ユリ・ゲラーとその後の超能力事情(J・ランディー、サイコップ、そして超魔術)

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投稿者 SP' 日時 2001 年 2 月 05 日 16:35:47:

回答先: 「私の超能力はE.T.Iによって得られたパワーだ」(『UFOS & SPACE』83年7月号) 投稿者 SP' 日時 2000 年 12 月 21 日 12:54:26:

以下『Mr.マリック超魔術の嘘』(ゆうむはじめ著、データハウス、1990)より抜粋。


 超能力を語る場合、やはりユリ・ゲラーは避けては通れない。
 単に「手品師か超能力者か」という論点とは別に、一般人のうかがい知る事のできない、超能力そのものが置かれているところの「特殊事情」とでもいうべきものと、ゲラー氏が複雑に絡みあっているからなのである。
「超能力がおかれている特殊事情」とは、要約すると次のようなものになる。
 一九七〇年代のなかば頃をさかいに、超能力をけっして認めたがらない強力な『組織』がアメリカに出現し、「オカルトの害からアメリカを救え」のスローガンのもとに、民間の超能力研究に対してまでも様々な妨害が行われるようになった。そしてご存じのように、ユリ・ゲラーは徹底的に糾弾され、ペテン師として烙印を押されてしまったのであるが、しかしその背後には、「超能力などというものは、おいそれと民間人が研究してもらっては困る」という身勝手なる『意志』が台頭してきたのでは、と推測でき、これこそが頑強なる超能力否定の正体ではないだろうかと考えられるのである(なお、現在もこの『意志』は存続しているものと思われる)。

暗躍するサイコップ

 超能力をけっして認めたがらない『組織』とは、サイコップ(Committee For The Scientific Investigation Of The Paranormal、以下『CSICOP』と略す)の事を指す。訳すと「超常現象の主張を科学的に検討する委員会」となり名目は立派ではあるのだが、ところが実際は、超能力を否定するのを目的として活動しており、現代のいわば魔女狩り的な組織でもある。
 そのメンバーは、後述するJ・ランディーを初めとして、数学パズルで有名なマーティン・ガードナー、心理学者ポール・クルツ、さらにカール・セーガンやアイザック・アシモフなど、そうそうたる人物が名を連ねている。
 CSICOPは、一九七六年の設立当初は、超能力の研究論文に対する批判を主にしていたのだが、次第に研究者や超能力者の、私生活暴露にまで手を染めるようになり、やがてその活動は、超能力研究に対する露骨な妨害工作へと変わっていく。たとえばJ・ランディーは、民間の超心理学研究所に、特殊な訓練をほどこした無名のマジシャンをもぐり込ませ、3年近くもの間、超能力者のふりを続けさせ、研究者がだまされた事を公表して、その研究所を閉鎖にまで追いこんでいる。
 またCSICOPはUFO隠蔽工作にも関与しており、米政府がUFO問題に直接コメントをしなくなってからは、このCSICOPがUFOの否定発言を一手に引き受けている。たとえば、何でもかんでも金星や木星のせいにしてしまう、UFO否定の急先鋒フィリップ・クラスもCSICOPの一員で、アラスカ上空でUFOを目撃したとして話題になった日航ジャンボ機の機長は、彼の発言がもとになって左遷されている(フィリップ・クラスは、アメリカでは権威のある航空雑誌エビエーション・ウイーク&スペーステクノロジーの編集長で、彼の発言を日本のマスコミが取り上げ、なぜかこれが最終結論とされてしまうのだ)。
 またつい最近、中国で大停電まで引き起こし、スクランブル発進まで行ったUFO騒動に関しても、CSICOPのメンバーであるジェームス・オバークが「あれは日本の打ち上げたH1ロケットである」とかなり無茶な発言を行っている。しかし中国政府は、これを受けた形で「アメリカの著名な科学者が言うには、…」と、北京放送で彼の発言通り発表している(勿論日本の宇宙開発事業団からは、何等コメントは無い)。
 このようにCSICOPは、超能力やUFOを否定するためには手段を選ばないという、いわば盲進者の集団でしかないのだが、ところがどういう理由からか(日航や中国の例にもあるように)対権威筋に対しては、極めて影響力が強い。これは彼らを操っているかに思える、背後にあるところの『意志』そのものが高権力であるに違いなく、UFO隠蔽の複雑な事情も絡んでおり、極めて不気味でもある。しかし残念ながら、背後にある『意志』の方は、その内情は全くといっていい程分かっていない(CSICOPは米国防総省の肝入りで作られたとも言われている)。
 ただ超能力事情にのみ関して言えば、CSICOPの設立と時を同じくして、超能力研究が軍事目的に利用されだした事は事実のようで(これに関してはおって詳しく後述する)、してみれば、いわば秘密兵器でもある超能力は、表向きには「超能力など存在しない」と否定しておいた方が得策であろうと政府機関なら考えそうな事ではあり、超能力の軍事研究を通してなら『意志』の一端はかいま見る事もできるかもしれないのだ。
 ちなみに現在、CSICOPの会長はJ・ランディーがつとめている。彼は元来は奇術師であったのだが、ユリ・ゲラーを執拗に攻撃した事で世に出た人物である(彼の超能力潰しについては、後で実例をあげて説明する事にする。またMr.マリックは、このJ・ランディーを師と仰いでおり、二人の関係についても後述する事にする)。
 さて、以上のような状況の中において、ユリ・ゲラーがいかなる役割をはたしてきたのか、考察していく事にしよう。
 まずすべての始まりは、SRIでのゲラー氏を被験者にしての実験が発端であったのだ。

『スタンフォード研究所(SRI)における実験』(一九七二年〜一九七三年〜)

 SRI(現在はSRIインターナショナル)は、一九七〇年にスタンフォード大学より独立し、シンクタンク(総合的研究組織)として独自に活動しているが、その資金の大半は米政府及び国防総省より得ており、いわば政府のための軍事研究を主体にしたところの研究機関である。また、ゲラーの実験を行ったラッセル・ターグ、ハロルド・パソフの両名も元来は超心理学の科学者ではなく、レーザー、マイクロウエーブ、プラズマなどの分野でかなりの実績のあるエリート物理学者である。
 SRIで始められたこの種の超能力実験は、一九七二年6月、能力者インゴ・スワンの参加により本格的に開始され、形を変えて今なお続けられている。ユリ・ゲラーが被験者となって参加したのは、計7週間と僅かな期間である。
 ここでのゲラーの実験は、論文が発表される以前にリークされ、様々な形で批判されている(まず『タイム』が一九七三年3月にペテン師ゲラーを研究するとは何事かと記事にし、『ニュー・サイエンティスト』はこの論文発表の前日に15ページものゲラー否定記事を掲載している)。このように前途多難な中で発表されたのが、かの有名な研究論文「遠隔透視(Remote Viewing)、感覚刺激遮蔽状態下における情報伝達」である。これが伝統をほこる科学雑誌『ネイチャー』一九七四年10月18日号に発表されたのだ。
 この論文は3章よりなっており、第1章のみがゲラーについて書かれて いる。しかし内容は、全くもってゲラー研究とでも言うべきものであり、「かの有名なゲラー氏の能力は真正のものである、これは厳密なる管理下の実験において立証された、ゆえ(遠隔透視なる)超能力は実在すると認めるべきである」といった主旨になっている。
 またこの論文は、J・B・ライン以降主流になりつつあった『普通人』を対象にした(統計学的なる処理方法によるところの)超能力の実在を証明するという「一般人には理解されがたい」研究とは一線を画するものであった。というのも、幸運な事にSRIは、当時極めて優秀なる被験者(能力者)をゲラー以外にも、インゴ・スワン、パトリック・プライス、ヘラ・ハミットら複数保持していたからであり、ライン博士のような複雑な手順をふまずとも十分に研究が進められたからである。なおSRIでの一連の実験は、この両科学者の共著による『マインド・リーチ』(一九七七年)に詳しく報じられているが、それによると、能力的にみても、また能力の制御という点においても、PK、ESPともに、インゴ・スワンの方がユリ・ゲラーよりも遥かに勝っていた事がうかがえる(もっとも『マインド・リーチ』がどこまで信用できるかは、疑問なのであるが)。

ゲラーはいけにえか?

 この種の研究に関しての肯定的な論文が『ネイチャー』などの有名な科学雑誌に発表されたのは、後にも先にもこれ一件きりだけである。当然、猛烈なる論争に発展したのは言うまでもない。ところが、超能力否定派からの批判、及び研究者側からの反駁、これらを丹念に調べていくと、あるひとつの結論にたどりつくのである。
 この結論から先に述べると、ユリ・ゲラーは、超能力に関する隠蔽工作(情報操作)のための『いけにえ』にされたと言えるだろう。
 つまりその知名度ゆえに、彼を『ペテン師』として血祭りにあげる事さえ出来れば、必然的に、一般大衆から見れば超能力そのものが否定された形になるからだ。なぜそうまでも超能力を否定しなければならなかったのかは、これは軍事研究とも密接に関係してくる話であり、おって詳しく述べる事にするが、まずこの『ネイチャー』に発表された論文及び『マインド・リーチ』なる書物について、いくつかの疑問点をあげて考察してみる事にする。

怪しげな学術書『マインド・リーチ』

 なぜ、ターグとパソフの両科学者は、インゴ・スワンの実験の方を、ゲラーとほぼ同様の実験を行っており、ゲラー以上に成果を得ていたにも拘わらず『ネイチャー』に発表しなかったのだろうか?
 既に『タイム』の批判記事などで渦中の人物であったゲラーの論文を発表すれば、よけいな反論を受けるのは目に見えていたはずだからである。
 また、はたして彼ら両名に、積極的に最後の最後までゲラーを擁護する心積もりがあったのだろうか?
「ゲラーが制御されない条件下でやった事を守ってやる気は毛頭ない。しかし、SRIの中でわれわれが課した条件のもとで、彼がやった事は弁護できる」と、マインド・リーチには述べられている。
 では「SRIでわれわれが課した条件」とは、それ程までに完璧なものであったのだろうか?
 この事については、J・ランディーを初めとして、様々な方面から攻撃されている点なのではあるが、この種の批判への反駁として、当の研究者ラッセル・ターグは、奇術に対する、相当に深い知識を『マインド・リーチ』にて披露させている。しかし、もしこの知識が本物で、ターグ自身のものであったとしたならば、テレビ等におけるゲラーの実演に関しても何等かの判断はできたはずだと思えるのだが、この「守ってやる気は毛頭ない」以外には彼ら側からの論説は見当たらない。また『マインド・リーチ』には、ゲラーがSRIに滞在中の、実験外で彼のひきおこしたポルターガイスト的な超常現象に関して、必要以上に数多く述べられているのだが、手品のタネをひとつでも発見したとの記載は無い。この『マインド・リーチ』は、この分野では超一級の学術書なのではあるが、こと超能力者個人に的を絞って書かれているという点においては、極めて異例な書物でもある。そしてどういう理由からか、ゲラーに関する項目のみ超常現象的な記載が多く、たとえば他の能力者インゴ・スワンらに関しては、このような記述は一切なされていないのである。
 さて、この『ネイチャー』の論文が契機となって、くすぶっていた『反超心理キャンペーン』がいっきに爆発し、一九七六年にCSICOPが組織されたのである。そして当初はこの論文に攻撃が集中したわけなのであるが、当事者パソフ、ターグからの反駁は『マインド・リーチ』以外では予想外に少なく、批判は次第にユリ・ゲラー個人へと集中する事になる。また受けて立つ方も、この論文を『金字塔』だと崇める他の民間の超心理学の研究者達となり、そしてCSICOPは『魔女狩り』的な無差別攻撃へとその戦術を変えていくのである。
 ターグ、パソフらの研究に戻ろう。
『マインド・リーチ』によると、インゴ・スワンを被験者にしての『遠隔透視』の実験は、一九七三年五月頃をさかいに『SCANATE計画』と称するものに変わっている。これは、被験者(インゴ・スワン)に経度と緯度だけの情報を与え、そこがどんな場所かを透視させるという脅威的なもので、厳正を期するために、目標座標は外部の第3者に選定してもらい、電話での指示後、インゴに即時返答を要求するといったものである。この実験は、驚くべき成果をあげたらしく、またこの頃より、政府の科学者が座標選定に関与してきたとも述べられている。

グリル・フレーム計画

 これは一九八四年四月二三日付の『ワシントン・ポスト』紙上にてスクープされたものであるが、それによると、一九七〇年代のなかば頃より『グリル・フレーム計画』という極秘プロジェクトにCIAとDIAが多額の資金を投じてきていると報じられている。これは『遠隔透視』の軍事への利用を目的としたもので、能力者を使い、ソ連のカザフ共和国の核実験施設、TU95爆撃機バックファイアの墜落場所の特定、原子力潜水艦の位置確認など様々に成果をあげているという。このプロジェクトの責任者がSRIの二人の科学者ターグとパソフなのである(一九八二年をさかいに、ターグの方はSRIのこの関係からは手を引いたと伝えられている。なおパソフもSRIを辞めてはいるが、今なおこのプロジェクトの最高責任者であるという)。
 そして、この『プロジェクト』のメインとなる能力者が、インゴ・スワンであるらしいのだ。
 つまりSRIでの研究は、おそらく一九七三年五月の『SCANATE計画』あたりより、そのままそっくりと、軍事目的に沿う形で取り込まれていったと考えるのが自然であるようだ。またネイチャーに発表されたゲラーの実験は、前後2回にわけて行われており、前の方の実験は一九七二年中に終えているのだが、後の方の実験は一九七三年の8月 の事なのである。つまりSRIでの研究に、軍事目的という重大なる方針変更があったかに思える時期に、運悪くゲラー氏は実験を行ってしまったのである。パソフとターグがどの時点でそれを正確に認知しえたかは定かではないのだが、『ネイチャー』にインゴ・スワンの実験データを公表しなかったのも、このへんの複雑な事情が絡んでいたからに違いなく、ゲラーの実験もふくめて、かなり早い時期から意図的なる情報戦略に組み込まれていたのではないだろうかと想像されるのだ(またマインド・リーチには『SCANATE計画』のさわりだけが述べられているに過ぎない)。

巧みな情報操作

 いずれにしてみても政府機関からしてみれば、この『ネイチャー』に発表された論文が「好ましい」事であるはずはない。もっともゲラーを題材にすえる事により、十二分に叩ける事を、予測していたのかもしれないが、かといって公には否定するわけにはいかないし、『反超心理キャンペーン』に便乗する形で、CSICOPを人的に(カール・セーガンなどの著名な科学者の名前を貸す)、あるいは資金的に(CIAが援助しているとの情報もある)支援したのではないだろうかと推測されるのだ。当然、当面の目的はこの論文の効力を消す事にあり、その役割を演じる『いけにえ』としてユリ・ゲラーが選ばれたのである。
 この作戦は見事当たったようにも思われる。金字塔であるべき『ネイチャー』の論文も、ゲラーが被験者として参加しているがゆえに、その評価は不当に減じられている。また何よりも大きかったのは、一般大衆に対する影響力であったようだ。科学者もふくめ多くの人々が、ユリ・ゲラーをペテン師として認知し、かつ超能力そのものに対する興味をいちじるしく低下させたのは、以上のような巧みな情報操作の結果によるものなのである(また日本において、かつて週刊朝日が中心になって繰り広げられたゲラー論争などは、極めて低次元の産物であった事は言うまでもない、情報操作の術中にまんまとしてやられた結果だと言えるであろう)。
 しかし一方、冷遇されるべき両名の科学者はその後もさかんに研究を続けており、彼らが関わったとする『グリル・フレーム計画』には、一九八二年までに五〇〇万ドルにも及ぶ資金が投じられているとの報告もある。いかに軍事目的であるとはいえ、これ程までの資金を与えられた研究者は、超心理学の分野では例がない。現在米国の超心理学をリードするチャールズ・T・タートの言によると、一九七八年において、一般の超心理学の研究プロジェクトに投じられた資金は、アメリカ全体でおそらく年間五〇万ドルにも満たないとの事であるからして、彼らがいかに優遇されていたかは容易に推測できるだろう。
 さて以上の事をふまえて、ユリ・ゲラー個人について再度考えなおしてみると、「まあ、なんとゲラーさんは不幸な目にあった事か」とつい同情してしまうのであるが、そして「ユリ・ゲラーは、本物の超能力者ではないのだろうか」とそう考えてしまうのであるが(実は、筆者もつい最近まではそう信じていた)、ところが、これがまた大問題なのである。
 つまり今まで説明してきた事柄は、情報操作のいわば片面だけであり、内実はさらに複雑に仕組まれているようなのである。筆者としても、これをどこまで説明してよいやら大変迷うところではある。ただこれまで説明してきた構図に関しては、かなりの確証もあり、妥当な推測だと自信を持ってはいる。しかしこれから先については、あくまでも可能性として述べるのであって(超魔術のタネ明かしの際にも、確か同様の表現を用いたかと思うのだが、あちらの方は単なる言葉の綾である。演目の『原作者』への配慮もあって仕方なくあのようにゴマかしたに過ぎない。ところが今回の場合は違う)、これから先の話は筆者の「憶測」であると考えていただきたい(勿論、ゲラー氏を陥れる魂胆など、筆者とは無縁である事だけは明白である)。

ユリ・ゲラーのトリック

 さて、筆者は雑誌(小学館GORO)の記事の関係もあって、来日したゲラー氏がステージで行った超能力の実演を見る事ができ(平成元年、9月12日)、翌13日に彼と直接会って1時間ばかり話す機会をえたのではあるが(目の前で『スプーン曲げ』もやってもらった)、しかしこれによって、「ユリ・ゲラーは真正の超能力者に違いない」という筆者の信念は、全くもって覆されてしまったのである。(筆者としてみても、これは容易ならざる状況であった。なぜなら「ユリ・ゲラーは正しい」「J・ランディーとCSICOPは悪者である」という構図が、一見崩れさってしまうように思われたからだ。これは再度、考えなおしてみる必要があるだろう。)
 つまり私の見た限りに於いては、彼が『手品』を演じていたに違いないと思われる演技が、数多く見受けられたからである(ステージ上で演じられたものは全部といってもいい)。
 それもかつて、J・ランディーらから指摘があったような、その通りのやり口で演じられるのだからして、唖然とさせられたのは言うまでもない。
 では、その代表的ないくつかを説明しよう。
 まず、方位磁石の針を『念』で、動かすという実験であるが、これはかなり初期の段階から「口の中に磁石を隠しているに違いない」と指摘されていたものである。もしこれがその通りであるならば、ゲラーは、自分の顔を磁石に近付けない限り、針を動かせないという理屈になる。
 さて千代田区公会堂での彼の演技はというと、やはり案の定(先人達の指摘通りに)彼の顔が近付いた時だけに、磁石の針は動いたのである。これはつい最近アメリカでテレビ放映された『EXPLORING PSYCHIC POWAERS』においても(J・ランディーを向こうにまわし、自称超能力者達が10万ドルの賞金をかけて自らの能力を証明するという番組で、これにゲラーもゲストとして出演した。なお賞金を獲得出来た者はおらず、ゲラーはこの選考外で、いくつかの実演を行った)、全く同様で、ゲラーの顔が近付くと針は動いている。まさに『指摘』通りなのである。
 また、植物の『たね』を手の中に握りしめるだけで、瞬時に発芽させるという実験であるが、これについては手品的なる単なる「すり替え」であるとの指摘がなされている。
 さて実際はというと、ゲラーはまず、園芸用の『たね』の入った封の切っていない小袋を観客に示し「さっきそのへんで買ってきたものです」と説明する(以下の演技は、ステージにしゃがみこんだ姿勢で行われた)。
 ゲラーは小袋の封を切ると、中の『たね』を自分の掌の上に広げる。そして「皆さんも試してみてください」と、掌の上の『たね』を観客にわけ与えてしまう。さて《次の行動がとんでもないのであるが》、どうした事か、彼は袋の中に残っている『たね』を、ステージの床にすべてザーと落としてしまうのである。そしてやおら、床に撒かれた『たね』を自ら拾いなおし、手の中に握りしめる。
 しばらくすると、彼は手をゆっ くりと開き「イエス、イエス、イエス、…」と、そして芽を出している『たね』を一粒つまみあげ「ルック、ルック、ルック(見てくれ、見てくれ)」と、さもそれが奇跡であるかのように、はしゃぎまくるのである。
 この「種を床にまいてから拾いなおす」という段取りは、『EXPLORING PSYCHIC POWAERS』においても全く同様であり、この時にはゲラーは『たね』を地面にまいてから、拾いあげている。
 このような馬鹿げた手順では「手品を使って神様のまねをするなんぞ許せない」とJ・ランディーが激しく攻撃するのも、当然の事なのである。
 まだまだたくさんある。
 ステージの奥には黒板がおかれてあり、会場より選ばれたひとりの客に、その黒板に『好きな色』を『英語』で書かせる。この間、ゲラーは目をつむって黒板に背をむけて立っている。
 客が『GREEN』と書き、他の観客に確認させたところで、黒板を消させる。ゲラーは目をあけ、観客席にむかって、今書かれた文字を強く念じてくれと頼む。しかるのち、おもむろに「グリーン」と彼は答える。
 これについても以前から指摘があったように、観客席にサクラがいたのではないかと推測される。つまりセカンド・サイトの変形である。ただし言葉のサインではなく、手でサインを送った初歩的なトリックであったと書物には記されている(野球のブロック・サインのようなもの)。
 やはり、この指摘通りと考えられる。なぜなら、色の名前をわざわざ『英語』で書かせたのが何よりの証拠だからだ。つまりサクラが判読できなければ、ゲラーには伝えようがないからである。またテレパシーの作用を考えてみても、この演技には矛盾がありそうだ。GREENという文字そのものを伝達するよりも、緑というイメージの伝達の方が、おそらくテレパシーとしては好都合なはずで、しからば黒板に日本語で『緑』と書いたとしても、本来はこれで実験は可能なはずだからである。
 さらに、客に『好きな絵』を黒板に書いてもらってから、同様に消し、彼はそれを見事に再現したのであるが、この時に関しては、彼は目をつむるわけにはいかないのだ。手によるブロック・サインでは、このような複雑な情報は送れない。ではどうしたかと言うと、客が黒板に絵を書いている間は、彼は舞台のすみの方にいき、1メートル四方の板を両手でもち、これを衝立がわりにして椅子に腰掛けている。そして絵を書いている客や、観客席にむかって「あまり複雑な絵は駄目ですよ」とか「皆さんも絵をしっかりと心の中に焼き付けてください」等々様々に語りかけるのであるが、筆者の観察した限りでは、彼が手にしていた衝立は、目隠としては何の効果もなかったようである。
 ちょっと板の角度を変えれば、ゲラーからは黒板は丸見えであったろう。事実、彼はせわしなく体を前後にゆすり、手で持っている板も、始終角度を変えていくのである。それに『絵』の場合は、瞬間的に見さえすれば良いのであるから、極めて安易なトリックであると言えるだろう。

ゲラーはぺてん師か?

 いかがだろうか、彼の事を信じていた筆者が見て、この通りであったのだからして、もはや弁護の余地などどこにもないかのようにも思える。
 彼の実演を『手品』だと片付けるのは至極簡単である。ところが、これまでの彼の演技をよくよく考えてみると、ある大きな疑問に突きあたってしまうのだ。
 つまり、ああまで克明に『トリック』を指摘されているにも拘わらず、なぜ彼は全く同じ方法で、さも「どうぞ、疑ってください」といわんばかりの手順で、演技を行うのであろうか?
 これはどう考えてみても、理屈にあわない。
 たとえば彼が真の超能力者であったとしよう、それならば指摘があった「疑わしき行為」など即座にやめてしまえばよいのである。方位磁石に顔など近付ける必要はないし、また『種』も地面にまかなければよいのである。
 つまり、これが出来ないところを見ると、彼は手品師という事になってしまう。ところが、もし彼の演技が『手品』であったとしたならば(当然、世界をまたにかけるところの『ペテン師』という事になるのだが)、手品師ならばやはり手品師なりの理屈というものがあるべきで、つまり何度か説明したところの『マジシャンの常道』からも、彼は完全に逸脱してしまうのだ。
 マジシャンならば『トリック』が見破られそうになれば、別の『トリック』を用いて同種のものを演じればよい。当然こちらの方が、より多くの人をより長くだませる理屈となる。ゲラーとしても、あれだけトリックを指摘されているのだから、当然『マジシャンの常道』を行えばよいのだ。ところが、こちらの方もゲラーは行おうとはしない。あいもかわらず、旧態前とした手順の演技を続けているだけなのである。
 つまり、超能力者と考えられないばかりか、本来あるべきペテン師の姿とも、ユリ・ゲラーは全く合致しないのだ。(??)

ゲラーの巧みなミスディレクション

 ゲラーは次のようにも答えている。
「疑われても仕方がないような仕草を、ついついしてしまうのは、私が不器用な人間であるからだ」
 筆者の印象からいうと、これは大嘘である。
 不注意で、つい怪しげな仕草をしてしまうのなら弁解の余地もあるだろうが、『たね』を地面にまくなんぞは明らかにパターン化された行為であり、何等かの『意図』があっての行動としか考えられない。
 さも「疑ってください」という演技を行うからには、やはりそれなりの理由があってしかるべきなのである。
 また、若い頃はどうであったかは知らないが、ゲラーは極めて機知にとんだ人間であり、彼のミスディレクションなどは超一級の『わざ』でもある。
 GOROの取材で『スプーン曲げ』を実演してもらった時には、筆者もまんまとこれにしてやられた。
 あらかじめ用意してきた、ヘンケル製の堅いスプーンを彼に手渡すと、
「このスプーンはちょっと堅い。パワーは公演にとっておきたいし、もっと柔らかいのはないのか」と彼が真顔で言うので、筆者は別のスプーンを取り出すべく、目をはなしたその瞬間に、
「イエス、イエス、イエス。ルック、ルック、ルック」。
 顔をあげると、スプーンは既に少し曲がっていた。つまり、スプーンが曲がる最初の瞬間を、筆者は見事に見逃してしまったのだ。
 そしてゲラーは、スプーンを手に持ったまま「いったいあの写真はどこへいったんだ。確かあったはずだけど」などと直前のインタビューで話題となった言葉を発しつつ、別室へと消えている(なお、彼のこの行動に関しては、同室した他のスタッフ達は全く覚えていないそうである)。
 彼が出てきた時には、スプーンはさらに鋭角に曲がっており「ほらほらまだまだ曲がっていくよ」と、彼はスプーンの柄の部分を、指一本でこすり続ける(実際に、この時に曲がっていくように見えたのも、事実ではある)。
 そして「ほら、私が手をはなしても、スプーンはまだ曲がり続けていくよ」とスプーンをテーブルの上に置いて、彼の演技は終了した(さすがに、このような暗示にはかからなかったとみえて、スプーンは曲がったようには見えなかった)。

機知にとむゲラーがなぜ?

 彼が不器用だなどとは、やはり到底考えられない。
 彼のミスディレクションに見事にしてやられたから言うのではなく、このようにその場その場で、臨機応変に対応できるのは、頭が器用でないと到底不可能である。
 これ程までに機知にとむゲラー氏が、舞台の上ではなぜ、あのようにトリックと疑われても仕方がない演技を、それも指摘されている手順通りに演じるのであろうか?
 疑問は、また振り出しに戻ったようである。…
 では、そろそろ結論を述べよう。
 これについては、筆者は次のように推理している。
 彼の演技(超能力のパフォーマンス)は、ふたつの側面から成立しているのではないだろうか。
 それは、ひとつは「客に超能力現象を見せる事」、そしてもうひとつは「あれは『トリック』だと攻撃を受ける事」である。
「攻撃を受ける」とはいっても筆者程度の者が騒ぐのではなく、CSICOPのJ・ランディーのような大物に糾弾される事を意味している。
 つまりどういう事かというと、ゲラーの演技は、そもそも『トリック』だと暴露される事を前提にして演じられているのではないだろうか、とそうとしか考えられないのである(ただし、これはネイチャー論文以降の話である)。そして暴かれるからには、誰がみても「なるほど」と分かり易いトリックであるべきなのだ。そして彼の演技が、まさにそうなのである。
 筆者はさきに、ゲラーは情報操作の犠牲になったと説明したが、「いけにえ」であるかに見えた彼が、実はこの情報操作に一役かっていたとしたらどうだろうか?
『叩かれ役』の彼が、その事を百も承知の上で実演を行っていたとしたなら、これまでの数々の疑問は、すべて解消されるのである。
 つまりユリ・ゲラーと、J・ランディーとが、個別に綱を引きあう事によって、大衆はいかようにも操れるのだ。
 超能力を広めるのも自由であり、また超能力そのものを否定するのも、トリックを暴露しやすいゲラーを否定すれば済むのだから、時期や場所を問わずして任意に行える。
 情報を操作するという点において、背後にひそむ『意志』にしてみても、これ程完璧な構図はちょっと見当たらないであろう。

米ソの超能力事情

 ではなぜ、いずれは否定するべき超能力を(たとえ瞬間的にせよ)広める必要性があったのだろうか?
 これについても、筆者は次のように考えている。
 一九七〇年代の超能力事情において、米ソの両国のおかれていた立場を考えてみると、ソ連の場合は一九七〇年代前半のある時点(一九七四年?)に、ソ連各地にあった30程の超心理学の研究所をすべてKGBの管理下におき、以来この種の研究論文は一切外部には漏らしていない。またゲラーが一九七二年にSRIで行ったテレパシー実験などは、ソ連においては既に一九六六年から同様の実験が開始されており、さらに、ニーナ・クラギーナなどの強力な能力者が、ソビエトには存在する事も、報告されていた。
 つまりアメリカの超能力研究は、ソ連と比べれば、ゆうに5年は遅れていた事になるのである。
 一九七七年に、パソフとターグという、いわば政府の科学者によって書かれた『マインド・リーチ』が、数名の超能力者個人の能力に焦点をあてた異例の書物であるのは、「我が方にも(SRIという単独の研究機関においてすら)、この程度の能力者はゴロゴロいるのですよ」というソビエトに対する、牽制の意味もあった事は容易に推測できるのだ。
 ところが、超能力者はそうザラにはいなかったのである。当時の他の超心理学の書物を調べた限りでは、SRIは異例中の異例であり、他の研究機関には満足な超能力者など皆無という状態であったのだ。
 筆者はゲラー氏とのインタビューの際に、インゴ・スワンを初めとして、米国の軍事研究についてかなり執拗に尋ねてみた。
 当然「トップ・シークレット」以外にはほとんど語ってはくれなかったのだが、彼の言葉を総合すると次のようなものになる。
「私(ユリ・ゲラー)はB級の超能力者である。インゴ・スワンは、私よりも数段上のクラスの能力者であり、現在では、おそらく世界最高の能力者のひとりである」
 では世界中には彼(インゴ)クラスの能力者がどのくらいいるのかと尋ねると、ゲラーは片手を広げて、
「いない」と首を横に振るのである。
 やはり能力者の数は、極めて少ないのだ。
 つまり当時の政府機関にしてみても、軍事目的にかなう能力者は、SRIにいたインゴ・スワンひとりしか、おそらくは見付けだせていなかったのであろう。勿論、ゲラーが放り出されたところを見ると、彼の言葉通り、ゲラーが超能力者としては実用的な人物でなかった事だけは事実のようである。
 いずれにしても、いかに『マインド・リーチ』で宣伝しようとも、内情は、超能力者不足の問題で政府機関が困窮していた事は容易に推測されるのだ。

ゲラーの役割

 では、どうやって超能力者を発掘すればいいのだろうか?
 一般公募(?)というわけにはいかない。公には『超能力』は否定しなければならないからだ。クラギーナの「カエルの心臓を止めてしまう」ようなぶっそうな物を、民間人が研究してもらっては困るのだ。
 しかし、能力者は欲しい。
 どうすれば、この矛盾にみちた希望はかなえられるのだろうか、…
 この答は、既に提出されている。
 ユリ・ゲラーの活躍の場は、ここに見いだせたのである。
 彼の超能力ショーをみて、「私もスプーンが曲げられる」と多くの人が名乗りをあげたのは、ご存じの通り。
 つまり彼の超能力パフォーマンスは、『手品』だとか『超能力』だとかそういう次元のものではなく、単に『誘発効果』だけに的を絞った演技なのである。
「テレビの前のあなたも、きっとできる」と宣教師の役に、彼程のふさわしい人物はいないだろう。
 そして、CSICOPがもし本気で彼を潰すつもりならば、とうの昔に彼は葬り去られていたはずなのである。J・ランディーの執念深さは並大抵のものではない(これについては、次の項で語られる)。
 しかしゲラーは今もなお、アメリカのテレビ番組にも出演し、悠々自適の生活を送っているのだ。
 いわば『釣り竿』のさきの餌だと考えれば、わかりやすいだろう。そしてもし『鯛』がかかれば政府機関がしかるべく保護し、『雑魚』しか掛からなかった場合にはCSICOPが登場して葬り去ってしまえばいいのだ。いずれにしても後始末はJ・ランディーが行い 、『釣り竿』もろとも跡形もなく消してしまうのが彼の役目である。勿論『釣り竿』が、あらかじめ消されやすい構造をしているのは、ご説明してきた通りである。
 また超能力が、世間に静かに浸透しているような場合にも、この『釣り竿』作戦が有効である。いったん『超能力』を表舞台に引きずりだしてから、ぶち壊した方が、より効果的なのは言うまでもない。
 つまりユリ・ゲラーの超能力パフォーマンスは、『超能力者の発掘』とそして『超能力否定』、矛盾したこのふたつの目的を兼ね備えていたのである。
 この構図の利点は、何度となく繰り返して行えるという点であろう。場所も任意に選定でき、米本国のみならず西側諸国の様々な場所において、これは可能であったのだ。
 以上が筆者が『推理』するところの、情報操作の隠された片面である。全くもって、根拠のある話でない事は、言うまでもない。
 またその後、インゴ・スワンに匹敵する能力者が発掘されたという情報もない(インゴ・スワンそのものが実在しない、米政府のでっち上げた架空の超能力者である、とも考えられるのだが、…)
 つけ加えるに、筆者が会った印象からいえば、ユリ・ゲラーは愛すべき人物であり、けっして悪人なんかではない。また彼の超能力の真贋についても、根本的なところでは、おそらくは半永久的に暴かれる事はないであろう。彼はSRI以外でも様々な研究機関で肯定的なデータを取らせており、このすべてを否定する事は、いかにJ・ランディーといえども不可能である。つまり、ユリ・ゲラーはある側面では、まぎれもなく真正の超能力者であったのだ。
 また超能力の軍事利用であるが、これに関してはつい最近、米政府の高官から「超能力は、軍事目的としては使えそうにない」との発言もあったらしい。この言葉をどう解釈してよいかは、筆者には判断すべき材料がない。

ジェームズ・ランディーと超魔術

 CSICOPにおける彼の活動は、すべて彼の次の言葉に集約される。
「超能力なんてものは、この世に存在しない!」
 彼のこの信念が、いか程のものであるかは、ランディーが実際に行った『超能力潰し』を見れば明らかである。
 一九八三年三月号の『ディスカバー』誌には、これを「ランディーしてやったり」と彼の「偉業」をたたえるかのように報じられている。(このディスカバー誌の編集長レオン・ジャロフもまた、CSICOPの一員である。UFO否定の急先鋒フィリップ・クラスが権威ある航空雑誌の編集長であるように、CSICOPは、否定発言を自由に行える場をいくつか確保している。これがCSICOPが、力を発揮できる所以でもあるのだ。)
 それによると、ランディーは、特殊な訓練をほどこした2名の若いマジシャン(スティーブン・ショウとマイケル・エドワーズ)を、設立してまもない超心理学研究所(故ジェームス・マクダネル氏の寄贈により、ワシントン大学内に設置された研究所)にもぐり込ませ、一九七九年から3年近くもの間、計一二〇時間にも及ぶ実験に被験者として参加させている。そして彼らは巧妙なる『トリック』を使って偽の超能力現象を演出し、脅威的なる実験データを取らせたところで、ランディーが「実はあれは手品だったんだ」とスッパ抜き、超能力の研究者などという者は「無能である」と世間に公表したのである。
 おとり捜査が許されるアメリカならではの出来事であり、結果、この研究所は閉鎖に追い込まれてしまっている。

だます側には不可能はない

「ステージ・マジシャンの『トリック』を解説できないような研究者は、超能力現象の研究をする資格がないと言うべきであろう」
 これはロンドン大学教授ハンス・J・アイゼンクの言葉であるが(一九七四年、ブリタニカ)、現実にはそう易しいものではない。
 奇術のトリックなど、たとえいくら知っていたとしても、逆に利用されるのがオチである。もしマジシャン側が本気をだしたとしたならば、だまされない研究機関などは、この地球上には絶無であろう。
「だます側には、不可能はない」のだ。

マリックとランディーの関係

 さてこの両名のマジシャンがどのような『トリック』を用いたか、詳細は報じられてはいないのだが、メタル・ベンディングつまり『スプーン曲げ』と、ポラロイド・カメラによる『念写』、このふたつで欺いたと記載されている。念写の方は不明だが、スプーン曲げの方は、おそらくは筆者が解析した中のいずれかの方法であったかと想像される。
 というのも、Mr.マリックの『スプーン曲げ』も、もとをたどれば、この2名のマジシャンを訓練したところのJ・ランディーが元祖であるからだ。
 いきなり、きな臭い話になってきたのではあるが、マリックさん自身がおっしゃっているのだから仕方がない。
 マリックさん側からの話を総合すると、彼とランディーとのつながりは次のようなものであるらしい。
 一九七二年、ハワイで行われたPCAM世界大会クロース・アップ・マジック部門で優勝したMr.マリックは、その後米本土での武者修業中に、ニューヨークでJ・ランディーに会ったとの事である。当時のJ・ランディーはユリ・ゲラー弾劾の真っ最中であったはずなのだが、どういう意図があってか、ホテルなどを使用して小規模に「メタル・ベンディング・パーティー」なるものを催していたらしい。これにマリック氏も参加したらしいのだ。そして彼の技にいたく感動したマリック氏は、その後僅かな期間ではあるが、ランディーから直接手ほどきをうけ『超魔術』を開眼するにいたった、とこのような事情になっている。
 一方、J・ランディーのマジシャンとしての過去については、「フーディーニの後継者として脱出マジックを得意とする」程度の記載しか見当たらず、彼の技量がどの程度のものなのかは不明である。ただアメージング(驚くべき)・ランディーとして彼が有名になったのは、一九七四年にホワイト・ハウスにて、ユリ・ゲラーがテレビ等で行っていた超能力の実演を、これと同様の演技を『手品』でやってみせて、関係者をすこぶる驚かせたのが契機となっている。この事から考えるに、おそらくユリ・ゲラーの存在なくしては、J・ランディーはただの(無名に近い)マジシャンでしかなかったのだ。
 つまりユリ・ゲラーがいてJ・ランディーが存在する、そしてマリック氏の『超魔術』が誕生したのである。要約すればこのようになるのだが、ゲラーとランディーとの関係についてはご説明してきた通りで、様々に憶測ができるのではあるが、ことランディーとマリック氏については、その関係はごく僅かなものであり、これ以上の真実はないと思われる。ましてマリックさんがCSICOPと関係していたなどとは、到底考えられない。

理不尽な構図

 ところが、「超 能力を否定する」という立場のCSICOP及びJ・ランディーにしてみれば、ユリ・ゲラー同様、マリック氏の『超魔術』もまた、十分に標的となり得るのである(攻撃の直接対象という意味での『標的』ではない、あくまでも『釣り竿』である。そして超魔術という『釣り竿』もまた、もろい構造をしているのはご説明した通りである)。
 ランディーは、先頃テレビ局のまねきで来日したのだが、そのおりの彼の言動がこれを如実に物語っている。
 たとえば、日本テレビで平成元年7月2日に放映された『巨泉のこんな物イラナイ』に彼は出演したのだが、マリック氏の超魔術については「あれはよく訓練されているが、僕にも出来る」と、そしてシガレット・スルーを演じてみせて「アメリカでは、子供でもできるトリックだ」と一笑にふす(タネを明かしてくれたわけではない)。その後ノーベル賞受賞者のエーデルマン博士が登場し「私は科学者だから超能力などには関心がないし、信じていない」と発言し、そして「超能力なんかイラナイ!」と、こんな結論が導きだされてしまうのだ。
 またDAYS・JAPAN8月号における『Mr.マリックと超能力の謎』という特集記事においても、構図は同じである。
 超魔術はほとんど攻撃されず、ランディーは「超能力なんてこの世に存在しない」とゲラーや気功師のわざを糾弾し、そして「キヨタよ、自分の能力が本物であるというならチャレンジしてこい。うぶな科学者はだませてもマジシャンの目はだませない事を教えてやる。『やってみろッ、できないんなら黙れ!』」と激しく攻撃するのである(清田益章氏の超能力については、筆者は判断材料を持ち合わせていない。しかしランディーが攻撃するところをみると、逆に真正である可能性が高い)。
 つまり『手品』(超魔術)を『手品』だと言う事をダシにして、『超能力』が否定されたり、あるいは攻撃されたりするのである。
 超能力の側にしてみれば、全く理不尽な構図なのではあるが、世間ではなぜかこれで通用してしまうのだ。
 マリック氏の『超魔術』は、彼自身が好むと好まざるに拘わらず、このように、いわば『情報戦略』の中に組みこまれてしまう可能性が十二分にあるのである。
 マリック氏とて「これが本意なんかであるはずはない」と、筆者はそう信じたい。

付 記

 本書には、結論めいたものはない。
『超魔術』を『超能力』から分離するという点においては、それなりの成果もあったかと思うのだが、では「超能力といわれている側は真実なのか」と視野を広げてみたならば、ユリ・ゲラーのところでもご説明したように、全くもって藪の中としか答えようがない。
 自らを超能力者だと偽るやからは、今後ともきっと現れるだろうし、また意図的に作り出されたりもするのである。
 超能力に憧れをいだき、超能力者を畏敬の念でもって崇めるという気持ちが私達の側になくならない限り、これは半永久的に続く構図なのだ。
 本文にては、J・ランディーを大悪人のように描いてしまったのだが、他方では、彼は研究所を潰したのと同じ「おとり捜査」という方法によって、霊媒師や新興宗教の教祖様の、イカサマな超能力も暴露し、糾弾している。
 Mr.マリックもまた「超能力にあこがれて信者になんかなるよりも、私のショーを見て楽しんでください」とこうも発言している。
 ある意味においては、二人の考え方もまた正論なのである。筆者としてみても、宗教と超能力の関わりあいに関しては、大きなテーマとして課せられるべきところであろう(なお筆者は、敬謙なる無神論者である)。
 また、超能力の隠蔽工作(情報操作)についてであるが、初期の頃に比べると、その意味合いはかなり変化してきているようにも感じられる。最近の世論調査によると、超能力の存在を信じる人間の方が割合的には多くなってしまっており、今さらCSICOPごときが超能力を否定したところで、一般人にはもはや何の効果もないのだ。またESPカードやサイコロ等の基礎的な実験を行っている限りにおいては、民間の超心理学の研究者達も攻撃をうける必然性はない。
 しかしながら、RSPKのような強烈なものに関しては、背後にひそむ『意志』にしてみても、これだけは放っておくわけにはいかないようなのだ。人殺しに悪用されるとか、そういった直接的な意味も少しはあるのだが、内情はもっと複雑なようである。
 つまりサイコキネシスは、その原理をつきつめて考えてみたならば、重力異常現象ではないかと考えられており、民間の研究者達にこちらの方向(重力制御)からアプローチされるのが「ヤバイ」らしいのだ。
 民間のサイ科学研究では、能力者の不足という状況もあって、特殊な機械装置を用いる事によってサイの本質に迫ろうとする動きがあり、ある研究者などは、超能力と類似の現象をおこせるまでに成果をあげているという。
 そして、この種の研究を進めていけば、どうしても重力制御という問題にたどりついてしまうのだ。
 つい最近では、カナダの青年がこの種の実験に成功したらしいのだが、どうした事か、その後全く消息を途絶えてしまっている。
 考えるに、この種の発明発見は、もはや個人のレベルでは特許出願はおろか、身の危険性すら生じる特殊な領域なのである。
 つまり『どこかの誰かさん』が、以前から『この種の理論』に関してはかなり詳しくお知りになっていらっしゃるのでは、と十分に推測できる情況があり、では『どこかの誰かさん』はこの理論をいったい『誰』から教わったのか、という素朴な疑問が当然生じてくるわけだし、背後にひそむ『意志』にしてみても、当面はやはり隠さざるをえない領域なのかもしれない。これはUFO隠蔽問題とも密接に絡んでくるので、筆者としてもうかつに手を出せる範ちゅうではないのだが、いずれまた、機会があればと考えている。
 また最新の超心理学では、以前のようにテレパシー、透視、予知、PK、サイコメトリー(スキン・ビジョン)、テレポーテーション、等々細かく分類する方式は改まってきており、PK現象ひとつで考えていこうとする動きもある。
 そしてすべての物質からは、PK波とでもいうべき未知の波動が放射されていると考えるところからスタートする。
 たとえば、無生物からPK波が放射されていたとして、これを人間が感知し、その暗号を見事解読する事ができれば、それがいわゆる『透視』である。
 あるいは無生物からはPK波は出ないとしても、コウモリにおける超音波のように、人間から放射されたPK波の反射を、感知し解読すると考えてもいい。
 また、人間が思考の過程において脳より放射されたPK波を、他人が感知し解読する作業が『テレパシー』である。
 予知に関しても、近未来予知に関しては、この理論で説明は可能である。
 たとえば「ケネディーの暗殺を予言した」事例も、そのイメージが予言者の頭にひらめいたのと同時進行で、どこかの場所において、そのような密談 がなされていたのだと考えればいいのだ。
 もっともノストラダムスの諸世紀のような遠未来予知に関しては、説明は不可能である(そもそもこのような予知は実在しないのだ、とこう考えるのも、ひとつの方法ではある)。
 またこのPK波は、極めて透過性が高く(鉛をも通過する事は様々な実験で証明されている)、また物質を透過した際に、その物質に何等かの痕跡を残していくとも考えられており、この痕跡を解読するのがサイコメトリーである(レーザー・ディスクの方式を考えれば、わかりやすいだろう)。
 以上のようなPK現象は、人間の側においては、おおざっぱに言って『感知する』そして『解読する』この二つの作業にわけられるのは言うまでもない。
 そしてこの『感知』と『解読』、これらの能力それぞれの有無と精度によって、個々の超能力の発現が決定されるのだ。また感知能力、解読能力がいかに優れていたとしても、脳の中において、この二つの作業工程が連結されていなければ意味がなく、夢とESPのところで説明した『変性意識状態』は、この連結を密にする効果があるのでは、とも考えられている。
 そして最終的な『解読』という作業は、人間の脳においては『パターン認識』の領域の仕事であるとも考えられ、それゆえ、よく言われているように『右脳』が超能力と関係してくるのだ(人間の右脳には、パターン認識に関係している部位がある。パターン認識とは、たとえば簡単な線で書かれた『象』の絵をみて、これを『象』だと認識する作業の事で、高等動物のみが有する機構である。またコンピューターがもっとも苦手とする分野でもある)。
 つまり、以上のようなESP系に関しては、人間が目でもって外界を見るという作業と本質的には何等変わるところはないのだ。それゆえ条件さえ整えば「正夢」や「夢枕」のように、比較的楽にわれわれはこの能力を発現する事が可能なのである。
 ところがサイコキネシス(念動)の場合は、人間側からPK波を放射しなければならないので(それもかなり強力に)、どうしても無理を強いられる事になり、かつ劇的な事例も少ないのである。
 もっともRSPKに関しては、効率よくエネルギー変換が行われているらしく、ポルターガイストの焦点人物は、全くもって疲労しないそうである。このへんのメカニズムの解明が、待たれるところであろう。
 また本文で説明した『実験者効果』であるが、今のところ、これを排除できる見通しは全くたっていない。たとえ個々の実験をいかに機械化しようとも、実験者は必ずどこかに存在するのだし、そして実験者の邪念は、PK波という透過性のすこぶる良い媒体によっていかなる障壁をもクリアーできるし、つまり実験者をすべてこの世から消滅でもさせない限り『実験者効果』は常について回るのだ。
 このように、超能力実験においては、純粋に客観的なるデータなどというものは存在しないのだが、しかしこれは超心理学の分野だけにとどまらず、通常の化学や物理の実験にまで波及する問題なのである(たとえば、実験者が早く家に帰りたくて、無意識にPK波を放射し、化学反応のスピードを速めてしまうという場合だって十分考えられるのだ)。
 以上、早口にて超心理学の概説を述べたが、詳しくお知りになりたい方は、それなりの専門書をお読みになる事をお勧めする。






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