超人と商社マンと超能力治療(『宝島30』95年10月号)

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投稿者 SP' 日時 2001 年 1 月 30 日 11:37:41:

回答先: 麻原の「超能力」とは何か? 投稿者 SP' 日時 2001 年 1 月 30 日 11:35:44:

その後の中国最強の超能力者・張宝勝

北京駐在の平凡な商社マンである私は、
些細なきっかけから“中国最強”の超能力者と知り合い、友人になった──。
神か?ペテン師か?
本誌一、二月号に掲載し、大きな反響を呼んだ「超人」張宝勝の後日譚!

加藤修(日商岩井北京店勤務)

 私は総合商社・日商岩井の北京駐在員として、日本製の通信プラントを中国に売り込むための営業活動に日々悪戦苦闘している。もちろん、超能力や超常現象とはまったく無縁の人生を送ってきた。そんな平凡な私が、ほんの些細なきっかけから“中国最強”と言われる超能力者と出会い、友人となるまでの奇妙ないきさつを、『宝島30』九五年一月号と二月号に寄稿したところ、少なからぬ反響があった。本稿は、その後日譚である。
 この超能力者の名前は張宝勝。もしかしたら、この名前に見覚えがある方もいるかもしれない。今年五月二十九日付の『朝日新聞』に、「メッキはがされた!?超能力スター」の見出しで、張宝勝を批判した『北京青年報』(五月二十六日付)の記事が紹介されていたからだ。
 記事の内容は、七年前の一九八八年五月二十一日に行なわれた超能力の実演会に出席した張宝勝が実演に失敗し、トリックを使っていたことが明らかになったというものだ。この記事については後で触れるが、予めことわっておくと、記事に書かれたことに大きな間違いはない。張宝勝は事実、実演に失敗し、トリックを使った。
 では、張宝勝はニセモノなのか。それについて私は、私自身の体験を正直に書くしか語る術はない。あとは読者の方々の判断に委ねたい。少なくとも本稿を最後までお読みいただければ、私がなぜふたたび筆を執る気になったかはご理解いただけると信じている。

超人との出会い

 本題に入る前に、前回の記事をお読みになった方には繰り返しになってしまうが、私が超人(張宝勝は中国ではこう呼ばれている)と出会ったいきさつと彼の人となりを、簡単に述べておきたい。
 私ども日商岩井は、一九八一年に世界に先駆けて通信プラントを中国に納入して以来、香港も入れると中国でトップのシェアを誇っている。ところが残念なことに、事務所を構える北京市だけは欧米メーカーの独占市場で、どうしても食い込めない。あたかも万里の長城のような北京の壁の一角を崩すことが、我われの悲願であった。
 そんな状態にあった九三年九月頃、いかなるアプローチを試みても北京市側に食い込めない私は、万策尽き果て、張太生なる人物に相談を持ちかけた。張太生は日本に六年間留学し、九一年に帰国して自ら会社を興した人物で、当時三十八歳。留学中の一時期、日商岩井の仕事を手伝っていた関係で、以前から顔見知りであった。
 なんとかして北京市の通信部門の幹部に会う手立てはないものかという私の相談を聞いて、張太生は「友人に張宝勝という超能力者がいるから、彼に相談してみよう」と言う。私は正直ガックリきた。何が悲しくて超能力者なんかに頼まなければならないのか。
 ところが十二月になって、張太生から「北京の幹部たちが張宝勝に会うことを熱望している。迎賓館で宴会を開いたらどうか」という連絡が入った。聞けば、主要幹部が四人も出席するという。これまで面会することさえ困難だった幹部と膝を交えて食事ができる──まさに「奇跡」のような話である。

 トウ(「おおざと」に「登」)小平を治療する男

 だが、驚くのはそれだけではなかった。迎賓館は国家首脳や国賓待遇の人々が利用する施設で、企業のトップであっても簡単には宿泊できない。そんなところをどうやって予約すればいいのか。戸惑う私に対して、張太生はあっさり言った。
「張宝勝がひと言いえば、予約は取れるから心配するな。彼は国家から迎賓館内に部屋を与えられ、夜はたいがい国家首脳の宴会に出ているんだから」
 遅まきながら張宝勝について調べてみた私は、彼が香港を含め、中国では知らぬ者のいない有名人で(少なくともうちの事務所の中国人職員は全員知っていた)、伝記はもちろんのこと、彼を主人公にしたテレビドラマまで制作されていることを知った。北京市の高級官僚たちが我先に会いたがるのも、無理はないのだ。
 実際に会ってみると、張宝勝は身長一七〇センチ弱の、やや痩せ気味のごく普通の男性である。だが、私が初めて見たその超能力は圧倒的であった。ここでは詳しくは繰り返さないが、ステンレス製のフォークとスプーンを二本重ねて軽く三回転捻じ曲げ、密封した薬瓶から錠剤をバラバラと出してみせ、ぐちゃぐちゃに噛んでパルプ状になった名刺を完璧に復元し、触っただけで背広を燃やし、離れたところから息を吹きかけるだけで自由にカメラのシャッターを押し、フィルムを巻き戻すのだ。
 しかしその後、友人として付き合うようになって知った彼の能力は、まさに驚天動地としか表現のしようのないものであった。念じただけで車を一二キロ離れた場所へ移す物体移動。相手の思考を操る思考支配。四〇キロ離れた北京空港まで五分以内で車で往復する(時速一千キロ!)瞬間移動。手術さえ不可能な肝臓癌の治療。そして張宝勝の現在のもっとも重要な仕事のひとつは、トウ小平氏の治療といわれている。
 一九五七年、江蘇省南京市の極貧の家庭の七人目の子どもとして生まれた張宝勝は、生後数日で里子に出され、それ以降、育ての親が何度も変わり、辛酸を嘗め尽くした。無意識のうちに透視したり物体移動を起こしたりするので、子どもの時からひどいいじめに遭い、二度自殺を図ってもいる。二十歳を過ぎる頃からその超能力が世に知られるようになったが、その後も筆舌に尽くしがたい苦労を重ね、研究者たちに自分の能力を認めさせて、現在の地位を得るまでに至った。張宝勝は、中国の超能力研究を統括する国防科学技術工業委員会に所属する、れっきとした軍人である。
 三十代半ばにして中国政府高官や共産党幹部から「神」と呼ばれ、国家が公認する“中国最強”の超能力者。だがその一方で、不幸な生い立ちを背負い、普通の家庭生活に憧れながら、並外れた能力のためにそれもままならない、さびしい一人の男。そしてイタズラ好きで、天真爛漫というか、駄々っ子のようなその性格。そんな人間・張宝勝にふれた私は、今後はビジネスのお願いをすることは絶対せずに、友人として付き合っていこうと決心した──。前回の原稿では、そんな気持ちを正直に書いてみたつもりだった。

 あなたがもっと大変なことになる

 さて、私の原稿が『宝島30』誌に掲載された後、いくつかのテレビ制作会社から、「ぜひ張宝勝さんを撮影して日本のテレビで放映したい」という要望が寄せられた。超人は北京のスタジオでの撮影と「真剣にやる」こと(後で述べるが、彼は以前、TBSの番組「ぎみあブレイク」の取材を受け、そこでトリックを使ったことがある)をいったんは応諾してくれたのだが、四月十七日、私にこう告げた。
「日本で放映された後の反響が僕には見える。加藤さん、あなたがもっと大変なことになる。その影響が僕とあなたにとってよいものなのか、悪いものなのか、もう少し考えさせてもらいたい」
 その時は、超人が何を言おうとしているのかわからなかったのだが、このすぐ二日後に、私は「大変なこと」を思い知らされることになった。
 四月十九日の午前、取引先から当日の昼食の誘いがあった。約束のレストランに行くと、顔見知りの同社のA子さん(三十三歳)が同席している。出張で北京に来たそうだ。彼女はロングヘアーがとても似合うスラリとした美人で、良家のお嬢様なのだった。そのうえそれを鼻にかけず、明朗快活で謙虚な人柄ゆえに、社内外のファンがとても多かった。
 楽しい昼食後、話が改まった。彼女は昨年六月、都内の大学病院で左右両方の卵巣膿腫の手術を受けたが、術後の具合が思わしくない。とくに十月頃から腹部のチクチクする痛みの頻度が増え、毎日不定期に何度も痛みだすという。検診に行くと医師から「また腫れだしたようですね」と言われたが、炎症反応は出ておらず、痛み止めを出されるだけであった。
 また手術の前、病院から卵巣ごと切除することを勧められたのだが、未婚であることから、卵巣は両方残してゴルフボール大の膿腫部分だけを摘出してもらった。この際、「あなたは子どもを産みにくい体質です」とも言われ二重にショックを受けた。片方だけの卵巣を残して出産している女性も多いが、自分の場合両方あっても「産みにくい」のに、片方だけだとなおさら絶望的だ。彼女は「こんなことになるなら早く結婚して子どもを産んでおけばよかった」と自分の運命を呪った。
 彼女は、「今こうしてお話ししていても痛みます。今後一生不安を抱え、結婚にも消極的なまま生きていくのは耐えられません。短期間で恐縮ですが、今回の出張中に、超能力者に診ていただき根治したいのです」と申し訳なさそうに頭を下げられた。
 私は絶句したが、重要な取引先から頭を下げられては断われるものでない。逃げられない状況に置かれたことを一瞬のうちに悟った。
 私はかろうじて、「張宝勝氏の治療だと皮膚がかなり傷つくと聞いてますから、まずは他の超能力者を紹介してもらいましょう。今日は水曜日で、A子さんの帰国されるのが日曜日では時間がタイトですが、ベストを尽くしましょう」と答えた。
 さっそく中国の関連機関に非公式にお願いし、気功を修めた二人の医師に、金曜日に昼食をとりながら診察してもらうことになった。当日私は終日商談があり同席できなかったのだが、A子さんから聞いた診察の結果は、ぜんぜん話にならないものだった。
「昼食前にはすぐに治りますと二人とも言われたのですが、食事後、お二人で交互に腹部に手をかざされてもぜんぜん熱くなりません。最後には『やはり一週間ぐらいはかかる。あなたの病気は小さい頃関節炎にかかり、それが完治せず、長年風を受けて発生したものだ』と身に覚えのないことを言われました。でも加藤さん、気になさらないでください。こんな短期間で、しかも会えばすぐに治ると考えた私の方が虫がよすぎたのです。ご迷惑をおかけしました」と言う。私は聞くなりすぐに血が沸騰した。宴会費用だけかかって実効なしという最悪のパターンである。
 私は超人にお願いすることを決意した。これまで何もお願いしないことを信条としてきたが、ひとりよがりに気取っている場合ではない。A子さんは健気にも顔で笑ってはいるが、心の中では泣いているのである。

 殺到する「悲しい依頼」

 帰国まで時間もないので、私は超人に無理にお願いしたところ「日曜日の朝来なさい」と言われた。
 当日超人は、部屋をうろうろ歩きながらA子さんをチラリチラリと眺めた後で言った。
「卵巣が両方とも悪い。膿なのか別の物なのか、少し考えたい。このままではいずれ卵巣ごと切除するしかないでしょう。お腹に手術跡もある。今のままだと子どもはできない」
 超人は途中から彼女の腹部を中心にじっと見つめている。超音波にかけるでもなく、A子さんも服を着たままなのに、超人には卵巣が見えるのであった。軍人が警備する厳しい雰囲気に加え、超人に初めて会う緊張感からA子さんはほとんど喋れない。私はたずねた。
「手術の傷痕があっても治療して大丈夫ですか? あなたが治療すれば完治しますか? 子どもも産めるようにできますか? 勝手言ってすいませんが、A子さんが北京に来れるのは連休中の五月一日頃からですが」
「来てもいいです。一〇〇%の治癒は今断定できませんが。三回ほど治療して十日は必要でしょう」
「あなたが発功しても皮膚は大丈夫ですか?」
 超人は「大丈夫」と答えた。
 午後の便で帰国するA子さんを空港に送りがてら、次のことをくどいほど確認した。
・張宝勝氏の治療は科学ではない。病院でどうしてもだめなときに、初めて検討すること。
・たとえ張宝勝氏が治療しても一〇〇%治るとはかぎらない。また火傷の跡が残る可能性が大きい。治らないからといって私を訴えられても困る。
・子どもができるようになるか保証はできない。
 自分のつらい運命に泣いたりわめいたりする時期はとうに過ぎたのであろう。A子さんは終始冷静でしっかりしており、微笑みを浮かべながら応対していた。そして、「このお腹の痛みが消えないかぎり、私には心から笑える日は来ないのです。日本の病院の検査の結果がどう出ようとも、私は超人にお願いすると思います」と言い帰国していった。
 空港から事務所に戻り書類の整理をしようとしたら、弊社のある女性からの手紙が届いていた。とくに親しい間柄でもないのにと、いぶかしく思いながら手紙を開けると、彼女の友人の五歳になるお子さんの治療の相談であった。その子は火事で大火傷を負い入院したが、酸素を送る管が三分間ほどはずれ心臓が停止、懸命の治療で心臓は動き出したものの意識が戻るまで半年かかり、脳に一部障害が残って寝たきりとなってしまった。現在は気管に管をつないだまま自宅療養を続けているとのことだった。友人を思う気持ちから、思いあぐねた末の相談であった。私は天を仰ぐしかなかった。
 さらにその後、末期の悪性リンパ腫瘍、中期の喉頭癌、薬物脳障害と、治療を求める依頼が私に殺到した。私は超人の言葉の意味を身にしみて理解するのだった。「加藤さんがもっと大変なことになりますよ」──。私は商戦の第一線に立 つ駐在員であり、自分の仕事をこなすだけでも、土日も満足に休めない状態なのだ。
 しかしその子どもの事故は、あまりに悲惨である。私の長男とそうかわらぬ歳でもあり、いくら自分に関係のないことだと忘れようとしても、いったん知ってしまった以上、もう忘れ去ることはできない。
 私は超人の秘書に相談した。すると彼は、「超人の言っていた意味がわかりましたか? 加藤さんを頼ってくる人を全部つながれても困るんですよ。こちらも十二億人の規模で来るのを対応するのにてんてこ舞いしているんですから」と言う。
「しかし、この子がかわいそうじゃないですか?」と言いつのると、
「その子だけじゃなく、超人を頼ってくる人たちは皆かわいそうなんです。治療の方法がなくて、匙を投げられたどうしようもない状態の人たちばかりです。病院で治るなら誰も超人を頼りませんよ。皆さん同じなんです」
 もう私には言葉がなかった。

 失敗したらどうする?

 四月二十六日の昼、A子さんを透視した最終結論が、卵巣の図と一緒に超人から送られてきた。「右側は腫瘍に変化しつつあり、左側は膿腫。病院と相談したが、結論は卵巣切除」と書いてあった。その後口頭で、
「膿腫だけを取っても再発するし、何度手術しても同様です。でも私が治療すれば、一〇〇%完治させる自信があり、一〇〇%子どももできるようになる。もっともこのことはA子さんには伝えないように。なんといっても一に末期癌、二に女性の卵巣が難しく、細心の注意が必要で、正直言って疲れるので来てほしくない。ただA子さんが北京に来るのが私には見える」
 と伝えられた。腫瘍については悪性とも良性とも言わない。
 一方四月二十八日の夕方、A子さんから日本の病院での血液検査と超音波検査の結果が入った。「炎症反応なし」であった。医師に、「炎症がないのにどうしてお腹が痛むのですか? それも頻度がますます多くなっています」と訴えても、痛み止めと漢方薬を出されるだけで、六月に再検診することになったという。
「加藤さん、超人に治療をお願いしてください。私は五月一日に北京に参ります」
 私は驚いて、
「病院が大丈夫と言うなら、しばらく様子を見たらどうですか? なんといっても超人のは科学じゃないですから」
 となだめるが、A子さんは落ちついた口調で、
「今こうしてお話ししていてもお腹が痛むのです。どこかが悪いから痛むのでしょう? 昨年の十月の時もそうでした。血液検査の結果は炎症反応なしだったのに、お腹が痛む頻度が増えているんです。治っていくはずなのにおかしいでしょう? 結婚もできず、子どもも産めず、このまま一生悩み続けるのはもう嫌です。結果がどうなろうと、私は超人に賭けます」と断固としてゆずらない。
 私は彼女の説得をあきらめた。A子さんは、五月の連休に、妹さんと二人で北京にやって来ることになった。私は超人の秘書からアドバイスされたとおり、火傷薬を持ってくるように伝えた。
 A子さんが北京に来ることが決まってから、私は自分の情緒が不安定というか過敏になり、イラつきだしたことに気づいた。私だって超人の治療を見たことがないのだ。スプーンを捻じるのとはわけが違う。失敗したらどうするのか? A子さんは私の責任を追及しないと言うが、それで済む問題では決してない。私はどう責任を取るのか? そもそも張宝勝には本当に超能力があるのか? メディアで攻撃されているようにインチキではないのか?……私の心はとても動揺したのだった。

超能力治療!

 五月一日、A子さんと妹の二人は北京に着いた。
 一回目の治療の際は、初対面の人がいると集中できないからと、妹さんの同行は超人から断わられた。五月二日の午後三時、私とA子さん、それに私が超人と出会うきっかけをつくってくれた友人の張太生の三人で、超人の自宅に着いた。控室には同じく治療を受けに来た三名の中国人(中年の男性二名、女性一名)がいた。すぐに超人は出てきたものの、A子さんに服を着たままソファで仰向けになるように言いつけると、自室に戻ってしまい、二十分ぐらい出てこなかった。秘書によると、精神を集中させているそうだ。A子さんは緊張から顔色が青白く、ほとんど喋らない。
 やっと超人が、右手にロール式トイレットペーパーを幾重にも重ねて巨大な扇子状にした束を持って出てきた。あたかもチャンバラトリオの扇子みたいな大きさと形である。秘書が超人に気づかれないように受話器を取り、電話がかかってこないようにした。発功中にかかってくると注意力が分散されて大火傷させてしまうからだ。

 発功!

 超人は紙の束をA子さんの腹部に置き、私と張太生にA子さんを押さえつけるように命じる。私は頭上から両肩を押さえ、張太生は足の方から両膝を押さえた。超人は中腰になり、左手で紙を押さえ、右手で紙の上を二度叩いた。叩くたびに「ポーン」と紙の音がした。
 そして右の掌を上から腹部に向けてゆっくり押し出すと、A子さんが「ギャッ!」と悲鳴をあげ、「熱い! 熱い!」と叫びだし、「ウーン!」と歯を食いしばって体をエビのようにのけぞらせ、ものすごい強い力で超人の右手から逃れようとした。超人は「動くな! 動かせるな!」と叫ぶので、私はいったい何が起こったのか理解しないまま、ともかく全身の力をこめてA子さんの両肩をあらためて押さえつけながら、「動くな! 我慢しなさい!」と叫んだ。紙の間から湯気が立ちだし湿っているのが見えた。紙はみるみるうちに縮小を始め、四角状になっていく。
 これら一連のことが、発功後数秒内に一挙に起こったのだった。A子さんの両手が頭上に伸びてきたので、私がしっかりと握ると、その私の掌に爪がザックリ食い込む。頭の中が真っ白になり膝がガクガク震えつつも、間近で発功している超人の顔を見ると、今まで目にしたことのないとてつもなく真剣な表情だった。
 どうしてもA子さんの体が右左に若干動くので、そのたびに超人の頭と右手はその動きについていく。超人は同様の動作を二、三度繰り返した後、今度は右手の人指し指と中指の二本で何かを必死に掻きだす仕種を、腹部の上でしている。これら一連の動作が、場所を変え、角度を変えながら繰り返されるのだった。
 A子さんは目を力いっぱい閉じて、「熱ーい! イヤーッ!」と叫び続け、体を動かし逃れようとする。私と張太生は二人がかりで押さえ続ける。
 発功を始めて三分ぐらいたったろうか、超人は、隣のソファにうつ伏せになって待っていた中国人の男性へと移った。彼はどうやら腰が悪いようだ。私は衝撃で喉がカラカラに渇き、膝がガクガク震え、失禁していないことを思わず確かめた。A子さんは「ウーン」と唸ったまま、右手を額に当て、肩で息をしている。「大丈夫ですか?」と問 いかけても、弱々しく頭を上下に振るだけで、声が出ない。
 隣で超人が発功を始めると、その男性がやはり「ウォー! 熱い、熱い! ウォー!」と絶叫しだした。こちらも二人がかりで押さえつけているが、男性だけに力が強く、どんどん上にはい上がってしまう。押さえている二人の顔はひきつり、力の入れようが半端でないことが見ていてわかる。超人は発功しながら動く体についていこうとするが、「だめだ、我慢がぜんぜん足りない。こんなに動くと正常な所まで焼いてしまう」と、治療をやめてしまった。男性はうつ伏せのまま、「耐えられない、いやだ」と呻いている。
 私は見ていて、やはり生命に直接かかわったり運命が激変するような病気でないと患者本人は耐えられないのだと思った。腰の痛みや肩の痛み程度では、患者本人に甘えがあってだめなのだ。

 神の技だ!

 超人が戻ってきて、A子さんに今度はうつ伏せになるように命じると、背中の卵巣のある部分に紙を置き、再び発功を始めた。A子さんは「ウー」と唸りながら、上へはい上がろうとする。私は上半身を覆いかぶせるようにして押さえつける。
 発功の最中、超人は湯気をたてている紙(例えて言えば、びしょ濡れになったぶ厚い少年漫画誌)を何度か裏表ひっくり返すのだが、途中で一部をちぎり、懸命にA子さんを押さえつけている私と張太生の掌に投げつけるイタズラをする。私も張太生も思いがけぬ熱さに襲われ、「ギャッ!」と叫んで、手から湯気をたてる紙を払いのける。紙が触れた手の甲が一瞬にして赤くなっていた。まったく、こんな時にイタズラはやめてもらいたい。いつ飛んでくるかと思うと、こちらも逃げ腰になってしまう。
 背中への発功は二分ぐらいだった。超人は「終わった」と言うと、ボロボロになった紙を床に捨てて部屋の外に出ていった。受話器を戻した秘書が、慣れた手つきで箒と塵取りで掃除を始める。A子さんは動けない。私もあまりの衝撃に声も出ず、「神だ! 神の技だ!」と念じるばかりであった。
 超人が戻ってきて「大丈夫だ! 起きなさい!」と号令をかけると、それまでぐったりとしていたA子さんがゆっくり起き上がった。彼女は気丈にも超人に「ありがとうございました」とお礼を言った。
 私はA子さんを支えて車に乗せると、ホテルまで送り、入口で待ち受けた妹さんにバトンタッチした。私は全身脱力感におそわれて何もする気になれず、風邪でもひいたかと思ったので、夕食もとらずに薬を飲んでベッドに横たわった。二回目の治療の後、妹さんも同様の症状になったところをみると、超人が発功の際、勝手に私の気を遣ったに違いない。ひどい脱力感だった。
 私は超人の人体に対する発功を初めて目の当たりにして、心底驚いていた。と同時に懸命に精神を集中させ発功している超人の表情を見て、テレビ撮影など金輪際考えないことを断固決意した。何のゆかりもない日本人を必死で治そうとする超人と、苦しみに絶叫しながら耐えているA子さんの真摯な姿を見てしまうと、もうそれだけで充分という気持ちでいっぱいだったのだ。そして、超人に必要なのはテレビでの報道ではなく、科学者による科学的研究につきると痛感したのである。

 レーザー・メスで切られるような

 当のA子さんは感想をこう語る。
「徐々にじゃなく、一瞬にして熱くなるんです。火の熱さやライターの熱さとも違い、レーザー・メスなんかで切られている感じで、その熱さが点じゃなく面で押し寄せるんです。もう気絶寸前。経験のない衝撃でショック状態です。手足が震え、舌がまわらず、とくに心臓への打撃が強烈でした。内臓全体で驚きました」
 この日から彼女の戦いが始まった。彼女は続ける。
「部屋に戻ってすぐに火傷薬を塗りましたが、卵巣がヒリヒリする感じで前だけを氷で冷やしました。皮膚は全体に赤みを帯び、骨盤のあたりが赤黒くなっていて、卵巣があるあたりの二カ所がとくに赤い。背中も日焼けしたみたいに赤くなっていました。でも食欲はあるのです。夜中の一時頃まで苦しみましたが、いつの間にか眠っていました。
 次の日は目覚めると随分気分がよく、そろりそろりと歩けたし、午後には外に買い物にも行けました。回復がすごく早いと感じました。ああ、この程度なら大丈夫と、その時は無邪気にも考え、七日の日曜日には妹と一緒に日帰りで西安に行こうと、飛行機のチケットの手配もしていたくらいでした」
 二回目の治療は五日(金)の朝九時から行なわれた。この時は妹さんの同行も許可してもらった。治療は回を重ねるごとに発功の度合いが弱くなると聞いていたが、超人は「違うよ。前回は体を適応させるために軽めにしたんだ。今日は前回より一・五倍ぐらい強い。そもそも体が耐えられるなら、一回で済むんだ」と言って、一回目同様自室にしばらくこもった後、紙を抱えて出てきた。今回の紙は前回より薄い。中に何か入っているのではないかと思った私は、始まる前に手であっちこっち押しまくってみたが、ふわふわしたトイレットペーパーの固まりにすぎなかった。
 今回の治療は腹部に対しては二分程度の発功だったが、背部が五分ぐらいと長かった。妹さんは初めて目の当たりにするため顔面が蒼白に引きつり終始声も出ない。A子さんは語る。
「最初の治療が覚悟していたほどひどくなく回復も早かったので、二回目はわりと軽い気持ちで行ったのです。ところが一回目よりもっと熱くて、終わってもぜんぜん動けない。背中の方が長かったので、お腹はヒリヒリするし背中も痛いしで、車に乗っても座れないんです。皮膚がもうグチュグチュの感じでした。ホテルに戻って妹に見てもらうと、背骨を中心に皮膚が赤く、右側に三センチぐらいの大きな水ぶくれがあって、その回りに大豆ぐらいの水ぶくれが四、五個あると言います。想像がつくし怖いしで、自分では見ないようにしました。
 腹部は手術跡を中心に赤みが広がっていて、左側の赤みがとくに強かった。そして、卵巣を両方えぐり取られるようにジリジリとずっと痛むんです。焼けた炭や溶岩をお腹の中に入れられた感じです。皮膚もジリジリするしお腹の中も熱いしで、息がまともにできず、言葉もとぎれとぎれなんです。氷を当てて少し楽になりましたが、すぐ溶けてしまい、体温が上がるととたんに痛みだすんです。
 背中の水泡は夜になってつぶれ、翌日の昼頃にまた二センチぐらいのものができました。水泡はできては破れましたが、中から悪いところを出しているのだと事前に聞いてましたので、それが慰めでした。
 一晩中背中にもお腹にも氷を当てっぱなしで無理な姿勢だったので、筋肉痛で気分も悪いんです。当日の夜はほとんど眠れませんでした。翌日もずっと冷やしたままでした。でも不思議なことに、食欲は普段と同じようにあるんです。冷やすので三十分おきぐらいにトイレに行っていました。
 二日目の昼頃からお腹の中の痛みがなくなり、少し楽になった感じがしました。でもま だ皮膚はジリジリしたままです。三日目の日曜日になると、ぐっと楽になりましたが、とても西安に旅行に行ける状態ではなく、自分の甘さかげんが嫌になりました」

 慰めの言葉もない

 不思議なことだが、超人から二回目の治療の翌日の夜に電話があって、「今は卵巣がまだ赤くて痛むが、翌日には楽になる」と伝えてきて、事実そうなった。ところが八日(月)の夜、また超人から電話があって、「卵巣が赤く腫れている。明日治療できるかどうかわからない。思った以上に体質が弱いようだ」と言う。すぐにA子さんに電話を入れて確認したところ、「どうしてわかるんですか? 夕方四時頃、買い物から戻ったら卵巣部分が痛みだし、明日治療ができるかどうか不安に思っていたところなのです」と言うではないか!
 ともかく九日早朝、A子さんと超人の自宅に行ったが、やはり今日は無理との超人の判断で、様子を見て次の治療日を決めることになった。
 九日夜、十日早朝と超人から電話が入り、「まだ赤くて治療できない」と伝えられた。実際超人の言うことはすべて当たっているのだが、なんで一五キロも離れた自宅から、A子さんの卵巣の状態がわかるのか? 奇怪至極ではあるが、現実がそうなのだから仕方がない。「とても便利な人だ」とでも思わないと、頭がショートしてしまう。
 A子さんの治療は急がなければならなかった。何としてもその週のうちに治療を終えて、A子さんは日本に戻って会社に出なければならないからだった。結局十一日(木)の早朝に三回目の治療となった。
 A子さんはホテルを出発する前から顔面蒼白で、「怖い、怖い」を連発している。無理もない。意識のあるまま生焼きにされているようなものなのだから。三度目はもう焼かずに中の膿を取り出すだけかと思ったが、超人はしばらくA子さんの腹部を眺めた後、「もう一度焼きながら膿を吸い出す必要がある」と言う。この日の発功では、超人が右手を紙でこするたびに、白い紙が茶色に変色していった。これが卵巣の膿の一部とのことだった。
 気丈なA子さんも、最後には泣きだしてしまった。治療後の彼女の姿は痛々しく、私も正視できない。しかもこれからまたホテルに戻って、お腹の内外との戦いがあるのだ。その凄絶さを前にしては、何の慰めの言葉も出なかった。
 三回目が最後の治療かと思っていたが、十一日の夕方になって超人から電話があり、「一〇〇%治すならもう一回焼く必要がある。現状では八〇%治癒した。病院の手術よりはるかにきれいにとれている。でも二〇%がまだ残っている。そこから再発する可能性はきわめて少ないが……。子どもはもう一度焼けば三カ月以内に、焼かなくても一年以内にはできるでしょう」と言う。
 A子さんにそう伝えると、彼女はキッパリと答えた。
「よく考えてみますが、まず無理だと思います。皮膚が耐えられません。皮膚が回復してからならいいでしょうが、そんな時間もありませんし。でも、超人は子どもができると言ってくれましたか?」
「確約していました」
「嬉しい! 耐えたかいがありました。本当に嬉しい!」
 私も皮膚の状態からもう焼くのは無理だと思っており、結局最後の一回はやめにした。A子さん姉妹は十四日(日)に帰国した。

 ウルトラマンのビデオ

 帰国前のA子さんは、今回の体験についてこう語っている。
「帰国しても超人のことは人に言わないと思います。秘密にしておきたいという気持ちではなく、言っても信じてもらえないと思うのです。この二週間、あっという間に過ぎましたが、私はタイム・トリップしていた気分です。急に無理なお願いをしたのに、不思議なことにタイミングがすべて合ったのは、超人と縁があったからだと思ってます。最初は痛みもなく一瞬のうちに治るのではと、随分虫のいいことを考えていましたが、痛みなくして根絶することなどあり得ないことがよくわかりました。途中で、もう子どもができなくてもいいから帰りたいと思うほど苦しかった。なんで自分だけがこんな運命にあるのかと神を恨みました。でも今、私は治ると確信しています」
 A子さんの妹はこう語った。
「超能力者なんてぜんぜん信じていなかった。随分前にユリ・ゲラーがいたけれども、あれもインチキだったな、と感じる程度でした。だから半信半疑で北京に来ました。気功は何となくわかる気がしますが、超能力となると漫画やアニメの世界ですし、正直わからなかった。両親も姉に『あなたは信じるかもしれないけど、治る保証がない。心配だ』と言っていましたが、姉自身の人生ですから、最後にはあきらめたようです。
 初めて超人に会った時、普通の人とは空気が違うというか、同じ人間の気がしなかった。治療を見たら神としか言いようがなく、ものすごいショックでした。姉もこれだけ苦しんだのですから、治ると確信してます。万一治らなくても、運命と受け止めると思います。しかし、超人は普段の仕種を見ると大きな子どもみたいですね。よく超人の仕種を物真似して、姉を脅かしていたんですよ」
 A子さんは日本への帰国後、総合病院で火傷の治療を受けた。二度〜三度の火傷で、「皮膚の色が赤、黒、白、ピンク、黄色といろいろある。原爆の放射能でも受けたのですか? こんな火傷は見たことない」と、各医師の恰好の研究材料になっているそうだ。卵巣の炎症反応はやはり検出されていない。
 そう聞いて心配になった私は、超人に皮膚が元に戻るかどうかたずねた。超人は、「戻る。二、三カ月で普通の火傷になり、二夏越せば跡も消える。水ぶくれは中の悪いものを出しているのだから、なすがままにしておくこと。感染だけには気をつけるように」と答えた。
 五月三十一日、超人から電話がきた。
「A子さんの病気は、今完治した。二度と再発しない。子どもは今すぐにでもつくれる」
 私はさっそく日本のA子さんに電話を入れ、その言葉を伝えた。彼女は一瞬の無言の後、「超人がそう言ってくれましたか! 嬉しい! 本当にありがとうございます」と喜んだ。何度考えても、どうして日本にいるA子さんの卵巣の具合が、北京にいる超人にわかるのか、さっぱりわからないのだが……。
 ところで、A子さんからは一切の謝礼を受け取らない超人であるが、一つだけ、今北京で放映され大人気を呼んでいるウルトラマンのビデオを、一人息子のために欲しいとお願いされた。そこで中国語版の四十八話分を、百八十分テープで計八本に編集録画してもらい、超人に渡した。その実費が日本円で約三万五千円発生したので、A子さんにご負担いただいたのである。

神とペテン師の間で

 さて前述のように、A子さんの治療の直後、五月二十六日付の『北京青年報』一面トップに超人批判の記事が写真入り で掲載され、即座に香港の各紙がそれを転載した。筆者は何????(「ネ」偏に「乍」と「广」に「休」)(全国政治協商会議委員/中国科学院院士)、林自新(『科学技術日報』前社長兼編集長)、慶承瑞(中国科学院理論物理研究所研究員)の三氏で、この記事の目的は、「特異」現象を科学的態度で見ることを提唱するためだという。

 トリックを使う超能力者

 たまたま私は記事が掲載された当日の昼食を、超人と共にしていた。彼はいつもと変わらず、「よくあることだ」と言っていたが、周りの人たちがこの記事に対して激怒していた。だが私は、彼らのようには素直には怒れなかった。
『宝島30』誌に私の原稿が掲載された後、編集部から連絡が入った。超人を批判した『どこが超能力やねん』(ゆうむはじめ著/データハウス)という本が九二年に出版されており、そこでは以前、TBSの番組「ぎみあブレイク」で放送された超人の実演が、インチキと呼ばれる根拠になっているという。私はさっそく、その本を取り寄せてみた。
 率直な感想を述べると、本の中で引用されている番組の画面から判断するかぎり超人はトリックを使っているとしか思えず、私は大きなショックを受けた。ただ、TBSの放送した超人の実演は、私が何度も目撃したものとは明らかに違っている。「ここは直接、本人に確かめるしかあるまい」と腹を括り、私はゆうむ氏の本を持参して超人の自宅を訪れた。
「本当にトリックを使ったのですか?」
 私がありったけの勇気を出して尋ねたところ、超人は、
「そうだよ。この時は真剣にやらなかった。上から言われて仕方なく行った。僕には国家のちゃんとした仕事がある。こういう批判はよくあることだ」
 と、怒りもせず淡々と答えた。何の表情の変化もない。こうもあっさり肯定されては、返す言葉がなかった。
 超人と一緒に行動を重ねるにつれ、その実演の秘密が少しずつわかりだした。私はそれまで、超能力者とは「いついかなる時、いかなる場所でも超能力を発揮できるスーパーマン」だと勝手に思い込んでいたが、これは誤りであった。例えばフォークやナイフを飴状に重ね曲げするのも、四回に一回は失敗してしまうのだ。
 その後、私は超人のトリックをつぶさに観察する機会を得た。
 スプーン曲げについては、疲れていたり気分がのらない時は、いったん部屋の外に出て何度か練習をする。それから外で曲げた物を部屋に持ち込み、うまくテーブルの下で交換して、あたかも今曲げたように見せる。
 薬瓶の場合は、テーブルの下で、まず錠剤を半分ほど取り出してしまう。そして出した錠剤を左の掌に持ち、瓶も同じ手で持って振れば、バーッと錠剤が出たように見える。この場合、錠剤は一瞬のうちにバーッとテーブル上に散ってしまうのが特徴である。
 こうしたトリックを使う時の特徴として、超人は落ち着きがなくイライラして言葉も荒っぽくなり、部屋を出たり入ったりする。本気でやる時はまったくその逆で、陽気で機嫌がよく、くだらない冗談をとばしまくる。そして実演を始める前の数分間何も喋らなくなり、ボケッとした表情をする。ここで精神の集中をはかり、いわゆる“発功”状態に入ろうとするのだ。
 薬瓶の場合では、錠剤を受け止める人たちがしっかり構え終わるまで待ち、立ち上がって瓶を振りだす。席に座っている人たちには瓶底が見える。錠剤は一挙にザーッと出るのではなく、最初はチョロチョロ、そのうちドカッと出て止まり、一瞬の後今度はわりとならしてしばらく出続けるのだった。錠剤は瓶底から五ミリぐらい離れた空中から出ているのがよく見える。
 本人によれば、「額のスクリーンにその瓶が現れたら、中の錠剤に出よ!と念じると瓶底が貫通する。いくら念じても瓶底に変化がない場合は失敗する」そうだ。
 そんなことがあったために、私は『北京青年報』の記事を見たとき、それが事実であるとすぐにわかった。この日も超人はトリックを使い、それを見破られたのだ。

 歪曲された事実

 しかし、この記事では以下のことが故意に省かれ、歪曲されている。私が複数筋から調べた内容を述べる。
@張宝勝には五人だけが出席する小範囲の実演会であると連絡されていたが、実際会場に行くと百十人もいた。記事の「六十余名」は間違いである。写真を見れば一目瞭然であるが、張宝勝の周りをぎっしり人が取り囲み、とても発功できる状態にない。
A約束が違うと激怒している超人に対して、これまた出席することを事前に連絡されていない手品師が、「おまえの超能力など偽物だ! 我われ手品師でもできるさ」といった侮蔑の言葉を投げつけた(記事では述べられていない)。会場の様子と合わせ、張宝勝の心理状態をつきくずす意図が明白である。
B張宝勝は、とても発功できる心理状態ではないため帰ろうとしたが、その場には彼の管轄部門の中級幹部、高級指導者らがいて、懸命に彼を説得したため、メンツを立てて無理にトライして失敗したのだった。
C筆者の一人である何氏は、科学理論の立場からひたすら超能力を批判し続けた元社会科学院院長・于光遠氏の助手を長年務めており、同じ見方をしている人である。伝記『超人 張宝勝』には、于院長の理不尽な批判に堪りかねた張宝勝が、講演中の于院長の手元から原稿の一部を思念で移動して立ち往生させたうえに、同氏のズボンのベルトも思念で移動して、公衆の面前で醜態を晒させた逸話が紹介されている。
Dもう一人の筆者である林自新氏となると、なおさら奇怪至極な人物である。彼は一九八九年の天安門事件で科学技術関係の専門紙『科技日報』の社長兼編集長の職を解任され、中国のメディア界では、自分の意見を発表する場が与えられず、再起を目指していたという背景を持つ。ただ問題の実演があったのは八八年五月であり、同氏はまだ『科技日報』の社長兼編集長の職にあった。だとすれば、なぜ当時発表しなかったのか? どうして七年も経ってから、北京の一地方紙にすぎず、やや信頼性に欠ける記事が載ることもあると言われる『北京青年報』の、しかも週末版に発表したのか? なぜ中央の全国紙である『中国青年報』には掲載しなかったのか? 私が非公式に『北京青年報』の幹部にこれらについてたずねたところ、「単なる偶然」と否定したが、なぜか張宝勝批判の記事は今後掲載しないことになったという。
 中国での超能力研究や気功研究は、清華大学(中国の理工系大学の最高峰)などの数カ所の大学や、正規の研究機関で実施され、国防科学技術工業委員会が統一管理していると聞く。張宝勝は同委員会に所属するれっきとした現役軍人である。『朝日新聞』の見出しのように張宝勝の「メッキをはがされた」のなら中国国内では大騒ぎとなり、権威ある『人民日報 』『光明日報』『科技日報』などが大々的に張宝勝批判を行なうはずである。
 ところがすでに二カ月が経過しようとする現在、権威あるメディアは完全にこの記事を黙殺している。このことから、張宝勝の能力については、科学的試験や研究で証明された疑う余地のない確固たる根拠があり、それを国家首脳も認めざるを得ないことが推測される。張宝勝の身分にも何ら変化はなく、現在二十部屋がある自宅に、さらに十部屋の増築建設が認可を受けて行なわれている。張宝勝が偽物だというなら、これらの事実は辻褄が合わないではないか!
『超人 張宝勝』によれば、国家の正規の科学研究所により、すでに十六年にわたって張宝勝の研究が続けられている。十六年も一流の科学者が研究して、本物か偽物かも区別がつかないほど、一国の軍組織というのはそんなに甘いものなのだろうか?
『朝日新聞』の記事には、〈何さんらは「科学的態度で『特異』現象を見なければならない。これは科学者の社会的責任だ」と語り、『超能力者』との対決姿勢を見せている〉とあるが、いったい彼らのどこが科学的態度なのか、私にはさっぱり理解できない。科学者であるなら何も北京の地方紙で個人攻撃をして力み返る必要はなく、科学実験に加わればよいだけである。科学者らしく、何度も違う条件で長期にわたって繰り返して実験を行なって結論を出し、学術界で堂々と自分の研究成果を根拠に発表すればよいのだ。それこそが科学的態度であり、責任あるメディアの態度であろう。七年も前に意図的に失敗させた一例だけをとらえ、公に個人批判の文章を発表することの、いったいどこが科学的態度であるのか?

 特異現象の存在と個人は別

 今年の五月二十六日、超人の紹介で、本人が医師でもあり、一九九〇年から米国に移り、中国と米国を往復しながら科学研究を続けている著名な気功師の厳新氏(四十五歳)にお会いすることができた(先に述べた、私が依頼を受けた寝たきりの子どもの治療は厳新氏にお願いすることができ、効果が出始めている。子どもを動かすことはできないので、国際電話で日本まで気を送ってもらったのだが、そのとき部屋には白光が出現したという)。その後、五回にわたり厳新氏から超能力や気功に対する科学的対応について教えていただいた。厳新氏自身については、別の機会に紹介させていただくとして、ここでは氏が今回の一連の真偽騒動について語っていたことをお伝えしたい。
「私も宝勝も自分を超能力者だとか、神だとか言った覚えはありません。みな他人の口や筆から生まれたものなのです。私も宝勝も普通の人間であります。神でもなければ超人でもなく、たまたま人とは違った特異な能力が若干あるというだけなのです。まずこの事実を皆さんに伝えてください。
 超能力や気功を支持する人たちも、科学的態度で紹介してください。超能力も気功も万能ではありません。他の科学も万能なものなどあり得ないのと同じことです。科学的な批判は歓迎します。なぜなら、我われの研究活動の改善につながるからです。
 批判する人が往々にして見落としているのは、私も宝勝も勝手に超能力や気功を発揮しているわけではなく、国家の正規の研究所や機関、病人から求められ、長年にわたって科学研究に従事しているという事実です。正規の研究所での学術報告には、『神』とか『超人』といった非科学的な用語は一切使われていませんし、特異現象の存在と個人とは切り離して論じられています。
 ところが批判する人たちは、往々にしてこの両者をごっちゃにして個人攻撃をします。超能力者にも家庭があり、この社会の中で生活していることを思い出すべきです。超能力者にも普通の人と同じように、家族と団欒し、社会活動に参加し、休息したり学習したりする権利があってしかるべきです。偽物や迷信活動をする者に対しては、国家も率先して取り締まっていますし、我われも一貫して反対してきています」

 以上、私が目撃してきたことを述べてきたが、メディアの真偽論争ほど虚しいものはないと感じさせられた。同時に、中国はこの超能力の研究と応用では、世界のトップを走っているのではないかと私は今確信している。私はこれからも張宝勝や厳新氏の友人であり続けたいと心から思っている。そして、この二人のことを読者の皆さんに正確に紹介できれば、私のささやかな希望は十二分に達せられるのである。
 張宝勝は、時には尊敬され神に祭り上げられ、時には侮辱されペテン師にされている。それなのに彼は、今日も毀誉褒貶の十字路を全力で駆け抜け、自分の特異能力を使って困っている人たちを、社会的地位や国籍で差別せず無償で助けている。通常の家庭生活は放棄せざるを得ないところに追い込まれても、なお世のため、人のために尽くしているお二人に、私は心からの敬意と感謝を捧げたい。



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