開発するモノによっては、袋小路を出られない場合がある。

 ★阿修羅♪

安藤百福  日清食品創業者 日時 2001 年 8 月 30 日 12:28:08:


開発するモノによっては、袋小路を出られない場合がある。
しかしそれは常識のワクだけで、考えているためである場合が多い。

                   <安藤百福  日清食品創業者 >


セールスの分野で著名なエルマー・ホイラーがこんな例を紹介しています。
<ある会社から相談を受けまして、出かけていったのです。そこの販売部長さ
んからこんな話を聞きました。担当地域がどんなところであれ、毎年500万円
稼ぐセールスマンがいるというのです。このセールスマンは最初、どちらかとい
うと小さな担当地域を受け持っていたので、もっと大きなテリトリーに移せば、
もっと成績をあげるに違いないと会社は考え、その処置を講じたのですが、
その年のコミッションも500万円でした。しかし翌年は会社の方針でコミッシ
ョンの割合を増やしたので彼は前年より収入を増やすだろうと思っていたの
ですが、やっぱり500万円でした。ちょっとヘソを曲げた会社は最も割の悪
い地域を割り当てたのですが、この年に稼いだ彼のコミッションはやっぱり
500万円でした。ホイラーがそのセールスマンにあって話し合ってみると問題
はテリトリーにあるのではなくて、セールスマンが自分自身に下す自己評価
にあることが分かりました。彼は<オレは年間に500万円を稼ぐ程度の人間
なのだ。>と思い込んでいたのです。彼は割りの悪い地域を与えられると
500万円稼ぐのに一生懸命働いたのです。ところがいいテリトリーを与えら
れて500万円近い成績が上がると急に怠ける口実をみつけるようになり、
500万円という目標額が達成されると彼は病気になり、医者はどこも悪くない
と言うのですが、その年はそれ以上働こうとしなかったのです。しかし翌年度
の仕事が始まるまでには、奇跡的に治るのです。
            −−自分を動かす マクスウェル・マルツ 知道出版


安藤百福 (日清食品会長 '58チキンラーメン,'71カップヌードル開発 )

戦後の食糧難の中、人々の食を満たすことを夢見た日清食品の安藤百福
(ももふく)会長は、「ドンブリと著さえあればどこでも食べられるラーメン」と
いう発想から、自宅の裏庭で研究開発を進め、世界初の即席麺「チキンラ
ーメン」の発明を完成しました。1958年に発売が開始されたチキンラーメン
は、「お湯をかければできあがる魔法(まほう)のラーメン」と、たちまち大ヒ
ット商品になりました。ところが、チキンラーメンにそっくりの粗悪(そあく)な
模造品が続出し、即席麺のイメージを守るためにも、特許や商標の権利化
が待ち望まれました。やがて、1962年に製法特許が認められ、日清食品
以外には誰も味付け即席麺を作ることができなくなりました。しかし、特許を
独占したのでは、即席麺の発明が世の中に広まりません。即席麺全体の発
展のためには、多くの企業を参入させて市場を拡大することが大切です。
特許も永久に保護されるものでもありません。そこで、技術契約(けいやく)
のうえで特許を公開し、他の会社と競争しながら、さらに画期的な新製品の開
発に取り組みました。こうして日清食品は、次の「カップラーメン」という新製
品のアイデアを、ドンブリも箸(はし)もないアメリカで着想するに至ったのです。

(コメント)
以前イギリスに何ヶ月か滞在したことがあるのですが、滞在した家の子供が
おやつにカップラーメンを食べていました。よく聞くと、とても好きで、たくさん
買い置きしてあるといっていました。それを聞いて、日本のカップメンが世界
へ広がっていることを改めて思い知らされたことがあります。もし日清食品の
安藤氏が<どんぶりも箸(ハシ)もない、海外でインスタントラーメンなど売れ
るわけが無い>と決め付けていたら、これほどカップメンが普及することは
なかったでしょう。<インスタントラーメンは、世界中の人間に、受け入れら
れる>との安藤氏の強い信念が、インスタントラーメンを世界中に、広める
ことになったのでしょう。

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