麻生幾「ドキュメント強制捜査」(文藝春秋1995年5月号)

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投稿者 YM 日時 2001 年 1 月 17 日 01:16:24:

麻生幾「ドキュメント強制捜査」

文藝春秋1995年5月号
ドキュメント強制捜査
日本治安史上に残る「史上最大の作戦」
麻生幾

「オウム真理教に対する一斉家宅捜索は、三月二十二日早朝に、警視庁捜査第一課六
百六十名と機動隊一千名を動員し敢行する。国松(孝次)長官のOKも得た。ただし不測
の事態を想定し、これから、すみやかに防衛庁に対して、戦闘用防護衣と化学防護衣
及びその他の必要な防護装備の貸与を要請せよ。捜索前日までに、警視庁機動隊と捜
査一課捜査員による、装着訓練と準備を行え」
三月十七日午後、ほとんどのマスコミが気づかない
中、昼から開かれていた警察庁幹部会議で、垣見隆・警察庁刑事局長がこう結論を下
した。
日本の警察当局もかつて遭遇したことがない、不気味なカルト集団に対する大規模な
突入作戦は、警察庁の奥の院で極秘にGOサインが出されたのである。

テレビや新聞を見た国民は、防毒マスクや迷彩服に身を包んだ捜査員の姿に驚愕した
はずだ。しかし、この捜索がどう決定されたのか、しかも捜索の二日前に発生した
「地下鉄サリン殺傷事件」とどういう関係があったのかについての真相は、まったく
公表されていない。
実は捜査当局内部では、日本の治安史に残るほどの「史上最大の作戦」が密かに進行
していたのだが、当局がこの作戦を決意するまでの道のりは、決して平坦なものでは
なかった。
警察首脳部がオウム真理教の存在を意識したのは、一九八九年十一月、横浜市在住の
坂本堤弁護士一家が失綜してからだ。
当初、神奈川県警察本部は、坂本弁護士と教団側とのあいだでトラブルがあったこと
や、自宅にオウム真理教のプルシャ(バッジ)が落ちていたことなどから、オウム真理
教と何らかの関係があるのではないかと見ていた。しかし、この失踪事件の捜査は、
オウム真理教との関連がなかなか浮かび上がらず長期化。この段階では、「あくまで
県警内での事件で、警察庁から特別な指示がなされることはなかった」(県関係者)
という。
しかし警視庁では、この事件の直後、捜査一課の「特殊係」が密かに動き出
していた。
特殊係は本来、誘拐事件などで活躍するのだが、「信者の脱会を
めぐるトラブルが幾つか発生していたこともあり、警視庁としても東京都内で事件が
発生することを想定して、捜査一課の"情報部"でもある特殊係が、オウム真理教に対
する情報収集を開始したのです」(警視庁関係者)
九二年四月。警察庁は、全国都道府県警察本部に対
して、極秘に通達を出した。
〈社会的に問題が発生している新興宗教団体に対して情報収集を実施せよ〉

この段階では警察庁刑事局も、オウム真理教が発行する公刊物やマスコミ報道を追跡
する程度だった。

松本を密かに訪れた検事
そして、昨年の六月。長野県松本市で多数の死傷者を出した「松本サリン事件」が発
生した。第一通報者である会社員が、まず疑われたのは周知の通りである。
ところが事件の数日後、東京高等検察庁から検事と事務官二人が密かに松本
を訪れていたことはほとんど知られていない。マスコミが会社員を追い回すのを尻目
に、東京高検公安部に属する検事は、まったく別の目的で松本に入っていた。STRONG>
「現場近くの官舎に住む裁判官が三人も重軽傷を負ったことで、検察庁内に大きな衝
撃が走りました。そしてすぐに、この裁判官がオウム真理教の土地トラブルにまつわ
る裁判を担当していたことに重大な関心を寄せ、オウムとの関係について独自に調査
班を派遣したのです」(検察庁関係者)
サリンとオウム真理教との点と点を最初に結びつけたのは、検察庁だった。<
/STRONG>この事件から一カ月後の七月九日。山梨県上九一色村のオウム真理教の施設
のうち、「第七サティアン」と呼ばれる建物から異臭が流れ出したことで、住民が被
害を訴えるという事件が起こった。警察当局が付近の土を採取し、警察庁科学捜査研
究所で調べたところ、サリン製造の際の副生成物が検知され、しかも松本サリン事件
で現場に残留していた副生成物とほぼ一致したことが判明する。この報告を受けて、
警察庁刑事局は緊迫した。
さらに、教団の機関誌がサリンについてたびたび言及していた事実も報告された。た
とえば松本サリン事件が起きる三カ月も前の機関紙「真理インフォメーション」で、
〈神経ガスが実験目的で、一般に使用される可能性が充分考えられる〉
と記されているほか、四月、五月そして八月にも、サリンや神経ガスといった言葉が
何度も出てくるのだ。警察庁首脳部は色めきたった。折りも折り、宮崎県小林市の旅
館経営者が「親族のオウム真理教信者らに拉致され軟禁された」と宮崎県警に告訴す
る事件が起こった。昨年九月のことである。
宮崎県警は捜査一課を総動員して捜査に着手。この報告を受けた警察庁首脳部はつい
に決断を下す。オウム真理教がトラブルを起こしている関連県警本部の捜査第一課広
域捜査官を密かに東京に集め、垣見刑事局長が口頭で指示したのである。
「全国でトラブルが生じている事態をこれ以上、放置できない。オウム真理教に対し
て、着手できるものから(捜査に)入るので、捜査に全力を傾けてもらいたい」
併せて、オウム真理教に関するすべての事件は今後、稲葉一次・警察庁刑事局捜査第
一課広域捜査指導宮室長を"中央指揮センター"のヘッドとし、各県警本部との連絡・
調整・指揮を行うことを決定した。この段階から、オウム真理教摘発作戦は、警察組
織をあげての大がかりなオペレーションとして動き出していたのである。
その後も東京で極秘会議が行われているが、メンバーの中に長野県警が参加
していた
ことからも、この作戦が松本サリン事件との関連を念頭に置いたも
のであることは明らかだった。警察庁捜査第一課は十一月、
陸上自衛隊の化学兵器と防護方法の専門部隊である大宮化学学校に密
かに接触して、サリンなどの神経ガスについての本格的な情報収集を開始した。この
間、垣見警察庁刑事局長は防衛庁の村田直昭防衛局長に協力を打診している。

警察に対する"挑戦状"
明けて九五年一月初め。関連する都道府県警察本部捜査第一課の広域捜査 官が警察庁
に集結し、オウム真理教に対する捜査状況についての報告がなされる。
そして同月、長野県警の捜査本部に驚くべき情報が飛び込んできた。
「人に話したら笑われると思って今まで通報しませんでしたが、実は松本の
現場近くで、宇宙服のようなものを着た複数の人物が目撃さ
れています」

証言者は現場近くの住民だったが、この証言から、犯行グループは化学防護服に身を
包み、現場でサリンを調合していた可能性が高まった。
さらに同月。警察庁首脳部を驚かせる事件が起きた。東京都中野区にある警
察学校前の警察官宿舎の一つ一つのポストに、オウム真理教の機関紙「契約の書」が
投げ込まれた
のだが、この事件も未だに公表されていない。
〈サリン事件の真相に迫る!〉と題された機関紙には、オウム真理教が米軍などの航
空機やヘリコプターから毒ガス攻撃を受けているとし、麻原教祖の次男が毒ガスに
よって皮膚が冒されたとする写真まで掲載。さらに上九一色村のオウム施設内で、毒
ガスによる信者の被害が続出しているなどと詳細に書かれていた。
警察庁首脳部は、これをオウム真理教の警察に対する〃挑戦状〃と判断した。
「つまり、すでに我々は米軍などからこれだけの弾圧を受けている。警察も弾圧する
な、という挑戦的メッセージと判断しました。毒ガスによる被害が教団内に続出して
いることを自ら認めるという、異常な"思考回路"に驚かされると同時に、オウム真理
教がサリン生成に深く関わっていたのではないかという疑いをさらに強めることに
なったのです」(警視庁関係者)
そして二月。警察当局は決定的な情報を入手する。
警察庁刑事局は昨年来、上九一色村の施設についての調査を繰り返し、写真撮影まで
行っていた。重点的に撮影したのは異臭騒ぎのあった「第七サティアン」で、その壁
からは化学工場のようなパイプが何本も突き出ている。
二月初旬。警察庁刑事局の幹部は極秘のうちに、ある機関
と接触している。
その機関に第七サティアンから突き出ているパイプ
や周辺施設の写真について照会したところ、
「サリンなどの神経ガスを実験用に製造している西側の化学兵器軍事研究施設のプラ
ントとそっくりだ。従って、ここはサリンなどを製造するかなり大がかりな化学兵器
工場であり、貯蔵施設である」
とズバリ回答してきたのである。
さらに長野県警が昨年九月以来、サリン製造に必要な化学物質の流通ルートとオウム
真理教との関係に絞って再捜査したところ、二月になって二つがピタリと一致する。
オウム真理教の信者が役員を務めるぺーパーカンパニーが、サリン製造にあたって最
初の化学物質として使用する劇薬「三塩化リン」を十数キロ(ママ)
購入していたことを、書類などから確認したのである。この十数キロの三
塩化リンは、すでに上九一色村の教団施設に運び込まれている事実までわかった。
さらに警察当局は、上九一色村から逃亡してきた信者を保護。この信者の協力によっ
て、詳細な内部情報を初めて得ることができた。第七サティアンに大規模な化学工場
施設がある可能性が高いことが改めて確認されたのである。
三件の重大情報によって、警察庁首脳部は早期の摘発が必要という意見で一致し、ご
く少数の幹部で検討した結果、「宮崎の資産家拉致事件が一番筋がいい。この事件を
突破口にして、オウム真理教の全施設に対して家宅捜索に入る。その後、全国で発生
している事件についても波状攻撃をかける」
という方針がほぼ決定される。しかし宮崎県警から「もう少し事件を固める必要があ
る」との回答があったため、Dデーは統一地方選挙明け早々という結論に
なった。

ところが二月二十八日、東京都品川区の公証役場事務長が
「私がいなくなったら、オウム真理教に連れていかれたと思ってくれ」というメモを
家族に残したまま、車で拉致されるという事件が発生した。警視庁は、犯行に使われ
た車がレンタカーであることを突き止め、その申込用紙からオウム真理教信者の指紋
を発見する。事件発生からわずか数日という早技だった。
自信を持った警視庁は「すぐにでも山梨(上九一色村)に行けます」と警察庁に報告し
たが、警察庁は「この事件はきちんとした態勢が必要。あわてるな」と一度はたしな
めた。しかし、
「警視庁の寺尾捜査一課長が『マスコミが警視庁を突き上げてくるんで、これ以上、
持ちこたえられない。指紋が一致したこともあり、体面的にも警視庁でやらせて欲し
い』と警察庁に泣きを入れた、というのが真相です」(警視庁刑事部関係者)
そこへ、警察庁首脳部をさらに震憾させる事件が起こる。三月十五日、東京・霞ヶ関
の地下鉄駅構内で、不審なアタッシェケースが発見されたのだ。一時は警視
庁の爆弾処理班
まで出動する騒ぎとなったが、中身が爆発物ではなかったた
め、新聞も小さく報道するに留まった。
「しかし警視庁では、このアタッシェケース事件に重大な関心を寄せたのです。中身
は超音波振動による自動式の噴霧器で、極めて精巧に作られており、単なるイタズラ
ではないことは明らかでした。この噴霧器の中にサリンなどの神経ガスを入れれば、
構内中に噴出し、多数の死者が出ることも判った。さらに仕掛けられた場所が、霞ヶ
関駅構内のA2出口付近で、利用客の大半は、警察庁と警視庁関係者です。
警察庁では「『これは警察当局に対する二回目の挑戦状であり、いつでも毒ガスによ
るテロを行うだけの力がある、とのメッセ一ジでもある』と分析し、非常に緊迫しま
した。警視庁首脳部の頭には、オウム真理教の名前がまず浮かんだことも否定しませ
ん」(警視庁関係者)

オウムとの戦闘状態を想定
こうした不穏な雰囲気の中で、冒頭に紹介した三月十七日
の極秘会議
が行われたのだ。警視庁最高幹部の一人が証言する。
「会議では、Dデーについての論議が沸騰しました。警視庁刑事部は『すぐにでも家
宅捜索をやりたい』と主張し、いったんは二日後の十九日
に決まりかけた。
ところが、警察庁首脳部は、上九一色村の施設に劇物
があるこ とが確認されているだけでなく、大がかりなサリン工場がある可能性が高い
と判断。未確認ながら銃器類を所持しているとの情報もあったうえに、カルト教団と
いう未知の集団を相手にするマニュアルがなかったために会議は緊迫しました。機動
隊を大量動員するだけでなく、『かつてない重装備が必要で時間がかかる』という結
論になり、Dデーは翌週の三月二十二日と決定した
のです。

会議のあと、すぐに防衛庁と接触し、陸上自衛隊の化学防護隊から戦闘用防護衣四百
五十着と化学防護服五十着を借用すること、そして警視庁機動隊三百人と捜査一課捜
査員二十名を、十九日に陸上自衛隊朝霞駐屯地に派遣して、装着訓練を行うことを決
定しました。この時はまだ、機動隊員の規模は一千名程度と考えていたのです」
陸上自衛隊の資料によれば、テレビに映しだされた迷彩服が戦闘用防護衣で、防護マ
スクと併用して身体を完全に被い、有毒化学剤などの身体への浸透および付着を防止
できる。また化学防護衣は、正確には化学防護衣4形と呼ばれ、防護マスクとワン
セットで身体を被い、有毒ガスやフォールアウト(放射能塵)などによる汚染地域の偵
察または除染作業時に使用する。これは六・六キロもの重さがあるという。
二十日午前八時過ぎ、予想外の事態が生じた。日本のみならず、世界中を震憾させた
「地下鉄サリン大量殺傷事件」である。ある警視庁幹部は、一報を聞いてすぐに十五
日のアタッシェケース事件が頭をよぎった、と証言する。心配していたことが現実と
なったのだ。
しかもオウム真理教の家宅捜索を二日後に予定していたのだから、タイミングは最悪
だった。警視庁刑事部捜査員が語る。
「オウム真理教が奇怪な組織であることは承知していましたが、サリンの脅威に対し
て、捜査一課のほとんどの捜査員が実感していなかったというのが現実です。
テレビなどで被害者の悲惨なありさまを見て、多くの捜査員は声が出なかった。しか
も、犯行時刻が八時すぎ。霞ヶ関の他の官庁とは違って、警視庁だけは出勤が八時半
であり、さらにA2出口を利用する人間を狙うように仕掛けられたことにショックを
覚えました」
発生直後の午前八時五十分。警察庁は防衛庁に対
し、「地下鉄日比谷線で有毒ガスがばらまかれるという事件が発生したので、化学防
護隊の専門官を派遣していただきたい」
と要請。
防衛庁の衝撃も大きかった。登庁したばかりの村田防衛局長は、東
京都知事から化学防護隊の災害派遣要請を受けることを想定して、早々と準備を開
始。まず官庁間協力として、午前九時四十五分には医官六名と看護婦六名を二名一組
で、警察病院、両国田島病院と聖路加国際病院へ急派した。
警視庁は連続テロを警戒していた。
「午前九時五十五分、防衛庁に対して、戦闘用防護衣と化学防護衣三千五百着分の追
加貸与の要請が行われました。連続テロを警戒するといっても、化学防護衣
などがないと対応できません。
そして、追加貸与を要請したもう一つの理由
は、この事件で警察庁首脳があらためてサリンの威力に強い衝撃を覚えたからです。
二日後に迫ったオウム真理教に対する強制捜査のためにも、相当な装備と態勢が必要
だと判断したのです」(警察庁刑衷局幹部)
午後三時。首相官邸で、治安関係の各省庁の局長クラスからなる内閣合同情報会議が
開かれた。本来の会議のテーマは北朝鮮問題だったが、古川貞二郎副官房長官の指示
によって急遽、地下鉄サリン事件に変更した。会議では、疑いのある団体として、早
くもオウム真理教の名が上がっている。
防衛庁からは化学防護隊の出動態勢についての説明が行われ、警察庁は上原美都男外
事課長を会議に参加させて、ロシアとオウム真理教との関係に言及。オウム真理教の
ロシア進出の経緯や、この教団がロシアからオーストリア経由で購入した輸送用のミ
ル17ヘリコプターを上九一色村の施設内に所有していることなどが説明された。
そして警察庁では、広域捜査指導宮室長が指揮する対オウム真理教捜査チームを、そ
のまま地下鉄サリン事件の総合対策本部に組み込ませた。総合対策本部の会議では、
地下鉄サリン事件で捜査線上にあがったのは、オウム真理教だけであった。
同じ日の夕刻から始まったオウム真理教に対する警察庁幹部会議は、最高度に緊迫し
た中で行われた。会議では、マスコミがオウム真理教との関連で取材を始めたことで
重要資料が散逸する恐れがあるとして、できるだけ早く強制捜査に入るべきだとする
一方で、準備不足からくる不測の事態や信者の集団自殺を恐れた。
結局、装備態勢を大幅に増強することを決定、オウム真理教へのDデーを予定通り二
十二日に最終決定したのである。
「この結果、さらに関東管区機動隊から八百名を増強するという、一刑事事件の家宅
捜索としては空前の規模となりました。
公証役場事務長拉致事件で令状を取り、二十一日夜にまず管区機動隊八百名が上九一
色材近くに入って準備態勢を敷き、これに二十二日早朝に現地入りする警視庁機動隊
と捜査一課捜査員が合流。東京の関連施設十ニカ所に午前六時に突入し、静岡県富士
宮市の本部と上九一色村の施設には、午前七時に踏み込むことを決めたのです。
捜索時には、戦闘用防護衣を着用し、防毒マスクも必要に応じて着けるように指導し
ました」(社会部記者)
さらに言えば、警視庁はオウム真理教との"戦闘状態"さえ想定した計画をたてていた
のである。警視庁幹部が証言する。
「警視庁では、オウム真理教の上九一色村施設にどれだけの化学物質があるかについ
ては過小評価していました。ただ、ずでに購入したことを確認している三塩化リンな
どの分量から考えても、相当なサリンが製造されている可能性がありました。そのた
め警視庁が、最悪のケースとして、オウム真理教と機動隊及び捜査員との"戦闘状態"
を想定したマニュアルを作成していたのは事実です。
警察が踏み込んだ時、オウム側が万が一サリンなどを捜査員に向かってばらまいた
り、所有しているヘリコプターを強引に飛ばして上空から捜査員や機動隊員に対して
サリンをばらまくといった攻撃を真剣に想定してマニュアルを作り上げたのです。銃
器による攻撃も予想し、防弾チョッキを大量に用意した。逃げてきた信者の証言か
ら、銃を製造している形跡があることを掴んでいたからで、ロシアとの関係も不気味
でした。
我々の覚悟は相当なもので、かつてない修羅場になるのではないかと、その緊張感は
言葉で言い尽くせないほどでした」
マニュアルでは、さらに最悪のケースを想定し、オウム真理教がサリンを含む有毒化
学剤などや、機関銃などの重火器で攻撃してきた場合の対応についても決められてい
た。

治安出動を準備した防衛庁
まったく知られていないことだが、防衛庁でも、治安対策では戦後初めてという
総動員態勢を組んでいた。
防衛庁の態勢については、ほとんどの新聞報道が、
〈警察の手に負えない場合は、自衛隊の治安出動が一時検討されたが、治安出動の選
択肢は早い段階で見送られた。ただ陸上自衛隊東部方面隊などでは、現場で化学物質
などが飛散した場合、災害派遣の準備はしていた〉
としているが、これは事実に反する。
実は、防衛庁は治安出動作戦を練り上げていた。東部方面隊は、災害派遣の
準備以外にも、大がかりな治安出動を想定した計画に組み込まれたものであった。

自衛隊の準備態勢はまさに"戦闘状態"を想定したもので、「自衛隊発足以来、初めて
経験する事態」(陸自幹部)である。家宅捜索三時間ほど前の二十二日午前三時五十五
分には、陸上自衛隊の「陸乙般命第二七号電・陸上自衛隊幕僚長指示第三号」によっ
て、「不測事態対処体制確立」が発令された。
治安出動はどういう形で行われることになっていたのだろうか。
統合幕僚会議幹部や陸上自衛隊幹部などの証書を総合すると、まず東部方面航空隙で
は、家宅捜索の直前に偵察用ヘリOHなどを上九一色村の上空に飛ばし、現地を偵察
する。そして、もしもオウム真理教の信者がサリンをばらまくなど捜査員に対して攻
撃に出た場合の各部隊の対処方法が、こと細かに決められていた。
上九一色村だけではない。首都圏でも、暴発したオウム真理教の信者によるテロが起
こることを想定した厳戒態勢が敷かれるとともに、治安出動の大規模な準備態勢を整
えていたのである。
事実、家宅捜索前日の夜七時、東部方面隊(第一師団、第二師団、方面航空隊)は、二
十四時間出動可能な第三種非常勤務態勢に移行していた。夜十一時四十分に
は、化学防護小隊(十二名)が山梨県駒門に到着して準備態勢に入っている。

そして家宅捜索庭前の四時四十分、偵察用ヘリCH-47の一団(十七機)が待機を完了。
五時三十分には、立川と木更津の方面航空隊基地で、UH・OH・AHなどの偵察ヘリ二十
五機が待機を完了している。
特にAHヘリは対戦車用の攻撃武装ヘリで、自衛隊がいかに「不測の事態」を想定して
いたかがわかる。
九時十五分には、オウム真理教の家宅捜索のために派遣され、野外手術シス
テムまで用意された東部方面隊の「第一治療隊」六十二名が北富士地域に到着。自衛
隊中央病院から派遣された医官八名と合流した。これに続いて、第二治療隊五十名以
上が派遣されている。

しかし、結局、恐れていた事態は起こらず、二十三日午後三時、「陸乙般命第二九号
電」によって〈不測事態対処態勢解除〉が行われたのである。
何も起こらなかったではないか、という批判は結果論にすぎない。警察力をも上回る
危険な組織に対処できるのは自衛隊しかいない、という現実から目をそらせてはなる
まい。
そして、無差別テロの恐怖はまだ完全に去ったわけではない。三月二十三日、公安調
査庁は、オウム真理教は破壊活動団体の可能性が高いとして、破壊活動防止法の適用
を踏まえた特別対策本部を設置した。




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