増田俊男氏の時事直言(最新号)から

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投稿者 ニーチェ 日時 2001 年 10 月 02 日 19:59:14:

「9月11日」はとっくの昔に決まっていた!?

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 「時事直言」、月刊「資本の意志」、各種講演会で「近くアメリカの世論を戦争に導く大事件が起きる」、「8月になると中東戦争が起きる」と言い続けてきた。8月になると米軍がイラクの軍事施設を攻撃し、又イラクは米軍無人偵察機を撃墜した。私はこの状況を「既に第五次中東戦争は始まっている」と断定した。そして9月11日、アメリカに同時多発テロが起きた。私は今回のテロ事件を1941年12月7日(ハワイ時間)の「真珠湾攻撃」とオーバーラップして捉えた。目先のめまぐるしい展開に目を奪われることなく、私なりに真実を追求するのも意味のあることだと考えた。そこで前回の「時事直言」(9月25日号)でアメリカの歴史上数多くある「何々を忘れるな」に共通した「歴史のウソ」から、"Remember World Trade Center and Pentagon"(世界貿易センターとペンタゴンを忘れるな)の真実を想像してみた。また今回の同時多発テロ事件の前と後では何がどう変わったかを詳しく述べた。大戦後30年目に米国公文書館で発表された外交秘密公文書で明らかなように、日本の真珠湾攻撃の成功はアメリカ(ルーズベルト大統領)の巧みな誘導によってもたらされた。当時、世界で真珠湾攻撃は「日本の騙し討ち」と決めつけられていたが、今になって「日本がアメリカに騙された」ことが証明された。
 このようにアメリカの歴史上に残る「何々を忘れるな」にはすべて裏があったのである。そこで私は、今回の同時多発テロは、パールハーバー同様、「アメリカが必要としていた」との想定に基づいて、今回の事件とパールハーバーとの本質を考えてみた。1941年ルーズベルトの要請により日本最後の給油国オランダは対日全面禁輸通告をした。日本は譲歩に譲歩を重ね、執拗にアメリカとの交渉を求めたがアメリカは聞く耳を持たず、「窮鼠ネコを噛む」の例え通り日本は対米戦争に追いやられていった。12月7日に、日本軍のハワイ攻撃が開始されることを承知していたルーズベルトは空母2隻と19隻からなる主力艦隊を安全な外海に待機させ、老朽艦船ばかりの16隻を真珠湾に残し日本軍に思う存分攻撃させた。私は1998年8月、ケニアとタンザニアで起きたアメリカ大使館同時爆破事件について度々述べ、ビン・ラーディン犯人説に疑問を呈してきた。アメリカは首謀者を今回もビン・ラーディンと決めつけ、配下(モハメド・アル・オワリ)を投獄しニューヨーク地裁で判決を言い渡すことになっていた。私は「アメリカはこの判決を劇的なものにするだろう」と言ってきたが、実は判決は9月12日(テロ事件の翌日)に決まっていたのである。さらにアメリカはこの判決の日までにビン・ラーディンを捕獲するため昨年からパキスタンと頻繁に接触していたこともわかった。アメリカは今までの対パキスタン制裁(核実験のため)解除とIMFによる資金援助を約束してパキスタンの全面的協力を求め続けてきたが、テロ事件が起きる前のパキスタンでは、もしビン・ラーディン捕獲に全面的に協力すると、軍はもとより国論が二分され、他のイスラム世界からもひんしゅくを買うおそれがあった。従って、パキスタンはなかなかアメリカに全面的協力を約束することが出来なかったのである。アメリカで大使館爆破事件の裁判日(9月12日)が迫るに連れアメリカは苛立ち、ビン・ラーディンを匿っているアフガンに強硬手段も辞さないと伝えてきた。これに対してパキスタンはビン・ラーディンを第三国サウジアラビアで裁く案をアブドラ皇太子の同意のもとにアメリカに提案すると同時に、アフガンのタリバン政権に強く同意を呼びかけた。タリバン暫定統治評議会は第三国裁判に同意したが、肝心のアメリカは自国の裁判以外は認めずパキスタン・サウジ案を断固拒否した。そのため一年近くにわたって行われたビン・ラーディン捕獲に関する米・パキスタン交渉は完全にデッドロックになったのである。そんな時(テロ事件の一週間前)、パキスタン諜報部(ISI)長官とパキスタン軍アーメド中将が急遽ワシントンを訪問、ペンタゴン(国防総省)とCIAの高官とテロ発生の前日(10日)まで缶詰状態の会談をしていた事実が明らかになった。おそらくパキスタン諜報部はイスラム過激派のテロ計画の詳細を察知し、アメリカに伝えに来たものと思われる。パキスタン諜報部よりはるかに優秀なアメリカ(CIA)はパキスタンに知らされる前に当然今回のテロ計画を知っていたはず。従ってアメリカはパキスタン情報を一蹴したはずである。アメリカが事前に対米テロ計画を知っていたことになっては困るからである。それはルーズベルトが真珠湾攻撃前に日本軍の計画を察知した太平洋艦隊司令官(総督)を更迭したのと同じ動機である。前述のアメリカ大使館爆破事件でビン・ラーディンがもし無実(私のスーダンでの調査では無実の可能性が高い)なら、無実の配下が9月12日に裁きを受けることはイスラム世界で許せることではない。また8月27日にはイスラムの盟友PFLP(パレスチナ解放人民戦線)議長がイスラエルの騙し討ちにあって暗殺されたことも許せない。こうした反米、反イスラエルの感情が極度に高まっている時に、アメリカはイスラムのカリスマ的存在、ビン・ラーディン捕獲のため、タリバン政権をサウジアラビアと共に承認していたパキスタンを金で買収し、さらにはアフガン・タリバン政権を転覆させるための反政府ゲリラ組織「北部同盟」に武器弾薬の支援をしているのだから、益々もってアメリカを許すことは出来なかっただろう。タリバン指導者のオマル師は見せしめにアメリカと手を組んだかどでカリスマ性の高い北部同盟司令官アフマッド・シャー・マスードを暗殺した。パキスタンとサウジアラビアの強い要請でタリバンがしぶしぶビン・ラーディンの第三国裁判に同意したにもかかわらず、アメリカはこれを蹴り、それどころかタリバンに対し軍事行動を執ると伝えてきた以上、イスラム側の手段は最早テロ以外に無くなったのではないか。丁度アメリカが日本に産業の米である原油を全面禁止したのと同じである。アメリカはイスラム過激派をも「窮鼠ネコを噛む」に追いやったのである。こうした状況が9月12日というアメリカとイスラム過激派共通のデッドラインの前にあったのである。アメリカはパキスタンを通してのいかなるイスラム側の条件も飲まなかったのだろう。丁度いかなる日本の譲歩をもルーズベルトが蹴ったように。ペンタゴン訪問中のパキスタン代表は、9月10日までに結論が出ず急遽帰国の予定だった。そしてブッシュ大統領は翌日の2001年9月11日午前8時50分を迎えたのである。丁度ルーズベルト大統領が1941年12月7日午前7時5分を迎えたように。そしてこれから始まるアメリカのアフガン攻撃は、本命サダム・フセインをイスラエル攻撃に仕向ける手段でしかない。これで「もう第五次中東戦争は、始まっている」と私が言うのが分かると思う。


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