投稿者 定食屋 日時 2001 年 9 月 04 日 09:09:35:
84年共同訓練、海自艦が米空母護衛 集団自衛権に抵触
                      米ソ冷戦下の80年代に、日本と米国が合意した「シーレーン防衛」の共同訓練で、
                     海上自衛隊の護衛艦や対潜哨戒機P3Cが米空母機動部隊の一部を構成し、直接米空母
                     を護衛する役割を担っていたことが、米軍の機密解除文書などで明らかになった。米空
                     母機動部隊は攻撃の主要部隊で、日本は憲法で禁じた集団的自衛権の行使に事実上踏み
                     込む形で、米戦略を補完していた。
文書は、米太平洋軍司令部の年次記録「コマンド・ヒストリー」。
                      海上自衛隊は毎年秋に大演習を行うが、84年から米第7艦隊の空母機動部隊が参加
                     するようになった。文書には、その詳細が記録されていた。
                      共同訓練は84年9月中旬の5日間、太平洋上で行われた。危機に陥った日本周辺の
                     海のコントロールを、米の協力で取り戻すという想定。米側から空母ミッドウェーを中
                     心とする空母機動部隊、海上自衛隊から護衛艦12隻やP3Cなどが参加。日米の潜水
                     艦などからなる「敵役」と戦った。
                      「海自の護衛艦3隻は空母機動部隊の戦術指揮下に入り、空母を直接護衛した。……
                     海自と米海軍の戦術えい航ソナーは米海軍対潜指揮官の戦術指揮の下に探査を行った。
                     ……海自の水上艦3隻とP3C、米海軍の間でデータリンクの画像が切れ目なく維持さ
                     れた」
文書はこのように訓練の成果を評価している。
                      「シーレーン防衛」は日本の国会では「海上交通路の保護」と説明されていたが、米
                     国では「制海」を意味していた。
                      米空母機動部隊は有事にソ連の基地や戦略核搭載潜水艦を攻撃するのが主任務。だか
                     ら、ソ連潜水艦は米空母機動部隊を標的にした。海自の護衛艦やP3Cは、そのソ連潜
                     水艦を探知し攻撃する役割を担っていた。
                      空母だけではない。「有事に海兵隊の上陸作戦用装備を積んでグアムから北上する米
                     事前集積船の護衛も米国は期待していた」と、複数の海上自衛隊OBが証言した。
                      83年2月の国会で当時の中曽根康弘首相は「日本が侵略された場合に、日本防衛の
                     目的を持って米艦船が駆けつけ、それが阻害された場合に、自衛艦が救出するのは個別
                     的自衛権の範囲」と答弁し米艦護衛を正当化したが、作戦協力の実態とはかけ離れた説
                     明だった。(03:14) 
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