〃全世界〃から〃前世界〃へ■現代オカルト戦略と古史古伝 別冊歴史読本 特別増刊14 「古史古伝」論争 新人物往来社 1993年


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投稿者 倉田佳典 日時 1998 年 9 月 23 日 14:49:23:

別冊歴史読本 特別増刊14 「古史古伝」論争 新人物往来社 1993年

〃全世界〃から〃前世界〃へ■現代オカルト戦略と古史古伝

新左翼運動が空中分解した七○年代以降、出版界を主な舞台にして跳梁したポップ・オカルティズムの正体とは何だったのか!?

久山信 評論家

図版 第二次ブントの分裂過程(1968−1971)
         ┌赤軍派[地下組織]・梅内グループ(連合赤軍)
         │         ・森グループ(連合赤軍)
         │         ・アラブ委員会(日本赤軍)
         │         ・在北朝鮮グループ
[第二次ブント]┬┴┬───┬────────────戦旗派
        │ ├叛旗派└12・18ブント┬関西派──┬赤報派
        │ └情況派       └鉄の戦線派└烽火派
        └旧マル戦派┬怒濤派
              ├前衛派
              └レーニン主義者協議会


新左翼の古代史観■

 連合赤軍の敗北が一つの時代の終わりを確実なものにしつつあった一九七二年春、市井に引きこもり、自著の出版活動に専心する一人の老歴史家のもとに、分厚い速達が届けられた。速達の中身は、潜伏中の赤軍派幹部、梅内恒夫自筆の原稿(コピー)で、後に梅内論文と呼ばれるものだった。老歴史家とは、学会からエセ史論として無視され続けてきた、いわゆる意外史観でファンも多かった故・八切止夫その人である。
 さて、当の論文だが、正式タイトルは「共産主義者同盟赤軍派よリ日帝打倒を志すすべての人々へ」というもの。共産主義者同盟とは略して共産同、通常、BUND(ブント)とドイツ語で呼ばれる新左翼の一方の雄。このころは二期目に入っていて〃第二次ブント〃といわれていた。一九六○年代終わりの大学や高校、街頭その他で全共闘各派の先陣を切って石や火焔瓶を投げまくっていた彼ら第二次ブントの最左派が赤軍派だが、その国内地下組織は実は二っあった。よく知られる連合赤軍をやがて形成することになる故・森恒夫率いる主流派と、七一年ごろ、この主流派とたもとを分かつに至る梅内恒夫のグループがそれ。「共産主義者同盟赤軍派よりー」は、全六万字に上る長大なもので、その全文については.映画批評』七二年七月号、『査証』四号その他を、また、論文公開に至る経緯については八切『アラブの戦い』二九七四年、日本シェル出版)あたりに当たっていただくとして、ここでは梅内が八切史観に着目するに至ったポイントだけ記しておくことにしたい。
 この論文で梅内は、マルクス主義革命論が階級闘争の主力とみなした〃先進国プロレタリアート〃ではなく〃第三世界の窮民〃こそが世界革命戦争への道を切り開くとし、そこから日本という先進国内部の窮民の始原を求めて歴史をさかのぼり、八切止夫の先住日本人(日本原住民)説に行き着く。いわくー

八切止夫は、部落民の差別の原点を大
化改新に逆のぽっておく。彼は、中国
と南鮮から高度の文明と武力を背景に
して侵略してきた「漢人(あやぴと)」
藤原氏との闘いに敗れ追放された先住
日本人「蘇我の民」の末裔として、未解
放部落民をとらえるのである。

 八切史観は実は、書かれた著作の時期によって、いっていることが目まぐるしく変わっており、読者が整合性ある通史を頭に描きにくい構造になっている。七四年に八切は三島敦雄の『天孫人種六千年史の研究』(一九二七年、スメル学会)を自説の都合のいいように改竄して『天皇アラブ渡来説』として発行、また、八一年には木村鷹太郎の『日本太古小史』(一九一三年、二松堂)を『海洋渡来日本史』としてやはり内容を一部改竄して「復刻」しているが、こうした仕事が影響してか、特に晩年は、スケールばかリが大きい半面、繊密さを著しく欠いたアバウトな筆致の著作が乱発されるようになる。例えば、『伝統と現代』(学燈牡版)六九年十一月号掲載の「叛逆論考」あたりを典型とする本来の八切説は、在野の史家、菊池

図版 八切止夫を支持した「梅内論文」の原文

山哉(さんや)の手になる〃別所〃や〃天の朝〃に関する諸著作をはじめ、江上波夫の騎馬民族日本征服王朝説、鈴木治の白村江戦をめぐる考証など、先に挙げた三島や木村といった戦前のパラノイアックな歴史捏造者たちの「研究」とは一線を画し、かつ史学中央の公認日本史とは相いれない硬質な諸学説を自在に操り、文字通り、現代日本を裏返す迫力があった。梅内が接した八切説も、当然このころのものである。
 梅内は八切を引いた手前、天皇家そのもののオリジン等に言及はしなかったが、彼の論文公表を機に「アイヌ」「琉球」などを軸とした第三世界論への関心とともに、当時の左派学生層の間に古代史熱が高まり、やがて、天皇家を外来とし、原住民的なるものの復権をもってこれを相対化する古代史観が彼らの間に広く滲透。五木寛之の『戒厳令の夜』なども、こうした流れの延長線上で同時代性を獲得、高い人気を博した。
 ところが、こうした、新左翼を中心に蔓延し始めた、やや結論のみを急ぎ過ぎたきらいのある、いささか脆弱な古代史感染症候群に、ある一つの立場からささやかなキックを与えることで、中長期的にみて何らかのイニシアティヴ獲得が可能とみた人物がいた。一つの立場とはポップ・オカルティズム、また、その人物とは後に八幡書店の社主となる武田洋一である。

ポップ・オカルティストの戦略■

 武田は一九五○年、京都生まれ。東大法学部卒業後、東京海上火災に入社するが、すぐに退社。京都に戻り、〃フーリエル伯爵〃の名でタロット占い師に。その後、再び上京し、七○年代中期よりオカルト誌の編集等、出版界を主な舞台にした独自のオカルト統合戦略を画策、現在に至るーー。
 ここで挙げた「独自のオカルト統合戦略」とは、あらかじめ確定された目的に沿って、一方で表立った衛生無害なオカルト諸領域に深く参入、毒を振りまきつつ、他方で極めてハードな客観的情報を流し続ける、というもの。方法論的には、ジャック・べルジュとの共著「神秘学大全ーー魔術師が未来の扉を開く』の抄訳一九七五年、サイマル出版会)で日本でも知られるルイ・ポーウェルが切り開いたフランス新右翼の対大衆戦賂を踏襲する形でまず単発の刊行物、続いて雑誌媒体、さらにオーディオテープ、ヴィデオソフトなどを活用、周辺領域をも逐次フォローしつつ、文化と情報の分野における一定の影響力の行使を謀る。武田とそのエピゴーネンをしてポップ・オカルティストを自称せしめるゆえんがここにある。そして、こうした既定方針にのっとり、彼らが着手した活動の第一弾が、古代史論議への(あくまでポップでアンチ。アカデミックな形での)介入だった。
 武田は、七五年から翌七六年にかけて〃前衛考古学評論家・武内裕〃と称し、今はなき大陸書房から『日本のピラミッド』『日本の宇宙人遺跡』『日本のキリスト伝説』という三冊の本を出している。三冊ともに タイトルが〃日本の〃で始まっていることにまず注意を喚起したい。そこには、戦前のファナティックな国粋史学者が、あたかも祖国が時間的にも空間的にも実際の日本からは到底想定し難い遠隔の地点に起源をもち、あるいはそれらと関連するとした、いわゆる偽史にひかれていく〃日本的狂気の構造〃が意図的に復元されている。
 三冊の中で読むに堪え得るのは『日本のピラミッド』だけで(もちろん、タネ本は一九三一年、酒井勝軍(かつとき)が自ら主宰する国教宣明団から出した『太古日本のピラミッド』、後に武田自身、有賀龍太の名前で書いた『黙示録の大破局一九八○年、ごま書房)などとともに「概念塑型における時代性の先取りという点で卓越している」(『遊』一九八一年五月号)と自画自賛した著作。同書に直接インスパイアされ、七○年代後半、京大UFO研究会を母体に近代ピラミッド協会というサークルが発足、『ピラミッドの友』というハイレヴェルのオカルト誌を五号まで刊行した。この『ピラミッドの友』からは、さまざまな人物が輩出しており、特に名前は挙げないが、例えば本特集執筆者にもそのメンバーが一人ぐらいは含まれているはずだ。
 だが、『日本のピラミッド』は、こうした半ばアカデミックな研究者を育成するために書かれたものではもちろんない。ターゲットの中心はあくまで、七一年の全国全共闘解体後、自らのブランキズムのやり場を失い、梅内論文や第三世界論絡みで古代世界に沈潜し始めた個々の「イデオロ−グ」たちにあった。彼らはそもそも「全世界を獲得するために」政治に投機した者たちであって、本来、世界性を有するファナティックな超古代史のたぐいは接してみればお好みのはずで、オカルティストの術策にはまった者も少なくなかったのではないか。この時期の武田を「新左翼の尖兵」という人★もあるが、話はまったく逆だったようだ。
 ところで、酒井勝軍といえば、日ユ同祖論の信奉者の一人として知られているが、『日本のピラミッド』における歴史観の根底にあるものもまた、この同祖論である。ただし、ここでの日ユ同祖論は一風変わった仕上がりになっている。いわく、太古日本は超古代文明の中心地として栄え、その住民は原ユダヤ人で、彼らは全世界を統治していた。いわゆるユダヤ人は原ユダヤ人から派生したもので、ユダヤ人にはマルクス、トロツキ−といった善いユダヤ人とロスチャイルド、ロックフェラーら悪いユグヤ人がいる。原ユダヤ人とは、一九四九年に楢崎皐月(ならさきこうげつ)が兵庫県六甲山系金鳥山中で「発見」した『カタカムナ文献』に登場するカタカムナ人のことである。一万年前の超古代文明崩壊後も日本に残った彼らカタカムナ人は八千年にわたる緩慢なる〃退化〃を経て、やがて大陸からやって来た天皇家率いる弥生人に征服された。後にいわれる縄文人とは、この〃退化〃途上にあったカタカムナ人のことである。
 以上が『日本のピラミッド』につづられた〃古代史〃の概要であるとともに、同書そのもののアウトラインである。ピラミッドなど実は、どうでもいい話のつまに過ぎない。通常の日ユ同祖論と大きく異なるところは、起源が日本の側にあること、天皇家とユダヤがイコールで結ばれていないこと、の二点である。『上記』や『宮下文書』『竹内文献』などの古史古伝(偽史偽典)に登場する前期王朝、ウガヤ朝も都合よくカタカムナ人に結びつけられ、天皇家は外来征服正朝として敵視されるが、これというのもいわば、想定された読者ターゲットに合わせたマーケティングに基づき、意図的に左翼的言辞を著作にまとわせた、とするのが今では一般的な見方だ。
さて、〃武内裕〃の対ポップ戦略の口火が切られた同じころ、武田洋一はその本名を表に出し、「ハ−ドな客観的情報」を流す新媒体の刊行に奔走していた。それはやがて、かつての秘境探検か何かの際者(きわもの)雑誌『地球ロマン』の復刊という形で成就する。ただし、新しい『地球ロマン』は秘境ではなく秘教、探検ではなく探究を分とする異端文化の総合誌だった。復刊『地球ロマン』は七六年から七七年にかけてほぼ隔月で全六号を発行、その輝く第一号の総特集はまたもや本邦超古代史、題して「偽史倭人伝」というものだった。後に武田は『季刊GS』七号で、四方田犬彦らのインタヴューにこたえ、『地球ロマン』がそもそも、澁澤龍彦や種村季弘といった人々による博物誌的な蘊蓄(うんちく)の世界でしかなかった日本における(六○年代以来の)オカルティズム(受容)の在り方への疑問から始めた媒体であることを明らかにしている。武田にとってはいわば、何らかのムーヴメントを想定した政治理論誌のつもリだったのだろう。『GS』のインタヴューで武田はまた、ポスト七○年安保ということで、空中分解した新左翼急進・主義の次なるヴェクトルが自然食やら超古代史に向けられるであろうことを了見、「そういう状況そのものを、うしろからポンと一押ししてやろうじゃないか、というそういう計算もすでにあのときあった」と、当時を回顧している。
 実際のところ『地球ロマン』復刊一号は、『上記』『竹内』『宮下』『九鬼』といった一連の古史古伝から『秀真』『カタカムナ』『易断』に至る、いわゆる偽史全般をまとまった形で一般に提示した最初のものだった。武田は同号後記で、次のような一文を記している。

偽史にまつわるエピソードを二つ。一
つは、数年前、赤軍派の梅内恒夫が地
下からのアピ−ルで『天皇アラブ渡来
説』の八切止夫を日本始まって以来の
人民歴史家と称賛、マルクス主義を放
棄し、ゲバリスタに志願したこと。一
つは、秦氏ユダヤ人説を信奉する手島
郁郎氏が、岡本公三を転向させたこと。
最も急進主義的な党派に属する二人の
人間の思想的転宗に、何等かの形で偽
史が介在したことは果して偶然でしょ
うか?

 偽史をめぐる武田の関心の所在がよく分かる文章である。ただ、岡本公三(七二年五月の日本赤軍によるロッド空港銃撃戦の生き残り戦士。なお、日本赤軍は赤軍派アラブ委員会を母体とする在中東軍事組織)は、当時接見した手島郁郎(イスラエルとの強力なパイプで知られる原始福音連動の主宰者)にほだされ、キリスト教に回心、転向したわけでは必ずしもない。もちろん、手島が岡本に日ユ同祖論を吹き込んだ可能性は、場所柄からいって十分あり得るが。しかし、どうせなら、当時、すでに知己を得ていたかどうか知らないが、やがて武田とは同盟関係に入る神理研究会・金井南龍提唱の白山王朝前期王朝説とからめて「赤軍派の北朝鮮亡命グル−ブが、白山神界の聖地、白頭山の霊的加護のもと、王朝国家をつくった金日成の霊統に連なった事実」とか、ハッタリをかました方がまだましだったのでは。武田が敬愛する考古学者、鳥居龍蔵(りょうぞう)によれば、契丹人は観音の所在について、長白山(ちようはくさん)(白頭山)山上にあると考えていた(朝日新聞社『鳥居龍蔵全集』第六巻所収「遼の上京城内遺存の石人考」)というから『神碩叙伝(しんしょうじょでん)』(契丹秘史)とからませることもできたはず。いや、これはほんの冗句、話を先に 進めよう。

受け皿をなくした理論体系■

 一九七七年の『池球ロマン』休刊後、武田洋一は、武田益尚の名で『UFOと宇宙』誌の編集長に就任するなどしていたが、七九年、『地球ロマン』の霊統と遺産を発展的に継承するとされた『迷宮』を創刊する。創刊第一号では「資料・戦時下の偽史論争」と題し、『公論』一九四三年九月号誌上での座談会「偽史を懐(はら)ふーー太古文献論争」を転載、戦前、神代文字や偽史を排斥し、記紀に盲従した日本浪漫派系知識人こそが、日本に国家社会主義的な神話体系をもたらし得なかった元凶であることをほのかににおわせている。
 結局『迷宮』は、八○年に第三号を出し、休刊するが、木村鷹太郎論、高橋巌インタヴュ−などが予告された第四号が出るかどうか判然としていなかった八一年初め、武田は、当時、差別オカルト・オナニー・マガジンとして名をはせた自販機本『ジャム』の後を継いだ『へヴン』廃刊号のインタヴュ−で『迷宮』の刊行コンセブトを聞かれ、次のように答えている。

十万人の社会民主主義者に読ませるよ
りも、三百人のファシストに!これ
が『迷宮』のキャッチフレ−ズや。(……)
わしらのいうファシストとは、一般市
民の間ではボルシェヴィキの概念に近
い(……)つまりは光の子(イリュミノ
イド)。霊的な能動性を持っている超人や。
多大な金を使って(『迷宮』を)全国にバ
ラまいとるんは(……)その超人を育て
るための布石のわけよ。

 ほかに、このインタヴューでは、神智学の創始者H・P・ブラヴァツキーを引き、「原住民というのは根源人種が退化したもんやがな」と発言。今や名実ともに皇道派に転身した、日本におけるトロツキズム運動の先駆者で、このころは左翼エコロジストだった太田竜が当時展開していたカタカムナ人と日本原住民を重ね合わせる理論作業(『日本原住民史序説』一九八一年、新泉社)に水をかけ、根源人種としてのカタカムナ人にこそ意味があり、そこから霊的な大束亜共栄圏も見えてくると語ってそれまでの対左翼オマージュを自ら清算、公然と民族派にエ−ルを送っている。そして、このエールにこたえたのが、常弘成という男である。
 常は七○年代には黒色戦線系のアナキストだったが、八○年に新右翼、一水会に加盟。当時、その名ばかりが喧伝された国家社会主義者同盟(ファシスト・ブント)の牛嶋大輝との交流を経て、八三年、このころよリファースト・ネームを〃崇元〃と改めた武田とともに新秩序研究会を発足させている。常と武田は同年、一水会の機関紙『レコンキスタ』の北一輝生誕百年記念特集号で対談、北にちなんでか、左翼エコロジストに対抗して仏教徒ブント「菩薩党」を建党する必要などが語られているが、この特集号製作には実は「第二次ブント極小派」といわれた、旧マル戦系三分派の一つ、レ−ニン主義者協議会(L協)系列の高校フラクションを取りまとめていた南方健三という人物(徳島オカルト研究会の代表でもある〃四国のミニコミ王〃小西昌幸主宰の『ハードスタッフ』誌十号で三多摩黒へル高校生部隊に関する資料復刻を監修)が関与している。ついでに書いておくと、一水会にあって特異なテクノ・ファシストとして知られる清水浩司は、第二次ブントの主流派、戦旗派の元活動家である(旧第二次ブント関西派・同志社大グループによる政治理論誌『季節』九号に右翼軍事論を執筆)。
 さて、新秩序研究会のその後である。この、東京・早稲田のとある事務所に巣くっていたまったく実体を伴わない「組織」からは八四年夏、『嘆きの天使』という準機関誌のプレゼンテ−ション版が出ているが、その直後、二人の間に金銭トラブルが発生、散開を余儀なくされている。その少し前に出たある音楽パンフの中で、汎アジア根源人種共同体実現を日指すオカルティスト独裁に向けて「昨年、日本民族主義運動の最良の部分とともに、出口王仁三郎の未完の世界革命を継承するものとして日本新秩序連動を組織した」と鼻高々に公言した武田にとって、この「散開」はショックだったようだ。以後、武田は、いかなる左右のイデオローグとも〃合作〃することなく、よく知られているように、『大石凝真素美全集(おおいしごりますみ)』に始まる八幡書店での出版事業と、これをフォローする執筆活勤にほぱ専念。八九年には出口王仁三郎の孫・十和田龍の娘と結婚、大本閏閥入りを果たす一方、日大芸術学部・武邑光裕を窓口に八○年代中期から進めてきた霊的進化に向けてのマン=マシーン・インタ−フェイス技術の開発(ホロフォニック、シンクロエナジャイズ、メガ・ブレインの各システムで)財政面での立て直しを側りながらも、一時伝えられていた『迷宮』の後を継ぐとされる『秘教列島』誌の発刊には至っていない。
 実際のところ、ファナティックで難解を極める理論体系の受け皿がどこにもない今、もはや、あらゆる意味で〃戦略〃が成り立たなくなっているのだ。過ぐる八二年、『地球ロマン』『迷宮』の流れと先に述べた『ジャム』『へヴン』のコンセプトを退行的に(「退行的に」に傍点・・・・)合体させたという雑誌『デコード』のプレミア・エディションが武邑の編集で出ているが、同誌の創刊=廃刊をもって日本におけるボッブ・オカルティズムの歴史はすでに終わっているのかもしれない。
 それにしても、七○年代から八○年代にかけて、トロツキストやアナキスト、特に第二次ブント系各派出身のグル−プ、諸個人が偽史・オカルティズム・新右翼という一連のシンジケ−トに急接近した事実をどう考えればいいのか。偽史について一ついえることは、「全世界」とは詰まるところ「前世界」であって、革命と古代史、特に世界革命と超古代史は、これらに没入する人間の自己狂信化の速度とストイシズムにおいて実によく似ているという点だ。この意昧で、ボッブ・オカルティストたちは、「ボンと一押し」する相手を間違えてはいなかったようだ。

図版 『地球ロマン』復刊第1号
   『迷宮』創刊号

★−SF作家朝松健の国書刊行会時代の回想録「魔都物語叩ーーオカルト界で今何が起きているのか」(一九八六)での発言。SFファンジン『イスカーチェリ』二十八号に掲載後、魔術サ−クル誌『ホルスの槍』四号に再録。ここでは、〃霊的著作権〃なるものを盾に内外のオカルト又献の独占を謀る武田と、その盟友で故・竹中労のご落胤とのうわさもある武邑光裕の真偽不明の〃所業〃が記されている。


転載者 注
この『「古史古伝」論争』は再編集ものだが、この論文は再録ではなく、書き下ろしの模様。




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