鐵扇會に対する基礎認識・2661年7月版

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投稿者 隣の見過ぎ 日時 2001 年 7 月 05 日 20:38:51:

右翼板を読んできた小生が、新入りの方、浦島太郎な方の為に鐵扇會設立以前、
以後の様子を説明したい。
記憶のみに頼って書くので不足、間違い等が有れば積極的に指摘して頂けると有難い。
好評の為これからは月初めに「鐵扇會に対する基礎認識」をお届けする。

鐵扇會構成員の方は鐵扇會の事は鐵扇會の板で言えと思われると思うが、鐵扇會
の板で書いて個人情報を補足され「あーあ、もしもし」等と電話が掛って来ては
堪らないので鐵扇會の板では書かない。

個人的見解は行頭に「※」印を付す。


2659年 春
  初心者氏と燎原氏、岩井氏、奥村氏らの対立が表面化。

2659年 昭和節
  鐵扇會発足。同時に燎原氏、岩井氏、奥村氏が鐵扇會に対し妨害活動開始。

2659年 5月12(?)日
  燎原氏、岩井氏、奥村氏その他の方が極秘裏に集っていた板を鐵扇會に
  補足され、鐵扇會がログを一部改変し公開。
  http://www.tetsusenkai.net/kuzuita/

2659年 5月??日
  奥村氏が鐵扇會に対抗し「やれうちわ」を製作。
  鐵扇會が公開した物と同じ物を設置。
  http://www.kojyaku.co.uk/yareutiwa/

2659年 6月13日
  燎原氏、この日を境に半年ほどネットから身を引く。
  燎原氏、岩井氏、奥村氏らの表立った妨害活動は終息。

鐵扇會設立初期
  蓑田氏が鐵扇會首魁と抗議活動に関して意見対立。
  が、蓑田氏は代案を出せず。

2659年 10月下旬
  鐵扇會首魁が、鐵板8に於いて、鐵扇會の板に二、三月程定住していた
  心身共に中学生程度と思われる大和魂君のカキコを「あーあ、もしもし。
  基本的な事を勉強してから書け」と粉砕。大和魂君は鐵板を去る。
※かわいそー。

2659年 11月上旬
※再調査の結果、時期を修正。
  鐵扇會首魁が、共和派の板で妄想モード全開。
  共和派の人間が鐵板に来なかったので、共和制批判を共和派の板では無く
  鐵板8に展開。
※共和派の批判は共和派の板に書こう

2659年 11月25日
  鐵扇會首魁、ネット自決。
  方々から失笑を買う。
  一方、鐵扇會構成員jazzman氏に因ると、内外あわせて、50通の
  ねぎらいと賛辞を鐵扇會首魁へ送られる。

2659年 12月6日
  鐵扇會構成員人吉皇彦氏が掲示板鐵の扉に於いて、ゴジラ氏の字が小さい
  という指摘に対し粗雑な対応をとる。これに鐵扇會構成員、旗御飯氏、
  降魔の翼氏が人吉皇彦氏に成り代りゴジラ氏に謝罪。
  が、人吉皇彦氏に対し鐵扇會を脱会したばかりの亞死亞氏が執拗に
  絡んでくる。これに対し常連のつつじ氏が意見。これを亞死亞氏が粉砕、
  まだ管理権が有った亞死亞氏がつつじ氏の発言を削除。
  亞死亞氏の発言を、田村清次郎氏、当時鐵扇會構成員高橋博彦氏が一部誤読。
  同時に高橋博彦氏は鐵扇會に対して意見する。
※誤読した者が一人だけならまだしも二人も誤読したのだから亞死亞氏の文章に
※問題があるのでは?

2659年 12月7日
  前日から早朝の件に関し、鐵扇會が処分。
  人吉皇彦氏、旗御飯氏、降魔の翼氏  謹慎
        高橋博彦氏       除名
  後に撤回されるが常連だったつつじ氏に対して、亞死亞氏の人格を
  知らずに正論投稿したという訳ワカメの理由で投稿自粛を要請。
※それまで亞死亞氏は殆どカキコしていなかったのに亞死亞氏の人格を
※知っている訳がない。
  この「告」は鐵扇會の全ての板、鐵扇會外の数十の板に掲載される。
※鐵扇會會則に依ると除名処分は基幹頁に掲載を持って除名処分となるらしい。
※鐵扇會自体が會則に則らない行動を執っているのに除名云々とは笑止千万。
※鐵扇會は高橋博彦氏を精神病を想起させる理由で除名したが、鐵扇會は個人の
※健康問題を理由に除名を行ったりする會なのだろうか。
  鐵扇會は、天皇陛下御即位十年記念祭典に出席したYOSHIKI氏に
  意見した東大教授への公開質問状と回答を公開。
  その後、何故か東大教授への抗議活動を決定。會内部のみならず各方面に
  呼びかける。この行動は各方面で非難の声が上がる。

2659年 12月14日
  鐵扇會、東京大学小森教授に対し抗議活動を敢行。

2659年 時期不明
  鐵扇會構成員黒瓜氏は會員掲示板で
  「「初心者・元気だぞ」氏を天皇の次に大事にしよう」
  と発言。当時、會員掲示板でこの発言に異を唱える者はいなかったらしい。

2659年 12月20日頃〜年末〜1月
  それまで散発的だった鐵扇會に対する話題がこの頃を境に急激に盛上がる。
  鐵扇會構成員に除名の件を穿り返された高橋博彦氏は、本格的に鐵扇會首魁
  に対し批判を開始。
  高橋博彦氏。鐵扇會構成員よりメールで、「右翼共和派掲示板・憂國掲示板
  より手を引け、引かないとボロボロになるぞ」と脅迫される。
  謎の人物、ダビ男氏登場。
  12月21日、心氏、鐵扇會総括掲示板「←↑↓→菩提僧莎訶←↑↓→」
  を開設。12月30日迄に基本的総括が終了したので、12月30日頃閉鎖。
  ダビ男氏は鐵扇會首魁ではないかという話題になる。
  鐵扇會が、鐵扇會批判掲示板を開設。当初は公開されていたがすぐに会員制へ。
  ダビ男氏は撤退を宣言。1月4日を持って事実上撤退。
  ダビ男氏と入れ替るが如く匿名、後の棺光一氏登場。
  棺光一氏は右翼共和派の板で弾かれるプロクシ[cache1.cc.interlog.com]
  で憂國掲示板に精力的に書込を行う。
  棺光一氏もまた、鐵扇會首魁ではないかという疑いを持たれ、
   鐵扇會首魁=ダビ男=棺光一  は定説となりつつある。

2659年の鐵扇會入会者77名。
2660年1月30日現在、脱会、除名、行方不明者13名
  脱会、除名、行方不明率 16.9%

2660年 2月現在
  棺光一氏、未だ飽きもせず毎日、憂國掲示板に長文を大量投稿。

2660年 2月4日
  圧力が加えられたのか?。右翼共和派の掲示板が停止する。(現在も停止中)

2660年 2月16日
  紫門 圭♂氏が、憂国掲示板分析資料を作成。
  小生に対する事実誤認が見受けられるものの、
  ネット中毒患者、棺光一氏の病歴が克明に記されている。
  http://asyura.addr.com/sora/ bd5/msg/486.html

2660年 2月24日
  憂國掲示板で、皇太子妃殿下に対する不敬発言を掲載した現鐵扇會首魁、
  初心者・元気だぞ(=ダビ男=棺光一)製作によるwebサイトが、一年数ヶ月
  放置されていたことが判明する。

2660年 2月28日
  軍艦百年実行委員会の自動リンクページに独断でリンクを貼った
  鐵扇會構成員人吉候彦氏に謹慎処分。
  謹慎を知らせる「告」が鐵扇會とは無関係の板に貼付けられる。

2660年 3月13日
  憂國掲示板で、鐵扇會掲示板鐵の扉、會員によるカウンターアップ疑惑発生。
  真相は、カウンターの故障。修復する気は無い模様。
  その後4月中旬、掲示板の変更により壊れていた日毎のカウンターを除去。
  昭和節に行われた掲示板改変では、複数の掲示板に共通するカウンターを設置。
  今後、鐵扇會の掲示板カウンターは、今までの鐵扇會掲示板鐵の扉のアクセス数と、
  鐵扇會の全ての掲示板の合計アクセス数が表示される。

2660年 3月19日
  憂國掲示板で、peace 霊柩車氏は、棺光一氏と鐵扇會の広報文との決定的な酷似点を発見。
  23日鐵扇會中央執行部は憂國掲示板で鐵扇會首魁と棺光一氏の同一人物説を否定する
  公式見解を発表。

2660年 3月第5週明け
  掲示板、「八紘一宇」と「民族の掲示板」が強制閉鎖された模様。
  最近、活発になりかけていたのに惜しまれる。

2660年 4月10日
  憂國掲示板で、棺光一氏は一水会機関誌「レコンキスタ」に時枝松陽の名で
  政治結社国際愛国社総裁堂本直紀氏が特集を載せたと発言。
  11日未明、堂本直紀氏は、「相手から接触があったらしいが、うちの団体の
  時枝松陽という人物が対応した。それは自分ではない」と明言。
  同11日朝、鐵扇會構成員黒瓜氏は「堂本さんにお会いしたことのある会員は、
  レコンの後ろ姿のお写真を拝見して、「あ、おじちゃんだ、まちがいない」と
  いう声がありましたことをお伝えしておきますが、勘違いであったかもしれません。」
  と内部情報を暴露。
  幽霊氏や妖怪氏は、棺光一氏と「ある会員」の、時枝松陽氏に対する認識が同じ
  であると指摘。
※「あ、おじちゃんだ、まちがいない」この独特な言回しから「ある会員」とは
※鐵扇會首魁のことと思われる。
  その後、棺光一氏はターボ氏から投稿姿勢の不整合性を指摘されるが、
  苦しい言訳に終始する。

2660年 4月29日
  鐵扇會構成員人吉侯彦氏は、鐵扇會発足一周年WEB更新告知を憂國掲示板に貼付ける。
  当日、夏樹静子氏から、「平成11年4月29日・昭和天長節を機に、既存の右翼民族派と
  一般市民とが大同団結し」という文に対し「これは嘘ですわね>お人よしさま」と、指摘が
  入る。
  同日から翌日にかけて鐵扇會構成員人吉侯彦氏は、同一告知文を数度貼付ける。

2660年 4月30日
  棺光一氏、00時54分『■棺光一の「価値相対主義・基本用語解説13−K 個人主義」』の
  投稿を最後に憂國掲示板から消える。ダビ男時代を含め昨年末からの、高橋博彦氏
  管理の掲示板の書込をネタにした価値相対主義講座などと題した執拗なネットストーカー
  行為に終止符を打つ。ただ、撤退宣言が有った訳ではなく自然消滅のような状態。
  当日10時45分野嵜健秀氏、「Cieldo漢孝市の世界」なるサイト、を
  憂國掲示板で紹介。その後5月3日、野嵜健秀氏はエキサイト掲示板で
  ※以上、棺は69件もの大量投稿(電波入り捲り)を行つた。※この後、私は次の様な指摘を
  した。  (憂國掲示板4月30日 10時45分の野嵜氏自身の書込を転載) ※これを見た
  棺=漢は、サイトを消して逃亡。現在、上記URIにアクセスしても繋がらない。
  と、野嵜健秀氏勝利宣言。
  小生が野嵜健秀氏紹介のサイトの確認を怠ったため、棺光一氏の撤退と野嵜健秀氏の
  書込の因果関係は不明である。
  読者の方で詳細をご存じの方は情報をお寄せ頂きたい。

2660年 6月6日
  鐵扇會は、森喜郎内閣総理大臣の「神の国」発言騒動で「昭和の日」が廃案になった
  ことに対して、森喜郎内閣総理大臣、主要野党党首、報道各社に抗議活動開始。
  これを呼びかける告知を数々の掲示板に投稿。
  この告知のリンク先のカウンターは、鐵扇會各掲示板に共通するものを設置。
  告知があったひとつの日本茶掲示板で、さぶ氏が掲示板での抗議要請に違和感を表明。
  これに対し、鐵扇會構成員黒瓜氏は苦情は鐵扇會に直接よこすようにと発言。
  その後、さぶ氏には鐵扇會からの説明と思われる添付ファイル付き470KBのメールが届く。

2660年 6月6、7日
  鐵扇會は日本茶掲示板で、抗議活動の告知を3回張付け、イエローカードを2枚獲得する。

2660年 6月10日〜7月20日
  自称「DTP屋/フリージャーナリスト/サイバーハカイダー」の河上イチローは、
  日記「団々珍聞」で、森喜郎内閣総理大臣の「神の国」発言問題で、森喜郎内閣総理大臣を
  揶揄する画像を複数製作、公開する。最初の画像は、天皇陛下を中心にし、周りに、
  松本智津夫、池田太作、福永法源、高橋弘二、森喜郎を配した不敬極まりない物。
  6月16日、河上イチローは日記「団々珍聞」で、この画像に数件の抗議が届いたと書く。
  その中に鐵扇會も含まれていた模様。
  その後も鐵扇會とやり取りが続き7月19、20日の日記で、「天皇 じゃなくって 
  黒いシルエットに ? ぐらいなら 万歩譲ることにした これで どだろか?」
  と鐵扇會が譲歩。河上イチローは天皇陛下の御姿を真っ黒に修正した画像を新たに公開。
  設立当初から皇室コラ撲滅を掲げていた鐵扇會は、陛下のシルエットならば皇室コラを
  容認するという右翼界初の判断を示す。

2660年 6月16日〜7月20日
  皇太后陛下が御崩御あそばされる。
  鐵扇會は喪に入る。その告知文の一部分「鐵扇會では大ひなる悲しみをもつて、」の
  「大ひなる」は間違いで、現代仮名遣、歴史的仮名遣でも「大いなる」と書く。
  「大いなる」を歴史的仮名遣で全部平仮名で書くと「おほいなる」と書く。(広辞苑参照)
  6月18日、憂國掲示板で読者氏がこの間違いを指摘する。その他の場所でも鐵扇會の
  喪のありかたに対し批判を展開。
  6月20日、鐵扇會構成員蓑田狂気氏が、読者氏の掲示板「 読者に語る」にやって来て
  反論をする。その後、1ヶ月間に渡り、読者氏と鐵扇會構成員蓑田狂気氏による不毛な
  論争が行われる。その論争が終盤にさしかかった頃、読者氏は論争の記録を「蓑田狂気の狂気
  の世界」と、センスの欠片もない名を付け、読者氏のサイトで保存。ページのデザインは、
  「スーパーナチュラルネットアイドルさとこのホームページ」を盗用。後に「蓑田,狂気の世界」
  と、改題、デザインも変更。
  鐵扇會首魁は、私生活では歴史的仮名遣を使っている一方、過去にネット上では歴史的仮名遣
  を使っている人達を、気違いと中傷している。喪の告知文の間違いも、普段からの不遜な姿勢
  がもたらしたものであろう。(前年5月頃、野嵜健秀氏を鐵扇會に勧誘したが、断られ歴史的
  仮名遣使用者の一部を、中傷するに至る。詳細は、野嵜健秀氏のサイト「言葉言葉言葉」に
  保存されている。)

鐵扇會構成員黒瓜語録(憂國掲示板より)
    鉄扇会に文句あるんだったら「鉄を語る掲示板」ってのが
    あるから、まず涙でぬれた頬をぞうきんで拭いてから
    そこに来なさい♪まってるよ〜♪
  題:変態さんへ♪
  投稿日 6月2日(金)17時04分 投稿者 黒瓜/鐵扇會 [ppp12-fukuoka3.mtci.ne.jp]

2660年 10月1日
  鐵扇會は、週間金曜日編集部が、謝罪して来たと数十の掲示板に投稿。
  詳細を鐵扇會のサイトで公開。それによると、9月17日に鐵扇會構成員
  ゴジラズワイフ氏が、週間金曜日編集部に鐵扇會の活動を紹介する。
  9月20日、週間金曜日編集部が、誌上で紹介したいと鐵扇會に返事する。
  9月21日鐵扇會構成員ゴジラズワイフ氏は、鐵扇會の活動目的を簡単に説明し、
  會に伺いを立てないと紹介出来ないので待て、と返事する。
  (20日21日のやり取りを記したページには、背景色と同じ文字色で鐵扇會首魁に
   よる説明がある)
  同21日、週間金曜日編集部は、鐵扇會が右翼っぽい団体であるとやっと気づき、
  掲載見送りの返事を送る。
  25日、鐵扇會首魁は週間金曜日編集部へ、反論及び質問のメールを送る。
  このメールには、週間金曜日のサイトにも言及しており、「こんなことやってます」
  のコーナーのログの題名の一部を抜粋して「これらの団体と、鐵扇會の定義のちがひは
  何か?」と訊ねる。
  週間金曜日のサイトでは、ログの題名の一覧を<LI>タグで記述しており「・○○反対の会
   (xxx号)」と表示される。これをコピペしても冒頭の「・」は<LI>タグで記述されて
  いるため、コピペには反映されない。25日のメールでは、抜粋した題名の冒頭に
  「・」の代りに「■」を使用している。
  題名や箇条書の冒頭に「■」を好んで使う者が数ヶ月前まで存在していた。
  それは、憂國掲示板で大活躍していた棺光一氏である。鐵扇會首魁は、意外なところで、
  棺光一氏との共通点を晒してしまう。
  28日、週間金曜日編集長から質問状の回答が届く。
  30日、鐵扇會首魁は、質問状の回答に対して返事を送る。
  そして、10月1日、鐵扇會は、週間金曜日編集部が、謝罪して来たと数十の掲示板に投稿。
  これに対する反響は、好意的なものも見受けられたが、当然の如く批判もあった。
  この件に関して、最も盛上がったのが河上イチロー氏のサイトの時事一般掲示板。
  鐵扇會の投稿後、約50分で「ふざけんじゃない。単に「週金」の手違い、というだけ
  じゃないか。鬼の首取ったような書き方して、何かと思って見れば。」と突っ込まれる。
  (他の掲示板でも、ガキっぽい、幼稚などの意見が見受けられた。)
  半日後、一時期、世界戦略研究所掲示板、鐵扇會掲示板で、論旨不明、棺光一氏に負けず
  劣らずの執拗さで名を馳せた、MKしのぶ氏が登場。鐵扇會掲示板での件を持出し、
  他の参加者は、MKしのぶ氏に辟易する。他、読者氏も登場し鐵扇會に対し反論を加える。
  その後、鐵扇會構成員源さん氏は掲示板を荒す。
  管理人は、掲示板の荒れ具合に憂慮の念を示し、4日、読者氏は、管理人の意向に添い、
  その後の議論を読者氏の掲示板へ誘導する。
  翌5日、鐵扇會構成員源さん氏は、醜い文体で読者氏へ反論する。しかし、その後何事も
  無かったかのように時が過ぎていき、放置プレイ決定か、と思われた頃、13日、読者氏は
  掲示板利用者からのメールでの指摘により鐵扇會構成員源さん氏が投稿していた事に気づき
  8日遅れの反論をする。6時間後、鐵扇會構成員源さん氏が反論、文末に「時間をかけて
  レスを考えていただいたようですが、もう来ませんので安心してください。」と捨て台詞を
  吐き去る。翌日、読者氏が返事、鐵扇會構成員源さん氏の低脳振りに呆れる。
  鐵扇會とは関係ないが、10月23日、河上イチロー氏がネットから去り、翌日、西村新人類氏
  により、河上イチロー氏がオウム信者である事が暴露された。

2660年 11月25日
  東京都総務局人権部が、鐵扇會に謝罪してきたとの宣伝を各所に貼付ける。
  それによると、7月頃、東京都が「人権施策推進のための指針」のため、意見募集を
  しており、鐵扇會首魁をはじめ他の鐵扇會構成員数名が、都に意見を送る。
  8月8日、東京都総務局人権部が、意見を送ってきた者に御礼の返信を出すが、
  BCCで返信せずCCで返信したため、意見を送った者のメールアドレスが、
  意見を送った者全員に知れ渡ることになる。
  10月4、8、12日、鐵扇會は、東京都への教育指導が目的との大儀名分を掲げ、
  東京都の失態で手に入れたメールアドレス宛にCCで、週間金曜日が謝罪してきた件の宣伝を流す。
  10月6日、東京都総務部人権部が、鐵扇會に手に入れたメールアドレスの破棄要請を送る。
  その他、宣伝を送りつけられた者から苦情のメール7名計9通が鐵扇會に届く。
  10月15日、鐵扇會は、東京都総務局人権部宛に公開質問状を送付する。
  これは流出アドレス宛にも同時に送付。
  10月25日、東京都総務局人権部は、鐵扇會宛に質問状の回答と謝罪を鐵扇會に送付。
  鐵扇會はそれに対する返答を11月3日に送付。
  11月25日、鐵扇會は今回の一件を公開。そこでは、この件で鐵扇會に意見した7名の
  ヘッダの送信者名、メールアドレスも公開される。
  また、厚生省も何かミスをしたそうで、「厚生省、鐵扇會に謝罪す!」 と、鐵扇會の売名が
  行われる日もそう遠くないようである。

2660年 11月29日
  鐵扇會の東京都謝罪云々の宣伝を貼られた、日本茶十二支掲示板の「現世御利益掲示板
  またの名を戌板」で、掲示板オーナーの柴犬ワン氏は、(1)ハンドル「/鐵扇會」での
  投稿の禁止、(2)鐵扇會の宣伝活動投稿の禁止、を宣告する。
  12月4日、まぐわいあ?そうさ!氏が、鐵扇會への批判をする。
  これに対し、鐵扇會構成員池内晴紀氏が、鐵扇會の名を外して釈明投稿。
  鐵扇會構成員池内晴紀氏は、日本茶十二支掲示板の巳板も運営しているが、
  ここ数ヶ月、巳板に鐵扇會が宣伝投稿をした形跡がない。

2660年 12月9日〜11日
  現世御利益掲示板に、この3日間、鐵扇會の宣伝が30件投稿される。
  宣伝はその都度削除。掲示板オーナーの柴犬ワン氏は、アクセス制限をかけるが、
  鐵扇會構成員は、リモートホストを変えて執拗に投稿する。
  柴犬ワン氏は、陰湿な嫌がらせ宣伝コピペ投稿をする鐵扇會の情報を警察に提供する。

2660年 12月24日
  12月20日、元宮内庁職員死去。
  鐵扇會はこれに便乗し、會の宣伝をする。例の如く、現世御利益掲示板にも宣伝が貼られる。
  24日は3件貼られる。掲示板オーナーの柴犬ワン氏は、警察に情報提供をし、
  宮内庁にも、ご遺族にご迷惑が掛かった場合のお詫びのお願いをした。
  宣伝は、25日に1件、26日に29件、29日に15件貼られる。
  25日、論争が、西村元宏氏管理の掲示板「時事放談」に飛火、翌月半ばまで論争が続く。

鐵扇會の部外者に対する基本姿勢
  11月29日以降の、鐵扇會宣伝コピペ騒動で、一部の掲示板利用者が、鐵扇會構成員が
  意見を投稿しないことに疑問を抱いている。この理由は3月頃、高橋博彦氏によって
  このように明かされている。
    鐵扇會では初心者から内部に、かなり以前から外部のものとは決して議論をするなよという
   お達しが徹底しているのですよ。その理由は、「オレ以外にまともな議論のできる奴が
   會には一人もいない。もし、議論になって劣勢になれば、オレが苦労して作った鐵扇會に
   傷が付く。だからお前らは高校生レベルのもの以外は決して相手にするな。
   誰か来てディベートになりそうになったら、わずかでもその瑕疵を見つけて削除しろ」
   ということです。
※このお達しは、戌板以外では徹底されているようには見受けられない。
※<2661年4月追記>
※上の部分の反響が大きかったので一言。これは、2661年1月版から載せている。
※上の引用文は、八神邦建氏が、鐵扇會の掲示板に投稿した文章が削除され、その事に対する
※愚痴を投稿、それに対し高橋博彦氏が返事をしたものである。
※高橋博彦氏が投稿した直後、鐵扇會構成員旗御飯氏が「「思い込みによる独自の解釈」を、
※「事実」として語るのは辞めませんか?」と、投稿している。
※この件以外にも、変名も含め八神邦建氏は、鐵扇會の掲示板では多くの削除を食らっている。
※上の引用文は、極めて誇張された表現で書かれたものであるものと、小生は認識しているが、
※鐵扇會首魁の鐵扇會に対する異様な執着心や、鐵扇會構成員の行動実体に照らし合せると、
※そのまま掲載しても問題ないと判断したので掲載した。
※皆様には、鐵扇會の行動実体を各自の目で観察した上で、上の部分を評価して貰いたいと思う。
※<2661年4月追記、ここまで>

2661年 1月11日〜13日
  「「初心者・元気だぞ」氏を天皇の次に大事にしよう」の発言で有名な、
  鐵扇會構成員黒瓜氏のサイトが鐵扇會内に移転、その旨の宣伝が行われる。
  今回も、現世御利益掲示板に宣伝が14件貼られる。宣伝はその都度削除。
  11日2件、12日10件、13日2件。
  掲示板オーナーの柴犬ワン氏は、これらの情報を警察に提供する。

2661年 2月
  今月も、日本茶十二支掲示板の「現世御利益掲示板またの名を戌板」では、
  鐵扇會の大量宣伝迷惑投稿対策に追われる。

2661年 3月5日〜中旬
  鐵扇會は、この日より、「サッカーW杯「日韓・韓日」呼称交換運動」を開始。
  3月中旬頃まで数回にわけ、色々な掲示板に宣伝を貼りまくる。
  宣伝を貼られた掲示板では、この運動に興味を示す人、懐疑的にみる人、
  宣伝そのものが迷惑だという人、などの反応に別れた。
  鐵扇會構成員は、この宣伝に対して、懐疑的、迷惑、と反応した掲示板で、逆ギレし、
  掲示板管理者、利用者は対応に苦慮する。
  特に、鐡扇會構成員光輝八紘氏は、普段使用している、OCN群馬県渋川のアクセスポイント
  ではなく、プロクシ[webcache.net]を通して、鐵扇會に対して否定的な見方をする人間に対し、
  日本人なら誰でも辟易する醜い文体で、誹謗中傷を繰り広げた。
 3月5日
  鐵扇會構成員JAZZ氏は、日本茶十二支掲示板の「日本論・思想の十字架/雑談コーナー<寅板>」に
  宣伝を貼る。すると、九州人の龍超範氏は「jazzmanよ、われ、九州人じゃったろ確か。
  わしゃ恥ずかしか、いつまっでんパシリのメッセンジャボーイで使われてくさ、いじめられとらんのか?
   おおう?…ふるるうう〜、情けんなかあ。」と、叱る。
  しかし、鐵扇會構成員JAZZ氏は龍超範氏の叱責を無視する。
  龍超範氏は、数ヶ月前に、本部を横浜から東京都世田谷区上祖師谷に、支部事務所を
  東京都港区虎ノ門に移転した政治結社国際愛国社総裁堂本直紀氏の別名。
  なお、堂本直紀氏は、投稿内容により名前を変えている。
  堂本直紀氏は、鐵扇會設立時、鐵扇會の構成員として名を連ね、政治結社国際愛国社も
  鐵扇會の賛同団体として名を連ねる。氏は、鐵扇會設立前後に鐵扇會に対し妨害活動を
  行っていた、燎原氏、岩井氏、奥村氏、との戦いの最前線を担当していたが、
  数ヶ月で脱会、政治結社国際愛国社も鐵扇會の賛同団体から名を外す。
  3月8日、今度は、鐵扇會構成員若獅子氏が宣伝を貼る。翌9日未明、松平超範氏は、
  来週に、ネット世界における、「組織と個人の問題」について質問する事を予告、
  14日、龍超範氏は、質問を書き連らねる。主筆が変名で出てくることを許可するも、
  鐵扇會構成員若獅子氏は、似非九州人=JAZZみたく、龍超範氏の質問を無視する。
 3月6日
  鐵扇會構成員光輝八紘氏は、鈴木小太郎商店掲示板に宣伝を貼る。
  その宣伝行為に管理人鈴木小太郎氏は、やや苦言を呈す。すると、鐵扇會構成員光輝八紘氏は
  逆ギレ。鈴木小太郎氏は、鐵扇會構成員光輝八紘氏の対応に困惑する。
  15日、鈴木小太郎氏は鐵扇會に対し、「1.鐵扇會の宣伝投稿自体は削除しない。
  2.鐵扇會の宣伝投稿に対する感想・意見等の一切の投稿はこの掲示板では禁止し、削除等の措置をとる。」
  と、宣告。鈴木小太郎氏は、戌板の人間ほど暇ではないので上記の措置にした。
  しかし、18日に不自然だということでこの措置を撤回。
 3月6日
  鐵扇會は「ADAMのマスコミ批判・多事反論」掲示板に宣伝を貼る。すぐに、シフト氏が反論。
  8日未明、鐵扇會構成員光輝八紘氏プロクシ[webcache.net]を使用し、掲示板参加者との醜い応報を始る。
  鐵扇會構成員光輝八紘氏は、8日は、未明、昼間、夕方に4件投稿、9日は、午前0時台6件、
  午前1時台14件、午前2時台10件、午前3時3分、午前4時53分、午前6時58分に投稿。
  10日は、早朝から正午前まで12件投稿。
  鐵扇會構成員光輝八紘氏の狂気の連続投稿で、掲示板運営に支障を来したため、
  管理人ADAM氏は10日正午過ぎ、鐵扇會構成員光輝八紘氏を投稿禁止処分にし、
  鐵扇會構成員光輝八紘氏のために「光輝八紘の掲示板」を新設、管理人ADAM氏は
  鐵扇會構成員光輝八紘氏に今後は「光輝八紘の掲示板」で発言するように命じる。
  翌朝、大伯皇女と名乗る不敬な人物や、鐵扇會構成員霧島錬太郎氏が、
  「本人に了承を得ているのか」、「IDやパスは連絡しているのか」などど訳の分らないことを書く。
  しかし、鐵扇會構成員光輝八紘氏は一向に現れず。
  12日、鐵扇會の名を外した霧島錬太郎氏が、「本人不在の吊るし上げですか?」などと、
  調べもせずに頓珍漢な言いがかりをつけてくるも すぐに反論される。
  その後は、荒しが出現するも、鐵扇會構成員光輝八紘氏が現れなかったので、
  17日、管理人ADAM氏は「光輝八紘の掲示板」を閉鎖した。

2661年 3月
  今月も、日本茶十二支掲示板の「現世御利益掲示板またの名を戌板」では、
  鐵扇會の迷惑宣伝投稿対策に追われる。

2661年 3月6日〜4月中旬
  鐵扇會構成員光輝八紘氏は、「サッカーW杯「日韓・韓日」呼称交換運動」の宣伝を、
  フリーライター樋口ヒロユキ氏のwebサイト「ほんやら堂」内の
  掲示板「◆◇◆峠の茶屋◆◇◆」に貼る。
  この宣伝に対し、樋口ヒロユキ氏らの掲示板常連は、感想、疑問、批判を書く。
  それらの意見に、鐵扇會構成員大和 士魂氏が返事を書く。
  スローペースで質疑応答が行われていたなか、
  4月3日、鐵扇會構成員光輝八紘氏[eden.gala.com.pl]が登場。議論のペースが早まる。
  4月6日未明、大和維新塾の掲示板「アブナイネタを教えて下さい」に、"ノ氏が
  鐵扇會首魁が生IPで投稿したと書き、「◆◇◆峠の茶屋◆◇◆」のURLを貼る。
  この一時間前に、鐵扇會構成員光輝八紘氏は[ppp-77-132.big.or.jp]で、投稿している。
  翌7日未明、くほほ氏[am254.lip.ttcn.ne.jp]が、鐵扇會構成員光輝八紘氏に対し、
  極端な権威主義者でみっともないと、注意する。
  約一時間後、鐵扇會構成員光輝八紘氏[eden.gala.com.pl]は、くほほ氏に、
  具体的にどこが権威主義なのかと書くのが普通の人間と、くほほ氏を中傷する。
  早朝、くほほ氏[ab63.lip.ttcn.ne.jp]は、「クイズなんだよ。お前みたいに一人よがりの人間に、
  そこまで丁寧にしてやる必要はない。頑張ってその論証を探して反省文書いてみろよ。くほほ。」
  と、反省を促す。7日午前8時過ぎ、管理人樋口ヒロユキ氏は、鐵扇會構成員光輝八紘氏と、
  くほほ氏とのやり取りを削除する。
  その後の議論で、鐵扇會構成員光輝八紘氏の投稿量が激増する。
  4月17日未明、管理人樋口ヒロユキ氏は、樋口ヒロユキ氏自身のwebマガジンの宣伝を貼る。
  18日未明、鐵扇會構成員光輝八紘氏[adsl-63-198-115-116.dsl.snfc21.pacbell.net]は、
  合計約300行に及ぶ大量投稿をする。
  この大量投稿により、樋口ヒロユキ氏のwebマガジンの宣伝が、目立たなくなり
  樋口ヒロユキ氏は、生活に困窮しているのだろうか、この大量投稿にブチキレる。
  ほかに、鐵扇會構成員光輝八紘氏に「っていまやオレがこの掲示板のホストなのだろうがよ」と、
  妄想が見受けられた。
  18日9時、鐵扇會構成員光輝八紘氏の投稿を削除、掲示板への注意書を作成。
  同時に鐵扇會構成員光輝八紘氏の投稿を禁止した。
  18日昼、虚塵氏が、鐵扇會構成員光輝八紘と名乗っていた人物が、鐵扇會首魁であると教える。
  一時間半後、Azisai氏が「たまに骨のある論客が出ると何でもあそこの會長にしてしまうのが
  負け犬の痛いところだな。」と投稿。
  21日朝、噴出し君氏[am232.lip.ttcn.ne.jp]が、Azisai氏に対し「>骨のある論客 
   お前本気で言ってんのか?こんな妬み嫉み手前味噌の塊野郎が「論客」だとすれば、
  まさにどっかの会じゃ張り付け活動が精一杯なんだろうな。了解了解。人材って貴重だねぇ(藁)。」
  と、どっかの会の人材不足を哀れむ。

2661年 5月15日
  フリーライターの樋口ヒロユキ氏、鐵扇會の掲示板に投稿するも放置される。

2661年 6月上旬
  共産主義を患う白龍氏が主宰する、共産革命倶楽部の交流用掲示板で、
  日米関係の話題になる。そこに鐵扇會構成員霧島錬太郎氏が首を突っ込む。
  掲示板常連ほか「米中打倒こそ王道」と唱える反YP派氏が反論。
  すると鐵扇會構成員霧島錬太郎氏は「米国と仲良し」と気持ち悪いことを書く。
  それに対し反YP派氏が反論するが、鐵扇會構成員霧島錬太郎氏は、これを黙殺した。



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