聖骸布にはキリスト復活の真相が隠されている(『歴史読本』臨時増刊'84-9)

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投稿者 SP' 日時 2000 年 9 月 24 日 16:37:52:

回答先: 東京でトリノの聖骸布展〜実物大写真を展示〜9月25日から 投稿者 FP親衛隊國家保安本部 日時 2000 年 9 月 20 日 20:31:55:

キリストは復活した! しかしそれは聖骸布にキリスト像が現れるという、布のうえだけでの復活であった!?

志水一夫(科学解説家)


 ●キリスト復活の証拠?

 数あるキリスト教の奇跡の中で、最も重要なものは、何だろうか?
 それは、キリストの復活である。
 というのは、キリスト教の聖典『バイブル』(聖書)の中では、人はキリストの復活を信じることによって、地獄に落ちることなく、罪から救われるとされているからだ。
 たとえば「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」(ローマ人への手紙一〇−九)という風に。
 ところが、この肝腎なキリスト(イエス)の生涯については、四つの「福音書」(『新約聖書』のキリスト伝)以外に、ほとんど資料がないのである。そのために、一時はキリストその人の実在性が疑われたことさえあった。
 だからもし、その「福音書」の真実性を裏付けて、キリストの復活を証拠立ててくれるような何か物的証拠があれば、その価値は計り知れないものとなるに違いない。
 そしてこれこそその証拠、いわば“第五の福音書”だと言われるのが、「トリノの聖骸布」である。何とこれは、キリストの遺体の天然写真だというのである!!
 フィアットの工場があることで知られるイタリアのトリノ市。ここの聖ヨハネ大聖堂に保存されている、表面に一人の男性の前面と背面の全身像がうっすらとネガ状に浮き出た、長さ四メートル三六センチ、幅一メートル一〇センチほどの布。これがキリストの死んだ時にその死体を包んだ布だと言われる、トリノの“聖骸布”(“聖衣”という訳は誤り)である。英語でシュラウドまたはホウリー・シュラウド、イタリア語でシンドネ、ギリシャ語ではシンドンと言う。
 聖骸布が発見されたのは、一三五三年、フランスのリレイでのことで、同地の名家シャルニー家の所蔵物の中にあったのである。一四五三年、サヴォア家(後のイタリア王家)に寄贈され、イタリアのシャンベリーに移された。現在もハッキリ残る大きな焼け焦げのあとは、一五三二年の同地での火災によるものである。
 一五八八年には現在の所在地トリノに移されているが、しかし、この聖骸布が大きく世間の関心を集めるようになったのは、一八九八年のことである。
 この年、セコンド・ピアという弁護士が、聖骸布を写真に写した。するとその写真のネガには、当時の写真が赤外線部分によく感光したためだろう、肉眼ではハッキリ見えなかったキリスト像が、きれいに浮き出ていたのであった。

 ●すべてはキリストに一致する

 はたして聖骸布は、本当にキリストの死体をくるんだものだったのであろうか?
 本物説を唱える人々は、そこに写っている人物が、驚くほどキリストによく似ていることをあげている。そのいくつかを以下に列記してみよう。
 “彼”は十字架につけられた
“彼”の手首と足の傷に注目してほしい。これは、“彼”が「福音書」のキリストのように十字架につけられたことを示している。特に傷が手のひらではなく、手首にあることは重要である。一般に十字架刑の釘は手のひらに打たれたと思われているが、実験の結果(!!)、それでは身体の重みで手が切れてしまうことがわかっているのである。このことは、一九六八年にエルサレムで発掘された十字架刑で亡くなった人の遺骨とも共通しており、少なくとも、このことを中世の人々が知っていたという証拠はなく、像の解剖学的な正しさとともに、聖骸布の中世偽造説の大きな否定要件となっている。
 “彼”は四〇以上むち打たれていた
『旧約聖書』の規定では、むち打ちの数は四〇を越えてはいけないとされている。だが“彼”の身体には一二〇ほどのむち打ちのあとがある。「福音書」によると、キリストをむち打ったのは、ユダヤ人のように『旧約聖書』の規定にしばられない、ローマ兵であったという。
 “彼”は十字架を背負った
“彼”の肩の下の所に、かすり傷のようなものがある。これは“彼”が十字架を背負って刑場へ運ばされた跡だと言われている。中世の絵画などでは十字架をそのまま背負って運んでいるように描かれているが、聖骸布の傷跡は、十字架の横棒だけを運んだようになっている。もちろん、近年の歴史家によると、後者の方が正しいのである。
 “彼”は茨の冠をかぶせられた
“彼”の頭のまわりは、たくさんの血(分析の結果、血液型はAB型であった)の流れた跡があるが、これは「福音書」のキリストのように、茨の冠(中世の絵画にあるようなローマ式の冠ではなく、実際は帽子のようなものだったらしい)をかぶせられてその上をたたかれた跡だと言われている。歴史上キリスト以外に茨をかぶせられて十字架につけられた人物の記録はないという。
 “彼”は胸を刺された
 胸の第五と第六肋骨の間に、槍で刺されたような傷跡があり、そこから流れた血の跡の中に、黒っぽい所と、やや明るい所とがある。これは「福音書」の記述とよく一致する。すなわち「しかし、ひとりの兵卒が槍でその脇を突き刺すと、すぐ血と水とが流れ出た」(ヨハネ伝一九−三四)。ここに言う“水”はリンパ液のことだろうと言われる。
 “彼”はすねを折られてはいない
「福音書」によると、キリストと一緒に十字架につけられた人々は、早く死なせるために、兵隊たちによって足のすねを折られたという。一九六八年に発掘された遺骨もそうなっていた。しかしキリストはもう死んでいたようだったので、すねを折られることはなかった。
“彼”も、すねを折られていない。
 “彼”は長く包まれてはいなかった
 もし聖骸布が“彼”を長期間包んだままにされていたならば、死体とともに腐ってしまうか、そうまではならずとも、シミだらけになってしまったに違いない。「福音書」によると、キリストが墓の中にいたのは、金曜日の夕方から、日曜日の朝早くまでの、三六時間ほどであったという。なぜなら、彼は“復活”したのだ、とされているからである。

 ●それでもトリックなのか

『ポピュラー・フォトグラフィー』という雑誌がある。アメリカの一流の写真雑誌だ。その一九七八年一一月号にジョー・ニッケルという人の聖骸布に関する記事が載った。彼はその記事の中で聖骸布は偽造だと主張している。
 彼によると、このようなものを作るのは、一四世紀のフランスの技術でも不可能ではなかったと言うのである。
 彼はまず浮彫りの彫刻を用意した。それに湯にひたした布をぴったりとくっつけて、それが乾いたところで、沈香(アロエ樹の樹液)と没薬(ミルラノキの樹脂)の粉末とを半々に混ぜ合わせたものを、別の布で彫刻の出っぱった所につけてやった。すると沈香が酸化してほどよくセピア色に染まり、聖骸布にソックリの像が布に浮き出てきたというのだ。
 この程度の技術なら、一四世紀にも不可能ではなかっただろうし、この説だと聖骸布に筆や絵の具の跡がないことも説明できる。 やはり聖骸布は中世の偽造物なのであろうか。
 いや、ことはそう単純ではない。というのは、聖骸布が一四世紀よりはるかに古いと思われる証拠があるからである。
 たいていの人は、聖骸布の顔を一目見て、すぐにキリストを思い浮かべるが、これはなぜだろうか。
 それは、いろいろな絵画に描かれたキリストの顔によく似ているからである。だが、五世紀の中頃までは、キリストの顔は現在とは全く違って、ひげをそった美青年風に描かれていた。どうしてそれが、急に変わったのか?
 それは、六世紀頃シリアとトルコの国境の町エデッサ(現在のウルファ)にあったキリストの顔が写った布(マンディリオン)の写しがたくさん出まわったからである。ビザンティン(東ローマ帝国)風の聖像の中のキリスト像がみな同じような顔をしているのも、そのためだと考えられている。とりわけその古いものは、額の所に髪の毛がたれており、これが現在の聖骸布の額にある茨の傷から流れ落ちた血の跡にソックリであることは注目される。これらのことから、ケンブリッジ大学の歴史学者イアン・ウィルスン教授は、マンディリオンこそ、折りたたまれた聖骸布だったのではないかとしている。
 だが、こういう歴史的証拠は、間接的なものにすぎない。本当に重要なのは、科学的証拠であろう。
 その一つは、聖骸布に使われている布である。研究者たちによると、その材質や杉綾織りと呼ばれる織り方は、キリスト時代の中東で使われていたものと同じであるという。
 また、一九七三年に、スイスのチューリッヒ科学警察研究室の元所長マックス・フレイ博士が、聖骸布についているほこりを採取して分析してみたところ、その中からエルサレム周辺に生息する植物の花粉を発見することができた。同時に、トルコ周辺地域に生息する植物の花粉なども見つかっており、前記ウィルスンの歴史的な研究を裏づける形になっている。
 さらに一九八〇年にアメリカのロヨラ大学神学部教授フランシス・フィラス神父が発表したところによると、“彼”はユダヤの埋葬の習慣通り目に硬貨を載せてから聖骸布にくるまれており、その硬貨の跡が聖骸布に写っているという。しかもその硬貨は、西暦二九年から三六年の間(キリスト処刑は三〇年)に、ローマ支配下のエルサレムで用いられていたものであることまでも判明したというのである。キリストを処刑したユダヤ総督のピラトその人が発行していた硬貨だったのだ。偶然そう見えるだけだという人もいるが、このことはその後コンピューターによる再調査でも確認されている。
 中世フランスの一芸術家が聖骸布を偽造したとした場合、古代織の布はともかく、硬貨やはては遠方の地の花粉までも入手することができただろうか。恐らくは、そんなことを考えつくことさえ不可能だったのではなかろうか。
 こうしてみてくると、やはり聖骸布は本当にキリストを包んでいた布だと考えざるを得ないように思われてくるのである。

 ●キリスト復活の真相!?

 実は、沈香と没薬が聖骸布の像を作る原因になったのではないかという説は、ニッケルが最初ではない(彼もこのことには言及している)。というのは、「福音書」にもある通り(ヨハネ伝一九−三九)、当時のユダヤ人の間では、埋葬する時に沈香と没薬を死体にぬる習慣があったからである。
 このことに最初に注目したのは、フランスの画家で物理学者のポール・ジョウゼーフ・ヴィニョーンである。今世紀初頭のことであった。彼は死体から出るアンモニアの蒸気がアロエ等を変色させたのではないかと考え、物理学者のルネ・コルソンとともに実験をして、一応の成功を収めることができた。だが、この説には一つ欠点があった。死体から出るアンモニアの量は、それほど多くはないのである。
 しかしその後、水分によっても同様の変色が起きることが明らかになった。たとえばミラノ大学の法医学者ジョヴァンニ・ユディカ=コルディリア教授らは、一九三九年に発表された実験で、沈香と没薬を使って、聖骸布ほどではないが、かなりよく似た画像を得ている。しかも、同氏によれば、死体から出る水分によって聖骸布のような画像を得るには、三〇〜四〇時間が最も適当であることがわかったという。それ以上長くなると、薬の変化が進みすぎて、一面同じ色に染まってしまうというのである。
 また一九八二年には、セイバスチャーン・ロダンテという人が、汗に少量の血が混じっていた場合の方が上手く像が浮き出ることを発見している。そしてこの場合も、やはり三六時間前後がちょうどよかったという。
 なお、一九七七年に、写真の明暗を距離に変換する宇宙観測写真分析用のVP・8というコンピューター装置によって、聖骸布から立体像が得られているが、アメリカの光学物理学者サミュエル・ペーリコーリ博士が沈香等を用いて作った“自分の指の聖骸布”をこの機械にかけてみたところ、やはり立体像が得られたという。
 聖骸布の像の成立原因については、他に熱説、光説、放射線説等が出されてきているが、いずれも充分な説明とは言い難い。キリストの復活の際にそういうものがキリストの身体から出て像を写したのだろうというのだが、そういった焦げつきの類だという説は、紫外線検査によって否定されているのである。
 結局これまでの説の中では、水分または血と汗によるアロエ等の変色説が最も無理がない説明だと言えるようである。特に「福音書」でキリストが墓の中にあったとされる時間と、水分等が薬を変色させて像を作るのにちょうどよい時間とが一致することは、大いに注目されなければならないだろう。
 さて、ここで一つの疑問が生じる。
 キリストが埋葬された時に布に包まれたことについては、四つの「福音書」のどれにも書かれている。ではなぜ、その布にキリストの姿が写ったことは書き残されていないのであろうか。
 この疑問を持って「福音書」をひもとくと、一つのことに気がつくはずである。それは、聖骸布の像の話のかわりに、キリストの復活の話が出ているということである。
 あるいは、キリスト復活の物語は、聖骸布にキリストの像が写っていたことが原形となってできた伝説ではなかろうか。
 キリストの復活を信じる人々は、キリストが刑死したあと一度力を失った信者たちが、再び急に活発に布教・伝道を開始するのは、復活があったからだとしか考えられないという。だがそれは、布の上の復活だったのかも知れないのだ。
 しかも私には、この“布の上の復活”は、あらかじめキリスト自身によって仕組まれていたもののように思われてならない。それを解く鍵は、謎に包まれているキリストの青年時代にあるのだが、残念、もう許された紙面が尽きてしまった。この辺の詳細は、また次の機会にゆずることにしよう。



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