ぼくらの「オウム」戦争(『宝島30』96年6月号)

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投稿者 SP' 日時 2001 年 2 月 19 日 10:29:57:

回答先: スクープ!オウムに強制捜査をリークしたのは『宝島30』だった!?(『宝島30』96年6月号) 投稿者 SP' 日時 2001 年 2 月 12 日 08:55:55:

異種格闘技対談

クーデター計画、ロシア・コネクション、中沢新一……。
『宝島30』とともにオウムを追いつづけた二人が、解明されざる謎を再び問いなおす。
事件はまだ終わったわけではない!

岩上安身(ノンフィクション作家)
いわかみ・やすみ▼'59年東京生まれ。早稲田大学卒業。91年から96年までの旧ソ連ルポルタージュを集大成した『あらかじめ裏切られた革命』が、五月下旬に講談社より刊行予定。
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宮崎哲弥(評論家)
みやざき・てつや▼'62年福岡県生まれ。研究・開発コンサルティング「アルターブレイン」副代表。編著に『ぼくらの「侵略」戦争』がある。


   まだ何も「解決」してはいない

宮崎 麻原公判すら待たずに世間やマスコミでは、オウム事件はもう幕にしたいということらしいです。実際オウムではもはや視聴率は取れないというのがテレビマンの共通認識です。しかしその一方で、中沢問題に代表されるような知識人の責任の問題、TBS事件に代表されるマスメディアの責任問題など派生的、副次的なところで、事件の「深度」が測られている。まあ、俺達が勝手に「深めている」ってところもあるんだけどさ(笑)。
 けれども派生した問題ですら、相当に根深いものがあるわけですよ。
 事件本体にいたっては、その深淵が深すぎて何もみえない。いま公判過程にある事件の基本的事実関係の認定においてすら、多くの謎や疑問が出てきている。まして表に上ってきていない背後組織や外国勢力との繋がりに関しては、まったく闇の中です。こうしたなか、またぞろなかば公然と荒唐無稽な「陰謀説」が囁かれはじめている。この事件をネタに陰謀話が持ち上がるっていうのは、屋上屋を架すようなもんなんだけどね(笑)。
 本当ならば、ここに戦後日本人の様々に複合した堕落、「複合堕落」が集約されているという事実をこそ見るべきだというのに、これも堕落の一つですが、早くも忘却されようとしている。あるいはくだらない「陰謀説」に傾いてしまう。
 今日は他ならぬ『宝島30』の埋葬に当たって、岩上さんと現況に対しひと吠えしようと、こういう趣向なんです。
岩上 ひと吠えか、いいね、それ。遠吠えにならないように気をつけるとしよう(笑)。
 まず、事件のアクチュアルな事実性ということでいえば、それこそ、誰も触らない部分がかなり残されていると思う。かと思うと、誰もが触る所は手垢が付きまくり、多量の足跡で踏み荒らされて見る影もないという状態で、取材に非常にムラがある。しかし人が注目しない場所に鍵があるということも考えられるわけです。
 僕の見るところでは、事件全体を小さくしよう、小さくしようという意志が、無意識にせよ一定の思惑があるにせよ、働いているように思うね。刈り込み過ぎという気がします。
宮崎 組織ジャーナリストたちは、報道というものに捜査権限がない以上、検察の握っている情報が窺知できない限りは、どうしようもないと不平を託ってますね。
岩上 たしかに強制捜査権のないジャーナリズムには、自ずと限界があることは事実ですよ。また、でたらめな飛ばし記事を書いていいというものではないし、禁欲的になるべきときは、禁欲的になる必要がある。ただ最低限僕らは、捜査によって何がわかったかばかりを語るのではなくて、捜査機関が何でこれをやらないのかということも、指摘すべきだと思います。
宮崎 うんうん。

   外部勢力とオウム・コネクション

岩上 とりわけ一つ言っておかなければいけないのは、オウム事件は国際的な組織犯罪のケースである、という視点が欠けていることです。オウムという「現象」を分析する視点はこれ一つではないけれど、国際的な背景があるのが明白なのにもかかわらず、当局も報道もその部分を取り上げようとしない。
 たとえば、ロシアの武器調達ルートの解明などに関しては、一向に進展をみません。彼らがロシアで画策していたことは、単に武器の調達というだけではすまない点もあるのに、そこにはなかなかメスが入らない。
宮崎 北朝鮮との関連も相変わらず取り沙汰されてますよね。TBS絡みでも、村井刺殺事件の際のカメラの不自然な動きに関連して、大塚万吉と現代センターの吉永春子の関係が噂として出てるし。
岩上 北朝鮮に関連する情報は、僕のところにもいろいろ入ってはくるけど、まだ裏はとれない。まあ、早川らが北に足繁く赴いたというのは厳然たる事実ですが。いずれにせよ、今はまだ未解明であっても、どんな形であれ表面化せざるを得ないのが、北朝鮮との関係とロシアの問題だろうと思いますよ。
宮崎 あのー、そこには、触れられない理由とか、タブーとかあるの?
岩上 理由は一つだけではないと思うんですね。たとえばロシアに関連していえば、これはロシア側の問題が大きい。一〇〇%と言っていいですけど、ロシア国内で捜査が進まない理由は政治的な圧力がかかっているからです。捜査関係者に対して、それはもう露骨な圧力がかかって、ストップさせられている。まあ、極端に汚職が瀰漫しているロシアでは珍しいことでも何でもないけれど。
宮崎 それはエリツィン政権中枢に対する、オウムからの金の流れがあったということですか。
岩上 たとえば、安全保障会議の書記のロボフの名が挙がっているでしょう。彼はエリツィンの忠実な側近の一人です。僕が入手した「早川ノート」の中にもはっきり、ロボフの名前が出てくる。彼の名前が浮上してきた時点で、ロシア検察局に対して圧力が加えられているんです。
 そこで一つ鍵になるのが、今度の六月のロシア大統領選だと思うんですよ。
宮崎 ほお。
岩上 もしエリツィンが敗北するというような事態が出てくると、向こうの権力バランスが変わってくる。そうすると新事実が吐き出されて、捜査が劇的に進展する可能性もある。外事犯になる可能性もあり、そうなると問題の次元がまったく変わってしまう。
宮崎 そうなると、外国勢力との連なりはなかったという絵を描いている検察は困りませんかね。
岩上 困るだろうね。困るからこそ、逆に困っ てない顔をして今までの線で押し通すんじゃないか、たぶん(笑)。本来ならば今のうちから真剣に、そうした政治的変化の可能性も考慮に入れたうえで、手を打っておくべきだと思うんですが。

   内乱の予感

宮崎 私は、事件の比較的初期からこう言っていたのですけど。例えば、当初この事件は、現世的な欲望や金儲けにしか興味のない詐欺師のオヤジが、犯罪を糊塗すべく犯罪を重ねるうち、雪だるま式に肥大化していった結果だと、そういうふうに説明されることが多かったんです。
 しかし私は違うと異を唱えた。単なる詐欺師なら、あんなに割りの合わない、リスク極大の事件は起こしたりしませんって。単なる悪徳商人なら、あんなに教義的なものに関心を寄せたりしませんよ。
 私は、麻原はハルマゲドンを自演しようとしていたのだと、少なくとも何らかの破局的状況を招来しようとしていたのだと、そう考えないと辻褄が合わないと思います。しかも、ある程度教義上の必然性によって導かれていると考えています。
岩上 同感です。麻原の教義的理念──妄想といってもいいけど──と、オウムの犯罪は分かちがたく結びついている。これは第二のポイント。麻原の背後にどんな外部勢力が存在していようと、麻原自身は主体的な意志を──あえて反仏教的で反ポスト・モダン的な「主体」という言葉を使うけれども──持った人間だったと僕は見做しています。麻原が単なるパペット、操り人形だ、つまり麻原の背後にしかるべき意志を持った主体があって、オウムはその意志をただ体現していただけだとは決して思いません。ただオウムが引き起こしてきた一連の事件には、外部の様々なファクターが、絡み合っているだろうという推論は、かなりの確度で成り立つと思う。
宮崎 実は松本サリン事件の前後に、どうもオウムが、核物質か何かを国外から持ち込んだんじゃないかっていう話を、山梨の報道記者から聞いていたんですよ。その頃から、地元記者たちは上九のオウムの動きがおかしいことを察知していた。
 だからね。岩上さんの「早川ノート」のスクープが出たときは(「オウム『11月戦争』の恐怖」『宝島30』九五年十二月号)、これだーって、正直得心したんですよ。やっぱり奴等は、東京壊滅戦を考えていたんだって。
岩上 個人的には相当リスクをおかして「早川ノート」を入手して、公開したのは、警鐘を鳴らしたかったという思いもあったんです。でも、あそこに書かれていたことも忘却されていく一方でしょう。
 現実に起こったことのみが注目され、幾重にも検証されて──勿論それは重要な作業ですけどね──、オウムがやろうとしていたこと、未遂に終わったことについては、あまりに無視されている。
 起こったことと、起こるはずだったことを合わせて初めて、麻原とは何者か、オウムは何をしようとしていたか、この事件の全体像が判るはずなんですけどね。
宮崎 そこで岩上さんは『宝島30』誌上で大胆な提言をされたでしょ。破壊活動防止法ではなく、刑法の内乱予備罪を適用すべきだと(「早川ノートと理念なき『内乱』」九六年一月号)。私はかなり賛成なんですね。本質的に調査機関でしかない公調に何程のことができるかという疑問があったわけですよ。果たせるかな、破防法適用は、かえって当該法の不備や矛盾を露呈させる結果となっている。
 むしろ内乱の計画と捉えるほうが、整合的だったような気がします。
岩上 そうですか。個人的な会話でならともかく、公に僕の主張に賛意を示してくれたのは宮崎さんが初めてですよ(笑)。
 彼らの犯罪は、単なる連続・大量殺人ではない。彼らは明らかに国家転覆と、神聖オウム帝国の樹立をもくろんでいた。一連の犯罪は、その過程で起きた「手段」にすぎない。実際検察も、オウムは内乱を準備し、その一部を実行に移したということを、冒陳などでは明白に認めている。
 ところが検察は、内乱の準備そのものについては問おうとしない。その理由は、まず「内乱予備罪」が、刑罰としては非常に小さいということがあげられます。殺人だと最高刑は死刑の重罪ですが、それに比して内乱予備で可能な量刑は小さくて、現実には殺人その他の罪に吸収されてしまう。そのうえに立件が法技術的に困難で、現在の警察および検察のキャパを超えている。それで、適用が見送られてしまっているようです。
宮崎 まあ、戦前の五・一五事件でも神兵隊事件でも、内乱罪の適用は斥けられたわけですから、内乱予備、内乱幇助でも、法廷技術上は難しいのかも知れませんね。しかしもしも外国勢力との通謀が明らかになれば、別の問題も発生するでしょう。
岩上 それだけの覚悟と構えが政治家も官僚も知識人もできているかどうか。アメリカの議会は、日本で起きた事件だというのに、FBIやCIAやDIAまで動員して徹底的に調べ上げ、議会の公聴会で報告させた。日本はいったい何をやっているのかと思いますよ。

   LICとしてのオウム事変

岩上 内乱予備罪の適用については、「必要ない」と反論されたことがありました。つまり個々の犯罪、殺人や傷害致死などでオウムの犯罪は充分問いうるというわけです。
 しかしそれではドメスティックな日常性の域を一歩も出ない事件だったということになる。実際にはオウムという集団は、九一年の八月クーデターでソ連が事実上崩壊した時、大きなチャンスが到来したとにらんで、真っ先に飛んで行っているほどで、彼らの世界性は、国内だけの組織犯罪の常識を超えているわけですよ。オウムをほめるつもりはまったくないけれど、内乱予備罪の適用は不要と主張する論者の想像力は、オウムのスケールやダイナミズムに比べると、小さすぎると言わざるを得ない。
宮崎 戦争論の先端領域に、LICという概念があります。低強度紛争などと一般に訳されますが、要するに国民国家同士によるモダンなトータル・ウォー=高強度紛争の時代は終わり、国民国家と亜国家体の紛争の時代に入ったというのです。亜国家体とは、トランスナショナルなテロ組織、ゲリラ組織、武装カルト、ファシスト・レイシストグループ、武装麻薬組織などが挙げられます。国家の枠組みを易々と超えて、世界中を拠点化し、あるいは他国の組織と連携し、インターネットを通じて情報を伝達し、また情報の操作、撹乱を行なう。そういう小勢力と国民国家との紛争がLICです。
 私は、こうして振り返るとオウム事件というのは、幸い大部分未遂に終わったが、小規模のLICであったと捉えるべきだと思うんです。
 しかも恐るべきなのは、たいして軍事訓練を受けていない十数人の実動部隊で、これだけの事件を引き起こせたということですよ。「早川ノート」の東京壊滅のシナリオにもそれなりの リアリティが備わっていたという事実です。軍事知識・技術の拡散化、パーソナル化と国民国家の溶解、世界像の多元化がもたらした新たな危険ということでしょうが。

   ロシアで「学んだ」オウム教

岩上 僕はこの七年ほど旧ソ連を中心に、文字通りの低強度紛争の現場を歩いてきました。ナゴルノ・カラバフ、グルジア、チェチェン、ウズベク、アルメニア、アゼルバイジャン……。今までの仕事をまとめて近々単行本を出す予定なんですが(『あらかじめ裏切られた革命』講談社より五月下旬刊行予定)、それぞれに状況は違うにせよ、民族と民族がぶつかり合っているという単純な図式でくくることはできない。紛争当地と近隣地域やモスクワの政治的思惑の相克もあるし、地下経済や組織犯罪という要因も勿論、各集団の権力者の権力欲というファクターも、考慮に入れる必要がある。ただ総じて言うならば、戦争とは国民国家の間で戦われるものだという近代の戦争概念がもう通用しなくなっているということです。旧ソ連ではそうしたなし崩しの内戦状態が日常化しているわけです。いや、内戦という言葉は正しくないね。内部も外部もないのだから。
 日本に腰を落ち着けていると、国民国家のシステムが揺るぎもしないように思えるかもしれない。しかし実際には投票率の低下に端的に現れているように──これは全世界的傾向ですが──代議制が崩壊しかけているし、大蔵官僚の腐敗や、薬害エイズ騒動における厚生省の対応を見れば分かるとおり、世界一優秀などといわれた日本の官僚組織も根幹から自壊を始めている。ゆるやかではあるがロシアと同様、日本という近代国家の液状化も始まっているんです。ただその変化が緩慢で、システム内部にいる人間には気づきにくいだけなんですけどね。
宮崎 うん、うん。
岩上 ところがアナーキーなロシアに行けば、誰でもすぐ気がつくことなんです。国民国家のシステムを超えることは実に容易なことで、自分達がクローズドな集団をつくってしまえば、その集団を武装組織化することはたやすくできるし、具体的には武器の製造・調達から軍事訓練まで、やる気になれば簡単にできてしまう。そして国家など、実は不可侵でも不変的なものでもないということ、すなわち領土にせよ民族の定義にせよ、国家システムにせよ、国家の名前から、「国民の創生」にかかわる国語教育まで、すべて可変的であるということを、オウムはあのロシアで学習したはずなんです。こういう可能性が真面目に検討されていない。
 ひとつだけ例を挙げておくと、グルジアにジャバ・ヨセリアーニというゴッド・ファーザーがいる。十代から犯罪世界で名をなしてきた男で、刑務所暮らしは十五年以上になる。その一方でユニークなことに、戯曲家で、演劇関係の論文で博士号もとっており、いっぱしの知識人でもある。この男がクーデターによってガムサフルディア大統領を追い出し、冷戦を終結させたあのソ連元外相シェワルナゼを呼び戻して、グルジア国家元首にすえたんです。そういうことが、旧ソ連ではやすやすと起こりうるんですよ。
 もう一つ、思想的にもロシアの問題がオウムに大きな影響を及ぼしていると思います。よく言われたように、人生に過剰なまでに意味を見出そうとしたり、社会を自分達の手で暴力的に変革しようとするカッコつきの「理念」に燃えるなどといった、自意識過剰な若者は、マルクス主義が健在だった頃は、そちらに吸引されていました。しかしそのマルクス主義は、七〇年代以降凋落の一途を辿り、八〇年代の後半には決定的に崩壊した。現象的にはソ連が崩壊し、共産党が瓦解し、グラスノスチによって、スターリニズムのみならずレーニンまで遡って、“共産主義の実態ってのはこんなにひどいものなんだ”という史実が、余すところなく暴露され、その幻想すら完膚なく潰えたわけですよ。同時に冷戦構造に縛られていたものも解けてしまった。
 そういう解体状況のもとだからこそオウムは、生の不安とか、闇雲に高いだけの理念を抱えた気真面目な若者の気を惹いたんだと思う。現実の武装やテロ手段の構築と、思想の地殻変動という二つの意味で、ロシアがオウムに与えた影響はきわめて大きい。ロシアがオウムを生み出したとまでは言えないだろうが、オウムの叔父さんか叔母さんくらいにあたる(笑)。
宮崎 日本でも、代議政体、官僚制、マスメディアという三大権力システムに対する信頼が急速に失われるなか、アノミー状況が急速に進展しています。こうなると、これから先何が起こっても不思議ではないという気がしてならないですね。ファッショ待望論なんてものが頭を擡げない保証は、どこにもない。ぼくらのオウム戦争は、まさにその前哨戦だったと言えるんじゃないか。この事件は何かの終わりを告げるものではなく、始まりのサインだったのかも知れませんね。
岩上 そう思う。ロシアには、道化的ファシストという点では麻原によく似たジリノフスキーもいるしね。スケールは比較にならないけど。向こうは下手したら大統領になるかもしれないんだから。

   その後の仁義なき中沢問題

宮崎 信頼喪失、権威失墜っていえば、オウム後の知識人でしょう。
 反権力、反知性、反近代とかって言った人に限って、おかしくなってる。まともなのは、旧左翼と保守派ですよ。真ん中あたりの奴等がいちばん変になってます。たかがカルトの無差別テロ事件ぐらいで、戦々恐々、大混乱の有り様ですよ。平和ボケっていうか、もう少ししっかりしてほしい(笑)。
岩上 知識人といえば、中沢新一さんのことはやっぱり言っておかなければいけないかなと思う。中沢さんに関しては、僕は複雑な思いというか、残念な気持ちがあるんです。僕は中沢さんとのダイアローグを昨年の六月に発表しました(『現代』七月号──別冊宝島229『オウムという悪夢』所収)。あれに関する問い合わせが結構あるんですよ。岩上はオウムを批判しているけれど、中沢氏のことはどう考えているのか、と。ダイアローグの中ではっきり活字にしたことですが、僕は当時、オウムの信者達に呼びかけるためには、中沢新一という存在が、ほとんど唯一のパイプだろうと考えていた。僕なりにこれ以上、悲劇が起きてほしくないという気持ちもあったし──僕の後輩も(端本悟被告)、オウムの中にいたしね。オウム信者は、麻原以外、誰の言葉も聞かない。しかし唯一の例外が中沢さんだった。彼を通じて武装解除を呼びかけ、できるなら中沢さんに「密教というものは本来こういうものであって、君達はヘンな所へいってしまっているよ」と説得してもらいたかった。
宮崎 それは無理スジですね(笑)。中沢さん自身が、仏教としては相当ヘンな所である密教の、そのまた辺境のニンマ派に行っちゃった人だから。そこに対する自己批判なし には説得力に欠ける。そもそも彼は、山口瑞鳳先生をはじめ、袴谷憲昭さんらの批判にまともに応じたことなんて、ないじゃないですか。立派な宗論をやってほしかったのに。
岩上 ただあのときは、九五年六月の時点だったからね。まだ「戦時下」で、「投降」を呼びかけることが先だった。あえて言えば、中沢さんにマルパの役割を期待してたんです。
 マルパというのは、チベット密教のもっとも有名な聖者ミラレパの師匠なんだけど、ミラレパが若い頃、ブラック・マジックを修めて悪業のカルマを積んでいたため、そのカルマを落とすために、非常に厳しい修行を課す。そうやって正しい教えの道に導く、という物語が、チベットにある。この物語の線なら、オウム信者にも受け入れやすいだろうと思ったわけです。
 だからダイアローグの中でも、彼ら信者を甘やかさないで下さい、と言ったのだけれども、真意がどうも伝わらなかったらしい。後に中沢さんは中央大学の学内誌『中央評論』で、大泉実成氏と対談し、彼と一緒になって僕と『宝島30』をはっきり名指しで批判しました。オウム批判をしているのはけしからん、と。特に「ひと旗あげようと思ってるんじゃないか」という中沢さんの発言には、正直がっかりした。批判するにしても低次元すぎる。他メディアでの発言をみても、僕を相手に話していたこととまったく逆のことを平気で口にしている。なぜこの人は言うことがコロコロ変わるのだろう、彼の真意はどこにあるのだろうかと思って彼の本を読み返していたら、九四年に出た『はじまりのレーニン』(岩波書店)につきあたった。
 オウム事件とは一見離れていても、あの『はじまりのレーニン』については触れておかなくてはならないと思う。
 実は、ソ連共産党は、レーニンに関する三千七百二十四点におよぶ秘密資料を保存していたんです。その資料をみると今までの美化されていたレーニン像が完全に砕け散ってしまう。たとえば、『ソ連共産党中央委員会会報』一九九〇年四月号に、レーニンが一九二二年に書いた秘密書簡が掲載されました。
 その内容を簡単に言うと、当時革命後のロシアは大飢饉に見舞われていたのですが、レーニンはいまこそ共産党独裁の最大の障害だった教会を徹底的に弾圧し、財産を没収する絶好の機会だとして、「彼ら(聖職者)が今後、数十年にわたって忘れることのできないような残忍な手段で抵抗を鎮圧せよ」と命令しているのです。彼は飢餓に苦しむ農民に対しては、一片のあわれみすらみせていない。
 九〇年にこの『会報』を入手した当初、僕はこんなことは日本のマルクス学者や、ソ連研究者なら周知の事実で、みんな読んで知っているのだろうと思っていました。ところが、皆さんシカトを決め込んでるらしくて(笑)、どこにも発表されない。それならば門外漢の私がやるかと、九一年になってから、その書簡を月刊『現代』で紹介しました。この書簡はほんの一例です。他にもレーニンの途方もない冷血ぶりについてはいろいろな事実がある。それも先ほど言った近刊の単行本に収めています。
宮崎 そうした分厚いファクトの呈示があるにもかかわらず、それをまったく無視した妄想的言説を、いつもながらの美々しいレトリックで謳い上げた『はじまりのレーニン』が持て囃されてしまう。
岩上 そう。『はじまりのレーニン』では、レーニンはまるでマハームドラーに到達した、死をも恐れなかった超人のごとく描かれています。
宮崎 グノーシス主義のグルですよ。あの描き方だと。
岩上 中沢氏の言うとおり、レーニンはコスモス的な秩序を突き破って無底に達した稀有な人間で、凡人にはとうてい到達できない真理を体得していた「アデプト(成就者)」ならば、レーニンの命令に従って行なわれた残忍な粛清やテロルは「神的意志の顕現」ということになり、地上の倫理や法ではその罪は問えなくなるでしょう。この論理は麻原が自己を神格化し、テロルを肯定した論理とたいした違いはない。実際、中沢さんは『はじまりのレーニン』の後半部で、レーニン率いるボリシェヴィキがこの世界のコスモス的秩序を暴力的に破壊したとして事実上、全面的に肯定している。
宮崎 ロゴスの秩序の底を破って到達できる「心の本体」だの「真我」だの「生命の奔流」だのを認めてはならないんですよ。それは端的に実体論であり、我論ですよ。ヒンドゥ教その他ではあっても、タントリズムその他ではあっても、少なくとも仏教ではありません。エゴの極大化を志向する神秘思想を、エゴの根源的否定を何にもまして説く仏教が認めてよいはずがないでしょう。
岩上 宮崎さんはその点についてかなり早い段階から中沢さんを批判していたよね(「いいかげんにしてよ、『ニューアカ』おじさん」『宝島30』九五年九月号)。それから、宮崎さんも引用していた山口瑞鳳さんの一連の中沢氏批判も考えさせられるものがあった。ああした批判にきちんと応えてもらいたいな。また、山口さんと『宝島30』誌上で対談した元信者の高橋英利君によれば、中沢さんが「サリンの犠牲者が一万人か二万人の規模だったら、別の意味があったのにね」と発言していたという(「僕と中沢新一さんのサリン事件」九六年二月号)。この発言も真意がわからない。きちんと説明してほしい。
宝島 その発言を聞いたのは高橋さんだけじゃないんです。二月号が発売された後、中沢さんと親しかった元オウム信者から編集部に連絡が入り、「中沢さんを擁護したい」というので、会って話を聞くことになりました。その信者に中沢さんが語ったところによると、「一万人、二万人規模の人間が死ねば、東京の霊的磁場が劇的に変化する」と。
宮崎 (爆笑)いいなぁ、その発想。何か、悪の秘密結社みたいで少年マンガ的。霊的ボルシェヴィキというより、霊的ブランキスムだね。悪の陰謀結社主義! それならそれで、中沢さんは、はっきりと思想態度を表明すればいいんですよ。吉本さんみたいにね。去年の年末の日本テレビの特番みてたら、中沢さん、平身低頭の態じゃないですか。オウムの被害者の方々には本当にお気の毒ですって。
 どっちが本心なんだよって聞きたいですよね。
岩上 そう。だから中沢さんは、自分の思想を全部明らかにしたうえで、私はこういう思想家ですって言ってくれればいい。そうすれば少なくとも「誤解」はしないですむ。
宮崎 自分が何か言える状況ではないとかって逃げてないでね。だって賛否は別として、吉本隆明や山崎哲は一時は苦境に立たされても節を守ったわけだから。

   終わらないオウムの「戦後」

岩上 吉本氏と山崎氏については別の機会に文章を書いたから、ここでは詳しく繰り返さないけれど(「凡夫としての正当 防衛宣言」──『尊師麻原は我が弟子にあらず』徳間書店刊に所収)、一言だけ言っておけば、彼らは麻原を優れた宗教者として評価する一方、オウムの犯罪は許さないという。この論理には無理があります。信者達はみな、グル麻原を信じ、麻原の説くタントラ・ヴァジラヤーナの「理念」を「崇高」と信じたからこそ、人を殺したり、拉致したり、財産を巻き上げたりしたんです。オウムの信者達は麻原の理念と無関係な犯罪など犯してはいない。
宮崎 吉本さんについては、日本仏教を引き合いに出して麻原を評価している点に、私は強い違和を感じます。麻原はそもそも日本仏教なんか相手にしていなかったのだし、それどころか既存仏教と鋭く敵対することによって教義形成をなしてきたわけでしょ。インド─チベット系の仏教の、いちばん腐れた、土着の呪術と習合した部分と直接繋がろうとしたのがオウムなわけです。
 それに教義を腑分けしてみると、意外とたやすくタネ本がみえちゃうんですよ。はっきり言って麻原説教の仏教関係のタネ本は、佐保田鶴治のヨーガ哲学と中沢さんの『虹の階梯』です。そして留意すべきは、両者とも阿含宗の平河出版社が版元だということです。むろん麻原流の強烈なディストーションはかかっていますけどね。
 だから中沢さんは、ゾクチェンの毒、如来蔵思想の危険性を自ら認めるべきなのです。そうしたうえでその毒を──当然オウム思想の母体を造った責任も含めて──引き受けるというのであれば、それはそれでよいかもしれない。しかし日本の知的良識を代表する朝日、岩波が、こういう人物の言説を引き受けちゃってよいんでしょうかね。他人事ながら心配になります。
 最近、オウム関連の論評で、一つ気になるのは、オウム全体はいちおう批判しつつも、シャクティ・パットだの、クンダリニーだのを現実視したり実体視する言説が公然と、しかもれっきとした学者の口から言われていることですね。やはり中沢の悪影響でしょうけど。なにせ彼によれば、麻原のような成就者の指先から神経腺を通して放出される「生体波動」は、シャクティ・パットも、スプーン曲げをも起こすらしいから(『ひと』九五年十月号)。大槻先生、何とか言ってやってください。
『宝島30』亡き後、反オカルトは、やっぱし『噂の眞相』に期待するしかないかぁ(笑)。
 まあ、知識人なんてそうそう軽々に信じるもんじゃないってことでしょうか。
岩上 いや、まったく。
宮崎 余計な知識や予断を排して、虚心坦懐にこれまでの経緯を、今後の成り行きを見つめれば、この事件の本当の恐ろしさが自ずと明らかになるでしょう。それをたずきとして、私達が守るべきもの、あるべき社会の輪郭が照らし出されるかもしれない。しかしそれにしても、事件の全容がもっと明らかにされないとどうしようもない。最後に強調しておきたいのは、オウムの戦後はまだ終わっていないということですね。





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