「暴走するプライバシー」 (抜粋)

 ★阿修羅♪

[ フォローアップ ] [ ★阿修羅♪ ] [ ★阿修羅♪ Ψ空耳の丘Ψ14 ]

投稿者 付箋 日時 2001 年 10 月 09 日 21:43:15:

 「暴走するプライバシー」 シムソン・ガーフィンケル著より抜粋。
------------------------------------------------------------

 プライバシーとは何か

 この本のテーマは「プライバシー」だが、わたしとしては新世紀を迎えるにあたり、最新テクノロジーの脅威にさらされた「個人の自由」をもっとふさわしい言葉で表現できないのが残念だ。
 人間ははるか昔から、データバンクや監視技術が普及すればプライバシーと民主主義は必ず死に絶える、と警告してきた。それでも今日、「プライバシー」という言葉から連想するイメージは「ショットガンを構え、森の中に隠れ住む変人」と決まっている。偽名で私書箱に登録し、そこで手紙を受け取り、基本的に自給自足で、自力で育てられないものだけに金を払い、連邦政府の攻撃を、あるいは宇宙人の襲撃を常に恐れるタイプの変人だ。もしあなたがこの手の変人でないとしたら、たぶんこう言うだろう。
「なぜわざわざプライバシーの心配をするんだ?隠すことなど、何もないのに」
「プライバシー」という言葉では、残念ながらプライバシーの桁外れに大きな全体像を十二分に伝えきれない。プライバシーとは、何かを隠す行動だけを指すものではない。感情を抑えたり、自分の意思で判断したり、自分を完全な状態に保つという意味もある。二一世紀のコンピュータ世界では、プライバシーはもっとも重要な市民権の一つになるだろう。ただしそれは、ドアやブラインドを閉めきり、密かに道徳や法律に反する行為を楽しむ権利ではない。人生で起きた一つひとつの出来事について、どれを家の内にとどめ、どれを外に出すか、自分で決める権利である。
 二一世紀のプラィバシーのあり方を考えるために、まずはプラィバシーの現状を改めて確認しておきたい。

●プライバシーとは、男性が匿名でインターネットでポルノを見ることではない。むしろ有害なごみ集積場建設に反対する女性が、地域住民の会をインターネットで組織したいと思いつつ、あまり騒ぎ立てると建設推進派の投資家に過去をほじくり返されやしないか、などと怯えることと関係がある。

●プライバシーとは、運転手がハイウェーでスピードを出しすぎ、コンピュータ化されたスピードトラップにひっかかって自動的にチケットを切られ、送りつけられることではない。むしろ恋人と町を歩いたり、店に入ったりしても、行く先々で監視カメラが気になってデートを楽しめないことと関係がある。

●プライバシーとは、汚職や政治犯罪を担当する特別検査官が、あらゆる手段を尽くしてくまなく捜査することではない。むしろ善良で正直な一市民が、学生時代の成績やデジタル化された医療記録や電子メールを血に飢えたマスコミにかき回されるのを恐れ、公職に就くことを拒否することと関係がある。

●プライバシーとは、空港や学校、連邦政府ビルで当たり前となった身体検査や金属探知機や審査のことではない。むしろ法律をきちんと守る市民をテロリストの恐れありと見なすくせに、身の危険にさらされた市民を守ろうとしない社会と関係がある。

 過去にもましていまの時代、わたしたちはごく当たり前のように個人のプライバシーの衰退を目にするようになった。政府に盗聴されたり、企業のマーケティング担当者や詮索好きな隣人からプライバシー侵害闘争を仕掛けられ、被害を受けている。

---------------------------------------------------------------------

 もっとよい解決法

 すべてを網羅する大々的な監視体制を敷いたところで、化学兵器や核兵器によるテロは防げても、残念ながら細菌兵器によるテロまでは防げない。危険なバクテリアやウィルスや細菌は、そもそも自然に生息するからだ。軍備管理軍縮庁の前アシスタントディレクターだったキャスリン・C・ベイリーはいう。
「炭疽病はアメリカ南西部ならよくある病気。いわゆるシープ・シアラー(羊毛を刈る人)病のことだ。由来は、炭疽菌が羊毛に隠れているから。毎年、一〇〜二〇件程度は発症する」
 また自宅で肉や野菜を缶詰にする人は、常にボツリヌス中毒の恐れがある。たった一人で細菌テロを目論んだとしても、大学の公開講座を一つか二つとって細菌学を勉強すれば、細菌兵器を大量に作り出せる。ベイリーによれば、一万ドル程度の設備と約四・五メートル四方の地下室があれば十分だそうだ。
「何者かが本気で細菌テロを企んだら、止めようにも止められない。テロリスト集団ならば潜入するという手があるが、相手がたった一人となると、ガレージや物置きや地下室での動きを前もってつかむなんて、まず無理だ。・・・排気も悪臭も出ないから。現在の技術では、地下室で炭疽菌を培養されても発見しようがない」
 たとえ連邦議会が憲法を焼き捨て、アメリカを警察国家に仕立てても、細菌兵器によるバイオテロリズムの脅威はなくならないと、ベイリーは語る。
「細菌兵器を製造して市民を恐怖に陥れようとする人間を捕まえられると思いますか。そもそも、どうやって見つけるのか。どの家に踏み込めばいいか、分からない。地球上のあらゆる人間に警官を一人ずつ張り付けて、お互いに監視させるか。それでも誰かがどこかで犯すミスまでは防げない」
 それより対抗策としてワクチンや治療法を研究するべきだと、ベイリーは語る。
「効果のある治療法を開発したうえで、テロリストが使いそうな病原菌の種類を完全に把握すればいい。捜査機関にも、テロリスト集団の動きを逐一把握してほしい」
 捜査機関だけでなくわれわれも、細菌兵器によるテロの徴候はないかと周囲に気を配るべきだと語るのは、兵器拡散防止研究センターのジョナサン・B・タッカー博士だ。たとえば炭疽中毒は感染後三日以内なら治療できるのだが、肝心の兆侯は三日か四日経たないと表れない。本人が病院の緊急治療室に出向くのを待っていたら、まず助からない。
 対処策として、地下鉄や大型ビルや空港など、いかにもバイオテロの標的となりそうな場所に、費用のかからない大気汚染監視装置を設置したらどうか、とタッカーは提案する。「地下鉄に検査係を常に配置して、大気のサンプルを集めさせる。もし検査係が異常なエアゾールを拾ったら緊急連絡し、人を派遣してフィルターのサンプルを分析する」のである。炭疽菌が検出されたら、今度は世間一般に緊急警報を出せばいい。
 ほかにもタッカーは、公安関係者の訓練と細菌テロに対処する設備資金が必要だと訴える。国防総省は一九九七年、細菌兵器や化学兵器を使ったテロ攻撃に備え、各地の捜査関係者の訓練費として四二〇〇万ドルを計上したが、実際に設備が購入されることはなく、訓練も大都市二四カ所の捜査関係者にしか行われなかった。
 同様の監視や訓練は、核兵器や化学兵器によるテロの防止策にもなる。放射性物質や化学物質の備蓄を厳しく監視するのも、テロ対策の一つだ。この監視はすでに核拡散防止条約や化学兵器禁止条約で義務化されているが、もう一歩踏み込んで、放射性物質や化学薬品、細菌を扱う施設の警備をさらに強化したほうがいいのは間違いない。
 一方で、捜査機関はテロの脅威を口実に権力の掌握や予算の拡大を狙っている、と主張する市民権の擁護派も少なくない。第一次世界大戦、第二次世界大戦で、政府が破壊活動を口実に市民の自由を侵害したのと同じ、というわけだ。
 その一人、ボストン在住の刑事弁護士で市民権問題が専門のハーべー・シルバーグレートは、わたしにこう語った。

『あなたがいうようなテロリズムの脅威は、誇張されすぎだと思います。・・・権力の強化を狙う捜査当局が、わざとオーバーにいっただけですよ。いいですか。政府ではなく個人や集団が、人間の命や財産を大量に奪った歴史上の事件など、わたしにはすぐに思いつきません。個人や集団やギャングの被害など、暴走した政府の被害に比べれば、なんてことない。一個人がユダヤ人を大虐殺した史実など、ただの一つもないじゃありませんか』

 それどころか、(この章で見てきた)大量破壊兵器を開発したり改善してきたのは、ほかならぬ政府だとして、シルバーグレートはさらに言い募った。
「わたしなら、政府に無限の強大な権限を与えて個人のテロ行為を取り締まるよりは、政府そのものを厳しく取り締まる世の中で暮らしたい。個人のテロ行為にはある程度目をつぶってでも、政府の独裁主義はお断りだ」
 たとえシルバーグレートの言い分が間違っているとしても、テロリスト集団の規模が小さくなり、しかも大量破壊技術が大衆化したいま、狂人やテロリストを幅広く監視したところで、たしかにテロは防げない。ならば市民権などさっさと捨てて、プライバシーを守る権利をすべて犠牲にしてでも、この先ずっと政府にテロリストの攻撃から守ってもらうしかないと思いがちだが、一〇〇%安全という保証などどこにもない以上、一方的に損する羽目にもなりかねない。
 それならば、テロリストや狂人を監視するのではなく放射性物質を監視し、毒物やその前段階の物質の入手経路を制限するほうが、はるかにましというものだ。プライバシーを犠牲にするよりは、環境衛生への配慮を強め、抗生物質を備蓄し、細菌戦の兆侯に目を光らせるほうがいい。とにもかくにも新種の病原菌をすばやく感知する監視体制を整えれば、人工であれ天然であれ病原菌から身を守れるではないか。
 最後にもう一つ、大都会が壊滅しても生き延びられる社会作りも、忘れてはなるまい。大都市壊滅という最悪の事態は、いずれ必ず起こるだろう。具体的にいうと、まずはニューヨークが壊滅したケースを想定して、計画を練るべきだ。

----------------------------------------------------------------

 いまこそ、プライバシーを守ろう!

前文
 ・・・専制と圧迫に対抗する最後の手段として反逆に訴える事態を防ぐには、法の支配による人権保護がきわめて重要であり・・・。

第十二章
 何人もプライバシーや家族、住居や通信に対する一方的な干渉や、名誉や信用に対する攻撃に甘んずることはない。このような干渉や攻撃に対しては、法の保護を受ける権利がある。
       ----国連世界人権宣言
    G.A.res217A(V),U.N.Doc A/810 at 71

 二一世紀を迎えたいま、個人の自由、個人のアイデンティティ、そして個人の自主性は世界中で攻撃されている。とくにアメリカでは、政府と産業界と一般市民が一体となって、反プライバシー運動を展開中だ。その意味で、誰も無実とはいえない。プライバシーは満身創痍で、瀕死の状態にある。現代社会はプライバシーに背を向けることで、みすみす害を招こうとしている。プライバシーは、人間に認められたすべての権利の大前提となる、基本的な権利だからだ。

●第三者の侵入を阻止したり規制できなければ、命そのものを守れない。単細胞生物は細胞壁を利用して外部の侵入を防ぎ、細胞を正常な状態に保つ。同じようにわたしたち人間も、皮膚や家屋、塀や武器を利用して自分の身体や精神を正常に保ち、プライバシーを守る。

●思想の自由---自分の意見を自由にまとめたり、その意見を公表しようと決断するまでは秘密にしておく権利---がなければ、人格(アイデンティティ)も個性もありえない。

●コミュニケーションのプライバシーが守られなければ、政治も成り立たないし、他人と本当の意味で絆を結ぶことさえできない。自分が発した一言一言が盗聴され、録音されているかもしれないと思ったら、お互いに本音で話し合えるわけがない。自我の成長にプライバシーが欠かせないように、他人といつまでも褪せない本当の絆を結ぶときも、やはりプライバシーが欠かせない。

 こう主張すると、第一章で取り上げた「プライバシーの権利」をとことんまで突き詰めた意見だと、思われるかもしれない。しかし一九世紀末のウォーレンとブランダイスは、テクノロジーが人間のプライバシーをここまで根底から脅かすことになるとは、予想もしなかったはずだ。なに、身体を正常に保てない?頭の中をのぞくだと?くだらない戯言だ、と当時なら相手にされなかっただろう。それがいま、第三者の侵入を阻む権利は、大量殺戮兵器を構えたテロリストや、テロリストを探し出して追放しようと目論む政府によって脅かされている。プライベートな考えを持つ権利やプライベートな会話を交わす権利も、政府やマーケティング担当者や地球をくまなく計測する機器によって侵され、個人の経歴は保険会社によって白日の下にさらされている。いずれ最新コンピュータによって思考をシミュレートされるか、そこまではいかなくても盗まれる日がくるかもしれない。経済のどの分野を見ても必ずといっていいほど、個人のプライバシーを強引に侵害する新たな手段が目につく。

 テクノロジーは中立ではない

 ある会議で出会ったMITの学部生は、わたしに向かって大真面目な顔で、テクノロジーはプライバシーに関して中立なのだと語った。
「テクノロジーはプライバシーを侵害する道具にも、守る道具にもなりますから」
 この学生を見ていて、わたしはかつての自分を思い出した。わたしもMITの学部生だったころ、よく同じようなことをいった。「テクノロジーは中立」という意見は、世界の最先端技術を勉強中の身にはまことに都合がよい。「問題なのはテクノロジーそのものではなく、使う人間のほうだ」とよく考えたものだ。
 しかし、「テクノロジーは中立」という意見はたしかに都合はいいが、間違っている。テクノロジーが人間の個性を奪った実例なら、過去に腐るほどあるではないか。テクノロジーをプライバシーの保護や強化のために利用することもできるが、テクノロジーそのものは反対の方向に進化する傾向がある。個人のプライバシーを守る計画を立て、実際にサービスを導入するのは、プライバシーを破壊する活動よりも手間がかかり、往々にして金もかかる。
 例を挙げて説明してみよう。わたしが卒業を控えた年、MITは5ESSというかなり高価な電子電話交換機を購入した。数年後には構内全域にデジタルISDNが敷設される。ISDN電語機には小型ディスプレイと、十二個以上のボタン、その二倍の数のランプ、本体に内蔵されたスピーカーフォン専用のマイクがあるのだが、電話機の仕様が分かるにつれて、ボタンやランプの機能は、実は「固定されていない」ことが分かった。つまり、5ESSのプログラム次第でボタンやランプの機能が決まるのだ。機能はソフト次第で、好きなように決められるのである。
 となれば残念ながら、ISDN電話機が本来の目的以外に使われる可能性を否定できない。構内オフィスの盗聴、である。盗聴器は、スピーカーフォン用のマイクに仕掛けられる。ISDN電話機をスピーカーフォンとして利用する場合、通常はマイクが音を拾っているとユーザーに知らせるために、マイクの隣の小さな赤いランプが灯る。しかしISDN電話機はソフトで操作が決まるため、マイクと赤いランプのスイッチオンは、それぞれまったく別個の操作となる。5ESSのプログラムを書き換えれば、赤いランプを灯さずにマイクのスイッチを入れることも可能なのだ。逆のプログラムもやはり簡単で、5ESSの指示を受けずにマイクが作動した場合、自動的に赤ランプが灯るように設定することもできる。もちろんAT&Tの目的はプライバシー侵害ではないから、最初からこのように設計された電話はない。
 これとは対照的に、プライバシー保護に配慮した設計もある。たとえば、コンピュータメーカーのシリコン・グラフィックス社がデスクトップワークステーション・シリーズに取り入れた小型ビデオカメラ。これはテレビ会議用のカメラで、モニタの上に設置され、レンズがユーザーの顔をとらえる仕掛けになっている。通常、カメラのシャッターはソフトが制御し、プログラムの指示で録画が始まり、プログラムを切れば録画も止まる。だがこのカメラにはもう一つ、手動のシャッターも付いている。カメラの前に下ろして視界を遮る、スライド式の小さなプラスチック製シャッターだ。手動のプラスチック製シャッター付きのカメラはシャッターのないカメラよりも高くつくが、コンピュータの前に座ったユーザーは、レンズのシャッターを下ろせばカメラに行動をいっさい監視されないと安心できる。ただし悲しいことに、設計段階でこのようによけいな手間をかけるメーカーはあまりない。
 プライバシーを守るテクノロジーには、どうにも避けられない難点がある。テクノロジーがきちんと作動しているかどうか、確認しようがないという点だ。プライバシーが侵害される場合は、ダイレクトメールが送られてきたり、嫌がらせの電話を受けたりと、兆侯を具体的に感じ取れる。インターネットに無断で流された自分の個人情報を発見したり、寝室に仕掛けられた盗撮カメラを見つけるケースもあるだろう。しかしプライバシーが守られているかどうかは、目に見える形では分からない。たとえプライバシー侵害に気づいて阻止したとしても、その方法にテクノロジー面で不備がないかどうか、なかなか確認できない。
 ことプライバシーに関して、テクノロジーは決して中立ではない。むしろプライバシーを侵害する傾向のほうが、圧倒的に強い。そもそもテクノロジーは、プライバシーを侵害する性質がある。テクノロジーが進化すれば、身近な世界を次々と選択したり分類して、簡単に検索できる地球規模のデータベースを作ることができる。個人の決定事項にしても、朝食のシリアルを決めるのであれ、選挙で侯補者を選ぶのであれ、ますます影響を与えないではいられない。このようなテクノロジーの傾向に目をつぶることで、わたしたちはみすみす危険を招こうとしている。

------------------------------------------------------------------

 最後に

 将来を予測する行為は、常に危険をはらんでいる。もっとも確実な予想でも、予期せぬ出来事に覆されるケースがあまりに多い。子どものころ、母がイディッシュ(ユダヤ人が使う言語)で簡潔に教えてくれたとおり、「人間が立てた計画を、神は嗤いたまう」わけだ。
 それでもわたしたち人間は将来を予測して計画を立てないと、確実に生き残っていかれない。一〇〇〇年ものあいだ延々と、人間は春に種をまき、秋に収穫して、不毛の冬に備えてきた。田舎の洪水を防ぎ、都会に水を引くために、大規模な土木工事を計画して実行した。採算がとれるかどうか分からない、結果もはるか先にならないと出ないのに、それでも子どもたちを教育してきた。将来を予測しない者に、将来はない。
 そして、プライバシーの未来は一〇〇年以上も前から、将来の予測とともに語られてきた。『プライバシーの権利』を寄稿したサミュエル・ウォーレンとルイス・ブランダイスの念頭には、一九八〇年のボストンにおけるプライバシーではなく、プライバシーの障壁となるであろう将来の脅威があった。一九四七年にビッグ・ブラザーの小説を書いたジョージ・オーウェルの念頭には、戦後のイギリスやロシアのプライバシーではなく、将来のある時点で市民の自由に起こりうる事態があった---そして、「一九八四年」を舞台に選んだ。一九六八年に議会で証言したアラン・F・ウェスティンは、当時の信用調査機関の行為を弾劾したが、その裏には信用調査業界にプライバシーを保護させないと将来はどうなるか、という切迫した危機感があった。
 こうした歴史を踏まえて、わたしは五年前に二一世紀のプライバシーをテーマとした本を書く準備に取りかかった。一〇〇年後の世界がどうなっているか、その折り返し地点にあたる二〇四八年が舞台で、ジョージ・オーウェルの名作になぞらえた芝居だが、将来への道しるべにもなる作品のはずだった。現在、プライバシーというテーマは分からないことが多すぎるが、二〇四八年にはすべての謎がきっと解けているだろう、とわたしは考えた。現代のプライバシー問題は、プライバシーや個人の自由という昔ながらの常識が、テクノロジーの進化によって通用しなくなった結果、起きたものだ。だが二一世紀の半ばともなれば、通用しない古びた常識そのものが、ほぼ消滅しているに違いない。そして人間はついに、絶対確実な個人認証や遠隔探査、データ追跡や遺伝子操作が及ぼす影響や、人工知能がもたらす脅威に、真正面から取り組むことになるだろう。もし人類が二〇四八年までにたった一人の狂人のせいで全滅したり、強大な警察権力に隷属するようなことにならなければ、必ずや新しい基盤を築くに違いない。一〇〇〇年先まで十分に持ちこたえるような基盤を築くに違いない、と思い込んでいた。
 しかし『二〇四八年』と題した本を書きながら、いまとは違う安定した未来社会を描くことに、わたしは強い違和感を覚えた。むしろ、二一世紀に突入するいまの時代を取り上げるべきではないのか。夢のような理想郷にたどり着くには、まさにいま、この時代に正しい道を選ぶしかない。現在、プライバシーが岐路に立たされているのは間違いない。人間がデジタル世界で自主性を奪われ、行動を逐一監視され、秘密が秘密でなくなり、行動の選択が狭められる社会とはどのようなものか、いまなら容易に想像がつく。そう、この本で描いてきた社会だ。こんな社会に、わたしなら住みたいとは思わない。こんな地獄を避けるには、今日から行動を起こし、明日から違う将来を創り出すしかない。
 データベースネーションを創るのではなく、考え方や法律や社会のありかたを変えていこう。個人の自主性やプライバシーを尊重する、自由な未来を創ろうではないか。それにはまさにいま、この瞬間から始めるしかないのだ。



フォローアップ:



  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。