“浪花のおかん” ミヤコ蝶々さん死去(朝日新聞)

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投稿者 FP親衛隊國家保安本部 日時 2000 年 10 月 12 日 16:25:14:

漫才に芝居に、大阪の「お笑い」の先頭に立って、全国的な人気を博してきた“浪花のおかん”、ミヤコ蝶々(みやこ・ちょうちょう、本名・日向鈴子=ひゅうが・すずこ)さんが12日午後1時7分、慢性腎不全のため大阪市の病院で死去した。80歳だった。自宅は大阪府箕面市桜ケ丘1の10の43。
東京・日本橋生まれ。離婚した父親と4歳のとき関西へ。7歳のとき、芸好きの父が蝶々さんを座長に「都家蝶々一座」を結成。国内各地から中国、朝鮮半島を巡業し、楽屋を学校代わりに育った。
1943年に吉本興業に入り大阪に定住。戦後の48年、夫の南都雄二さんと組んで女性上位の漫才で売り出した。その後、ラジオの「漫才学校」の校長役、20年続くことになるラジオ・テレビの「夫婦善哉」の司会役などで、人気者になった。58年の雄二さんとの離婚後もコンビは続け、2人で松竹新喜劇入りしたこともある。
73年に雄二さんが亡くなったころから芝居で活躍。日向すゞ子の名で脚本・演出も兼ね、遺産相続がテーマの「おもろい一族」、老後問題を扱った「ぼけましておめでとう」、生まれて初めて丸刈りの尼僧役に挑戦した「雪のぬくもり」など、人情劇に社会性を加えた「蝶々喜劇」を作り出してきた。芝居の最後には客席を爆笑に巻き込みながら時事問題などを語りかけるトークショーがあり、これを楽しみにしているお客さんも多かった。
大阪・道頓堀の中座に76年以来、毎年出演していた。去年4月には新作「泥の中にも花が咲く」を予定していたが病気で中止になり、連続公演は23年で途絶えた。中座もまた同年10月末で閉鎖になった。
今年3月にはテレビ番組の収録で顔を出し、秋には全国を回るトークショーの予定があり、「温めているテーマがある」と、芝居への意欲を見せていた。しかし、春ごろから持病が悪化し、入院生活を余儀なくされていた。
紫綬褒章などを受章。郵政大臣賞なども得た。著書に自伝「女ひとり」などがある。
(16:10)



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