夏にふさわしい「怪談」?−『新しい歴史教科書』に撃沈された日本駆逐艦

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投稿者 語り部 日時 2001 年 7 月 31 日 03:54:27:

こんな記事がありましたんで、転載しときます。

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『新しい歴史教科書』に撃沈された日本駆逐艦

 歴史学研究会は7月9日付けで、小冊子「まちがいだらけの『新しい歴史教科書』」を作成し、各教育委員会に送付する一方、その内容をホ
ーム・ページで公開した。その際、第一次世界大戦における地中海での日本海軍の活動に関し、『新しい歴史教科書』が事実無根の「作り話」
を記述している旨を指摘したところ、何人かの方から問い合わせがあった。この問題は、「ペリーの白旗書簡」問題とは比較にならぬ、単純明
快な「事実誤認」なのであるが、史実をかってに「創作」しているという点においてはより悪質なものである。そこで一会員としての立場から、い
ま少し詳しい説明を行ってみたい。

1.問題の所在

 『新しい歴史教科書』は、244〜245ページで以下のような叙述を行っている。

1917(大正6)年になって、ドイツの潜水艦が商船を警告もなく無制限に攻撃する作戦を開始すると、その暴挙にアメリカは参
戦、日本は駆逐艦隊を地中海に派遣した。
地中海での作戦中、ドイツ潜水艦から魚雷が発射された。その魚雷の発見が一瞬、遅れたときに、日本駆逐艦は連合軍船舶
の前に全速で突入して盾となり、撃沈されて責務を果たした。犠牲になった日本海軍将兵の霊は、今もマルタ島の墓地に眠っ
ている。

 第一次世界大戦で日本が地中海に艦隊を派遣したことについては、高校の日本史教科書でも一部の教科書が触れているのみであり、中学
校の教科書ではもちろん初登場である。しかも上の引用に明らかなように、その叙述は同盟国のために我が身を犠牲とした日本駆逐艦の活
躍を紹介するものであり、読者にとっては大変印象深い「美談」となっている。

 しかしこの「美談」は、史実ではないのである。問題の箇所はアンダーラインの部分である。ここには、大まかに分けて3つの情報が含まれて
いる。それは、@地中海で日本駆逐艦がドイツ潜水艦に撃沈された、A犠牲となった日本駆逐艦は、ドイツ潜水艦の魚雷から連合軍船舶を守
るため自らを「盾」とした、B撃沈された日本駆逐艦の将兵は、マルタ島の墓地に埋葬されている、というものである。

 結論からいえば、以上の@〜Bの情報のうち、事実を伝えているのはBの部分だけである。マルタ島には1918年6月に竣工した、地中海戦
域での日本海軍戦没者墓碑(旧英国海軍墓地内)があり、73名の戦没者がこの墓地に葬られている。しかしこの戦没者たちは、@Aのような
事情によって生じたものでは決してない。なぜなら、地中海戦域における日本海軍の戦没艦は皆無だからである。

2.地中海における日本艦隊

 地中海に派遣された日本艦隊は、佐藤皐蔵少将を司令とする第2特務艦隊であり、その兵力は以下のようなものであった。

2等巡洋艦「明石」(1917.2.7艦隊編入、1917.11.4まで旗艦、「出雲」到着後解任、帰投)
1等巡洋艦「出雲」(1917.6.20艦隊編入、現地到着後「明石」に代わり旗艦)
1等巡洋艦「日進」(1918.11.16艦隊編入)
2等駆逐艦「桂」「楓」「梅」「楠」(以上1917.2.7艦隊編入、第22駆逐隊を編成)
2等駆逐艦「杉」「柏」「松」「榊」(以上1917.2.7艦隊編入、第23駆逐隊を編成)
2等駆逐艦「樫」「柳」「檜」「桃」(以上1917.6.1艦隊編入、第24駆逐隊を編成)

駆逐艦「栴檀」(英国駆逐艦Mistral、1917.9.20より第23駆逐隊臨時附属艦)
駆逐艦「橄欖」(英国駆逐艦Nemesis、1917.10.12より第23駆逐隊臨時附属艦)
特務艦「東京」(英国トロール船Tokio、1917.6.1より艦隊特務艦)
特務艦「西京」(英国トロール船Mininggsby、1917.6.1より艦隊特務艦)
 *以上4隻は、英国海軍の要請により、日本海軍が借用、日本側将兵により運用した。

 以上のように、第2特務艦隊に所属した艦艇はのべ19隻、現地部隊の実勢力としては最大時において17隻(巡洋艦1、駆逐艦14、特務艦
2)であった。
*日進の艦隊編入は休戦成立(1918.11.11)後であり、作戦には従事していない。
*マルタの日本艦隊を写したものとして一般に知られる写真には、他に特務艦「関東」が写っている。しかし「関東」は、ドイツからの戦利艦(潜
水艦)回航のために特派されたもの(1918年12月)であり、第2特務艦隊には編入されていない。

 それではこれら第2特務艦隊の被害は、いったいどのようなものだったのか。この点について、1919年7月5日の日付を持つ天皇への報告
書、「第二特務艦隊司令官海軍少将佐藤皐蔵任務上奏文」は、以下のように述べている。

此等の〔護送〕任務を遂行しまする間戦闘を致しました回数は三十六回で御座いまして、(中略)又右戦闘中十一回は最も近距
離から敵の魚雷発射を受けましたが、榊が敵魚雷の為大損害を受け多数の死傷者を出しましたと、松が雷撃されました運送船
に横付して人員救助中同船に命中致しました魚雷の爆発のため、軽微な損害を受けました外は悉く之を回避しまして些しの損
傷をも蒙りませぬので御座いました。
(出典・桜田久編『日本海軍地中海遠征秘録』P41〜42)

 駆逐艦大破1、同小破1。作戦行動中の第2特務艦隊の被害は、これ以上のものでも以下でもない。被害を受けた駆逐艦は現地で修理さ
れ、艦隊に復帰した。そして大戦の終結に伴い、「日進」および第22、23駆逐隊は1919年6月18日、「出雲」および第24駆逐隊は7月2日に横
須賀港に、全艦無事横須賀港へと帰航したのであった。
*戦時中第2特務艦隊に属した4隻の英国艦船のうち、「東京」「西京」は1918年11月21日にマルタ島で、「栴檀」「橄欖」は1919年1月17日
にプリマス港で、それぞれ返却された。

3.駆逐艦「榊」被雷の状況

 すでに述べたように、第2特務艦隊に戦没した艦艇は存在しない。したがって、『新しい歴史教科書』の記述に含まれる情報のうち、@地中
海で日本駆逐艦がドイツ潜水艦に撃沈された、という部分は全くの「創作」である。

 それでは、Aの犠牲となった日本駆逐艦は、ドイツ潜水艦の魚雷から連合軍船舶を守るため自らを「盾」とした、という部分はどうであろうか。
もし「第二特務艦隊司令官海軍少将佐藤皐蔵任務上奏文」が述べる駆逐艦「榊」の大破が、このような行動の結果であれば、『新しい歴史教
科書』が描く「美談」は、「大破」を「撃沈」とデフォルメしたものとして理解することができる。

 駆逐艦「榊」の被雷は、1917年6月11日のことで、艦長以下59名の戦死者を出した惨事であった。この59名の戦死者は、マルタ島に葬られ
た73名の戦没者の実に80.8パーセントを占めている(ちなみに他の14名は、任務中に波にさらわれた者と病死者である。なお「松」が小破した
際の戦死者はいない)。もし「榊」の被雷が、ドイツ潜水艦の魚雷から連合軍船舶を守るため自らを「盾」とした結果であったとすれば、これはこ
れで十分「美談」であるということになろう。

 しかしながら、この点についても史実は全く異なっているのである。「榊」の被雷について、たとえば日本海軍の「正史」ともいえる『近世帝国
海軍史要』(1938年刊)は、以下のように述べている。

…此の間駆逐艦自体が、敵潜水艦の攻撃目標となつたことも皆無ではなかつた。例へば駆逐艦榊が、大正六年六月中旬護衛
任務を終へ、マルタに帰航の途次、クリート島附近に於て僚艦松と共に敵潜水艦と遭遇交戦中、艦首に雷撃を受けて大破損を
蒙り、駆逐艦長以下五十九名、負傷者十二名を出した如き其の一例である。(P683)

 明らかなように、「榊」の被雷は連合軍船舶の護衛任務中のものではなく、「松」と二隻でマルタ島に帰投途中に生じた出来事であった訳で
ある。

 なお当時の状況については、先日、C.W.ニコル氏の編集・解説で復刻された、片岡覚太郎『日本海軍地中海遠征記──若き海軍主計中
尉の見た第一次世界大戦』(河出書房新社)P149以下により詳しい記述がある。本書(原本は手記)の著者片岡覚太郎氏は「松」の乗組員で
あり、「榊」被雷前後の状況について文字通り見たままを記述している。こちらによっても、被雷当時の「榊」が、「松」と二隻で行動していたこと
は疑うべくもない。

 以上のように、駆逐艦「榊」は、ドイツ潜水艦の魚雷から連合軍船舶を守るため自らを「盾」としたことによって大破した訳ではない。したがっ
て、『新しい歴史教科書』の記述に含まれる情報のうち、Aドイツ潜水艦の魚雷から連合軍船舶を守るため、日本の駆逐艦が自らを「盾」として
犠牲となった、という部分もまた、全くの「創作」といわざるを得ないのである。

3.まとめ──もしくは現代における「怪談」について

 以上検証してきたように、『新しい歴史教科書』が描く日本艦隊の「美談」的エピソードは、全くの「創作」話である。繰り返すが、地中海にお
ける日本艦艇の戦没艦は、1隻もない(もし帝国海軍が健在であれば、このような史実の歪曲は、海軍に対する「名誉毀損」もしくは「反軍的言
辞」として大問題となること必至であろう)。またマルタ島に葬られた73名の戦没者を含む全作戦期間の総戦没者78名については、その氏名と
死亡理由が明確であり、『新しい歴史教科書』が描くような状況で戦死した者はいない。つまり『新しい歴史教科書』が描く日本艦隊の「美談」
的エピソードは、何の根拠もない「作り話」というほかはないのである。

 ところで、このエピソードをめぐっては、「美談」ならぬ「怪談」じみた要素がある。まず第一に、このエピソードの出所が不明なことである。『新
しい歴史教科書』の問題箇所には、「ペリーの白旗」であれ、「白船事件」であれ、まがりなりにも何らかの元ネタがあるように思われる。ところ
が管見の限りでは、このエピソードについてそれらしい「出典」が見当たらない。たとえば『教科書が教えない歴史──日本と外国、勇気と友
情の物語』(扶桑社文庫、1999年)にやはり地中海での日本艦隊の活躍を取り上げた部分(占部賢志「驚嘆する活躍見せた日本の艦隊」)が
あるが、そこではこのような「美談」は紹介されていない(実はこの占部論文?にもとんでもない「ウソ」があるのだがここでは触れない)。とすれ
ば、このエピソードは『新しい歴史教科書』の執筆者が、「想像」で書いたということになるのだが、もしそうであればこれほど「怖ろしい話」はな
い。

 第二に、先に引用した「第二特務艦隊司令官海軍少将佐藤皐蔵任務上奏文」なのであるが、その出典である『日本海軍地中海遠征秘録』
の出版元は、ほかでもない産経新聞ニュースサービスなのである。この本を筆者は、神田の三省堂書店で7月初旬に購入したが、本書は地
中海の日本艦隊の活動について、現在一般書店で入手し得る、最も手軽でかつ包括的な内容を持つ書籍といえる。産経新聞社は『新しい歴
史教科書』の勧進元のような役割を果たしているが、自社の出版物の内容を無視するような『新しい歴史教科書』に対しては、断固その「誤り」
を指摘すべきであろう。

 第三に、ここで検証してきたような事実関係は、軍事史の領域においてはいわば「常識」のレベルに属することと思われる。ところが、このよう
な「作り話」を記述する『新しい歴史教科書』の監修者に、日本における軍事史研究の中心ともいえる軍事史学会の現会長・伊藤隆氏が名を
連ねている訳である。しかしこのような戦史の「でっちあげ」に対し、軍事史研究者こそは自らのプライドにかけて、抗議すべきなのではあるま
いか。

 とはいえ、この問題をめぐる最大の「怪談」は、何といっても、このように何ら史実に基づかない「作り話」が、「権威」ある文部科学省の検定
で、何のチェックも受けなかった事実であると、私には思われるのである。

[参考文献:単行本のみを掲げる]
・財団法人海軍有終会編『近世帝国海軍史要』(原書房[明治百年史叢書227]、1974年)
・紀脩一郎『日本海軍地中海遠征記──第一次世界大戦の隠れた戦史』(原書房、1979年)
・桜田久編『日本海軍地中海遠征秘録』(産経新聞ニュースサービス、1997年)
・三野正洋・古清水政夫『死闘の海──第一次世界大戦海戦史』(新紀元社、2001年)
・C.W.ニコル編集・解説、片岡覚太郎『日本海軍地中海遠征記──若き海軍主計中尉の見た第一次世界大戦』(河出書房新社、2001年)




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