若人をその道連として泥沼に陥没せしめる必要はないのである。殊に興味深く且つ残念なのは、特に満洲事變以後日本インテリの祖國戰線より猶太戰線への落伍の状況であつて、その事變以來の内の一事件毎に彼等は・・所謂「日本主義者」の場合もまた例外ではない・・落第して行つたのである。そしてその最後の大試練が現在の日支事變であつて、辛うじて今まで及第して來た者の中にも、「二十世紀入學試験」とも言ふべき今度の事變に際しては、遂に落第の憂目を見た者が可成り數へられるのである。此度の歐洲戰争がこの事情を促進しつつあることは言ふ迄もない。然も彼等は、世の落第生に共通の僻みと嫉妬と陰険さとをもつて、所謂文化主義と科學主義との華やかなりし昔を偲ぶといふ程度の許さるべき回顧のみに満足することが出來ず、國民精神總動員下の問題に乗じては、皇國をその本來の姿に還さうと身命を賭して努力しつつある精英に對して、彼等が精英であり、また日本的であり、行爲的であるとの理由からのみして、事毎にその毒息をふきかけようとしてゐる。そして國際的に見てデモクラシーとボルシェヴィズムとが「お手々つないで」を實習して教へてゐる範例に從つて、ここ國内に於ても、赤色と桃色とはお手々をつないで、猶太戰線に躍り躍らされてゐるのである。
この猶太戰線の志願戰士と猶太問題との關係は如何であるかといふのに、この點に於ても事情は世界の大勢と合致してゐる。即ち、かの所謂桃色文化主義者連はしばしはその怠惰のために、そしてまた多くの場合には彼等の十九世紀的思想のために、換言すれば、その合理主義・個體主義・唯物主義・相對主義のために、本來猶太的傾向を帯びてしまってゐるので、たとひ日常生活の各瞬間に猶太問題を想起せしめるやうな事件が續發しても、それには気がつかないのである。そして時たま気のつく者があるとしても、それの批判が直ちに自巳の存在の根本への批判となることを感ずるので、時にヘ本能的に、時には意識的に、かかる問題を取りあげる事の非人道的であることを主張する。そして「自由・平等・博愛」といふ如き惡平等思想に基づくヒューマニズムが生きた世界には存在しないことさへ知らないのである。この二種の桃色主義者は、猶太が金力によつて思ふままに支配してゐる世界の通信網と言論機關とが黙殺し隠蔽するところのものはすべて一般に存在しないと思惟し、或はまた日本人以外の者乃至猶太人ならば、如何に少數者が多數を搾取しようと、虐待しようと、大量殺人をしようと、少しも人道に背反する所はない、と考へるのである。これは實に所謂「先進文明」を取入れるに急であつた明治時代の舶來上等イデオロギーの残滓にすぎないのであつて、横文字で説かれ、片仮名で書かれてあるものならば、ただもうそれだけで有難いのである。從つて彼等は、赤色派となるだけの勇気はないが、しかし人間性から見ても、歴史的に觀察しても、その創造者の意圖とその利用者の何人種であるかより見るも、決して「科學的」でも「進歩的」でもなく、單に猶太的であるにすぎないマルクス主義に對してさへも批判がなく、マルクスの理論は正しいが、現在の日本の政策と合致しないから自分はそれを取らない、といふ程度の羨むべき心境にあるのである。殊に顰蹙すべきは、プラトーン、カント、ヘーゲルに重大關心を示しながら、また或者は基督教の信者であると誇稱しながら、拝物宗の批判さへ不可能な者の場合である。然しこの種の哲學の徒や基督の徒に取つては、哲學することは單なる頭の遊戯であり、基督教徒たることは、自分が高等民族に仲間入りした事を誇示するためであるに過ぎないのであるから、十九世紀的地盤上に最後の流行として榮えたものに對する批判に及び得ないのは當然である。實に彼等は、カントの「タルムード」的解釋を哲學として尊敬したり、舊約聖書と新約聖書との差を認識し得ぬ程度の盲目人種に過ぎない。從つて彼等は、一方に於てはイデアを現實に生かす道を知らず、猶太民族神としてのエホバと唯一最高神との區別にも思ひ到らぬのである。然しこの人種の特質は、自己の利益に關係のない事には極めて冷淡であつて、國家の安泰の如きは屡々交際上の話の種としての價値さへもないのである。然し事一度自己の利益に關する時には、國を売るだけの勇気はないとしても、友を売り師に背いて何等の良心の苦痛を感ぜず、例外なくエゴツェントリストとなるのである。なほ猶太問題を否定する者のうちには、この問題の研究の結果が餘りに整然たるの故に信じ得ずとなす者がある。もし此の論者の主張が、現實は深くして單なる合理主義にては解釋し得ない、といふのであれば尊敬すべき識見であるが、しかしこの拒否も多くの場合は拒否のための口實に過ぎないのであつて、彼等の多くは、自由主義には「自由」があるとか、マルクス神話には「理論」があるとか言つて随喜の涙を流す程度の者であるのである。所謂「物のわかる」「頭のよい」彼等に取つては、意識乃至無意識猶太戰線の一兵士として、その戰線と自己の地盤を搖がすものは「括弧に入れ」て「判斷中止」をするのが得意の手であるのである。
國際場裏のボルシェヴィズムに照應する國内の志願猶太戰線が猶太問題に對してボルシェヴィズム的態度で反應することは、今更説明の要はないであらう。否、この志願兵の群は更に百尺竿頭を進めて、これこそ正眞正銘の「タルムード理論」を以て巧みに僞裝的轉向をし、積極的に金儲けに從事するのである。勿論事變下に於ては昔日の如き儲けはないであらうが、然し彼等は僞裝の點に於てもまた猶太の先師に學ぶことを忘れず、今なほ相變らず相當の金儲けに從事してゐる如く見受けられる。而してボルシェヴィズムとデモクラシーの馴れ合いの模範は、その縮圖としてこの場合にも繰返されてゐることは言ふ迄もない事であつて、桃色主義者が一歩前進し、赤色主義者が一歩後退した現代に於ては、舞台を世界に取らうと、或一國に取らうと両者の間には既に本來の同一性が實證されてゐる。
事變下の現在に於て日本的日本人の最も關心すべきことは、これらの憎むべきまた憐れむべき猶太的國籍喪失者がその無恥にして巧妙なる偽裝の下に暗躍して、直接又は間接に猶太の世界支配を助長するであらうことに對して、祖國日本の悠久の生命のために對策を講ずることである。(一六・五)

二、猶太魂の本質


猶太問題研究上の困難

お集りの皆様には既に充分お分りの事と存じますが、ユダヤ問題の研究といふことはいろいろな不便を伴つてをります上に、時とすると一部インテリ層の間では誤解を受け易いのであります。ユダヤが自由主義やマルクス主義を利用して久しく煙幕を張つて來てゐますので、この問題の存在することさへ分らない程にお目出度い人が所謂インテリの中には相當あるやうに見受けられるからであります。既に幾度もユダヤ禍のために悩まされた歐米では、一般の人々は、復讐を恐れて口には出しませんでも、この問題の存在や意味位は常識として知つてをりますが、日本は幸か不幸か無經験のために上述のやうな状態にをるのでありますが、さうした無準備のままで現在の非常時局に突入してしまつたのであります。それで今迄はそれでよかつたとしましても、今後はこの世界の舞台裏の祕密力にまで眼を及ぼして、皇國悠久の將來の爲の計を立てねばならないのであります。それに今なほ、ユダヤ問題を研究して批判を加へるのは少數民族の排撃である、などといふ感傷的なユダヤの宣傳が鵜呑みにされてゐることがありますが、一度冷静な批評眼を備へてユダヤ四千年の歴史を見るならば、こんなユダヤの常套的な宣傳にのせられる筈はないのであります。現代のやうな急激に進展して行く時代には、インテリといふものは「本」が讀めるために反つて時代に遅れるといふ皮肉な現象が屡々起るのでありますが、ユダヤ問題の場合はその最もよい例なのであります。
少數民族排撃云々の問題から眼を轉じて、ユダヤ人のゲットー生活の問題を取り上げましても、在來は猶太人の宣傳の結果、ユダヤ人がゲットー内に隔離生活を送らされて來たのは他民族に強要された結果である、といふやうに考へられ勝ちでありました。しかしこれは事實とは大きな差異でありまして、少數の例外の場合を除きましては、かの隔離生活はユダヤ人がみづから選んだ生活形式でありまして、所謂「國家中の國家」を形成するための一方策だつたのであります。そしてその内部に於てユダヤ人特有の陰謀を他人に監視される心配なしに企てて來たのであります。それを「頭の惡い」非ユダヤ人を欺くのに自己に好都合な解釋を加へて宣傳して來ましたので、とかく眞相が隠され勝ちで今まで來てゐるのであります。
以上僅か二つの著しい例を擧げただけでも判明致しますやうに、非ユダヤ人といふものは全體として正直者でありますから、なかなかユダヤの謀略を見抜くことはむつかしいのであります。しかし正直さといふものは、それに伴ふ正來なる批判力のないとき、所謂馬鹿正直となつてしまふのであります。時として世間には、ユダヤ問題の如き世界の裏面の研究をしてゐる時には、萬事に物の裏を想ふ暗い習慣に陥るのではないか、といふ人もあるやうですが、これは大抵の場合ユダヤ系自由主義に染つた人の言葉でありまして、正直にユダヤ問題の研究を拒否するといふ勇気の缺如してゐる結果として、かやうな尤らしい遁辭を設けるのであります。眞の叡智は善も惡も解する能力を與へた良識に立脚するものでなくてはなりません。殊に今や我々の身邊には、一寸油斷をすると家庭の内部にまでユダヤの魔手がなほあらゆる形でのびて來てゐるのでありますから、この度の世界皇化による新秩序の樹立のためには、甘い感傷主義を捨てて何處までも毅然とした態度で進まなくてはならないのであります。
猶太魂探求の法

そこで私が本日ここで多少皆様に申上げて見たいと思ひますのは、例へば上述の二つの問題の如きでさへもかほど巧みに眞相を隠すことに成功して來たユダヤ人の「頭のよさ」の基く所が何處にあるか、といふ點に就いてであります。世界ではよくユダヤ人のメシア思想と申しますが、私の本日お話し致したいのは、そのメシヤ思想の拠つて立つ根本の地盤といふものに就いてであります。それを私は本日の演題の「ユダヤ魂の本質」と稱してゐるのであります。所で問題は、それを研究するのには如何なる道を取るべきかといふ事になつて参りますが、これには幾つもの道があるのでありまして、富士に登る道が幾つもあるのと同様に、「ユダヤ魂の本質」を明らかにする道も幾つもあるのであります。先程も論及致しましたやうに、ユダヤの歴史四千年の推移を研究することもその一つでありますし、特に現代に於けるユダヤ人の暗躍振りを跡づけるのもまたその一つであります。しかしこの二つの道ながらにそれ相當の困難が伴つてゐるのでありまして、第一の道の如きは、現在では所謂樞軸國には相當の信頼すべき文獻が存在してをりますが、それ以外では材料の入手が困難なのであります。殊にデモクラシーと稱する金權支配の米英や、プロレタリヤを利用してユダヤの天下を招致しようといふ赤色帝國主義の國に於ては、ユダヤ人に關する研究はユダヤ人そのものの允可を經ないものは公刊の機會が殆どありませんし、たとひ、勇気を振つて公刊しても、決して店頭に取次いでは貰へないのであります。これはヒットラー及びムソリーニ以前の獨逸に於ても事情は同じでありますし、佛蘭西に於てはペダン政府以後も相當程度の舊態を殘してゐるやうであります。從つてわが國に於ては、ユダヤの歴史を見るといひましても書物に依る外はないにも拘らず、その書物がかういふ制限を受けてゐるのですから、この道に依る研究が容易でないことが、お分り願へたかと存じます。次に現在の世界に於けるユダヤの暗躍振りを見るやり方でありますが、樞軸以外の世界の通信機關の殆ど全部を支配してをりますユダヤのことでありますから、なかなか容易にはその正體を見せることはないのであります。
それでこれ等の道によつては研究不可能かと言ひますのに、盟邦獨伊の識者の研究に依ることも出來ますので、現在では割合に容易なのでありますが、しかし獨伊のものも、それが國家的な支持を得て公然と研究し得るやうになつたのは、僅か數年以來のことでありますので、まだ研究が完備してゐるとは申されないのであります。また獨伊には獨伊としての立場もありますので、我々にはその研究を全部そのまま受け容れることの出來ないことのあるのは言ふ迄もありません。
しかし獨伊の研究に教へを受ける場合にしましても、また直接に現在の世界の動きから研究するに致しましても、研究が或點まて達しますと、案外容易に事の眞相が明瞭に把握される時期がやつて參るのであります。之はおそらく誰にも經験のあることと存じますが、或一事に相當に通じますと、それから先は道が容易に開けて來るのであります。例へば上述しましたやうな事情下にある外國電報の如きも、少し許り慣れて參りますと、その出所を知ることによつて直ちにその含有する眞僞性の程度が直感されるやうになるのであります。さうしてこの程度に到達致しますと、獨伊側の研究ではなく、英米側のユダヤ系の宣傳的著作にしましても、その眞僞の割合が正確に把握されるやうになるのであります。そしてここまで到達しないではユダヤ問題は分らないのてありますが、本日私が多少申上げ度いと存じますのは、この點にまで到達するのに役立つ一つの捷径に關してであります。
猶太教とその經典

よく世間では、ユダヤ人は宗教的な民族だと言ひますが、それは全くその通りでございまして、たとへばかの「聖書」の如きがその民族の産んだものであることからも、このことは肯定されるのであります。御存じの通りユダヤ人には國家もなく、定住する國土もないのであります。しかもそのユダヤ人が現在の世界に見られるやうに見事な統一を持つて動いてをりますのは、祕密の指導者の有無は問題外と致しまして、その宗教的訓練の結果なのであります。從つてユダヤ人の場合の宗教は、我々が日常考へて居ります宗教とは異つたものでありまして、それは宗教であると同時に、政治でもあれば、經濟でもあり、法律でもあれば、教育でもあるのであります。之を換言致しますと、ユダヤ人は祭政一致の民族であるとも言ひ得るのであります。そして、この點では上に萬世一系の天皇陛下を奉戴し、いまだ甞て敵に汚されたことのない國土に國家を形成して來てゐるのでありますから、實質的には文字通り天地霄壤の差があるのであります。
この點の差異に就きましては後にまた触れることに致したいと存じますが、とにかく宗教がユダヤ人の生活に如何に大なる意義を持つかは以上でもお分り願へたことと存じます。然もユダヤ教の拠って立つ所は所謂聖書中の舊約聖書であり、また「タルムード」でありますので、私は「ユダヤ魂の本質」を知る捷径は第一にこれらのユダヤ聖典を研究することであると申し上げたいのであります。或著名のユダヤ人は「我々に祖國はないが、ユダヤ聖典こそはその祖國なのであつて、この祖國のある限り我々は亡びることはない」と申してをりますが、ユダヤ人にとつてかく國家と國土との二役を引き受けてゐるユダヤ聖典こそは、我々が、ユダヤを知るために第一に考慮すべきものであらうと思ひます。從つて、本日はユダヤ聖典を中心としてお話し致したいと存じますが、それが舊約聖書と「タルムード」とであることは既に申上げました通りであります。然し舊約聖書と申しましても大部のものでありますので、特にユダヤ人が「トーラ」の名の下に尊崇してをります舊約聖書の初めの五巻を中心として本日はお話し致し度いのであります。
ユダヤ人がこの「トーラ」を尊崇致しますことは非常なものでありまして、「神さへもトーラを研究し給ふ」とさへ言ひ、神そのものよりも「トーラ」を重視致してゐる位なのであります。同じことは今一つのユダヤ聖典「タルムード」に關しても言はれてゐるのでありまして、「神もまた夜間にはタルムードを研究し給ふ」と「タルムード」そのものに記されてをります。ではこの「タルムード」とは何であるかと申しますと、これは先程申上げましたトーラに對する「解釋」の集成をその重要部分としてゐるのであります。その成立は大體西暦五、六世紀の頃といふことになつてをり、既にユダヤ人が特殊の意圖を有してその編纂に當つてゐることが歴然としてゐるのであります。序に茲でかの舊約聖書の成立に就いても一言してをきますならば、それも矢張同じ頃だといふ説がこの頃大分唱へられてをります。從つてこの舊約もまたユダヤ人が或特殊の意圖を以て編纂したものであり、特に「トーラ」の第一巻の始めにある宇宙創造の話は印度からの借物なのださうであります。
ここで話をまた「タルムード」に歸しますか、ユダヤ教の聖典の一つであり、極めて屡々「トーラ」そのものよりも重視せられるこの聖典が上述の如く「解釋」をその本領と致してをりますことは、ユダヤ教の本質を見ようとする者に取つては、極めて重大なことでありまして、獨逸などでよくユダヤ人には獨創はなく、その長所は單に解釋の能力のみであると言はれるのは、恐らくこの點を根拠とした説であらうと思はれます。ユダヤ文化の根源ともいふべき舊約の始めの宇宙創造の話が借物であることをも入れて考へて見ますと、ユダヤ人無獨創説は相當の根拠を有するものと言はねばなりません。しかし事一度「解釋」の領域になりますと、ユダヤ人の獨壇場でありまして、近頃の解釋學的哲學・現象學・形式社會學・純粋法學、その他文學・芸術・音楽の解釋より、相對性理論に至るまで、その精神に貫かれてをらないものは皆無であると言つても過言ではないのであります。この事を別の言葉で申しますと、ユダヤ人は天才的に「嘘がうまい」といふことになるのであります。この事情は、「タルムード」そのものに、「彼はモーゼに律法を與へ給ふたが、それは、同一の事柄をそれぞれ四十九種のやり方で不潔とも清潔とも證明することを許すだけの餘裕のあるものとなつてゐる」とあるのでも充分窺われるのであります。この言葉に就いては後にもう一度論及致したいと思つてをります。
話が多少わき道へそれましたが、ここで我々は、世上往々ユダヤに頼まれたかの如くに次のやうな疑問乃至反對をする人がありますので、さうした疑問や反對は、ユダヤ人の豊富な報酬を當てにする者以外は慎むべきことである、と言つておき度いと存じます。即ち、「トーラ」にせよ、「タルムード」にせよ、何れも、少なくとも千幾百年以前の著作物であるから、近代文化の恩澤に浴してゐるユダヤ人がそんなものを文字通りに信仰してゐる筈はないといふのが、その疑問乃至反對であります。しかしこれはユダヤ魂の本質に盲目であることの證拠である許りでなく、日本の哲學界でも一時は非常に有名でありましたドイツのマルブルグ派のユダヤ哲學者コーエンその人によつて反駁されてゐるのであります。即ち彼は、千八百八十八年に裁判所の宣誓に於て、「タルムードに含まれてゐる信仰並びに慣習に關する諸規則は、ユダヤ人に對して拘束力を有するものである、それらは律法と認められてゐる、」と言つてゐるのであります。勿論ユダヤ人は二千萬近く居るのでありますから、その中には種々の傾向の者も居りますので、所謂モダーンなユダヤ人の中には、「同化ユダヤ人」と稱せられて、ユダヤの慣習を捨てて近代化した者も居るのであります。しかしこの場合の大部分はさう僞裝するのでありまして、ここでもユダヤ人の「頭のよさ」を見なくてはなりません。時として本人自身さう眞面目に信じてをりましても、なほ本能的にはユダヤ根性がいざといふ場合には出て來るのであります。同一事を四十九種にも黒白といひくるめる術を幾千年間修業して來てゐるのでありますから、嘘のうまさ乃至僞裝の巧みさが文字通りに超天才的であることは、前にも申上げた通りなのであります。從つて口先で「タルムード」を否定するユダヤ人こそ反つて生粋のユダヤ魂を持つてゐるのかも知れないのであります。實に「タルムード」とはかやうな精神から生まれ、かやうに精神を育てて來たのてあります。 なほユダヤ魂の本質の研究には、皆様御承知の「シュルハン・アルフ」や「シオンの議定書」などもありますが、本日はこれらには論及する暇はないのであります。前者に就いては、之もまた「タルムード」のやうな解釋の書であること、後者に就いては、それの眞僞はその内面的眞實性を重んずる非唯物論的立場にまで高昇し得る者のみが判斷し得るものである、といふことだけを述べさせていただくにとどめたいと思ひます。
猶太の民族神エホバ

前置が餘り長くなつて參りましたので、この邊で本論へ進む事に致します。さてドイツの詩人ゲーテは、或人が如何なる人であるかはその人の神観を見れば分る、と申してをりますが、私もその意味に於て先づユダヤ人の神観を明らかにし、これによつてユダヤ魂の本質の一斑を把握してみたいと思ふのであります。勿論かう言ひましても、唯物論者等の申しますやうに神の存在を否定するのではないのでありまして、實在する至高の神を如何に感受するかは感受する人間如何によつて異る、といふ意味なのであります。例へば我々日本人の祖先のやうにその神を先づ天御中主神の如くに感受するか、或はユダヤ人の如くにヤーヴェ(エホバ)の如き神として感受するかは、その民族の民族性如何によつて定まるといふのであります。
ではユダヤの神ヤーヴェとは如何なるものでありませうか。然し我々はこの問題に答へる前に、舊約聖書にはヤーヴェの外に、その最初の創世記の巻には別の神があつて、この神が宇宙の創造をする、といふことになつてゐる事を想起したいのでありますが、しかしこの神に關しましては、この創世記が印度方面よりの借物であるといふ説もありますので、我々も今日は直ちにヤーヴェをユダヤの神として論じても差支へなからうと信ずるのであります。
ではヤーヴェとは、通俗的に言ひましてエホバとは、如何なる神でありませうか。これを歴史的に見ますと、ヤーヴェと申しますのはユダヤ人が移住して參りましたカナーン地方の土俗神であつたといふことであります。しかし我々は今日はユダヤ聖典によつてその神観を明らかにしようとしてゐるのでありますから、このやうな意味でのヤーヴェに就いては語ることを避けたいと思うのであります。それから既に前に申しましたやうに、ユダヤ聖典「タルムード」に依れば、神は「トーラ」のみならず、「タルムード」そのものをも研究し給ふといふのでありますが、かやうな属性を持つヤーヴェに就いても今日は語ることを避けたいのであります。とにかくヤーヴェなるユダヤの神は、舊約又は「タルムード」を中心にして見ましても種々の属性を持つてゐるのでありますが、本日はそれらの諸属性を一貫して流れてゐるもの、或はヤーヴェの根本特質とでもいふもののみを研究して見たいと思ふのであります。
今申しましたやうな立場から観察致しますと、舊約全書に見られるヤーヴェといふものはユダヤ人だけの民族神であつて、ユダヤ人のみを偏愛する神であることが明瞭なのであります。例へば創世記の二六には、「我汝の子孫を増して天の星の如くなし、汝の子孫には之等の國を與へん。汝の子孫によりて天下の國民皆福祉を得べし、」とありますし、申命記の二には、「汝の神エホバ地の面の諸の民の中より汝を擇びて己の寶の民となし給へり、」と書かれてをりますし、所謂「トーラ」以外の部分にも例へばレビ記の二〇には、「我は汝等の神エホバにして、汝等を他の民より區別せり、」と記されてゐるのであります。世間でよく言はれるユダヤの選民思想はこれらの言葉を根拠とするものなのでありますが、とにかく以上の引用文から見て明らかなことは、エホバが決して宇宙神ではなく、世界創造の神でもなくて、ユダヤ人を偏愛する民族神に過ぎないといふことであります。
それでこの民族神がユダヤ人を愛するのは當然でありまして、この民族神が民族神として活動するだけで、その本性の埒を出て宇宙神だの世界の創造神だのと僭越なことを言はなければ、我々としても何等の異議はないのであります。たとひ民族に對する愛が偏愛の程度に達してゐる時でも、我々としては辛抱出來るのであります。ところがこの神が、自分こそ世界の唯一の支配者であるとか、唯一神であるとか言つて、自己の相對的な地位を忘れて絶對位を僭稱するやうになりますと、其處に問題が生じて來るのであります。殊にヤーヴェとユダヤ人との關係を一層詳しく調べ、ヤーヴェがユダヤ人に約束することを検討し、就中その命令乃至約束の成就のために奨める所の手段方法にまで眼を及ぼしますと、果してこのヤーヴェは民族神程度としても神の名に値する存在であるか否かさへ、怪しくなつて來るのであります。結論から先に申しますならば、ヤーヴェなるものは如何なる意味に於ても決して神の名に値しないものであり、強ひて名を求めるならば、西洋人の言ふ惡魔か、我々日本人の考へます狐狸の怨霊の類であると考へられるのであります。勿論、舊約又は「タルムード」は大部のものでありますから、ヤーヴェには別な特性もあるのでありますが、しかし他に如何に偉れた属性があつても、以下に紹介しますやうな特性もまた存在してゐます以上は、矢張ヤーヴェは如何にしても餘り高貴の神ではないのであります。
エホバと猶太民族との關係

ではまづヤーヴェの民族神としての性格を明らかにするための第一の問題としまして、この神とユダヤ人との關係そのものを見ることに致しませう。そこで先づ考慮したいのは申命記の二八であります。
「汝もし汝の神エホバの言に從ひ、わが今日汝等に命ずるその一切の誡命を守りて行はば、汝の神エホバ汝をして他の諸々の國人の上に立たしめ給ふべし。汝もし汝の神エホバの言に從ふ時は、この諸の福祉汝に臨み汝に及ばん。……汝は入るにも福祉を得、出るにも福祉を得ん。汝の敵起ちて汝を攻むるあらば、エホバ汝をして之を打破らしめ給ふべし。彼等は一条の路より攻め來り、汝の前にて七条の路より逃げ去らん。……汝もし汝の神エホバの誡命を守りてその道に歩まば、エホバ汝に誓ひし如く汝を立てて己の聖民になし給ふべし。然る時は他の民みな汝がエホバの名もて稱へらるるを見て汝を畏れん。エホバが汝に與へんと汝の先祖等に誓ひ賜ひし地に於てエホバその寶の蔵なる天を啓き、雨をその時に從ひて汝の地に降し、汝の手の諸々の行爲に祝福を賜はん。汝は許多の國々の民に貸すことをなすに至らん。借りることなかるべし。エホバ汝をして首とならしめ給はん、尾とならしめ給はじ。汝は只上に居らん。下には居らじ。汝もしわが今日汝に命ずる汝の神エホバの誡命に從ひて之を守り行かば、かならずかくの如くなるべし。」
ヤーヴェとユダヤ人との關係がいま擧げたやうなものだけでありますれば、ヤーヴェが民族神であることから見て、これ位の偏愛や約束は當然のこととも考へられるでありませう。ただ今引用しました中には、「エホバ汝に誓ひし如く」とか「汝等の先祖等に誓ひ賜ひし」などといふ點に、ヤーヴェとユダヤ人との間柄が、眞に民族を愛する民族神とその民との間の關係と見るにしては餘りにも商賣的な契約の感を抱かせる點がありますし、また「汝は許多の國々の民に貸す」といふ言葉がユダヤ人の四千年の歴史を暗示してゐるやうな點もありますし、またもう一つ「汝をして首とならしめ」とか、「汝は只上に居らん」とかいふ言葉でユダヤの世界支配慾を表示してゐるやうな點もありますが、これ等の點に就ては後にもう一度触れることに致しまして、ここではただ、以上だけがヤーヴェとユダヤ人の關係でありますならば、先にも舊約より引用しました際に申しましたやうに、我々他民族も大體に於て異議なく、從つて民族神とその民との關係としてもさう不思議ではないのであります。しかし事情は、今の引用の続きの部分を見ますと、大いに變つて來るのであります。
「汝わが今日汝に命ずるこの言葉をはなれて、右又は左に曲りて、他の神々に仕ふることをすべからず。汝もし汝の神エホバの言に從はずして、わが今日汝に命ずるその一切の誡命と法度とを守り行はずば、此の諸々の呪詛汝に臨み、汝に及ぶべし。汝は邑の内にても詛われ、川野にても詛われん。……汝は入るにも詛われ、出るにも詛われん。エホバ汝をしてその凡ての手をもて爲す所に於て呪詛と恐懼と譴責とを蒙らしめ給ふべければ、汝は滅びて、速かにうせはてん。こは汝惡しき事を行ひて、我を棄つるによりてなり。……汝はエホバの汝を遣はし給ふ國々の人の怪しむ者となり、諺となり、諷刺とならん。汝の中にある他國の人々はますます高くなり行きて、汝の上に出で、汝はますます卑くなり行かん。彼は汝に貸す事をし、汝は彼に貸すことを得じ。彼は首となり、汝は尾とならん。この諸の災禍汝に臨み、汝を追ひ汝に及びて、遂に汝を亡さん。……汝萬の物の豊饒なる中にて心に歓び楽しみて汝の神エホバに仕へざるに因り、汝は飢ゑ渇き、かつ裸になり、萬の物に乏しくて、エホバの汝に攻め來らしめ給ふところの敵に仕ふるに至らん。……エホバ先に汝等を美しくし、汝等を多くすることを喜びし如く、今はエホバ汝等を滅し絶すことを喜び給はん。……エホバ地のこの極よりかの極まで汝等を散し給はん。……」
今引用致しましたのは原文の全部ではないのでありまして、殊に後の威嚇と呪詛の部分は前の部分の約五倍に上つてをり、いま紹介致した程度の内容ではなく、實に最大級最上級の威嚇の呪詛の連續なのであります。即ちもしユダヤ人がヤーヴェの命に叛く時には、凡ゆる不幸と災厄がその身に及び、遂には滅亡し果てるといふのであります。それでこの後の部分に見られるヤーヴェとユダヤ人との關係は、慈愛の深い民族の守護神とその民との關係と見るのには餘りにも峻厳なのであります。深く大きい愛は、迷へる子供をも時至れば許すだけの度量のあるものと思はれますが、ヤーヴェにはその大度はなく、舊約の他の諸部分にも見られるやうに、この神は民族神としても偏愛の神であると共に殘忍性そのものの具體化のやうな神であります。しかしユダヤの四千年の歴史の事實を知つてをります者には、ヤーヴェのこの呪詛と威嚇とはユダヤ人の運命に相當に實現されてゐるやうに見れるのであります。勿論まだ滅亡とまでは行つてはをりませんが、その點を除けば、引用文の示す限りに於ては大部分實現してゐるとさへ見えるのであります。そしてこのヤーヴェの呪詛と威嚇との中に、ユダヤの四千年の歴史を通してずつと流れてゐながらも、他の民族には容易に理解の出來ないユダヤ人の二重人格性の發生の地盤があるのではないかと思はれるのであります。そのユダヤ人の二重人格性とは、別の言葉で言へば、前に言ひました「頭がよい」とか「嘘がうまい」とか言ふこともその中に含まれて來るのであります。之をまた別の方面から言ひますと、ユダヤ人が幾千年間常に二重の標準を以て萬事を處理し、萬事に處して來てゐるのも、その心理的な根拠はここにあるのであります。即ちかのメシヤ思想に基く誇大妄想のユダヤ人自身すらも、自己の四千年の歴史を回顧する時、それが決してヤーヴェの呪詛と威嚇とを全く免れ得るだけのものでないことを承認せざるを得ないので、ここにユダヤ人は神命としての滅亡から自己を救ふためには、手段を選ぶことなく、何等かの間道を求めなくてはならないのであります。然も精神的には眞の獨創がなく、また筋肉労働を神罰の一種として軽蔑し回避する慣習のあるユダヤ人は、かの二重の標準を用ひて、かの「嘘」と「頭のよさ」とを以て、神意としての滅亡から自己を救ひたいと思うやうになつたのであります。それ故にユダヤ人のあらゆる行動には、自由意志に基くといふよりは、一種の憑かれた人とでも言ふべき所が見られるのでありまして、ユダヤ人が世界周知の金儲けその他の場合に普通の人間には理解の出來ないやうな事を平気でやつてのけますのも、この心理状態に基くのであると思はれます。つまりユダヤ人に取つては、普通の人間から見て極惡非道と見えることも、神命としての滅亡から自己を救ふために役立つものは正しいのであり、また神命として彼等に課せられてゐるものとも感ぜられるのであります。
猶太民族の神観

以上述べましたことが理解されますと、「タルムード」の中にあるユダヤ人の神観もまたよく理解されるのであります。そして先づ第一に注目に値するのは、次の言葉であります。
「神ユダヤ人に言ふ、汝等我を世界の唯一の支配者となせり。されば我も汝等を世界の唯一の市配者となさん。」
これは前に舊約より引用致しましたもののうちに幾つか見られたのと同一の種類のものでありまして、ヤーヴェがユダヤ人に世界支配を約束する言葉なのであります。然もその約束をするだけならば、前にも幾度か申しましたやうに、民族の守護神の場合としては別に不都合ではないのでありますが、今度の場合の約束に於ては、神とユダヤ人との關係が相互的又は對等的であり、換言すれば、前の場合に商賣的契約の感があると言つておきましたものが一層判然と現はれてゐる所に問題が生じて來るのであります。即ちヤーヴェとしては、自分は元來は一地方の土族神であるか、或は精々民族神であるのに過ぎないのであるが、その自分をユダヤ人がその「頭のよさ」によつて宇宙神又は創造神に祭り上げて呉れたのであるから、自分の方でもユダヤ人を世界の支配者にしてやらう、と言つてゐるのであります。一言で言ひますと、ユダヤ人とヤーヴェとの關係は一種の取引なのでありまして、我々が考へる如き民族神と民族との關係ではなく、況んや宇宙創造の神と人間との關係ではないのであります。そして前にも述べましたやうな低級な狐狸の怨霊とも言ふべきものが世界の唯一神と思ひ上り、また幾千年の間は、今更繰返して申し上げる必要はないと思はれますので、ここでは直ちに次へと論を進めたいと思ふのであります。
ところがヤーヴェとユダヤとの關係は、單に上述の如き側面に止まるのではないのでありまして、ユダヤ魂の本質を知り、その四千年の「嘘」の歴史を解するためには、今擧げましたものと同様にタルムードの中にある次のやうは言葉の表明するヤーヴェとユダヤ人との關係も非常に重要なものになつて來るのであります。
「神を畏敬する場合にも狡猾でなくてはならぬ。」それからまた、「あつかましくやれば、神も我々の意に從ふ、」といふのもあるのであります。その歴史が始まると共に「嘘」に生きたとも言ふべきユダヤ人は、かやうに神に對してすらも非ユダヤ人のやうに純眞な歸依の心を有するのではなくて、神に對してさへも背負投げの隙はないかとねらつてゐるのであります。そしてこれは、ユダヤ人の神ヤーヴェが脅迫の神であり、威嚇の神であることを想起致します時に、なかなか興味深いユダヤ魂の一面なのであります。即ちユダヤの歴史の證しますやうに、ユダヤの取つた道は決して常にヤーヴェの命ずる所に叶つたとは言ひ難く、むしろ神命に叛いた結果として現在のユダヤの運命が生れて來てゐるとさへも言ひ得るのでありますから、ユダヤ人としては神の威嚇した滅亡を免れるためには、一面に於てあらゆる術策と嘘とを用ひて神命としての世界支配の完成に進まうと努力すると同時に、他方に於てはヤーヴェそのものに對しても身を守らねばならないのであります。この後の方面の必要が前述のやうに神をもペテンにかけようといふ態度となつて發現してゐるのではないかと考へられるのであります。それでユダヤ魂のこの二面は、ただ外見的に矛盾してゐるだけで、内面的には決して矛盾してはゐないのであります。ユダヤ人に於てはあらゆる事に外観的には矛盾する二面が常に存在してゐるのでありまして、このユダヤ魂の二重性乃至二面性が理解されないでは、ユダヤ人の言行は充分には理解されず、從つてその歴史も解釋出來ず、ひいてはユダヤ對策も講ぜられ得ないのであります。かの素朴な先入主に基づく日猶同祖論とか、感傷的な人道主義に基づく似而非八絋一宇説のユダヤ抱擁論とかは、この點の認識不足から出て來る生半可なユタヤ研究家の陥り易い常套的な方向なのであります。
猶太人の陰謀性

ここで話を轉じまして、何故にヤーヴェがかやうにユダヤ人を威嚇し、脅迫するのであるかといふ問題に移つて考へますのに、之は既に引用致しました聖書、又はタルムードの句にありましたやうに、ユダヤ人をして世界の支配者たらしめようといふのであります。この點に關しましてタルムードからなほ二三引用致しますならば、「世界はただイスラエル人のためにのみ創造されたのである」とか、「ユダヤ人は何處へ行かうとも、その地の王とならねばならぬ」とか、「あらゆるイスラエル人は王者の子供である」とかいふのがあります。しかしこれだけならば、前にも繰返し申しました通りに、如何なる民族にも許さるべき自負心の表現と認めることが出來るのでありますが、問題はその次にあるのでありまして、この世界支配を「如何にして實現するか」といふ點が、重大な問題を含んで來るのであります。それで先づ舊約の方を見ますと、出埃及記の三四には、
「汝慎みて汝が往くところの國の民と契約を結ぶべからず。彼等汝等の中に住む時は、恐らく汝等の民となることあらん。汝等反つて彼等の祭壇を崩し、その偶像を毀ち、その聖柱をきりたふすべし。」とあります。この「契約を結ぶべからず」といふ點に就きましては、後にユダヤ人の人間観を述べまする際に一層明瞭になると考へますので今は論じないことに致しますか、その殘餘の部分は、他民族の宗教を破壊せよといふのでありまして、これはユダヤの世界支配の一方策たるマルクス主義の反宗教運動を想起すれは事情は明瞭となるでありませう。ユダヤ人は自分のユダヤ教に對しましては、前述のヤーヴェとの關係に見られます通りに、極端な信仰又は恐怖を抱いてゐるのですが、他民族からは宗教を奪つてしまひ、それによつて他民族を滅亡させようとするのであります。然もそれがヤーヴェの命令としてなされる點が特に注目に値するのでありますが、この點に就いては既に論じましたことで明らかであらうと思ひます。
次に申命記から引用致したいと思ひますが、その申命記は所謂トーラのうちでも最もユダヤ魂の本質を見るには大切なものでありまして、私の引用も一番多くなると思ひますが、その七には、
「汝は汝の神エホバの汝に付したまはんところの民をことごとく滅しつくすべし。彼等を憫み見るべからず。また彼等の神に事ふるべからず。その事汝の罠となればなり。……汝の神エホバ是等の國人をややに汝の前より逐ひはらひ給はん。汝は急速に彼等を滅しつくすべからず。恐らくは野の獣殖えて汝等に逼らん。汝の神エホバ彼等を汝に付し、大いにこれを惶れ慄かしめて、遂に之を滅し盡し、彼等の王を汝の手に付したまはん。汝彼等の名を天の下より削り去るべし。汝に抗することを得るものなくして、汝遂に彼等を滅しつくすに至らん。」
とあるのであります。またその二〇には、
「汝の神エホバこれを汝の手に付したまふに至らば、刃もてその中の男を盡く撃殺すべし。ただその婦女、子供、家畜及びすべてその邑の中にて汝が奪ひ獲たる物は、盡く己に取るべし。抑汝がその敵より奪ひ獲たる物は汝の神エホバの汝に賜ふものなれば、汝これもて楽しむべし。汝の離るること遠き邑々、即ち是等の國々に属せざる邑々には、すべてかくの如く行ふべし。但し汝の神エホバの汝に與へて産業となさしめ給ふ此の國々の邑に於ては、呼吸する者を一人も生かしおくべからず。」
と、書かれてゐるのであります。即ちヤーヴェはユダヤ人に他民族の殲減を命じてゐるのであります。而してその際に取るべき方策に就ても舊約中に於て、特に申命記に於て、詳細に教へてゐるのでありますが、この引用の部分のみを見ましても、他民族の宗教の破壊とその王者の除去を説いてゐるのであります。なほ實際的な方策としては、急速に他民族殲減をする時には、野の獣が殖えて汝に逼ることもあらうから、その野獣を亡ぼすためには非猶太人を利用せよとか、男は殺しても、婦女子家畜は享楽せよ、などといふやうな點にまで注意が及んでゐるのであります。今はこれ以上の例を擧げてゐる暇はないのでありますが、この種の言説は舊約中には極めて多いのでありまして、一言にして言へば、他民族、他國家、他宗教の殲減がユダヤの世界支配の前提となるのでありまして、この點では世界の各民族各國家をして各々その所を得しめる眞の八絋爲宇の精神とは百八十度、否、三百六十度の差異があり、一見類似するかの如くに見えたユダヤと日本との祭政一致の如きも、その本質を全く異にし、その存在の次元を全く別にしてゐることが判明するのであります。かやうに考へて參りますと、かかる信仰に幾千年を生きて來たユダヤ人に對しては、徹底的な膺懲の外に道のないこともお分りになると存じます。
猶太人の人間観

ここでまた話題を轉じまして、ユダヤ魂の本質を知るための第二の大問題であるユダヤ人の人間観を見る事にしたいと思ひます。然してこれが明瞭になると、前の神観がまた特別な明瞭さを加へると考へられますし、また前の神観からは當然次のやうな人間観の出て來る理由も明らかになつて來るのであります。
前にも申しましたやうに、ユダヤ人にはその二重性格に照應してあらゆる問題に關して二重の標準があるのでありますが、それがこの人間観に於ては特に明瞭に見られるのであります。即ち一口に人間観と言ひましても、ユダヤ人に於てはユダヤ人観と非ユダヤ人観とが根本的に異つてゐるのであります。ではユダヤ人はユダヤ人そのものをどう見て居るかと申しますと、タルムードには、「猶太人は何處へ行かうともその地の王とならねばならぬ」とか、「あらゆるイスラエル人は王者の子供である」とか言ふやうな、既に前にも引用致しましたものの外に、
「ユダヤ人のみが人間と呼ばれるのであつて、非ユダヤ人は動物と呼ばれる。」
「神より生れたものはユダヤ人のみであつて、ユダヤ人以外の民族は惡魔の子である。」
「人間が動物よりも高等であるやうに、ユダヤ人は人間よりも高等である。もしこの世にユダヤ人が居ないならば、如何なる幸福もなく、輝く太陽もなく、人類も到底生存することは出來ない。」
「聖書に隣人と書かれてある場合に、非ユダヤ人はその中に含まれてゐない。」
といふやうなのがあるのであります。これらの言葉に見られる非ユダヤ人観こそユダヤ人の非ユダヤ人に對するあらゆる言行の基礎になつてゐるのでありまして、前の神観と共にこの非ユダヤ人観が充分理解されない時には、ユダヤ人の他民族殲減の謀略の眞相は判明しないのであります。一言にして言へば、ユダヤ人から見れば非ユダヤ人は人間ではないのでありまして、ユダヤ人の非ユダヤ人に對する態度はすべて茲から出發してゐるのであります。そこで次はこの點に關して派生して來る諸問題を少し許り考察して見たいと思ふのであります。
先づ舊約聖書から材料を拾つて行くことに致しませう。既に前に引用しました部分に、「汝慎みて汝の往くところの民と契約を結ぶべがらず」とありましたが、また申命記には、「彼等と契約を結びて和することなく、また彼等を憫み見るべからず」とあるのであります。この契約を結ぶべからずといふ神命と冷酷たれといふ神命とは、ユダヤ人に於ては誠に徹底したものでありまして、契約を結ぶかに見え、また温情を示すかに見える場合は、何れも下心があつての場合と見做してもよいのであります。そしてこの場合にも忘れてはならないないことは、ユダヤ人が非ユダヤ人を「人間」視してゐないことであつて、この點からして、以上のやうな對非ユダヤ人態度もユダヤ人には何等良心の呵責を伴わない許りか、反つて神意に叶ふものとして宗教的意義を持つ敬虔な行事なのであります。即ちユダヤ人に取つては、「隣人」即ちユダヤ人同志の間には責任感はあり得るのですが、他民族に對しては我々が畜類に對する程度ほどの責任感もないやうであります。勿論ユダヤ人にも種々の型がありますので、程度の差異はあるかも知れないのでありますが、しかし注目すべきことは、上述のやうな點はその幾千年の宗教的信仰となつてをりますので、如何なる「善良な」ユダヤ人にも本能として存在してゐるのでありまして、平常はそんな傾向の毫もないやうな所謂開化ユダヤ人も、一旦自己の利害に關した事件等に際會しますと、その本能がむくむくと頭を擡げて來るやうであります。この點の充分の認識がないと、或程度まで悲境に陥つてゐる場合にはユダヤ人は得意の「頭のよさ」で正直な人をたぶらかしてしまふのであります。この點は餘程注意の要するのでありまして、相當程度にユダヤ問題を研究したとうぬぼれてゐる人でも、充分な思想的批判力がなかつたり、甘い感傷主義者であります場合には、屡々直接にユダヤ人に面接するやうになると丸められてしまふのであります。殊に八絋爲宇がどうのかうのとうまい所を突いて來るのて、いい気になつてユダヤ人のお先棒をかつがされる場合もあるので注意が要るのであります。この警告は決して無駄ではなく、外國許りでなく、その例が我々の身邊にさへ幾つもあるのであります。さうした人の場合はその眼を直視すればすぐ分るのでありまして、これはフリイ・メイスン祕密結社員を識別するのには「眼を見よ」と言はれてゐるのと一致するのであります。話が多少わき道へそれて來ましたので、ここでまた舊約からの引用に戻りたいと思ひますが、今後すべての引用も、上に述べました事を根本にして考へますならば、殆ど何の説明もなく理解が出來ると思はれるのであります。
「他の國人よりは汝利息を取るもよし、唯汝の兄弟よりは利息を取るべからず、」と申命記にはありますが、これを同じ申命記の次の部分と結合するとなかなか興味深いのであります。
「汝の神エホバ汝に與へんと誓ひたりし地に汝を導き入れ、汝が建てたるにあらざる大なる美しき品々を得させ、汝が盈せるに非ざる諸々の佳き物を盈せる家を得させ、汝が掘りたるに非ざる井戸を得させ、汝の植ゑたるに非ざる葡萄園、橄欖園を得させ給ふべし。汝は食ひて飽かん。」
序でにもう一つ引用致しますならば、イザヤ書には、
「海の富はうつりて汝につき、もろもろの國の財貨は汝に來るべし。……異邦人は汝の石垣を築き、彼等の王等は汝に事へん。……汝の門は常に開きて、夜も閉すことなし。そは人もろもろの國の財貨を汝に携え來り、その王等を率ゐらんがためなり。汝に事へざる國と民とは亡び、その國は全く荒れすたるべし。……汝を苦しめたる者の子等はかがみて汝に來り、汝をさげしめたる者はことごとく汝の足下に伏すべし。……汝前には捨てられ憎まれてその中を過る者なりしが、今はわれ汝をとこしへの華美、代々の歓喜となさん。汝またもろもろの國の乳をすひ、王たちの乳房をすはん。」
他民族の利用

このイザヤ書は、トーラに入つては居りませんが、申命記にも比肩すべきものでありまして、その中にはまだまだこの種の資料はあるのですが、引用はこれ位に致しませう。要するにユダヤ人は、自分では労働を避けて、他人をして働かしめ、その生産したものは無償で自己の手に収めるのを得意とするのでありますが、それがまた宗教的信仰に基づくことがこれらの引用から判明するのであります。例へば熱列なユダヤ教徒マルクスの案出しましたマルクス主義の如きも、その代表的なものの一つでありまして、あれはプロレタリヤなるものを利用して非ユダヤ人の資本をユダヤに捲きあげる仕掛になつてをるのであります。それからまた、これらの引用からして、ユダヤ人が何故に金儲けに巧みであり、特に高利貸とか仲買ひとかに堪能であるかといふことも説明なくして明瞭であると思ひます。ただこの際に一言しておきたいと思ひますのは、ユダヤ人の金錢慾の強いといふ點に就いてでありまして、之も成程事實には相違ないのでありますが、しかしこの搾取は、他民族殲減をその根本の目標としてゐるのでありますから、それに役立つと考へる場合には、百年一日の如く營々として貯へた金をも何の惜しげもなく相當程度に投げ出すこともあるのでありまして、これが分らないとまたユダヤ人の謀略にひつかかつてしまふのであります。ユダヤ人の行動の最高方針は神命としての世界支配と、何等假借する所のないその實行とであつて、手段は選ぶことは決してないのであります。
革命と戰爭

マルクス主義に論及しましたので、ここではそれに關係のある革命とか戰爭とかのことに就いても引用しておきたいと思ひます。昔から革命や戰爭でユダヤ人が裏面に於て策謀しなかつたのはなかつたとさへ言はれてをりますが、實際、程度と意味とは異なつてゐても、何れもユダヤ人の活躍があつたやうであります。しかもそれがまたヤーヴェの命としてユダヤ人に感ぜられてゐるのですから、その根柢の深さが窺はれると思ひます。
「エホバの剣をおさへて血を流さしめざる者は詛はる、」とはエレミヤ記にあるものですが、よく引用致しました申命記にも、「わが箭をおさへて血に酔はしめ、わが剣をして肉を喰はしめん、」とヤーヴェは言つてゐるのであります。
即ちユダヤ人に取つては、他民族を殺戮すればする程ヤーヴェの意に叶ふといふのでありますが、それが今迄述べました他民族動物視等の背景を持つてゐるのですから、如何なる凶惡なものであるべきかは容易に理解されるでありませう。
猶太人の掠奪

しかしユダヤ魂の本質は、タルムードに移りますと、これらの諸問題に關しましても一層明瞭に、赤裸々になつて來るのであります。
「非ユダヤ人を掠奪することは許されてゐる。何故ならば、聖書に『汝の隣人より奪ふべからず』とあるからである。」
舊約と合はせて考へますと、非ユダヤを掠奪することの許されてゐるのは、それが神命であるからなのですが、この引用で特に注目に値するのは、「聖書に汝の隣人より物を奪ふべからずとあるからである」といふ掠奪許容の理由であります。前にも言ひましたやうに、ユダヤ人に取つては非ユダヤ人は「人」ではなく、從つてまた「隣人」でもないのであります。從つて非ユダヤ人に對しては「人間」に對する義理とか責任は成立しないのであります。一般に舊約聖書なるものは、それの書かれた意圖通りに、換言すればそれをユダヤ教の經典としてその編纂者ユダヤの解釋に從つて讀む時には、世界にこれに匹敵する怪文書は皆無であると言つても差支へないと思はれるのであります。それを善良な非ユダヤ人はその中の毒をも薬とし、時としてはその無批判のために意識的無意識的に所謂「人爲的ユダヤ人」となることは、ルーデンドルフ將軍の指摘してゐる通りであります。 またタルムードには同じ問題に關して、「非ユダヤ人の財物は主人なき財物に等し。故にそれは最初に手に入れたる者の所有となる」と言ひ、「拾つたものを非ユダヤ人に返却するのは罪惡である」と言つて、非ユダヤ人には所有權を認めないのでありますが、これもかの世界支配を前提とし、非ユダヤ人を動物視するユダヤ人としては當然の態度でありませう。犬が金を所有するといふことが我々に理解できないのと同様に、ユダヤ人に取つては、非ユダヤ人が物を所有するといふことは理解が出來ない許りか、神命としてそれを掠奪せねばならないのであります。
「非ユダヤ人の財産を管理するのはユダヤ人の權利である。」
これも前と殆ど同一の信仰の表明でありますが、特に現代に於て興味深いのは、所謂デモクラシー金權諸國やボルシェヴィズム國に於て、これが種々の金融組織によつて實現されてゐるとこであります。

他民族の殺戮

所がこの言葉に續いて、「またユダヤ人は非ユダヤ人を殺戮する權利を有してゐる」と書かれてゐるのであります。序に同じやうなものをも二、三擧げますと、「邪教徒を自ら手を下して殺害することは許される」とか、「不信者の血を流す者は主に生贄を捧げるのと同じ値のあることをしたのてある」ともあるのであります。
これらの引用句の内容は、非ユダヤ人から見ると信ぜられない程に極惡無道のものでありますが、しかし今まで述べましたことが理解されますならば、恐らく何らの説明なしに理解出來るのではないかと思はれます。前にも申しました通り、ユダヤ人は戰爭と革命とが大好きな民族であり、また史上の所謂テロとか暗殺とかいふものが極めて多くユダヤ人のやつた事であると言はれてゐるのを想起しますと、これらの言葉がよく理解されると存じます。そしていづれもその背景をなすのが宗教的信仰であるといふことは誠に重大でありまして、ユダヤ教は最も狭量な宗教であると稱せられて來てをりますのは、かうした點にもその理由を持つてゐるのであります。一見祭政一致的な體裁を備へながら、正しい八絋爲宇の日本的祭政一致との差が如何に大きいかは、この點からのみも察せられるでありませう。
かやうに他民族の殲減による世界支配の神命は、ユダヤ人に非ユダヤ人殺戮の權利を認めてゐるのでありますが、然もユダヤ聖典はその際に如何なる方針で進むべきかをもまた教えてゐるのであります。
「非ユダヤ人の最上のものを殺戮せよ。」
「偶像崇拝者のうち最も律義なる者を屠れ。」
これらがさうでありまして、之を換言すれば、非ユダヤ人の王者とか大政治家とか大有徳者とはを殺せといふのでありますが、これは他民族の殲減を目標とするユダヤ人としては當然でありませう。ここでユダヤ人の非ユダヤ人に對する態度全般をいま一度別の表現で説明しますと、ユダヤ人なるものは他民族に對して常時戰爭状態にある、とも言ひ得るのであります。そしてそれも既に幾千年以來さうなのであることを我々は銘記しなくてはなりません。從つて非ユダヤ人としても、そのユダヤ人に屈伏することに甘んじ得ないならば、同じ戰爭状態を自覺して對應すべきではありますまいか。後にも触れますが、この點からのみでも甘いセンチメンタリズムに基く同情やユダヤ利用論が文字通りの利敵行爲であり、賣國的行爲であることが判明致すのであります。唯物論を清算し切れず、自由主義に未練のある者には、さうした迷夢が大東亞戰爭下の今なほ抜け切らないとは、實に嘆いてもなほ餘りがあるのであります。それは身命を君國に捧げる皇軍兵士への叛逆行爲に外ならないからであります。
次に以上述べました幾つかの方面を總括したとも言ふべき表現を一つ紹介致しませう。
「互に愛せよ、掠奪を愛せよ、放縦を愛せよ、而して汝の主人を憎み、決して眞理を語る忽れ。」
この場合が誰の物を掠奪するのであり、またその放縦の犠牲となるのが何人であり、その主人が誰であり、眞理を何人の前に語らないのかも、最早説明せずし明らかでありませう。また次のやうなものもここで想起されるのであります。
「密告者は如何なる場合に於ても殺害することを許される。」
これは時としてはユダヤ人間にも當て篏まるのでせうが、しかし主として非ユダヤ人に對して實行されて來たのでありまして、ユダヤ人の統制下にあるフリイ・メイスン祕密結社員の場合などには、この事が文字通りに行はれてゐるやうであります。
「戰爭に行く時には先頭に立たず、最後に行け、そは最初に歸還し得んがためなり。」
これもまたなかなかユダヤ魂の本質を知るのには面白いものでありまして、近い例を見ましても、この前の世界大戰のみならず、今度の大戰でも、ユダヤ人は兵籍にあつても極く稀にしか前線へは出ないのであります。例へば日本の甘いインテリをたぶらかすに成功したモーロアの如きがさうでありまして、自己の身の危険があれば昨日迄の祖國を裏切つて平気な許りか、暴露文で金儲けさへするのであります。勿論身分の低いユダヤ人のうちには他民族の目を晦ますために犠牲として戰線へ駆り立てられる者もありますが、現世の事には何事にも例外があるのですから、取り立てて言ふには當らないのであります。ここではさうした少數の例外を問題としてゐるのではないのでありまして、ユダヤ魂の本質を象徴的に表明するやうな例を述べてゐるのであります。
それからまたユダヤ聖典は、ユダヤ人特有の僞裝とかカムフラージュに就ても教へてゐるのでありまして、例へば「時が微笑む者に結びつくべし」と書かれてをります。時局に便乗してマルクス主義者が國體論をしたり、大東亞新秩序を臆面もなく呼號してをりますが、ユダヤ的なマルクス宗を信ずるだけでもこれ程にユダヤ的に僞裝が巧妙になるのですから、本物のユダヤ人が如何に僞裝に巧みであるかは申すまでもないでありませう。熱狂的なユダヤ教徒であつたマルクスがマルクス主義を説いたといふ一事を以てしましても、ユダヤ人の「頭のよさ」と「嘘のうまさ」に基くカムフラージュの天才的なことは理解出來るのであります。
また次のやうなものもあります。
「團體が長を選ぶ時には蛆虫にて一杯になった袋を背負つた者を選べ。そして彼が命令に從順でなくなる時には直ちにその背中を見よ、と言へ。」
とあるのであります。世間でよく言はれて居りますやうに、ユダヤ人は非ユダヤ人第一線主義を取るのでありますが、この言葉はその場合の方便を表明したものでありまして、ユダヤ支配下の國では、大統領とか首相とか大臣とかには相當にこの種のやり方が實行されてゐるのであります。以前の例ではフランスのブリアン大統領、米國のウィルソン等はその著しい例でありまして、何れも前に婦人關係とかの破廉恥罪があつたのださうであります。現在でもチャーチルは前大戰の時に海軍大臣の職を利用してユダヤ人と共謀して金儲けをした事實があると言はれてゐます。恐らくルーズヴェルトも例外ではないと察せられます。スターリンの如きはユダヤ人リトヴィノフと銀行預金の強奪をしたギャングの一味なのであります。

猶太經典解釋の融通性

最後にもう一つタルムードから紹介致しておきたいと思ひますのは、
「神はモーゼに律法を與へ給ふたが、それは同一の事を四十九種にも不潔とも清潔とも證明するだけの餘裕のあるものとなつてゐる、」といふ言葉であります。これは前にも論及しました通りにユダヤ人の「頭のよさ」の根拠を示す語でありまして、その「頭のよさ」が「嘘のうまさ」であると言つておきました意味が、このタルムードの語を知る時に實に明瞭となるのであります。即ちユダヤ人は神の與へた律法に對しても、それを文字通りに信仰するといふよりは、それに解釋を加へて、同一の事を四十九種にも白とも黒とも言ふ術を心得てゐるのでありますから、ユダヤ人があれ程恐れ戰いてその命に服してゐるヤーヴェの律法ならぬものに對して、ユダヤ式の口吻を用ひて言ひますならば、百種にも二百種にも白とも黒とも言ふことをするに違ひないのであります。これがユダヤ人の「頭のよさ」の眞相でありまして、神に對する眞の畏敬と人間に對する眞の責任感とを持つ者は到底さうした態度を取り得ない筈でありますが、神をもペテンにかけんとし、非ユダヤ人を動物視するユダヤ人に取つては、以上のやうな態度は當然なのであります。この點から度々論及しましたユダヤ人の「解釋のうまさ」とか、カムフラージュの巧みさとかも理解出來るのであります。また高利貸や取引所の仕事に巧みなのも同様でありませう。
あらゆる價値の改價

舊約やタルムードからの引用が大分長くなりましたので、これ位でこれを止めまして、ここに多少總括論を述べさしていただき、時間が許しますならば、かやうな立場からの現下の問題に對して特に心を致すべき點の二三に就ても申述べて見たいと思ふのであります。
獨逸の哲學者ニーチェの言葉に「あらゆる價値の改價」といふのがありますが、これがユダヤ人に於ては文字通りに行はれてゐるのであります。詰りあらゆる價値とか批判とかの標準が人類一般の場合と全く異つてゐるのであります。この事は以上述べました幾つかの場合の例でお分り願へたと存じますが、あらゆることはユダヤ人の手にかかると反對の意味となつて來るのであります。この點はユダヤ問題の研究には實に大切であります。
惡と否定の原理の具象化としての猶太人

ユダヤ人の特性を説明致しますには種々のやり方があると存じますが、ユダヤ人は惡の權化であり、よこしまなものの具體化であるとも言へるのであります。從つてユダヤ人が非ユダヤ人を人間に非ずと稱しますのは、邪惡の立場を自己のものとする者の見方としては當然なのでありませう。勿論かう言ひまても、我々は決して、ユダヤ人を眞似てユダヤ人は人間に非ずと言ふのではないのでありまして、ユダヤ人もまた人間であるには相違はないが、しかし人間の中にあつても然も人間を人間たらしむるためには當然抑制されねばならないマイナス的な否定的な原理の具體化したものがユダヤ人である、と我々は申したいのであります。では人間の中にあつて人間を人間たらしむるためには當然抑制さるべきものとは何であるかと申しますと、それは卑しい本能、即ち利己心、不信、物質慾等がそれなのでありますが、詰りユダヤ人はこれらの本能が具象化したものであると言ふことが出來るのであります。
それではこのユダヤ人を駆り立てるヤーヴェとは何であるかと申しますと、之は先にユダヤ人の本性だと申しました邪惡乃至否定の原理が具象化されたものであるといふ外はなく、言ひ換へますと、ヤーヴェとは惡と否定の具象化であるユダヤ人がその理想とする所を神格化したものなのであります。從つて我々が神として感受致しますものと比較しますと、ユダヤの神としてのヤーヴェは決して神の名に値しない怪物なのであります。
日本と猶太

かやうな次第で、ユダヤ人と我々とは住んでゐる世界が違ふと言はねばならないのであり、或はもつと適切に言ひますと、我々とユダヤ人とは存在の次元が違ふのであります。從つてユダヤ人と我々との間には、神観に於ても世界観に於ても人生観に於ても、單に百八十度の差があるのではなく、ぐるりと一廻りして三百六十度の差があるのであります。この點は既に前にも申しましたが、之を私は底面を合はした二つのピラミッドを使つて比喩に説明するのを常としてゐるのであります。即ち二つの底面の合する所が人間の中にあつて人間をして人間たらしめる所の人間の属性の最底面をなしてをり、これより上方へ向つたピラミッドが普通の人間の存在を象徴し、底面より下へ出てゐるピラミッドがユダヤ人及びその同類の人間を象徴してゐると考へるのであります。
以上でたとひ日本とユダヤとが或點に於て似てゐるやうな事がありましても、それが決して本質的に然りであり得ない事は、これ以上の説明なしで明瞭になつた事と信じます。現人神を上にいただく我々はかの上方のピラミッドの尖端に位置するのでありますが、ユダヤはかの下向のピラミッドの下方の尖端に位置してゐるのであります。何れもピラミッドの尖端でありますから、皮相な観察眼を以てしますならば、種々の類似點を生ずる如くに見えるのでありますが、しかし實際に於ては、形式的に類似すればする程差異の大なる事の證拠となるのであります。これは日本とユダヤとの歴史、國體、民族性等を正當な批評眼を以て見る人には自明すぎる事でありませう。
人種混淆の問題

ではユダヤ人は何故に上述のやうな次元に住む民族になつたのでありませうか。この問題は實に困難な問題でありまして、容易に解決は出來ないのであります。以上のやうに神観も人間観も違つてゐるからさうなつたのだとも言へるのでありますが、しかしさうした神観や人間観が出て來るのは、ユダヤ人が非ユダヤ人とは別な次元に住んでゐるからであるとも言えますので、神観や人生観が先かユダヤ人そのものが先かといふ問題は、卵が先か鶏が先かといふのと同じく、結局は解決の出來ない哲學上の問題となつてしまひますので、ここではそんな複雑な問題に論及することは差控へまして、現代の我々に取つても將來のために重大な參考となる點と關係させて、ただ一つの點に就いてのみ述べておきたいと思ふのであります。
それは實に所謂民族混淆の問題でありまして、ユダヤ人はその四千年の歴史の當初の頃に於ては、放浪生活の結果として到る處で他の民族と混淆した事が傳はつてをりますが、それがユダヤ人をしてかかる低い次元の存在たらしめた一つの重大な理由だとされるのであります。歴史的に見ますと、ユダヤ民族は、舊約に出て來るネヘミヤ及びエズラの頃には、他民族との混血の結果として將に滅亡に瀕してゐたのださうでありますが、之を上述の二人の指導者が出て、ユダヤ民族を滅亡から救ふために他民族との混淆を厳禁したのであります。その結果として現在に至る迄もユダヤの血は絶えずに續き、國土を失ひ政治的中心を失つたかに見えましても、なほその逞しい生存力を保持してゐるのであります。かくてその後のユダヤの血は純粋なのでありますが、しかしその血は既に混血の極に達してゐた血でありますので、換言すれば退化した血をそのまま純粋に保存して來たのでありますので、善良なる血を純粋に保存して來た場合と反對に、マイナス的な要素が却つて強化される結果を生んだとも言へるのであります。この點からユダヤ的存在の低次元性は或程度まで説明出來ると存じますが、なほ一歩進めて何故に混血現象が民族を滅亡させるに至るかと言ひますのに、それは現實の世界にその例を取つてお考へになりますれば直ちに判明致しますやうに、混血児には諸種の人生問題の解決に當つて何れに就くべきかに迷ふことが多く、結局は自己の利益に從ふ外はなくなるのであります。換言しますと、混血人には志操がなく、義務観念がなく、犠牲的精神がなくなるのであります。從つてこの點からもユダヤ魂の本質として我々の論じたやうな利己主義の出て來ることは説明がつくでありませう。もう少し哲學的に申しますと、各民族にはそれそれ神の指示した特性と使命とがあり、從つて各民族はそれそれ特異な理念的存在でありますがら、それの混淆はその存在の理念を曖昧にするのであります。從つてさうした民族は滅亡するか、或はユダヤ的な次元に、轉落する外はないとも言へると思ふのであります。 以上のことは、十九世紀則な唯物論が人種の混淆を人種改良と申したこともありますので、支那事變以來、特に大東亞戰以來、諸種の民族と接触することの多くなつた我々と致しましては、充分考慮すべき點ではないかと考へましたので、一言論及したのであります。
ユダヤ人の世界政策

さてここでまた話を轉じまして、ユダヤ人の世界支配計画は現在に於ては如何なる段階にまで到達してゐるかといふ點に就て少しく考へ、以て時局の參考に致し度いのであります。結論から先に申しますと、神命によるユダヤの世界支配の段階は、今次の世界戰爭によつて世界革命を誘致し、それによつてその世界支配を完成しようといふ所まで來てゐるのであります。さう言ひましても、之は事實その通りに運んでゐるといふのではないのでありまして、ユダヤ人の希望的観察からはさうなつて來てゐるといふのであります。しかしまたよく歴史的に考察して見ますと、ユダヤ人がさう信じてゐるのも全然理由がないとは言へないのでありまして、非ユダヤ人の善良さがこの侭で相變らず正しい批判力を伴はぬと致しますと、場合によつてはユダヤ人の希望的観察が實現するのではないかとさへ我々は危まずには居られないのであります。勿論我々は、わが國體に對する絶對の信念がありますので、結局に於て惡の勝利が來るとは思へないのでありますが、しかしなほ眞の八絋爲宇が世界に實現されるに至るまでに無意義な犠牲の多からんことを思つては、出來得べくんば善良なる非ユダヤ人の蒙を啓いて、かの無意義なる犠牲を最小限度に止めたいと念願してゐるのであります。
ではどうして現在が、ユダヤ人の希望的観察からにもせよ、かやうな段階に達してゐるかと申しますと、それはフランス革命以來の世界の動きがユダヤ人の方策通りに動いて來てゐるかに見えるからであります。本日はこの點を詳述致してをる暇はないのでありますが、「自由・平等・博愛」なるフリイ・メイスン祕密結社のモットーを表看板としてなされましたこの革命は、この結社が精神的にも政治的にもユダヤ勢力の支配下にあるのにふさはしく、結局はユダヤ人の解放といふことをその最大の結果として生んだのであります。つまりこの惡平等思想は、ユダヤ人を在來のゲットー生活から解放するに至つたのでありますが、元來ゲットーはユダヤ人が自發的に形成して來たものでありますから、それよりの解放は、ユダヤ人に取つては却つて迷惑であるか、或はユダヤ人に取つて特に有利を齎すものであつたといふことになりますが、それはこの革命によつて、ユダヤ人が今迄ゲットーに隠れてする必要のあつたことを今や公然と非ユダヤ人の間に混じてなし得るやうになつたといふことを意味するのであります。從つてフランス革命は、ユダヤ人に取つては大きな特權の獲得であつて、よく世間で言はれるやうな同權程度のものの獲得ではなかつたのであります。
それから種々の小段階を經まして、第一次世界大戰となり、ここに永く準備された金權方面の世界支配はほぼ確立されたのであります。衆愚政治としての政黨政治の支配する所謂デモクラシー諸國又はその亞流の諸國は、この時以後殆ど完全にユダヤの經濟的制覇の下に入つたのでありまして、わが國の如きも、この分野におきましては大差のない状況にあつたやうであります。
然も一方に於てユダヤの政治上の完全な支配は、世界的規模にまではまだ到達することが出來ないで、ロシヤ人の無智文盲を利用してロシヤに於て先づ見本的に成就されたのでありました。この革命が人的要素から見ても資本的見地から見ても、ユダヤの仕事であつたことは、今は多少事情に通じた人には常識なのであります。從つてここに於てかの先づ他民族殲減の見本を實行し、幾百萬の人を殺戮したのであります。そして茲を根城として、ユダヤの資本力と宣傳力とを利用して、ユダヤ的な我慾に長じた非ユダヤ人をたぶらかし、コミンテルンとして各國を撹乱し、各民族を先づ内部的に弱體化することによつてその殲減を期しつつあるのであります。
併し先程申しましたやうに、ユダヤの現在の世界支配策の段階は世界戰爭に依る世界革命の誘發であるのでありまして、これが今次の第二次世界戰爭の眞因なのであります。そして之に依つて殘された政治的方面の世界支配を完成するならば、神命としての世界戰爭は文字通りに完成するといふのでありまして、そのためには今次の世界戰爭を長期戰化し、樞軸國を弱體化して内部的に革命を起させようとすると同時に、所謂デモクラシー國をも再起不可能にまで荒廃させて、同じく内部的に革命に導き、それによつて文字通りに他民族を殲減しようといふのであります。勿論他民族の殲減といつても、文字通りに一人殘らず殺戮することは不可能でありまして、これは象徴的にさうするといふのであります。ルーズヴェルトは「今モーゼ」と稱せられてユダヤの尊崇を一身に集めてゐるさうですが、之は彼が恐らくオランダから移住して來たユダヤ人の血を享けてゐるといふ事の外に、世界戰爭を擴大し長期化しようといふユダヤの方策に從つて忠實に働いてゐるからでありまして、彼を先頭に祕密結社員チャーチル、イーデン、ハルや、ユダヤ人リトヴィノフ、ホア・ペリシヤ等の演じてゐる八百長芝居は、單に樞軸打倒では割切れない要素を多分に含有してゐるのでありまして、米英人そのものをも含む他民族殲減のユダヤの政略を考慮しない限りは、ルーズヴェルト、チャーチルの赤化迎合政策に見られる反祖國的傾向は理解が出來ないのてあります。米英合邦とか、米英の赤化とか稱せられてゐることは、形式と時季とは不明であると致しても、早晩實現することでありませう。否、既にもう實質的には實現されてゐると言つても差支へないのではありますまいか。
結 び

ここで大急ぎで以上のやうな観點よりする時局對處策に就いて、貧しい結論ではありますが一言させていただきたいと思ひます。
上述のやうなユダヤ的原理は、既に論じましたことからも判明致しますやうに、我々自身のうちにも決して全く存在しないものではないのでありまして、人間の中にあつて人間をして人間たらしむるに足らぬものでありますから、もし我々が自己の中にあるかの卑しむべき我慾的本能に屈從致しますならば、我々もまたユダヤと變りはない存在に堕するのであります。之は悲しむべき事でありますが、自己の身邊にもしばしば見うけられるのでありますから、我々は決して気を許してはならないのであります。東洋に在住した或るユダヤの指導的な地位の金持はいよいよ大東亞戰が近接して來て上海を去るべく餘儀なくされるに至つた時、「人間に惡のある限りユダヤは亡びず」といふ捨科白を殘して米國へ去つたと或る人から聞いたことがありますが、ユダヤには平常これだけの覺悟と自覺があるのであります。之をもう少し一般的な思想史上の言葉で表現致しますと、我々は唯物論の凡ゆる形式のものをこの際徹底的に克服しなくてはならないのであります。漠然と米英思想の撃滅などと言つても變な話でありまして、もつと正確に、もつと勇敢にその本拠をつかなくてはならないのであります。勝つて兜の緒を締めよといふ意味は特にここにあるのであります。防謀の本義がここにあることも言ふまでもありません。
以上は一般論でありますが、ここになほ戰時下に特に注目すべきユダヤ勢力の侵寇でありますが、それが米英のみならず中立國等を利用してのわが國銃後撹乱策であることは申し上げる迄もありません。しかしかやうな一般の場合はこの講演の使命外であると考へますので、私としてはそんな點は論じないことに致したいと存じます。また占領地等に於て、例の「時が微笑むものには結びつくべし」といふ指示に從つて幾千年の訓練を得たユダヤ式の僞裝によつて協力を粧つて來るものがありませうが、これはフリイ・メイスン祕密結社の厳重な検察その他によつて峻厳すぎる程峻厳な處置を講じても決して行き過ぎではないのであります。國内に於ても最近の共産派の検擧によつても判明致しますやうに、ユダヤ的原理は僞裝をその本領とするとも言へるのでありますから、なかなか油斷がならないのてあります。
しかし戰線方向のことは當局に信頼致すことに致しまして、我々ユダヤ問題研究者として特に銃後の問題として注意致さねばならないのは、前からその蠢動はありながらも、最近に至つて特に著しく地下的動きを示しつつあるかに見える日猶同祖説であると存じます。これは小谷部とか酒井とかいふ一見日本主義的側面を有するかに見せる親猶主義者、否、拝猶主義者、及びその亞流が意識的及び無意識的に説いたのが代表的なものでありまして、その日本主義的僞裝にたぶらかされて、無批判且つ軽薄な日本主義者の一部分にも歸依者を有するやうでありますが、何れも何等かの連絡でユダヤと近接關係にある者のユダヤ的僞裝術にひつかかつてゐるのでありまして、時としては不敬罪をも犯して平然たる所のある非國民が多いのであります。英國が現在のやうにその貴族の血に至るまでがユダヤの血によつて汚されるに至つた原因の一つは、たしかにかの英猶同祖説のためでありまして、この點に就ては他日研究を發表致し度いと思ひますが、ユダヤの他民族侵寇の手の一つがこの×猶同祖説なのであります。遠大なユダヤの策略は、時としては唯物主義的、自然科學的研究のみを事實として承認する類似ユダヤ主義者を迷わせて舊約の風俗その他を利用させたり、或は空想以上に無根拠な言霊學などを盲信して、日猶同祖説を説くやうなことをさせるかも知れないのでありますが、それは人間の眼が二個である限り、また人間の聲音機關が日本人に於てもユダヤ人に於ても大差のない限りは、先入主を以つて類似點のみを探査する場合にはあらゆる場合に成立する同祖關係論でありまして、この種の親猶主義者に特徴的であるのは、類似さへあれば爪の垢ほどのことも重大視しながら、差異のある點は如何に重大であつても決して考慮に入れないことであります。誠に情ないほどの幼稚な無批判さでありますが、先入主の力は實に大きいものでありますので、我々としては特にユダヤ魂の本質を明らかにしなくてはならないのであります。如何に末葉のことが類似してゐましても、上述のやうな次元に住むユダヤ人が我々と同祖である筈はないのであります。或は全人類創成の頃に遡って申しますならば、或は日猶も同祖でありませう。然しこれは全人類が同祖であるといふことに外ならないのでありまして、そのうち特に日猶關係のみを取り上げる理由はないのであります。ユダヤ問題に正確な批判を持つためには、些細な事實に拘泥する唯物論的實證主義の立場のみに止まらないで、正しい理想と正しい思想とを持ち、眞の日本的自覺に立たねばならないのであります。
以上で外部からの侵寇の問題を終り、内からの侵寇の問題に移りたいと思ひます。否、よく考へて見ますと、既に同祖説が證しますやうに、實際に於ては侵寇には内外部の差はないのでありまして、これから注意致しますことも勿論單なる内部的問題ではないのでありまして、ただ策謀の根源が主として内部にあると言ふにすぎません。その第一として申し上げ度いのは、ユダヤ利用説でありまして、占領地の開發その他にユダヤの金力を利用しようといふのがその代表的なものであり、唯物論的な物の見長を卒業出來ない十九世紀主義者には極めてしばしば見られる議論であります。しかしユダヤの金が本質的に見て如何にして蓄積された富であるかを我々の説いた所から了察する事の出來る人は、かかる汚らはしき金を利用することが我々としては死に値する屈辱であり恥辱であるのを直ちに感得するのが出來ると思ふのであります。唯物思想に毒せられて、「武士は食はねど高楊枝」といふ言葉を軽蔑したことも我々の過去にはありますが、今や我々はかかるユダヤ的米英的立場を根本的に超克して、正しい日本武士道の傳統に歸らねばならないのであります。
次に一言致し度いのは既に論及したこともある通りの時局便乗の徒に就いてであります。殊に注目すべきことは、僞裝をその本領とするマルクス主義者の國内のみならず、戰線へまでの進出及び跋扈でありまして、これは支那事變最初から屡々見られました通りに、なかなか油斷の出來ないことなのであります。元來赤色系であつた言論機關が名目も當事者も何の變更もなく存在してをりますのを見るにつけましても、この點は大いに警戒を要するのではないかと思ひます。殊に米英資本主義國を倒すがに見える今次大戰の外面的相貌は、ユダヤ・マルクス主義者にも立働く領域を殘してをりますから、一層彼等の僞裝時局便乗は巧妙に行はれるのであります。しかし今次の大戰がかやうな赤化主義的な意圖を以つて戰はれるとすれば、それは全く無意義なのでありまして、この點は以上申上げましたことからも、恐らく御了察願へたかと思ふのであります。長くなりましたので、之で失礼致します。(一七・二)
三 猶太の神秘の数を解く
・・「十五」なる數の猶太祕密力に對して有する意義・・
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| 1 + 9 + 1 + 4(年)= 15 第一次世界大戦 |
| 1 + 9 + 4 + 1(年)= 15 第二次世界大戦(大東亞戦)|
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標題の眞意義を解するためには、猶太人が如何なる魂の所有者であるかを了得しなくてはならない。然しこれは相當の難事であつて、一朝一夕には果され得ないことであり、最小限度に於ても、猶太聖典としての旧約全書(特にトーラと稱せられるその最初の五巻)及びタルムードに通暁し、猶太哲学としてのカバラを味識し、それに加へて猶太四千年の歴史を達観することを要求するのである。在來の政治的經濟的方面を中心とする猶太研究は、猶太の魂の本質を明らかにすることによつて補足さるる時に一層完全なるものとなるであらう。殊に思想對策の分野に關しては、猶太の魂の研究によつてのみェ本的な解決の道が發見されるであらう。しかし我々はこの短い論稿に於ては、上述の如き広汎なる問題に及ぶ余裕を持たないので、直接に「十五」なる數に關する問題のみに就いて述べたいと思ふが、もしそれに依つて猶太魂の根本的特質がその片影に於てなりとも明らかにされるなら、筆者の労は充分に酬いらるるのである。
わが國唯一の猶太研究月刊誌「猶太研究」の讀者は、その第一巻第六号に掲載せられた「猶太民族の世界征服綱領」を記憶さるるであらう。その本文は、一八五一年に今は亡國の運命にあるチェッコ國の首都ブラーハに於て開催せられた猶太法師會議の議事録として傳へられてゐるものの主要部分である。然しこの際に集つた十二人の法師がいづれも猶太祕教としてのカバラの行者であつたことは、その集會の場所がカバラ行者として著名であつたシメオン・ベン・エフダ法師の墓場に於てであり、また祕教の行事に相應しく夜闇の中に於てであつたことに依つて證さるる故に、この集會はカバラ行者長老會とも稱せられてゐる。そしてその議題は言ふまでもなく猶太の世界支配の方法とその現況の検討であつて、歐米各地の枢要都市に散在する猶太十二支族の代表者が方策を提出してゐるのである。但し今我々に問題なのは、その策謀の内容そのものではなくて、この長老會議の行はれた年号の示す數字であり、またそれがその前にも約百年毎に行はれてゐたと稱せられてゐる點である。これを年号にて示すならば、第一回長老會議は一四六四年に行はれ、第二回は一五六三年に、第三回は一六五三年に、第四回は一七六一年に催され、そして前記の議事録はその第五回のものであると稱せられてゐる。而して之等の年号の數字をそれぞれ加算する時は、何れも「十五」となるのである。また第六回の長老會議は當然昨年即ち一九四一年に行はるべきであつたと稱せられるが、しかし、今やプラーハ市は独逸の支配下にあるのであるから、この長老會が予定通りに開催され得たか否かは我々の知り得る所ではない。
上述の議事録が、他の猶太系の祕密文書と同じく、その眞偽に關しては正確な證拠とてはないやうであるが、しかしそれにも拘らず、かの諸年号が「十五」であることが猶太祕密力に取つて必ず何等かの重大な意義を有するであらうことを暗示するには足りるであらう。殊に猶太十二支族を代表する法師がすべてカバラの行者であることからして、かかる數に關する信仰がカバラ祕教の中に於て重要なる地位を占めてゐるのではないかといふ推測を生むのは當然であるが、果してその中にはゲマトリア(ギリシャ語に由來し、広義には「數学」を意味するといふ説が有力である)と稱せらるる數に關する神祕が説かれてゐるのである。そしてこのゲマトリアは既にタルムードにも見られるものであり、主として聖書中の難解の語句を解釈する際に用ひられたものであつた。その方法はヘブライ語の字母はそれぞれ數を代表してゐるので、聖書中の語句の有する數値をその語句を形成する字母の代表する數の和によつて示し、同一の數値を有する他の語句は同一の數値を有する他の概念に依つてその語句を解釈するのである。いま我々は聖書中の語句の場合の例を取ることを避けて、現在の我々に關係の深い方面の現象にこれを應用して見よう。
ヘブライ語に於ける「世界戦争」又は「全地球上に於ける戦争」なる語の有する數値は六七五となるが、猶太の年号は普通その千台を略して呼ばれる故に、この數に近來の猶太の年号の千台のものである五千を加へる時は、それは五六七五年となるが、これは西暦の一九一四年に相當するのである。然しこの一九一四年に第一次世界大戦は起つたのである。しかもこの一九一四年の有する數字の総和は「十五」であり、今次大戦が文字通りの世界大戦となつた年は一九四一年であつてまた「十五」なのてある。
かくて問題は、かく事實上重大な意義を持つてゐる「十五」の數が猶太に取つて如何なる意義を有するかである。先づ茲にその結論を述べるならば、この「十五」なる數は猶太民族の守護神エホバの數であつて、この神聖なる數に關係する事柄は猶太に取つてはまた神聖なるものであり、猶太民族の世界征服計画の實行手段としての戦争の如きは、この數の年に於て行はれる時、その守護神エホバの特別の庇護の下に遂行される、といふのである。では、如何にして「十五」がエホバの數であるかといふのに、子音のみによつて綴られるヘブライ語に於てはエホバ(正しくはヤーヴェ)の名はJHWHとなるのであるが、その始めの二字即ちJとHとは十と五なる數値を持ち、合して「十五」となるのである。かつて守護神の名の代表する數がゲマトリアなる數的信仰を有する猶太人に取つて如何に重大なる尊信の對象となるかは、猶太人の魂の宗教的傾向の本質を多少とも知る者には、直ちに理解されるところてある。
しかし或人々は、現代の如き所謂「科学」の時代に於て猶太人に於てもかかる數的迷信を信仰するものはあり得ないであらう、と言ふかも知れないし、また相當數の所謂文化猶太人のうち他國民の間に生活するものは、少なくとも表面的には、かかる信仰を捨てたことを主張してゐる。然しこれを以て直ちにかかる信仰を偉力の否定するのは早計であつて、猶太人以上に文明開化されてゐる筈の一般キリスト教徒の間に於て未だ十三の數が如何なる役割を演じてゐるかを知る者は、「十五」の數の猶太人間に於ける意義を直ちに理解し得るであらう。宗教的権威と政治的権力とを兼ね備へる猶太法師が千年一日の如くタルムード等の猶太聖典をその教會に於て説きつづけてゐる限り、猶太の魂には決して根本的の變革はあり得ないのである。
なほ一言しておきたいのは、「十五」なる數の持つこの意義を明瞭に認識したのは、タルムード乃至カバラ研究の一部専門学者を除いては、ルーデンドルフ将軍であることであつて、之は一九二七年の著「フリイ・メイスン結社の討滅」に於て始めて暴露されたのてある。而してこの暴露が猶太陣營を如何に震撼したかは、将軍に關してその後猶太支配下の自由主義諸新聞が極めて悪質の宣傳をしたことによつても理解される。将軍のこの點に於ける功績は、旧約聖書申命記第二十八章の持つ意義の解明と共に将軍の猶太研究に於ける二大業績であり、その軍事的その功業と共に永く記憶さるべきであらう。實に将軍はその「戦争煽動と諸民族の殲減」に於て既に十數年の昔より一九四一年の危機を説き続けて來たのてある。
かくて、猶太の世界征服計画を知る者は、第一次世界大戦が何故に一九四一年に起り、今次大戦が何故に一九四一年にその世界的規模にまで發展せざるを得なかつたかの理由を會得することが出來るのてある。既に我々の説いた如くに、エホバの年一九四一年に始つた今次大戦は猶太人にとつては「人類殲減戦」なのであつて、彼等に枢軸側の勝利が愉快でないことは勿論であるが、然しまた米英ソ支の敗退もまた猶太系諸新聞の宣傳するが如くには痛手ではない筈である。現在までの經過は、或は猶太陣營の予定のコースを辿つてゐるのかも知れない。従つて猶太の世界支配機關の一翼としてのフリイ・メイスン結社の有力會員たるルーズヴェルト及びチャーチルは、今やアメリカに於て猶太有力者の感謝を受けつつ、内心大なる愉悦に浸つてゐるかも知れないのてある。最近シンガポールより本國帰還を命ぜられた猶太人東洋探題ダフ・クーパーの如きも、その猶太的使命は今や完全に果されたのである。また傳へらるる如くチャーチルが退いてイーデンが首相の印綬を帯びることも決して不可能ではいのであつて、祕密結社系勢力より見ればイーデンの方が猶太陣營に取つては有用であるかも知れないのてあるし、また猶太的世界総赤化策に取つては猶太人リトヴィノフ外相と親戚關係にあるイーデンの方が猶太に取つて一層好都合なことは自明である。又ロータリー・クラブ系の半國際人の間に日本贔屓として名声を博してゐたらしい前日本駐在米國大使が、大東亞戦の宣傳布告を受取るや直ちに或るゴルフ場(このゴルフ場が如何なるものであるかは知る人ぞ知る)に出かてたといふ噂は、彼が如何なる系統の指令下にあるかを明瞭に示すものでなくて何であらうか。
今や我々は米英アングロサクソンの暴慢なる世界搾取を討たんとして正義の戦を戦つてゐるのであるが、忠勇義烈の皇軍の赫々たる戦果を眞に確保せんとするならば、かのアングロサクソンの背後にあつて米英の敗退をも自己の世界征服の具となさんとしてゐる猶太のあることを忘れてはならない。支那事變の敵がフリイ・メイスン祕密結社員蒋であり、更に米英及び猶太祕密力であつた如くに、大東亞戦争の敵は米英であり、更にまた猶太なのである。(一七・一・一四)
附 言
特に超非常時である現代に於ても、「日本に現存するフリイ・メイスンリイ」等といふ書が、「科学」の名を僭稱しつつも、赤化主義者の片言隻語に絶對の信頼をかけて、フリイ・メイスンと猶太とは關係なしといふ如き時代錯誤の主張をしてゐるのであるから、以上の認識は特に重要性を持つのである。かかるフリイ・メイスンリイの解釈は、猶太が絶對的支配権を有する英米に於てさへも稀に見られるものであつて、現代歐洲に於ては前世紀の猶太系宣傳として一人前の判断力を持つ者は誰一人耳をかすことをしない所のものである。「科學」なる語を宣傳に利用した者が主として赤色猶太主義者であつたことを知る者は、今なほ「科學」の名を僭稱する怪物が皇國日本にも出没し得る余地のあることを反省して、猶太祕密力の謀略の深刻さを忘れてはならない。

四、猶太の世界支配諸機關

「世界シオニスト同盟」の統領であるヒャイム・ワイズマンは甞て「權力を目標とする國際猶太機關は決して存在しなかつた」と言つてゐるが、これは表面的にのみさうなのであつて、同じ彼自身が「猶太評論」の一九二〇年四月号で、「諸君が欲すると否とに拘らず、我々はパレスティナに行くであらう。諸君は我々の行くのを速めることも遅くすることも出來るが、とにかく我々に助力する方が諸君のためであらう。さうでないならば、我々の建設力は破壊力に變じて全世界を沸騰させるであらう、」と威嚇的に言つてゐる通りに、猶太人には幾多の「權力を目標とする」地上的乃至地底的機關があるのであつて、その種類の多數であることと多方面であることとは、そのしばしばなる巧妙な偽裝と共に、非猶太人には到底思ひも及ばぬほどの程度に達してゐるのである。そしてこの際に特に注目すべきことは、その諸機關の殆ど全部が國際的であることであつて、これは猶太民族が唯一の文字通りの國際的民族である必然の結果である。しかし、勿論場合によつては、「國民的」色彩を帯びることもあるのであつて、その例としては日支事變下としては所謂「國民政府」がその最も代表的なものである。猶太民族は國際民族として幾千年に亙り寄生生活をして來てゐるので、その俳優的偽裝性の發達してゐることは、これまた特に著しい事實である。以下の猶太場關の組織を注意して見るならば、この點もまた充分明瞭になるであらう。
先づ第一類として純猶太的な組織に就いて記して見よう。ここでも我々は舊約時代その他の古代に關して述べることを差控へ、主として近世のもの、特にわが國との交渉の多い現代のものを中心として見たいと思ふ。かくて先づ第一に問題としたいのは所謂「ゲットー」のことである。普通日本では都市の一劃に限定されて自由を奪はれてゐるかの如く見えるこの組織は非猶太人の少數民族に對する壓迫の結果であると考へられてゐるし、又之は日本のみでなく、少なくとも猶太的思潮としての自由主義の優勢であつた所では歐米に於てもさう信じられてゐたし、今もまたさう考へられてゐる許りか、猶太人自身さへも自派の或者の為にする宣傳を信じてかく感じてゐることもあるが、事實は多くの場合にはさうではないのであつて、或時は、少數民族猶太人がその幾千年來錬磨されて來た詐欺と裏切りとの力によつて多數民族を虐待し搾取することに對する非猶太多數民族の自己防衛の結果であるが、多くは、猶太みづからが非猶太人の目を逃れて干渉されずにその策謀を巡らすための安全なる策源地として設けたのである。それ故にその多くは治外法權的存在であつて、他民族又は他國に寄生しながらも、獨自の律法と政治機關を持つてゐたのである。「ゲットー」こそは、現代に數多い猶太祕密結社の祖先であり、原型であるといふことが出來る。しばしば猶太人は「國家中の國家」を形成してゐると言はれるが、その傳統の由來は實にここにある。
然し現在に於ては、猶太解放革命として佛蘭西革命以來は、この「ゲットー」は多くは解消したかに見えるが、しかしこれは表面的に或は空間的にさう見えるだけであつて、精神的又は實質的にはそれはなほ厳として存在してゐるのである。かつて「ゲットー」を政治的にも宗教的にも支配したものは、多くは猶太法師から成る猶太長老會即ちカハルと稱せられるものであつたが、「ゲットー」の外形は消失しても、このカハル組織は厳存してゐるのである。それに關する注目すべき材料が改宗猶太人ブラーフマンによつて暴露されてゐるが、とにかくこのカハルなるものは、猶太人が或數を以て存在する所には必ず存在し、世界のそれらが互に連繋して、所謂「世界カハル」となつてゐると稱せられてゐる。勿論、他の民族も、相當數が異郷にある時には、その代表者によつて指導乃至社交機關を形成することは當然のことであるが、猶太の場合はそれがかかる表面的のみではなく、厳密な祕密結社の形式を持つことが注目に値するのである。米國の紐育州のカハルの如きは世界でも最も有力なものであつて、現在は二百萬の會員を有してゐると言はれてゐる。

以上に比較する時には、以下に述べるものは半祕密結社ともいふべきものであるが、しかし猶太機關としての力は、それが却つて半公開の性質を採つてゐるために、強められてゐるとも言へるであらう。先づ「世界イスラエル同盟」であるが、千八百六十年に巴里に創設されたもので、猶太人クレミューの發起になるものである。これも次の結社と共に猶太人の相互扶助團體であることを表面的の看板としてゐるが、それが半祕密社であるのにふさはしく、猶太の世界政策の一機關として政治的、經濟的に活躍をするものであることは、創設者のクレミューが辯護士であり、ナポレオン三世の退位を促した後佛蘭西司法大臣にまでなつたことのみからも判明するであらう。現在でもなほその勢力は強烈なものであつて、露西亜のボルシェヴィズム革命には大きな助力を与へたのであつたし、一般に佛蘭西國内の反猶太運動を屈服させる有力な機關である。一八七〇年にロンドンで創立された「英猶教會」はこれの英國支部とも言ふべきものである。
猶太の半祕密結社として現在世界的に有力なのは、ブナイ・ブリス又はブネ・ブリスと呼ばれてゐる純猶太フリイ・メイスン結社である。千八百四十二年に獨逸出身の猶太人によつて亜米利加で創設されたものであるが、世界に於ける國際資本と猶太人そのものとの勢力の中心が英又は佛より米國に移つたのに一致して、猶太の政策機關も現在では在米のものがその優位を占めるやうになり、この結社がその中樞機關なのである。猶太資本家・猶太政治家・猶太革命家等のうち有力な者でこの結社に關係のない人は殆どないと言つても過言ではない。米國のバールフ、ブランダイス、フランクフルター、佛蘭西のブルム前首相、マンデル前内相、ボルシェヴィズムのレーニン、トロツキー、リトヴィノフ、ラデック、猶太的「相對性原理」のアインシュタインの如き人々も決して例外ではないのである。この結社の動向こそ現在の世界の動きの相當パーセントまでを支配すると言つても、これまた決して過言ではないのである。事變下の我々に取つては、在上海の猶太財閥及び米英側役人のみならず、「三民主義」の祖孫逸仙が何故かこの結社の高級會員であつたことを忘れてはならないであらう。
以上の猶太機關は祕密結社又は半祕密結社であるが、所謂「シオン同盟」と稱せらるものは、少なくとも表面的には、純公開のものである。即ち、猶太人をして聖地パレスティナへ帰らしめようといふ運動であるが、既に前節で触れたやうに、ブナイ・ブリス結社等もまた廣義に於ては一種のシオニスムであるから、千九百十七年のバルフォア宣言以來の「シオン同盟」の方は、實質的には兎に角、表面的には一応、他の祕密結社と区別される必要があるのであらう。創立者は「猶太國」の著者ヘルツルであつて、猶太問題に悩む諸國の支援を得てゐる。(シオニズムに就いては後により詳しく論ずる。)
猶太の世界政策の機關は、上記の純猶太的構成のものにつきるのではなくて、その金力と宣傳力に踊らされてゐる非猶太機關のあることは言ふ迄もないが、かかる準猶太機關に論じ及ぶ前に、かの純猶太機關と準猶太機關との中間に立ちつつ双方を結合してゐる存在に關して、否、双方系の諸機關の上に君臨しつつ双方の意の侭に動かしてゐる威力に關して、先づ述べて見ることにしたい。そしてそれは、言ふ迄もなく國際猶太人財閥であつて、既に世界の富の七、八割をその手に収めてゐると言はれるだけに、いまだ經濟第一の拝物的唯物思想が徹底的に克服されるに至つてゐない現在の世界に於てはその勢力は極めて強いのである。然もこの最有力の猶太の世界征服機關は、單に上述の諸機關及び後述する準猶太組織を自由に操縦する許りではなく、それ直属の侵略機關を持つてゐるのであつて、商業的には取引所及び百貨店がその代表的なものであり、政治的乃至精神的方面に於て新聞、雜誌、通信社、出版社、ラジオ、映画がそれであり、人的にはマルクス自身も自覚してゐたやうに「欺かれたプロレタリヤ」がそれであり、またマルクス・ボーイと稱せられる宣傳に乗り易いインテリの一群もまたそれに属するのである。「自由」「文化」「科學」「ヒューマニズム」等、猶太が善良にして無批判なる非猶太人を欺くために宣傳する言葉は、その文字の意味の正反對に用ひられるのが常である。猶太の國際高度金融の金儲けのために、如何に多くの不自由と、非文化と、非科學と、非人道主義とが、自由と文化と科學とヒューマニズムの名の下に行はれ來つたことであるか。今では猶太に屈服してゐる亜米利加の自動車王フォードが甞て言つたやうに、世界の最有力の資本猶太人の五十人を縛り上げるならば、人間の世界には、たとひ永遠の平和と正義とは到來しないとしても、少くとも相互理解と公正なる競爭とがこの世に見られるに至るであらう。
猶太民族は、彼等が自己の罪を非猶太人に轉嫁する時に悪用して宣傳する通りに、文字通りに少數民族であるし、「舊約」でエホバが教へて以來労働を好まず、従つて如何なる場合にもみづから剣を取る興味もないので、その世界征略のためには、多くの場合下手人として非猶太人を使用しなくてはならない。かくて猶太は、その金力と宣傳力とを利用して非猶太人を自己の目的に駆り立てるのであるが、それが我々が準猶太機關と呼ぶものの成立の由來である。そしてこれにもまた種々の方面のあることは言ふ迄もないか、以下我々はそれを政治的・宗教的・社交的に分類して略述して見ることにしよう。
政治的準猶太機關のうち最も著名のものはフリイ・メイスン結社であつて、それが祕密結社であるか否かは、前に論及したブナイ・ブリス結社と同じく、論ずる人の立場によつて何れともなるのである。適切には半祕密結社と言ふべきであらう。即ち、これは表面的には相互扶助團體であり、修養機關であるが、内面的には凶悪なる祕密結社である。その起源・成立等にも諸説があり、その系統にも英國系・大陸系・支那系等々と種々あるが、しかし世界のそれが一つの統一を持つてゐることは、この問題に多少とも通じた人には明白なことである。ブナイ・ブリス結社の如く人的には純猶太のものでないとしても、その國際性のために、元來全く猶太の支配下にあるのであつて、それの本來の目標が猶太世界征服の目標と合致したものであるか、或は猶太の策謀によつてそれが猶太の世界征略の機關化したのであるかは論じないとしても、とにかくそれは、現在に於ては、最も有効且つ強力なる猶太的祕密政治結社となつてゐるのである。そして現在に於ては、猶太人はブナイ・ブリス結社とフリイ・メイスン結社との双方に加入することによつて、後者を前者の執行機關たらしめ得るやうになつてゐる。その故は、後者に於ける猶太人は殆ど常にその高位階結社であるからである。佛蘭西革命の幹部、前世界大戰の原因となつた墺國皇儲の暗殺等、正體の判明しないテロ行為の大部分は、この結社の仕事である。英國名流の殆ど全部を網羅する「大英ロッジ」、佛蘭西を猶太人と共に支配する「佛蘭西大東社」、猶太非猶太の混合にて著名な本部在送の「オッド・フェロー結社」の如きは、純猶太系のブナイ・ブリスと並んで世界的に著名である。なほ事變下の我々に取つては、蒋介石以下重慶政府の首脳部の殆ど全部が、その細君に至るまで、この結社の會員であり、それも單に支那系のそれの會員であるのみならず、多くは亜米利加系のそれの會員であることを銘記すべちげあらう。(本書第二部にも祕密結社に就いて記されてゐる。)
なほ猶太人とフリイ・メイスン結社の合作であると稱せられる國際聯盟、思想的に見ても實行者から見てもその幹部が殆ど例外なく猶太人又はフリイ・メイスン結社であると稱せられる社會民主主義・マルクス主義・共産主義・ボルシェヴィズム・「人權擁護同盟」の名を持つ實質上の猶太特權擁護同盟、その他種々の反戰的平和聯盟又は婦人平和自由聯盟、準猶太的世界政策機關は多數存在してゐるが、現代に於てこれらの事情を知らないのは、かかる問題を知る必要のない健全なる日本大衆か、猶太系宣傳に踊ることのみを文化的・科學的・進歩的と考へる無批判の徒に過ぎないので、これらに關しては今は語ることを差控へたいと思ふ。
なほ茲に特に紹介しておきたいのは、獨逸人クラインツが北米合衆國の愛國的特志家達の協力によつて調査して明らかにした在米猶太の大祕密機關に就いての記述である。それに依ればこの機關もまた猶太の他の諸機關と同じく表面的な一面を持つてゐて、その限りに於ては善良なる非猶太人の目にはその凶悪性は一見しては明瞭ではないらしく思はれるが、その組織の廣次にして強力なる點から見れば、これこそは現在の猶太の世界支配の中心機關であると認めらるべきものであるからである。この事情は、この機關が今や世界猶太の中心地である北米合衆國にあることを思へば、恐らく正鵠を得たものであらうと考へられる。それ故に次にその組織を簡單に紹介し、そのプログラムの大綱を譯出しておきたいと思ふ。
その所在地はニューヨーク・シティーであつて、絶對的獨裁の主義により其處より全世界の猶太組織に祕密の命令を發し、個々の猶太人の意見を徴することはなく、その附属組織は、例へば國際聯盟の如く本來猶太的なる國際機關の内部には言ふに及ばず、ハーグの仲裁裁判所の如きものの中にも設置されてゐる。殊に注目すべき點は、それが五千万弗に及ぶ無税の資金を擁してゐることであり、また第一次世界大戰以後既に一億五千万弗をその目的のために使用したといふ點である。そしてこの巨額の金が如何に過去に於て使用され、また將來使用されるであらうかは、後述ずるそのプログラムによつて明らかであると思ふので、茲では先づその組織を見ることにしよう。
この祕密組織は全體としては亜米利加猶太聯合評議會(The American Jewish Joint Consultive Council)と呼ばれ、五つの部門に分れてゐる。これは千九百三十三年七月二十二日に、我々が既に論及したブナイ・ブリス祕密結社の頭目であるアルフレッド・エム・コーンの主唱に依つて設立されたものであつて、在來より存在した歐米の猶太系祕密結社の統一にまで乗出してゐる。我々の論及した「世界イスラエル同盟」の如きも、既にこの機關の一従属機關化してゐるさうである。そして加奈陀、メキシコ・英國・佛蘭西等猶太支配下の諸國は言ふ迄もなく、東歐・南米・支那等にも従属機關のあることは言ふ迄もない。
この聯合評議會は、その主唱者がコーンであることから考へても、先づかのブナイ・ブリスが加入してゐることは言ふ迄もない。そしてその使命が探偵乃至諜報事業であり、また戰爭誘發關係の事柄であることは、以前より巨大な國際網を所有してゐるこの結社としては當然であらう。その頭目は現在ではヘンリー・モンスキーであつて、ゴールドン、マルクス、セールス、ビスカイエル等が幹部であると稱せられる。現在に於てはフリイ・メイスン系祕密結社中最強力のものであつて、「イスラエルの勝利」なる猶太系佛蘭西書に依れば、「ユダヤ祕密結社ブナイ・ブリスは全歐米を席巻したのみならず、今では亜細亜にも拡がつてゐる。それは全世界のフリイ・メイスン結社の監督權を手中に収めてゐる、」と言はれてゐる。
第二は亜米利加猶太委員會(American Jewish Committee)であつて、内政外交の両部門を司り、従つてまた宣傳事務を担當してゐる。既に千九百六年から存在し、ニューヨーク・シティーのフォーズ・アヴェニュー四百六十一番地に事務所を持つてゐる。頭目はサイラス・アードラーであり、エルクス、レーマン、キルスタイン等が輔佐してゐる。次は亜米利加猶太會議(American Jewish Council)であつて、千九百十七年から存在し、有名なる亜米利加猶太人ブランダイズ、フランクフルター教授等が關係してをり、現在の頭目は辣腕なる猶太法師ステファン・エス・ワイスで、リブスキー、ライヒトマン等が輔佐し、前のものと同じくニューヨーク・シティーの西五十七街二百二十一番地にその本部を持つてゐる。
次は經濟専門を担當する「亜米利加猶太聯合分配委員會」(American Jewish Joint Distribution Committee)であつて、表面的には慈善業を裝つてゐるために、上述の如くその巨大な資金は無税である。千九百十四年の設立にかかり、ニューヨークの東四十二街百番地に設置されてゐる。その名誉総裁はフェリクス・エム・ワールブルクであつたが今は死亡し、現在その夫人が総裁となり、エドゥアルト・ワールブルクが事務を代行してゐる。その幹部に著名の金權猶太人が網羅されてゐることは、今更説明の要はないであらう。
最後は「亜米利加猶太労働委員會」(American Jewish Labour Committee)であつて、千九百十七年に創立され、殆ど総ての亜米利加の労働團體を直接間接にその支配下に置いてゐる。ヴラテックがその頭目であり、ワインベルク、ザリツキーその他が幹部である。
「聯合評議會」に加盟してゐる猶太機關が上述の五つで全部でないことは勿論であつて、その五つに更に従属する機關等を考慮する時には、なほ我々は數多くの猶太結社を數へ上げねばならないであらう。しかし茲ではこれ位で満足したいと思ふが、なほ特に注目すべき二つの結社に關しては一言しておきたい。その一つは、情報關係の機關としての「インフォメーション・アンド・サーヴィス・アソシエイツ」であつて、五千人の有給情報員と五万人の無給通報員とを持ち、前にはメディソン・アヴェニューの或ビルディングの七、十三、十四、十五の四階を占めてゐたが、現在ではフォース・アヴェニューの四百六十一番地に本部を持つてゐる。その頭目はフランク・ジェイ・プリンスで、個人としては別の事務所をも持ち、バーミンガム及びスケントンといふ加特力教信者の有能なる探偵を直接の配下として活動してゐる。後の二者は猶太人ではなく、全體主義國家の擡頭以來その共通の國際性のため往々にして共同戰線を張る猶太と加特力教との關係を象徴的に暗示してゐることは興味深いことである。
注意すべき猶太機關の一つは「亜米利加自警委員會」であつて、前の機關と同じく、大體に於てはブナイ・ブリス祕密結社に附属するものと考へられて差支へないであらう。その頭目は、反獨主義者として又主戰論者として、英國のフリイ・メイスン結社員チャーチル及びイーデン、英國猶太人ダフ・クーパー、佛蘭西猶太人マンデル等と並び稱せられる猶太弁護士サミュエル・ウンターマイエルであつて、あらゆる殺人法の訓練を經た犯罪人及びギャングを統率し、多年來猶太政策に反する非猶太人を「清算」し來つてゐると稱せられてゐる。この點は、猶太の幾千年の暗黒史を充分に知悉せぬ非縦太人に取つては殆ど信ずる事の出來ない複雜怪奇なことであるし、この解説の筆者の如きも人間の名誉のためにそれを信ずる事を欲しない者であるが、茲ではクラインツの説をその侭紹介するに止めて、その可能不可能の判断は識者の賢明なる判断に任せたいと思ふ。
さて我々は茲にいよいよこの「聯合評議會」の世界政策のプログラムを譯出しておかう。
猶太世界政府のプログラム
一、滞留國に於ける猶太の國民的及び國際的權利と、猶太の勢力と、猶太の支配との拡張。
二、猶太政策上樞要な諸國の外交機關を金力にて全的に買収することによつて猶太の計画を促進すると共に、他の諸國に於て増大しつつある反猶太主義を根絶する。
三、北米合衆國の政治をその高官を利用して監督する。同國の諸州をも同一の監督下に置き、また大都市の警察機關をも同様にするが、そのためには、樞要の地位にある猶太の代行者の手を借りるか、或は買収された州知事、市長、裁判官、政治家等の陰謀を用ひる。
四、北米合衆國を次第に變化して、モスコーの第三インターナショナルの支配下に立つソヴエト共和國となす。この發展は、ソヴエト組織に類似した新法律によつて、既にその目標に近接してゐる。
五、北米合衆國の陸海軍を監督するために、ソヴエトの代行者とフリイ・メイスン祕密結社員とを潜入させ、ブナイ・ブリス祕密結社をそれに協力せしめる。
六、陸海軍を完全に無力にするために、怠業を惹起させ、その組織を破壊する。その後になつて陸海軍を新らしくソヴエト式に再組織する。
七、非猶太人を商工業、銀行、大學教授その他の教職から追出す。
八、北米合衆國とファッシズム諸國との外交關係を断絶する。その實行手段としては、新聞、教會、議會、ラジオを利用しての反ファシズム宣傳による外に、テロとボイコットとストライキと叛乱とを用ひる。
九、ファッシズム國家を弱體化するために、之等の諸國家に對して猶太人のみならず國際的なるボイコットを継續しまた強化する。
十、キリスト教文化の混乱と破壊と根絶とを期する。

宗教的方面のものでは日本に於てはなほ一般に充分に知られてはゐないが、その害毒性に於て「舊約聖書」及び「議定書」と匹敵する所謂「燈臺社」なるものがある。本部は米國紐育のブルックリンにあつて、表面は一種の基督團體の如くに裝つてゐるが、その正體は猶太の世界政策機關の一であつて、「厳粛なる聖書研究者の團體」又は「エホバの證言」等の名で呼ばれることもある。その主宰者は千九百十六年迄はラッセルであり、今はラサーフォードである。そしてそれが如何なるものかは、次の如き言説のみからも判明するであらう。
「現在の政府は破壊され、社會秩序は無政府状態に陥らせられねばならぬ。」(ラッセル、千九百二十二年)
「なほ一つの戰が起つて、サタンの作つた諸組織(非猶太教及び非猶太國家)を拂拭してしまはなくてはならぬ。」(ラサーフォード、三十三年)
「神の眞理の語の指示に依れば、あらゆる戰爭のうち最も恐るべき戰爭と比類のない大量的死とが近き將來に迫つてゐる。エホバはその證をする者にこの事實を人類に告知する義務を下し給ふたのである。」(ラサーフォード、三十三年)
「世界のあらゆる國民の再組織が行はれるのであらう。今日用ひられてゐる地圖は、その王國(猶太王國)に於ては用ひられないであらう。」(ラサーフォード、三十三年)「聖書の光に照らして見れば、エルサレムが世界の首都となることを期してもよい。」(ラサーフォード、二十四年)
「猶太人が世界の支配權を握るに至るであらう。」(ラッセル、十七年)
猶太獨裁をいまだに甘受しないか、或はそれを新しく覚醒した民族の力によつて撥ね返す力のある國に於ては、この奇怪なる猶太の半祕密結社は禁止又は壊滅させられてゐるが、しかしなほその變形であることの疑惑の深い「無教會派基督教」乃至「聖書研究會」の如きは、巧みに法網をくぐつて、活躍してゐるかに見える。ルーデンドルフ將軍の言つた通りに、かくの如き意味の基督者は、「人工的猶太人」であり、有償無償の猶太の志願兵である。
その他社交倶楽部の名を持つてゐるものに國際ロータリー・クラブ(最近は全く猶太的にラジオを利用して勢力擴大に狂奔してゐる)、國際ペン・クラブ等があるが、これらの猶太性とフリイ・メイスン性に關しては最早疑惑を抱く人も皆無であると思はれるから、ここではそれを論ずることを避けたいと思ふ。(一六・五)

五、猶太聖典及び法典の成立と猶太的「タルムード論理」


猶太問題が單なる宗教問題でないことは言ふ迄もないことであるが、然し猶太民族の場合に於てもその特質がその宗教に於て最も本質的に現はれてゐることは、他の民族の場合と同一であつて、猶太民族の過去・現在・未来を知るためには、何よりも先づその宗教をよく理解しなくてはならない。勿論、或る宗教を眞に理解するためには、その祭式の實際を詳細に知る必要のあることは言ふ迄もないが、しかしそれと同時に、否、それよりも一層重要なのは、その宗教の聖典を充分に検討することである。この意味に於て吾々は、第一に「トーラ」と稱せられる舊約聖書の最初の五巻、次には「タルムード、」次には「シュルハン・アルフ」、そして最後には「シオンの議定書」にまで及ぶ所がなくてはならない。勿論この他にも、舊約聖書の残部、猶太諸法師或はマイモニデスの著作等は考慮されねばならないであらうが、しかし前の四つを問題とすることで、充分ではなくとも、大體に於ては事足りるのである。それ故にここでは、これら三つをその成立と内容とに亙つて極めて簡單に述べて見ることにしよう。殊にわが國に於ける猶太問題研究の最大の缺點は、現在の問題に眼を向けることに急なる結果として、その根據を充分に明らかにせざる所にあり、従つて、屡々餘りにも早急に「八絋為宇」の大理想を持ち出すなどして、猶太に關する相當の知識を有するにも拘らず、極めて容易に猶太の張り巡らす陥穽に陥るのである。無知から来る傲慢さと同じく、原理の確立せぬ知識が如何に危険であるかは、この場合にもよく窺われるのである。
さて「トーラ」であるが、それは「教」を意味するものであつて、猶太教の原典をなしてゐる。舊約聖書の始めの五書がそれであることは・・廣義には舊約全部を指すこともある・・既述の通りであるが、猶太人のそれに對する尊敬の念は極度に深く、それが「意味」の點から神の言葉である許りでなく、その一語一語、その一綴一綴、その一文字一文字が、その侭神の言葉であつて、今傳はつてゐる侭の姿で神より直接にシナイ山上でモーゼに傳へられる前に、更に正確に言へは、この世界が神によつて創造される前に、現在のものと一言一句の相違なしに創造されてあつたといふのである。自分の宗教聖典に對するこの強烈な信仰は宗教的信念の表現としては尊敬すべき熱意を帯びてゐるのであるが、しかしここに既に見られる物質的文字への執着は、猶太民族に於ける唯物主義の深さを暗示してゐないと如何して言へるであらうか。殊に創世紀の宇宙創成史その他の内容が、印度乃至バビロンよりの輸入品であることを考慮し、またその中の神観乃至道徳観がその侭の言葉であるといふ猶太の信仰を問題として考へるならば、かかる言葉をモーゼに傳へ或はそれ以前にそれを創造した神エホバは、決して民族神とさへも言ひ得ない程度の妖怪乃至悪魔と見做されても差支へないのである。
眞の基督教に生きんとする者は、基督教と猶太教の差を知らなくてはならないし、従つて新約と舊約との根本的差異をも知らなくてはならない。舊約の名に欺かれて猶太の世界政策の手先となることは、「われ等の父なる神」の御旨にも叶ふ筈はなく、況んや身を捨てても猶太の不正を矯めんとしたと稱せられる基督その人の意志に副ふ筈はないのである。例へば、米國のブルックリンに本部を有する「萬國聖書研究會」といふ看板の陰謀團體及びそれに類似のものの如きは、何れも、基督教の名に於ける猶太帝國主義の一機關たるに過ぎない。猶太民族自身が「神の選民」たることを主張するのに對して、その歴史が果してそれを證してゐるか否かを見ることもせず、猶太聖書を舊約とする信仰に属することが人を「高等民族」にするといふ如きお目出度い迷信を抱いて、眞の信仰の本質と自己の本質とが何であるかを反省することを忘れる者が如何に多いことであるか! 例へばカンタベリー僧正の如くに猶太教會のみを保存してゐるソ聯を反宗教ならずとして感激し、また米國のブラウン僧正の如く幾百萬弗の遺産を共産黨に寄贈する程度の盲信者はわが國にはないであらうが、しかし「戰争と眞理」といふ如き三歳の童子と雖も正気ではなし得ぬ相關概念を作製する無教會派「人工猶太人」の如きが基督教者であるといふに至つては、基督教のためにも遺憾この上もない事であらう。
ここで猶太聖典そのものに帰らう。さて猶太人の「トーラ」に對するかくの如き唯物主義的盲信は、健全な常識を持つ程度の人に取つたならば「トーラ」の到る處に存することの明らかな無數の矛盾に面しても、猶太人をして矛盾を矛盾として認めるだけの餘裕を許さなかつた。即ち、神の言葉に矛盾があると認めることが神を冒涜することと感ぜられるのは尤であつて、ここに、その成立史から見ても存在し得ない筈の統一をかかる矛盾のうちに認めようとする努力が生れて来る。神の言葉に矛盾が見えるのは、いまだ神の心に徹しないからだといふのである。かくて所謂「解釋」又は「註釋」の必要が生じ、極めて牽強附會な無數の説が生れて来るが、然しこれらの解釋が單なる解釋と認められる限りはそれらに強制力がないので、かかる解釋に従事する猶太法師達は、彼等のなす解釋は單なる解釋ではなくて、モーゼが神より傳授された神の言葉の一部が口傳によつて彼等に傳へられて来たのである、と説くやうになつたのである。かくして成立したのが「解釋」を意味する「ミトラシュ」であるが、時代と共にそれがまた整頓され、解釋されて、やがて「繰返し」を意味する「ミシュナ」が生れた。舊約聖書と並んで猶太人によつて尊崇されてゐる上に、猶太人の本質を知るためには或は舊約よりも一層適切であるかも知れない「タルムード」は、この「ミシュナ」と、更に之に加へられた解釋の集成で「完成」を意味する「ゲマラ」とから成つてゐるのであつて、これは後にも論及したいと考へるが、猶太聖典として重要な「タルムード」は、その成立史から見る時には、解釋の解釋であるのである。この「タルムード」が現在の形に於て完成したのは西暦四百年から五百五十年に至る頃であるが、現在ではパレスティナ系の小部のものと、バビロン系の極めて大部のものとがあり、歐米に於て普通「タルムード」と稱せられるのは後者を指すのである。細字大型書十幾冊と稱せられてゐるから、その大部であることは容易に想像がつくであらう。
然しこの大部の書は、現在の基督教徒の全部があらゆる神父達の書を讀破することはなくA又現代の佛教徒があらゆる佛教經典を通讀することのないのに照應して、決して猶太教信者によつて全部が讀まれることはないのである。然しながら、猶太人が亞細亞の西部から歐州へと黄金を追うて流浪するやうになつてからは、個人的乃至團體的の一々の重大事に際してパレスティナの大法師の裁斷を受ける暇がなくなつたので、ここにより簡便な律法の書を必要とするに至つたのであるが、西暦千年頃に西班牙・佛蘭西・西部獨逸の地方に於て書かれた猶太哲學者マイモニデスの著、ヤコブ・ベン・アシェルの著、及びヨゼフ・カロの著等は、その使命を持つてゐたのである。いづれも「タルムード」を抜粋し、それに猶太的「解釋」を加へたものである。そのうち最後の書が最も廣く讀まれたが、これがまた既に大部の著であつたので、更に著者自身によつて抜粋が作られ、千五百六十四年から翌年へかけて始めてヴェニスで出版されるに至つた。「シュルハン・アルフ」(「用意の出来た食卓」の意)と稱せらるるものがこれであるが、しかし猶太の他のあらゆる場合と同じく、この書もまた直ちに「解釋」を生んで、現在「シュルハン・アルフ」として我々の手に入るものは、クラカウの猶太法師モーゼ・イツセルレスの書いた部分の加へられたものである。かくてこの書もまた相當大部のものとなつてゐるが、この程度ならば實用的であるので、現年も盛んに活用されてゐる。四部から成つてゐて、日常生活の諸般の事を規定した巻、祭事を規定した巻、民法乃至刑法の巻、婚姻の巻となつてゐる。唯物論者マルクスが常に懐中して、人目を避けては讀み耽けつたといふのも、恐らくこの書か、それの抜粋であるらしく、改宗猶太人で表面的には宗教排斥の元祖であるマルクス(本名モルデカイ)に於てすら既に然りであるから、他の猶太教猶太人に於てはこれらの猶太聖典が今に於ても如何なる拘束力を持つてゐるから、到底吾人の想像を許さぬ所である。しかしこの事情は、大部の猶太史の著者猶太人グレッツ教授や日本に於ても一時渇仰随喜の對象となつた猶太的「純粋」派の猶太哲學者コーエン等が、或は著書の中で、或は法廷の前で、猶太教とその聖典とが現在の猶太人に取つても唯一絶對の價値の標準であり、實行の規矩である、と公言してゐるのを見れば充分に明瞭になるであらう。
既に論及したやうに、これらの猶太聖典乃至法典はすべて解釋であり、解釋の解釋であり、そのまた解釋であるが、これは吾々が猶太人の本質を知る場合には極めて興味深い事實を暗示してゐるのであつて、猶太人は「創造的でない」とされるかと思へば、同時に他方では猶太人は「頭がよい」とされるといふ、一見しては矛盾と見える事柄が、決して眞の矛盾でないといふことも、猶太聖典の成立史に見られる上述の事實を知る者には直ちに明らかになるのである。つまり猶太人の「頭のよさ」とは、「トーラ」又は「タルムード」の解釋の場合のやうに、本来の矛盾であるものに統一を見出すことであり、勇猛な詭弁によつて對象を無視しても或種の「解釋」を成立せしめるだけの大胆さを持つといふ事に外ならない。それ故に猶太人の頭のよさとか解釋のうまさは、猶太人の實生活の殆ど全部を形成してゐると稱せられる「嘘言・詐欺・裏切り・暗殺」等の諸傾向が頭の仕事として發現したものに外ならぬことが判明する。「タルムード」の成立そのものが既に「トーラ」に對する嘘言であり、詐欺であり、裏切りである、暗殺であることは、「タルムード」には既に「トーラ」の面影が殆ど全くないと稱せられてゐることによつても判明する。猶太精神の本質が「技術的」であると稱せらるるのも、眞の創造力がなく、解釋のみに終始するがためであらう。一體に解釋的精神は非創造性の一面であつて、之は個人的に見ても、民族の歴史を見ても、よく理解の出来ることである。ゲーテの言ふ創造的批評が如何に稀であり、解釋のうまさといふ技術の點に捉はれない眞の創造的解釋が如何に少ないかといふことが、これを證する。猶太精神の以上の側面を吾々は「猶太的論理」と呼びならはして来てゐるのであるが、この技術的精神が技術の世紀である唯物主義の十九世紀に支配的地位を占め得たのも、蓋し偶然ではないであらう。兎に角、猶太の「トーラ」崇拝は、表面的には宗教的熱意を帯びてゐるが、實際に於ては「トーラ」は、その解釋者、即ち、猶太法師の「頭のよい」解釋によつて、口傳もまた神の言葉なりといふ詭弁の下に、如何とも變更され得ることになつてゐるのである。
宗教聖典に對してさへもかやうな態度であるから、他の解釋の場合が如何であるかは容易に想像し得られるであらう。所謂「純粋法學」、「形式社會學」等と呼ばれる猶太系の思想がすべてそれであつて、例へば猶太法學が國家をも「純粋」化して××機關説に及び、また偉人天才の研究に於ては對象の本體を猶太化し、それによって解釋者の「頭のよさ」を誇示するのも、同じ「嘘・詐欺・裏切り・暗殺」的精神の一表現に外ならない。(一六・五)

六、「シオンの議定書」の成立、傳播、眞僞

「シオンの議定書」は、古今東西を通じての最大の怪文書と呼ばるべきものであって、内容的にさうである許りでなく、その著者、その成立史、その傳播の径路等から見てもまた然りなのである。即ち、この書は、内容的には世界革命と世界制覇とのプログラムであって、現在の世界の動きがそれを實證してゐるのであるが、それにも拘わらず、その僞作であることが問題とされる許りか、著者も成立史も傳播史も深い闇に覆はれてゐるのである。然しこの書は、千九百一年以來公刊されてゐた露西亜の國境を世界大戦後に超えて獨逸(千九百十九年)その他で公刊されてからは、その怪文書たるに全くふさはしい速力をもつて世界に普及されて行つたのである。またあらゆる猶太人側の否定にも拘らず、千九百五年の露西亜語版(後述するニールス版)が大英博物館に翌年納入されてをり、その分類番號まで明らかになつてゐることも、この書の怪文書性を減ずることはないのである。
とにかく猶太は、獨逸に於けるゴットフリート・ツール・ベークの譯及び米國に於ける自動車王フォードの著書に依つて、この書が急速に世界に傳播されて行くのを見て、極度に狼狽し、買占め又は威嚇乃至買収等によつてそれの普及を妨げようとしたが、その方法が失敗に終ると、今度はそれが非猶太人の僞作であることを主張するやうになつた。そしてその試みは、千九百二十一年になつて、計画的組織的なものとなり、米・佛・英の順序による三段構への對策となつて現れるに至つた。それ故に我々は、多少長きに失する憂ひはあるが、その三つの策謀の内容を略述して見たいと思ふ。現代の我々に取つては、この書の方が「トーラ」又は「タルムード」よりも直接の關係を持つてゐるとさへ言ひ得るのである。但し我々は、猶太問題全般の研究に取つても「議定書」の方が「トーラ」又は「タルムード」より重要であると主張するのではない。
さて、その第一は、當時紐育に在住したカタリーナ・ラートツィヴィルと稱する露西亜女を利用したものであつて、北米に於ける有力な猶太雑誌「アメリカン・ヒブリュー」の三月二十五日の誌上には彼女と猶太人アイザーク・ラントマンとの會見記が發表された。それに依れば、「議定書」は日露戦争後の千九百五年に僞造されたものであつて、當時巴里に居た彼女が、露西亜諜報官ゴロヴィンスキーの口から、在巴里露西亜謀報部長ラチュコフスキーから猶太人の革命陰謀者を僞造するやうに依頼された、といふ話を聞いた許りか、彼女は既に完成してゐたその原稿を見せて貰ふことさへした、といふのである。そして彼女は、その原稿の表紙には大きな青インキの斑點があつたとも述べてゐる。
我々はこの會見記の批刊は後に譲ることにして、猶太側の第二の策謀を述べることにしよう。それはアルマン・テュ・シエラといふ佛蘭西の伯爵を使つたものであつて、在佛亡命露西亜人の機關誌ボスリエニドエ・ノヴォスティに五月十二日から翌日にかけて伯爵自身が論文を發表してゐるのである。千九百九年に露西亜で「議定書」の出版者であるニールスに面會したが、その時見せられた原稿には青インキの大きな斑點があつたし、「議定書」の入手の径路に關しては、ラチェコフスキーからその筆冩したものを貰つたK夫人から手に入れた、とニールス自身が言つたといふのがその論旨である。
この第二説が第一説と連絡して巧妙に仕組まれた芝居であることは、青インキの大きな斑點といふやうなわざとらしい詭計によつても判明するのであるが、とにかく猶太側がこの二重の對策では満足し得ず、第一策と第二策との間の時日の隔りと全く同じ程の日数によつて第二策と隔つてゐる八月には、十六、十七、十八の三日間に亙つて、今度は國も新聞の種類も全く變更して、英國の有力紙「タイムス」を動かして第三の策謀に移つてゐるのである。當時の事情から見ても、現在の事情から見ても、猶太側の「議定書」爆撃が米・佛・英といふ所謂三大デモクラシー國に於てなされた事は注目に値するのであつて、デモクラシーとは事實上猶太支配の別名に外ならないことは、この簡単な一例によつても判明するのである。
本論に帰つて第三策を見るのに、それはタイムスのコンスタンチノープル特派員フィリップ・グレイヴスの文章であつて、佛蘭西の弁護士モーリス・ジョリーが前世紀の半ばにブリュッセルで出版した「マキァヴェリとモンテスキューとの冥府に於ける談話」を彼が同地へ亡命してゐた露西亜地主から貰つたが、地主はそれが「議定書」の種本であると言つた、というのがその内容である。
グレイヴスの文がこれだけで終つてゐるとすれば、それは或程度まで間違ひないのであるが、我々をしてこの一文を猶太政策の一つと認めしめないでおかないのは、筆者が以上の事實から次の如き結論を引出してゐるからである。即ちグレイヴスは、「議定書」がジョリーを種本としてゐるのではそれは非猶太人の僞作である、と主張するのであるが、これは猶太側が結論を急ぎ過ぎたがための失敗であつて、それは、非猶太側がジョリーを種本として無根拠な世界政策を捏造することが可能であるとすれば、猶太側の方でも同じジョリーを種本としてその世界革命のプログラムを作ることが可能である、といふことさへ考慮しなかつた軽率な結論である。
「議定書」とジョリーとの關係は、獨逸の半月刊猶太問題専門情報誌「ヴェルト・ディーンスト」のフライシュハウエルが平行的に印刷して比較研究してゐるのでも明らかなやうに、多くの内面的一致のみならず、文章上の表現に於ても一致してゐる點があるので、ジョリーが直接の種本であるか、或は両者が共通の粉本を持つてゐるのかは明らかでないとしても、両者の密接な連關は疑ふべくもないのである。しかしこの事情は、猶太「タルムード」論理に依つて結論を急がない限りは、却つて「議定書」が猶太側の革命陰謀者であることを、少なくとも内面的眞實性の點では、證明する事になるのである。即ち、ジョリーはその自傳に於て、父はスペイン人であり、母はイタリヤ人であると言つてゐるが、確かな調査によれば両親とも國籍をそれぞれ両國に持つてゐた猶太人なのであるし、なほ特に注目に値することは、ジョリー自身猶太フリイ・メイスン祕密結社の會員である許りか、佛蘭西に於る有力な猶太人結社「イスラエル世界同盟」の創設者クレミューの親友であり、千八百七十年の共産系暴動にみづから参加してゐるのである。ジョリーのこの経歴を考慮する時、それだけで「議定書」が猶太系フリイ・メイスン祕密結社の世界支配のプログラムであることを信じても、グレイヴス等猶太側の態度に比して決して軽率であるとは云ひ得ないのである。
とにかく猶太側は「議定書」が僞作であり剽窃であるといふ程度の外面的な拒否をするだけで、それの内容にまで説き及んで反駁することはないのであるが、之は非猶太人には注目すべき點であつて、内容に触れて論ずることは「議定書」の内容を一層世上に廣布することになるのみか、十九世紀末以來の世界の動きを多少とも猶太の宣傳を盲信しないで見る人には、その眞實であることが直ちに感得されるといふことを、猶太側自身充分知つてゐるからである。しかし「議定書」の露西亜に於ける出版者ニールスが非實在の人物であるとか、「議定書」そのものが世界大戦後の英國に於ける僞作であるとかいふ程度の迷論・・日本の自由主義的猶太戦線の志願兵には、猶太人自身さへも最早捨てて顧みない之等の古い一時の浮説を宣説する者さへある・・よりは、なほ猶太側の上述の三説の方がまさつてゐることは認むべきであらう。

千九百二十一年の三段構への努力にも拘らず「議定書」が廣布して行き、また一方そのプログラムに従つて猶太の世界政策が進展して行くのにつれて、猶太の策謀に気の附く人が次第に多くなり、特に獨逸に於てヒットレル政府が次第に確立して行くのを見ては、今まで猶太側の新聞その他による宣傳に躍らされてゐた人も、或程度までは反省の機會を與へられるやうになつて來たので、猶太側でもこの情勢を黙視することが出來ず、他の反獨的な種々の政治工作と共に、議定書に關しても二十一年に比較して一層有効と見える對策を購ずる決心をしたのであった。これが千九百三十三年から三十五年に亙る瑞西國ベルンに於ける「議定書」訴訟である。
猶太がこの年とこの地を選んだのは単なる偶然ではないのであつて、その一般的理由は上述の社會情勢にあることは言ふ迄もないが、然しその直接の動機は、一方では、前に論及したラチュコフスキーやニールスが既にこの世にない上に、露西亜に於ける「議定書」のもう一人の出版者ブートミ、獨逸に於ける第一の出版者ツール・ベーク、獨逸に於ける第二の出版者で有力な反猶太主義者であるフリッチュ等も死んでおり、更に、後述する通りに議定書の著者と推定さるるアハト・ハーム、シオニズムの元祖ヘルツルもまたあの世の人となつてゐたがためであり、他方では、このベルン市には卑猥文學を禁止する法令がある許りか、猶太マルクス主義を奉ずる裁判官マイエルが居たためであつた。また瑞西は猶太的フリイ・メイスン祕密結社の優勢な土地・・佛蘭西及び和蘭と並んで公然たる猶太人保護法がある・・であるので、これも猶太側には有利な條件であつた。かつて三十三年六月二十一日には「瑞西イスラエル同盟」と「ベルン猶太文化協會」の名に於て、「議定書」は卑猥な文學である故に發賣禁止となるべきであるといふ訴訟を提起したのであつた。(これに聯關して、「議定書」を頒布した憂國主義者が訴へられてゐるのであるが、この點は現在の我々に直接の關係がないので、叙述を簡単にするために、今後とも「議定書」のみに問題を限つて論じたいと思ふ。)そして一年を経過したが、事情が自己、に有利であると見た猶太當事者は、この時になつて「議定書」の眞僞の問題を追訴するに至つた。さて事件の専門的鑑定家としては、猶太原告側にベルンの刑法教授バウムガルテンが選ばれ、非猶太側には前述のフライシュハウエルが推挙され、上席鑑定家としては、前身に暗い所のある親猶太文筆業者のロースリーが任命された。前身に暗い所のある名士を利用するのは、猶太の「タルムード」が教へる所の常套手段であつて、猶太の世界政策機關である國際聯盟設立の主唱者であつた米國大統領ウィルソン、その聯盟に於ける長期の活躍家佛蘭西大統領ブリアンの如きもその過去には破廉恥罪があつたのである。かくて猶太側と裁判官マイエルの謀議によつて、猶太側の證人のみが喚問されることになり、三十五年五月十四日にはロースリーの上申書に従つて判決が下され、猶太原告側の全部的勝利となつたのであつた。
然らばロースリーは、その申告書に於て、何を主として彼の結論の拠り所としたかといふに、それはかの二十一年の猶太對策の第一、第二のものであつた。それ故に我々は、いまここでその二つに關してその眞僞を述べることにしよう。
ラートツィギルの説が根拠のないものであることは、後述する通りに、議定書が既に千八百九十五年には露西亜でズホーティン及びステパノフ等の手に、千九百一年にはニールスの手にあつたことや、千九百三年にはスナミア紙上に發表されてゐたことからも明らかであるし、またラチュコフスキーもゴロヴィンスキーも千九百五年に巴里に居なかつたことが證明されてゐることからも明らかである。ロースリーはこの千九百五年を何の理由もなしに千八百九十五年に改めている。なほラートツィヴィルその者の人物を調査した結果は、彼女が露西亜公妃と稱してゐるのは不當であつて、十四年以前に離婚してをり、その後コルプ及びドウヴィンと更に二度の結婚をしてゐた者である許りでなく、文書僞造や為替僞造で十八ケ月の禁錮の経歴を持ち、二十一年には紐育で無銭飲食の廉で逮捕されたことさへあるのである。なほ彼女は問題の會見に對し、純猶太フリイ・メイスン祕密結社ブナイ・ブリスの會員ルイ・マーシャルから五百弗の報酬を受けたといふことである。
シエラ伯爵の場合は、彼がベルンの法廷に於ても自説の正しいことを誓言したに拘らず、その後前記の「ヴェルト・ディーンスト」の調査に依れば、三十六年三月二十四日附のニールスの息子の手紙では、彼の母はKを頭文字とする名前の人ではなく、ラチュコフスキーと知合でなかつた許りか、父が「議定書」の冩しを貰ったのはズホーティンであつて、彼もその際に居合はしたが、その原稿には青インクの大きな斑點はなかつた、というのである。なほシエラ伯爵個人の人物は、反ボルシェヴィストであるヴランゲル将軍の陣營にありながらもボルシェヴィストに通牒したといふ憎むべき経歴を持つ者であることが、三十六年四月三十日ペトロヴィッチ・ギルチッツの手紙で暴露された。ギルチッツ自身はシエラ伯と同時にヴランゲル将軍の麾下にあつた人である。
なほ第一、第二の場合共に問題となるラチュコフスキーに關しては、その息子の三十六年七月十三日の手紙に依れば、彼は寧ろ親猶太主義者であつて、千九百五年頃の彼の祕書は猶太人ゴルシュマンであつたのであるし、遺稿その他を詳細に調べて見ても、彼と「議定書」とが關係があつたといふ證拠は皆無であり、又その知合にK夫人のなかつたことも疑ひはないのである。
これらの調査が出來たためか、三十七年七月二十七日からの控訴審に於ては猶太側に不利な形勢となり、十一月一日に下された判決では前審が取消されて、「議定書」は卑猥文學ではなく、単に政治的闘争書であると認められ、またその眞僞の問題は法廷に於て決せらるべきものではなく、學術的に決定せらるべきものである、といふことになつた。
かくて猶太の策動は画餅に帰し、その非猶太人に依る僞作であるとの説は確認されず、發賣禁止もまた行われないことになつたのであるが、それが東洋に於ては日支事變に於て實質的に猶太の誤算と敗北とが次第に進捗しつつあつた頃であることを思ふとき、この訴訟事件が猶太に與へた精神的の打撃は誠に大であつたことと推察されるのである。その後獨逸合邦、チェッコ問題の反猶太的解決などもあり、この「議定書」の全部的實現がその一歩手前で失敗に歸しつつあることが次第に明らかになつて來てゐるが、欧州戦争誘致乃至日米通商條約廃棄通告等最近の米・英・佛に於ける猶太側の過激な手段の由つて來る所は、このベルンの訴訟に始まる正義派の勝利に對する猶太の絶望的なあがきなのである。この意味に於てベルンの訴訟の持つ象徴的意義は大であると言はねばならない。

今や我々の課題は、前に論及しておいた通りに、「議定書」がその世界大戦前に於ける唯一の傳播國である露西亜に於て既に千八百九十五年にズホーティン及びステパノフ等の手にあつた、といふことを明らかにすることである。この點に關しては、「水、東へ流る」又は「われらの主猶太人」等の著書によつて「議定書」問題及び一般猶太人問題に關して功績のある亜米利加の女流文筆家フライ夫人が、甞てモスコーの宗教會議の代表者であつたフィリップ・ペトロヴィッチ・ステパノフから千九百二十七年四月十七日に貰った手紙の内容であるとして發表している所が最も確實な資料となつてゐる。その手紙に依れば、ステパノフは千八百九十五年にアレキシス・ニコラエヴィッチ・ズホーティンから「議定書」の冩しを貰ひ、自分でもまたその冩しを作つて人に頒つた、といふのである。そしてこの説が単なる作為でないことは、「議定書」の出版者ニールス自身も、彼がそれを手に入れたのはズホーティンからである、と言つてゐることからも判明する。ただ前説との差は、ニールスがズホーティンから貰ったのは千九百一年であるという點である。またズホーティンが如何にしてそれを入手したかに關しては、彼自身ステパノフ及びニールスの二人に對して、巴里の一婦人からである、とのみしか語らなかつたとのことである。 なほこの九十五年説が正しいことは、三十七年に「猶太人の世界陰謀計画」なる小冊子に於て「議定書」問題に關する最新の研究の成果を纏めてゐるベルクマイスルが、三十六年十二月十三日附でズホーティンの娘アントニーナ・ポルフィルエウナ・マニコフスキーから受取つたといふ手紙の内容を見ても明白である。彼女はその中で、彼女が千八百九十五年に父を訪問した際、妹や姪が「議定書」の冩しを作つてゐるのを目撃した、と書いてゐるのである。
九十五年説には、北米デトロイト市で出版されている「フリー・プレス」關係の猶太人ベルンシュタインが自動車王フォードの書記カメロンに向つて、九十五年にオデッサで、ヘブライ語の「議定書」を見た、と語つたのも、間接的ではあるが、一つの好都合な材料となるであらう。但し、この點に就ては今一度後に触れることにして、茲では論を本筋に戻したいと思ふ。
かくて問題は、ズホーティンが如何なる径路によつて千八百九十五年又はそれ以前に「議定書」を入手したかといふことになるのであるが、この點に關しては、フライ夫人の次の説がある。彼女に依れば、「議定書」の佛蘭西語譯が巴里のフリイ・メイスン祕密結社にあつたが、其處の會員ジョセフ・ショルストなるものがユスティナ・グリンカといふ女にその冩しを賣り、その女がそれをズホーティンに傳へたのである、といふのである。然しこのフライ夫人の説が何處まで正しいかは、今なほその後の證拠がないので、確かなことはわからない。
序に、その後の露西亜に於ける傳播の状況を略述しておかう。先づ千九百三年には前述の如くスナミア紙に掲載され、次には「議定書」の出版者として最も有名なニールスによつてその著「小事のうちの大事]の第二版に於て五年に出版されたのである。なほニールスの息子の前述の手紙に依れば、露西亜に於ける最初の公表は二年から三年へかけての冬に於けるモスコフスキヤ・ヴィドモスティ紙上であるとのことである。別にブートミは、その著「人類の敵」の中で、六年に出版してゐる。そしてニールスもブートミも、ボルシェヴィズム革命迄はその版を幾度か重ねて行つた。
かく露西亜に於ける傳播の歴史を見ても、ズホーティンが如何なる径路で「議定書」を入手したかは、依然として謎として残るのである。然らば、この謎は今後解決され得る見込があるかと言ふのに、現在ではそれを単に所有するだけでも死刑に處せられるソ聯に於ては、恐らく現在の猶太政府が存在する限り、その見込はないであらう。否、或は永久にその見込はないかも知れないのであつて、それには次のやうな「議定書」式が経緯があるのである。即ち、前露西亜代議士男爵エンゲハルト大佐が「ヴェルト・ティーンスト」に寄せた通信に依れば、千九百十七年にフリイ・メイスン祕密結社員ルボオフ公が暫定内閣を組織した時、猶太問題關係の文書の全部が内務省及び警視廳から持ち出されて猶太人政治家でフリイ・メイスン結社員であるヴィナヴェルに引渡されてしまつたといふのである。

「議定書」の著者に關しては、その内面的眞實さの點では、前述の問題よりも確實であるにも拘らず、その外面的證拠は一層その確實性が欠けてゐる。この點に於ても現在では、フライ夫人の説が最も多く容認されてゐるのであつて、夫人に依れば、彼女がフォードの財政的援助によつて露西亜で調査した結果は、大体に於てアハト・ハームことアシェル・ギンスベルクがその著者であるといふのである。彼の名は非猶太人の間では余り著名ではないが、猶太人間には尊崇の的となつてをり、幼時から天才的で、千八百八十四年からはオデッサに住み、千九百五年の露西亜革命に活躍したが、後にはパレスチナに移り、衆望を荷ひつつ死んだのであつた。その學識は實に古今に通じ、語學もまた猶太人らしく堪能であつたと言はれてゐる。そしてこの彼が千八百八十九年にオデッサでベネ・モシェ(「モーゼの子等」の意)と稱する猶太的フリイ・メイスン祕密結社を設立したが、「議定書」は彼が其處で講演した猶太の世界征服政策のプログラムであるといふのが、今では一般に信ぜられてゐる説である。前に論及した猶太人ベルンザインの説は、アハト・ハームの此のプログラムのことを指すものであるらしく、それがヘブライ語で書かれてゐたといふのは、猶太人祕密結社内の習慣であると見做しても差支へないであらう。それ故に、フライ夫人の説いてゐるやうに、これが佛蘭西の猶太的フリイ・メイスン結社で用ひられてゐたといふことも可能であり、其處からその佛蘭西語譯が露西亜へ入つたといふことも考へられるのである。その理由は、フリイ・メイソン祕密結社は、純粋に猶太的であると否とに拘らず、殆どその創立以來全く猶太の支配下にあり、また、全世界の此の結社は相互に密接な聯絡を持つてゐるからである。なほニールスが入手した「議定書」の冩しには、最後の部分に「第三十三階級のシオンの代表者達によつて署名されてある」との書入れがあつたといふことである。この點から考へても、「議定書」がフリイ・メイスン祕密結社中でも純粋に猶太的であるものの世界政策のプログラムであることがわかるのである。換言すれば、アハト・ハームが設立したベネ・モシェの親結社とも見らるべき純猶太祕密結社ブナイブリスの世界征服のプログラムに外ならないのである。
ここで我々は、近來に到るまで「議定書」がいわゆるシオニズムの世界政策のプログラムで、千八百九十七年の第一回バーゼル會議に於てそれは決定されたのである、と信ぜられてゐたことに關しても一言しておきたい。勿論、或る意味に於てそれがシオニズムのプログラムであるといふのは正しいのであるが、然しシオニズムには二種あつて、普通シオニズムと稱せられてゐるものは、ヘルツル等の主張する「實際的シオニスム」又は「政治的シオニズム」と呼ばれるものであり、アハト・ハームの創設したベネ・モシェ或はかの凶悪なブナイ・ブリス祕密結社の如きは「象徴的シオニスム」又は「精神的シオニズム」と稱せられてゐるのである。そして前者は、シオンの恢復を文字通りに實行しようとするものであつて、猶太人のパレスティナへの復歸を目標としてゐるが、後者は、シオンへの復歸を象徴的に行はうとするものであつて、現在の如くに世界の諸國に寄生虫として存在しながらも、その世界征服を完成しようとするのである。「議定書」が議決されたといふ九十七年の第一回シオン會議は、少なくとも表面的には「實際シオニズム」の會議であつたのであるから、種々の調査にも拘らずその會議關係の記録に「議定書」に關する事が少しも見當らないのは當然であらう。
我々は然しこの「實際的シオニズム」もまた猶太の世界征服政策の一つの手段であつて、「象徴的シオニスム」の一つの僞装であるに過ぎないとさへ考へる者であるが、この點に關しては今は詳述することを差控えることにして、ただ一つ次の事實だけをここに記して世人の注意を促しておきたいと思ふ。即ち、かの「實際的シオニズム」の會議に當つては、同時に必ず純猶太フリイ・メイスン祕密結社であるブナイ・ブリス結社の會議が開催されるのであつて、この意味に於ては、議定書が九十七年にバーゼルで議題となり得たといふことは可能なのである。然し、それはかのシオン會議そのものに於てではなく、同時に開催されたブナイ・ブリス結社の會議に於てであることは言ふ迄もない。アハト・ハームもこのシオン會議に出席してゐたことは當時の冩眞でも明らかになつてゐるから、その彼が「議定書」をブナイ・ブリス結社の會議の方に提出したであらうことは、決して不思議でも不可能でもないのである。

以上述べたところで「議定書」の眞僞の問題に對する解答は大体は完了したと考へられる。即ちショリーと此書との内面的連絡から言へば、「議定書」が、猶太側の主張する如くに、萬一にも非猶太人の僞作であるとしても、それは猶太の世界征服のプログラムたる資格を消失しないのであるし、また著者アハト・ハーム説が成立しない場合にも、後に引用するトレービチュの説に眞實性があるとすれば、これが猶太人の作であり、従つてその内容が猶太の世界支配のプログラムであることは肯定され得るのである。なほまたこれらの説の全部が成立しないとしても、少なくともジョリーの著者の出版された千八百六十四年頃以後の世界の動きは、この書が猶太の世界政策のプログラムとしての内面的眞實性を明證してゐるのである。いまこの點に就いて我々は一々例示することを差控へたいと考へるが、近時の世相を多少とも世界的に達観し得る人には、この「議定書」が余りにも眞實であることが直ちに理解されるのである。
然しなほ我々は念のために、議定書の眞僞に關しては、ベルンの訴訟を契機として主として獨逸の「ヴェルト・ディーンスト」が調査し、前にも論及したベルクマイステルが前述の小冊子で述べてゐる材料を紹介するだけの勞を取りたいと思ふ。そしてそれは三つあるが、特に注目に値するのは、三つながらに猶太法師のなした證言であることてあつて、猶太法師が猶太人の世界に於て如何なる地位を占めるかを知つてゐる者には、このことは誠に重大な意義があるのである。「トーラ」よりも時としては「タルムード」が尊重されることはよく言はれることであるが、猶太法師の言説は、極めてしばしば、その「タルムード」よりも尊重されるのである。
その第一のものは、波蘭領ショッケン市に於て千九百一年頃に猶太法師フライシュマンがその友人副検事ノスコヴィッツに對してなした證言である。三十四年十一月三十日の「ヴェルト・ディンースト」宛のノスコヴィッツの手紙に依れば、フライシュマンが自分の許嫁が猶太法師ヴァイルヒェンフォルトによつて暴行されたことを訴へながら、猶太人の内情を暴露し、「議定書」は猶太人の手になつたもので、決して僞作ではないことを確言した、といふのである。
第二のものは、同じくノスコヴィッツの手紙にあるものであつて、彼が千九百六年に波蘭のスウルツェツの猶太法師グリューンフエルトに「議定書」の眞僞を確かめたところ、法師は「貴方は餘り好奇心が過ぎ、餘りの大事を知らうとなされる。この件に就いて、私共は語ることを許されてをりません。私は語るを得ませんし、貴方はお知りになつてはいけないのです。何卒慎重にやつて下さい。でないと、生命にかかはりますよ、」と返事したといふことである。
第三のものはエフロンなる人物をめぐるものであつて、第一、第二に比して複雑であり、その證言は三重又は四重になつてゐる。彼エフロンは露西亜系猶太人であつて、詳しくはサヴェー・コンスタンティノヴィッチ・エフロンといひ、青年時代には猶太法師であつたが、後に基督教に改宗し、ペーテルブルグの鑛山技師にもなつた人であるが、また文筆の才もあつてリトヴィンといふ筆名で「密輸入者」その他の戯曲を書き、猶太人に對して時折辛辣な批評を加へたりしたので、猶太的ボルシェヴィズム革命の後は生命の危険を免れるために所々に亡命して回つたが、終にセルヴィアのシヤバッツ県ペトヴィッツ近傍の修道院に救われ、二十六年にここで歿したのであつた。
さてエフロンに關する最初のものは、露國騎兵大尉ゲオルク・M(特に名が祕されてゐる)が二十二年二月に彼に「議定書」は本物であるかと訊いた時のエフロンの答であつて、「自分はそれが基督教側の新聞に公表される数年前からその内容をよく知つてゐた」といふのであるが、これは大尉自身が二十八年十月巴里の露西亜教會の司祭長の前でその眞實であることを誓言したものである。
次の二つは前出のベルクマイステルの調査したものであつて、彼はこのエフロンの場合に非常な興味を感じ、エフロンを知つてゐる者を何とかして探し出したいと思つて努力をするうち、二人を發見するのに成功したのであつた。その一人はワシリー・アンドレエーヴィッチ・スミルノフであつて、ベルクマイステルはこの者から、エフロン自身が或る機會に書いたといふ露語の一文を受取つたさうであるが、我々はその文章の動機及び内容に触れることを差控へて、スミルノフが三十六年十二月十五日に「議定書」に關してエフロンと交はした會話中、「議定書は原本そのままではなく、原本の壓縮した抜粋であるが、その原本の由來と存在に就いては、全世界で自分を含めても十人しかそれを知つてゐる者はない。もし君が時々私の所にやつて來るならば、この祕密を漏らしてあげてもよい、」とエフロンが言つた事だけは彼が今なほ記憶してゐる、と書いてゐるのを傳へておかう。但しスミルノフはその後間もなく職を得てベルグラードに去つたので、遂にエフロンからその祕密を聞くことは出來なかつたといふことである。もう一人はペトヴィッツ在住のワシリー・メチャイロヴィッチ・コロシェンコであつて、エフロンが修道院に収容されてゐた頃、其處の官房主事を勤めてゐた者であるが、彼の三十七年二月三日附の手紙に依れば、彼は或る時エフロンから「議定書」を貰ったが、その時エフロンは、「これは本物であつて、その中に書いてあることはすっかり眞實である」と言つたし、また別の時には、「猶太人は祕密文書を持つてゐるが、それは内情に通じた人以外には誰にも見せることはない」とも言つた、といふことである。
名著「猶太帝國主義」の著者シュヴァルツ・ポストゥニチュは、その著書中で、彼もまたエフロンに千九百二十一年にベルグラードで會つたが、その時エフロンは、「議定書が本物であることを説く人に共通の誤りは、それを議定書と呼ぶことであつて、實際にはそれはプログラムである」と言つた、と記してゐる。
既に「議定書」の内面的眞實性を確信する者に取つては、以上三つ乃至五つの外面的證拠の有無は大して意義はないのであるが、しかしこれらの證言もまた實證的には可成り重要視さるべきものであることは言ふ迄もない。

ここで我々は、前に一言しておいた猶太人アルトゥール・トレービチュの言を引用しておくことにしよう。

「著者の如くに、かの祕密文書に表明されてゐる全思想・目標・意圖を我々の全
経済的・政治的・精神的生活から既に以前に豫感を以つて観取し、聴取し、読取
つてゐた者は、この文書が世界支配を目標とする精神の正眞正銘な發露であると
いふ説に決然と賛成することが出來るのである。アーリヤ人の頭脳ならば、反猶
太的憎悪が如何にそれを僞造と誹謗とに駆り立てようとも、これらの闘争方法、
これらの謀略、これらの奸計と詐欺とを考へ出すことは到底出來ないであらう。」

トレービチュの「獨逸精神か猶太精神か」の中からの引用に次いで、我々は、「議定書」に關する第二審の判決以前にその眞僞に關して独・伊・英・米・佛・墺太利・ハンカリー・波蘭・ベルギー・和蘭・デンマーク・フィンランド・希臘・ユーゴースラヴィア・加奈陀・レットランド・ノルウェー・スェーデン・瑞西・スペイン・南阿・チェッコ・露西亜(亡命者)の代表が獨逸エルフルトに集合して行つた「決議」を紹介し、この「議定書」に關する小論を閉ぢたいと思ふ。
「千九百三十七年九月二日より五日に亙つてエルフルトで開催されたヴェルト・ディーンストの國際會議は、二十ヶ國以上から参集した数多き學者・著作家・政治家がそれに参加したのであるが、議定書の眞僞に關して次の如き決議をした。
ベルン裁判所によつて千九百三十五年五月十四日に下された判決は議定書を僞作であるとしてゐるが、これは過誤判決であつて、この結果に立ち到つたのは一に次の事情のためである。即ち、それは、裁判官が誤つて、猶太側から推薦された瑞西の専門家ロースリーとバウムガルテン教授との意見書のみをその判定の基礎としたためであり、またその上に、猶太側原告が提議した十六證人のみを尋問して、非猶太被告側から提議した四十人の反對證人を只の一人も召喚しなかつたがためである。ベルンの判決は議定書の本物であることを揺がせるものではない。その本物であることは、他の種の事情がそれを證明してゐる許りでなく、猶太人自身がそのあらゆる政治的・社會的・宗教的領域に於ける行動に於てこの議定書の規定に従つてゐるといふ議論の余地の無い事實によつて證明される。かくてシオンの議定書は、猶太の世界政策の眞正なるプログラムである。」(一六・五)

七、國際猶太祕密力の世界新聞統制(譯補)


新聞の使命
新聞は言ふ迄もなくあらゆる國民の言葉の擴聲機であり、世界の眼乃至耳であり、また所謂輿論の擔ひ手であり、世界に於ける出來事の焦點を成すのみでなく、空間を超へて人間と人間の間を仲介する役目をもつ。それは政治的地平線にかかつてゐる雲の動きを記すと共に、諸國民の日光を録するが故に、一つの大きな權力と認められねばならない。新聞は單に國民生活に於てばかりでなく、國際的生活に於ても亦前代未聞の有力な政治的機關と認められざるを得ない。總ての大事件に對する諸國民の政見は、新聞を通じて發表されるので、今日ではそれは、世界政治界のバロメーターと呼ばれることが妥當であらう。即ち之なくては全然政治を行ひ得ないし、このバロメーターの針位と振幅とは、世界中の最近二、三十年に亙るあらゆる内閣に對して、世人のよく察知し得ない程に大きな影響を及ぼして來たのである。
抑も世界の政治家の中で新聞界から出た者が如何に多いことか! また今日新聞を讀まない政治家が何處にあるか? 果して彼等のうちで新聞の影響を脱し得るものが幾人あるであらうか? 今日新聞の持つ意義は、人が欲すると欲せざるとに拘らず、どうしてもそれを認め且つ尊重せざるを得ない所にあり、また新聞自身もこの點を大いに誇としてゐるのである。
然し乍ら新聞がこの意義ある地位を保ち續け得るのは、言ふまでもなくそれが、自分自身面目を汚さず、また醜汚な仕事によつて自己の名譽を損傷しない時に限るのである。それ故に新聞は、何よりも先づ眞實の報道を以てその生命としなくてはならない。不眞實は常に必ず新聞の最大の恥辱である。新聞の力は一にかかつて眞實といふ地盤の強弱に存するのである。
所が新聞に與へられてゐるこの力こそは、實はそれに極めて困難な責任を課してゐるのであつて、その故は、この眞實といひ眞理といふものが決して善惡の彼岸にあるものではないからである。この力は必ず國民の安寧と幸福及び人類の福祉のために利用さるべきものであり、萬一にも間違つて用ひられるならば、忽ち國民と人類との不幸と破滅とを招來する恐るべき力に變ずるのである。從つて私的のものであれ、超國家的なものであれ、或る祕密力が、ジャーナリズムの精神的威嚴を支配するに至るや、新聞はそれに應じて世界の危險物となり、一國民人民の内政生活のみならず、結局の所、世界平和にとつても一大危險物と化するのである。
新聞がそのうちに内藏してゐるこの危險は、實に今日に於ては世界政治的意義を有する大問題と化しつつあり、その解決が遲れれば遲れる程、この危險も増大して來る。成程之迄でも責任感ある政治家や新聞人が、この危險に就いて多く書いたり語つたりしなかつた譯ではない。然し遺憾乍ら彼等の聲は聞き逃され、單なる沙漠の説教に終つたのである。世界新聞界はこの問題になると多くは沈默を守るし、「輿論の政府」と自稱する民主主義國家も新聞の有するこの危險に對して戰を挑む勇氣は持たないのである。それは新聞界そのものが或國際的祕密力に依つて支配されてゐる上に、所謂デモクラシー國家に於ては政府自身がその新聞界に依存してゐるからである。かく見て來ると、これら諸國の政府及びこれら新聞の讀者は、少くともこれ迄の所では、眞の平和の敵でありまた現代に於て最も危險な戰爭煽動者でありまた世界輿論の毒藥處方者である所の新聞背後の祕密力といふものに對しては、全然盲目であつたと言はれねばならないのである。
我々もまたかかる危險力に對して口を緘すべきであらうか? 否、世界新聞界の破壞力が人類の災厄となつた今日に於ては、我々はこの暴状に對して敢然と戰はねばならない。そしてそれは單に國民又は平和のためのみではなくて、責任感を持つ新聞とその當事者とに途を拓き與へ、その勇氣と道義力とを鼓舞し、且つ一般に眞理の傳播を容易ならしめんがためである。然しもこの困難な課題を解決し得るのは、あらゆる猶太及びフリイ・メイスン祕密結社の迫害に抗しつつ人類の新時代のために戰ひつつある防共諸國のみである。防共とは實に反猶の別名であり、排フリイ・メイスン結社の異名であるからである。
上述の事情は、言ふまでもなく、日本に於ては多少とも異つた所がある。然し現代に於ては、通信交通機關の發達の結果としてわが國の新聞界が世界のそれと全く絶縁状態にあることは不可能である。殊に日本の新聞にも、毎日外國電報が現はれるのであるから、眞に國を思ふ者は、新聞當事者たると否とを問わず、充分の反省と自覺が必要であると思はれる。
新聞檢閲の歴史

千四百七十九年と言へば、かのグーテンベルグが印刷機械を發明してから間もなくのことであるが、この年にケルンの大僧正は羅馬法王に申請して、一定の出版物の發行人・印刷者・著者及び讀者に對して教會上の刑罰及びその他適當の方法によつて干渉を加へる特權を得た。更に千四百八十六年にはマインツのベルトホルト大僧正が自分の教區を取締る特別の檢閲委員を任命したし、千五百一年には、法王アレキサンデル第六世が、爾後「嚴格なる信仰に背馳し、神をなみし、人心を怒らす如き」言葉を印刷に附することを禁止するといふ布告を出した。かくて新聞の檢閲なるものは、初めは俗界からではなく教會側から提起されたのであり、之が俗界側の政治的檢閲に法律的根據を齎したのは、千五百二十四年のニュルンベルグの國會の時のそれを以て嚆矢とする。そしてその條文には、「當局は必要に應じて印刷物その他を檢査し、爾後誹謗文及び誹謗畫等を悉く驅逐し、その傳播弘布を抑止すべし、」とある。
古い文書に徴すると、既に土耳古戰爭の頃無道な物語作家の類が跋扈し、毒筆を揮つて既成秩序の破壞を企てたので、彼等は町から町に逃げ廻らねばならなくなつたさうであるが、その際には教會團體は何れも密告者の役を引受けてゐたらしい。フリードリヒ大王が「新聞紙は面白きものたる限り、妨害されてはならぬ、」と言つた言葉はよく、彼の自由主義を示す材料として引かれるが、然し同じ大王が、その三年後即ち千七百四十三年七月九日に、新聞の自由を内閣條令によつて撤囘したことはもつと重大に取扱はれねばならないであらう。その條例には、「ベルリン諸新聞の發行者達は、檢閲用見本刷を要せずといふ自由權を惡用し、諸種の虚報を載せ、外國に不快の感を與へたるを以て、王は命を下して、檢閲用見本刷なしに新聞を印刷する自由を撤廢し、豫め有識の權威者をして檢閲をなさしめ、その裁可を經ざれば發行するを得ざらしめんとし給ふ、」と書かれてゐるのである。
之に依れば、フリードリヒ大王は如何に巧に新聞を行政のために利用し、又それに干渉を加えたかが察知せられる。大王は、千七百六十七年伯林市に新しく戰爭の噂が流布した時、伯林の新聞に命じて、ポツダムを襲うた強烈な暴風雨に就いて次の如き報道をなさしめてゐる。
「ベルリン特報、木曜、千七百六十七年三月五日。ポツダムより左の報あり。二月二十七日夕刻、空は眞暗にして、雷雨を孕める雲によつて全地平線は蔽はれたり。雷光凄まじく、雷鳴ありて、人智の考へ及ばざる勢にて雹降れり。農夫が車に繋いで町に引き行ける牡牛二頭の中、一頭は立所に即死、街上の町民達は負傷し、農夫はまたそのために腕を折れり。屋根は雹の重量によりて破壞せられ、この暴風雨を運びし風に向へる窗は皆損傷を受けたり。街上にては南瓜程の雹塊の認めらるるあり、その溶けるに二時間以上を要せしといふ。この特別なる現象は頗る大なる印象を與へたり。自然科學者の言に依れは、空氣は抑もかかる氷塊を運ぶ力なき由なり。その眞否はともあれ、かかる出來事が極めて稀なる事に屬し、殆ど類例なきことは確かなり。」
實際の所、ポツダムでは風も吹かず、雹も降らなかつた。そして伯林人は兔に角新しい噂の種を得て戰爭の恐怖を忘れてしまつた。
とにかく老フリードリヒ大王は、上掲の内閣條令によつても解るやうに、言論の自由に就いては苦い經驗を持つてゐたのである。千七百七十二年四月七日に彼は佛蘭西人ダラムベールに宛てて次の如くに書いた。
「言論の自由はその不可避の結果として誹謗書を生む故に、常に濫用され易きかかる自由に對しては強制的防壓手段の必要なることを余は確信す。」
所が、かく新聞に批判的態度をもつて當つたのはフリードリヒ大王だけではなく、當時の有名な國法學者クリスティン・フリートリッヒ・ダニエル・シューバルトの如きも言論の自由(彼によればむしろ言論の厚顏無恥)の濫用に反對した一人である。彼は屡々報道の信用し難き點と矛盾を難じ、所謂「……なる由」なる言葉を嘲笑して、それはつまり風評と虚僞との境目が明かでなくなつたとき新聞記者が縋り付く尻尾であり、百口ある怪物に他ならない、と言つてゐる。また新聞の虚僞は物語の國に篭つてゐる眞黒な渡り鳥にも比すべきである、と彼は言ひ、和蘭のパンフレットや小册子や新聞雜誌がこの國に起つた暴動に大きな關聯を持つことを指摘し、更には、巴里の書籍檢閲が頗る嚴重に行はれてゐるのを喜んで、次の如くに總括してゐる。
「國家・宗教・良俗・良民等が思ふさまに傷けられる惧れのある國は、追剥と殺人者の棲む森である」
以上二人の言葉によつて我々の知り得ることは、デモクラシーが聲を大にして、人類の神聖な財であり又新聞の發展のためのかけがへのない原動力であるとして讚美する「言論の自由」なるものが、しばしば事實に於ては有恥有害なる空辭の最たるものであり、自由なる美名の下にかくれて輿論を毒する恐るべき害物であることである。
而してこの言論の自由の出發點は、千七百八十九年の佛蘭西革命に外ならない。同年八月二十六日の所謂「人權宣言」の第六條には、
「自分の思想及び意見を發言する權利は、それが新聞による時であれ、或は他の方法に依る場合であれ、決して禁止されてはならぬ、」
と書かれてゐる。
同樣の考は少しく制限を受けてゐるが、千七百九十一年の佛蘭西法第十二條にも規定されてゐる。
「思想及び意見の自由なる發表は、最も貴重なる人權の一つである。從つて國民は皆何れも自由に語り、書き、印刷することが出來る。ただ各人はこの自由に法律が加へる制限を顧慮すれば足りる。」
このやうな立派な公告があるにも拘はらず、佛國では、法律上言論の自由が保證されてゐた時代に、政治的權力者の嫌ふ新聞には重い壓迫が加へられた事實がある。千七百八十九年にマレー・デュ・パンはその主宰する「メルキュール・ド・フランス」誌に次の如く書いてゐる。
「我々が檢閲の閾から逃れて來た瞬間に、もう我々は苛酷な殺人劍に曝されてゐた。」
千七百九十三年三月八日の憲法會議で一人の議員が、「ジャーナリストには決して全權を與へてはいけない、彼等は立法者が仕事をする空氣を毒するだけである」と主張したことがあるが、之が言論の自由の本場と稱せられる佛蘭西の出來事である。更に四年後巴里で起つた補欠選擧では、ジャーナリストは候補者となり得ない、とされたその時の憲法會議で或る演説家は、「世人は須らくジャーナリストを淫賣婦と同視すべきであつて、その故は、彼等はこの女達と同じく周旋人を有し、買手を探すために道路を驅け拔け、また公の健康を毒するからである。」と言つてゐる。
それ故にナポレオンが、クーデターをやつた後に出版界にも手を下したのは、別に怪しむに足りないことであらう。
「若し余が新聞の手綱を弛めておけば、余は僅か三月の間も權力を保ち得ないであらう。」
「敵意ある新聞が四つあることは、戰場の兵士十萬人よりも危險である。」
彼がセント・ヘレナ島で最後を遂げる直前に語つた後人への戒めには、「新聞をそのままにして置くことは、危險の側で寢を取るにも等しい、」といふ語があつたといはれてゐる。
然し彼の時代はこの戒めを余り省みなかつた。新聞は政治的立憲主義と工業的經濟の進歩とにつれて大きな躍進をとげ、遂にその黄金時代に達したのであつた。
かくて新聞が無限な經濟的自由をモットーとして、正規の取引業に發展するに至つたので、ことに猶太人は民衆の安寧のために戰ふといふ假面の下にかくれて大役を演じるに至つた。新聞は政治的黨派の奴隸、その背後に隱れてゐる黒幕たる祕密力の奴隸に墮してしまつた。編輯部には今や、一番多くの報酬を呉れる者のために筆を用ひる器用な多筆家が登場し來り、佛國政治家ネットマンの如きは既に前世紀の始めにあたつて次の如く難じてゐる程である。
「言論の自由は萬人に告知された。然し優勢にして革命的な黨派は、物を見るに獨特の方法を持つてゐる。彼等が萬人の自由を公然と説く時、それは只主義を裏切つたとの非難を避けたいがために外ならぬ。然し一旦この主義を奉ずることを示し得さへすれば、實行上にはもうそんな主義はどうでもよいのであつて、ただ敵に對してはこの自由の享受を許さないのが可成り一般的なやり方になつてゐる。」
千八百三十五年八月二十二日に佛人ラマルティーヌは下院で論じて曰く、
「新聞は、少數の例外を除いては、國に害を與ふることが大きい。四年以來それは各行に憎惡と誹謗と汚穢とを撒きちらせて來たし、またそれは暴動と無政府を喚起した。」
文豪バルザックはもつと鋭犀に當時の新聞界の状況を描いてゐる。
「本來聖物たるべき新聞は、當派の手段になつてしまつてゐる。また一つの手段から一つの商賣になつてゐる。どの新聞でも大衆の欲しい色彩の言葉を賣つてやる露店に化してゐる。」
また佛蘭西の新聞人エミル・ドゥ・ジラルダンは千八百二十七年に、彼の新聞「ル・ヴォルール」の發刊を豫告した文の中で、率直に次のやうに書いてゐる。「我々は暴利時代に生きてゐる。宗教や諸々の自由には相場があるし、良心にも定價が附いてゐる。」
以上は何れも當時の人々が、所謂言論の自由に就いて懷いてゐた見解を竝べて見たものである。

新聞の商業化

新聞の商業化といふ現象は猶太人の仕事として十八世紀の末から十九世紀の初頭にかけて始まつて來たのであるが、その結果として新聞は二重の役目を演ずることになり、精神的政治的要素であると同時に一種の商品と化したのであるが、この事情は、新聞をして諸國民を結合する力としての位置から轉落せしめて、人類の災厄にまで下落せしめるに至つたのである。
近代新聞の動向を規定するのは報道と廣告との二つである。そしてこの二つの入口から、かの恐るべき猶太及びフリイ・メイスン結社の祕密力が「言論の自由」なる假面を被つて侵入し來り、世界新聞界をば今日の如き精神的竝びに道徳的危機に追ひ込むに至つたのである。前世紀の中葉に於て廣告税と公用廣告機關が撤廢せられた結果として、殆ど凡ての國に於て政治新聞に廣告を載せ得るやうになつたし、從つて國民の商業的關心と精神的政治的要求とを新聞によつて結合しようといふ傾向が著しくなつて來た。また廣告依頼者の信用を得るために讀者層を増大しようとしてあらゆる手段が講ぜられ、新聞の購讀料は印刷代以下に引下げられるに至つた。千八百三十六年七月一日に佛人ジラルダンは「ラ・プレス」紙を發刊したが、その購讀料はその當時の相場の半値であつた。では、かくして出て來る欠損が如何にして埋められるかと言ふに、それは廣告を殖やす他に道はないのである。
ジェームス・ゴルドン・ベネットは千八百三十五年に米國に於て「紐育ヘラルド」紙を創刊したが、彼はそれを只の一ペニで賣つた。しかし實際には、一部三ペンス乃至四ペンスかかつてゐたのである。英國では千八百五十五年に、新聞税と廣告税との撤廢後のこと、ヨーゼフ・モーゼス・レヴィが最初の「一ペニ新聞」たる倫敦「デーリー・テレグラフ」を發刊したが、他方ヴィーン市でも既に千八百四十八年にアウグスト・ツァングが「ディ・プレッセ」紙を發刊して、ジラルダンの例に倣つて、相場の半値で賣つた。
爾後新聞の讀者は印刷用紙代だけも支拂つてゐないことになり、從つて文字通りの不拂所得として贈られる通信や報道の部分は、匿名の金主が新聞を支へてくれるのでなければ、廣告代によつて經濟的に補填される外に道はないのであつた。
新聞の買收

かくて遂には色々の方面から買收の可能性が生じて來たが、これはかの國際猶太人及びその支配下にあるフリイ・メイスン結社に取つては誠にお誂向きの活躍舞臺であつた。
猶太人の破壞力が新聞に侵入した第二の門は近代の通信機關の發展である。新聞が資本主義に從屬するに至つたがために輿論もまた金力で動かされ得るものとなり、通信組織は濫用されて、新聞のデマ記事が國民生活の中に喰ひ入るやうになつた。現代に於ける世界通信網の歴史を辿つて見る時、我々は驚くべき連絡と組織とに當面するのである。
現代の新聞通信機關の起源はかの猶太人の取引所であるから、現代の組織化された虚報通達による新聞の惡用といふものはすべて猶太人の商賣根性の發現したものである。現代の通信組織は、自分に都合のよい通知によつて競爭者や顧客から出來るだけ物質的な利益を搾取しようとする商業本位の猶太人の手に握られてゐる實驗室である。
その好例をあげれば、倫敦の猶太人ネイサン・ロスチャイルドのあの歴史的な「ワーテルローの勝利」である。彼は正に現代新聞虚報の父である。彼の父でフランクフルトにゐたマイエル・アムシェル・ロートシエルトもまた相當の腕前があつたらしく、郵便局を買收して取引上の敵の手紙を祕かに手に入れ、それを儲仕事に利用したさうであるから、その息子ネイサンのやり方はつまり父親のやり方を現代化したに過ぎないとも言へないことはない。とにかくネイサンは傳書鳩郵便を使つたり、船長や旅行者を手數料で買收して色々な報道を集めるに役立てた。そしてこの世界中から集まつた報知を勝手に利用したり、祕密にしたり、ほのめかして、兔に角彼の取引事業に都合よいやうに細工したのであつた。彼の「ワーテルローの勝利」もまたその一例であつた。彼は逸早く誰も知らぬうちにワーテルローの決戰の結果を知つてゐて、丁度倫敦では未だ一般に半信半疑でゐたのを奇貨として、英國及び普魯西がナポレオンに敗戰したとの虚報を傳へた。相場はがたがた落ちた。ロスチィイルドは仲買人を使つて出來るだけ株を買込ませたので、ワーテルロー戰勝の正しい報知が倫敦に到着した時には、彼はもう巨大な金を儲けてゐたのであつた。
虚報の勝利

猶太的資本主義的貪欲に奉仕する新聞虚報は、世界通信網を握つてゐる政治的電線工夫の手にかかると忽ち諸國民の平和を脅かすものに化する。
最近百年間に亙つて戰時平時共に世界通信網を牛耳つてゐる歐羅巴の通信社は殆ど皆猶太人の創立である。先づ大きい所でアヴァス通信社は千八百三十五年にロイ・アヴァスの創立に係るが、その父は葡萄牙から佛蘭西に移住した猶太人である。彼は千八百三十二年に獨逸系猶太人ベルンシュタインの「色刷通信」紙を買取つて、之を改組した。彼には二人の共働者ベルンハルト・ヴォルフとヨザファト・ベールとがゐたが、この兩猶太人は千八百四十八年にアヴァス社を去つてヴォルフの方は伯林に自分の通信社を開き、カッセル出の猶太僧の子なるベールの方は五十年代に英國に渡り、ロイテルと改稱して英國の大通信社となつた。
この三大猶太系通信社は數十年來、全歐州新聞通信界を支配してゐたのみではなくて、殆ど全世界の報道陣を占領してゐた。獨逸も前大戰前に於ては言ふ迄もなくこの三社獨占から殆ど逃れることが出來ず、獨逸系の通信社が僅かに北方諸國を通信で繋いでゐる間に、アヴァスやロイテルは全世界を分割して支配してゐたのであつた。

大戰の通信状態とその後

かくして世界大戰が千九百十四年に勃發するや、恐るべき結果が招集され、全世界は佛英通信社のデマ宣傳で塗りつぶされてしまひ、獨逸は僅かに近隣中立國數國に眞實の叫びを聞いて貰へたに過ぎない。デマ宣傳がどんなに有效だとしても、それがアヴァスやロイテル等の國際的通信組織の力を借りなかつたならば、決して獨逸をたたき伏せる程の力を持つことは出來なかつたであらう。
ナチス獨逸は政權掌握後ヴォルフ通信社と電通聯合社とを統合して「獨逸通信社」を創設して、地球上樞要の各地に自派の代理者による自己の世界通信網を設置したが、獨逸は歴史上此處に始めて他の先進大通信社に劣らぬ近代科學の粹を盡した客觀的且つ急速果敢な通信網を全世界に敷くことを得たのである。大通信社が何れもその背後の祕密力の庇護を受けてゐることは上述した通りであるが、その結果として、國際通信組織が藏してゐる巨大なる危險は時とともに増大し、新聞の虚報は益々危險な隱蔽方法を考案して、大通信社の看板を下してまでも惡質のデマを飛ばすやうになつた。多くの場合には誰も責任を負はぬ報知を虚構するのが主眼であり、誰が委託したか、誰が背後にゐるのかを全く氣附かれないやうに仕組むのである。虚構は又次々に他の新聞にも引用されて尾鰭が附き、また互に引用し合つたりなどしてゐるうちに何れが元のものか解らなくなつてしまふ。之等通信社のモットーは、新聞虚報が常にその取消よりも迅速に廣まること、一度書かれた以上、結局何かが後に殘るといふことである。假令取消その他のいざこざがあつても、報道の迅速と競爭といふ理由のために事件の眞僞を確める暇はないので、自由主義的な新聞は無批判に之等の通信社の通信を掲載してしまふ。また多くの場合には、外國新聞中に見られる虚報、傾向的通信の類は、新聞自身の通信員から出るのではなくて、却つて新聞の編輯部員自身が通信員に傾向的なものや新聞社の政治的經濟的從屬關係に沿ふやうな報道を強制するのである。通信員の意圖などは全く顧みられることはない。かくて「言論の自由」といふ看板を掲げて新聞を支配してゐるのは、決して精神でも眞理でもなく、金錢であり、それを拂う人である。立派なジャーナリストと雖も此處では自主權を持たない。立派な新聞を毎日檢閲する匿名の背後人達は、厚顏にも常に「自由」を叫び乍ら、この空辭に隱れて諸國民を毒する贋作をどしどし擴めようとしてゐる。「自由」なる語は西歐民主主義國家に於ては頗る高く謳歌されてゐるので、「自由」を踏付けにするためにインチキ者流に用ひられるやうな場合でも「自由」とさへ言へば喝采を博するのは、眞の「自由」のためにも歎かはしいことである。

佛蘭西新聞界

佛蘭西衆議院議員エルネスト・ベゼは、佛蘭西の宣傳力増大のために議院内に特殊の一派を結成してゐる人であるが、彼は千九百三十五年にその著「世界の眼の下に」に於て次の要求を漏らした。「所謂自由を標榜する新聞の僞瞞を取除くため・・實はこれらの新聞は強力な利欲によつて結ばれてゐるのだが・・には、國家は思ひ切つて強制條令を施行すべきであらう。そして巴里の新聞界が再び名譽ある業績を示すに至る曉には、この強制條令は終に目的を達し、巴里新聞界は、外國資本や利害關係を持つ保護者乃至はシンディケートの干渉又は祕密資金等によつて屡々誘ひ込まれた奴隸状態から救ひ出されることになるであらう。」
佛國の有名な出版者ヴラヂミール・ドルメソンは千九百二十八年に「獨逸への信頼」なる書で言つてゐる。
「我々が苦しんでゐる困難の十分の九までは、傾向的報道に原因を持つてゐる。國民と國民又は政府と政府との關係を毒する不信といふものは、事實自身によるよりも、その事實を傳へる敍述の仕方によつて惹起される方が多いのである。」
佛國掌璽官アンリ・シェロンは千九百三十四年十一月十三日に新聞について次の如く語つた。
「……此國に於ては誹謗が横暴な支配者として君臨してゐる。日々の過激な言辭は輿論を無力にしてゐる。一定の經濟團體或は財團はその意見に從つて自分に從屬する人間を勝手に亡ぼすことが出來る。かかる雰圍氣にあつて人はもはや何人と雖も身の安全を保證されることを得ない。」
以上は何れも佛蘭西人自身の告白であつて、之は疑ふ余地のない資料であるが、序に佛國新聞が大戰前に於てそれ程迄に買收し易いものになつてゐたかを示す材料を一つあげて見よう。それは當時露西亞財務大臣の巴里駐在代理として佛國新聞を親露派に傾けようといふ任務を帶びてゐた樞密顧問官ラファロヴィンチュの手紙である。彼は、千九百四年八月三十日に當時の露西亞財務大臣ココヴィッツェフに宛てた手紙の中で、買收金の分割法に關じて次のやうに報知してゐる。
「豫算年度の最初十ヶ月の間に佛蘭西新聞の買收には六十萬フランの多額を費した。然もこれには銀行シンディケートを買收するに要した費用三十萬フランは含まれてゐない。」
今日の何の國でも、政治と商賣とを新聞で結合する企てが、佛蘭西に於ける程にうまく行つてゐる國はない。即ちこの國では、佛蘭西新聞全體の生命線をアヴァス通信社が獨占してゐるのである。この通信社は各新聞に報道を供給するだけでなく、同時にその廣告及び販賣にも手を出すのである。この先頭に立つて一切を切り廻してゐるのは、アヴァス社の總取締にして最大の廣告社の社長でもあるレオン・ルニエルである。なほ彼は、佛國新聞全體の販賣組織であるアシェト社の監査役をも兼ねてゐる。また巴里のロスチャイルドと竝んで財界に有力な地位を占めてゐる猶太人ホラース・フィナリイがこの全能なアヴァス社の首席監査役におさまつてゐることを見れば、實状が尚ほ一さうよく解る。如何なる新聞もこの全能な通信社に刃向かふ勇氣と力を持ちえないのは當然ではなからうか。
かく佛蘭西の新聞界に於ては政治と商業とが混和してゐるので、經濟團體や財團の類が新聞の一年の豫算を支拂つてやる代りに、その新聞の本欄全部を買切ることも出來る。編輯者の意見に從つて、背後の全權者の供給する通信や論説がそのまま新聞に載せられることも大して珍しい現象ではない。それ故に、如何に良い意志を持つてゐる記者も、この事情を如何ともし得ない程であり、かのヴラヂミール・ドルメソンは此點に關して次のやうな意見を述べてゐる。
「一再ならず余は個人的に話を交へて見て知つたのだが、新聞記者のうちには前日新聞で發表したのとは全く別の政治上の意見を持つてゐる者があるのである。『それは矛盾ではないか』と指摘すると、彼等は物倦いやうに手を動かして、『何ですつて、我々はあの人々の欲するやうにしなければならないのですよ』と答へるのである。實際、新聞の實權を握つてゐるのは五、六人のジャーナリストや政治家や賣文業者であつて、彼等はその機關である新聞によつて一定の政治、一定の産業、一定の野心を支持してゐるのである。」

英國の新聞

佛蘭西新聞の方は多少に拘らず決まつた精神的竝びに經濟政策上の潮流に從ひ、特定の黨派乃至財閥とか言つたものに仕へてゐるが、英國の新聞の方は、少數の例外を除けば、殆どその全部が大衆のセンセイション慾を滿たすことを主眼としてゐる。英國新聞の完全なる商賣化をジェラルド・バリーはよく描いてゐるが、千九百三十二年二月十九日の「余は新聞を訴へる」に於ては次のやうに言つてゐる。
「彼等は新聞を、立派な言論機關としてではなく、ありふれた財産獲得の手段として取扱ひ、丁度石鹸とか賣藥とか或はまた他の商品と同じく、速かに富裕になつて貴族の地位に昇り得るための手段と見てゐる。かやうな連中の間では、就中民衆又は國家に對する責任感といふものは逸早く消失してしまつた。その代りに出て來たのは商賣と廣告取りと部數増大との神々である。」
今日英國ではロード・ロザーメーア・コンツェルン、ビーヴァブルック・コンツェルン、ベリ團、ウェストミンスター團、スティーマー團、オガームス團等の他には、極く少數の新聞が存するだけである。中でも獨逸を比較的客觀的に見てゐるのはロード・ロザーメーア位のものである。
英國では言論の自由といふことが、傳統的になつてゐるが、その實施はなかなか困難である。かかる自由は公衆の眼を蔽ふ目隱しであり、目潰しの砂に過ぎない。この事實をよく喝破した人に「タイムス」の主筆ケネディがあり、「十九世紀とその夜」誌の千九百三十七年八月號にかう書いてゐる。
「發行人及び支配人等の側に於ける專横な行爲は、眞の自由とは全くの反對物であるにも拘らず、その大部分は我々の得意とする言論の自由の外被に隱れて行はれてゐる。我々英國人、英國程民主主義を尊ばない國々に於て行はれる嚴重な檢閲に對して、よく批評がましいことを言ふ。然し乍ら通信機關が何れも背後の匿名財閥の命による獨自の政策と道徳とを有してゐるとき、一體我々はこの『言論の自由』などを讚美する權利があるだらうか。その主なる役目は、大衆のセンセーション慾を助勢することであり、主筆や通信員が國際的融和及び世界平和にとつて重大な意義を持つ問題に一、二役を割かうとするのに對してさへも壓迫を加へようとするのである。」
このやうな批判をやつてゐるのは敢えてケネディだけに止まらず、大英新聞聯盟長ハムフレイは千九百三十七年三月二十二日に總會の席上次の如き言をなした。「世の中には、通信の生命をセンセーショナルな點にありとし、註釋の註釋たるはそれが破壞的なときに限る、とする人がまだ夥しくある。讀者買收といふ古い手段によつて部數増加を圖る方法が死點に達してしまふと、そこには新しい標語が競爭場裡に生み出されて來た。かくて今や如何なる價を拂つてもニュースを作らねばならないのである。然しそのために拂はれる價が人間の不幸を利用することであり、またジャーナリストが市民として爲すべからざることを爲すというふことであるとすれば、我々はかかる發展を停止しなけれはならぬ。言論の自由とは決して放縱なる自由を意味しない。」
千九百三十四年五月九日にに故總理大臣マクドナルドは「英國新聞聯盟」の前で左の演説をなし、大衆新聞の無軌道振りを責めてゐる。
「もし新聞全體がその權力を利用して、自己の欲する所を公のものと稱し、萬事に自分の欲するままの色彩を與へ、また風評を事實に化し、事實を無と化するに至れば、その危險は幾何であらう。かかることは相應に儲かるかも知れぬが、我が國民の精神機構を弱めることが大きい。諸君は注意して言評の自由が言評の放縱に陷らざるやうに心してくれ給へ。」

合衆國の新聞

北米合衆國の新聞界を掌握してゐる大物は、ウィリアム・ランドルフ・ハーストであり、自分のインタナショナル・ニュース・サーヴィス(I・N・S)とユニヴァーサル・サーヴィスといふ二大通信社の他にも無數の自社系新聞を支配して、全國發行部數の三分の一を占めてゐる。その殘りはアソシエィテッド・プレス(A・P)とユナイテッド・プレス(U・P)が分有してゐる。然し乍らこんなに有力なハーストの如きでも、一度猶太人の顧客達が彼の主要新聞「ニューヨーク・アメリカン」に廣告依頼を拒み、ハーストの共産主義排除と蘇聯攻撃とを封じようとした時には、止むなくこの新聞を廢刊せざるを得なかつた程である。他の新聞王と雖も同樣の支配から脱れ得ない。
例へば千九百三十九年四月十七日附「ウァールド・プレス・ニュース」の論文で、ラムゼイ・ムイルといふ人がこの事を言つてゐる。
「理論では新聞は自由であるが、實際ではその自由は金力によつて制限されてゐる。」
新聞組織の中央集權、その商業化、廣告大衆のセンセーション慾とによる制約等は、合衆國に於ては極端に發達してゐる。或る有力な發行者が千九百二十九年に七百人程の一流商人を前にして米國新聞を論じたが、その中にはかういふ言葉がある。
「新聞が一般的關心の代表者であるやうにいふ主張は、斷然と排撃されねばならない。新聞はそれ所か利得のために毎日發行される印刷物であり、公生活に働きかけて金錢を作ることだけを目指す一つの組織に他ならない。」
ある米國發行人は、個人的には獨逸總統ヒットラーを崇拜してゐるに拘らず、その新聞では總統の惡口をする文章や繪畫を平氣で載せてゐるので、それを或人が難詰すると、かう言つてゐる。
「私は米國人で、金を儲け、自分と家族を養ふために商賣をやつてゐる。私が毎年廣告料として百萬弗を貰つてゐる人々(多くは猶太系廣告主)の御機嫌を取らうととしたとて、どうしていけないことがあらうか。」
既に千九百十三年にジョン・スウィントンは、「アメリカン・プレス・アソシエイション」の總會席上でかう言つてゐる。
「米國には、田舍町の小新聞を別にすると、獨立自由な新聞といふものは存しない。こんな事は誰でも知つてゐるが、誰も敢てそれを口にする勇氣はないのである。またもし諸君がこの意見を發表しようとしても、それは印刷して貰へないであらう。我々は精神上の公娼婦である。私は自分が寄稿する新聞から自分自身の意見を撤囘するに一週百五十弗貰つてゐる。諸君も亦同じ風にすれば、その位は貰へるだらう。それでも狂氣のあまり自分の意見を無理にも書かうとする人は、間もなく街上に投出されてしまふだらう。紐育の新聞記者たるものは、嘘言を吐いて金の神の足下に身を屈する義務を有する。パンのためには國も同胞も賣らねばならない。我々は背後に潛む富者の道具であり、臣下である。我々は人形なのだ。彼等が綱を引けば我々は躍り出す。我々の時代、我々の才能、我々の生命、我々の能力、これみな彼等富者に屬してゐる。

言論の自由

スウィントンの指摘してゐる通りが、所謂「言論の自由」の正體である。かくて「言論の自由」はそれを所有してゐると自稱する人々自身の言葉によつて正體を暴露されたか、新聞はその成立の當初から今日に至るまで、決して一度も眞の自由を所有したことがなかつたのであつて、自由が最も讚美された時代こそ最も悲慘な時代であり、最も多く金力と權力とによつて壓迫され買收された時代であつたのである。「言論の自由」とは要するに歴史上最も巧緻な細工を施した僞造概念であり、諸國民の道徳も、政治的良心も、輿論も、このインチキ概念の背後に於て凌辱され、破廉恥極まる商賣に惡用されるのである。
新聞は本來から言つて諸國民の生活に於ける一つの權力であるから、之は充分に支持されるべきものである。之を愛さうが憎まうがそれは人の勝手であるが、但しどうしても無くては濟まされない機關である。前佛國大使ガブリエル・アノトウが言つたやうに、新聞は「ヱソップが最善にして最惡のものと言つた舌」に他ならない。その最善な點とは、新聞がその眞の功績によつて獲得した讀者の盲目的信頼であつて、これは新聞に眞實の報道の責任を負はせるものである。またその最惡の點とは、それば僞の「言論の自由」を押しつける無恥である。この言論の自由こそは現代の盜賊達や、戰爭煽動者達や、人類の掠奪者達がその背後に隱れてゐる假面である。彼等は一般的利益の公共施設たる新聞を下劣な本能の競爭場と化し、「眞理よりは虚僞の方が容易に金錢を儲けさせる」といふ主義を以て輿論を毒してゐる。
ファッシズム及びナチズムは今日に於てかかる「言論の自由」を撤廢し、新聞をばかの虚僞の「自由」から「自由」にしてやつたのは、實に精神史上に於ける一大事業であると言はなければならぬ。日本に於ける新聞雜誌統制も端緒に就いてはゐるが、前途は今なほ遼遠の感がある。我々は速かに從來の危險なる「自由」の崇拜から醒めて、眞實に眞理に立脚する言論出版の國を建設せねばならぬ。

新聞と戰爭

世界の新聞は今日實際に於て戰爭と平和の鍵を手中に握つてゐるのであつて、この事は最近數十年の歴史を繙けば直に判明するのである。實に無數の戰爭は、かの新聞の作つた業であつた。弱力な政府が戰爭を煽る新聞に容易に屈していまふことは、かの第二佛蘭西帝國が如實に示してゐる。ビスマルクは千八百七十年に繰返して新聞の強力なること及び新聞の與へる損害を大なることを述べてゐる。千八百六十四年、千八百六十六年、千八百七十年の三戰役を惹起したのも新聞である。千八百九十八年から千九百三年迄續いて合衆國のキューバ島保護統治を以て終を告げた西米戰爭は、明かに米國の二大新聞聯盟の競爭から起つたのである。千九百十二年から十三年に亙る第二バルカン戰役、即ち土耳古征服者相互の戰爭は、もし新聞が絶えず煽動しなかつたならば、爆發しなかつたであらう。
米國大統領リンカーンは、「筆は劍よりも強し」と言つた。かの世界大戰で獨逸は武力で負けたのてはなくて、結局世界の新聞の虚僞宣傳に敗れたのであつて、リンカーンの言葉の眞實なることを獨逸は身を以て體驗したのである。國際新聞界とその背後勢力とが世界大戰を惹起したことは好個の研究材料である。無數の政治家の言葉によつてもこの事實は闡明せられる。聯合軍側の筆陣の本部は巴里では「メイゾン・ド・ラ・プレス」、倫敦では「クルー・ハウス」にあつて、盛にデマ宣傳を飛ばしたのであつた。
アルトゥール・ボンゾンビイはその著「大戰時の虚言」に於て國際デマ宣傳の實状を述べてゐるが、その中から一例を引いて見る。千九百十四年にアントワープ市が占領された後に、「ケルン新報」は左の如く報じた。
「アントワープの占領が周知となるや、教會の鐘が鳴つた。」
所が佛國新聞「ル・マタン」はこの報知を次の如くに受取つてゐる。
「ケルン新聞によれは、アントワープの僧侶達は城塞占領後教會の鐘を打つやうに強制された。」
更に「タイムス」には翌日になつてかう出た。
「ル・マタン紙がケルンから聞いた所によると、アントワープ占領後鐘を打てとの命令を拒んだ僧侶達はその職を追はれた。」
それが伊太利の「コリーレ・デラ・セラ」紙にはかう載つた。
「タイムス紙が巴里を經てケルンから聞いた所によると、アントワープ占領後鐘を打つことを拒んだ憐なベルギー僧侶達は強制勞働を課せられた。」
「ル・マタン」紙は更にこの虚報リレーに結末をつけて、全然のデマを書いてゐる。
「コリーレ・デラ・セラ紙が倫敦を經てケルンから聞知した所によると、アントワープの野蠻な占領者は、教會の鐘を打つ命令を拒んだ憐なベルギー僧侶達の英雄的行爲を罰するため、彼等を生きた鐘鐸として頭を下に鐘に吊り下げた。」
千九百三十七年十一月二日の「ニュース・クロニクル」で政治的宣傳の問題に觸れたカミングスは、戰時デマ宣傳の競爭に於ては英國が第一位を占めたと書いてゐる。
またド・マルシァルはその著「良心の動員」中で、平和が危險に陷るのは外交家の手に依るよりも良心のない新聞に依る方が大である、と語つてゐるし、佛國ジャーナリストのウルバン・ゴイエも次のやうに言つてゐる。
「世界平和は、世界の新聞が金力の奴隸である限り許されるであらう。」
前英國内務大臣ウィリアムス・ジョンソン・ヒックスは、千九百二十七年十月二十九日に「記者協會」倫敦支部總會の席上、新聞人に向つて語つた。
「諸君は内閣の運命を規定する。諸君は政府を作つたり、滅したりする。諸君は政府を強ひて宣戰布告でも平和宣言でも勝手に出さしめる力を有する。それ故にこそ諸君は常に諸君の重大な責任を銘記してゐなけれはならない。」
前佛蘭西首相カイヨーも次の如く公言した。
「平和を脅かす危險は新聞にある・・次の戰爭は新聞によつて布告される。」
國際聯盟の惡業と猶太人

このやうにして世界平和の眞の大敵が新聞であることが解つたが、實際、國際新聞が協同して惡宣傳をするならば、どんなに強固な平和工作も立所に崩れてしまふのであつて、その惡業たるや誠に恐るべきものがある。その例としては我々に直接の關係のある日支事變に於ける各國の新聞乃至通信社の惡意に滿ちた無責任なデマのことは問題にしないとしても、例へばかのスペイン問題に關係して獨逸が蒙つた惡宣傳の如きも著しいものがある。
獨逸が如何にも占領の意圖を以てモロッコに上陸をなしたかの如く書いたのは巴里新聞の大部分であつたし、又英國はバスク地方のゲルニカ市で獨逸人が大虐殺をやつたと惡宣傳をしたが、實はボルシェヴィスト達が故意にあの殺戮を犯して罪を獨逸人に稼したに過ぎないのである。それから獨逸の飛行機や戰艦が非行を犯したやうな宣傳も無數にあるが、之もまたボルシェヴィストが意識的に世界を第二の大戰に追ひ込まうとした手段なのである。それから獨逸合併問題に關するデマも相當にひどいものかあり、また獨逸はヒットラー總統自身の選拔にかかる特殊訓練修了の男子五百人を倫敦に送つて英國の軍備計畫を探索せんとしてゐる、といふ記事さへも新聞によつて作られたのである。かやうな例はいくらあげても際限がないが、然し此處で深く注目すべきことは、之等のデマ宣傳、惡宣傳の背後には常に、猶太人乃至猶太人支配下のフリイ・メイスン祕密結社の手が動いてゐることである。
世界各國の大都市に所在するモスカウの出店には猶太移民とその買收された記者達が出入して、盛にナチズムやファッシズム打倒のための惡宣傳の指令を受けてゐる。世界新聞界に及ぼす猶太人の影響といふものは實に巨大なものであり、彼等が完全に實權を掌握してゐるソヴィエト新聞では、彼等の思うことで行はれないことはないのである。他の新聞界で猶太人がどれ程の勢力を扶植してゐるかを示す一例をあげるとすれば、最近出た千九百三十七年度洪牙利新聞年鑑に依れば、洪牙利の新聞編輯者總體の五十六パーセントが猶太人であると言はれる。「言論の自由」を振りかざしてゐる所謂民主主義の國々の事情がこれ以上であることは自明のことである。而して前述した惡宣傳の要素が猶太人が世界新聞に振つてゐる影響力の大小に比例して増減することは言ふまでもない。
世界猶太王國の政治的中心たるモスカウから新聞の戰爭煽動は發火せられ、それか紐育、倫敦、巴里等のジャーナリズム的贋造所で見透しのつかないデマ通信の衣を着せられ、其處から地球上のありとあらゆる電線を傳はつて、最後の政治的センセーションとして新聞讀者の眼前に擴げられ、わが國土の中へさへも堂々と傳はつて來て來るのである。數日後になつて嘘がばれたとて、それが何にならうか。惡宣傳の筆者は何時も背景に隱れてゐるし、取消記事が退屈で面白くない一方では、新しいデマが次々と出て來るので、取消は全く無效である。
かくて政治的虚言は思ふままに暴威を振ひ、國民生活と國際關係を崩してしまふ。世界の輿論は責任ある政治家の手から滑り落ちて、國民の知らぬ間に恐ろしい結末に國民を追ひ込んでしまふ。目を醒ましたときは、もう後の祭りであることが極めて多い。
新聞組織の改革

ヒットラー總統は既に千九百三十六年五月に全世界に向つて聲明を見して、世界輿論の無責任なる要素による害毒を先づ十分に除かぬ限り、世界の國際的緊張は決して解消され得ないと言つたが、伊太利のムッソリーニも亦同樣の考へを發表して次の如く言つた。
「印刷インクの暴風と濁つたインクの洪水と氾濫こそは、あらゆる平和とあらゆる歐州協同作業の眞の敵である。」
猶太勢割の支配下にあると稱せられる佛蘭西のアルベール・ルブランでさへも、千九百三十七年二月九日の巴里共和主義ジャーナリスト大會に於て、言論の自由が利己的憎惡の私情に引廻されるとき大きな危險を惹起する、と戒めた。
ヒットラー總統は同年正月三十日にも更めてこの問題に觸れ、左の如く言つた。
「國際的な無責任極まる井戸投毒者及び言論贋造者の群による間斷なき煽動を禁遏せざる限り、諸國民の眞の平和を達成することは不可能である……」
然し今日迄世界の民主主義國家は一つとして人類の紙上敵を迎へ討つ準備をしてゐないで、徒に國際協調とか國際的連帶關係を以て平和保持の手段と考へてゐる。そして世界平和の最も近道である新聞改革の問題には目を向けてゐない。それには何よりも先づ猶太人と不潔なる無國籍的な商賣人を新聞界から追放しなければならない。新聞に於ても猶太人は、過去に於ては恐るべき癌腫であつたし、現在及び將來に於てもさうである。この癌を除去すれば、其處には眞に責任ある「言論の自由」が打ち樹てられるであらうし、眞の世界平和も拓かれるに至るであらう。安價なる猶太同情論が、わが國に於てさへも、ともすればジャーナリズムその他の方面から出現し易いのは、その直接の原因が奈邊にあるかは兔に角として、猶太の新聞界に於ける強力さを意味深く物語るもと考へられる。それ故に以上主として歐米の事情を中心として述べられたことは、決して單に他所事ではないのである。國際資本主義・國際共産主義・國際的祕密結社・國際的言論通信機關・誠に猶太の張り巡らす十重二十重の世界支配の網は精緻にして堅固である。幾千年の訓練を經たタルムード的詭辯と虚僞の精神の結實であるとは言へ、實に驚歎すべきものではないか。(一四・八)

U 猶太と世界戰爭
本第二部は、猶太の人類殲減戰としての世界戰爭を今次の世界戰
爭を中心として檢討したものである。從つてそれはその世界戰爭
の一部としての支那事變に關する論稿をも含み、全體としては時
日の古いものより後に配列されてゐる。時局の進展にも拘らず、
これらの諸篇に一貫するものが現在にもなほ妥當することを筆者
は確信してゐる。これらの諸篇によつて總力戰の本家が猶太であ
り、而してそれがその四千年の歴史の當初から實行されて來てゐ
ることを、我々は自覺し得るであらう。・・最後の小篇も今後の
我々に何ものかを示唆すると思はれるので採録した。

一、猶太の人間還元
・・猶太問題研究根本原則十箇條・・
第一條 猶太人は有史以來、少くとも舊約聖書と「タルムード」以來、かの著名な選民思想に生きてゐる。そしてその内容は、エホバの命に依る世界征服の信仰と、同じくエホバの命に依る非猶太人動物視とを根本としてゐる。それ故に猶太人に取つては、その世界支配に役立つ限りに於ては、動物ニしての非猶太人を強壓し、殺戮し、掠奪し、搾取することは神命であり、また嘘言と詐欺と詭辯も神命である。猶太の本質として世界周知の「底知れぬ憎惡」がまた神命に基づくことも自明である。また猶太人が非猶太人に對して何等かの「責任」を持たないのも同じ理由に依るのである。然してこれらの神命に背く時、猶太人自身がエホバのために殺戮され、殲減されることになつてゐる。
第二條 猶太人が拜金主義に於て天下無敵であることは周知であるが、往々、猶太人が「知力」に於ても偉大であるとされることがある。然し猶太人のこれら二方面に於ける偉大さが、所謂マイナスの偉大さであり、破壞に於ける偉大さでiたり、惡魔的な偉大さであることは、第一條を想起する時、直ちに理解される。「金儲けが上手」ではなく、「詐欺が巧み」なのであり、「頭がよい」のではなく、「嘘がうまい」のである。舊約聖書及び「タルムード」以來、同一事を四十幾種かづつに肯定もし否定もすることを訓練されて來てゐるのであり、然もそれをエホバの神命として行つて來てゐるのであるから、以上の偉大さは當然であらう。赤色帝國主義理論、桃色法學乃至社會學理論、黒色哲學理論等のあらゆる國境抹殺主義と、世界の金の七割乃至八割の集積とは、同じ本質の二つの方向への發展にすぎない。
第三條 從つて非猶太人に取つては、反猶主義は單に正當なる自己防衞であるにすぎない。而してもしその反猶主義が、世界十幾億の非猶太人を暴壓と殺戮と掠奪と搾取から救ひ出し、嘘言と詐欺と詭辯とから守る意味を有し得る場合には、それは全く人道的である。世界の言論通信機關を獨占する猶太の宣傳に躍らされて、反猶主義は少數民族の排斥であると鸚鵡返しに言ふ如きは、冷靜なる批判力のある非猶太人のなすべきことではない。古今東西、猶太人の集る所に必ず排猶現象の生起することを正視せよ。あらゆる場合に猶太人のみを正當なりとする立場は、世界支配を目標とする猶太人自身のそれとしては意義あるものであらうが、非猶太人の立場としてはこれ以上に無批判にしてまた屈辱的なものはあり得ないのである。非猶太人みづから自己を獸類なりとし、猶太の世界支配に協力することによつて人間猶太人の仲間となることを光榮と感ずるのでない限り、かかる宣傳に盲目的に躍つて、所謂人爲的猶太人の仲間入りをしてはならぬ。
第四條 猶太の金力と知力とを見て、或者はそれを恐れ、或者はそれを利用せよと主張する。然しこれは二つながらに猶太の本質を認識せざる所より來るのである。恐怖することは、迎合の場合と同じく、猶太を増長せしめる以外に何の效もないことは歴史の證する所であつて、所謂『人情』などといふ如きは、この憎惡の民には藥にしたくもないのである。情をかける事によつて改悛せしめ得るなどといふが如きは甘き感傷に捉はる捉はれてはいけない。況んやそれを利用しようといふに至つては、全く言語同斷である。これは單に猶太人がそれ程に甘からずまた頭もそれ程に惡くはないといふためではなくて、それが實に盜金と贓品との利用又は分配を求むる事に外ならないからである。世界に實例が屡々ある如くに、黄金と鐵と石油とに目が眩んで、斯る恥辱に甘んじ、操を賣つてはならない。殊に迎合し共謀する事によつて自己の利益を圖らうとする如きは、猶太人以下に墮せるものと言はれても、辯明の餘地はないであらう。
第五條 猶太人利用は殺人者乃至盜人との協力であるが、反對に猶太人によつて利用されることもまた身を彼と同列に置くことになるのである。特に注意すべきことは、前條の利用説が多くの場合に、卑賎なる拜金宗乃至唯物論者に見られるのに反して、これは善良なる非猶太人に多く見られる現象であるといふことである。このうち最も恐るべき場合は、猶太の世界攻略の是も巧妙なる手段としての内面的侵寇である。英帝國に於てなしたやうに、征服せんとする國の主權者と猶太とが同祖同種族なりとする遣り方と、アメリカ合衆國の場合に於てなしつつあるやうに、攻略せんとする國を自由と正義との國なりとして賞讚する遣り方とは、この場合の最も代表的なものである。そして前の場合には、多くは愛國主義を裝ふ者又は國粹主義を自負する無批判者流を利用し、それによつて目標國の上層部と愛國陣營とを無意識的なる猶太の援兵となさうとする。次に後の場合は、現代に於ては殆ど世界的に最も時代後れであり、最も無批判的である所の所謂インテリ層に働きかけることによつて、彼等を無批判なる猶太の傭兵としようとするのである。
第六條 戰爭と革命とを欲しないならば、殊に猶太の世界制霸に役立つ以外の意味なきそれらを避けんと欲するならは、萬國の非猶太人よ團結せよ。然して猶太の本質を明らかにし、その策謀を暴露せよ。そして單に黄金帝國主義のみならず、トロツキーの第四インター等に至るまでの總ての國際主義が、意識すると否とに拘らず、直接又は間接に、猶太の世界征服の機關であることを確認せよ。あらゆる平和團體、社交團體にして、奇怪なる國際的傳播力を有するものもまた然ることを確認せよ。フリイ・メイスン祕密結社(主として主權者の側近・外務・政黨・軍部を目標とする)乃至ロータリー・インターナショナル(主として財界・學界・司法部を狙ひ、フリイ・メイスン結社の禁止されてゐる國に於てはその代理を勤める)よりオックスフォード・グループ・ムーヴメント(主として宗教界に食ひ入らうとする)に至るまで、その本質が上述のものなることを知れ。而してそれらの會員は、可成りに上級の者にあつても、特にその會員が國家又は社會に於て上層部に屬する者である場合には、結社の眞の祕密に何等關與させられてゐないことを銘記せよ。この謀略の場合にこそ、猶太人の偉大さを認識すべきである。また、あらゆる流派のキリスト教徒もまた、ルッテルの誤譯を未訂正の侭に盲信してエホバを「神」乃至「宇宙神」なりと信ずる限りに於ては、上記の結社の會員達と同じく、所謂「人爲的猶太人」である。
第七條 猶太問題は結局思想問題である。從つてそれは、自由主義に「自由」ありなどといふ考へ方をする無批判者や、自由主義の發展が赤色帝國主義であることを認識し得ぬ程度の樂天主義者には、その存在さへも理解し得られぬ難問題である。それ故に、彼等がそれを否定し、それに反對することそのことが、既にこの問題の眞實性と重要性とを證明する。あらゆる合理主義者・相對主義者・唯物主義者・利己主義者に取つても、それはその理解を超える。彼等すべてに取つては、この問題を理解することは、否、單にそれの存在を認めることその事だけが、既に彼等の存在を根柢まで搖がせるのである。その理由は、彼等の大部分は、何等かの意味に於て、前條の「人爲的猶太人」であるか、或はそれに近似する思想史上の位置を占めてゐるからである。
第八條 猶太の本質と歴史に通じない人は、以上の諸箇條に於ける猶太批判に對して、猶太人と雖も全部がかかる世界支配慾に生きてゐるのではなく、從つて猶太人全部をかやうに批判するのは不當である、と主張するのが常である。しかしこれは、軍隊に於て全兵員が統帥本部の計畫の詳細に通じてゐないが故にその兵員は戰鬪員ではないとするのと同一の論法であつて、「舊約全書」と「タルムード」が猶太法師に依つて猶太教會に於て猶太民衆に講ぜられてゐる限りは、たとひ指導的地位にある猶太人の場合のやうではないとしても、なほ、各猶太人には「本能的に」以上の諸箇條に記述された傾向が存するのである。これは全日本人(時局便乘の僞裝的轉向者をも含めての赤色人のみは例外とした方が適當であるかも知れない)が、「本能的」に忠君愛國の精神を持つのと正に同樣である。
第九條 然らば猶太人は人間に非ずして、動物であるか。非猶太人としての吾人の立場より言へば、猶太人と雖も動物ではなく、人間であつて、この點に於ては吾人の立場は猶太人のそれと對蹠的である。それ故に吾人は、この人非人種族もまた何時かはその本來の「人間」としての資格を恢復することを信ぜんとする者である。但し此の猶太の「人間」への還元は、次の如き諸條件が完全に實現する迄は絶對に不可能である。
イ、舊約聖書を根本的に改〓サクし、「タルムード」の大部分を燒却し、エホバ信仰を棄て、猶太法師職を廢し、猶太教會堂を破棄し、加へて割禮を癈止すること。
ロ、少なくとも四分の一猶太人に至るまでの全猶太人が同一場所に集つて國家を形成すること。
ハ、而してその世界征服の惡夢に生きた幾千年間と同一の年數が經過すること。
第十條 日本と猶太との間には、その本質に於て、その歴史に於て、その性格に於て、その道義に於て、その人間性と人倫とのあらゆる點に於て、百八十度、否、三百六十度の差がある。即ち存在の次元が全く異なるのである。それ故に、日本的原理が世界的に認識される迄は、猶太人の世界征服の慾望は斷絶されることはなく、從つてまた世界に眞の平和と正義とはないであらう。然もその日の以前に於て、日本と猶太との正面衝突は必然の運命であると考へられる。非猶太人と猶太人との戰ひの序幕戰である今次歐洲大戰に續くものは、如何なる形式となるかは別として、不可避的に日本と猶太との戰ひである。而して眞に猶太問題を解決し、全人類を「惡」の手より解放し得るものは、八絋爲宇の精神を奉ずる日本以外にはないのである。然もその八絋爲宇の精神とは、糞味噌一視的惡平等人道主義ではなく、前世紀的空想たる猶太人東洋人説の如き安價なる感傷ではなく、何等の根據なき猶太教盲信者の日猶同祖説の如きお目出たき神話ではなくて、まつろはざる者は之を討ち平らげる處のものでなくてはならぬ。而してその後に於てのみ猶太其者も「人間」に還元され得る秋が來るであらう。猶太のお先棒として「世界戰爭」を目指す「人爲的猶太人」の群であるフリイ・メイスン結社支配下の重慶政府を討つことが聖戰であるならば、その本據を覆滅することがより大にしてより崇高なる聖戰であることは、論證の要のないことであらう。(一六・五)

二、大東亞戰勃發後の世界情勢

某閣僚は先般の中央協力會議に於て、米英は今年中(昭和十七年)を期して反撃に出でんとする氣配を示してゐると説き、またその後の閣議に於ては、米國最近の中間選舉の結果としてルーズヴェルト政權の地盤に搖ぎを生ずることはないと述べたが、前の發言は今年も十一月に入つた今としては既に多少の見當外れの感を與へぬでもないが、緒戰の勝利の爲めにややもすれば弛緩し勝ちな人心を引緊めるためには、かかる發言も必要であつたと考へられるし、殊にソロモン海戰以後の南方の状況をも考慮する時には、それはあながち見當外れとも言ひ得ない事情もあつたのであらう。之に反してその第二の發言は全く肯綮に中つたものであつて、ユダヤ宣傳機關の一つであるギャラップ輿論研究所の宣傳調査の發表に一喜一憂することの愚を知つてゐる者には、その輿論調査なるものが傳へる所が如何であらうとも、某閣僚の指摘する如き事情の生ずることは前以つて豫想されたのである。それ故に、もしその報告に「豫想通りに」といふ如き言明があつてならば、そのユダヤ祕密力に及ぼす威力は誠に大なるものがあつたと想像せられる。ルーズヴェルト三選の時のギャラップ輿論研究所を先頭とするユダヤ機關の巧妙な掛引に一喜一憂せしめられた愚かな經驗にも懲りずに、今なほこの方向より傳へられる報道をその侭傳へるわが國報道機關の無批判性にも驚かざるを得ないが、しかし思想戰の掛聲の喧しいにも拘らず、責任ある指導的地位の者が今なほ適宜の時に敵の急所を突くことを忘れてゐるかの如くに見えるのは、その理由が那邊にあるかは知る由もないとしても、兔に角、大東亞戰完遂途上のわが國の前途になほ相當大なる難關が世人の想像だにもせざる方面に潛在しをることを感ぜしめないではおかぬのである。吾人の屡々説き來つた如くに、みづから戰線に出る勇氣はなくまた現在では最早その必要をも認めない・・古來もまた然りであつたが・・ユダヤは、世界に張り巡らしたる通信社宣傳機關を用ひて自己の支配下にある聯合國は勿論のこと、中立國のみならず敵性國をも巧みに自己の影響下に置く手段を心得えてゐるからである。
しかし、時代の怪奇性はいよいよ複雜となつて來て、昨今わが國の報道機關さへ外電記事のうちに屡々ユダヤの名を見せることがあるが、それすらも却つてユダヤ方面の策謀の結果であると見做さるべき場合・・多くはこの電報の系統によつて辨別し得るが・・のあることを否定し得ないのである。わが國に於て、日支事變以來、特に大東亞戰以來、赤化主義者が東亞新秩序を論じ、民族問題を論ずるのみか、國體論までに手を出して、時局の先頭に立ちつつある場合が可成り見られるが、それと怪奇性を等しくするかの如くに、今やユダヤは自己の名の覆ひ難いのを知るに至つたものか、その名を隱見せしめつつ適當の方策を講じつつあるかに見えるのである。例へば本年十一月九日の某大新聞の第一頁の記事の如きもその一種と見做され得よう。即ちユダヤとアングロサクソンとの不一致を殊更に強調することは、アングロサクソンのみを敵視するわが國朝野をたぶらかすには最勝の方便なのである。ルーズヴェルトのユダヤ血統が眞實であるとすれは、世人の眼を欺くためには或は機會を見て彼を第一線より退けることが既にユダヤ指導層で決定されてゐるのかも知れない。ルーズヴェルトによつて事態が現在の所まで進められて來たのであるから、一面に於ては彼のユダヤ的使命は達成されたとも見得るからである。利用價値が消失する時に容赦なくその傀儡的人物を捨て去る・・殺害その他の「清算」手段によつて・・ことは、これユダヤの常套手段であることを我々は銘記しなくてはならない。從つて我々は、米議會に於ける少數の「孤立派」の勝利などに有頂天になる愚を避けねばならぬ。この場合にも我々は、ユダヤの兩建戰術の巧妙さを忘れてはならない。我々の常に主張し來つた如くに、嘘を吐くにも算盤玉をはじく術を心得てゐるユダヤは、世界の趨勢を打診しまた敵性國の内部情勢を察知するためには、世界及び敵性國の幾割が眞實を認識する能力を有するかを前以つて計算し、その上にて嘘の宣傳をぬるのである。この間の事情に通曉しない限り、ユダヤ的否定原理の支配的地位に就いてゐる現代に於ては、歴史の運行さへも把握は困難であると考へられる。勿論ユダヤのこの動向に徴することによつて世界情勢の全部が把握され得るとは言ひ得ないであらうが、しかしその正常な認識なき施策は、政治・經濟・學身の方面は勿論のこと、軍事の方面に至る迄も迂濶の譏を免れることは出來ないであらう。殊に現代の如き急激なる過渡の時代に於ては、その指導的階級と呼ばれるインテリ層こそナもユダヤ性に富み、その感情・思索・志向に於てユダヤ化されて來てゐるから、この點の考慮は特に重要なのである。

今次世界大戰の性格は、ユダヤ問題を研究する者の立場より見るならば、ユダヤ人の人類殲減戰である。ユダヤ人がその舊約聖書の日以來一日として忘れることのなかつた日が遂に到來したのである。少なくともユダヤ人の主觀から見ればさう感ぜられ考へられてゐるらしく見える。而してその第一の根據は、今次大戰の世界的規模への進展が、エホバの年千九百四十一年(昭和十六年)であつたことである。勿論今次大戰は、なほ第四幕・第五幕を殘してゐると考へられるか、それが既に頂點としての第三幕に到達したことは否定し得ないことであらう。エホバ信仰に厚い狂信家としてのユダヤには、大東亞戰が昨年中に勃發したことはエホバの庇護の印として感激の的となつてゐるであらう。而してその後の戰況の經過は、恐らくユダヤのその信仰を益々強化しつつあるものと考へられる。既にアメリカの有力ユダヤ新聞、アメリカン・ヒブリュー」は、一昨年十二月四日に、「戰爭の意義が現在ほど明瞭であつたことはない。今や全人類は、その戰爭觀念をめぐつて二つの陣營に分けられてゐる。即ちこの戰爭は、ユダヤ人を敵視する者を相手取つたユダヤ人生觀の戰ひである。全世界は今やユダヤ的な生存樣式が勝つか、ユダヤに敵對する者のそれが勝つかの戰に鎬を削ってゐるのである。」
と書いたし、また某英國紙もその頃この戰は「ユダヤの聖戰」であることを主張したが、その聖戰が「エホバの年」に本格的な世界戰へと進展したのであり、しかもその後の情勢がユダヤの希望通りに向ひつつあるのであるから、今やユダヤが如何に滿々たる自信のうちに生きてゐるかは推測に難くないのである。(約百五十字略)【原文のママ】
かく論する時、歐洲戰線及び東亞戰線に於けるユダヤ支配國の敗退はユダヤに一大痛棒を與へてゐるではないかとの疑問が提出されるかも知れないのであるが、これはユダヤ問題の怪奇性に徹せぬ單純な考へに過ぎないのであつて、東西に於ける聯合國の敗退こそはユダヤの喜ぶ所であり、殊に大東亞戰の緒戰に於ける日本の勝利はユダヤに取つては全くのエホバの神助の結果でSあると感じられてゐるのである。我々は既に以前より、大東亞戰に於ける緒戰の日本の勝利を喜ぶ者は日本人とユダヤ人であるといふ逆説めいたことを説いたのであるが、最近に至つていよいよその感の深まるのを覺えるのである。その理由は、日本がそれを喜ぶのは當然の事であるが、ユダヤに取つてもそれば滯留國民(米英等)の臨時體制を強化するに役立ち。ともすれば生起し勝ちであつたユダヤに對する批判と不滿との念を外らせるに役立つからである。戰爭の擴大が經濟的に利益を齎すことは言ふまでもないが、既に世界の富の大部分を所有しまた支配する位置を占めてゐるユダヤとしては、今次大戰に於ては寧ろ自己の政治的地位の強化確立に對する關心が主になつてゐるのであるから、この意味に於て緒戰に於ける聯合國の敗北はユダヤに取つては誠に好都合のこととなるのである。殊にみづから戰線へ出ることのないユダヤとしては、自己のために戰場へ出る傭兵を必要とするのであるが、米英人をその役目に就かせるためには、緒戰の敗北こそは天來の好機なのであつて、ともすれば叫ばれた「戰爭目的の不明」の言説は、緒戰の敗北を利用しての宣傳によつて全く封じ去られ得たのである。樞軸軍による本國侵入とか、占領地に於ける樞軸側の殘忍なる行爲とかの宣傳によつて、元來誇張された優越意識の持主である米英人は、この場合にもユダヤの策謀を見る餘裕を失つて、ここに戰場へと盲目的に驅り立てられるに至るのである。現在米國軍六十萬乃至八十萬が海外へ派遣されてゐると稱せられてゐるが、その實數の眞僞は兔に角として、かく大部隊の派兵の可能なるに至つたのは、ユダヤの煽動政策の成功の結果である。眞の愛國者には賣國奴の汚名を被せることにユダヤは成功したのである。ルーズヴェルト及びその一味の言行は、この間の事情を把握しない限り、その全幅的な意味が理解されることはないのである。

以上で現大戰の性格とユダヤの動向の大略は明らかになつたと考へるので、以下に於ては各交戰國の場合につき考察を加へることにしよう。
先づ盟邦獨伊の場合であるが、兩國の情勢は、ユダヤ系の宣傳に敏感な宿命を持つインテリ層の危惧する程に不安のないことは自明であつて、ユダヤ問題を研究する者より見れば、兩國の國内情勢は相當に整備されてゐると考へられる。聯合國側のユダヤ言論通信機關が殊更にファッショ諸國の暴政を説くのは、獨裁と暴虐との點に於てユダヤ的殘忍性を實踐しつつある自己の政策が民衆によつて批判さるる事を防止するために外ならない。この事は米英ソ聯重慶に於ける獨裁支配者の行状の實際を知る者には自明のことである。何れの側にも例外はあり、皇國に於てすらも所謂インテリ層の大部分は依然としてその唯物主義的個體主義的利己主義のためにユダヤ思想戰線の志願兵たるに甘んじてゐるのと軌を等しくして、獨伊に於てもかかる一群の徒・・殊に本國を捨てて亡命中の祕密結社の者・・の存在することは言ふ迄もないが、しかし獨伊に見られる服從と隨順との精神は、米英重慶乃至ソ聯に見られる屈從又は盲從とは對蹠的な存在であると言ひ得るであらう。後者に於ける形式上の服從の如きは、利害に依る結合又は威嚇に依る屈從以外の何ものてもないのである。獨伊に於ける精神主義的全體主義體制と、最近に至つて次第に完成されつつある米英等に於ける金權主義的全體主義形態及びソ聯に於ける酷烈なる唯物主義的全體主義的形態とは、惡意ある短見者流が時としては故意にそれらの同一性を強調することもあるが、根本に於ては大きな差異を有するのであるから、我々としてはその根本的なる本質上の相違を認識して、盟邦の交りを益々堅くして共同の敵に當らねばならないのである。これこそ道義日本の使命でなくてはならない。一時的なる戰線の異状とユダヤ系通信機關の宣傳に躍らされて、直ちに利害の打算を始める如き賎しさに陷つてはならない。無節操なる者に最後の勝利のある筈はないからである。何れにもせよ、この點に聯關して今後とも中立國筋その他の通信宣傳機關を通し、或は外交乃至通商機關を通して種々の策謀が行はれることは火を語るより明らかであるから、最後の勝利の日までは決して油斷をしてはならぬのである。
去る九月三十日の戰時冬季救濟事業報告演説に於てもヒットレル總統は、今次大戰がユダヤの策謀によつて勃發せしめられたことを強調し、十月五日の收穫感謝祭に於てはゲーリング國家元帥もまた今次大戰のユダや性に論及してゐる。然してこれらの言説が將來如何なる結果を示し得るかは、友邦日本の側に於けるこの點に於ける反應如何に依るとも言ひ得るのであるが、この點に於ては久しきに亙るユダヤの巧妙なる宣傳と、時としてはそれに内應する祕密結社の策謀があるかの如き情勢の動きの結果として、いまだ日本の朝野にユダヤ問題の正當なる認識が缺如し、此の最重要最根本の點に於ての協力を示すに至つてゐない。思想戰方面に於ける樞軸側の不如意の日が到來することが萬一あり得るとすれば、その最大の原因は必ずこの點の認識不足に基くであらうことは、容易に豫言し得ることである。ユダヤ問題の認識も教育も徹底してゐる獨伊の場合は、戰略上の必要その他の理由に依つてその國内情勢等に就ても幾多の發表見合せのあることは言ふ迄もないが、しかし大戰によつて聯合國側の希望する如き動搖はあり得ないものと見られるのである。
では何故にスターリンが最近の革命二十五年記念日に於て、獨伊の指導者と國民との間を離間せんとする如き言辭を弄するに至つたかと言ふのに、これは例のユダヤの怪奇性による術策であつて、その演説の目標は、第一には自國内に於ける自己の政權に對する批判を封ずるためであり、第二には中立國及び日本に對する宣傳のためである。如何にソ聯幹部の頭がどうかしてゐるとは言へ、ユダヤの智謀を背後に持つてゐる彼等が、今次歐洲戰當初に英國が用ひて物笑ひの種となつたと同一の筆法で今に至つて演説する以上は、かの場合とは別な意味がその背後に隱されてゐなくてはならない。この場合にはユダヤは算盤を彈きながらスターリンの口を通して嘘の言説をしてゐることを忘れてはならぬ。
同一事情は獨伊の戰線に於ける事情に就いても言はれ得るのであつて、唯物論の影響下にある我が國のインテリ層はユダヤ系の報道には一喜一憂させられてゐるが、これもまたユダヤの日獨伊離間策に躍らされてゐるものに外ならぬのである。わが國にしてもいまだ重慶を全面的に屈せしめ得ないことや、北支那に於ける共産軍の相變わらぬ蠢動等の事象は、ユダヤ系の通信に依つて如何に誇張されて世界に傳播されてゐるかを思はなくてはならない。強大なる陸海軍國を相手に敢鬪する盟邦に對しては、一戰線の消長如何に拘らず、絶對の信頼を維持することこそ武士道國日本の眞面目でなくてはならない。各個撃破を目標とする奸敵が幾千年の訓練を經た惡逆無道の猛者であることを我々は銘記しなくてはならない。
ここに佛蘭西に就いて一言しよう。近來の新聞紙に依れば、ラヴァル首相は巴里に於て「ユダヤ人がその存在するところの何處に於ても、一個の破壞的要素をなしてゐることは事實である」と言ひ、現在も佛蘭西にはユダヤ人が氾濫してゐるが、この厄介者を除くことは困難である、と歎いたそうである。獨逸占領地帶に於ては獨逸に於けると同樣にユダヤ人マークを附けさせられたりしてゐるが、非占領地域に於ては未だにユダヤ人は肩で風を切つて闊歩してゐるのである。少數の佛蘭西識者はユダヤ人とその支配者のフリイ・メイスン祕密結社のために佛蘭西の敗北が惹起されたことを自覺してゐるにも拘らず、現在の佛蘭西には最早この「解體の酵母」に對して眞の對策を施す力が消失してしまつたかに見える。恐らく佛蘭西には、米英に依る植民地の強奪によつて二等國三等國に身をおとす外に可能性はないらしくさへ見える。而してユダヤとしては、もともと佛蘭西及び佛蘭西人が可愛いいのではないから、佛蘭西の利用價値が消失されるに至るならば、佛蘭西の滅亡をも決していとふことはないであらう。ユダヤとしては、自己の獨裁下にない佛蘭西には何等の未練もないことは自明である。從つて現在のフランスには、ユダヤの走狗たるド・ゴール又はそれに類似のものが今後もなほ相應に現はれるかも知れない。このド・ゴールの如きは、英國謀報部のユダヤ人スピアス將軍の仲介によつてその私生活の亂脈さを維持するために英に身賣りをしたのであり、從つて彼はユダヤの奴隸に外ならないのであるが、同じ系統の賣國奴が、祕密結社の勢力の浸潤してゐる佛蘭西に於ては今後も何時如何なるところに現れるかは想像だに困難である。
ラヴァル首相の言を引用した序に、同じ演説中にある次の言説にもここに一言論及しておきたい。
「余が法王廳の使節團又はクェーカー派の派遣乃至は米國の外交團を接見すると、彼等は極つたやうにフランス國内に於ける哀れなユダヤ人の負はされてゐる運命を緩和するやうに余に向つて説くのである。」
とラヴァル首相は言つてゐる。首相に向つてユダヤ擁護を要請するこれらの三つは、第一に加特力教であり、第二は米英系キリスト教徒であり、第三は注目すべきことにも米國の外交官であるが、これらすべてがユダヤ支配下にあることは今更縷説の要もないと思はれる。しかしこの點に於ける正當なる認識に於ても缺如するわが國に於ては、フィリッピン等に於ける施政に思はぬ暗影を生ずることを覺悟すべきであらう。新舊キリスト教のユダヤ支配の現状に就いては今は説明の暇はないが、米國外交官のユダヤ性に就いてはその大使の十人以上、その公使の五人以上がユダヤ人であることによつても明瞭であらう。例へば前駐日大使グルーの如きも恐らく例外ではないらしく、在留中はロータリー倶樂部員達の讚歎の的となり、歸國しては戰爭熱の煽動に狂奔してゐることによつてもそれは證されるのである。

緒戰の敗戰が米英ユダヤを狂奔せしめつつあることには既に論及した通りであるが、この際に我々日本人として特に反省すべき一大屈辱事件のあることに論及しておきたい。それが何處まで政府當路者によつて自覺されてゐるかは筆者に尚不明であるが、日本が道義國であり、武士道國である限りに於ては、次の一屈辱事件は決して闇に葬り去らるべきものではないであらう。皇國の榮譽を傷つけることこれにまさるものは無いと考へられるからである。
その醜惡なる一件とは、大東亞戰勃發の前日に至るまで繼續されたところの對米借款交渉である。彼は平常よりユダヤ問題の否定者にして自稱日本主義者の一人であるが、或系統の親猶主義者を繼承してゐるらしく、殊にその舊式日本主義に共通の自覺せざる唯物主義は常に背後に金權系支持者を有してゐるために、現代に於てはその愛國主義的看板にも拘らず、實際の行動は賣國的政策となり勝ちなのである。(以下約四百字略)【原文のママ】殊に彼が今なほ一部の僞裝唯物論者によつてその權勢欲の強烈さのために支持され、またその無責任なるが故に放膽なる文筆の才のために若き無批判の徒の間に愛國者の名聲を保持してゐるのを見る時、皇國の屈辱も正に極まれりの感なきを得ないのてある。これ米國がわが國を輕視して、かの理不盡の三大條件をわが國に押しつけんとした原因の一つであり、元來無責任なる捏造事件によつてわが國を中傷する米英及びユダヤに最も適切な口實を得せしめたのである。米英が抑留邦人を虐待するのも、はたまた元來個人主義的利己主義者の米國民が相當の頑張りを見せるのも、上述の徒輩の非日本人的行爲がその直接原因となつてゐることを我々は忘れてはならない。ユダヤを識らざる者の行爲が如何にユダヤを益し、ユダヤに利用價値あるかは、この一例をもつてしても判明するであらう。今にしてこの汚點の拭われざるに於ては、將來皇國の榮譽は如何なる曇を生ずるであらうか。怪奇なるはむしろ國内の情勢であると我々をして歎ぜしめた二、三年以前の不快なる經驗が、いま大東亞戰下に於てまたも我々の良心を痛ましめるのである。
かくて米(英)ユダヤは、最近傳へらるる放送局の接收等に見らるる如くに、いよいよその獨裁體制を整頓しつつあり、而して現在にては最早何等の掣肘を受くることはないのである。勿論世人を欺くため、また日獨伊陣營を撹亂するためには、種々の策謀が國の内外の事件に關連して行はれるであらう。例へば今度の選舉に於てニューヨーク州知事ユダヤ人レーマンが退いてデューイが出た如きも然りであつて、この他民族第一線主義への轉換はユダヤ地盤の確立の結果とも見られ得るのである。今や米(英)に於けるユダヤの地盤は、ソ聯のそれの如く全く確固不拔のものとなつたと言つても過言ではないであらう。たとひ今後敗戰が持續しようとも、又いよいよ長期戰とならうとも、この事情は容易には轉換することはないであらう。これを思へば、樞軸側としても徒らなる掛聲に止まる所なく、眞の總力戰體制を確立して、先づユダヤ的謀略の正體を究め、その上にて各般の施策を決定すべきであらう。
以上の記述で、米(及び英)の國内情勢の現在に於ける大勢は察せられるであらう。從つて既に昨年十一月二十六日に汎米ユダヤ會議があり、その席上で「全世界に米國民法の採用を要請す」といふ決議がなされたのも、決して不思議ではなかつたことが判明する。後述する如くに世界の赤化により世界支配を實現せんことを期しながらも、戰略上それを表面の旗印とすることの今では不利なるを自覺したユダヤは、先づ民主主義を以て世界を征服せんとしてゐるのである。否、ユダヤの兩建戰術は、赤化主義と黄金帝國主義との二つを併用しつつ進んで來てゐるのである。
この連絡に於て英國の場合にも論及するならば、ユダヤとしては既に英國そのものには見限りをつけてゐるのではないかと考へられる。勿論利用價値のある間は今後も英國の名を利用しつづけるであらう。然しこの場合にも佛蘭西の場合と同樣であつて、利用價値の消失と共に英國はユダヤによつて捨て去られるであらう。而してその複線は、近來新聞紙上に散見する次の言説である。即ち、米國は英國の遺産の繼承をねらつてゐる、といふのがそれである。ユダヤがかかる言説を直接間接に世界に普及させつつあるのは、之によつて世界をそれに慣らせ、將來それか實現の段階に入つても世人をして異樣の感を抱かしめないためであらう。勿論英の遺産をねらふ者が米のみでないことは、ユダヤ問題に多少の考慮を拂ふ者には自明であつて、ソ聯もまた米と竝んで英の遺産をねらひつつあるのである。しかしこれはユダヤの現在の戰術上隱されてゐると見るべく、印度問題が喧傳さるるにも拘らずソ聯の動向がこれに關して少しも新聞報道に上らないことは、却つてこの事情の伏在することを確證するものと言へるであらう。英の遺産の問題に關しては、新聞紙上に散見する問題をこの見地より見ることによつて充分な解答が得らるることを信ずるので、茲ではわが國とも直接の連關を持つ英の遺産のうち、印度問題のみにつきなほ多少の補説をしておきたい。
わが國に於ては現今の印度の騷擾を餘りにも表面的に解し過ぎ、從つてまた餘りにも重大に見做しすぎてゐるやうである。我々より見れば、ガンヂーは別とするも、その他の指導者の如きは英國及びユダヤの走狗たるに過ぎないのであつて、大言壯語好きの結社系言説に見られる如き「東亞解放者」ではないのである。彼等は必ず英國系フリイ・メイスン結社の高級會員たるべく、この點は蒋介石等國民政府の要人と同一であつて、その故にこそ印度の指導者連は國民會議派と自稱して來たのである。時代を操るためには、時代に通用する名を採るのはユダヤの方策である。從つて彼等の反英運動は、愚昧なる民衆を欺き、また一部の覺醒せる者の殺戮に機會を與えるためになされる英國ユダヤとの八百長であるに過ぎない。從つてこの反英抗爭は、印度民族の殲減を目標とするユダヤの運動であるに過ぎない。なほ此度の反英抗爭の持つ一つの重大なる意義は、この抗爭によつてビルマまで進攻せる日本軍の印度進攻を防止することである。今次反英抗爭のこの性格は、印度指導者達・・例へばアザット・・がルーズヴェルト、蒋介石、スターリン等に仲介を求める態度を取つてゐることによつても裏附けされる。眞の反英抗爭は、現在に於ては樞軸との合作以外に道はないのである。如何に地理的制約があるとは言え、これは歴史の論理なのである。反英抗爭のかくの如き自明の性格に無智なるらしく見える日本朝野の認識不足の必然的結果である。印度の將來に取つて殘る問題は、印度の民衆が如何なる程度の抗爭力を持つてゐるかによつて決定するのてあつて、これさへ強力であれば指導者達の對英八百長も或は將來その假面を剥がるるに至るかも知れないが、しかしこれは至難中の至難事であることを我々は忘れてはならない。ここに我々の印度に對する態度も定つて來るのである。この適當なる對策なき時、英の遺産としての印度はスターリンの手に歸するであらう。甞つてのチャーチルのスターリン訪問はこの點に關する談合をその重要なる課題としたのではないかとも考へられる。世界のユダヤ信網がこの點に觸れなかつたことこそそれを證すると言へるであらう。

かくて問題はソ聯であるが、ハルビンのユダヤ雜誌「ユダヤ生活」が誇らかに述べてゐる如くに、「ユダヤ教はソ聯の國教である」のであるから、このソ聯が米國と竝んでユダヤの二大牙城たることは言ふ迄もないことである。否、ソ聯こそは、獨ソ不可侵條約の頃に於て多少の變調はあつたとはいへ、昔も今も全くのユダヤ國であつて、ユダヤの地位の確立せる點では、現在の米と雖もなほソ聯には及ばないと言ひ得るであらう。勿論かく言つても、米の反猶團體が大東亞戰以前に於けるが如くその二百數十のものがそのまま健在であるといふのではなく、またソ聯に於て反猶主義が皆無であるといふのではないが、しかし獨裁者專制者としてのユダヤ人の有する權力の強度に於ては、ソ聯が米にまさることはなほ相當のものがあるのである。それ故に米に於ては汎米ユダヤ會議であつた所のものが、ソ聯に於ては世界ユダヤ人代表會議となり然もそれが昨年八月二十四日と本年五月二十四日との兩囘に公然と行はれてゐるのである。ここに於てか我々は最早この會議の内容の詳細を檢討するの要を認めないものであつて、ただ「赤軍はユダヤの盾である」といふことが明白に主張された一點を指示することで今は充分であると考へる。古い話ではあるが、純ロシヤ人であつたトハチェフスキー將軍等がその功績にも拘らず大根の如くに切り捨てられた謎もこの點より明白になるのである。マルクス主義乃至ボルシェヴィズムは、その實行はユダヤ人にのみ許されるのであつて、その對象は非ユダヤ人であり、ただその實行の段階に至る迄は非ユダヤ人の協力を利用するに過ぎないのである。これは資本主義の場合も同一である。
然し前述した如くに、ソ聯に於ても反猶主義は根絶された譯ではなく、ユダヤ權力の強烈であるに連れて或意味に於てはその反猶主義もまた強烈であるとも言ひ得るであらう。而して之が今次「獨ソ戰」に於ける敗北によつて時としてその發露口を見出さうとするかも知れないのは察知せられる。ここに本年十月初旬世界に宣傳せられた赤軍に於ける政治委員制の癈止の如き件が生ずるのであつて、この再度目と思はれる「癈止」は、對内的にはそれの形式的癈止と實質的強化を意味し、對外的には中立國及び日本等に對する宣傳に外ならない。元來スローモーのスラヴ人は、この宣傳によつても相當に乘ぜられるのである。赤化思想の處置に正當なる見識を示し得なかつた日本がその宣傳の對象となされてゐることは名譽なことではないが、然し事實であることは如何ともし難いのである。少なくとも日本の新聞はそれをその侭掲載し、日本のインテリの一部がそれに感傷の涙を禁じ得ないことは、ユダヤの打算の通りである。
なほ日ソの關係は、現在としては日ソ條約によつて規定されてゐるが、これとてもソ聯及びユダヤにそれが好都合なるために維持されて居ると見るべきであつて、聯合國の軍備擴張が豫定の段階に達する時には、今次大戰の第四幕、第五幕としての××衝突の來るのは必至であると考へられる。それを避け得るのは、日本がユダヤ問題にも早く徹して樞軸國との協調をこの點に於ても實行するに至るか、樞軸國による完勝が早く實現されるかの二つの場合である。しかしなほその時にも世界からユダヤ問題が消滅したと見るのは尚早であることは言ふを俟たないことである。
ソ聯と赤軍と言へば直ちに督戰隊が想像せられるが、同一のことは祕密結社藍衣社・・これはかのフリイ・メイスン祕密結社の支那化であらう・・の支配する重慶支那に就いても言はれ得るのである。而してなほ他に共通する重大なる要素に民族主義のあることは見のがし得ないのであるが、然しこれは前述せる如く印度が時代の風潮に即應して國民の名を利用するのと同一の方策に依るものであつて、裏面に於ては祕密結社の力によつて生命を威嚇して指導的地位にある者の自由を奪ひ、他方表面的には民族主義を利用して愚昧なる民衆を欺くのである。これは共に所謂「文明國」に於ては不可能であつて、ソ聯又は支那に於ける如き國に於てのみ實現され得る方策である。
ソ聯重慶に關しては、以上の二點の認識に於て缺ける所がないならば、他の諸點はおのづから明瞭になつて來るであらう。それ故に我々は茲に筆を改めて、現在に於けるユダヤ對策に關して一言して、この小論を終ることにしたいと思ふ。

我々は既に國内の親猶主義者に就いて多少記述して、それが主としてユダヤ問題に對する認識不足に出來することにも論及し、ひいてその唯物論的志向が必要にかくならしめることをも暗示したのであつた。現時局下として最も警戒すべき今一つの傾向は、同じく一面に於ては日本主義を標榜し、國體論を口にしながらも、結局唯物論の魅力圈内に彷徨する狂信日蓮宗の一群である。この外にも財界その他に親猶主義が存在してをり、特に表面的には解消したロータリー・インターナショナルの如き有力なるものもあるが、然し茲では或意味に於て現代の指導層に屬するか、或は責任ある指導者層に直接の影響力を持ち、從つて重大なる根本國策にも關係すべき憂のあ髀鼾のみを擧げるのである。(以下約百字略)【原文のママ】
彼等に依れは、ユダヤ問題はユダヤに國家を形成せしめる事によつて解決するのであり、獨伊のユダヤ排撃は道義に悖るものてあるから、道義國日本は獨伊に忠告して、その排撃を中止せしめ、八絋爲宇の精神によつてユダヤをも救へといふのである。彼等の言説が樞軸離間を目標とするものでなけれは幸であるし、また××事變を誹謗せんとする下心を有するものでないことを我々は道義日本のために祈らざるを得ないのである。而して何故に猶太のみがかく慈愛の對象となるかに就いては或種の妖氣の搖曳を感ずるのであるが、今はそれを語るべき時機ではないであらう。兔に角その代表者の某紙上その他に於けるあくどい論説は、その表現は、彼得意の美文調であるが内容に至つては親猶主義の公式であつて、所謂シオニズムとはかかる短見者流の無批判性を算盤に入れて形成されたユダヤの謀略である。從つて内容的には問題とするには足り「五萬歴、これか責任ある要路者に與へられたる一聯の論説の一つであることを思ふ時、問題は過小視されてはならないのである。この盟邦を侮辱する親猶主義が萬一にも責任ある爲政者によつて考慮さるることがあるならば、その結果は前に論及した某の場合にも比すべき惡影響を持つに至るやも計り難いのであつて、かかる言説の責任の大なることは、かの場合と同一である。この點に於ても道義日本としては事を曖昧に葬ることなきやう明斷を望まざるを得ないのである。而して二つの場合ともに、それらの思想又は行爲の地盤となつた陰の勢力にもまた適當なる處置の要請さるることは自明である。空想的觀念的なる舊式日本主義が如何なる祕密力の策謀下にあるかは不明であるが、それが現下最大の危險なる存在と化してゐることは屡々あるのである。赤色主義に對する批判がなく、ユダヤに對する認識のないために、それは赤に利用され、ユダヤに驅使されるのである。(一七・一一・五)
三、今次世界戰爭の性格

それがこの形に於てこの時期に來ることを阻止せんとして少數の憂國の士が聲を嗄らして叫び續けて來たにも拘らず、遂に來るべきものが來たのである。或る世界的なる祕密力の計畫通りに、それが久しく豫定してゐた年に豫定の世界大戰が豫定の方向に向つて進行しつつある。しかしそれは、恐らくは少なくとも二度は防止し得たと考へられるし、またそれが結局世界史的必然であるとしても、少なくともその時期の點ではかの祕密力の豫定通りに運ぶことを阻止され得たと考へられる。しかし我々は、いまここにそれを詳述してゐる暇はない。また徒らに死屍に鞭つにも忍びないにも拘らず、なほ多少意のある所を述べてみたいと思ふのは、なほ來るべき日にも、現在の状勢の侭にて進むならば、同じ過誤を繰返し、また同じ無意義の戸惑ひを繰返すことを恐れざるを得ないからに外ならない。
既に我々によつて幾度か指摘されたやうに、エホバの數十五を形成する今年千九百四十一年こそは、かの祕密力に取つてはその世界制霸の年である。もしこの年を逸するならば、千九百五十年迄は機會がないのである。勿論千九百四十一年に失敗すれば千九百五十年を待つであらうが、然しこの年を無爲に終ることは、祕密力としては、舊約聖書申命記二十八章にエホバによつて示されて居る通りに、祕密力そのものがエホバによつて亡ぼされる事になるかも知れないのてある。有史以來エホバのこの命に恐れ戰き續けて來たかの祕密力は、最近事毎に自己の計畫の齟齬するのを見て、之はエホバの罰が下りつつあるのではないかとの恐怖に捉はれたるものの如く、今年を期して今や懸命に自己をエホバの罰より救はんとしつつあるのである。
かく言ふとき、かかる迷信深い祕密力かいまだに地上に存在することを恐らく人は疑はざるを得ないであらうが、これは舊約聖書とタルムードを活眼を以て讀む者には一點の疑をさしはさむ餘地のない事實である。
然らば我々はこの祕密力の努力をいま何と命名すべきであらうか。之に對して最も明瞭なる表現を用ひるとすれは、猶太の人類他民族殲減戰といふべきであらう。之を我々は在來猶太の世界制霸運動とか、世界征略戰とか言つて來てゐるのであるが、最近の緊迫した状勢に於ては、今次の猶太の計畫せる世界大戰はその人類殲減戰の名をもつて呼ぶとき最もその正當な稱呼となるのである。
從つて今なほ近視眼者流の言ふ如き歐洲戰爭と獨立した獨ソ戰爭はないし、また歐洲戰爭又は獨ソ戰爭と獨立した日支事變もないのであつて、之等はその勃發の當時より、既に我々の指摘して來た通りに、一個の世界戰爭の部分的事件である、今一度別の表現を用ふるならば、かの千九百四十一年を目指す猶太の世界殲減戰中の一幕又は一場なのである。
かくて現在の世界には、多少とも世界の眞の情勢と世界史の必然的運行とに理解を有する者に取つては、かの「複雜怪奇」などといふ漢語の成句に相應する現象はないのである。また世界史的な事件の起る毎に戸惑ひして、敵も味方も見分け難くなり、世界情勢の變轉極まりなきことのみを強調するのは、誠に無定見、無節操、無道義の井蛙の見の持主であるに過ぎない。田に耕す匹夫と雖も、日本人なる限りは、現在では今少しく世界情勢に通じ、所謂腹も出來てゐるのである。實に現在の世界には、或は複雜さはあつても、「怪奇」なるものはないのである。怪奇ならぬものを怪奇とすることこそ怪奇であつて、ここにこそ現代日本の行詰りの總原因がある。
然しこれらの點に就いては、我々の在來の主張に理解のある讀者にはこれ以上の説明なくして明らかであると考へられるので、ここに本節の冒頭に論及した囘顧に移ろうと思ふ。
かつて我々は日支事件が日猶事件なることを既に事變後一年にして明らかにしたのであるが、その中で既に防共協定が防猶協定であることを自覺しない限り、それか空念佛に終るべきことに論及しておいたのである。次には同じ觀點より既に十三年秋に日獨伊の軍事同盟を要請したのであつたが、近世日本史上の最大〇〇の歴史の一つとしての××××××より約半年先行するのである。
今にして思へば、かの時かの××軍事同盟の件が内外の不可思議なる力の活躍によつて流産しなかつたとすれば、換言すれば防共協定が防猶であることを責任ある地位の者が自覺したならば、從つて防共協定が單に對コミンテルン又は對ソのものでないことを自覺するだけの明識を持つてゐたとすれば、所謂歐洲戰爭はかの時期には起ることはなかつたであらうし、また獨ソ不可侵條約も勿論あり得なかつたのである。
しかし一度獨ソ不可侵條約となり、歐洲戰となつた以上は、もし防共協定で防猶協定であることに徹してゐたとすれば、その場合に取るべき策は寸刻も不明となる筈はなかつたのである。不可思議なる力の策謀にひきずられた事こそ「怪奇」なのである。この點を暗示しようとして、我々はかつて「複雜怪奇と不介入」なる短文を草し、その中に於て、當時に於てかの祕密力の正體が認識されたとすれば、そしてまた日獨共同しての眞劍の努力が重ねられたとしたならば、恐らくは戰はずしてソ聯を改造し、ソ聯をしてロシヤ人のロシヤたらしめ、其處に政權を獨占する猶太をして不戰敗に終らし得たかもしれないことに論及したのであった。しかしこの點の日獨了解は成立せず、猶太祕密力の英米を使嗾しての畫策は、遂にソ聯内部に於ても一時搖ぎを示した猶太勢力をして勢力を恢復せしめ、ここに獨ソ戰爭となつたのである。換言すれば獨ソ不可侵條約は全體主義獨逸の共産主義ロシヤに對する思想戰の不戰勝であり、日本の援助によつて確立さるべき運命のものであつたのである。
かく論じて來る時、現在の世界に於てわが國の一擧手一投足が如何に重大な意義を持つかが明瞭であらう。しかしながら、惜しむらくは、その我國に現在の世界を動かしてゐる猶太祕密(その機關としてフリイ・メイスン祕密結社等を含むことは言ふ迄もない)に對する認識が缺けてゐるために、樞軸側に依る世界新秩序の建設は、その途上の大事件毎に最後の瞬間に於て猶太祕密力のために側道へ外れさせられてしまふのである。既に猶太としてはかつて我々が「世界大戰へと驅り立てるもの」に於て觸れた通り、今次世界大戰は幾多の點に於て失敗に歸してゐる。そしてそれが特に獨伊に於ける猶太認識の結果であることは言ふ迄もないことである。この理由によつて、我々は「前世界大戰に於ける敗戰獨逸の場合」なる短文を物して、我々の時代に處する參考としたのである。

前述の通り、今はただ囘顧のみに耽るべき時ではない。今は將來を見るべき時である。然しながら我々は、永遠の平和とか世界最終戰論などといふ如き僞裝唯物論を弄してゐる程に呑氣ではないし、またかかる空言を弄することによつてかの祕密力に意識的にも無意識的にも協力するほどに猶太化してもゐない。我々はいま我々の足下に迫つてゐる世界の現在の情勢に就いて、我々が今まで見續けて來た觀點よりの展望を展開しなくてはならないのである。未來を説くことが總て空想であると稱せらるるならば、我々は空想の名も甘んじて受けるであらう。しかし生ける生は未來を含まぬものはないのである。政治も軍略も、生ける人間の世界のことはすべて然りである。
いま世界の視聽を集めてゐるのは、何と言つても所謂獨ソ戰爭であるが、これはかの猶太祕密力の人類殲減戰に於て如何なる位置を占むるものであらうか。茲に我々は歴史の論理を示すために假に戲曲の構造を借りて説明するならば、獨ソ戰爭は今次世界戰爭の第二幕を占むるものと言はるべきであらう。第一幕は勿論東の日支事變、西の歐洲戰爭であつて、スペイン内亂、チェッコ事變等は勿論第一幕以前の序曲であるに過ぎない。
然らばその第三幕は何であるかと言ふに、これは猶太祕密力の豫定では、日米戰ではないかと考へられる。然してそれに續く第四幕は樞軸國對英米ソ支等の文字通りの世界戰であり、第五幕はその決戰であつて、猶太の人類殲減戰はここにその頂點に到達する。而してこれらの諸幕の何處までがエホバの年千九百四十一年たる今年中に來るべきであるかは、今は正確に豫言することは避けたいと考へるが、猶太の新年に當つて、然も天界に異状のある筈の今秋初めが最も注意すべき時期ではないかと考へられる。
有史以來エホバの命に依つて他民族の殲減を宗教的殲減を宗教的信仰として來た猶太人は、最近事毎に志のたがふのを見て、今度の世界戰爭にては一擧にしてその頽勢を恢復したいと考へてゐるのであるから、その殲減戰の激烈さは恐らく有史以來のものであり、人の想像を超えるものでないかと考へられる。殊に歐洲方面に於ては前に我々が屡々論及した通りに、ニーチェの豫言が實現して、猶太が歐洲を去るべき日が來つつあるのを自覺したかにも見える猶太は、それだけその活路を東洋に求めんとしてゐるかに見える。茲に最近の東洋情勢の眞の原因があるのであつて、猶太に取つては、英國そのものが大切に非ず、ソ聯そのものが可愛いいのではなくて、自己の世界征略の手段になるものは何にても利用するに過ぎないのである。例へば本國を失つた和蘭が蘭印に於て我國に反抗してゐるのは、和蘭本國よりは蘭印の方が猶太に取つて重要であることを證してゐるのである。最近にも獨英の妥協がまことしやかに流布されてゐるが、之は英に於ける猶太陣營の搖いだ場合か或は搖ぐ見込のある場合以外には絶對にあり得ないことである。この點の事情を知らぬならば、或はまたかの獨ソ不可侵條約當時の如き戸惑ひが來るかもしれない。しかし現在のチャーチル、イーデン、ダフ・クーパー等の猶太支配内閣の存續する限り、獨英の妥協はあり得ないのである。また猶太としては、たとひ英本國を失ふとも、その自治領又は植民地が從來の如く猶太支配下にある時は、決して獨英の妥協はあり得ないであらう。そしてもしそれがあり得るとすれは、それは東洋乃至日本政府のための猶太側より命ずる英ソの屈辱的な屈服の場合であるが、これを防止するためには何時までも我々に於て功利主義に立つことなく、眞の道義と武士道との精神によつて「志を同じくするもの」と協力し、裏面に於て常に祕密力と内應した・・たとひ多くの場合に無意識であらうとも・・過去の汚辱を再び犯さざる決心を要するのである。
現在の猶太祕密力に依る日本包圍を指して、祕密力の代辯者であるハル長官は、それは日本のせいである、と言つてゐる。然り、正にその通りであつて、日本の存在は、祕密力に取つては目の上の瘤である。その世界征服の完成の一歩手前に於てそれを妨げるものか東洋に於ては常に日本であるからである。それ故に猶太は、この日本討滅のために米國人をして戰場の露と消ゆる覺悟をなさしめるために、あらゆる宣傳に憂身をやつしてゐるが、現在の太平洋の彼岸に於ける狂躁曲の眞相である。この度の英米二ヶ國の政治責任者の行政をくらましてのランデヴーもまたその曲の一節であるに過ぎない。それ故に。西に於て獨猶の決死の爭鬪が必然である如く、東に於ては日猶のそれが必然である。而してそれは、米國人が猶太のために身を犧牲にする決心をするだけに宣傳に躍り、また軍備が量的に日本の幾倍かになる時を待つてゐるに過ぎない。而してその時が何時であるかは、我々素人には明らかではないか、さう遠いことでないことは我々の在來の記述で明らかであらう。
かくて殘る所は、この不可避の運命に如何に處するかである。或は場合によつては、不戰勝といふことも雙方の側に於てあり得ることであらう。然しながらそれは、より適切なる時の猶太祕密力の日本攻撃を豫想したものであることを忘れてはならない。幾千年間人類全體に對して常時戰爭状態にある猶太は、文字通りの世界制霸の日迄は、戰略的休戰以外には、エホバより他民族との和平を許されてゐないからである。
ここまで論じ來つて、この筆は最早先へ動くことを肯んじないのである。坐視してゐることそのことが大苦痛であり、大罪惡である如き感のすることさへあるが、しかし今は忍ぶ外に道はないのである。ただ我々は祖國日本の悠久の生命を確信しつつ、しかも來るべき幾年間の大苦難に當つて天佑神助のあらんことを祈念して、この短かい展望を終りたいと思ふ。(一六・八・一〇)
四、世界大戰へと驅り立てるもの

日支事變の當初以來少數の憂國の士が聲を嗄らして、日支事變とは本質的に見て日猶事變であることを強調し、以て朝野の正當な認識を要求して來たにも拘らず、永年の猶太の宣傳と猶太的教養に災せられた朝野の自由主義者達は殆どその警告に耳を貸さうとしない許りか、却つてそれをナチス獨逸の模倣であるかの如くにさへ見做して、自己の猶太性を反省することを肯んじないのである。これはわが國に於ける猶太戰術の成功の證左であつて、英米を除く歐洲が既に次第に猶太支配を脱しつつあるにも拘らず、猶太獨裁下にある英米の宣傳下にあるわが國の自由主義インテリ層は、今なほ獨伊が第一次世界大戰の前後にあつたのと同じ状態に彷徨してゐる。而して猶太問題の認識に關する日本朝野のこの落伍は、猶太に取つては最も好都合の状況であつて、第二次世界大戰の危機の原因も正にこの點にあると言つても、さまで言ひ過ぎではないのである。それ故に我々は先づこの一小論の冒頭に當つて、多くの場合に故意的であるかに見える日本朝野の猶太問題に關する認識不足の一例を拾つて考へて見ることにしよう。
それは、最近のわが國の讀書界を賑わしてゐる佛蘭西系猶太人モーロアの「フランス敗れたり」の場合である。出版社も譯者も金儲けの仕事であらうから深く咎めないとしても、その著の推薦者が、その猶太的教養のために猶太の宣傳にのみ敏感なインテリ階級の者である許りでなく、最近その性格を諸方面より疑はれてゐる所謂新體制派の重要なるポストにある者等であるに至つては、日本的日本人は決して默視してゐることは出來ないのである。幾千年來裏切・嘘・搾取・殺戮をエホバの神命として實行し來つた猶太は、このモーロアの場合にも佛蘭西の眞の敗因を隱蔽して、浮薄にしてセンチメンタルな自由主義インテリ層の理解に適する如き事情のみの拾ひ上げ、その點のみを強調して自己の罪業を抹殺し去らうとしてゐる。それ故にその所説は、事實の點では嘘でない要素を含んでゐるにもせよ、最も根幹的な事實を抹殺してゐる點から言へば、全體としてはこれより大きな嘘はないのである。然らばこの場合に何が隱蔽され抹殺されてゐるかと言ふに、佛蘭西の敗因の最大なるものが猶太の專横に對する佛蘭西人の反感であり、猶太の指令下にあるフリイ・メイスン祕密結社の社會的獨裁に依る佛蘭西人心の委縮であつたといふ事實である。その他混血に依る民族的素質の低下等の原因も加はつてゐたであらうが、何と言つても最大の敗因は上述の二つなのであつて、猶太の專横の事實は、財界に於けるロスチャイルド一家を始めとする猶太獨裁のことは論外とするにしても、なほ人民戰線政府首相ブルム、永年の植民相マンデル、前文相ジャン・ゼーの惡業のみを數へても充分明瞭であらう。ブルムの如きは、百萬長者でありながらも社會黨を率ゐることによつて純佛蘭西人を搾取することを企てて來た許りでなく、佛蘭西人を性的に腐敗させるためにはわが國に於ても發禁となつた「幸福論」をさへ書いたのであるし、マンデルは、その植民相時代に佛蘭西の植民地を實質上の猶太植民地とし、日支事變下の我々としてとしては未だ記憶に新たな佛印經由の重慶援助を敢行した許りか、敗北佛蘭西の最後のレーノー内閣にあつては内相の地位に据つて、愛國佛蘭西人を無數に投獄又は虐殺することによつて佛蘭西が猶太獨裁を逃れて獨伊に呼應しようとするのを防がうとしたのである。ジャン・ゼーは教育の猶太化に依つて佛蘭西を永久に骨拔きにして猶太獨裁の基礎を固めんとしたのであるが、その佛蘭西國旗を嘲罵し呪詛した詩に依つて佛蘭西愛國陣營の憤激を買つてゐたのてある。なほ敗因の第二の原因として數へられた祕密結社に關しては、その歴史乃至性格に關しては今は敍述する紙面を持たないが、それが猶太の世界政策の機關であることは現在では世界の常識であるから、ここにはその佛蘭西に於ける代表者の名を多少擧げることで滿足しよう。即ち多少過去に溯るならば、ポアンカレー、ブリアン等の大統領又は首相があり、近來ではショータン、ザロー、ダラジエ、レーノー等何れもさうでないものはないのである。大臣級に至つては、猶太人に非ずんば祕密結社員であつたといふのであるから、今更名を擧げる暇はない。かくて歐亞黒色混血の異民族猶太の獨裁下にあつた佛蘭西人は、歐洲民族である獨逸軍を敵とは見ず、寧ろ解放者として迎へたい衝動に驅られたのであつて、この心理的の動きを知る事なしちは、如何に裝備の點では劣弱であつたとは言へ、幾十萬の軍隊がかくも容易に獨逸の軍門に降るといふことは不可能でなくてはならぬ。殊にこの後ペタン政府が國内改革の第一として先づ猶太人を公的地位から退け、フリイ・メイスン祕密結社を斷乎として解散し、昨年十一月以來その暴露的展覽會を巴里に開いて喝采を博してゐるのみか、前述のブルム、マンデル、レーノー、グラジエのみならず、精神分析猶太人フロイド、獨逸系逃亡猶太人ステファン・ツヴァイク、エミル・ルードヴィヒ、十九世紀に溯ってはハイネに到る迄を發禁にしてゐる事情も、上述の佛蘭西人の心理を實證してゐるのである。そして之を獨逸の強要であると言ふのは、猶太崇拜が不治の病となつた盲目者流のみの場合である。
勿論かく言つても、我々は敗戰の罪の全部を猶太と祕密結社とに歸する者ではないのであつて、佛蘭西朝野が久しく猶太のかかる專制を許し續けてゐた無氣力さに大きな不滿を感ずるのであるか、しかし幾千年に亙つて裏切・嘘・搾取・殺戮を神命として來た猶太の巧妙なる侵略戰術を想ふ時、深き同情を感じないでは居られぬのである。殊にモーロアの著作の如きわが國の朝野に無批判に讀まれてゐることを顧みる時、敗北佛蘭西の思想界が我々に取つても單に外國のそれであるとは感ぜられないのである。猶太人に取つては、その在籍國そのものが自己に利を齎らし、從つてまた自己の世界支配の完成に役立つ場合には、それを愛する如く裝ふのであるが、その見込の失はれる場合には、昨日までの表面上の祖國をも今日は敵國として少しも良心に痛みを感しないないのが常であつて、敗戰を待つ迄もなく「祖國」佛蘭西を捨てて米國に逃避した「佛蘭西軍人」モーロアの行動も、決して例外ではないのである。これは最近に於て英國系上海猶太人の多くが、英本國の敗色を見て逸早く米國に國籍を移しつつあるのと揆を同じくしてゐる。それ故にもしわが國の朝野にして眞に歐洲新秩序の目指す獨伊との同盟に忠實であらうと欲するのであるならば、モーロアの如き者の著作に對しては必ず充分の批判を以て臨まなくてはならない。然るに殘念ながら日本に於ける猶太認識は、敗戰佛蘭西に於けるインテリ層のそれと同一程度であり、前世界大戰に於ける敗戰獨逸のインテリ層のそれとも同一傾向であつて、事變下數年の今になつてもなほ日本の對支出兵の全部を××主義とする東亞聯盟論乃至國境抹殺の惡平等主義の東亞共同體論の如き祕密結社的敗戰主義乃至猶太的超國家主義が横行する餘地のある事さへ、丁度敗戰佛獨の當時と同一の樣相を示してゐるのである。

時局便乘の赤色乃至桃色主義者が僞裝して皇道主義又は國體科學等の名の下に横行してゐるわが國の現状が、上述の猶太認識の劣弱さに大いに起因することは、赤色乃至桃色主義の總本山が猶太であることから推察されるであらうが、なほこの猶太認識の不足に由來する驚くべき他の錯覺の例が、これまた現在のわが國の重要識者層にある人に於て見られるに至つては、緊迫せる現下の世界情勢の眞只中に東亞乃至世界新秩序に邁進しつつあるわが國としては誠に心細い限りであると言はれねばならない。即ち、最近の米國の對日侵略攻勢を衝いてアングロ・サクソン民族のみの野望であるとする如き主張がそれである。これは現在の米國の眞の支配者が何者であるかに對する認識不足から來るのであつて、討英の場合ならば或は表面的にかく主張することも適切であらうが、本來歐洲各國人の寄合世帶であり、また多くの黒人のみならず、五百萬の猶太人をも含有する米國に對しては、たとひアングロ・サクソンが數に於て優勢であるとしても、かの野望をアングロ・サクソンのみに歸することは適切ではないであらう。殊に今では世界の常識である通りに、デモクラシー國の眞の主人は猶太人であり、米國もまた例外でないことを知る場合には、かかる言説は由々しき不公正でもあるのである。而してもし萬一にもこの場合のかかる言説が單なる認識不足に基くものではなくて、米國に於ける猶太に節操と信義とを賣るものであつて、皇國の民としては之に過ぎる恥辱はないのてある。然もこの後の場合も亦猶太の本質に對する無智から來るのであつて、この民族幾千年の罪業史が明示してゐる通りに、猶太は相手が劣弱であることを見れば、それに依つて必ず輕蔑と虐待とを増して來るのである。民族神エホバの數十五を形成する千九百十四年(1914=15)に第一次世界大戰を惹起せしめて味を占めた猶太が、同じ數を形成する千九百四十一年(1941=15)に何を目論んでゐるかを洞察する精神力なしに外交をすることは、子供の火弄り以上に危險である。防共協定が防猶協定であることを知らなかつたが爲にそれを空文化した過去の苦い經驗を忘れて、日獨伊同盟もまたその眞の意味に於ては防猶同盟である事を知らぬならば、それもまた或は空念佛に終るかも知れないのである。
然らば最近の日米間の危機の眞因は何であるかといふのに、これまた猶太の世界支配計畫の一翼をなすところの猶太の東洋攻略策の結果であるに過ぎない。即ち猶太に取つては、自己の獨裁下に置いたと確信した歐洲が獨伊の擡頭に依つて自己の支配を脱せんかに見える状勢を有利に轉囘させるか、或は少なくとも歐洲を喪失する代償として東洋を自己の勢力下に置き度いのである。それ故にこの爲には、佛蘭西に於けると同じく猶太的フリイ・メイスン結社の勢力を用ひて、米國人を戰場へ驅り立てんとし、或はかの祕密結社員のみで形成されてゐる重慶政府を援助して、猶太とこの結社との年來の豫定である第二次世界戰爭を勃發させ、以て猶太の世界支配を完成しようとしてゐるのである。
かくて現在の米國が如何なる程度に猶太獨裁の下にあるかを述ぶべき順序となつたが、紙面の都合で極めて簡單に記述しなくてはならないのは殘念である。先づウォール・ストリートが完全に猶太支配下にあり、軍事工業もまた然りであることは、英佛等と同樣である許りか、新聞・ラジオ・映畫等もまた然りであるが、特に我々の注目に値するのは、祕密結社の高級會員ルーズヴェルトを取卷く者が猶太女を細君とするハル外相を除いては大部分猶太人であることである。之は既にウィルソン大統領時代から然りであつて、ジュー・ディールと稱せられるニュー・ディールも發案實行共に猶太の手でなされたのである。ジョンソン將軍に依つて亞米利加の最有力と稱せられる高等法院判事フランクフルター、實力上の大統領と稱せられるバルーフ、ウォール街猶太人の多くと姻戚關係にあるモーゲンソー財務長官、女勞働大臣として各種勞働組合の指導者であるパーキンス等の名は、それだけで既に米國の猶太支配の實状を語るに足るのである。ルーズヴェルト大統領の親戚の者で、彼の政府に反抗する者は必ず不慮の死を招くこと多くの實例を以て證明してゐる者さへあるのである。ニューヨーク州知事もニューヨーク市長も猶太人であることは言ふまでもないし、また世界的に強力な權限を有する猶太法師ワイズも米國に居住してゐる。
以上の米國の實状を知る時、かの猶太の世界戰爭への計畫がどうして實現の可能性がないと言ひ得ようか。

茲に於て我々は急ぎ筆を轉じて、今囘の歐洲戰爭の裏面の意義を明らかにし、それもまた日支事件が日猶事件であるのに照應して、單なる獨英・伊英戰爭ではなく、結局は獨猶・伊猶戰爭であることを述べて見たいと思ふ。
勿論かく言つても、今囘の歐洲戰爭の意味が獨伊對猶太の戰爭であることで全部盡されるといふのではないが、しかし英國の眞の主人が、國際猶太人であり、またクロムウェル以來の猶太との密接な關係からして血液的にも猶太化してゐる英國貴族階級であり、更にまたかの英國を中樞とする處のフリイ・メイスン祕密結社であることを知るならば、今囘の戰爭の意味はこれ以上の説明を俟たないでも明瞭であらう。然しこれは、ヒットラー總統が口を開く毎に指摘してゐる事實であるが、猶太問題に關する認識のない日本通信員の手にかかる時には、英國の國情のみならずヒットラー總統が特に強調してゐる事までもが、多くの場合に不明になつてしまつてゐる。とにかく今囘の歐洲戰では、獨伊の勢力の及ぶ所からは猶太勢力は容赦なく退却させられてゐるのであるが、それが獨伊の占領區域に於ては、その國人の熱心な支援を受けてゐるので、單に前述の如き佛蘭西の場合のみならず、例へば白耳義或はルーマニアの場合もまた然りである。かくて既にニーチェが豫言した通りに、二十世紀の歐洲は、全く猶太の支配に屈するか或は猶太の全部的撤退となるかの大變革期に到達してゐることが實證されつつあるのである。それ故に近來の米國の抗獨狂躁と救英狂態とは、反日狂氣とは意味を異にしてゐるのであつて、對日の場合には猶太の攻勢であるものが、對獨伊の場合は猶太の守勢となつてゐるのである。然しこれを經濟的方面から言ふならば、獨逸の金本位制經濟組織脱却に對する猶太の反撃に外ならない。即ち獨逸の實行してゐる如き新經濟制度が次第に世界に擴大して行く時には、世界の金の七、八割とかを獨占してゐる猶太に取つては、神命に依る世界支配の資金として世界から掻き集めたこれらの金もその偉力を失つてしまふことになるので、ここにも猶太が死力を盡しても獨逸と爭ふべき理由があるのである。茲に於て自巳の軍隊を有せず、また自ら劔を取つて前線に立つことを喜ばぬ猶太は、前大戰の時の英猶協定の先例を踏襲して今囘もまた英猶祕密協定を結び、英國を先づ戰線へと驅り立てたのであるが、然もその英國の形勢日に非なるを見ては、デモクラシー擁護の名の下に今や米國をも戰線へ驅り立てようと畫策してゐるのである。然し前の世界大戰の苦い經驗を持つ米國には、二百數十の反猶團體があると稱せられる如くに、眞の米國は參戰を欲しないので、ここに猶太の代辯者であるルーズヴェルト政府の最近の狂態が生じてゐるのである。
かくて我々はここに於ても英國に於ける猶太勢力の實情に關して一言するならば、その財界・言論界・軍事工業界に於ける猶太支配が勿論である外に、政治的方面に於ても事情は米國と全く同一であることが判明する。即ち、久しい以前から好戰的煽動政治家として著名であつたチャーチル内閣には、ダフ・クーパー、アメリー、ハンキィ、アトリー、シンクレヤ等の猶太大臣が居る許りでなく、ウッドの如く猶太祕書を有する者、アレキサンダーの如く猶太女を妻とする者、イーデン、グリーンウット、マクドナルドの如くフリイ・メイスン祕密結社の幹部もあり、首相始め何等かの徑路で猶太と姻戚關係のない者のないことは、既に前に論及した如くに英國貴族の血液の猶太化の結果としては當然であらう。而して猶太が有するブナイ・ブリスO密結社等の如き無數の國際機關を通じて、この英國はかの米國と連絡してゐるのである。
茲に於て我々はなほ筆を進めて、いま論及した猶太系諸國際機關の全機構を明らかにし、世界の全猶太が幾千年來の世界支配の夢の實現のためにエホバの年である千九百四十一年を期して世界戰爭へと世界を驅り立ててゐる實情にも言及すべきであるが、既に與へられた紙數も超過してゐるので、それの記述は他日を俟ちたいと思ふ。しかし以上の記述によつても、世界戰爭へと驅り立てるものが結局に於て猶太であることは判明したであらう。
かくて東西相應じての世界新秩序の建設が、その根幹に於て如何なる方向に向つてなさるべきであるかも判明したであらうが、この際に於ける我々の覺悟と準備は、既に充分であらうか。現在の猶伊は、既に大世界大戰の前後に於て猶太禍を身を以て體驗してゐるので、猶太祕密結社に關する工作は徹底してゐるから、意識的には勿論無意識的にも内部から猶太の世界支配に協力する者はないのであるが、わが日本は果してこの點に於て安心すべき状態にあるであらうか。マルクス主義を始めとする猶太系思想に對する對策を怠つた結果は、事變後幾年にして未だ國内は思想的に混亂を極めてゐるかに見える。而してこの際になほ我々をして絶望せしめないのは、わが國體の偉力が最惡の場合にも我々を破滅から救ふであらうという希望があるからである。切に有識者の反省と覺悟とを要請する。(一六・二・八)

五、日本と猶太

日支事變が單なる日支事變でないことは世人の常識であつて、蒋政權の背後が英米であり、ソ聯であり、佛蘭西であるとする考へ方は、ほぼ世界の常識となつてゐる。そしてこの事は一應は眞實であつて、我々もまた決してそれに反對するものではないが、しかし蒋政權の眞の背景がこれらの諸國そのものではなくて、これらの諸國に支配的勢力を持つてゐる國際的祕密力であることに思ひ及ばない時に、日支事變そのものの眞相が充分に明らかになり得ないことを我々の主張したいのである。蒋政權を援助してゐるのは、表面的には英米であり、ソ聯であり、佛蘭西であるが、事實に於てもそれはこれらの國に國籍を有してゐる猶太民族に外ならないのである。
この猶太は、日支事變に於ては、英・米系財閥として現はれ、ソ聯系共産黨として登場し、佛蘭西フリイ・メイスン祕密結社として姿を見せてゐるのである。そして特に注目すべきことは、これら三種の猶太政策の機關が、日支事變に關する場合にはそれぞれ國別に屬してゐるやうに見えるにも拘らず、何れも國際的性質のものであることであつて、英・米系猶太財閥と言へば既にその中に佛ソ等のそれを含み、佛蘭西系フリイ・メイスンと言へば既にその中に英米ソ等のものを含み、ソ聯系猶太共産主義と言へば既にその中に佛英系のそれを含んでゐるのである。かくて日支事變とは、結局上述の如き内容を有する日猶事變に外ならないのてある。
然し或人は、我々のこの説明に疑問を抱き、地底組織としてのフリイ・メイスン結社のことは問題外とするも、國際財閥と國際共産主義とが同一祕密力の下に統一されてゐるといふことは不可能であらうと主張するかも知れない。勿論、これらの三つの國際力は、必ずしもあらゆる時代に、あらゆる場所に於て、あらゆる問題に關して一致して來たものでないことは言ふ迄もないが、しかし團結心の強い猶太民族は、その世界支配を完成するためには手段の如何を選ばないのが常であつて、共同の外敵のない限り内部に於ても文字通りに血で血を洗ふ鬪爭をも厭はないが、一度外敵が現れる時には、自己の陣營内のあらゆる相違を捨てて一致するのである。そしてこれは猶太の歴史を多少とも知る者には自明の事であるが、なほこの點に關しては節を改めて記述することにして、ここでは猶太的世界政策機關の國際性の謎を解くものとしてこの民族そのものの國際性に關して、その歴史的根據と模範的實例とを擧げることにしたいと思ふ。
さて猶太民族の國際性を知るためには、この民族が文字通りの國際的民族であることを知り、更にその原因と目的が何處にあるかを知らねばならない。そしてこの點の謎を解くものは猶太教聖典としての「トーラ」及び「タルムード」であるが、これに關しては他の場所で論ぜられたことがあるので、ここでは極めて簡單に述べることで滿足したいと思ふ。
「汝寄寓人(やどりびと)として此の地にとどまれ。我汝と共にありて汝を惠まん。我これらの國を盡く汝及び汝の子孫に與ふべし。」
猶太民族の信仰によれは、「寄寓人」として逗留する國はやがてエホバの神の協力によつてみづからの所有となる、といふのである。この信仰は、幾千年かの猶太の歴史が證する通りに十九世紀までは文字通りに「寄寓人」として實現されて來たのであるが、實質上の猶太解放革命であつた佛蘭西革命以來は、表面的には「寄寓人」たることをやめて、寄寓する國の國籍を獲得しその國となりすましつつ、實行されてゐるのである。また彼等は、
「汝は汝の神エホバの汝に付したまはんところの民をことごとく滅し盡すべし。彼等を憫み見るべからず、また彼等の神に事ふるべからず。」
といふエホバの言を信じてゐるので、その國籍を有する國に決して同化することはしないのである。
かくて猶太は、國籍上は英國人であり、ソ聯人である、米國人であり、佛蘭西人であり、支那人であり、日本人であつても、實質的には飽く迄も猶太人としての自覺を有しなから、その世界政策を實行するのである。
以上が猶太民族の國際性の由つて來たる根據であるが、その目的が何であるかといふ點に關しては、改めて「トーラ」又は「タルムード」に典據を求める迄もなく、それが、これらの國を盡く自己の所有となし、その際にその民をことごとく滅し盡すところにあるのである。
然しこの過激な世界征服の手段は、非猶太人の道徳觀によつては到底想像だも能はないとこてあるが、猶太人に取つて手段が問題とならないことは、國際資本主義にせよ、國際共産主義にもせよ、國際フリイ・メイスン結社にせよ、常に陰謀と裏切りとテロとをその實行手段として來たことによつて證明されるであらう。そして猶太人にこれが可能であるのは、特に「タルムード」に明確に表明されてゐるその人間觀のためであつて、「神より生れたのはひとり猶太人のみであつて、他の民族は惡魔の子である」とか、「猶太人のみが人間と呼ばれるのであつて、非猶太人は人間と呼ばれず、動物と呼ばれる」とかいふのがその根本觀念である。從つてこの民族に取つては、非猶太人を殺戮することはエホバに忠實なる事であり、あらゆる非猶太人に對しては、人間としての猶太人に對する場合の如き對人責務は何等存在しないといふのである。勿論、猶太人の非猶太人に對して道徳的であることはあるが、然しそれは、タルムードに依れば、「非猶太人の感情を害したり、その敵意を惹起しないため」であり、また「それによつて損害を蒙らないため」であつて、決して良心からではないのである。
以上によつて猶太民族の國際性とその根據は大體に於て明らかになつたであらう。それ故に我々は猶太人のかかる國際性が如何なる形態をもつてその生活に示現し得るかを、現代の最も著しい例によつて述べて見ることにしよう。 猶太人トレービチュは千八百七十九年にハンガリーの一小邑で信仰の篤い金持の子として生れたが、親讓りで信仰心が厚く、猶太聖典「タルムード」の熱心な研究家であつた。猶太人らしい「頭のよさ」と「俳優性」を持つてゐて、十六歳の時には俳優になることを志望したが、父に許されず、商業上の用件で歐洲各地へ送られた。然しなほその志望を捨てず、遂にブタペストで俳優になつた。そして猶太人らしく、文筆業にも手を出せば、政治にも關心を持つに至つたが、猶太教が基督教徒間に好遇されないのを知つて、獨逸のハムブルクに於て新教に改宗し、やがて新教の牧師として加奈陀へ布教に出かけた。其處ではその「タルムード」によつて練磨された論理によつて牧師として成功したが、月給の問題でその教會を去り、敵方である英國教會へ轉じた。この時彼は年漸く二十三歳であつた。
その後彼は英國へ渡り、親猶反日獨伊のカンタベリー僧正に取入つて牧師生活を續けてゐたが、そのうちに父の遺産を手に入れると、地味な牧師生活を捨て、猶太人得意の改名をしてティモシー・リンカーンと稱し、千九百十年には三十一歳で英國の代議士となりすましたのであつた。しかし彼の猶太的放浪性がこの生活にも滿足を見出さしめなかつたのか、彼は大陸に歸つて、ガリシヤで採油業に手をつけ、百萬長者となつた。
やがて世界大戰が勃發するや、彼は英國紳士の資格で再び英國に渡り、獨逸語又はハンガリヤ語の書簡の檢閲係となつたが、獨逸側の間諜と見做されるに至つたので、米國へ逃走した。米國では英國の請求によつて投獄されたが、在獄中のままで獨逸の暗號電報の解讀を引受け、囚人らしからぬ酒と女との生活をしてゐた。十六年にはいよいよ英國へ引渡されたが、二年の刑の宣告を受けたにも拘らず、病氣といふ理由の下に病院へ移され、刑期を終了すると、直ちに獨逸へ移つた。この國では舊王黨と結び、やがてカップの右翼革命に加はつて成功せず、ミュンヒェンに逃れてソビエット紙幣の大僞造計畫を立てたが失敗したので、佛蘭西の一通信社と關係をつけたり、チェッコに渡つて僞造文書で政府を欺いて一儲けしたりした。
然し彼の猶太的放浪性は、歐米二大陸を股にかけることでは滿足せず、やがて支那へ移つて某將軍の顧問となり、歐洲に於て支那のために借款を成立せしめようと、文那大使の資格で二三の支那人を引具して先づ伊太利へ乘込んだが、ヴィーン市の家具商と稱する男に生涯始めての經驗として一杯喰はされ、また旅券僞造の科で捕縛されるに至つた。然しやがてまた彼は支那へ歸り、三度目又は四度目の改宗をして佛教徒となり、西藏に草庵を設けて照空和尚の名の下に墨染の衣を纏ふに至つたが、なほ政治活動をも忘れることはなく、ガロンの名の下に活動してゐた猶太人と共に支那の赤化工作にも關與したが、最近はまた事變下に種々の策動をしてゐるらしく報ぜられてゐる。
我々は必要以上にトレービチュ・リンカーン・照空の傳記を述べたやうであるが、しかしこれではなほ大網を記しただけであつて、彼の半生はまだまだ波瀾に富んでゐるのである。勿論彼の生涯に見られるやうな無責任な國際性は全猶太人にあてはまるものではないであらうが、しかしなほこれが深い象徴的意義を持つてゐることは疑ひ得ないであらう。變名乃至僞裝轉向は實にあらゆる猶太人に常に認められる特質であつて、例へば前ソ聯外交ソ聯の元締リトヴィノフの如きは、五つも六つもの名前を持つてゐるのである。

前節の記述から考へる時、國際資本主義、國際共産主義、國際フリイ・メイスン祕密結社の國際機關が、何故にすべて猶太の支配下に入るかが容易に明らかとなるであらう。即ち、他のあらゆる民族は、「血」の外に「土」に結び附いてゐるので、「土」を離れた國際性を取り入れることは殆ど不可能であるので、國際機關の運用に當つては、到底猶太と競爭する力はないのである。それ故に、國際機關の中には、本來は善良なる意圖の下に非猶太人によつて設立されたものもないではないが、然しそれらは、暫時のうちに猶太の侵入を受けて、殆どあらゆる國際的機關に利用されてしまふのである。否、それ位ではなくて、現在に於ては、殆どあらゆる國際的機關は猶太そのもの發起になつてゐるのであつて、さうでない場合には、たとひ、他民族に屬する者が正しい國際協調の精神から創設することがあつても、到底國際的に普及する見込はないのである。また假にかかる機關で國際的に普及してゐるものがありとすれば、それは猶太によつてその利用價値が認められて、その援助を受けてゐる場合に限るのである。事實如何に現代の國際的機關が、或は猶太そのものの設立になり、或は猶太の世界政策の機關となつてゐるかは、我々の既に論及した重大なる三組織の外に、國際聯盟を始めとして、ロータリークラブ、國際ペンクラブ、エスペラント運動、キリスト教關係の諸國際組織、殆どあらゆる國際平和團體、青年團體、婦人團體等が然りであることから理解出來るであらう。かの著名のドレフュス事件を契機として生れた佛蘭西に本部を持つ人權擁護同盟の如きも、事實は「猶太人權擁護同盟」に過ぎないことは、その内容を多少とも知る者には、佛蘭西に於てさへも常識である。 日支事變以來、「國際平和運動聯盟」なるものが、不公正なる宣傳乃至決議を事としてゐる理由も、その猶太性を知るとき極めて明らかになるのである。我々が他の場所でも説いたやうに、國際聯盟その他の平和主義團體は、眞の平和團體ではないのであつて、平和の名の下に戰爭を誘發し、その責を猶太政策の妨げになる國に負はせようとするものに過ぎない。然るに日本の朝野には、今なほその明治イデオロギー的西歐崇拜のために、かかる國際機關に對する迷信を捨て得ない人々が多數存在してゐる。自由主義者乃至民政主義者の大部分より赤化主義宣傳の殆ど全部に至るまでがさうであつて、所謂、インテリ階級と稱せらるる者の相當數もその中に入るのである。然し今や日支事件を機會として日猶の間の全面的抗爭が展開されつつあるのであるから、眞に祖國を思ふ者は、徒らに猶太の宣傳に躍つて、その世界政策に協力する事をもつて進歩的等と迷信することを止めるべきであらう。殊に當代に流行する僞裝轉向派の跋扈に深憂を抱かざるを得ない者には、第一次世界大戰期の獨逸その他聯合國に於ける内部破壞を目標とする猶太勢力の運動が他所事ならず思はれて來るのである。勿論我々は國内猶太戰線が如何に猖獗を極めようとも、それによつて皇國の運命に狂ひが生ずるとは考へないか、しかしなほ 陛下の赤子をして徒らなる猶太の犧牲たらしむることは、忠良なる一臣民として到底忍び得ないのである。世界大戰に於て結局獨逸が戰敗國となつたのは、内部に巣喰ふた猶太とその手先の策動のためてあり、その結果戰後の獨逸は全くの猶太國と化したのであるが、一方戰勝聯合國側も決して眞の戰勝を得たのではないのであつて、世界大戰の眞の勝利者が猶太であつたことは、多少この方面の事情を事實に即して見る人には自明の事實である。とにかく、今や猶太問題は我々焦眉の問題であつて、決して獨逸や佛蘭西からの輸入品ではないのである。今度の聖戰の意義がこの問題を正當に理解しない限り充分に明らかとなり得ないことは我々の幾度か説いた通りであるし、事變の結果もまたこの問題を正當に處置しない限り充分の成果を收めることは不可能であらう。
以上の如く説く時、それはすべてを猶太問題とすることであるが、世界の現象は猶太問題のみからは説き得ないのである、との説をなす人があるかも知れない。この説の一應正しい事は我々も認めるに吝かではないが、然しこの主張はあらゆる人間の言説が前提を持ち又必ず一面性を持つことを忘れた人によつてなされる事が多いので、多くの場合にそれは故意に猶太問題を否定しようとする意志の僞裝であるに過ぎない。精神史的に言へば、かかる抗議的主張の多くは所謂民政主義的自由主義者又は赤化主義者によつてなされるのである。また或る一種の人は、その日本人的善良さから抗議を提出することもあるが、自己の正しさのために相手もまた正しと見ることは、世界のあらゆる民族に對しては正しいかも知れないが、猶太人の場合のみにはそれは當てはまらないのである。猶太の歴史を説き、猶太の本質を説くことは、正義日本人なればこそそれを行ふべきであつて、日本人以外には正しい猶太問題の解決は不可能であるとさへ考へられるのである。勿論我々は猶太人が非猶太人を動物であると稱するのに倣つて猶太人を動物であると考へる者ではないが、しかし我々は猶太人によつて抹殺されたる全世界の非猶太人の人權を恢復し、猶太人によつて汚されたる人間の實相をその本來の姿に恢復しなくてはならないのである。とにかく、現代世界の萬惡の根源である猶太が、その幾千年の詐欺と裏切りとテロとの歴史を拭ひ得るためには、その「トーラ」と「タルムード」を燒き、その教會堂を破毀しても、なほ數千年の時日を要するであらう。
それ故に我々としては、猶太の手先となつて容共抗日の暴擧を犯した蒋閨閥とその軍隊とを討つ以上は、その正義の劍をもつて同時に猶太を討たねばならないのである。勿論、その劍は日本の劍であつて、單なる殺人劍ではないのであるから、幾千年の間人類が猶太によつて欺かれ、裏切られ、殺戮されたとは言ふものの、必ずしもその復讎として劍を取るのではなくて、我々の活人劍は、むしろ積極的に猶太をして人間の實相を恢復せしめ、然して正しき平和をこの世界に持ち來さしめるものでなくてはならない。
ここに我々は、現代日本の防猶又は反猶の歴史的意義に關して一言しておかう。所謂排猶運動は、それを歴史的に見る時、大體四つの段階を辿つて來たやうである。その第一は歐洲・埃及・波斯等の古代のそれであつて、この時代には猶太人は猶太國民としてその劣惡さのために排撃せられてゐたのであるが、次の基督教時代には、舊教によつても新教によつても、猶太は猶太教として排撃され、特に基督を殺戮せる者として指彈されたのであつた。次に猶太は、近世に於ては別個の思想と道徳の所有者として、その詐欺性と陰謀性のために排斥されたのであつたが、最新の排猶運動は、獨逸に始まり、伊太利に傳はり、今や歐米諸國に次第に傳播しつつある民族としての猶太の排撃である。勿論、この四つの段階ながらに、相互に共通の點を持つてゐるのであるか、その根源的な特質よりして命名すれば、大體上述の通りとなるのである。而して以上は主として歐洲の現象であるが、これは猶太の在來の活動の舞臺が歐洲であつた事からして當然であらう。
然し今や猶太の國際性が猶太の活動の舞臺を全世界とすると共に、神國日本の活動がまた世界的となつて來て、ここに例へば日支事變の如き日猶の全面的衝突となり、所謂排猶の第五の段階に入つたのである。そしてこの日本の排猶が單なる排猶でなく、防猶であると同時に正しき平和の確立をその使命とすることは前述の通りであるが、この意味に於ては、日本の手に依る猶太問題の解決こそ、内容的には上述の四段階をその中に含有すると共に、在來よりも崇高なる八絋爲宇の世界的原理に立つてゐるので、世界史的に見て最後的なものとならねばならないものなのである。勿論それには前述の如く今後なほ幾百千年の時日を要するかも知れないのであるが、然し神國日本を除いては、眞に猶太を討ち、人類を救ひ得るものはないのである。
それ故に、少數民族の虐待などといふ猶太の得意の宣傳に躍らされることなく、また猶太的また「文化」「科學」「ヒューマニズム」等の宣傳的モットーに眩惑させられることなしに、討つべきものは徹底的に之を討つべきであらう。流行の反英氣分に浮されて、その英國の中樞を支配するものが現在に於ては猶太であることを忘れ、英そのものを憎むために親猶を宣傳するに至つては、支那問題に限り英を裏切つて日本と協力しても可いことを申出てゐる猶太の手先であると疑はれても辯明の餘地はないであらう。殊にこの種の議論が愛國主義の假面の下に於て行はれる時最もその害毒は大きいのであつて、僞裝轉向流行時代の一産物としては珍しからぬ現象であるとは言ふものの、心ある人は充分に今後の成行に注目すべきである。自己の利益のために英國に裏切ることを約束する猶太は、同じく自己の利益のために將來また日本に裏切られるであらうことは自然の理であるからである。我々は眼前の利益に目が眩んで、皇國本來の使命を忘れてはならない。

我々の本來の目標は日本と猶太との關係を見ることであるが、既にこの點に關しては、主として日支事變を媒介とする場合ではあるが、以上に於ても多少は論及して來たのである。
しかしこの關係を眞に理解するためには、今や日本を十重二十重に取卷いて、世界支配の完成のために最後の努力をしてゐる猶太戰線の三つの幹線である國際資本主義、國際共産主義、國際フリイ・メイスン祕密結社に關して、それらが同一の根據に立ち、同一戰線に關することに就いて、前の記述を補つておかなくてはならない。前述の通りに、日本知識階級の間には、自覺的又は無自覺的に猶太戰線に躍る者が今なほ相當に見受けられるからである。
第一の國際資本主義に關しては、それが猶太資本閥に外ならないことは、日本でも現在では常識であると見做してよいであらう。世界の金の約八割をその手に收めて、米國の某々所にそれを死藏してをり、そのために金が經濟界を支配する現在の唯物的經濟機構に於ては、猶太資本閥の意志のままに世界の景氣不景氣さへ決定されるのが實状であると稱せられるが、この點に關しても今は語ることを差控へて、國際共産黨とフリイ・メイスン結社との猶太戰線に關してのみ述べて見たいと思ふ。
國際共産主義もまた猶太のものであると言はれるとき、資本主義の本山とも言ふべき猶太が自己の地盤を覆さうとする共産主義を援助しまた信奉することはあり得ない、といふ疑惑乃至反對論が發せられるのが常であるが、之は實にお目出度い議論であつて、猶太の宗教と人間觀とその歴史とを多少とも知る者には、兩者が表面的に對蹠的であるからこそ却つてその猶太戰線性が證明されるのである。とにかく、猶太人をも自己と同一の心理状態の民族であるとする所から來るこの類推作用に基づく反對説乃至疑惑は、猶太がそれを利用して既にその世界支配を將に完成しようとする點まで漕ぎつけて來てゐる所のものであつて、この一點からも猶太の「頭のよさ」と「心の冷たさ」とに對して、非猶太人の「頭の惡さ」と「心の暖かさ」とが對蹠的であることが窺われるのである。猶太としては、共産主義が共産主義であるから協力するのではなくて、その國際性が猶太國際民族の世界支配策に有效であるが故に援助するのであつて、これは手段を選ばぬ猶太としては當然のやり方なのである。從つて共産主義は、單に貧乏猶太人によつて支持される許りでなく、猶太財閥そのものによつても支持されるのである。否、それは猶太資本主義によつて特別に援助し助長されるのであつて、これは猶太の世界支配政策が主として資本主義猶太人の計畫であることから見ても當然であらう。即し、資本主義猶太人は、共産主義によつて非猶太人の資本を潰滅させ、非猶太人の宗教を癈棄し、非猶太人の政治的權力を轉覆させ、非猶太人の國家と家庭とを滅亡されようといふのである。而してこれがかの「トーラ」又は「タルムード」以來の猶太の政策であることは、前述の記述で充分に明らかであらう。それ故に共産主義は、猶太に取つてはエホバの命を果す方法の一つなのであつて、この點に於て國際資本主義と少しも衝突する所はないのである。
然らば猶太資本主義は如何にして實際に共産主義を援助するのかといふのに、それはボルシェヴィズム革命が主として米國財閥クーン・ウント・・レープの援助によつて遂行された例の示す通りに、資金關係に於てである。世界的組織を持つ共産黨が資金なしに國際的活動をなし得るとは何人も考へないであらうが、この一點から考へても、國際資本主義と國際共産主義とが同一猶太戰線であることは理解される筈である。それ故に、たとひ猶太の幾千年の歴史を知らない人も、世界の通信言論機關を支配してゐる猶太のその日その日の宣傳のみに躍らないだけの批判力のある人は、兩者が表面上相矛盾するが故に無關係であるといふ如き疑問を提出することに恥かしさを感ずるであらう。
實に猶太は、經濟學者リカルドー以來、マルクス、ラーテナウ等を經て、現在佛蘭西の赤色社會黨首領のブルムに至るまで、上述の二重政策を意識的に實行して來てゐるのであつて、リカルドーは銀行家であり、マルクスは敬虔なる猶太教徒(表面は改宗してゐたが、これは敬虔な猶太教徒がその世界政策のために意識的にする僞裝の代表的な場合である)であり、ラーテルナウもブルムも、日本の百萬長者とは單位の異つた億萬長者であるのである。
そしてこの事情は、最近佛蘭西で發見されたマルクス宛の手紙によつても判明する。即ち、彼の友人バルフ・レーヴィは彼に次の如く書いてゐる。
「全體として見れば、猶太民族自體が救世主であるかも知れない。世界に對する猶太民族の支配は、爾餘の人種の統合に依り、又小國分立主義の防壁なる國境や專制王國の拂拭に依り、そして到る處に於て猶太人に市民權を許容するであらう所の世界共和國の設立に依つて實現されるでせう。人類のこの新らしい組織の下では、イスラエルの子等は今後世界に擴がるでせう……彼等は到る處で、何等の抵抗も受けることなく、指導的要素となるでせうが、特にこの事は勞働者階級の支配權を自己の手中に確保することによつて安全に成就されるのです。この世界共和國に屬するあらゆる國家の政府は、プロレタリヤの勝利といふ假面を被る猶太人の手に例外なく歸するでせう。あらゆる私有財産が猶太民族の指導者達の所有となるのは勿論のこと、あらゆる公有財産もまた猶太人の管理下に入るでせう。かくてメシアの時代が來るや否や猶太人は世界のあらゆる國民の富を我物とするであらう、といふタルムード中の神の約束は實現されるでせう。」
この言葉によつて、マルクス主義そのものの本質は既に明瞭であらうが、なほ念のために我々はラーテナウにも耳を傾けることにしよう。
「相識の三百人が大陸の經濟的運命を導いて居り、後繼者を自巳の周圍より選ぶ。この不可思議な現象は、將來の社會の發展を暗示するものであるが、ここにはそれを記することは控へたいと思ふ。」
これは彼をして「赤の豫言者」の名を得しめた著明の語であるが、それが既に一九〇九年に書かれたものであることは、驚異に値するであらう。そちてこの三百人が猶太資本家乃至猶太的フリイ・メイスン結社員であり、「將來の社會の發展」とは世界大戰をも含む西歐に於ける猶太支配完成の時期を指示してゐることは、ラーテナウの他の活動及び言説から判明するのである。
「我々猶太人がこの世界に生れ出たのは何のためであるかを、君は知つてゐますか。あらゆる人類をシナイ山の前へ呼び寄せるためです。君は行くことを欲しないですか。もし私が呼ぶので駄目なら、マルクスが君を呼ぶでせう。もしマルクスでも駄目なら、スピノザが君を呼ぶでせう。スピノザでも駄目なら、キリストが君を呼ぶでせう……。しかし我々猶太人はまだその使命を滿たしてゐないのですから、この點で君が我々を非難なさるのは尤もなことです。」
ラーテナウに取つては、彼自身もマルクスもスピノザもキリストも、何れも猶太の世界支配の一指導者であるといふのである。資本主義もマルクス主義も「知性」哲學も基督教も、何れも猶太の世界支配の手段であるといふのである。甞て我々によつて紹介された今春(昭和十三年)の加奈陀共産黨の宣傳ビラが、「共産主義の資金網を形成する猶太人の財産を保護せよ」と書いてゐるのも、同じ事情を物語るであらう。
なほ我々は千九百十九年のヴェルサイユ會議の頃に於ける猶太自身の別の言葉を今一つ引用しておかう。それはその年の一月十六日の「猶太世界」誌の文である。
「國際猶太人が今度の戰爭を歐洲に強制したのは、多額の金を入手するため許りではなくて、これによつて猶太のための新らしい世界戰爭を始めんがためである。」
この引用は一言論機關の語に過ぎないのであるから、それに過大の豫言的意義を附することは適切でないかも知れないが、然し猶太がその純粹の猶太機關に於て内輪に發表するプログラム的言説は、極めてしばしば猶太の世界政策を暗示してゐることがあるので、それを全然無視することもまた適切ではないのである。例へばかの「シオンの議定書」の如きも、猶太がその僞作であることをあらゆる虚僞の捏造によつて否定する許りか、例へば近年瑞西ベルン市の法廷を煩わしてまでもその横車を押さうとしたにも拘らず、世界の動きと猶太の向背とがその僞作ではないことを證してゐるのみか、ベルンの法廷に於てさへ、猶太側の裁判官によつて猶太側の證人のみの言を用ひて判決されなかつた第二審に於ては、議定書を猶太政策のプログラムとする非猶太人側の勝利に歸したのである。この意味に於ては、この一猶太雜誌の言も注目に値するのであつて、世界大戰後の世界の動きは、「猶太のための第二の世界戰爭」の準備のために總てが計畫的に進められて來たのであり、今もまたさうである。
そしてその第二次世界戰爭とは、世界革命を目的として、英米佛ソ等の猶太支配諸國の聯合軍をして日獨伊全體主義國家と戰はしめることをその現在のプログラムとしてゐるのである。それ故に彼のスペイン問題に於て伊太利が立ち、チェッコ問題で獨逸が立ち、何れも猶太の計畫とは齟齬して獨伊の勝利に歸したのは、猶太としては取返しのつかない誤算であつたのである。
しかし猶太の誤算は、東の日支事變に於ても見られるのであつて、我々が幾度か説いた來たやうに、國民政府なるものは、その眞の姿に於ては、支那國民そのものとは何等の關係のないものであつて、それは東洋に於ける猶太の世界政策の協力者であり、番犬であるが、この蒋政權の究極の目標は、少なくともかの抗日政策の確立した日以來は、日本をも捲き込んでの第二次世界大戰の誘起にあるのであつて、これは少なくも蒋介石自身の昭和六年の元旦の宣言以來は確立してゐたのである。然し現在の事變の經過が示してゐるやうに、これは全く猶太政權の誤算となりつつあるのである。
かく西に於てはスペインとチェッコに於て失敗したのであるから、東に於てもまた日支事變に失敗するとすれは、將に完成せんとしてゐた猶太の世界支配は根本的に蹉跌することになるので、茲に蒋政權の長期抗戰と焦土戰術が必然的に生れて來るのである。ここに蒋政權が案外強靱な理由もあるのであつて、世界の猶太がその背後にあつて支持してゐるのである。

然し蒋政權のねばり強さの謎は、國際フリイ・メイスン祕密結社と蒋閨閥又は蒋政府との關係を知るに至つて一層よく判明する。この祕密結社に就いては、その起源・成立史・本質等に關して種々の説かあるので、ここではそれ等の點に就いて論及することを差控へたいと思ふが、少なくとも猶太解放革命としての佛蘭西革命以來それが猶太世界政策の一機關と化してゐることは、猶太人自身もしばしば主張してゐる所である。念のためにここにその二三を紹介してあかう。
「フリイ・メイスン結社は猶太の設立物であつて、その歴史・階級・職務・暗號・解釋は徹頭徹尾猶太的である。」
これは千八百六十六年に於ける亞米利加の有力な猶太人アイザーク・エム・ワイズの言であるが、後述する純猶太祕密結社ブナイ・ブリスの會員ゲー・カルペレスは千九百二年に此の結社の記念論文集に次のやうに書いてゐる。
「フリイ・メイスン結社の設立者は、猶太の最盛期を到來せしめたソロモンであると稱せられるが、それに相應はしくも、フリイ・メイスン結社といふイデーは内面的必然性をもつて猶太人の世界から生れたのである。用語や名稱は大部分ヘブライ語である。」
更に新しくは、千九百二十八年の佛蘭西のフリイ・メイスン結社の一機關誌「象徴主義」に次のやうに記されてゐる。
「フリイ・メイスン結社の第一の行爲は、神的な智慧を不變のままに保持して來た猶太民族を讚美することである。。」
次に新らしい例を獨逸に求めるならば、千九百二十五年のフリイ・メイスン結社の一機關「アウフ・デル・ヴァルテ」には、
「フリイ・メイスン結社員となるためには、狹隘なる獨逸的祖國的立場を捨てて、選ばれたる人即ち獨逸猶太人とならねばならない。」
と記されてゐる。
これを換言すれは、ルーデンドルフ將軍以來著名の語となつてゐる「人爲的猶太人」とならねばならない、といふのである。純猶太フリイ・メイスン結社として現在の世界に大きな勢力を持つてゐるブナイ・ブリス結社の會員が猶太人であることは自明であるが、その他フリイ・メイスン結社の會員もまた、上述の諸引用によつて見ても、すべて「人爲的猶太人」と稱せられて差支へないのである。普通フリイ・メイスン結社は三十三階級に分れてゐるが、その幹部級が現在では大部分猶太人であるか、猶太と何等かの點で利害を一にして結合してゐる者であるのが實状なのであつて、ミュンヒェン・アカデミーのエッケルは既に千八百八十四年に、「シュルハン・アルフ」よりの拔粹「猶太鏡」の眞僞が法廷で問題となつて時、その鑑定家としての研究の結果を述べた書物の中で、「猶太當局者に服從することが、フリイ・メイスン結社の責務であり、現實である、」と言つてゐる。
なほフリイ・メイスン祕密結社の眞の目的は、その第三十三階級にまで上つたが遂にこの結果の僞瞞政策に良心の苦痛を感じて脱退した獨逸のレーリヒの手記に依れは、祖國を捨て、傳來の宗教を捨て、國民協同體と民族とを否定して、所謂『自由・平和・博愛』に生きることであるといふのであるが、これが國際民族としての猶太民族に最も好都合であることは、改めて説明する必要はないであらう。從つてこれが、猶太の世界政策としてのマルクス主義及びボルシェヴィズムに連結され、またその温床としての自由主義と相通ずるものであることはレーリヒ自身も明らかに認めてゐる通りである。
さて蒋政權とフリイ・メイスン結社との關係を明らかにするためには、支那革命の祖である三民主義の主唱者孫逸仙その者が既にフリイ・メイスン結社員であつたことから説かねばならない。この點に關しては既に我々によつて論ぜられたことがあるので略述するが、孫の屬したフリイ・メイスン結社は、最も凶惡で最も勢力があるとされてゐる純猶太結社ブナイ・ブリスであつたのである。この點から見る時、孫逸仙は單なる「人爲的猶太人」ではなくて、古き昔の猶太國滅亡の際に支那へ漂泊して來た猶太人の血を享けてゐる所謂「支那猶太人」であるかも知れないのである。また、蒋介石その他國民政府の要人も、殆ど例外なくフリイ・メイスン結社員であることが判明してゐる。從つて彼等の信奉する三民主義なるものも、巧みに僞裝されたフリイ・メイスン主義であり、從つてそれはそれだけで既に猶太共産主義又はボルシェヴィズムと親近性を持ち、從つて、國民政府が直接間接に猶太の支那搾取の代用機關であることが判明するのである。容共抗日策の總ては、殆ど例外なく猶太人顧問の手によつて實行されたものであつて、貨幣改革の如きも猶太資本家サッスーンと英國政府財政顧問といふ肩書を持つ猶太人リースロスとの合作に外ならない。國民政府を援助するために送られてゐる猶太人は、ソ聯より來たガロンその他であらうと、英米佛の大使の肩書で來てゐるジョンソン、ヒューゲッセン、ナジャール等であらうと、また國民政府顧問として西安事件に蒋の救出に活躍して名をあげたドナルドであらうと、何れも猶太人ならぬ者はないのであり、またその多くは同時にまたフリイ・メイスン結社員であるのである。
殊に彼等の大部分が純猶太フリイ・メイスン結社であるブナイ・ブリス結社の會員であることは注目に値するであらう。かの著名の「シオンの議定書」は、今ではブナイ・ブリス結社の世界政策のプログラムであると信ぜられてゐるか、容共抗日支那に行はれていることは、その地上的事件であらうと、地底的事件であらうと、すべて猶太的フリイ・メイスン的ならぬものはないと言つても過言ではない。
最後にフリイ・メイスン結社に關する認識が日本朝野に缺けてゐる理由に就いても一言しておかう。日本朝野のこの結社に對する態度は、一般猶太人問題に對するのと全く同一であつて、猶太戰線性の多い者ほどにこの結社に就いて知ることを拒否するのである。それが表看板に慈善的相互扶助團體としてゐるのを盲目的に迷信するのはまだよい方であつて、かかる祕密結社の存在を疑ふ者さへあるに至つては正氣の沙汰ではないのである。之は日本人の公明さのためでもあるが、しかし所謂知識階級にこの種の無批判者流の多いことは、日支事變とのその後の世界と日本との情勢に思ひを致す者に取つては、由々しき大事である。勿論、フリイ・メイスン結社そのものは日本にはない。あつてもそれは外國人のみが出入するに過ぎない。日本政府とフリイ・メイスン結社との間の紳士協定によつて、日本人は國内に於ては入會し得ず、またその會合に出席し得ないことになつてゐるからである。しかしフリイ・メイスン結社の祖國である英國は、皇室を始め有力者の殆どすべてが結社員であるので、英國に駐在する帝國使臣は、儀禮的又は便宜的にそれに加入することがあり、日英同盟の立役者であつた林子爵の如きは、相當の高級結社員にまで昇給してゐたことは外國のフリイ・メイスン結社に關する書物にはしばしば記されてゐる。我々は、この外交上の習慣乃至傳統が現在どうなつてゐるかは知らないか、フリイ・メイスン結社に於ては、脱會後さへも結社の祕密を守ることを生命をかけて誓約するのであるから、この點に關しては可成りの注意を要するであらう。
殊にこの紳士條約の裏面を潛るためとも見えるロータリー・クラブ、國際ペンクラブ等が、表面的にはフリイ・メイスン的な美名の下に、次第にわが國の上層有産階級を侵蝕しつつあることは、決して忽諸に附すべき現象ではないであらう。創立者も宣傳者も猶太人であるこれ等の結社は、現在ではなほその害毒を表面に出してはゐないとしても、心ある日本人はその美名に釣られて、猶太の世界政策の手先となり終ることのないやうに反省すべきであらう。
それ故に我々は、以下日本と關係ある猶太人を述べるに際しても、彼等がフリイ・メイスン結社員であるか否かに關しても出來る限り注意して行くことにしよう。

一般論が長くなつたので、ここで筆を轉じて、いよいよ具體的に日本と關係を食つ猶太人に關して記述することにしやう。勿論、日本と關係のある猶太人と言つても、上述のことで明らかなやうに、その限界は決して明瞭ではないので、ここては主として現存の猶太人を見ることにし、時としてさうでない者にも及びたいと思ふ。なほ國際民族としての猶太は、これまた既述の通りに、現在に於ては獨立した猶太國を持つてゐないのであつて、例へばパレスチナ又は滿洲國の北部に隣接するビロン・ピシャン州の如きは大局から見て問題とならないのであり、從つて彼等は、常に表面的には英國・米國・ソ聯人・佛蘭西と稱してゐるのである。日本との關係に於ては、彼等は何れもこれらの國人として登場して來るので、特に我々の關心を要するのである。
現在わが國に渡來してゐる外國人は、猶太的ソ聯を脱出して來た露人又は東洋人を除く時には、約八割は猶太人(或は祕密結社員)であつて、反猶國獨逸の國籍を持つてゐる者の中にも、獨逸現政府成立以前又は以後に渡來した猶太人が相當にあるのである。殊に注目さるべきは、學校關係又は音樂關係の猶太人であつて、彼等の手を通じてなされる組織的文化ボルシェヴィズムは、わが國將來のために、充分に防禦されなくてはならないであらう。防共日獨間に締結された文化協定を生かすためには、先づこの點の處置が大切であらう。とは言へ、事業方面に進出してゐる猶太人や言論機關へと奸策を以て魔手を向けてゐる猶太人もまた決して放置さるべきでないことは言ふ迄もない。しかし我々は、ここでは主として、わが國を圍んでスクラムを組んでゐる猶太支配下の諸國の中樞に地位を占めてゐる強力猶太人のみに就いて語りたいと思ふ。
猶太勢力がその國に於て優勢である順序に論ずる時に、第一に擧ぐべきはボルシェヴィズム國ソ聯である。
最近のスターリンの政策が反猶的であつて、かの所謂肅清工作の如き猶太勢力の削減のためであり、元來トロツキーの追放そのものが然りである、といふ説も行はれてゐるが、これは一部のためにする宣傳であつて、少なくとも最近まではトロツキーとゲー・ペー・ウーとは連絡があつたのであるし、從つてスターリン派もトロツキー派もその中樞を形成するものが猶太人であることを知るとき、兩派の間の鬪爭は暗默の諒解の下に表面的に繰返されてゐたかにさへ見えるのである。或は精々の所、唯物論者にふさはしい私刑の相互賦課であつて、權力猶太人の私鬪が所謂肅清工作となつてゐるのである。スターリンの義父カガノーヴィッチの閨閥が健在であつて、ソ聯の重要地位の幾つかを占め、ロボットとしてのスターリンを躍らせてゐる限り、ソ聯は文字通りに猶太の獨裁國であつて、これは所謂プロレタリヤ獨裁の眞相であり、マルクス自身の趣旨にも叶つている。
然しソ聯の猶太性を解するためには、その思想的元祖であるマルクスを顧みなくてはならない。彼が猶太人であることを知らない者は今では世界中に一人もゐないと言つて差支へないであらうが、モルデカイを本名とする彼は猶太人中でも最も猶太的である猶太法師の子であつて、前にも論及した通りに、便宜上改宗したが、實際には熱心なタルムードの信仰者であつた。そして彼が如何にタルムード精神に富んでゐたかは、千八百七十一年の巴里共産黨騷動に際して、巴里の猶太富豪ロスチャイルド家は掠奪せぬやうにとマルクス自身が指令を出してゐることでも判明するのである。このことは、古くは佛蘭西革命、大戰後の獨逸に於ける諸赤化系騷擾、ハンガリー共産革命、そして最も大規模にはソ聯ボルシェヴィズム革命、最も新らしくはスペイン人民戰線革命などに於て、猶太系富豪が何等の損傷を蒙らず、猶太教會堂が多くは破壞の運命を免れてゐるといふ事實によつても證明されるのである。なほ注目すべきことは、マルクス自身もフリイ・メイスン祕密結社員であつて、千八百四十五年十一月十七日にベルギー國ブリュッセルの「社會主義結社」の會員となつたことである。彼の父猶太法師もまた祕密結社員であつたことは言ふ迄もない。
ソ聯猶太革命の先驅者ケレンスキーが猶太人であり、且つフリイ・メイスン結社員であつたことは割合に知られてゐるが、ボルシェヴィズムの元勳レーニンもまた母系の猶太人でありフリイ・メイスン結社員であることは、なほ充分知られてゐないらしい。然しレーニンの場合に特に注目すべきことは、その細君のクルプスカヤが純猶太女であつた事であつて、我々がしばしば他の場所でも説いて來たやうに、猶太女を妻としてゐる非猶太人の場合は、日本に於てさへもその例があると言はれる通りに、その行動は純猶太人の場合よりは過激にして無良心なることが多いのである。猶太人が非猶太女を妻として迎へることは猶太法によつて嚴重に禁止されてゐるのであるが、猶太女は猶太の世界政策に積極的に有效である場合には非猶太人に嫁ぐことを許されてゐるのであつて、その最も普通の場合は、有力なる非猶太人の細君を毒殺又は三角關係によつて除き、その後釜として据るやり方と、將來有望の非猶太人を捕虜にするやり方とであつて、夫を操縱して猶太のために働かせる許りでなく、子供を猶太的に教育するのである。從つて猶太人の場合よりも、猶太女を妻とする非猶太人の場合の方が惡質であり得る場合の多い事が理解されるであらう。それ故に、假に或論者の説のやうにレーニンが母系の猶太人でなかつたとしても、後のボルシェヴィズムが猶太性のものであることは疑ふ餘地はないのである。後述するスターリンの場合も事情は全く同じであることは、その血にふさはしく或はその「人爲的猶太人」であるにふさはしく、飽迄殘忍性を帶び、また拜金的で、淫亂性であつて、その死は正眞證明の腦梅毒性半狂亂であつたと言はれてゐる。
スターリンもまた猶太系であることは、昨年十一月の佛蘭西系雜誌「ル・ジュルナール」の明らかにした所であつて、その母は猶太行商女であつたと言はれてゐる。しかしこれは眞でないとしても、彼の政策が猶太的であることは、その妻がカガノーヴィッチの娘であることで判明する。その後幾度か彼の赤い戀が傳へられたか、何れもこの事情を世界的に誤魔化さうとする作爲にすぎない。何れにもせよスターリン自身が猶太の單なるロボットに過ぎないことは、本年六月三日の猶太雜誌「アメリカン・ヒブリュー」紙が彼を「共産主義の鉛の兵隊」と言つてゐるのでも判明するし、また一亞米利加猶太人が千九百三十四年に既に、スターリン政權の實權はカガノーヴィッチ閨閥にあることを説き、カガノーヴィッチこそツァー(露西亞皇帝)の國の眞の支配者となるであらう、と述べてゐることからも明らかであらう。それ故に我々は、ソ聯の一部にカガノーヴィッチ王朝と言はれてゐるカガノーヴィッチ閨閥に就いて一言しておくことにしよう。
前述の如くに、この閨閥は次第にソ聯の重要なる地位をその手に收めつつあるのであつて、今はそれを一々列擧しないが、恐らく今後は一層さうなつて行くであらう。幾度の肅清工作に際してもいまだ甞て一度も噂にさへ上らなかつた猶太高官はこの一家だけとも言うべきであつて、實權を次第に掌握しつつありながらも、とかく餘り表面に立ち現はれない所は、この一家が猶太的なタルムード論理を充分に會得してゐるためであらう。あらゆる肅清工作は、この閨閥に不都合な者の絶滅がその目的であると言はれてゐるのも決して故なきことではないのである。
ソ聯と關係のある猶太人と言へば、今は追放の身ではあるが、トロツキーを見落してはならないことは言ふ迄もない。猶太資本の援助によつて遂行した革命の土地を追はれたとは言へ、なほ彼がボルシェヴィズムの信奉者であることは、彼が猶太人であることからのみ見ても當然であつて、現在の彼の目標乃至使命は北米の赤化にあるのであるが、その北米とソ聯との關係が最近多少の動搖を見せてゐるとは言ふものの、久しく極めて親密であつたことを知る時には、スターリン及びトロツキー兩者自身が如何に考へてゐるかにも拘らず、兩者共に相携へて猶太戰線に立つてゐることだけは間違ひないのである。なほトロツキーがフリイ・メイスン結社員であつたことは、彼の自傳に、「それは如何にも不思議に響くであらうが、自分をマルクス主義に導いた最後の橋はフリイ・メイスン結社であつた」と書いてゐるのでも判明する。なほこのトロツキーの語は、フリイ・メイスン結社も共産主義も國際資本主義も何れも猶太的陣營の一部であることを證明するに役立つであらう。
ボルシェヴィズムの猶太性は、ソ聯外交部長のリトヴィノフが猶太人であり、最近まで東洋に權勢を振つてゐたブリュッヘル將軍もヒェジーンといふ本名の猶太人であり、最近辣腕を謳はれてゐるメヒリスもまた然りであることや、殺人鬼として世界にその惡名高きゲー・ペー・ウー長官ヤゴーグのみならず、ラデックもまた然りであつた事を知る時に、一層明らかとなるであらう。そして之等の猶太人は殆ど例外なく別の本名を持ち、また通名としても他になほ幾つかの名をさへ有してゐるのである。リトヴィノフの如きは、約三十年前のスターリンとの共同の文字通りのギャング時代から今日に至るまで、數個の改名をして來てゐる。特に著名のものでも、ヴァラッハ又はフィンケルシュタインといふのがある。また前に論及した「アメリカン・ヒブリュー」はソ聯と英米との接近を彼の功績であるとし、「ルーズヴェルトを買收した」のも彼であるとさへ明らかに言つてゐる。なほ彼に關しては、彼が純猶太フリイ・メイスン結社であるブナイ・ブリス結社の會員であることも忘れてはなないであらう。
ボルシェヴィズムとフリイ・メイスン結社との關係に就いて述べておきたいのは、表面死刑に處せられた猶太人ラデックがフリイ・メイスン結社の有力な會員であつたがために事實上助命されたことであり、また一時禁止してゐたフリイ・メイスン結社をスターリン政權が近年に至つて再許可するに至つたといふ事實である。
なほゲー・ペー・ウー長官としてヤゴーグ以上の辣腕と稱せられたエジョフ及び總理大臣格のモロトフの二人が、スターリンと同じく猶太女を細君としてゐることも附記しておく値かあるであらう。それ故に相當に實權ある著名な非猶太人としては唯一人思想的には空虚なヴォロシーロフがあるだけであると稱せられるのも故なきことではない。

ソ聯が共産系猶太の本山であるとすれば、資本主義猶太の本山は現在では米國である。然し共産主義ソ聯が所謂民主政策の採用などといふ名目の下に次第に資本主義化しつつあるのに對して、米國はジュー・ディールと評されるニュー・ディール政策等によつて次第に赤化しつつあることを見る時、兩者が最近迄國交上極めて親密であつたのは自然の理でらう。三人に一人が猶太人である俗稱ジューヨーク本稱ニューヨークを有することによつて象徴的に示されてゐるやうに、現在最も多く猶太人の居住してゐるのは米國であり、また最も富裕且つ有力な猶太人の最も多く集つてゐるのも米國である。最も過激であると稱せられる純猶太フリイ・メイスン結社ブナイ・ブリスの所在地が米國であり、また日本で燈臺社として知られてゐる僞裝猶太的基督教團體の本據が米國であることを考慮する時、如何に米國が猶太の天國であるかは判明するであらう。
さてこの米國とわが國との現在の關係に筆を進めるのに、今後わが國として最も注目すべき國はこの國であらう。先づ十一月三日の帝國政府の聲明に關する米政府の態度を見るのに、それへの暗默の解答とも言ふべきものは、一昨年十一月のブリュッセル會議後のデヴィス代表の報告の發表であつて、それによつて所謂九ヶ國會議の再會を暗示して威嚇的態度を取つてゐるのである、と傳へられてゐる。また別の報道によれば、現實主義の英國は現地の情況に即應した政策に轉じつつあるが、米國は相變らず理想主義を捨てず、九ヶ國條約又はケロッグ不戰條約を正面にふりかざしてゐるとも傳へられてゐる。
ここで想起されるのは、滿洲事變の頃に於けるスティムソン國務長官の理想主義的恫喝外交であり、イーデン前英國外相の反日獨伊理想主義外交であるが、これらの外交が何故に常に反日獨伊であるのかの謎は、國際聯盟始め所謂理想主義外交機關なるものが、猶太人の手により猶太の利益のために現實を無視して頭腦によつて構成された抽象的存在であるからに外ならない。國際聯盟が、その起源から見ても傳統から見ても、その一貫した人的構成から見ても、殆ど全く猶太機關であり、またフリイ・メイスン結社系機關であることは、今更一々實例を列記して説明する必要はないであらう。所謂不戰條約もまた猶太人にしてフリイ・メイスン結社員であるケロッグの策謀であり、九ヶ國條約もまた支那の門戸開放等の着目の下に支那に於ける猶太の獨占的地位を確立しようとする猶太側の策謀に過ぎないことは、ここに特に力説しておく必要があるのであらう。とにかく、國際聯盟及び他の米國主唱の諸國條約は、現在では例外なく猶太の世界政策機關であることが判明するのである。それ故に、米國が表面上國際聯盟に加盟してゐないことは、むしろ却つて猶太政策に取つては有效なのであつて、一方に失敗した時は他を以て當らうとする猶太式の二重政策に過ぎないと考へられる。それ故に帝國政府が最近國際聯盟とのあらゆる協力を斷絶したのは日本外交としては稀に見る英斷であるが、しかしこれによつて猶太的國際聯盟との關係は希薄になつたのではなく、米國經由で猶太聯盟の意志は今後もわが國に傳わつて來るであらう。
とにかくこのギャングの國は、その對内外の政策に猶太的ギャング性の見られる事が多いので、利益關係の如何によつては、その表面的な中立は何時急變して來るかもはかり知られないのである。この事は、世界大戰時に於ける米國の態度に最もよく表明せられてゐる。殊に近來注目すべきことは、單なる通商協定以上の協定が英米加奈陀間に締結されたことであつて、ミュンヒェン會談に於て一敗を喫した英佛の猶太が、英に於ては猶太派のイーデン、チャーチル又は勞働黨猶太頭首等の口を借りて、佛に於ては植民相マンデル又は猶太黨首ブルムの率ゐる社會黨その他の左翼諸黨の力を借りて主張して來た所のものが實現されたのであるとも言ひ得るであらう。
さてここで直ちに個々の代表的猶太人に移ることにするが、その代表的人物の先頭に立つ者がルーズヴェルト大統領であることは言ふ迄もないことであらう。即ち、彼は、その血統から見て十七世紀頃にスペインから流れ込んで來た猶太人の一家に生を享けたのである。また彼はフリイ・メイスン結社員であつて、オッド・フェロウ結社の第三十二階級に屬すると稱せられてゐる。その息子(何れも祕密結社員である)の一人が昨年頃大武器會生の猶太人社長の娘と結婚し、またその息子がハリウッド入りをしたといふことも、彼の猶太血統を證明するには充分であらう。英米その他の武器會社の大部分、また米國の映畫會社とその俳優の大部分が猶太人であることは、世界の言論通信機關の場合がさうであるのと同じく、今では世界の常識である。
また、ルーズヴェルト大統領のブレン・トラストが殆ど全部猶太人であることも隱れなき事實であり、それ故にそのニュー・ディールは、ジュー・ディールと惡評されることもあるのである。かく猶太人として猶太人の利益を中心として政策を立てることは、彼が常に「ファッショは人類の敵である」と言つてゐることの意味をも證明するであらう。猶太政策の最も有力なる邪魔物であるファッショ及びナチスはそれが猶太人によつて人類の敵と呼ばれるそのことのみによつても、既にその政策が正しい人道政策であることの證明を受けたとさへ言はれるのである。かくてルーズヴェルト大統領個人の場合を見ても、國際資本主義が猶太主義であり、從つて結局共産主義であることも判明するのである。
國務長官ハル自身は猶太人ではないが、しかしソ聯又はデモクラシー諸國の多くの有力者の場合がさうであるやうに、彼の場合もまた細君は猶太女であり、それもかのボルシェヴィズム革命の資金主であるクーン・ウント・レーブ會社長の親類の娘なのである。それ故に彼の政策がルーズヴェルト大統領のそれと根本的には完全に一致することは疑のないことであつて、獨墺合併の際及び最近の獨逸に於ける猶太人排撃に際してハル長官の發した米國式人道主義の衣を着た猶太保護の宣言は多少この方面の事情に通じた者ならば、それが大統領又は國務長官の背後に立つてゐる富裕な有力猶太人の指令であることを直ちに感得するのである。東西兩洋に於て猶太の世界支配がかなりの動搖を來たしてゐるのを考慮すれば、この系統の宣言的言説は今後一層激しくなるであらう。いま猶太に取つては、その存立に拘る危險が迫りつつあるのである。
ここで多少本論を外れるが、盟邦獨逸及び伊太利の最近の對猶太人態度に關して一言しておきたい。伊太利が最近になつて、猶太問題に關して獨逸と殆ど同一の態度を取るに至つたことは、新興精神に生きる全體主義國家としては、欲すると欲せざるとに拘らず、猶太人を自己の體内より排除せざるを得ないことを證するものである。また獨逸の最近の猶太排撃は、猶太系通信機關を通して來る日本の諸新聞の記事のみからは判明しないが、決して獨逸方に非があるのではなくて、デモクラシー諸國に於ける猶太人が組織的に長年月に亙つて獨逸貨ボイコットを繼續して來てゐるのに對する一種の報復が、今度の機會に表沙汰となつたにすぎないのである。獨逸貨は、デモクラシー諸國に於て、日本貨が支那に於て事變前に受けてゐたのと同じボイコットを受けてゐるのであつて、獨逸が自己の生存のためにその組織的ボイコットに對して或種の手段を取ることは當然のことであらう。
米國に關する部分が長くなつたので、以下は極く簡略に述べなくてはならない。外國電報は屡々純猶太フリイ・メイスン有力結社員バルーフが大統領と會見することを報じてゐるが、彼こそは米國の「無冠の帝王」と稱せられる有力な猶太人であつて、彼の動くところ軍擴ありまた戰爭ありと稱せられ、ルーズヴェルト大統領自身彼を「米國中の最も取るべき人間」と呼んだと傳へられてゐる。
次は墺國生れの猶太人フランクフルター教授であつて、「最有力の米國民」と稱せられる彼は、バルーフと同じく時として大統領以上の權力を有すると言はれるが、それは彼がその背後に無數の共産主義系團體及び本質的に赤化してゐると稱せられる米國の大學の勢力を持つてゐるからである。高等法院有力判事ブランダイス及びウィルソン大統領以來の名物男ハウス大佐も猶太人でありフリイ・メイスン結社員であるが、紐育州知事レーマン及び紐育市長ラガルディアもまたさうであることは誠に驚異に値するであらう。特にラガルディア市長のヒットレル總統侮辱は有名であるが、これは彼が猶太人である許りでなく、ゲー・ペー・ウー長官ヤゴタと共に殺人鬼として世界にその名を轟かしたハンガリヤ赤色革命の張本人ベラ・クーンの親戚であることを考へるなならば、それは容易に理解出來るであらう。また日本人としては、物理學者として著名なアインシュタインが猶太人でありブナイ・ブリス結社員であって、獨逸在住時以來隱れもなき共産主義シムバであることをも知つておくへきであるし、近頃日獨いぢめで名を賣つてゐるピットマン外交委員長は勿論のこと、その反對派である如くに見えるボラー議員、その他ブルム議員等がすべて猶太人であることも忘れてはならない。

次は英國が問題となるのであるが、甞ては猶太資本主義の中樞であり、また歴史的にはフリイ・メイスン祕密結社の本地であつたこの國も、世界大戰後前者は米國に、後者は佛蘭西にその地位を奪われた結果、今は老大國として次第にその世界帝國の影は薄くなりつつあるのである。しかし、過去幾世紀の間アングロサクソン民族の帝國主義的世界侵略の背後にあつて常に策動し、その結實を殆ど獨占的に横取りしてゐた猶太勢力の根は、今なほ相當に強靱なものであつて、我々のしばしば説いた通りに、表面的には日英事變とさへ見ゆる日支事變も、更によく見れば日猶事變であることが判明するのてある。その理由は、在支英國財閥は例外なく猶太財閥であるからであり、そして前にも論及した通りに支那の貨幣改革もこの猶太財閥を中心としてなされたのであるし、また最近わが國にも時折半ば祕密裡に來朝して朝野の名士と會談する許りでなく、しばしば待合にさへ出入するといふポール・バッチなる人物が、表面的には駐支英國顧問であるにも拘らず、單なる英國人ばかりではなくて、在支猶太財閥と密接な關係を持つ民族であるに違ひないからである。とにかく英國の對支政策は、本國の意志よりも現地猶太の意志の侭に動くことが多いと稱せられてゐるが、最近の英國の現實外交が現地即應主義であるといふ噂を想起する時、これはなかなか興味のある問題である。然もその現地猶太には、支那問題に限り、英國に裏切つて日本と協力したいとさへ仄かしてゐると言はれてゐるのをも考慮する時、我々はこの場合にも猶太の常套的二重政策を感じないでは居られぬからである。一時的には頭を屈すると見せて、相手の虚をつき、それによつて實質的利益を手に收めようといふのが、自己の方針に誤算を來たした場合に猶太の取る常套手段であることは歴史の證する所である。
かく考へて來る時、ミュンヒェン會談以來の英首相チェンバレンの態度が眞に非猶太人的平和意志から出てゐるものであるか否かが疑はしくなるのである。殊に彼にもまた母親の猶太の血が流れてゐるとか、また彼が有名な武器會社の株主であるとかいふ説のあることを考へる時、その疑惑は一層深まるのである。
我々が以上に多くの疑問符を英首相の行爲に對して附したのは、この首相の率ゐる内閣が、英國内閣たるにふさはしく、多數の猶太人又は人爲的猶太人を含んでゐるからである。十一月五日頃の海外電報は、ホーア・ベリシャ陸相がウッド空相と共に猶太武器會社の利便のためと言はん許りに軍需省の設置を強硬に主張し、「陸相としての任務を滿足に遂行する方法が與へられないならば、辭職する外はない」と威嚇してゐると傳へているか、このホーア・ベリシャ陸相こそは、將來の英國を背負つて立つ猶太の代表者であるとして、猶太側のホープとなつてゐるのである。前にも引用した「アメリカン・ヒブリュー」紙は英のホーア・ベリシャ、米のルーズヴェルト、ソ聯のカガノーヴィッチとリトヴィノフ、佛蘭西のブルムを猶太の將來を保證する立役者であつとしてゐるのである。
理想主義外交家としてその反日獨伊政策で有名であつた國際聯盟主義者イーデンがこの内閣から退き、今はハリファックスが外相となつてゐるとは言へ、なほ外務省そのものは猶太人次官を始めとして、大部分がイーデン派で固められてゐるので、省内の萬事はイーデンに筒拔けであると稱せられてゐるが、彼の祖父が猶太人の多いポーランド人であり、その細君がリトヴィノフの細君と姉妹であるといふのであるから、その政策が猶太的でないとは何人も主張し得ないであらう。この點はとにかくとしても、彼が高級フリイ・メイスン結社員であることは事實であつて、それ故にこそ彼が猶太主義者であり、聯盟主義者であることも理解が出來るのである。英内閣のうち、陸軍省と外務省とが最も援蒋的反日的であると稱せられてゐるが、その謎は我々の記述からして自明の事となつたであらう。
しかし英の反日派は、有力なるものだけを見てもなほ以上では盡きないのであつて、所謂國際聯盟派と稱せられるチャーチル乃至ロイド・ジョージ等のフリイ・メイスン結社派もまた援蒋反日派である。猶太フリイ・メイスン結社員であるチェッコ前大統領が英國へ渡つてのも、猶太フリイ・メイスン戰線の再起を計畫するために英國が好適であるからに外ならない。
なほフリイ・メイスン結社系の反日主義として注目に値するのは、かつて日本の基督教徒からさへも反省を促されたカンタベリー僧正の場合であつて、彼は單に反日である許りでなく、全く猶太的に反獨であり、反伊であり、また從つて親ソ的であり、親赤色スペイン的であり、更に親チェッコ的であるのである。即ち、彼は排日排獨排伊大會等では進んで議長となつてアジるのであるが、一方ではソ聯當局に向つて、英ソの友情の確立のために努力することを約束し、ソ聯の印象は「物質的裕福」であり、其處には「眞の自由の實現に對するあらゆる前提」があるとさへ言つてゐるのである。然も現實のソ聯では、基督教會の多くは、燒却されないとしても、舞踏場又は劇場に變更されて、猶太教會堂のみはなほ可成りに殘されてゐるのであるが、そのソ聯が英國教の高位の僧によつて、かく口を極めて讚歎されてゐるのを見る時、我々はそれを正氣の沙汰とはなし得ないのである。しかしこの事實は、英國に於ける猶太の勢力の絶大であることを證據立てるものであつて、英國教は事實に於て猶太教であると稱せられても、カンタベリー僧正には辯明の餘地はない筈である。なほ僧正がボルシェヴィズムの信奉者であることは、赤色スペイン又は赤色チェッコにも表面的に同情を寄せて、赤色スペインのミアヤ將軍からは謝電をさへ受けたことからも明らかであらう。またチェッコは、その首府プラーハで行はれた一昨年の無宗教者會議にマサリック前々大統領もベネシュ大統領も出席してゐるにも拘らず、カンタベリー僧正に取つては、ソ聯と同じく、最も宗教的な國であると見えたらしいのである。

最近までの佛蘭西は、我々がしばしば指摘して來たやうに、最早眞の獨立國の資格が見られないのであつて、或時はソ聯の屬國であるかの如き觀を呈するかと思へば、或時は英帝國の屬領であるかの如き相を示してゐる。この國は、元來過激な大陸フリイ・メイスン結社の本地であるので、其處に根を下してゐる猶太勢力は、遂には猶太人保護法を成立させることにさへ成功するに至つてゐるのである。
それ故にミュンヒェン會談に於ける佛蘭西側の態度は、非猶太筋獨伊の眞の平和意志への佛蘭西の積極的參加ではなくて、我々が別の場所で説いた如き猶太側の戰備と宣傳との不足から來たものであるに過ぎない。殊にダラジエ首相の細君が、米國務長官等の場合と同じく、猶太女であることを考慮し、また千九百三十四年のスタヴィスキー事件に際して遂に出征佛蘭西在郷軍人をして猶太への最後的屈服をあへなくせしめたのが彼が首相であつた時のことであるのを知るとき、一層その眞實性を増すのである。
佛蘭西がなほフリイ・メイスン結社の支配下にあり、從つて猶太の支配下にあることは、日支事變によつても明らかにされる。即ち、昨年十一月初旬の新聞は、佛領印度支那經由の支那向武器購入に關して、しばしばそれが本國政府の威令の行はれない國境方面の不良官吏の仕業であることを傳へ、また別の報道は、それが植民大臣猶太人マンデルと支那大使顧維鈞との密謀に應ずるマンデル配下の佛領印度支那總督と宋子文一派の仕事であることを報じてゐる。この二つの報道は、結局同一のものであつて、猶太人マンデルもフリイ・メイスン結社員であり、支那大使もさうであるのであるから、其處に武器輸出位の密謀のあるのは當然であらう。然も佛政府がそれに關知せず、又はそれを阻止し得ないといふのは、我々日本人としては理解の出來ないことであるが、猶太が獨裁的勢力を占めてゐるデモクラシー諸國に於てはかかる事件は極めて自然なのであつて、政府としては聞知してもそれを阻止し得ないのが實状なのである。
殊に一度猶太フリイ・メイスン結社の寵を失ふ時には、佛蘭西では決して二度と高位の官職に就き得ない許りか、現に保有してゐるものまでをも奪はれるのが常であるから、猶太勢力の大さは察せられるであらう。實に現内閣には最も凶惡なフリイ・メイスン結社員と稱せられるサローが内相として加はつてゐる許りでなく、その外相ボネもまた同結社員であり、ゼ文相の如きは純粹の猶太人なのである。文相に猶太人を頂いて、佛蘭西人の教育を猶太に指導される佛蘭西人こそは、世界で最も不幸な國の一つと言ひ得ぬであらう。なほ前外相デルボスや、國際平和運動聯盟會議で反日的決議をした時の議長であつた佛蘭西前空相コットも、フリイ・メイスン結社の高級會員である。
然し我々は佛蘭西を論ずる場合には、他の諸國の場合にも増してこの國の猶太億萬長者ロスチャイルドのことを考慮しなくてはならない。現在の佛蘭西はロスチャイルド王朝の支配する國であるとさへ言はれる位であつて、フリイ・メイスン結社員である彼は、その財力によつて佛蘭西を實質的に自己の支配下に置いてゐるのである。それ故に米國の愛國主義者達は、世界の戰爭はこの王朝と米國にあるワールブルク猶太王朝との抗爭によつて生ずるとさへ言つてゐる位である。後者は獨逸系の米國猶太人であつて、その一家の現在の勢力は極めて大きいものであると傳へられる。
然し佛蘭西に於ける金權猶太は、なほ他にも代表者を持つてゐるのであつて、その一人は純猶太祕密結社ブナイ・ブリスの結社員である億萬長者ブルムである。既に彼に就いては幾度か論及したのでここでは之以上述べることはしないか、彼が佛蘭西人民戰線の總帥であることは、赤色帝國主義と金色帝國主義とが同根であることを證佐する最も適切な例となるであらう。彼は元來はブルガリヤに國籍を持つてゐたフンケルシュタインを手本とする猶太人であるが、例の變名變身術によつて、今では佛蘭西の中心的勢力となりすましてゐるのである。
なほ事變下の日本としては、上海の佛蘭西祖界が共産黨の巣窟をなしてゐること、及びその原因が佛蘭西本國の猶太にあることを、英國の場合の反日勢力が主として現地猶太とその指令下にある政府機關の一部であることと對照して、銘記すべきであらう。(一三・一一・二三)

六、日猶事變としての日支事變

猶太問題を知るために猶太人を知る必要のあることは言ふ迄もないことであらう。しかし、その猶太人を知るためには何よりも先づ猶太教聖典「タルムード」を知る必要のあることは、猶太問題に多少の興味を持つてゐる人も、なほ十分に認識してゐるとは言ひ難いやうである。現代の如くに宗教心の衰へてゐる時代に於ては、或る民族の宗教聖典は、その民族の特性を知る十分な材料とはなり得ないかも知れない。しかし皮肉なことには、宗教排撃の急先鋒である猶太人こそは最も宗教的信仰の強烈な民族であつて、かの反宗教運動の正體なるものも、その主張の元祖としてのマルクスが最も熱心な猶太教徒であつた・・表面上には政略的改宗をしてゐたにも拘らず・・といふ象徴的な場合が證明して余りあるやうに、猶太教以外の宗教の排撃に外ならなかつたのである。この事は、現在の露西亞に於て、猶太教とその教會堂とが革命前と殆ど同樣に保存され助長されてゐる、といふ驚くべき事實によつてもまた證明される。それ故に他の民族の場合はとにかュとするにしても、少なくとも猶太民族の場合には、その宗教聖典は猶太魂の最もよき鏡であるのである。或る民族の特性はその宗教乃至宗教聖典に於て最もよく窺われる、といふ言葉は、猶太民族の場合には文字通りに妥當するのである。
併し猶太聖典「タルムード」は、所謂「トーラ」の解釋とその再解釋とより成立してゐるのであるから、猶太民族の眞の姿を把握するためには、先づ「トーラ」そのものに就かねばならない。そして「トーラ」とは、舊約聖書の最初の五卷を言ふのであつて、これが猶太教の眞の根本聖典なのである。勿論猶太民族を知るためには、「トーラ」と「タルムード」の外に、舊約聖書の殘餘の部分及び新約聖書、なほ古くはマイモニデスの著作、新しくは「シュルハン・アルフ」(「タルムード」の拔粹竝に解釋より成る)、更に新しくは所謂「シオンの議定書」と稱せられる怪文書等をも知ることが絶對的に必要であるが、しかしこれらが總て「トーラ」乃至「タルムード」の解釋、拔粹又は延長であることを考へるならば、「トーラ」と「タルムード」を知ることのみでも大體に於て目的が達せられることがわかるのである。併し我々は、この小論では、この問題のみを論じようとしてゐるのではないから、茲では「トーラ」及び「タルムード」を中心として、最も根本的であると思はれる幾つかの點に關し記述し、以下の考察の序論としたいと思ふ。
そもそも宗教乃至宗教聖典に於て最も重要な點は、その神觀と人間觀とにあることは言ふ迄もないであらう。宗教とは、その根本を神と人間との關係の問題に持つてゐるものだからである。それ故に我々は、「トーラ」からは猶太人の神觀を、「タルムード」からはその人間觀を見ることにしよう。さて「トーラ」に依れば、猶太の神エホバは、一言にして言へば猶太の民族神であつて、例へば新約聖書に於てキリストの説いてゐる如き普遍唯一の宇宙神ではない。從つてその神は、人間的な過誤を犯し、心變りし、不公正であり、復讎心が強く、殘忍であるが、その神が一個の民族神に過ぎないことは、この神が猶太民族に世界支配を約してゐる點に特に明瞭に見られるのである。

「汝は汝の神エホバの汝に付したまはんところの民をことごとく滅し盡すべし、
彼等を憫み見るべからず。また彼等の神に事ふるべからず、その事汝の罠となれ
ばり。」(申命記七・一六)
「エホバは彼等(異邦人)の王等を汝の手に付したまはん。汝かれらの名を天が
下より除き去るべし。汝には抗することを得る者なくして、汝つひに彼等を滅ぼ
しつくすに至らん。」(申命記七・二四)


我々はいまはこれ以上に「トーラ」より引用することを避けるであらう。しかし以上のみをもつても言ひ得ることは、斯くの如き神は一個の民族神としても決して高等なる種類のものでないといふことである。もし我々をして端的に言はしむるならば、エホバとは即ち一種の妖怪乃至惡魔にすぎないのである。而してこの妖怪乃至惡魔は、その殘忍性を發揮して、異邦人の神を排撃し、非猶太人の王を廢止し、異民族のすべてを滅亡せしめようとするのである。ここに於て我々が思はずも想起するのは、赤色主義者の宗教排撃と君主制乃至王政轉覆の運動であつて、この種の運動が古來猶太人によつて指導されて來た事實を知る者は、共産主義者乃至革命主義者なるものが猶太的傳統の忠實なる遵守者であることをも容易に知ることが出來るのである。然も同一の事は、猶太人をその主體とする國際資本主義に關しても言はれ得るのであつて、猶太資本國の獨裁する所謂デモクラシーなるものも全く同一精神のものであることは今更説明の要はないであらう。而して以上の猶太神觀から得られた認識は、猶太人の人間觀を知るに至るとき、一層の確證を得るのである。
では猶太民族の人間觀は如何なるものであるか。「トーラ」に描かれたる所に依れば、猶太人そのものは既に物質主義者であり、嘘言と詐欺と竊盜とに長じ、性的には無恥で、奸策と詭計とにすぐれ、從つて非社會的であり、また復讎心強く、殘忍性に於ては無比である。然も最も注意すべき點は、「タルムード」(及びその解釋の書としての「シュルハン・アルフ」等)に見られる次の人間觀乃至非猶太人觀である。

「猶太人のみが人間と呼ばれるのであつて、非猶太人は人間とは呼ばれず、動物
と呼ばれる。」


猶太民族から見れば、猶太人のみが人間であつて、非猶太人は豚であり、馬であり、動物であり、時としては動物以下のもの(例へば糞尿)であるとさへ言はれるのである。從つて猶太人と非猶太人との間には人間と人間との間に成立する總ての關係は成立しない、といふ結論が生れるのも不思議はないであらう。この人間觀から「トーラ」に描かれている前述の如き猶太人の諸特質は生れて來るのであつて、非猶太人には所有權はなく、猶太人は非猶太人に對しては誓約を守る義務はないといふのである。從つて非猶太人の所有物は當然猶太人のものである許りか、非猶太人のものは元來猶太人のものであるから、如何なる手段によつてもそれを奪取することは、神慮を行ふものであり、なほ一層進んでは、溺れんとする非猶太人を救ふ義務はないのみか、寧ろ彼の溺死を助力することこそ神慮に叶ふといふのである。非猶太女の貞操を蹂躙する位のことが朝飯前のことであるのは、以上述べた事から容易に察せられるであらう。
以上の略述によつても、猶太民族が元來如何なる特性を持つてゐるかは大體に於て理解が出來るであらう。而してこれは、モーゼに率ゐられて埃及を去つた群衆が犯罪者と天刑病者であつたといふ昔の史家の説や、猶太民族が有史以來漂浪して行く處に於ては唯一の例外もなく所謂排猶問題を惹起せざるを得なかつたといふ事實を充分に説明するものではないかと、我々は考へる。猶太人が排猶者を排斥する爲に常に宣傳する「人種的偏見」乃至「少數民族の虐待」などは、事實に於ては全くその逆であることが歴史の事實の證明する所であつて、如何なる民族の如何なる宗教聖典に於ても「トーラ」乃至「タルムード」に見られる程の「人種的偏見」と「少數民族による多數民族の虐待」の例はないのである。排猶とは、人間のイデーを二重の意味に於て救はんがために、キリストの語を借りて言へば、「劍を出す」所の聖業であるのである。即ち、一つには、猶太人に依つて抹殺された非猶太人の人間たる資格を恢復し、今一つには、妖怪乃至惡魔を神として戴くことの迷妄さから猶太人そのものを救はんがためである。併しこの聖業に際しては、相手が上述の神觀と人間觀とを持つた特殊民族であることを充分に考慮して、非猶太人の心理で事に當つてはならない。勿論我々と雖も、猶太人もまた結局人間であるこを否定する者ではないが、しかし上述の如き猶太人がその本來の人間に復歸する迄には、恐らく猶太の過去の歴史四千幾百年に相當する年數が今後必要であるのではないかと考へる。而してその條件としては、彼等がすべての猶太教會を破棄し、「トーラ」と「タルムード」とをすべて燒却することが絶對的のものでなくてはならない。要するに、猶太の歴史を構成すると言つても差支へない「嘘言・詐欺・謀叛・暗殺」が、「トーラ」及び「タルムード」に見られる神觀と人間觀とにその根底を持つてゐることを知ることが、猶太問題研究の最も基本的な要諦である。

併しこの小論の目的は、日猶抗爭としての日支事變であつて、猶太民族そのものに關する評論ではない。しかしそれにも拘らず我々が上述の論をなしたのは、日支事變の眞の意味を明らかにすることは、猶太民族の本質とその根本意欲とを明らかにする所なしには不可能だからである。防共をその最も神聖なる意義の一つとする日支事變は、屡々ラジオ等に於て報ぜられる通りに國民黨と支那共産黨との抗爭が事實であるのみか、深刻でさへあるとすれは、我々としてはその重要目標の幾分かを失ふことになるであらう。即ち共産黨と抗爭する蒋政權は、たとひ排日侮日抗日の非道を犯したとは言へ、此の防共の一點では、今や我々と同一の線上に立つことになるので、この蒋政權を「相手とせず」と主張するのは、少くとも蒋政權の防共的側面を無視することにもなると考えられるからである。無批判になされるラジオ等のかかる通信放送は、それを是正することなく、その侭許しておいて可であらうか。殊に萬が一にも今後益々蒋政權と支那共産黨との軋轢が甚だしくなるか、或は蒋政權及びモスコーが猶太的に共謀してこの種の有名無實の軋轢を捏造して宣傳放送する時、日猶の抗爭としての日支事變の眞相を達觀しえない者は、その日本人たると外國人たるとを問はず、今度の聖戰の意義に關する確信に動搖を來すことが無いであらうか。この惡質の宣傳放送によつて日獨伊の防共陣營に搖ぎが來ようとは思はれないが、しかし世界の大衆は、國内に於ても國外に於ても、常にかかる確信に生くる者のみであるとは限らないのである。また國外は言ふに及ばず國内に於ても、猶太の宣傳ならば何事もそれを眞と信じ、猶太戰線に躍ることを眞理に忠實なる者と考へる程のセンチメンタリストがゐないとは限らないのである。
それ故に精神總動員下に於ける最急務の一つは、日支事變の持つ日猶抗爭としての意味を一般に徹底せしめる事である。猶太人が日本の雜貨を世界に賣捌いて呉れるといふ如き枝葉末節の唯物主義的言説や、日露役に於ける猶太人の資金融通を忘れてはならないといふ如き無暗と恩を着たがる性癖は、それ自身としては正しい要素を含んでゐるかも知れないが、しかしそれらの事柄が事實に於ては我々が乘ぜられ、利用されてゐることを示すに過ぎないといふことは、猶太の歴史を多少なりとも知る者には自明のことであつて、非猶太人の心情をもつて推察したこの種の甘い言説こそは猶太民族に取つては最も好都合のものであり、從つて猶太人は非猶太人のお人好しから出て來るこの種の言説を當てにして、古來その世界政策を遂行して來たのである。ともすれば日本主義雜誌にさへもこの種の新説ならぬ珍説、名論ならぬ迷論が見られるので、聖戰の最後的勝利の確保のためには、この種のお人好しの無批判論説を先づ無くすることを忘れてはならない。殊にかかるセンチメンタリズムの結果として、ナチス獨逸の事業をして眞に永久的價値を獲得せしめてゐる重要要素としての所謂排猶・・その意義は前節に於て論及した通りである・・を邪念をもつて眺め、時としてはそれを過激なる暴政と見做すに至つては、その人が單にマルクス主義の思想的批判の無能力者たることを證する許りでなく、マルクス主義と所謂ファッショとの區別さへも出來ない程度の思想的未熟者であることを證明するので、防共を聖業の一端とする今事變下に於ては、これにまさる痛恨事は少ないのである。萬一にもこの種の人々が今なほ日本にありとすれば、彼等こそ最も猶太が頼みとする徒黨であつて、所謂國内に於ける猶太戰線のうち、彼等こそ最も無害らしく見えながらも最も有害なる容共派であるのである。正面より排日侮日抗日の勢を見せる容共派はこれを防ぐことも容易であらうが、容猶派ナチスの形式で押し寄せる容共派は、ともすればその巧みな明細のために世人が欺かれるからである。殊にこれは、容猶排ナチス主義の當人が、自己の容共主義に無意識である時には一層大きい害毒を齎らすのである。
然らば、日支事變の眞義が日猶の抗爭であることは、如何にして證明され得るであらうか。これに對しては、現在の世界が政治的にも經濟的にも思想的にも極めて複雜であるのに照應して、極めて複雜した方面から囘答がなされ得るのであるが、この小論に於てはそれをあらゆる角度から論ずることは不可能であるので、我々の視野に入つて來る限りに於ける最も重要なる事項を選んで論ずることにしたいと思ふ。
先づ最も注目すべき最近の事項の一つは、猶太人トロツキーの日支事變に關する豫言(?)である。それに依れば、日支事變は、日本のあらゆる戰略上の勝利にも拘らず、結局は日本の敗北を以て終るであらう、といふのである。この預言は、共産主義者トロツキーが猶太人であることを知る人には、それが猶太人の見解又は希望であることが直ちに看取され得るので、別に大した意義のないものであることが判明するのであるが、しかし彼の預言は、以上に續けて、英國は印度を失ふに至るであらう、と言つてゐるので、ここに一段とその意義を増して來るのである。では猶太共産主義者トロツキーは何故に日支事變と關連させて、或は日支事變に關連する預言と同時に、英領印度のことに言及したのであらうか。殊に現在に於ては、英國もまた佛・米・チェッコと同じく所謂デモクラシーの國として完全なる猶太の獨裁下にあることを考慮する時に、日本と共に英國が問題にされるといふことは、大きな矛盾ではないであらうか。殊にトロツキーは、現在では第四インターの頭目であるから、たとひ第三インターが最近に英國に對して攻勢に出ることを決議し、例へば猶太人少佐の率ゐる勞働黨等をお先棒として策動してゐるとしても、トロツキーの英國に關する言説は、少なくともこの連絡に於ては不合理ではないであらうか。併しここに想起しなくれはならないのは「トーラ」の神觀に關する我々の前節の記述であつて、猶太人は、彼が國際資本閥に屬しようと、第三インターに屬しようと、他民族の神と君主とを排撃してそれを破滅に導くことが問題となる限りに於ては、皆直ちに一致するのである。この觀點から見るとき、現在の米國乃至チェッコは猶太人を大統領とし、佛も先には生粹の猶太人(ブルム)を首相としたのみならず、今また猶太女を妻とする者(ダラヂエ)を首相としてをり、ソ聯もまたこの點では同一(スターリン)であるのに反して、英帝國は、それが事實上猶太獨裁下にあるとは言へ、形式的にはその元首はなほ猶太人とはなつてゐないのであるが、これが、猶太民族から見て、「トーラ」に示されてゐる神慮に叛くことは言ふ迄もないことであらう。殊に猶太の有力なる代弁者であつたフリイ・メイスン祕密結社員イーデン外相を退けた英現内閣に對しては、猶太の不滿は各陣營を通じて大なるものがあることは察するに難くないのである。これらの點が、英國に比類なき日本國體に對する猶太の深く激しい呪詛の表明の序に英國をも竝べて論ぜしめるに至つた最大の理由であらう。
ここで我々は當然猶太の血を享ける亡命ソ聯大將リュシコフ問題にも觸れなくてはならないが、先づ我々は、日本の聰明なる新聞記者連が彼との會見に於て最も重大なる二點を充分に明らかにする勞を取らなかつたことに對する遺憾の意を表明したいと思ふ。即ちその第一は、大將がソ聯を脱出した今日に於てもなほボルシェヴィズムの信者であるか否か、といふことであるり、サの第二は、大將と第四インターとの關係如何である。「嘘と詐欺と謀叛と暗殺」との國ソ聯に關して同じく「嘘と詐欺と謀叛と暗殺」とをその歴史の本質とする猶太民族に屬する一人が言ふことは、その人が例外的に善良なる個人である場合にも、なほ我々としては輕々しく直ちに文字通りには信ずることは出來ない。殊に大將と第四インター乃至トロツキーとの關係が明白にされない限りは、大將のソ聯の内情に關して暴露する所も、その侭信ぜられる譯には行かないのは當然であらう。特に我々猶太問題に注目して來た者に取つては、大將がカガノーヴィッチ閨閥の獨裁的地位に關して語らなかつたことが大きな謎として殘るのである。以前に識者の間ではトロツキーとゲー・ペー・ウーとは連絡を持つてゐると信ぜられてゐたが、この説が最近の肅清工作の遂行の示す所によつて或程度まで眞實であることが證明されたやうに見えるにも拘らず、今や猶太・・少なくともパレスティナ共産黨・・はトロツキーに味方して、スターリンを見捨てたといふ噂に對しては、いま直ちに全幅の信頼をおく事は出來ないのである。その理由は、ソ聯をも含めての「持てる國」としての侵略國の旦那衆は、多少の暇があれば互に「私刑」に陷るのは、その唯物論の當然の歸結であるからである。
併し我々は、いま國内に亡命中の大將の件に關しては、上述の諸疑問が明らかにされる迄は論じないことにして、ここでは筆を轉じて、近來行はれた猶太諸會議のうち、特に注目すべき二つを取りあげて、日支事變が日猶事變であることを明らかにすることに進みたいと思ふ。

その一つは、昨昭和十二年十二月二十六日から二十八日にかけて滿洲國ハルピンに於て開催された極東猶太人協會の第一囘會議である。この會議に關しては種々の解釋が下されてゐるやうであるが、その議長がカウフマンであり、副議長がベルコヴィッチであり、顧問としてザイグレーフが擧げられてゐる所から見て、この會議の決議もまたあらゆる他の猶太人會議のものと同じく、その正體が「宣言」でなく「宣傳」であることは、我々の確信する所である。殊に猶太の幾千年の歴史を知り、また猶太が東洋に於て英・佛・露等の名の下に久しきに亙つて何を策謀して來たかを考へる時、その「正義日滿支持」の宣言は、窮地に陷つた場合に禍を轉じて福となさんがために、猶太が非猶太の正直さと正義心とを利用してなす常套的詐欺手段以外の何ものでもないことは直ちに判明する。殊に議長カウフマンが、この會議の前後に於て天津及び香港に赴いて、或は講演に或は會談に於て、亞米利加猶太資本の北支流入を策動したことを知る者には、かの會議そのものの内容が日支事變によつて動搖した猶太の東洋に於ける地位を再確立せんとするものであり、そのまことしやかな決議宣言はそのための宣傳であることが理解されるのである。即ち皇軍に依る北支及び中支の占據のために受けた在支猶太財閥の痛手、排日侮日抗日の暴擧に驅り立てた蒋政權の餘りにも無力さによつて明らかにされた猶太の違算、猶太勢力の表面的形態としてのソ聯・英・米・佛等のわが國に於ける威信の失墜等、直接間接の猶太地盤の動搖のみならず、昨年末の迷彩日本共産黨の檢擧の結果として赤化宣傳の無力化に座視し得ざるは當然であつて、之がかの極東猶太人會議となり、その宣傳的宣言となつたのである。殊にその宣傳文書中注目すべきは、「歐洲數ヶ國及びソ聯によつて猶太人の一切の人權が蹂躙され、猶太教が悉く絶滅され」と書かれている點であるが、これは英・米・佛・チェッコ等の猶太獨裁國は勿論のこと、ソ聯乃至赤色西班牙に於ても事實はその正反對であり、むしろ一切の人權を蹂躙されてゐるのはこれらの諸國の多數民族であり、絶滅されようとしてゐるのは特にソ聯乃至西班牙に於けるキリスト教徒である。それ故にこの部分の眞意は、獨逸・伊太利・防共西班牙に對する毒矢にすぎないのであつて、一言にして言へば防共諸國間の離間がその隱れたる目的であるのである。その際に猶太專制下にあるソ聯を加へたのは、日本とソ聯との緊張した關係を利用して、あはよくば日ソを相戰はしめ、それによつて猶太民族の最近の目標たる第二次世界戰爭を勃發せしめようとしてゐるのである。以上に續いてその宣傳文は、彼等の紋切型の口上である「少數民族の迫害」を持ち出し、それに依つて彼等自身の少數民族に依る世界多數民族の搾取の事實を隱蔽し、更に猶太民族の「道徳的長所」と「一般人類の文化に對する寄與」とを力説することさへもしてゐるが、その「長所と文化に對する寄與」とが表面的形態はともあれ、結局本小論第一節の如き内容を持つものであることを知る者には、その餘りにも猶太的なる厚顏無恥さに文字通り開いた口が塞がらぬのである。然も更に「日滿兩國は猶太民族に取つては唯一の平和郷である」と嘯き、コミンテルンを「世界的罪惡の根源」であると白ばくれ、「大家族主義的家主義」を日滿兩國の使命であると煽動するに至つては、その言辭の尤もさに反比例する内容の猶太的惡逆さを痛感せしめられるので、如何に人の好い我々日本人と雖も、これをその侭信ずる程に甘くある事は出來ないのである。爆撃せんとし又は利用せんとする相手に對してはその相手の長所を煽動する事によつてその目的を果さうとするのは、これ實に猶太の常套手段であつて、非猶太人の心理を以て猶太人を推しはかる限りに於ては、過去現在の人類の歴史に證明してゐる通りに、必ず猶太人をしてその野望を達成せしめる外はないのである。
ここに我々は、この東洋猶太人協會の第一囘會議の決議文と竝んで、同じく昨年の十月二十八日附パレスティナ發行の猶太新聞ハボケル紙上の次の宣言文に世人の注意を喚起したい。

「チェッコは、他國に對する憎惡と壓制及び反猶太主義の旺盛な諸國によつて取
圍まれてゐるにも拘らず、それは岩の如く毅然として立ち、眞の自由なる國とし
て模範たることを世界に示してゐる」


チェッコの内情を知る者は、この自由が猶太人の自由を意味することを直ちに知るであらう。大統領始めとして猶太人が樞要な地位を獨占し得てゐるチェッコこそは、他國に對する憎惡と他民族に對する壓制との模範たる國であつて、これはチェッコが極惡非道のソ聯と軍事條約を締結してゐるといふ一事のみからも、論斷され得ることであるが、そのチェッコを眞の自由の國と稱する猶太民族が東洋に於てのみコミンテルンを「世界の罪惡の根源」と主張することが如何に眞實性を持ち得るであらうか。世界大戰の久しき以前に猶太フリイ・メイスン祕密結社は、獨・墺・露の三帝國を壞滅させ、その中間地帶に一國を作つて歐洲撹亂の策源地とすることを決議してゐたことは文獻的にも明らかであるが、その策源地として人爲的に生産されたのがチェッコであることを思へば、そのチェッコが猶太の樂天地であるのは當然であるが、東洋にもまたチェッコを建設しようとする猶太の策動に對しては、我々はその宣傳の侭にそれを受入れることは出來ないのである。
次に考慮したいのは、上述の極東猶太人會議が日滿攻略の搦手戰法であるのに對して、同じ日滿攻略の遠距離間接射撃とも言ふべき國際平和運動聯盟主催の無防備都市空爆反對國際大會(本年七月二十四日巴里にて開催)のことである。現在に於てもあらゆる國際會議が世界唯一の國際民族である猶太の指導下にあることは否定され得ない事實であるが、それと同時に注目されるべきことは、現代に於けるあらゆる平和團體が、事實に於ては猶太の當面の目標としての第二次世界大戰惹起の手段化してゐることであつて、巧妙なる猶太の策動は、かかる團體を用ひて自己の作り出す世界大戰の責を他へ轉嫁することを期してゐるのである。それは例へば、日支事變を勃發せしめたのも結局猶太であるが、しかしその責は專ら日本にあるかの如くに世界の無批判なる大衆に信ぜしめてゐるのと、全く同一筆法である。猶太の息のかかつたもののなす事であれば、ソ聯に於ての如く幾百萬幾千萬の人間を殺戮することも正義であり、英・米・佛に於ける如くに少數國際資本が大多數の民族を搾取しても正義であり、また支那に於ける如く堤防を破壞することによつて幾十萬の自國の民を苦しめても正義であつて、それらに對しては何處よりも一片の抗議も發せられないのであるが、猶太の世界支配の道を阻止するものは、自國を滅亡の淵から救ふことも惡虐非道の暴擧であり、防備都市を爆撃することも人道を無視する行爲と稱せられるのである。巴里に於けるこの國際會議の議決を見ても、この意味は餘りにも明白に露呈されてゐる。殊にこの會議もまた猶太の策動であることは、同大會にメッセージを寄せた者が猶太フリイ・メイスン結社員蒋介石であり、西班牙人民政府ネグリン首相であり、チェッコの猶太フリイ・メイスン結社員ベネッシュ大統領であることによつて明瞭である許りか、その會議からメッセージの送られたのが亞米利加猶太フリイ・メイスン結社員米國大統領であること思へば、思ひ半ばに過ぎるものがあるであらう。この會議に英佛のメッセージのないのは、フリイ・メイスン結社員である佛前空相が司會してゐるためであり、英國猶太人がこの平和聯盟の中樞をなしてゐるがためであらう。
獨伊を除く世界の言論通信機關の大部分を掌握する猶太の動きは、その東の決議を常にその西の決議と連絡せしめ、その赤色系の策謀を常にその資本閥の意圖と連絡せしめるのであつて、このことを知る者には、以上の表裏をなす二會議の決議に現はれたる所のみを見ても、猶太の動向を知るには充分である。この意味に於て、日支事變を誘因として行はれたこの二つの會議は、日支事變そのものが日猶の抗爭であることを充分に證するのである。

上述の猶太の近親遠攻の兩戰法を考慮する時、日支事變の日本に對する所謂世界の輿論の惡化の眞因が直ちに判明するであらう。即ち猶太は、その金力の獨裁下にある世界各國の言論通信機關を總動員して、非事實を事實とし、事實を歪曲して、元來正義心に富む非猶太人を煽動してゐるのである。それ故に日本が正しければ正しい程、強ければ強い程、日本に對する世界の輿論の惡化するのは必然であつて、これは日支事變が日猶事變であることの眞相を掴むことによつてのみ理解されるのである。從つて正義日本の立場は、一部正直なる日本人の考へる如くに、事變の眞相を對外的に宣傳することによつて、正當な理解を得るといふことは、殆ど不可能に屬するのである。否、多くの場合には、日本は宣傳すればするだけ一層世界の輿論の惡化を期待しなくてはならないであらう。この事情は、獨伊の場合と全く事情を同じくするのであつて、この間の事情を明瞭に認識してゐない限り、日本の無批判なる自由主義者が猶太の宣傳を鵜呑みにして眞の獨伊を解しないのに照應して、ともすれば猶太の宣傳のために自國をも見誤る者が生じないとは言へないのである。而してこの銃後の動搖こそは、猶太がその言論通信機關を總動員して世界の輿論を捏造してゐる最大目的の一つでもあるのである。勿論かく言つても、我々は決して宣傳の不必要を説く者ではないのであつて、眞に強力且つ有效なる宣傳は、以上の事實を確認した上でなされない限り、單に無效果に終るのみか、逆效果をさへ生ずることを憂える者であるに過ぎない。第一節に述べた如き神觀と人間觀とを持つ猶太人が同一線上のものとして論ぜられるといふ如き史上稀に見る不公正事さへ平氣で犯されるに至るのである。常に正義を口頭に唱へる北米大統領が、ファッシズムを人類の敵であると宣傳して言へば、猶太の獨裁乃至專制に服さないものは、すべて非人道的の汚名を浴せられるのであつて、この事情の正常な認識がない限りは、例へば所謂「國民使節」乃至「交換教授」などのうちの自由主義者の場合に屡々見られる通りに、事變下に外國に使しても、却つて逆效果を擧げる外に道はないのである。
さて我々は、以上の説が單に我々の想像に止まるものでないことを證明する一つの材料として、在來日本に於ては殆ど問題にされたことのない情報を提出することにしよう。千九百二十八年(昭和三年)は、蒋政權がいよいよその地歩を確立し、排日侮日抗日の政策を表面的に掲げるに至つた年に屬するのであるが、この年の年頭に當つてスヰス國チューリヒ發行の「猶太中央通信」は、その年頭の辭の中で次の如き注目すべき記事を掲載してゐる。

「ヨーゼフとその兄弟達に關するあの聖書に見られる譬喩は、巨大に擴大された
姿に於て、この大洋のかなたで演ぜられてゐる。大洋の彼方へと追ひやられた賦
役奴隸が世界一の強力な國家の支配者となり、以前の富裕なる彼の兄弟を苦しい
困窮から救ふ。この亞米利加移民は、猶太民族全體の爲め礎石となつたのである。
アハスヴェールは夢想しつつ、ハドソン灣のほとりに雲表に聳え立つ無數のバビ
ロン塔の默示録的な姿に見入つてゐる。彼はまた、蜂のやうにこの巨大な蜂房に
群り入りまた其處から群り出る所の、またたかだか一世代の間に猶太特別區の住
民からあらゆる時代の最大の建築者になつた所の、彼の同族の子孫なるこの大衆
の姿に見入り、そして主エホバの御心を認識するのである。
そして彼には、その懸命な支配術を以て五大湖を自己の意の侭に操つてゐる所
の、世界を支配してゐる英帝國の正體が分つて來る。彼は外ならぬ其處に、彼の
同族の子孫が政治上の人氣ある大家として登場して來るのを見る。そしてこの現
象の最後の意味を悟る。
未來の前にかかつてゐる帳が裂ける。アハスヴェールは思ひもかけなかつた幻
想を目撃する。即ち、強力な猶太人團が亞細亞の中央に頑張つてゐて、支那とい
ふ巨人・・それが落す影は全世界に伸びてゐる・・の更生を助くる者として贊歎
されてゐるのである。
猶太民族は、その散逸にも拘らず、一體となつたのである。イェルーザレムが
確かに人類の精神的樞軸となつたのである。精神上の、物質上の、また道徳上の
諸力の強力な源泉は、合流してもとの故郷の方へ流れて行く。アハスヴェールは
驚愕しつつも偉大なる事件の聯關を納得する。そして新たなる勇氣を以て五千六
百九十八年の一里塚を通り過ぎる。彼は以前よりも一層未來の希望に勇んで祝福
の祈りを捧げる。」


無國籍漂泊猶太人の象徴であるアハスヴェールの幻想としてここに描かれてゐるものは、猶太の世界支配の過去及び未來の姿である。即ち既に英米の二國は完全なる猶太の支配下にあるが、今や巨大なる支那もまた猶太の指導に入りつつあるといふのである。勿論この點に於ては、英米と等しく或はより完全に猶太の支配の下にあるソ聯乃釜ナ蘭西のことが問題とされてゐないが、これは猶太政策を知る者には自明のことであつて、ソ聯とその半屬國としての佛蘭西が猶太の世界支配のための片腕であることは、猶太としては出來るだけ表面に出したくないのである。しかし現在の我々に特に興味あるのは、この文が引用した部分の第三節に於て支那を問題としてゐることであつて、この象徴的なアハスヴェールの幻想のうちに我々は、その自誇と確信のために不用意にも早期に漏らされた猶太の支那支配の計畫を見ることが出來るのである。
次に我々は、猶太側のこの言説に照應する支那側の材料を一つあげることにしよう。それは、アハスヴェールのこの幻想が描かれた年より三年を經た昭和六年の一月元旦に猶太フリイ・メイスン結社員蒋介石がなした所の年頭講演である。その要旨は、「第二次世界大戰の時期が迫つて來て、之には歐米諸列強も參加するし、日本も無論參加するのである。而して之がために一番多くの犧牲を拂ふものはわが中華民國である。併しこの大犧牲を忍ばなければ、わが國威の囘復は到底見込のないことであるから、我々は今よりその準備に取掛らなくてはならない、」といふのである。さていまこの猶太フリイ・メイスン結社員蒋の年頭演説を考察するのに、最も注目すべき點は確信を以て表明されてゐる第二次世界大戰の豫言である。然もこれは、既に我々が幾度か暗示しておいた通りに、猶太の現在の世界政策の第一の目標であるのであるから、この言辭に見られる蒋の確信は、彼が猶太フリイ・メイスン結社員として猶太の世界政策に呼應してゐるがために外ならない。而して第二次世界大戰の舞臺の中心の一つを支那においてゐることも、猶太の世界政策と完全に一致してゐるのである。ただこの引用の後の部分は、蒋の意圖が中國の國威の囘復にあるかの如くに見えしめるために、正確なる批判力のない者は、我々が既に第二節の冒頭に於て論及した如き錯覺を起させられる事があり得るかも知れない。そしてこれは、これまた既に第二節で論及された如くに、過去にも現在にも蒋政權及びその黒幕としての猶太が目標としてゐる所であつて、その巧みな迷彩によつて猶太フリイ・メイスン結社はその世界支配を完成せんとしてゐるのである。ここに見られる蒋の老獪さは全く猶太一流のそれであつて、蒋の意圖は、印度に於ける國民會議派が國民の名に於て印度をより完全なる猶太の印度としようと努力してゐるのと全く一致してゐるのである。實に蒋政權は、表面的には國民政府と自稱して、國民の眼を欺くために「新生活運動」の如く表面的には支那民衆の利益を計る如くに見せかけながらも、實際に於ては自己の閨閥の利益と猶太の利益とを目標にして政治をなして來たのである。國民政府がその名にも拘らず、一朝事ある時には、ソ聯の猶太共産主義とさへも握手し得るのも、その根底が同一の猶太戰線上のものであるからに過ぎない。
しかし、英・佛・米・ソ聯の猶太戰線の對支援助の理由は、なほ單に以上では盡きないのであつて、日支事變が日猶事變であることは、なほ一層深刻な意味があるのである。即ち蒋政權の猶太との關係は、今迄我々によつて論ぜられまた世上に於ても論ぜられ來つて居る所の利益關係に基く結合關係の外に、今迄極めて稀にしか問題にされなかつた蒋政權の猶太フリイ・メイスン性による連絡があり、なほ一層重要であると共に今迄殆ど全く見逃されてゐたものに、孫逸仙(及び蒋閨閥)が支那猶太人であることに基く民族的血による聯絡が存在してゐるのである。蒋政權が軍事的には見當外れの敗戰に敗戰を重ねて居るにも拘らず、なほ經濟的その他に於て案外のねばり強さを示してゐる眞の理由も、實にこの最後の二點を明らかに認識することによつて、その眞の姿が掴み得られるのである。

三民主義の開祖孫逸仙がフリイ・メイスン祕密結社員であることは、わが國に於ても、苟もフリイ・メイスン結社に關して多少とも知る限りの人に取つては常識である。併し、いま我々に問題であるのは、彼が單にフリイ・メイスン祕密結社員であることではなくて、彼が如何なるフリイ・メイスン祕密結社に屬するかといふことである。恐らくフリイ・メイスン結社に關する研究の諸先輩に取つては既に明白であつたと考へられるが、しかし筆者に取つて誠に重大な發見であつたのは、獨逸の猶太問題研究雜誌「世界鬪爭」がその千九百三十五年の九月號に於て、孫逸仙が在上海のブナイ・ブリス祕密結社の高級社員であることを暴露してゐることである。なほ孫逸仙が同時に支那の祕密結社「天地會」の有力會員であつたことも、舊墺國首都ヴィーンで發行された國際フリイ・メイスン結社百科全書に明記されてゐる。ここで特に注目に値するのは、かのブナイ・ブリス祕密結社が本來は猶太人のみのフリイ・メイスン結社であることと、かの天地會なる祕密結社が、古來祕密結社の跳梁甚だしきこと世界にその比なしとまで言はれる支那に於てさへも最も優勢にして過激なものであり、その儀禮には西歐のフリイ・メイスン結社と深い類似點があることとである。ここで猶太そのものの歴史を囘顧するならば、パレスティナに於ける猶太國の滅亡に當つて、その十二支族の幾つかは東方に移り、その後杳としてその行方を消してしまつたと傳へられてゐるのであるが、少なくともその支族の一つ乃至幾つかは支那に入つてゐるであらうと言はれてゐる。支那の開封には、今なほ所謂支那猶太人が明らかに存在してをり、筆者の手許にその寫眞がある許りでなく、本年獨逸出版の猶太辭典にも、「支那猶太人」なるものの肖像が掲載されてあるからであつて、その服裝が全く支那式である許りか、その容貌もまた大體に於て支那人と見えるのである。ここに於て我々は、西歐に於けるフリイ・メイスン結社の傳統が大部分猶太傳統のものであることを考慮に入れ、またかの天地會の傳統がフリイ・メイスン結社に類似することを考慮する時、孫逸仙は人種的にも純支那人ではなくて、支那猶太人ではないかといふ結論に到達するのである。而してこの大膽にして突飛にも見える結論を肯定してのみ、彼がブナイ・ブリス祕密結社の高級社員であつた理由も判明するであらう。否、それのみではなく、この點よりのみ、彼の謀叛と革命とに對する猶太的熱情及びその三民主義の親猶抗日性もまた充分に理解され得るのである。かくて三民主義とは、猶太フリイ・メイスン主義の支那化に外ならないことが理解され得るし、その三民主義が結局今次の日支事變を導き出して來た理由も理解され得るのである。
次に現在の日支事變の當面の責任者である蒋介石は如何であるかといふに、彼もまたフリイ・メイスン祕密結社員であることは、わが國に於ては孫逸仙の場合ほどには廣く知られてゐないらしい。併し彼もまた三民主義を奉ずる大部分の政略家と同じくフリイ・メイスン祕密結社員であることは、日支事變以來獨逸の猶太人問題研究雜誌が屡々暴露してゐる許りでなく、前にも論及した國際フリイ・メイスン結社百科辭典がそれを證してゐる。即ちそれに依れば、蒋は米國系のフリイ・メイスン祕密結社員であつて、マサチュセッツ州に本部を有する在北京パゴーダ結社に屬するのである。しかしこのパゴーダ結社が、孫逸仙の屬したブナイ・ブリスの如くに純粹の猶太祕密結社であるか否かは、我々には最早重大な問題ではないのであつて、現在に於ける世界のフリイ・メイスン祕密結社が例外なく猶太の支配下にあることを考慮する時、蒋もまた孫の如くに、その行動の根本が猶太フリイ・メイスン結社の綱領に從ふものであることは疑ふ餘地はないのである。
しかしここに誠に興味深い事實は、以前より屡々蒋が支那人ではないとなされることである。これは蒋介石が普通の支那人に見られぬ力強さを持つて事を處して行くことに對する感歎の念より生まれたものであるらしく、時としては彼が日本人に擬せられることさへもあるのである。この世に廣く行はれて來た噂は、それが何等の明確な根據のない噂であるとしても、人間の本能、特に多數の人間の一致した本能なるものが、時としてはあらゆる理性の努力にもまさつて事物の實相を把握するものであることを知る者には、この噂が單なる噂以上の意味を何處かに藏してゐるのではないかといふ疑問が生れて來る。この聯絡に於て筆者が事變以後になつて經驗した大きな驚きは、孫逸仙が猶太フリイ・メイスン祕密結社員であることと共に、蒋介石の顏貌のみならずその全體の身のこなし方に至るまでが、近來ソ聯に於てその肅清工作の犧牲になつて猶太ゲー・ペー・ウーの長官であつたヤゴータと全く同一であるといふことである。筆者は念のためにヤゴータの肖像を多數の人に示したのであるが、一二の例外を除いては、皆その像を蒋であると言ふのであつた。之を換言すれば、蒋の骨相その他は全く典型的な猶太型であるといふことである。
この聯想は、もし猶太ゲー・ペー・ウーの長官ヤゴータと國民政府の實權者蒋介石との間に以上のやうな偶然的相似が見られる許りであるとすれば、一顧の價値もないであらう。しかし我々には、例へば焦土戰術、雜軍整理、督戰隊、河川決潰等に見られる蒋の殘忍性のみならずその藍衣社統率に見られる蒋の陰謀性をも考慮に入れて考察する時、蒋のやり方の根本的特質が全く本小論の第一節に略述された通りの猶太性に外ならないことが判明するので、茲に彼と殺人鬼ヤゴータとの偶然的相似は、その内面的眞實性乃至必要性的根據を得て來るのである。而して蒋と孫との關係も、この點までを把握する時に於てのみ充分な理解を得るであらう。またこの點を捕捉してのみ、三民主義とソ聯との親近性、日支事變下に於ける蒋政權と支那共産黨との共同戰線の眞意も理解され得るであらう。實に蒋政權は、その權力獲得の手段としての國民黨の名やファッシズム的政策の部分的採用にも拘らず、その實質は上述の如き幾重かの意味に於ける猶太戰線であるのである。而してこの點より蒋介石政權のねばり強さの謎も解け、また蒋政權に對する世界の猶太輿論の支持の謎も解けるのである。日支事變は日猶の抗爭であるとの我々の主張は、ここに至つてその最も本質的な意味を明らかにしたであらう。
蒋政權の究極の目的は、少なくとも彼の昭和六年の年頭演説以來彼自身によつても明らかに意識されてゐる通りに、第二の世界大戰の誘發にあるのであつて、これによつて殆ど完成されようとしてゐる猶太フリイ・メイスン結社の世界支配をして、その最後の完成を得せしめようといふのである。例へば蒋介石の去る六月一日の對外聲明の如きも、多少猶太フリイ・メイスン結社問題を知る人には直ちに察せられる通りに、猶太フリイ・メイスン結社員としての蒋が世界の猶太フリイ・メイスン結社に發した救助信號に過ぎないのである。而してそれに應じて表面的に立つたのが赤色系猶太フリイ・メイスン祕密結社であつて、佛蘭西の西沙島占領及びソ聯の張鼓峰占據等は同一の隱れたる指令の下に連絡してなされてゐる對日行動であるに過ぎない。これに對して猶太フリイ・メイスン結社の裏面的對蒋援助工作が今や何處に如何に運ばれてをり、また運ばれるであらうかは、いま我々の明らかにするを得ない所であるが、しかしそれが不日英米佛等の何等かの形式に依る武器供給及び對支借款を以て始まるであらうことは、我々が今日既に豫言し得る所である。(一三・八・五)

七、前世界大戰に於ける猶太の策謀と獨逸の敗戰

限られた紙面に於て課題を詳細に論じ得ないことは自明であるから、この小論では在來の歴史書に於ても見られるやうな表面的な事實の記述を略することにしたい。かくて我々は第一次世界大戰に於ける軍事的情況が大戰の終末に近い頃に於て如何であつたかを見ることから始めよう。さて當時英國の戰時内閣の一員で後に加奈陀首相となつたロバート・ボーデンに依れば、「千九百十八年の春には英國參謀本部は獨逸に降伏する意圖を持つてゐた。聯合國側には、獨逸が早急に崩壞する見込は全く立たなかつたのである。英國は獨逸の戰線の背後で何が起つてゐたかをまだ知らなかつた。獨逸に於て社會民主主義者達が佛蘭西の間諜と共謀して、戰線を背後から撹亂しようとしてゐたこと、また此の祖國への叛逆行爲が佛蘭西から資金の供給を受けてゐたことを、英國はまだ知らなかつた。佛蘭西首相クレマンソーがその間諜の手から、獨逸は秋には革命が起るといふ確かな情報を得るに至つて、巴里と倫敦とは再び勇氣を恢復した。英國參謀本部はこの時になつて降伏の意圖を放棄するに至つた」といふのである。
此の記述は驚くべき事實を暴露してゐるが、之を獨逸に於ける當時の文獻に依つて見ると、
「社會民主黨は大きなストライキのみでは革命が招致されぬのを知つて、別の方途を選ぶことにしたが、之が成功したのである。我々は戰線へ出てゐる同志に脱走を勧め、この脱走兵達を組織化して、僞物の身分證明書と資金と宣傳ビラとを持たせて各方面へ送り、特に戰線へと潛入させ、それに依つて戰線を撹亂し、士氣を阻喪させたのである」と猶太人アルベルト・ファーテルは述べてゐる。また前者と同じく十八年秋の革命の中心人物であるアイスネルが、翌年二月四日にベルン市に開催された社會民主主義者の國際會議で演説した所に依れば、「獨逸に於ける革命は戰線の崩壞の結果起つたのてはなく、不撓不屈の裏面的暗躍の結果であつて、獨逸が戰爭に優勢になつたその瞬間から準備されてゐたのである」といふのである。また社民黨の機關誌「前進」に依れば「我々の堅き決心は、獨逸がその軍旗を勝利を得て持ち歸ることを阻止し、その軍旗を永遠に抹殺し去ることである」といふのである。此の最後のシュタムフェルの文に關して注目すべきことは、前二者が革命後のものであるのに對して、之が革命の約半月前即ち十八年の十月二十日のものであることである。
以上に依つて獨逸敗戰の直接の責任者が赤色社會民主黨にあることは明瞭であらう。勿論、如何に彼等主義者連の策謀があらうとも、獨逸人一般が四年に亙る長期戰にも拘らず精神的に毅然としてゐたとすれば、決して敗戰の憂目は見なかつたであらうことはいふ迄もないことであるが、然し上述の如く眞實の強敵が内部に巣喰うてゐて、銃後より戰線を撹亂するに至つたのであるから、獨逸の敗戰が獨逸人自身にとつて如何に不本意のものであつたかが、容易に理解されるであらう。實に當時の獨逸にとつて致命的であつたのは、その銃後が單なる「獨逸人」から成り立つていなかつたことであつて、宮廷には既にバーリン及びラテナウの如き有力な猶太人が君側の奸として勢を振つてをり、新聞界、金融界の主勢力はいふに及ばず、參謀本部の中に於てすら猶太人が主要なポストを占めてゐたのである。軍需品乃至戰時食糧品の供給もまた猶太人の一手引受であつたことは周知である。また上述の社民黨が全く猶太支配下にあつたことも勿論であつて、前述のファーテルもアイスネルも猶太人であることは、自明の理に屬する。
茲で想起しておきたいのは、第一次世界大戰の數年前である千九百十年九月一日にコペンハーゲンで開催された第八囘第二インターナショナル會議である。その顏觸のうち注目すべきものを拾ふならば、シャイデマン、エーベルト、ダーヴィッド(猶太人)、カウツキー(猶太人)、フランク(猶太人)、シュタットハーゲン(猶太人)、ローザ・ルクセムブルク(猶太人)、クララ・ツェトキン(猶太人)、カルル・リープクネヒト(猶太人)等獨逸人及獨逸系の猶太人の外に、英國からは後の首相ラムゼー・マクドナルド、白耳義からは同じく後の首相ヴァンデンヴェルゲ、そして露西亞としてはボルシェヴィズムの大立物である兩猶太人即ちレーニンとトロツキーがある。後の佛蘭西大統領又は首相のブリアンは事故のため缺席したが、會議へ宛てて鄭重な祝電を寄せてゐる。次に我々は眼を轉じて、十八年十一月の獨逸の赤色社民系革命の主役者の顏觸を見るに、ハーゼ、コーン、アイスネル、ヘルツ、ヒルファーディングを除けば、リープクネヒト、カウツキー、ローザ・ルクセンブルク、シュタットハーゲン等は前記の會議と共通の名である。この著名の九人はすべて猶太人であるか、彼等猶太人を首謀者として成就された革命によつて生れた獨逸共和國には、初代大統領としてニーベルトが選ばれ、首相はシャイデマンであつた。レーニン、トロツキーに關しては今は言葉を費す必要はないであらう。
かくて獨逸の崩壞が主として何者の手によつて遂行されたかは明瞭となつたであらうし、またそれが少なくとも大戰數年前から計畫されてゐたことも、かのコペンハーゲン會議の内容を見るまでもなく明白であらう。

前述のコペンハーゲン會議が社會民主主義の猶太的性格を暗示してゐることは改めて説明するまでもないであらうが、なほそれが我々の重大關心の的とならざるを得ないのは、その會議の場所がフリイ・メイスン祕密結社の一種であるオッド・フェロー祕密結社の會堂であり、出席者の殆ど全部が、フリイ・メイスン結社員であつたことである。換言すれは、社會民主主義は、猶太的であると同時にフリイ・メイスン祕密結社と密接な連絡を持つてゐるのである。これは赤色帝國主義の創始者のマルクス以來の傳統であつて、既に千八百五十一年には、「デモクラシーとはフリイ・メイスン祕密結社の子供である」と結社員フィッシェルが主張してゐるのでも判明する。いま我々はこの祕密結社そのものに就いて詳言する紙面を持たないが、我々の記述の理解に必要なる程度に於て一言するならば、それは表面的には「自由・平等・博愛」をモットーとする相互扶助結社であるがその本質は、このモットーを掲げてなされた佛蘭西革命がフリイ・メイスン革命と稱せられる一事によつても明白なやうに、「世界共和國の建設」を目ざす政治的陰謀結社であつて、「愛」を説く基督教の歴史が「戰爭」の歴史であるのに類似して「自由・平等・博愛」の名の下にテロと戰爭とを手段として用ひるのである。そして少なくとも佛蘭西革命・・猶太解放革命とも稱せられる・・以來は、その上級結社員の大部分が猶太人であることによつて、テロと詐欺とで猶太世界國を創設しようと舊約聖書の日以來努力し續けてゐる猶太の世界支配政策の一機關となつてゐるのである。それ故に歐洲識者の間では、この祕密結社員中の非猶太人は「人爲的猶太人」と稱せられるのが常である。かくて猶太とこの祕密結社との當面の目標は、世界戰爭を繰返すことに依つてその大目標を實現することにあるのであるが、現在の英米に於ての如くに帝王又は大統領の地位までもが猶太の血族によつて占領されてゐる場合以外は、かの「人爲的猶太人」を利用して各國の政界の上層部、財界の中樞部、言論機關の首腦部を占據しようと努めるのである。最も危險なのは、この勢力が軍部の上層部を侵略する場合であつて、この例もさまで珍しくはないことを我々は銘記しなくてはならない。
茲で急いで第一次世界大戰當時の獨逸に眼を轉ずるならば、大戰當初より十七年迄の獨逸首相ベートマン・ホルヴェーヒはかの祕密結社員であつたばかりか、その體内には猶太の血が流れてゐたとさへ言はれてゐる。特に當時優秀であつた獨逸海軍の潛水艦を重用することに極力反對した彼の態度は、結社員としての彼の本質より説く以外には説明の道のない事柄の一つであるとされてゐる。當時宮廷に勢力を持つてゐたバリーン、ラーテナウ等が結社員であつたことは勿論であるから、之等の君側の奸と、かの政治責任者との間の關係を知る時には、戰時下獨逸として不思議に見えた種々の現象も容易に理解し得るものとなるであらう。
次に注目すべき出來事は、開戰間も無く巴里を衝かうとしてゐた獨逸陸軍が何等の軍事的理由なしにマルヌ戰線より後退したことであつて、之は祕密結社員ルードルフ・シュタイネルの策謀の結果とされてゐる。即ち軍司令官モルトケは、シュタイネル崇拜の夫人と、戰線まで出勤して彼を説いたシュタイネル自身との歡告に從つたのである。これがフリイ・メイスン祕密結社に依る軍部侵略の恐るべき一例である。
かやうな實例を基礎として考へる時、當時既に獨逸にも劣らず猶太とフリイ・メイスン結社との支配下にあつた英米佛等の聯合國側が軍事的敗北にも拘らず敗戰の憂目を免れ、軍事的には勝利を得た獨逸が崩潰の悲慘に陷れられるに至つた理由も容易に明瞭になるであらう。即ちそれは、猶太及びかの祕密結社の目標としての世界共和國建設に最も障害となる強力なる帝政としての獨逸帝國の轉覆のために外ならない。從つて名目上の帝政に過ぎぬ英國の場合は、皇室そのものが傳統的に全面的に結社員となるといふ事情も手傳つて、倒壞の目標となることはなかつたのである。記録に依れば、前獨逸皇帝は、かの祕密結社に入會しないといふ理由に依つて、千八百八十八年の即位の年に既にフリイ・メイスン結社によつて死の宣告を受けてゐた。とにかく英米佛の結社員は少なくとも對獨逸關係に於ては、上述の理由から反祖國的となることなしにすむのである。フリイ・メイスン結社の發祥地及び中樞が英國であり、その政治結社化の尖端が巴里であることも、以上の事情を説明するに役立つであらう。
なほフリイ・メイスン祕密結社が第一次世界大戰に於て演じた役割に關して、一二の注目すべき事柄を舉げておかう。その一は當時獨逸と同盟關係にあつた伊太利の背信の問題であるが、これは伊太利フリイ・メイスンの大棟梁で羅馬市長であつたナータン、外務大臣ソンニーノ、大藏大臣ルツァッティの策謀の結果であつて、三人ながら祕密結社員であると同時に、猶太人であつた。第二は日本の場合であつて、時局下の我々に取つては必ずしも愉快な話ではないが、當時の爲政者が國民的感情を無視してまでも日英同盟の義務を果たしたのはフリイ・メイスン結社の暗躍の結果であつたと、この方面の文獻には必ず明記されてゐる。日本人は國内に於て此の結社に入會することは禁止されてゐるさうであるが、外國滯在中にそれに入會することは許されてゐるらしく、特に英國滯在の長期に亙る重要なる個人の場合は結社よりの働きかけが成功することが屡々あるらしい。日英同盟の立役者林子爵が英國のフリイ・メイスン祕密結社の高級社員であつたことは、世界的に有名な事實である。現在の日本に於ても、國民的感情を無視する根強き親英米派なるものがかかる「人爲的人猶太人」でないとは何人も斷言出來ないのは誠に遺憾である。
かくて、敗戰獨逸に共和國が實施されるや、結社員シャイデマンは、「獨逸國民が全面的に勝利を得た」と意味深長な嘘を語り、バーデン國のマクス王子は和蘭の新聞通信員に對して「いま獨逸に行はれてゐることは多年の潛行的準備仕事の結果である」と結社員に相應しい誇示をなし、プロイセン王子レオポルドは、その居城に赤旗を掲揚することさへして、猶太的赤色祕密結社員の本領を發揮したのである。何れの國に於ても無批判なる長袖者流こそ最も容易に猶太と祕密結社の餌食となり易いのであつて、亡國的なる「上よりの民主政」もまた帝政獨逸を崩潰させるのに功があつたのである。
敗戰獨逸の革命後の對外關係の理解に資するために、聯合國側の著名の非猶太人祕密結社員の名を列擧しておかう。英國側ではロイド・ジョージ首相、キッチナー元帥、チャーチル海相(現英首相)、グレイ首相、アスキス首相、リルラン大統領、米國側ではウィルソン大統領。この中に猶太人の名の見えないのは、表面的な最重要ポストには「人爲的猶太人」を立てて世人を欺くのが猶太の常套手段であるがためであつて、その代りに著名人には必ず祕書に猶太人を配するのである。クレマンソーに於けるマンデル(最近まで佛蘭西の植民相であり、今次大戰中は佛蘭西内相であり、佛印援蒋の指令者であつた)、ロイド・ジョージに於けるフィリップ・サスーン、アスキスに於けるモンターギュ、ウィルソンに於けるハウス大佐の如きはその好例である。不思議なことではあるが、某國の今は亡き元老の場合も或意味では例外ではないやうである。

最後に我々は、獨逸敗戰の責任者の第三として政治的カトリック、就中イェズイット結社を擧げたいと思ふ。而してこれもまた事實上猶太と關係深く、教祖基督が猶太人であつたことや、聖書(特に舊約聖書)がその本質に於て猶太民族の世界征服のプログラムであることを除外しても、法王そのものに幾人かの猶太人があり、殊にイェズイット結社は既にその第二代目の統領が猶太であつたのである。この國際的團體は、時としてはフリイ・メイスン結社と激しい鬪爭をすることもあるが、しかし共同の敵のある時には直ちに共同戰線をしき易く、例へばかの著名な千九百二十二年のアーヘン會議の如きはその好例である。從つてプロテスタント國帝政獨逸がその世界政策の障害であることは自明であり、猶太の頭目ラーテナウとイェズイット結社の頭目エルツベルゲルとの間には獨逸分割の協定さへあつたと傳へられてゐる。前者のことは前に論及した通りであるが、後者は猶太人であり、またフリイ・メイスン結社員とイェズイット結社員とを兼ねてゐたのであつた。その彼が佛蘭西との休戰協定の獨逸委員としてコンビエーヌの森へ赴いたことは、後の講和條約に際して獨逸代表としてヴェルサイユへ赴いた連中が全部猶太人であつたのと共に、なかなかに興味深い事柄である。
「我々中央黨が獨逸の革命を遂行したのである」といふのが、革命後の獨逸カトリック政黨たる中央黨の頭首ヴァッケンの語である。
かくてこの中央黨と前述の社民黨とが協同して獨逸の「新體制」は成つたのであるが、その實權が何者の手にあつたかは今改めて説く必要はないであらう。やがて登場して來た獨逸人民黨もまた、その表面的主張にも拘らず、フリイ・メイスン祕密結社員シュトレーゼマンに統率されることによつて、眞の獨逸人民とは關係の薄いものてあつた。かくて實權は猶太の手に歸し、政治はスポート化され、家の子郎黨に至るまで交代に大臣となつて、私益のみをはかり、獨逸をいよいよ泥沼の底に突き落して行つたのである。而して戰線に於て最後まで勇敢であつた軍部も、その統率者達の思想的無能と時代に對する認識不足のために遂に祖國を内敵から救ふ道を知らず、獨逸國民はヒットレルの出現を待つ外に道はなかつた。實に當時は、猶太人ドイチュが陸軍大臣となることさへ可能であつた。而して共和國獨逸に於て如何に猶太人が得意の絶頂にあつたかは、このドイチェの次の語で明示されてゐる。
「ドイツ、ハンガリー、オーストリアには革命が成就し、共和國が樹立された。我々が思考し得るやうになつて以來燃える如き心で夢想し憧憬して來たものが、今や實現したのである。今や我々猶太人は全く上位にゐる。今や我々が主人公なのである。」
同じことをラーテルナウは、「皇帝が白馬に跨つてその股肱と共にブランデンブルグの門を通ることがあるとすれば、世界史はその意義を失ふであらう」とその作品「皇帝」の中で述べ、猶太の世界支配の成就の過程としてのみ世界史には意義のあることを公言してゐる。かくて舊約聖書以來の猶太の夢は、戰敗國獨逸に於ては實現したのである。否、戰勝國英米佛に於ても事情は同一であつて、第一次世界大戰の眞の戰勝者は猶太のみてあつたと稱せられる所以はここにあるのである。
今や第二次世界大戰は二個に分裂して東と西とに於て戰はれてゐる。猶太はそれが亞利加大陸をも含む文字通りの世界大戰に進展する迄はその裏面工作を續けるであらう。そしてその大戰こそは、猶太の世界支配を完全に實現するか、或は根本的に挫折せしめるかの何れかに到達する運命を持つてゐると思はれる。かの純猶太祕密結社員であつた孫逸仙以來「人爲的猶太人」のみが構成して來た重慶政府と戰ひつつある我々は、以上の事情を確認して更に大なる決心を固むべきであらう。(一五・八・七)

V 猶 太 鏡
猶太四千年の歴史と現代に於ける猶太の動きとを知るためには猶
太魂の本質を見ることが必要であるが、そのためには猶太聖典乃
至猶太法典に就くことの必須であることは、既に本書の第一部
(特にその二)で説いた通りである。而して我々は、この要求に
應ずるために、既に「猶太の世界支配綱領」(東京市麹町區内幸
町幸ビル政經書店發行)に於てこの種の材料を相當量に提供した
のであつた。本書の以下の部分に收載するものは、該書を補遺す
る目的にて新たに譯出された材料であるが、これのみからも猶太
魂の本質の大綱は明らかになるであらう。なほ「タルムード」に
關しては、その注目すべき部分の集成の翻譯が近く本書肆から出
される豫定となつてゐることを茲に豫告しておきたい。

一、シュルハン・アルフ(Schulchan aruch)
・・「用意の出來た食卓」・・

第一卷 生存の途

〇厠に行かば、祝祷を唱ふべし、坐するまで衣を脱ぐべからず。石片或は木片にて〇〇を探り刺激すべし。但し之は坐する前に行ふべし。然らずば妖術にかかる恐れあるべし。東西の間にて排便をなすべからず。但し排尿は東西の間にてなすも差支へなし。東區の間にて××をなすべからず。野原の垣の蔭にて排尿するはよろし。急きて坐し或はりきむことなかれ。〇〇を右手にて淨め、或は陶器片にて淨むべからず。立ちて放尿すべからず。ォに注ぐことなからんためなり。排尿の際〇〇の下部以外に觸るべからず。〇〇の無益に失はるることなき爲なり。排尿に際し××を以て助くるも差支へなし。厠に行く事を我慢する者は誠を侮れるなり。
〇次の人々は手を洗ふべきなり。即ち、床より起上りし者、厠或は浴室より出で來りし者、爪を切りし者、髮を刈りし者、靴を履きし者、身體に止れる蟲に觸れ或は衣服の蟲を除ける者、頭髮を櫛けづる者、身體の通常蔽れたる個所に觸れし者、墓所より出で來りし者、死者と同じ屋根の下に在りし者、瀉血療法を受けし者等これなり。かかる事を爲して手を洗はざる者は、彼若し學者ならば學びし事を忘るべし。もし學者ならずば狂氣てなるべし。瀉血法を受けて手を洗はざる者は、七日間絶えず恐怖に襲はるべし。髮を苅りし後は三日間、爪を切りし後は一日間かくなるべし。顏を洗ひてよく乾かさざる者は、顏の皮膚に疥癬を生ずべし。
〇厠より出で來りし時は次の祝祷を唱ふべし。「人間に知慧を與へまた孔を與へて創造せる神を讚へまつる」と。
〇朝早く總附祷衣を着たる後は經筒を持つべし。この經筒は「汝聽け」の祈及び朝祷を唱ふる間携ふべし。經筒は羊皮紙の袋に入れ、この袋には次の聖句を記すべし。即ち、出埃及記一三の二と一〇、出埃及記一三の一一と一六、申命記六の四と九、申命記一一の一三と二一。經筒を携ふる事を守らば、その報は大なるべし。之を守らざる者は罪あるイスラエル人なり。經筒は本來終日携ふべきなれど、かくなすには上よりも下よりも風氣の氣味無き淨き身體なるを要す。總(Zizith)なる語はその字母の現はす數に從ひ數ふれば六百となる。之に總の絲の數と結び目の數五を加ふれば六百十三となり、トーラ(舊約聖書の最初の五卷)の誡律禁令の全數に等し。
〇早朝唱ふべき祝祷は、今日に於ては(猶太)教會堂に於て唱ふ。總べてのイスラエル人は日々少なくとも百六の祝祷を唱へざるべからず。曾てダビデ王の治世に日々百人のイスラエル人死したるも、人その原因を知らざりき。終にダヒデ、聖靈の御告により、總べてのイスラエル人は日々百の讚祷を唱ふべき事を知りたり。また總べてのイスラエル人は日々次の如き祷句を唱ふべし、「永遠者にして吾等の神なる萬物の主よ、汝吾等を非猶太人として創り給はず、奴隸として創り給はず、女とても創り給はざりしにより、吾等汝を讚へ奉る」と。
然れども「汝は吾等を猶太人として創り給ひしにより」と附け加ふべからず。その故は、曾てタルムード學者等或大集會に於て、人間の創造せられしはよき事なりや否やを議し、人間は創られざりし方更によかりしならんと決議したればなり。その理由は、人間には總べての掟を守る事不可能なるのみならず、罰を免るることもまた不可能なればなり。
祈祷する際には人糞より四エレルを隔てざるべからず。祈祷する人惡臭を出だせる時は、臭氣消え去るまで祈祷又は學習を續くべからず。隣人の時も同樣なり。便器は厠の如く見做すべし。女の身體の通常蔽れたる個所にして拳の幅程も露出せる時は、裸體と見做すべし。また女の歌聲も同樣と見做すべし。
カヂス祷。之は猶太人の甚だ尊重するところの祈祷なり。之を唱ふる際には兩足を一つの足の外見を呈する如く揃へざるべからず。「聖にして尊く榮光に滿てる」の句を唱ふる時、身體と踵を高く擧ぐるなり。この祈祷はカルデア語にて唱へらる。その故は、タルムードに教ふる如く、イスラエル人その始唱者の言葉に應じて、「その大なる御名はほむべきかな」と答ふる度毎に、主なる神は頭を動かして言はん、「その父の卓より追はれたる子等は禍なるかな。人々の崇むる父は、その子を卓より追拂ひし者にて、禍なるかな、」と。天使かくの如く神の悲しめるを見る時は、彼等吾等に不利なる事を言ふべし。故にこの祈祷はカルデア語にて唱へざるべからず。天使はカルデア語を解する事能はざればなり。
〇十人(猶太人)一所に集り、カヂス祷を唱ふる同は、彼等以外の者もアーメンを和唱するを得。但し多くの人々の主録によれば、糞或はアクム(譯註、非猶太人)兩者を隔てざるを要すと言ふ。
〇高き處に於て、又床の中、或は椅子腰掛の上に立ちて祈るべからず。但し職人等はかくなすもよし。・・祈祷は教會堂に於て會衆と共に行ふべし・・會堂内にて唾を吐くも差支へなし。但し唾は足にて踏み消すべし。・・若し虱に刺されし時は、之を手にて捕ふる事なく、衣にて捕へて棄去るべし。・・君侯と禮儀に適へる應酬を爲し得ざる程の酩酊者は祈祷を爲すべからず。もし爲さば、その祈祷は忌むべき行にして、酒氣の去れる後改めて祈らざるべからず。誰にても強き酒四分一マースを一息に飮める者は、酒氣の去るまで祈るべからず。
〇或人祈祷中に、十字架或は類似の物を手に抑へたる非猶太人と行會へる時は、祈祷文中の身を屈むべき箇所に至るとも身を屈する勿れ。
〇總べての祭司は(その資格ある場合には)始唱者がu祭司」なる呼聲にて促せる時は、直ちに民を祝福せざるべからず。之を爲さざるは、掟を守らざるなり。祭司は會衆を祝福するに、靴下を履くとも靴は履くべからず。又あらかじめレビ族の者をして手を洗はしむべし。祭司四分の一マースの酒を一息に飮める時は、會衆を祝福すべからず。
祭司の娘アクム(非猶太人)教に改宗し、或は〇〇を行へる時は、人々此の祭司を敬ふの要なし。娘その父の神聖を汚したればなり。
或人夢を見てその意を知らざる時は、祭司會衆を祝福する時、その前に進み出づるべし。
猶太會堂は町の最も高き場所に建てられ、町内の他の總べての建物より高かるべし。・・會堂に於ける祈祷終らば其處より學舍に行け。學舍に行きし後業務に就くべし。非猶太人と合資仲間となるなかれ。或教法師は之を差支へなしとす。いづれよにせよ、非猶太人の祝祭日以外には彼等と商取引を爲すは差支へなし。
〇食前に手を洗ふべしとの掟は嚴しく守るべし。之を怠る者は追放刑に處せられ、貧困に陷り、此の世より除かるべし。
食事中に話す事勿れ。(窒息することあればなり。)食事中に怒るべからず。人の盃に殘せしものを飮む勿れ。教養なき世人と食卓を共にするは學者に相應しからぬことなり。アクム(非猶太人)の家を見たる者は、(箴言一五ノ二十五)「主は高ぶれる者の家を倒し給はん」と言ふべし。
此處に〇〇器官に就き教へて曰く、人それを飢ゑしめなば、そは充ち足りてあるべし。人それを充たしむれば、そは飢ゑるなり。即ち滿足せしむれば愈々多く求むるなり。未だ滿一歳に充たざる幼兒の眠れる床にある女と××をなさば、その幼兒痙攣を起すべし。然れども幼兒寢臺の後部に眠れる時、又は人その手を幼兒の上に置かば、幼兒は害を受けざるべし。
〇總べてイスラエル人は、己が生計を立つる爲に他人の扶助を要する者といへども、安息日を尊びてこの日には他の日よりよき飮食をなすべきものにして、一週間の間その爲に節約し貯ふべきなり。安息日及び他の祭日には小麥粉の特別なるパンを燒くを習慣とす。マナは、詰物せるパイの如く、上下より、即ち下は土にて上は露にて蔽はれてありしなり。安息日には非猶太人の燒きたるパンを食すべからず。
非猶太人に公衆浴場を貸すべからず。安息日の前夜に器物又は工具を非猶太人に貸すは差支へなし。然れども牛を貸すべからず。安息日には牛も休むべしと(猶太人に)命じられたる故なり。たとひ非猶太人、安息日には牛を休ましむべしと約束すとも、貸すべからず。非猶太人は信ずべからざる者なればなり。安息日の前夜に船に乘るとも誡律遵奉上差支へなし。但し安息日には航行せずとの表面上の契約を船頭と結ぶべし。安息日の前夜は七パルサ(二千八百歩)以上行くべからず。時刻迄に歸り來るを得んがためなり。金曜日(の晝)には通常以上の食事をなすべからず。婚約の宴もなすべからず。これ安息日に食慾盛ならんがためなり。特に敬虔なる人々は、金曜日に斷食するを習とす。これ安息日に食慾更に盛ならんためなり。安息日には音響を生ずるが如き事を爲すべからず。從つて樂器も奏すべからざるなり。
或人旅路にありて、既に安息日となれるに、金錢を携へ居り。また驢馬と非猶太人を伴へる時は、驢馬に金を積むことなく、安息日の間は之を非猶太人に積み移すべし。安息日に於ける驢馬の休息は命じられたるところなれども、非猶太人の休息に就きては命ぜらるる無き故なり。
〇猶太會堂より出でて家に歸れる時は、直ちに食事をなすべし。女もまた安息日を守る義務あり。カヂス祷を唱ふる前には飮食すべからず。酒を容れたる盃はよく滿たし置くべし。家人は各々この酒より充分一口宛飮まざるべからず。
〇××は安息日の快樂に屬す。故に學者は身體健かなる時は、安息日毎にその〇と××すべし。安息日には婚約せる〇〇と××するもよく、その際傷害又は苦痛に關しては之を顧慮するの要無し。
〇前夜に惡しき夢を見たる時は安息日に斷食するもよし。これ天に記されたる罪罰の書を破り去らんがためなり。
〇安息日には多くの果物、高價なる食物、珍味、香料を食はん事を努むべし。これ多くの祝祷を唱ふる事を得んためと、また出來得べくんば、その數百に充たんが爲なり。一週の間常に學ぶを事とせる學者は、安息日には一層盛に飮食をなすべし。
〇安息日にも第三の食事を爲すべく努むべし。腹滿ち居る時と謂へども卵一個位は食すべきなり。然して後は晩祷の時まで何物も食すべからず。たとひ水なりとも攝るべからず。この時刻に背神者の靈は地獄に歸り行き、その安息日に再び出で來るものなるが故なり。
〇猶太會堂に於ては(酒を祝福する際)豫言者エリヤフを囘想し、彼の來りて救濟を告げ知らせん事を祈るを習慣とす。即ちエリヤフは安息日以外の週日にのみ來るべし。安息日及び祭日には規定の範圍二千エルレより遠くに歩み出づるべからざる故なり。
〇タ息日には走るべからず。大股に歩むべからず。何物も手に持つべからず。女は身に飾を附すべからず。
〇女は安息日に化粧をなすべからず。又よき顏色を得んがためなりとも、櫛にて顏を擦でるべからず。又髮を櫛けづり、編むことをなすべからず。これ拔毛の恐れあればなり。但し髮を分けることは、手にてなす時は、差支へなし。
〇安息日にも牛を外出せしむることを得。然れとも積荷無きを要す。牛と謂へども安息日に働くを許されざる故なり。
〇安息日に齒痛起りたる時は、非猶太人の手に依りてのみ拔齒を許さる。苦痛を感ずる場合には、週日に於ては凡て藥を用ふるを得れど、安息日には指を咽喉に差入れて嘔吐する方法以外の治療を許さるることなし。
〇生命に危險ある時、安息日を汚すも差支へなし。例へば近隣に火災起りたる時の如きこれなり。生命の危險を見るに、多數を標準とすべからず。例へば一つの屋敷内に九人の非猶太人と一人の猶太人ありとせんに、その中の一人朽ちたる他の家に行き、その家彼の上に崩れ落ちたりとせんに、遭難者が猶太人なるか非猶太人なるか不明なる時は、直ちに碎屑を除き、出來得べくんば彼を救うべし。然れども若し彼等十人共に最初の屋敷より出行き、彼等の中の一人のみ或る屋敷に赴きて倒壞家屋の爲埋められし時は、それが非猶太人のうちの一人なる時は、安息日に此の倒れし家屋を片附ける事勿れ。
猶太人の乘れる船が難船して洋上に漂へるを見る時、洪水にて猶太人の危險に在るを見る時、猶太人の非猶太人に迫害さるるを見る時は、必ず安息日を破り、隣人(猶太人)を救出せざるべからす。
〇出産に臨める女の爲に(仕事に依つて)安息日を破るを得。非猶太女に對しては安息日に一切の助産をなすべからず。
〇境界の抹殺・・これに依つて或場所より他所へ物を運ぶことが許容されるのであるが・・の方法は次の如くにして可能なり。即ち、安息日には二千エレルを限り歩むを許されるが故に、もし猶太にして二千エルレ以上を行かんと欲せば、安息日の來らざる金曜日の内に二千エルレの終の地點に一塊のパンと一片の煮たる若くは、燒きたる肉を適宜に置き、祝祷を唱へよ。然る時は翌日その場所より更に二〇〇〇エルレ行くことを許さる。彼處にて彼若くは彼の仲間は備へ置けるパン或は肉を食すべし。然して彼若くは彼の仲間、上述の儀式を更に續くることを得。
〇安息日に火災起これる時は、三度の食事に充分なる食物を携へ出すことを得れど、そはかの「境界の抹殺」の方法に從つて之を運ぶことを得る場合に限らる。
〇安息日にも祭日にも寡婦と××すべからず。
〇天使に就き教へて曰く、安息日には各々猶太會堂より出づるや、二人の天使彼の身近にあり。一人は善き天使にして一人は惡しき天使なり。猶太人大いなる敬虔を以てカヂス祷を唱ふれば、天使達彼と共に家に行き、彼の頭に手をのせ、「汝の惡はのぞかれ、汝の罪は淨められたり」と言はん。或人は此の二人の天使を安息日の夜を司る二つの星座、即ち蠍と火星なりと考ふ。
〇安息日の終りには香料を嗅ぐべし。安息日には、惡しき魂地獄より連行され、地獄の惡しき臭氣擴ぐる故なり。カバラ派(猶太密教派)の主張に依れは、安息日には總べてのイスラエル人は飮食の欲求の盛なるため、更に他の一の靈魂の賦與さるとのことなり。
〇月始めの日に平生よりもよき食物を攝る事は神旨に適ふなり。
〇新月の日には斷食すべからず。
〇新月の日の爲に特別の祈祷定められあり。新月の日の祈祷文の「新月を再び與へ給ふ主を讚へまつる、汝のつくりし創造主をほめまつる、汝の創造主をほめ奉る」を唱ふる時は、猶太人は兩足を揃へて三度踏び上り、次の如く祈祷を續く、「イスラエルの仇に恐と怖とのあらんことを、汝の強き腕の中にて彼等の石の如く動く能はずなり、また彼等石の如く默せん事を」と。
〇踰越節の前日は午前十時以後酵母を入れたる物を食すべからず。踰越節に骨牌遊びをなすべからず。骨牌は澱粉にて粘着せるものなれば、その幾分にても食物の中に落つる恐れある故なり。總べての猶太人男女が假令少年少女なりとも踰越節に飮むべき四杯の酒は、定まれる方式に從ひ飮むべきなり。然らざる時は義務は果されざるものとす。赤き酒を飮むはよき事なり。然れども非猶太人、猶太人に不利なる種々の惡しき噂を爲す故に近年は赤き酒を飮まざるなり。「汝を拜せざる民と汝の名を呼ばざる國々の上に汝の怒を注ぎ給へ」との詩篇の聖句を唱ふる時は、戸を開きて唱ふべし。・・そは埃及に於ける徹夜の夜を記念せんが爲なり。メシヤ來りてゴイ(非猶太人)の上に怒を注ぐ時まで、恐るることなく戸を開きおくを得べし。終りに「來年はエルサレムに於て」と言ひて互に挨拶をなせ。次に三つの歌を唱し、その第一の中にては神を呼びて、「猶太人の神よ」と言ふべし。・・踰越節の夜徹宵寢ねずしてトーラを學ぶ者は、その後一年間は生を享くるべく、まス不幸にも遇ふことなきを保證さる。
〇猶太人は、所謂半祭日にも働くべからず。但し非猶太人に利子を取りて金を貸すは差支へなし。必要なき限り手紙を書くべからず。必要ある場合と謂へども第一行を斜に書くべし。非猶太人により包圍されたる町の住民は斷食すべからず。力を失はざらんためなり。惡靈に憑かれたる人間も同樣なり。
〇十月の第八日には斷食すべきなり。この日には王タルメイ(プトレマイオス)猶太人を強ひて聖書を希臘語に翻譯せしめたればなり。
(Kol Nidreなる祈祷はカルデア語にて書かれ、次の如し)
「この贖罪節より來るべき贖罪節までに吾等が心に誓約し、誓言し、追放し、結合する總べての誓約・結合・誓言・追放・剥脱・處刑・節制に對し、吾等は此處に豫め悔いるものなり。故にそれらは赦され、改められ、止められ、取消され、破毀されて無效となり、存立せざるべし。即ち吾等の誓約は誓約ならず、吾等の約束は約束ならず、吾等の誓は誓ならざれ。」
(ブリムの祭は十二月の第十三日に行はる。エステルにより猶太人の自由を得しを記念する爲にして、此の日猶太會堂にてはエステルの物語、即ちエステル書を讀むなり。この祭に於てはかく言ふべし。)「ハマンは呪はれよ、モルデカイに祝福あれ。ゼレシ(ハマンの妻)は呪はれよ。エステルに祝福あれ。總べての偶像禮拜者は呪はれよ。」エステル書にてハマンの名の讀まるる毎に槌にて卓を叩き、ハマンの像を毀べし。此の祭日に大なる宴を催ほすはよきことなり。此の祭日には「ハマン呪はれよ」と「モルデカイに祝福あれ」との區別を知らざるまでに多くの酒を飮むべし。ブリムの祭に醉ひて隣人に損害を與ふるも、之を賠償する必要なし。假裝して女は男の衣服を、男は女の衣服を着ける慣習、及び盜み合ひの慣習も、此の日には罰を受くることなし。

第二卷 知慧の教

〇すべてのイスラエル人は一定の法式に依り(動物及び動物視されてゐる非ユダヤ人)を屠ることを許さる。
〇或人刀を壁に突立てんとして投げしに、途中獸の首に當りてその獸を屠るに至りし時は、この屠殺は正式のものと見做され得るものなり。
〇非猶太人の刀なりとも、之を研ぎ、或は十度硬き土に突差したる時は、これを用ひて屠るを許さる。
〇家禽の中、鵝鳥・鴨・鷄・鳩・鶉・雀は食種に供するも可なり。然れども此の他のものは食用に供すべからず。その故は、これらの鳥は、餌を食する時、先づそれを足にて蹂り、後に嘴にて引裂く故なり。・・屠りし後は血を蔽ひ隱さざるべからず。その故はカイン、アベルを殺せし時、彼アベルを幾度か打ちまた刺したるにも拘らず、その魂彼の身體より去ることを欲せざりしかば、カイン遂にアベルの首を切り落したるに、その時鹿來りて血を足にて掻き集めたれはなり。・・屠りし後は、屠殺者は家禽獸を切開き、何より先づ肺を檢すべし。その肺完全ならば、その禽獸は食用に供し得べきなり。肺葉の一が大に過ぎ他が小に過ぎる時、或はそれぞれの位置に異常のある時、この禽獸は食用に供することを許されず。
〇血を飮むことの禁ぜらるるは、その血が祭壇に注ぎ得べきものたる時のみなり。されは煮られたる血又は凝固せる血は飮むことを許さる。
〇卵を食するには、汚れなき鳥類のもののみを選ぶべし。その卵の一方の尖りたる鳥、例へば鷄の如きは汚れなきものなり。魚の血も飮むことを許されたれど、器に集めて飮むべからず。人間の血に關しても同樣にして、之を食することは禁ぜらるることなし。
〇穢れたる畜獸又は野獸若くは法に則りて屠られざる畜獸の脂肪及び尿は用ふべからず。或教法學者は尿は差支へなしとも言へり。
〇猶太女を求め得る場合には、異邦女の乳を幼兒に吸はしむべからず。異邦女の乳は心眼を閉ざし、惡しき性格を形成するが故なり。
〇淀める水に住む蟲類は、之を食するも差支へなし。利未記に禁じたるは地を匍ふ蟲類のみなればなり。
〇熱き乳を容れたる鍋に肉片の落ちたる時は、假令橄欖の實程の小なるものといへども、その乳は非猶太人をして試味せしむべし。彼もし肉の味ありと言はば、この乳は用ふべからず。
〇猶太人も非猶太人の判斷に信を置く事を、非猶太人をして知らしむべからず。
〇然れど金錢の損害の生ずる恐れある時は、如何がはしき事をも許す教法學者に萬事を委ぬることを得。
〇教法學者が猶太人にアクム(非猶太人)のパンを食することを禁じたるは、彼等との間に姻戚關係の生ずることを防がんが爲なり。またアクムの酒を飮むとこの禁ぜらるるも、彼等と姻戚となること無からんが爲なり。然れども、アクムをして飮料を持ち來らしめ、自宅にてそれを飮むは差支へなし。
〇猶太人の居合はせざる場所にて非猶太人の搾れる乳は、之を用ふべからず。
〇口の開きゐたる飮料は用ふべからず。肉と魚を同時に食すべからず。もししかせば癩病となる故なり。人間の汗は有毒なり。但し顏の汗は然らず。
〇アクムより借金の代りに穢れたる物品を受取るも差支へなし。これ彼等の手中より何物かを救出すことなればなり。
〇非猶太人の酒を飮む事、及びその一切の享受使用を禁ず。かかる酒は偶像に供へらるる類のものなれはなり。猶太人の酒と雖も非猶太人がそれに觸れたる時は、この酒は用ふべからざるものなり。非猶太人の酒の容器を持上げ或は運び歩くべからず。但し猶太式に封印されたるものはこの限りに非ず。
〇十字架の繪は、人々それを拜跪する時には、偶像と見做さるべきものにして、禁制品なり。
〇或人、偶像禮拜に密着して建てられたる家を持ちたるに、その家倒れたる時は、再び元の如く建つることを禁ぜらる。その時彼のなすべきは、前よりもやや多く間隔を取り、その空地を棘或は人糞にて充たすことなり。
〇猶太人にして偶像の名に於て誓ひ或は誓約を爲せる者ある時、彼は三十九の毆打刑に處せらるべし。必要の場合と雖も、偶像の名を口にすべからず。非猶太人の祭日の中、人間の名を有するものは、之を呼ぶも差支へなし。但し、非猶太人の爲す如く尊敬の念を以てすべからず。偶像を嘲りながらも、次の如く非猶太人に言ふことは許さる、「汝の神汝を助けよかし」又は「汝の神汝の業に惠を垂れ給はんことを」と。
〇非猶太人の祭日前三日間は、彼等より物を買ひ、或は、保存され得べき物を彼等に賣る事を禁ぜらる。また彼等と貸借する事をも禁ず。但し、口約を以て貸したる負債を彼等に支拂はしむる事は差支へなし。然るに現在に於ては、彼等の數多數なる故に、證文ある負債をも彼等より受取るべし。かく爲すは、彼等の手より物を救出すこととなればなり。非猶太人の間に住み、常に彼等と取引を爲す必要ある時は、敵對關係を生ぜしむるが如き事はすべて避くるを可とす。この故に異邦人の祭日には彼等と共に喜ぶべし。かくすることにより彼等の機嫌を取り得る故なり。
〇アクムの祭日に彼等に贈物をすべからず。然れども現今に於ては、贈物を爲さんと欲する時は、彼等の降誕節より一週間後の「新年」と呼ばるる日に於て之を爲すべし。彼等それを縁起よきこと見做すべけれはなり。
〇洗禮に用ふるものなる事判明せる場合には、非猶太人に水を賣るべからず。
〇知人に非ざる非猶太人に施物を與ふべからず。然れども非猶太人の中に居住する場合には、その貧民を養ひ、病者を訪ひ、死者を葬り、悼み、喪に在る者を慰むるもよし。これ平穩無事のためなれはなり。イスラエル人は、己が食物を食する場合と雖も、非猶太人と同一食卓に坐するべからず。非猶太人の婚禮の宴に招かれたる時は、假令イスラエル人は、己が食物を食じ、己か召使によりて給仕さるる場合と雖も、其處にては食すべからず。
〇非猶太人の客亭に家畜を入るべからず。その故は、非猶太人は家畜と××をさす疑あればなり。非猶太人と唯二人にて居ること勿れ。その故は彼等は殺人をなす疑あるものなればなり。・・公共の浴場に裸體にて入る習慣ある場合に、既に浴槽内に非猶太人居る時は、イスラエル人は入浴すべからず。若しイスラエル人先にその中に居らば、出づべからず・・イスラエルの女は、假令非猶太人が彼等の妻も共に在る時と雖も、その一人或は多數と共に居るべからず。・・非猶太人に技藝を教ふべからず。
〇安息日を穢す恐れある如き病或は傷は、一般に有能と認められざるアクムに治療せしむべからず、流血を恐るる故なり。病人の生死疑はしき場合と雖も、アクムに治療せしむべからず。但し死亡の確かなる場合は、アクムに治療をせしむるも可なり。一時間ほどの生命は顧みられざるが故なり。アクムしかじかの藥劑良し或は惡しと云ふ時はそを信ずるもよし。但しその藥劑をアクムより買ふべからず。 あらゆる誡律は、それを遵奉することに依つて生命に危険ある場合には、生命を救ふ爲にそを破るも差支へなし。但し、偶像を拜む事、禁じられたる女と交はること、殺人を犯すことの三つは然らず。若し金錢にて身を救ひ得る時は、全部を引渡すべし。
〇偶像禮拜に歸依せる非猶太人及び賎しき牧人は之を殺すことを許さず。されど彼等が危險に面しまた死に瀕せりとて彼等を救ふことは許されず。例へば彼等の一人の水に落ちたる時、報酬ある場合と雖も彼を救ひ上ぐるべからず。また彼等を瀕死の病よりも癒すべからず・・報酬ある場合と雖も。然れども吾等と彼等との間に敵意の生ずるを防止する爲ならば、報酬無き場合にも彼等を救出しまた癒すことを許さる。然れども偶像を拜む者、罪を犯す者、掟と豫言者を否む者は、之を殺すべし。而して公然と殺すを得ば、その如く爲せ。しかするを得ざる場合には、彼等の死を促進せよ。例へば彼等の一人井戸に落ちたる時、その井戸に梯子あらば、之を取去り、直ちに再び持來るべしとの遁辭を用ひ、かくすることにより落ちたる者の身を救ひ得べき道を奪ふべし。
〇トーラによれば、利子を取りてアクム(非猶太人)に金を貸すは差支へなし。但し教法學者は生活に必要なる範圍の額の利子のみを取るを許さるのみ。然れども現在に於ては、如何樣に之を取るも差支へなし。
〇ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取るべからず。唯アクムよりのみ之を取るべし。而してかかる取引は使者をして之をなさしむべし。使者ならば、かく爲しても、罪を犯したるには非ずして、誡律もまた遵守されたるなり。・・貸出に際し取極められたる多額の利子は、誡律を以て禁ぜられたるものなる故に、法廷に於て返金請求の訴訟を受くることあるべし。裁判官は斯かる貸主を拘束して、氣を失するまで鞭打たしむるを得れども、貸主の財産は之を沒收するを得ず。
〇非猶太人の如き衣服を着け、彼等の風習を模することあるべからず。あらゆる點に於て彼等と異なるべし。但し非猶太人の君主の身近に在る時は、是等すべてをなすことも許さる。
〇掟(申命記、一八、一三)に依れば、占星術者又は卜筮者の言を容るる事は禁ぜられたり。然れとも月曜日或は水曜日に業を始めざるは慣習にして、是等の日には星(月と水星)の位置惡きが故なり。また滿月の頃にのみ婚姻するを習慣とす。また月の第一日目に新しき書を讀み始めざるを習慣とす。自らの幸運に反すると信ぜらるるところの事は、すべて之を爲し續くべからず。 死者に詢ふことをなす筮者とは、空腹の状にて墓場に泊まり惡しき靈の彼の上に止らんことを計るものなり。病者に向ひて、死後に還り來り、彼に發せらるるすべての問に對し答をなせよと懇望するは差支へなし。死者を呼び出す場合にも、身體に非ずして靈のみを呼び出すは差支へなし。カバラ(譯註、ユダヤの神祕哲學の書)の諸書に依つて何事かを爲すはよし。失せ物に關し惡靈に詢ふはよし。但し良き香の草を火に投じたる香氣にて家を燻らすべからず。かく爲すは、惡魔を禮拜するものと解せらるる恐れあればなり。自ら文身すべからず。但し他人の手を借りて文身するはよし。
〇宣誓を強ひられたる者は、假令(神の)名に依つて誓ふとも、これを心に懸くる事勿れ。斯かるものは宣誓に非ざればなり。王侯或は他の上司がイスラエル人に宣誓の命を與ふる時、彼の同信者に損害を與ふる恐れある時は、眞實を誓ふの義務無し。例へば、一人のイスラエル人或る女を辱めたるや否やに關し誓ふべき場合、證人として宣誓を要求されたる者は躊躇なしに彼の知れるところの反對を宣誓し、後直ちに心中にてこの誓を打消すことを得るなり。かかる誓は強制されたるものと見做され得るが故なり。また或上司がイスラエル人の金或は財産を沒收せんとせし時、そのイスラエル人用心のためにその金或は財産の保管を他の者に託するならば、金錢を保管せるところの者は、宣誓を求めらるるも眞實を自白すべからず。
〇誓約を爲す者は、その誓を守りまた果す場合にも、惡人又は罪人と稱へらるべし。假令イスラエルの神の名に於て誓へる場合と雖も、三人の人の手によりてその誓を解かるるを得べし。而してこの三人は癡人にても差支へなし。
〇猶太人にしてアクムより盜みをなしたる時、もし誓ふことを強制さるるならば、彼はその心の中にて、その誓の無效なることを宣言すべし。そは強ひられたる誓なればなり。
〇婢女或は異邦人の子は兩親に對して恩義を負ふこと無し。婢女或は非猶太女の胎内の子は畜獸に等しければなり。 イスラエル人の間の習慣は、トーラ(律法)と同等の價値あるものなり。
〇教法師にして公然と侮辱を受けたる者は、恥辱に甘んずることなく、侮辱に對して復讎をなさざるべからず。侮辱したる者が赦しを乞ひまた彼にして赦さんと思ふに至る時までは、蛇の如くに怨恨を心の中に懷き居るべし。 各々の町は猶太人の兒童教師を任用せざるべからず。然らずんばその町は亡ぼさるべし。
〇女も掟を教ふる時は報酬を期待するを得。但し男の如く多くを期待すべからず。女なるものは、神より之をなすべく命ぜられたるには非ざるなり。少女に律法を教ふべからず。女は眞面目なる心なく輕薄なる者なれば、己が考に從ひ律法より愚かしき事を捏造する故なり。この故に賢者は、「その娘にトーラを教ふるは、罪ある事柄を彼女に教ふるが如し」と言へり。 學舍は會堂よりも聖なるものなり。人死する時、先づ第一に神より尋ねらるるは、彼が果して勤勉に學びしや否やにあり。その時に至りて如何なる行爲をなせしやを問はるるなり。最も多くの知識は夜學ぶ時に得らる。學ぶ時大聲に唱する者は學びしところを良く記憶し、小聲に唱する者は速かに忘る。
〇無事平穩なる爲ならば、非猶太人の貧民を養ふもよし。
〇捕虜となれる間に非猶太人の宗教に改宗したる猶太人は、之を身請けすべからず。
〇イスラエルの魂失はるるは、取返しのつかざる大事件なり。されば幼兒にして、割禮前(生後八日以前)に死せる場合には、墓所に於て、祝祷を唱ふることなしに、鋭利なる石を以て割禮を施すべし。彼世に於て、父祖アブラハムは割禮を受けし者を待ち居りて、割禮を受けし者の地獄に落つることを防止しをれり。故に割禮を疎かにすべからず。然らざれば父祖アブラハムを過つべければなり。割禮は次の如く行はる。即ち、包皮を伸ばし、之を櫛状の器具に挾み、その器具に沿ふて切斷して、之を砂中に投棄するなり。次に杯より口一杯に酒を含み、その少量を傷に吹きかけ、殘部を子供の顏に吹きかくべし。之によりて子供をして元氣を囘復せしむるなり。次に割禮施術者は爪を長く生ぜる拇指を以て××下の表皮を引裂き、××を完全に露出せしむべし。之を「露出」と言ひ、之を爲さざる割禮は無效なり。然る後施術者は再び口一杯に酒を含み、傷口より血を吸ひ取るなり。之を「吸ひ出し」と言ふ。次に藥粉を振りかけ、繃帶をなす・・教父敬虔なる者なる時は、豫言者エリヤ割禮の席に連なるなり。故に教會堂の聖檀に向ひて二つの座席を備ふべく、一は教父の爲、他はエリヤの爲なり。儀式終らば、施術者は手を洗ひ、祝祷を唱へ、幼兒に向ひ、「汝生くべし」と言ふなり。然る後、吸い出したる血を吹きかけたる杯に指を浸し、その指を割禮を受けし幼兒の口中に二囘或は三囘押し入れ、次いて教父及び同席の少年等にその杯より飮ましむるなり。
少女は勿論イスラエル人の盟約に加入(割禮を受くること)することを得ず。それ故に、少女生れし時は、生後六週間目の安息日に命名す。
〇奴隸を買ひたる時は、之に割禮を施し、或は施さしむべし。
〇非猶太人にして猶太教に改宗せんとする者は、先づ割禮を受けざるべからず。而して彼に、就中次の如く告げよ。「來世はただ敬虔なる者にのみ約し置かれたるが、その敬虔なる者とはイスラエル人に外ならず。非猶太人は今生過ぎれば根絶し去らるへし」と。彼これ等すべてを受入るる時には、直ちに割禮を施すべし。而してその傷癒えなば、直ちに三人の教法學者の前にて入浴せしめ、この學者等に依りて多くの掟を學ばしむるべし。
女にして猶太教に改宗せんとする者ある時は、イスラエル人の女達彼女を水に浸すべし。教法學者等は戸外に立ち、其處より多くの掟を傳ふべし。然る時教法學者の前にて水に入らざるべからず。但し學等は直ちに面を背け、其處より立去るなり。
割禮なかりせば、神は晝と夜を創らず、また天と地をも創造し給はざりしならん。
改宗して猶太人となれる者は、同樣に猶太教に改宗せるその母或は伯母と婚姻するも差支へなし。改宗者は新たに生れたる者と見做され得る故なり。
〇三百六十五箇條の誡律の一つなりとも犯したる者は、直ちに除名さるべし。除名の期間は三十日以上とす。當該者懺悔を爲さずば、更に三十日間の除名刑に處すべし。而してなほ從はずば、更に三十日の間待ち、然る後追放の刑に處すべし。除名されたる者はある時は、何人も彼の四エルレ以内に坐すべからず。又彼と共に飮食し、祈るべからず。但し、その妻子はこの限りに非ず。彼もし猶太會堂に入り來らば、之を追出すべし。彼は身體を洗ふを許されず、髮を刈り、髯を剃り、靴を履く事をも禁ぜらる。追放刑に處せられたる人死せる時は、裁判官は、命じてその棺の上に石を載せしむべし。人々彼の爲に衣を裂きて哀しむ事なく、その死を悼むことなし。
教法師より告示されたる者は(例へば不遜なる言行の故を以て)、身を隱して自ら恥じ、人の前にては悲歎して笑ふこと無く、業務をも多くは爲す勿れ。
二十四項の罪あり、之に觸るる者は除名さる。例へば第八項、その地所を非猶太人に賣りたる者、第九項、非猶太人法廷に於てその隣人(即ちイスラエル人)に對し不當なる證言を爲せる者、等。
〇非猶太人の病人を見舞ふことは許される。・・平穩無事を保つ爲なり。猶太會堂に於て病人を祝福し、彼に新たなる名を與へる慣習あり。名前を改むる事は、神の決定をも取消す力ある故なり。
〇埋葬の濟みたる時は、死者のありたる家のみならずその近隣即ち兩隣三軒の家に於ても、直ちにすべての水を棄去るを慣習とす。その故は、死の使その血の滴を水中に落し、人それによりて死することあれはなり。
〇死者の部屋にては食すべからず。但し死者との間に仕切りを置く時は差支へなし。
〇婚約せる男の父死にたるに、既に婚姻の食事備はり、之を賣る事不可能にして腐敗の虞る場合、或は婚約の女の母死したるに、女の裝身品損ずべしと言ふ場合には、死者を別室に移し、新郎新婦は婚姻の席に行くべし。新郎は最初の××をなさば直ちに新婦より離るべし。而して婚姻の後七日間は宴を以て祝はれ、然の後服喪の日始まるべし。
〇アクムと奴隸の死は之を悼むこと勿れ。彼等の葬式の列に加はる事勿れ。
盜みの故を以て猶太人の法廷より死刑の宣告を受けたる者の爲には、危險なき限りその死を悼まざるべからず。
追放刑を受けし者の死せる時は、之を悼まず。背教者・裏切者に對しても同樣なり。近親の者非猶太人官憲により絞刑に處せられ、その身體なほ朽果てざる時は、親族の者はその事ありし町に留まるべからず。かく爲すは死者に對する侮辱なる故なり。
街上にて葬式の行列と婚禮の行列行き會はば、前者道を讓らざるべからず。
無事平穩のためならば、非猶太人死者の葬ひ、その遺族を慰問するも差支へなし。非猶太人の墓所は祭司を汚れしむる事なし。然れど彼處に赴かざる方更によし。 喪に服する者は、七日の間働くべからず、取引をなすべからず、浴し又は油を塗るべからず、靴を履くべからず、××すべからず、トーラを讀むべからず、また何人にも挨拶すべからず。頭をば布にて卷き、床を逆にすべし。三十日間は髯に手入をなし、髮を刈り、爪を切るべからず。

第三卷 正義の楯

〇現在に於ては、聖地に於て任命を受けざる裁判官と雖も、負債問題、相續問題、小なる刑事問題に關しては判決を下すも差支へなし。その隣人を傷つけし者ある時は、聖地にて任命を受けたるに非ざる裁判官それを裁くを得ず。もし人間、畜獸により傷つけられたる時は、聖地にて任命を受けし裁判官のみこの事件の判決を下すことを得。・・間接に加へられたる總べての傷害及び裏切者に對しては、いづれの裁判所も判決を下すことを得。各裁判所は、罰金支拂の義務ある者を、その義務遂行の完了の時まで、追放の刑に處すことを得。・・隣人を誹謗せし者は、各裁判所はこの者を追放の刑に處することを得。
〇民の不遜にして罪に沈めるを認めし時は、法廷は死刑又は罰金刑を宣告することを得。その裁判官約束の地にて任命を受けざる場合といへどむ、各法廷は死刑その他のあらゆる刑を宣告する權能を有す。當該事件に確證なき場合も同樣なり。法廷は民の放逸を制する爲に、その財産を所有主なき財と宣告し、よしと思ふところに從ひ彼を亡ぼす權能を有す。
〇法廷は三人以上より成立せざるべからず。而してこの三人は教法師たるの要なし。
〇何人も非猶太人の仲介により權利を得る事を許されず。
〇裁判人は總べて十八歳(十三歳と言う人もあり)以上たるべく、×部に少なくとも二本の毛を有せざるべからず。・・酒に醉へる者と雖も金錢問題に關しては判決を下すことを得。・・己より學識劣れる裁判者の許には出頭せざるも差支へなし。
〇法廷召集以前に告發者裁判人の許に來りて贈與を爲したる時は、被告はその裁判人を忌避することを得ず。裁判人多くの書記及び使丁を雇傭せるは、盜みをなさんとする者と同一なり。該地方民に對し多額の入費を生ぜしむる故なり。
〇法廷は被告に對し三囘の召喚状を出して後、更に一日を待ち、なほ彼來らざる時は、その翌日追放刑を下すべし。
〇教法師に關する問題は常に優先權を有す。教法學者は出來る限り寛大に取扱はるべきなり。
〇一人の被告に對し多數の告發者ある時は、被告の友人及び親戚彼の傍に坐するも差支へなし。彼の臆し惑ふ事なからんが爲なり。また告發者は一時に一人を限りて發言すべし。
〇アクム(非猶太人)の裁判官の手に依り或はその法廷にて訴訟をなすべからず。假令、彼等イスラエル人の法律に依る如くに裁くとも、また當事者雙方間にアクムの許にて訴訟すべしとの了解立ちたる時にも、かかる事をなすべからず。アクムの許にて訴訟をなさんとて行ける者は惡人にして、モーゼのトーラ(律法)を涜し、罵り、これに背ける者に等し。法廷は彼を罪し、彼がアクムの手をその隣人より除き去るまで、彼に除名の刑に附す權利あり。
〇イスラエル人を呪ひたる者は、三十九の毆打刑に處せらるべし。教法師を罵りたる者は、追放の罰を受くべし。
〇アクムが猶太人に對して貸金を有する場合に、このアクムに有利にしてイスラエル人に不利なる證言を爲し得るイスラエル人あるも、彼の他には一人の證人も無き時、アクム彼に對し己に有利なる證言を要求したりとせよ。もしその地方のアクムの法律がただ一人の證人の證言により貸金の請求をなし得と定むる場合に於ては、イスラエル人はアクムに有利なる證言をなすべからず。證言をなしたる時は彼を除名すべし。
〇罪人・盜人・強盜・利子を取りて金を貸す者、收税人・園丁・農夫・鳩を鳩舍より飛ばしむる者・博奕打・競馬をなす者等は證人として拒否さるべし。かかる事は盜みの一部なれはなり。
トーラ及びミシュナ(「タルムード」の一部)に精通せざる者は罪人の中に算へらるべし。自ら品位を汚せるもの、即ち市場に於て公衆の前にて食事を爲すもの、裸にて歩む者、非猶太人より公然と施物を受くる者も證人として拒否さるべし。 非猶太人及び奴隸も證言を爲す資格なし。敵・混血兒・裏切者・自由思想家・變節者(背教者、基督教の洗禮を受けたる者)はゴイ(非猶太人)より更に惡しけれは、同じく證言を爲すを得ず。
〇證人は一旦述べたる證言を取消すことを得ず。但し故意に嘘を言ひたる時はその損害を金錢にて償はざるべからず。
〇他の宗教に改宗したる者は、盜賊になりたると等し。
〇疑はしき借用證書は、豫言者エリア來りて裁決をなすまで、その侭になし置くべし。
〇七年目毎の釋放の年は、語りたる總べてのこと(約束・誓約・誓言)より人を釋放す。
〇非猶太人の證人たるところの證書は總べて無效なり。
〇證人は宣誓の際律法の書かれたる卷物(羊皮紙に書かれたる)を手に持つべし。教法學者は經牌を手に取るのみにてよろし。
〇妻より金を借りたる後離縁状を與へし時、或は奴隸より金を借りたる後その奴隸を解放せし時は、その妻或は奴隸に何物も支拂ふの要なし。
〇成人せる非猶太人奴隸は、牧者なく家畜の如し。
〇イスラエル人は非猶太人たるの權利を有することなし。但し非猶太人の不利となる場合は、この限りに非ず。非猶太人はイスラエル人の財産に對し所有權を有せず。
〇壁に面して放尿すべからず。手の幅三つ程隔たりてなすべし。
〇或人ヨーロッパより非猶太人を連れ來れる場合、或若干の都市に於ては之等の非猶太人の取引を爲すを禁ぜらる。隣人(猶太人)に損害を與ふる事無からん爲なり。非猶太人の財産は所有主なき財の如し。最初に來たれる者之を己が所有と爲す。
〇仲間の中より裏切者を除くべき時、各人その費用の寄附をなすべし。
〇或人、非猶太人より田地を買ひたる時は、その隣接地の者は何等の特典を有せず。或人、非猶太人に田地を賣り、或は賃貸せる時は、非猶太人のためその隣人の蒙る恐れある一切の危險の責任を負ひ盡くすまでは、追放刑に處せらるべし。
〇或仕事の協力者の一人が盜みをなし或は掠奪をなしたる時は、その利得を彼の協力者と分たざるべからず。但し損害を生ぜし時は、一人のみにて負擔すべし。金錢の取引を爲す者を雇ひたる時、この雇はれし者の拾得せるものは、總べてこの者の所有に屬すべし。この番頭もし支拂濟の貸金を今一度アクムより徴收せし時は、そは「拾得物」と見做さるるものなり。その理由は、支拂濟の手形は紙の價よりなきものなるが故なり。それ故にかかる金錢をアクムに返却せる番頭も、その主人に辨濟の要なし。但しかかる金錢は本來は貰ひおくべきものなり。・・非猶太人と共同して商社を營むべからず。
〇何物かを贖ひ出さん爲に勞務者を雇へる時は、贖ひ出されたる物は總べて雇ひ主の所有なり。但しもしこの勞務者、贖ひ出しつつある際に「我は之を己一人の爲に贖ひ出すなり」と言ふならば、この時以後彼は最早雇ひ人に非ずとなりて、贖ひ出されたる物は彼一人の所有となるべし。
〇或人アクムより金錢を受取らんが爲に使者を遣はしたるに、アクム誤りて過剩の金額を拂ひ渡せる時は、その總べては使者の所有となる。或人アクムと取引をなせるに、他の仲間來りて彼を助け、桝目・重量・數量にてアクムを欺ける時は、利得は二人にて分つべし。謝禮金を取りて助けし時も、無報酬にて助けし時も、いづれの場合にも然かすべし。
〇非猶太人は所有或は手附金支拂により何物をも己が所有となすことを得ず、賣買證書と全額支拂とによりてのみ己が所有となすべし。
〇土地・奴隸・動産を賣りたる者は、責任を負ふべきなり。例へば、或人來りて、賣却人の有せし負債の故を以て購買物件を買主より奪ひ行ける時は、買主は行きて支拂金額全部を賣却人より取り戻すべし。購買物件は賣却人の負債の故に持ち去られたればなり。但し購買物件を持去りし者アクムなる時は、王の命令或は法官の判決によりて持去りし時といへども、賣却人は損害賠償の義務なし。
〇アクムに對しては詐欺は成立せず。利未記十九章の十一節に「己が兄弟(猶太人)を欺くべからず」とあればなり。然れどもアクムにして猶太人を欺ける時は、詐取せる所のものを我等(猶太人)の法律に從つて返さざるべからず。アクムにして猶太人よりまされる扱ひを受くる事なからん爲なり。
〇アクムより家を借りるに際して掟に違ふべからず。背く者は追放の刑に處せらるべし。
〇其の地の居住者に非ざる非猶太人に何物も贈るべからず。贈物をなすは、特に良く知れる者に對してか、或は彼と平穩無事に暮す爲必要なる場合に於てなり。
〇非猶太人の法廷にて作成されたる讓渡證は無效なり。
〇アクムに贈物を爲せよと命ずる病人の言に從ふべからず。これあたかも己が金にて罪を爲せよと命ずるが如くなればなり。
〇非猶太人が平常居住徘徊する場所に於て遺失物を發見せし時は、之を返却するに及ばず。
〇葡萄園にて草食ふ牛を發見せし人は、それを所有主に牽き行くべし。但しその葡萄園が非猶太人がの所有なる時は、かく爲すに及ばず。
〇拾得物が誰の遺失物なるや不明の時は、豫言者エリヤ來りて決裁をなす時まで己が許に止め置くべし。
〇非猶太人の失ひたる物は、拾得者之を己が許に留め置くべきのみならず、返却することを禁ぜらる。その理由は、申命記の二十二章一節には「汝の兄弟の失ひし物は返却すべし」とあればなり。但し屡々非猶太人の物を返却し、或は盜難より免れしむるを要する場合あるも、そは無事平穩を期する時のみなり。
〇他人より盜みたる者は、所有主を探して盜取品を辨償する義務なし。所有主來りて彼の所有物を持去るまでは、それを手許に取り置きて差支へなし。
〇獸は非猶太人の所有にして、積荷はイスラエルの所有なる時は、手を貸すべからず。然れども、若し牛がイスラエル人の所有にして、積荷が非猶太人の物なる時は、之を助くべきなり。
〇非猶太人、イスラエルに田地を賣り、その代金は受取りたるも、賣買證書をイスラエル人に渡さざりし時は、その田地は、所有主無き財産と見做さるべきものなり。何人もこれを己が所有となして差支へなし。但し代金は之を先のイスラエル人に辨償すべし。
〇長子は他の年少の兄弟の二倍の金錢を受く。 多くの子を有する非猶太人にしてイスラエルの教に改宗せる時は、最初に生れし者を以て長子と見做すべからず。眼病の時その唾にて癒ゆるや否やにより、長子を判別すべし。
〇非猶太人は猶太教に改宗せし彼の父の相續人たるを得ず。また猶太教に改宗せし者も然らざる者の相續人たるを得ず。・・アクムに負債あるイスラエル人は、そのアクム死し、その事に就きて知れるアクム無き時は、その嗣子に支拂をなす義務なし。イスラエル人が非猶太人に改宗せる時も、彼はその親戚の相續者たり得べし。イスラエル人はまた背教者なる親戚の相續をもなし得。また夫は背教者なるその妻に代りて相續をなし得べし。
〇或人盜みをなせるに、他の人來りて盜品を運び去るを手傳ひし場合、この人には後者には罰金支拂ひの義務なし。或人彼の隣人に盜めと言ひて何物かを示し、或は彼を盜みの爲に遣はすとも、遣はしし者には罪なし。その理由は禁ぜられたる事を爲せとの命令は、無效なればなり。遣はしし者は、使者が斯かる事の使を爲すべしとは思はざりき、と言遁るを得べし。
〇既婚の女盜みをなししが、盜品は既に女の手許になく、また彼女に支拂ひの能力も無き時は、被害者は彼女が寡婦となり、或は離別さるるまで待つの他なし。・・盜品が盜人の許にて形を變へらるる時、例へば仔牛が牡牛となりたる如き時は、この變形の理由を以て該物件は盜人の所有となり、盜人は盜取當時の該物件の價格を支拂ふのみにてよろし。
〇イスラエル人、盜人より物を買ひて、他のイスラエル人に之を賣渡したるに、アクム來りて、己が許より盜まれたるなりと言ひ、アクムの法律に依り第二の買主よりその品物を奪ひ去れる時は、かの盜人の確かに判明し居る時は、第一のイスラエル人は第二のイスラエル人に金を返却すべし。然れども盜人の確かに判明し居らざる時は、第一のイスラエル人は第二の人にその金を返却するには及ばず。「恐らくアクム僞を言ひしならん」と言ひ得べければなり。
〇イスラエル人賃金を拂ひて王侯より集税權を得たる場合は、密賣を爲す者はこの集税權を有するイスラエル人より盜むなり。但し集税權を獲得せしものがアクムなる時は、密賣するも差支へなし。こはアクムに負債を支拂はざることに等しく、許されたる處なれはなり。金を支拂ひて集税權を得たるに非ざるイスラエル人は、脱税せんとするイスラエル人を強ひて税を支拂はしむるべからず。王侯、その人民中の一階級に對して法律を發布せる時(例へば利子を取り抵當を入れしめて金を貸すものに對し)、かかる王の法律はイスラエルに對しても效力を有すと認むべからず。勿論、非猶太人王侯の法律がイスラエル人に對して拘束力を有することはあれど、そは王侯がそれに依つて快樂又は利益を得る時のみなり。但しこれは、總べての場合に非猶太人の法律に從ふことを意味するには非ず。もし然する時は、猶太の法律は凡べて覆さるべし。
〇猶太人アクムに物を賣りしに、他の猶太人來りて、そは支拂ひし値に價せずとアクムに言ひたる時は、前者は後者に對し賠償の義務あり。
〇王侯ありてイスラエル人に酒、藁その他のものを差出せよと命ぜし時、密告者ありて王侯の許に行き、「見よ、然々の人、然々の場所に酒、藁を貯へたり」と告げたるために、人行きて之を奪ひ去るならば、密告者は辨償の義務あり。裏切者は、イスラエル人法廷より警告ありし時は、非猶太人の裁判所に訴ふべからず。イスラエル人又はその財産を非猶太人の手に渡し又は彼を裏切る事は、禁ぜられたるところなればなり。然れども密告者にして非猶太人により裏切られし時は、その非猶太人を裏切るも差支へなく、他に逃るる道なき場合は、その非猶太人を殺すとも差支へなし。裏切者は來世の生命に與る事なし。今日にても、密告者(裏切者)は何處にて殺すも差支へなし。彼が密告を爲す前に殺すも差支へなし。先づ彼に警告し、彼之を聽入れざる時は、何人も彼を殺すべし。かく爲す者はよき業をなしたるなり。彼の喉より舌を切り、或は彼の目を潰すもよし。警告の時間なき時は、警告をなさざるも差支へなし。團體を裏切りたる者は非猶太人に渡すべし。彼等この者を毆ち、獄に入れ、罰金を徴せん。或人逃げ隱れて、汝猶太人に對し負債を支拂ふを肯んぜざる時、猶太人この事を密告するならば、彼は甚だ惡しき行爲を爲せるものにして、密告せる者こそかの負債を非猶太人に拂はざるべからず。もしイスラエル人にして他のイスラエル人を明かに三度密告し、或はイスラエル人の金をアクムに裏切り渡せる時は、彼を此の世より除くべき手段方策を購ずるべし。
〇自由思想家及びトーラと豫言者を否む者を殺すは掟なり。公然と刀劍を以て爲し得る時は然なすべし。もし然か爲し得ずば、策計をめぐらして死に至らしむべし。例へば彼等の一人井戸に落ちしに、その井戸の中に梯子あらば、まづ梯子を引上げ「我は我が息子が降ろさんとす。梯子はその後に直ちに汝が許に持來るべし」と言へ。吾等と敵對關係に非ざるアクムは之を殺す要なし。然れども彼等を救ふ事は禁ぜらる。・・如何なる者をトーラを否む者と見做すべきかに就ては、有名なる教法師モシュー・バル・マエモン明らかに、「基督教徒トルコ人等これなり」と言へり。

第四卷 救ひの岩

〇各人(猶太人)は結婚し、子孫を生み、人間の數を増加する義務あり。この義務を怠りたる者は血を流せるに等しき者にて、神の似姿の數を減じ、神がイスラエルより顏をそ向け給ふ原因を作る者なり。この義務は十八歳を以て始まる。十三歳を以て始むるは更によし。但し之より早く爲すべからず。そは姦淫となるべければなり。然れども二十歳まで待つことあるべからず。然せば法律により強制さるることあるべし。一男一女を儲けたる時は、種族繁殖の義務を果たしたるものとす。但し男子は×××に缺陷なく、女子は不妊の徴なきを要す。イスラエル人は同時に幾人にても、養ひ得る限り多くの女を畜ふる事を得。但し賢者は、唯四人の女を持つことを勸めたり。一人の女子に少くも一度の〇〇の機會を得しめんがためなり。女子に對しては種族繁殖の掟は拘束力を有せず。
〇人間に對し或は獸畜に對し避妊の藥を與ふべからず。但し與へたる時も、笞刑を受けることなし。但し女はかかる飮物を攝るもよし。
〇祭司は離縁されたる者、娼婦、汚されたる女を娶る事を得ず。娼婦とは何人の事なるか。總べての非猶太人の娘、及び猶太人の娘にて婚姻すべからざる者と交りたる者は、裸となりたるのみにても、即ち最初に〇〇をなさんとせし時以後、娼婦たるなり。
〇女、動物と交るとも、娼婦に非ず。それ故に教法師も彼女と結婚し得べし。その故は、禁ぜられたる交りをなしたるに非ざればなり。
〇奴隸或は非猶太女より生れたる者の場合以外は、姉妹又は異腹の姉妹と交ることは誡律により禁ぜらる。
〇アクム女と肉體の交りにより婚姻せるイスラエル人、又はアクムと結婚せるイスラエル女は、誡律により三十九の笞刑を受く。女を買ひて偶々非猶太女と××せるものも、笞刑に處せらるべし。非猶太女即ち娼婦と××したればなり。その女彼の雇人(婢或は妾)なりといへども、笞刑を受くべきなり。
〇宵にも、曉にも××すべからず。眞夜中に之を爲すべし。公衆の居る所、燈ある所、及び晝間、また旅路にある時も、之を爲すべからず。好まざる時、彼またはその妻の酒に醉ひたる時、飽食せる時、空腹なる時も、妻と××すべからず。この誡律を守るものは、病となる事なく、絶えて醫者を要せざるべし。
〇女の住める己が家に番人を置く勿れ。かかる事に關しては、監視後見は役立たぬものなればなり。また家令をも置くべからず、彼により己が妻の誘惑さるる事なからんが爲なり。
〇アクムがアクム女を娶りたる後猶太教に改宗し、或はアクムとなりしイスラエル人が改宗後の宗教によりて婚姻したる時再びイスラエル人となりたる場合は、その結婚に關し顧慮するの要なし。故に女は離縁状なしに男の許より去るも差支へなし、假令永年の間同棲せりといへども差支へなし。かかる結婚は姦淫にすぎざるなり。
〇非猶太人より盜みたる物を用ひて女と婚約するは差支へなし。金錢或は婚約の書状は女の手に渡すを要せず、彼女の膝の中に、或は屋敷の庭、田畠の中に投入るるもよし。結婚をなすには紙若しくは陶器片に、「汝は我と結婚せり」と書き之を、二人の證人の前にて女に與ふればよし。離縁状も同樣にして與ふべし。××によりて女と結婚せんとする時は、二人の證人の前にて彼女に、汝はこの××によりわが妻となる、と言ひて、證人の目前にて彼女とともに赴くべし。然して自然的に或は然らざる樣にて××するを得べし。女子齡三年と一日に及びたる時は、父は之を××により婚約せしむる事を得。・・一時に多くの妻を持つ事を得るなり。
〇イスラエル人にしてアクム女若しくは奴隸を娶りし時は、この結婚は無效なり。彼女等は結婚の權なき者なればなり。アクム或は奴隸にしてイスラエル女を娶りし時も、同樣にその結婚は無效なり。花嫁の姉妹、他の宗教に改宗せし時は、婚約を破談となすことを得。
〇日曜日に結婚すべからず。
〇女その父の支配より離れし後は、未だ正式の結婚をなさざる時にも、その夫はこの女の第一の相續人たるなり。
〇同一日に如何程多數の女と〇〇するもよろし。然して之等の女總べてに對し通常の七つの祝福祈祷を唯一度唱へ與ふれば足れり。然れとも各々の女とそれぞれ相應に樂しまざるべからず。即ち處女とは七日間、既に××せし事ある者とは三日間を樂しむべし。
〇花婿、婚宴の費用を支拂はざる時は、花嫁の親戚、彼を強ひて支拂はしむるを得。
〇花嫁は婚禮贈物の證書を受取るまでは、花婿と唯二人となる事勿れ。證書に記せる贈物餘りに少き人の××は姦淫と見做さるべし。女は、死亡若しくは離婚以前に、女の持參金を讓渡するを得ず。女の持參金を受くる者は之に對しその女の扶養の保證を引受くる者なり。
〇もし土地の慣習ならば、最初の××に證人を立つべし。
〇仕事無き者は毎夜××すべし。町の勞働者は一週に二度、町以外に働く者は一度、駱駝を追ふ者は一月に一度、驢馬を追ふ者は一週一度、船乘りは六月に一度、教法師は安息日にのみなすべし。弱き者は何程爲し得るか試さるるなり。××は女の入浴したる日に爲さざるべからず。多くの女を持てる時は、之らを同一の家に住はしむるべからず。
〇夫、××を拒める時は、女に一週三十六銀の罰金を拂ふべし。之を支拂はざる時は、女は即時離婚を要求し、持參金の返還を受くべし。女、××を拒み、また彼と××するを厭ふ故に離婚されん事を願ふ時にも、女は持參金の返還を受くべし。然れども女唯惡意よりして××を拒みし時は、法廷は彼女に使を遣し、彼女に持參金を失ふべしと警告せしむべし。なほ聞かずば、猶太會堂又は學園に於て四月の間、某女はその夫に××を拒めりと告示せよ。然して後彼女は法廷により離婚さるべし。
〇その妻初めて捕はれし時は、夫は彼女を贖ひ出すの義務あり。然れどその爲に彼女の價値以上、即ちかかる女に對し普通拂はるる程度以上を支拂ふの義務なし。
〇女、永く病を患ふ時は、夫は持參金を返し、彼女を去らしむを得。
〇總べての女はその兒に授乳すべき義務あり。然れど離婚されたる時はその義務なし。もし自ら授乳せんと欲する時も、給金を受くるを得ず。
〇既婚の女を傷つけし時は慰藉料及び治療代をその夫に支拂はざるべからず。然れど苦痛・恥辱・美容毀損に對する罰金は、女の所有に歸す。
〇女の見付けし物は、夫の所有となる。
〇女は、その夫は之を自由になし得ずとの條件附にて贈物を受くるを得ず。但し、當該物件が彼女がそれにより身を裝ひ、飮み、又は好むままに振舞ふ爲に與へられたる場合を除く。 女、その夫に金錢を貸したる後、離婚されし時は、彼よりその貸金の返濟を受くる權利無し。
〇持參金は、その夫の死去の日若しくは離婚の日を支拂期日とせる手形の如きものなり。
〇法廷外に於ける誓言は、さまで嚴しからず。これ神により誓ふに非ず、又聖き物を手に取らざる故なり。よつて唯自己が身に呪禍を招くのみ。
〇月の穢れのめぐり正しからざる女その夫の許に留り得るや否やは、他の女達これを決すべし。
〇離縁を期しつつ女を娶るべからず。然れとも豫め女に向ひて、「吾汝と暫しの間婚姻すべし」と言ふ時は之を許さる。第一の女は、彼女に咎めありし時にのみ、離婚し得るも、第二の女は、好ましからざる時にも離婚し得。惡しき女又は品行よからざる女を去らしむるは、神の旨に適ふ故なり。
〇女、卵を燒きて之を食する程の間、他の男と唯二人にて居りし時は、姦淫の疑ひ充分なり。
賢者は命じて、イスラエル人はその女に對し嫉妬深くあれと言へり。その妻に對し嫉妬深き人は、清き靈のやどれる者なり。

二、著名なる猶太法師の言葉
一、アキバ法師

〇神、アダムとエヴァを總べての天使の面前にて結婚せしめたり。然る後兩人を宴に招き、選びに選びたる天國の珍味と美食とを饗したり。食卓は總べて價知られざる寶石より成れり。各石は長さ百エレ、幅六〇エレにして、美食の粹を以て滿たされたり。給仕の天使は種々なる肉類を焙り、酒を冷せり。
〇神の尊體の長さは二百三十六萬哩なり。即ち腰より上方に向ひては百十八萬哩、下方に向ひても百十八萬哩。首は十萬哩、眼の瞳は一萬一千五百哩、手は各々二十二萬哩にして、手の各指は二十萬哩。神の體を測る哩は通常の哩に非ず。神哩なり。この哩は千神エレなるが、このエレは四神指尺と手の巾一つとなり。然もこの指尺は世界の一端より他端に及ぶなり。
〇天國に於ては、千を千倍せる多數の天使立ちて、食事の間、敬虔なる人々の前に居て、口笛を吹き、提琴を彈じ、鼓を打ち、他の樂器を奏すべし。然して神はその座より立ち上り、正しき者等のために舞を舞ふべし。また、太陽も月陰も、さてはまた恆星も遊星も神の左右に座を占めて、正しき者等の名譽のため跳び躍らん。
〇神を拜せざる者の齒は三度毀たるべし。即ち、一度は此の世に於て、次はメシア來る時に於て、然して最後には來世に於て。然もイスラエル民族を喰ふ者の齒は、二十二エレの長さに伸ぶべし。 HH二、モシェー・バル・マエモン(普通哲學者マイモニデスとして知られる)
〇汝知るべし、イエスの教に從がひて迷へる基督教諸國民は、その信仰には種々あれども、悉く偶像禮拜者なり。故に彼等は偶像禮拜者相應に扱はるべし。これタルムードの説くところなり。
〇教法師を畏るるは神を畏るるなり。
〇猶太人より盜むべからず。
〇トーラを學ぶゴイ(非猶太人)は死罪に當る者なり。但し、七つの現世的誡律を學ぶはよし。
〇人(猶太人)は如何程多くの女を娶るも差支へなし。たとひ百人たりとも差支へなく、然もそれを一時に娶るも、相次ぎて娶るもよし。然して彼の(最初の)妻は、彼が之等の總べての女に對して食と衣を與へまた夫婦としての義務を果す能力を有する限りは、彼の所爲を妨ぐる能はず。
〇賢者命じて曰く、律法によりて禁ぜられたる以外のものを誓約又は誓言を立てて絶つこと勿れ、と。それ故に何人も、許されたる事を絶つことあるべからず。
〇決して偶像禮拜者と事を共にする勿れ。また彼等を憫むべからず。その故は、申命記七章二節にその如く記されたればなり。故に非猶太人が生命の危險に瀕するか、或は河に溺るるを見るとも、之を救助することは許されず。
〇利未記十九章十一節には、汝は汝の隣人に不法を爲すべからず、と記されたり。この文句は、ゴイ(非猶太人)がその中に含まれ居らざる事を明白に示すものなり。
〇拾得物をゴイに返却せんと思ふは罪なり。ゴイの紛失せる物は、之を己が所有となすも差支へなし。『汝の兄弟の物は總べて之を返却せよ』とタルムードに記されたる故なり。然るにゴイは兄弟に非ざる故に、拾得物を彼に返却する者は罪を犯すなり。かくなすによりこの世の神を拜せざる者の勢を再び増すが故なり。
〇ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。
〇汝殺す勿れ、との掟は、イスラエル人を殺す勿れ、との意なり。ゴイ、ノアの子等、異教徒はイスラエル人に非ず。
〇ノアの子にして離叛し、偶像を禮拜し、或は己が仲間又は仲間の妻を殺すとも、後イスラエルの信仰を受入るる時は、罪無き者なり。然も、イスラエル人を殺す時は、たとひイスラエル教徒となるとも、罪ある者にして、先のイスラエル人の故に殺さるべし。
〇タルムードの誡に於て神は命じて曰く、ゴイに金を貸すには必ず高利を以てすべし、と。これ、彼等が借りたる金により利する事なからんため、且つ又、我等が金錢にて彼等に助力を與ふることなく、むしろ損害を與へんがためなり。
〇第五十の誡は、偶像禮拜者を憫む事を堅く禁ず。
〇ゴイ、計算をなして過つ時は、イスラエル人は、我知らず、と言へ。然れどゴイをして過ちをなさしめんとするはよからず。ゴイ、イスラエル人を試みんとて故意に過ちをなすことあればなり。 HH三、ゲルソン法師
〇惡しき者(非猶太人)を憫むことは、正しき者(猶太人)に相應はしからぬ事なり。

四、ベハイ法師

〇アダムその妻エヴァと離婚せし百三十六年の間、常に女の天使と交はりしが、その間に男の天使生れたり。この男の天使エヴァと交りしが、その間に女等生れたり。
〇タルムードの「マコット」篇に於て教法師達が、聖書の文句(詩篇一四ノ五)はゴイ(非猶太人)にも關するなりと主張するは正しからず。その故はかの文句はゴイより高利を取るを禁ずるが如き命令を些少も含み居らざればなり。むしろこの文句は、ゴイに高利にて貸さざることにより詩篇十四に約束せられたる恩惠を受けんとする人々の取引方法をも束縛しまた困難ならしむるものと見做すべきなり。
〇總べてゴイは月經時の子にして、根絶さるべきものなり。
〇若し此の世にイスラエル人無かりせば、雨も降らず、日も昇ることなかるべし。之ら總べては唯イスラエル人のために行はるるものなり。
〇「汝は主なる汝の神が汝に與へ給ひしすべての民を喰ひ盡さん」との文句(申命記七ノ十六)は、今は亡き吾等の教法師達により次の如く解せられたり。即ち、すべての民を喰ひ盡し、すべての民より掠奪することは、彼等すべてが吾等の權力下に置かれる時に始まるべし、と。
〇教法師の言葉は、生ける神の言葉なり。
〇拾得物を紛失者に返却すべしとの誡は、猶太人に對してのみ守らるべきものにして、ゴイに對しては然らず。この事に就き今は亡き吾等の教法師達の言へるあり。即ち、「遺失物とはすべて汝の兄弟の失ひし處の物を指すものにして、ゴイの失へる者は然らず。その理由は、ゴイは神に屬する者に非ずして、地の邪神に屬する者なる故なり。故にゴイの失へる總べての物は、此の世にては再び見付けらるる事なき遺失物にして、その所有者に還るべきにあらず。財寶は唯イスラエル人にふさはしく、他の民は之に値ひせざるものなれはなり。これ豫言者イザヤ(二六ノ一九)の言へるが如し」と。
〇神を畏るる者は惡しき人(非猶太人)を憎まざるべからず。
〇僞善はこの世に於ては許さる。即ち、背神者に對し慇懃に爲し、彼等を敬ひ、彼等に向ひて「我汝を愛す]と言ふもよし。即ち、必要上止むを得ざる場合、恐怖に驅られたる場合は然り。
五、ヱルハム法師

〇若しゴイにしてイスラエル人に金を貸し、それに對して抵當物を受取りたるに、そのゴイ當該物件を紛失し、他のイスラエル人之を拾得せし時は、拾得者は拾得物をイスラエル人に返却すべきものにして、ゴイに返すべからず。ゴイ抵當物を紛失し、イスラエル人之を拾得せしにより、ゴイは直ちにその質權を喪失せるなり。
六、ヴェネツィア版ミトラシュ(一五一六年版)

〇教法師の日常の言辭も、誡律同樣に重んずべきなり。
〇誡律なくしては世界も存在し得ざる如くイスラエル人なかりせば世界は存在し得ざるべし。
〇レヴィ法師教へて曰く、神が世界の諸々の民を裁き給ふは、彼等が罪の中に眠れる夜の間に於てなり。しかもイスラエルを裁くには、彼等が掟を學ぶ晝に於て之をなし給ふ。
〇割禮を受けて生れし者十三人あり、即ちアダム、セツ、エノク、ノア、タラク、ヤコブ、ヨセフ、モーゼ、サムエル、ダビデ、ヨシア、エレミヤ、エリア之なり。
七、エリエゼル法師

〇メシヤ來る時代に於て各猶太人は、埃及より出で行きたるイスラエル人の數に等しき數の子孫を持つべし。埃及より出で行きし者六十萬人なれは、各猶太人はメシヤの時代の間に六十萬人の子を持つべし。
八、ミトラシュ・コヘレート

〇神言ひ給ふ、我は我が豫言者を畜獸に過ぎざる偶像崇拜の徒の爲に遣はしたるに非ず。人間なるイスラエル人の爲に遣はしたるなり。
九、イェシャ法師

〇世界は唯イスラエル人の爲にのみ創造されたるなり。イスラエル人は實にして、他の民は空なる穀皮のみ。從つてイスラエルの他に民族なし。彼等は悉く空皮に過きざればなり。
十、アハロン法師

〇東西南北の四方角なくして世界の存立し得ぬ如く、イスラエル人無くしては世界は存立し得ざるべし。
十一、「シュルハン・アルフ」の註釋書より。

〇聖書に「隣人」と記されたる個處はいづれも非猶太人を含まざるなり。
〇ゴイの家は獸と家なり。
〇ユダの族より出づる王メシヤはいと美しかるべし。彼は腰に帶して仇に向ひ戰に出づべし。諸王君侯は殺さるべし。彼の足は殺されし者の血により紅く染まり、彼の上衣は勇士の脂にて白くならん。彼の衣服には血飛散り注ぐべし。
〇神はその小指にて一群の天使を燒き亡したり。
〇その時イスラエル人と地の諸族は地獄に來たらん。其處にて地の諸族はは亡し盡され、イスラエル人は害を受くること無くして天國に昇らん。
〇エルサレム神殿の毀たれし時以來、神はその御座に在まさず。
十二、アバルバネル法師

〇この世界に於てはイスラエル人のみ存在の意義を有す。故に彼等は小麥に比べられ、他の諸國民は籾殼に比べられる。
〇選ばれたる民のみ永遠の生命を受くるにふさはしく、他の國人は驢馬に等し。
〇總べて之等の條項(三十箇條の猶太信仰箇條)を信ぜざる者は異教徒なり。故にかかる者を憎むは吾等の義務にして、彼を賎しみ、出來得べくんばその亡ぼしまた根絶するは當然の事なり。
〇イスラエルの娘に非ざる異邦の女は畜獸なり。
〇基督教徒は異教徒なり。彼等、神は血と肉なりと信ずる故なり。
十三、マイル法師

〇彼(神)は吾等の血縁にして、從がつて吾等は神の血縁者なり。而して神以外には假令天使達とだに血縁あるとは吾々の一切信ぜざるところなり。
〇世界の創造、樂園、生命の樹、智慧の木、樂園の四つの河等に關し記されたる事は、總べて文字通りの意味に解すべきなり。そは謎にも非ず。寓話にも非ず。吾等は決してかく考ふることをせず。又イスラエル人にしてイスラエル人と見做さるることを欲する者は、古の賢者が樂園に就き語りたるところを疑無き眞理に他ならずと信ずるの義務あり。そは譬喩にも非ず、誇張にも非ず。故に彼等の語りたる事は總べて疑はずして信ぜざるべからず。
十四、ナタン法師

〇天地の間に一人の天使あり、その名をミーと言ふ。この天使の職務は、主なる神をその誓約より解放することにあり。即ち萬軍の主なる神、評定に於て定めたる事を後に悔いし時は、此の天使ミーかの決定を取消すなり。
十五、ナフタリ法師

〇惡魔の長なるシェムエル及びリリート殺され、上下の基督教徒の燒盡さるる時は、イスラエルの國は全世界に及ばん。メシヤはイスラエル人の負債を悉く拂ひ給はん。
〇背神の猶太人、即ちイスラエル人を殺し或はイスラエル人の信仰より離れし者等は、死後草木又は禽獸と化せられ、その後十二箇月は地獄にて罰を受け、然る後新たに創造され、而して濟度されんがために輪廻して、先づ無生物となり、次に禽獸となり、次に異邦人となり、最後に再びイスラエル人となるなり。
〇惡魔と世界の諸民族とは、禽獸に數へらるべきものなり。
十七、アシ法師

〇犬は異邦人より勝れたるものなり。
〇基督教徒の中最も善き者を絞殺すべし。
〇若し法師、汝の右の手を左の手と言ひ、左の手を右の手と言ふとも、彼の言葉に違ふべからず。
〇世の民は地獄に墜つべし。
〇掟の言葉より法師の言葉を敬へ。
〇汝知るべし、法師の言葉は豫言者の言葉より美し、と。
十八、イスラエル文庫(パリ發行、一八六四年)

〇吾々はタルムードがモーゼの律法書に對して絶對的優越性を有することを認むるものなり。
十九、メナヘム・ベン・シラ法師

〇ネブカドネサルその娘を我に勸めて妻となせと言ひし時、我は答へたり。「我は人の子にして獸に非ざるなり」と。
〇汝等イスラエル人は人間なれど、他の民族は人間に非ず。彼等の魂穢れし靈より出でたればなり。然るにイスラエル人の魂の聖き靈より出でたるなり。
〇神は夜の間にタルムードを學び給ふ。
〇天上に於て困難なる問題の生ずる時、主なる神この世の法師達にも諮問し給ふ。
二十、ラバ・バル・ナハマニ法師

〇神アブラハムに言ひ給ふ、「僕はその主人の如くならば足れり」と。その時アブラハム問ひて言ふ、「何人の我に割禮を施さんとせしが、恐怖に襲われたり。彼年老いて弱かりし故なり。時に神自ら手を延べて、包皮を捕へ給へば、アブラハムそを切斷せり。吾等の祖アブラハム己れと家族の者總べてに割禮を施したる時、包皮を集めて積置けり。然るにそは、日の温熱により腐敗し、蛆蟲生じたる時、良き香料の匂の如き芳香を放ちたり。即ち、燔祭に投入るる良き香料の滿ちたる手の如き芳香を放てるなり。ここに神言ひ給ひけるは、「今より後アブラハムの子等罪を犯し、惡事を爲せる時には、我この芳香を憶ひ出し、彼等に憫みを示さん」と。
〇神が天上の學校に於て新しき命題を提示せざる日は一日も無し。
〇神はイスラエル人を審くには立ちてなし、尋問も簡單にして速かなり。世の諸民族を審く時は坐して、嚴格に長々と取調べをなす。
〇イスラエル人の祈祷は全能の神の限りなく悦び給ふものにして、そは香しくまた神の榮光となるものなれば、係りの天使サンダルフォンにより受入れられ、榮光の冠に編込まれて神の頭上に置かるるなり。
二十一、エリエぜル法師

〇割禮無き者と共に食する者(猶太人)は犬と共に食するに異ならず。
〇黒人が他の諸族と異る如く、イスラエル人はそのよき業の故に他の諸族とは全く異れる者なり。
二十二、アブラハム・ゼバ法師

〇イスラエル人はアダム(人間)と呼ばれん。然れども他の諸族はアダムと呼ばるることなし。
〇人間の獸に優れる如く、猶太人は他の諸民族に優れるものなり。
〇「世界は唯イスラエル人のみの爲に造られたり。」この文句は極めて明瞭なれど、人々は之をなほよく熟考しまた味ふべきなり。イスラエル人に掟の與へられし時、イスラエル人はその掟によりて種々の美點を悉く保持せしが、他の民は掟を受入れざりしにより之等の美點を全く有せざるなり。
〇イスラエル人は、他の總べての民に對し優越する者なり、他の諸族の中には賢く利き者唯一人も居らざるに、イスラエル人にあつては全部が特に賢く利き人間なり。
二十三、シェフテル・ホルヴィッツ法師

〇一人のイスラエル人の魂は神の前に於て他の民族全部の魂よりも價値多く、また神によつて悦ばるるところのものなり。
二十四、リプマン法師

〇エサウの子等は吾等が兄弟なり、と言ふ者あらば、我答へて、そは眞ならず、と言はん。彼等曾ては吾等の兄弟にして、彼等より高利を取る事も禁ぜられたりしが、今日に於ては彼等はかかる恩惠に浴する價値なきものとなれり。仇により神殿の毀たるるを見し時、吾等を助けざりし故なり。然のみならず、却つて神殿を毀つを助けたれば、彼等は吾等に縁なき者なること明らかなり。更に彼等は割禮を受けざる故に、自ら吾等の敵なりと思ひ居るなり。
二十五、キムヒ法師

〇掟は兄弟より高利を取るを禁ずれども、他の者より高利を取るは差支へなしとす。
〇基督教徒は偶像禮拜者なり。彼等十字架の前に跪く故なり。
二十六、アシェル法師

〇十字架は偶像禮拜に屬するものなり。
〇加特力教司祭が手に持つ銀の十字架及び香を焚く香爐は偶像禮拜に屬するものなり。
〇神殿の毀たれし以後、神にも安き時なし。天國に出で、正しき者等と談らふ時のみ、多少の慰めを感ずるのみ。
〇金曜日の夕の黄昏時に神は惡魔を創り給へり。然るに程無く安息日來りしにより、神は彼等の衣(肉體)を創るに到らざりしなり。また、彼等が肉體を受けざりしは、人間が肉體を受くる事を彼等好まざりし罰なり、とも言はる。
〇天使の主要職務は、夜、人間に睡眠を齎らすことなり。諸々の民の魂は惡魔より出でしものにして、畜獸の有する魂の如し。
〇神は猶太人の魂六十萬を創り給へり。聖書の各節は六十萬の解釋を有し、各々の解釋は一の魂と關係あればなり。
〇法師の言葉を嘲る者は、地獄の煮え立つ糞の中にて罰せらるべし。
二十七、ロイベン法師

〇偶像禮拜者は畜獸と呼ばるべきものにして唯最廣義に於てのみ人間と呼ばれ得るに過ぎず。
〇イスラエル人は人間と呼ばる。然れども偶像禮拜者は汚れし靈より出でしものなれば、豚と呼ばるるなり。
〇割禮を受けずまた安息日を守らざる者は人間に非ず。
〇天上にも地上と同じき數の高等なる學園あり。神も其處にて熱心にタルムードの研究に從事す。
二十八、シメオン・ハダルサン法師

〇他の諸族はイスラエル人と同じ姿を有すれども、眞の人間に比ぶれは模造に過ぎず。彼等は、ダニエル書四の十四・十七に記されたる如く、劣等なる種類の人間なり。之に對しイスラエル人はアダム(人間)なる語の眞の意味に於ける高き價値ある人間にして、この故にまた單に人間とも呼ばるるなり。
〇イザヤ書の註釋に曰く、神殿の毀たれし以後神は怪巨魚と遊び給はず。その代はりに學童にタルムードを教え給ふなり。
〇もしイスラエル人無かりせば、この世に幸福なかりしならん。これ申命記二八の八に記されたる如し。またイスラエル人無かりせば、天の諸星も昇らざるべし。これエレミヤ記三三の三五に記されたる如し。また地の上に雨の降る事なかるべし。これ申命記二八の一二に記されたる如し。
〇涜神者(非猶太人)の血を流す者は、神に生贄を捧ぐるに等しきなり。
二十九、法師の文書(フランクフルト・アム・マイン發行、一八六七年)

〇平穩無事を希ふ爲に涜神者を慇懃に遇する者も、彼に關し善き事を語る勿れ。また鄭重なる態度を示す際にも、注意して涜神者を眞に尊敬するものなりと人々の信ずる事なきやう心せよ。一般に慇懃を示す際には、その者の眞の功績の故に非ず、彼の富即ち彼の幸運の故にかく爲すといふが如くせよ。然しいづれにせよかかる事は罪にして、涜神者に慇懃になす事は、涜神者勢力を得て我々を害し或は我々に損害を與ふる恐れある場合のみに許さるるなり。但し人間(猶太人)の問題にて涜神者を襃め、彼に關し善き事を言ふべからず。

三十、「猶太祈祷集」より

〇(新年二日以前のもの)彼等非猶太人の評議を狂氣を以て惱まし、その思想を亂し給へ。彼等の君侯を狂氣ならしめ、彼等が吾々になしし如く彼等になし給へ。
〇(同じく新年の二日前のもの)汝の顏を隱さずして、呪はれし者等我等に抗い立ち、又狂氣じみたる協議をなして我等に害ある決議をなす時は、吾等の危きを見そなはし給へ。呪はれたる者達は、吾等が萬軍の主と呼ばるる吾等の救主に助けを求め、白と紅の衣をまとひ、數萬の武裝せる者に圍まるる吾等の友に寄り頼むを妨げんとす。而して救主の言葉を輕んじ、彼を苦しめ、賎しむべき偶像を眞の神として崇め、その像の前に身を屈め、之に仕ふべきなり、と言ふ。この汚れし死せる神は現はれて以來未だ幾何も無きものなり。故に之を神と等しく見做す理由は何處にありや。……呪はれし者共の肉體を亡ぼし、舌を硬く乾からびしめ、高慢心を卑め給へ。彼等是にて踏み蹂られんことを。彼の心は裂けよ。而して彼等貢ぎを納むる者とならんことを。
〇ゴイに復讎をなし、諸々の民を罰し、支配權を有せる涜神者の笏を毀ち給へ。偶像を亡し、汝一人盛んならんことを。

昭和十八年八月十日初版印刷
昭和十八年八月十五日初版發行(三〇〇〇部)

出版會承認い15077號
著作者 愛宕北山(あたごほくざん)
發行者 東京都麹町區霞ヶ關三ノ三
石山皆男
印刷者 東京都麹町區霞ヶ關三ノ三
ダイヤモンド社印刷部
神尾福太郎
(東東二三)
發行所 東京都麹町區霞ヶ關三ノ三
ダイヤモンド社
振替東京二五九七六
電話銀座四一五五
猶太と世界戰爭
定價 停 三圓 日本出版協會會員番號一一六五一〇號
特別行爲税相當額十五錢 東京都神田區淡路町二ノ九
合計 三圓十五錢 配給元 日本出版配給株式會社

 

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