核施設におけるUFO目撃

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投稿者 Masai 日時 2001 年 10 月 23 日 00:13:33:

「ディスクロージャー・プロジェクト」の核施設でのUFO 目撃証言を
舘野洋一郎氏のHPより転載。

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核施設における目撃証言

序文

グリア博士の口頭説明より

この章では国防空軍Strategic Air Commandおよび核施設に関わるUFO事件を扱う。私は再びこれらの証言が多岐にわたることを強調したい。それらは原子力エネルギー委員会Atomic Energy Commissionからアメリカ、カナダ全土の空軍基地や核ミサイル基地で働いていた人々まで及ぶ。これらの証言は、地球外物体がわれわれの大量殺戮兵器に大きな関心を持っていることを疑いなく示している。そして事実、複数の証人が私に対して、地球外物体がそこにいたのはわれわれが自らを吹き飛ばすことのないようにであり、宇宙に進出して彼らの文明に対する脅威にならないためであると思うと語っている。

これは重要なことである。なぜなら、これらの物体がわれわれに敵対的な行動を取ったと証言している証人は一人もいないのに対して、彼らがわれわれの大量殺戮兵器に関心を寄せいていることは明白だからである。このことは深遠な意味を持っている。われわれは、唯一の可能な未来は平和的な未来であるという地点に達したのである。その兵器はあまりにも強力であり、その使用のリスクはあまりにも大きい。われわれはこの強大な兵器をいかなる生命体にも用いることなく宇宙に出ていかなければならない。われわれの活動を数十年にわたって観察している地球外文明は、これを第一の懸念事項としている。惑星間交流にはいるための第一の必要条件は、われわれが宇宙に平和的に進出できる能力を示すことである。われわれは弓や大砲や剣について話しているのではなく、中性子爆弾やレーザー兵器、時空の網を破ることができるような異質な技術について話しているのである。生き残り可能な唯一の未来は平和的な未来である。平和が人類の成熟を示す印なのだ。

アメリカやその他の国の軍部がこれらの地球外物体の行動を領空侵犯と誤解する可能性もある。われわれはもっと広い観点を持って、もしもわれわれが100年後にもっと遅れた文明に出会って、それが宇宙に進出し始め、大量の中性子爆弾を持っているのを見たとしたら、やはり心配するのではないかと考えてみる必要がある。われわれは自らを振り返り、平和的な未来を確かなものとするためにわれわれは何をすべきか、これらの兵器を永久に放棄するために何をすべきかを自問しなければならない。

Strategic Air Commandや核施設に関する出来事を調べていくと、UFOはわれわれのミサイル施設の上空を飛び、時にはその装置を止めることができることが分かる。つまり、彼らは大陸弾道ミサイルを無効にすることができるのである。私はこれが彼らの敵意を示すものだとは思わない。彼らはこう言っているのだ。「どうかこの美しい惑星を破壊しないでください。われわれはそれを許さないでしょう」。しかしながら、これらの行為が秘密主義を守る当局によって誤解されたかもしれないことを理解するのは非常に重要である。これは社会問題として注意深く検証しなければならない。秘密主義の闇の中で何が起こるか? 秘密主義は自力で成長し、多様な観点の交流を許さない情報と見解の真空状態を生み出す。その状態の中で、精神錯乱や誤解が生じるのは容易であり、それが抑圧的な秘密主義の最大の危険なのである。アイゼンハウワー大統領が1961年1月にわれわれに警告したのはその種の秘密主義であった。

ロパート・サラス機長:2000年12月

サラス機長は空軍アカデミーを卒業し、1964年から1971年まで7年間兵役に就いた。彼はマーチン・マリエッタとロックウェルでも任務に就き、FAAで21年間を過ごした。空軍では、彼は航空管制官であり、ミサイル基地の役人であり、タイタン3ミサイルのエンジニアでもあった。彼は1967年3月16日の朝に起こったUFO事件について証言している。警備員が上空のUFOを目撃した直後に、2つの異なった基地施設で16機の核ミサイルが同時に無力化した。警備員は、これらの物体がわずか30フィートの場所にあったにもかかわらず、それを確認することができなかった。空軍はこの事件を調査したが、原因を見出すことができなかった。事件についての報告会の中で、空軍特別調査機関の役人は彼に非公開の署名を要求し、家族や軍スタッフを含む誰にもこの出来事について話さないよう命じた。冷戦の期間、小さな技術的異常も公にスタッフの間で話し合われていたときにも、この事件については話題にされず、サラス機長はこれを非常に異常なことだと考えている。

…そのUFO事件は1967年3月16日の朝に起きました。私はフレッド・マイワルド司令官と一緒に任務に就いていました。私たちは490号戦略ミサイル分隊の一部としてオスカー飛行場に勤務しており、そこには5つのミサイル管理施設がありました。

外はまだ暗く、私たちはICBM施設の地下60フィートの場所にいました。朝早く私は航空安全管制官だった警備員から電話を受けました。彼は彼を含め数人の警備員がミサイル施設の周囲に不思議な発光体を目撃していると言いました。彼は、それらは尋常でない飛び方をしていると言いました。私は「UFOのことか?」と言いました。彼は、「ええ、よく分かりませんが、とにかく光が飛び回っているのです」と言いました。それらは飛行機ではなく、何の音もしないと言いました。ヘリコプターでもなく、不思議な飛び方をしており、彼には説明できないと…

その数分後――あるいは30分後だったかもしれませんが――彼は再び電話してきて、今度はとても恐れていると言いました。声の調子から、彼が震えているのが分かりました。彼は言いました、「正門のすぐ上に赤い発光体が浮かんでいます――私は今それを見ています。全員が武器を身につけてここに集まっています」。

私はすぐに仮眠を取っていた司令官のところに行き、今受けた電話について報告しました。私が報告している間、ミサイルが一台ずつ閉鎖し始めました。つまり、発射不能の状態になったのです。

それらの兵器はMinuteman Oneミサイルで、もちろん核弾頭ミサイルでした。

ミサイルが閉鎖し始めたとき、司令官は即座に立ち上がり、私たちは管理パネルに向かいました。そこでは閉鎖の原因が即座に分かるようになっていました。私の記憶では、そのほとんどは管理システムの故障が原因でした。司令官は司令部に報告を始めました。その間、私は警備員に電話し、物体の状態について尋ねました。警備員は、その物体は去った――高速でたった今立ち去ったと言いました。

空軍はこの事件を調査しましたが、ミサイル閉鎖の原因は分かりませんでした。私は数多くの証人を知っており、調査チームで働いた人々、実際に調査チームを組織した人の話を聞きました。このこと(ICBMの閉鎖)について合理的な説明はつかなかったのです。どのミサイルも基本的に自動回復装置が付いています。ほとんどのミサイルは外部からの電力とは別にそれ自身の発電機を持っています。

われわれの基地では6台から8台のミサイルが閉鎖し、それは続けざまに起こりました。これもまたきわめてまれな出来事です。1台以上のミサイルが故障することはめったにありません。

私が上の警備員と話した後で、司令官は司令部に話しました。報告が終わった後、彼は私にこう言いました。「同じことがECHO 飛行場にも起こった」。エコー飛行場は別の基地で、われわれの基地から50−60マイル離れていましたが、そこでも同じことが起こったのです。その上空にもUFOが出現しましたが、ミサイル管理施設ではなく、実際にミサイルが置かれている施設に現れました。メンテナンスの最中で、現場には警備員がいましたが、彼らはその基地でUFOを目撃しました。10台の兵器すべてが失われました――10台全部です。

同じ朝でした。その朝われわれは16台から18台のICBMを失い、同時にその地域でUFOが目撃されたのです。ミサイルを復旧させるのには丸一日かかりました。エコー飛行場で丸一日復旧に当たったドン・クラウフォード将校からわれわれは証言を得ました。われわれの基地でも丸一日かかったと思われます。

私は事件について報告書を作成しました。基地の総司令官にすぐに報告しなければならなかったからです。その部屋の中には私と司令官とAFOSI(空軍基地特別調査隊)の同僚がいました。私は彼に早急に報告を行いましたが、彼は何が起こったかをすでによく知っているように見えました。報告が終わると、彼は非公開協定にサインするようわれわれ二人に求めました。これは機密事項であり、誰にも漏らしてはならない、と。われわれは話してはならない、同僚にも、友人にも、家族親戚にも、そしてわれわれ自身の間でも…。

私はあの出来事のあった朝の後に、SAC司令部からさまざまな基地に送られたテレックスの写しを持っています。それには、この出来事にSACは重大な懸念を持っている、なぜならそれが説明できないからだと書かれています。何が起こったのか誰も説明できなかったのです。われわれには何も報告されませんでした。われわれの扱っているのは核兵器である関係上、高度な機密へのクリアランスが与えられていたにもかかわらずです。

ミサイルが閉鎖したとき、警報は確かに鳴りました。これは普通ではないことです。なぜならシステム故障でミサイルが閉鎖したときには、警報装置は鳴らないからです。それが鳴るのは周囲から何物かがフェンスを乗り越えて侵入したり、基地の周囲にある警報装置を破壊したりしたときです。実際私は何人かの警備員に調べに行かせました。

この話が非常に重要な理由は次のことにあります。1966年8月、非常によく似た出来事がMinot空軍基地のミサイル施設で起こりました。そこにはわれわれと同じ種類の兵器がありました。M1ミサイルです。UFOはレーダーで観測され、通信障害が起こり、その物体はミサイル施設の上空で目撃されました。

この1966年8月の出来事は詳細に文書化されています。1967年3月の私の関わった事件の1週間前、私は警備員の一人が巡回しているときにミサイル施設の上でこれによく似た物体を目撃したという記録を受け取りました。

ボブ・コミンスキはこのミサイル閉鎖のあらゆる面を調べるための組織を作りました。コミンスキは、調査のある時点で空軍の上司にこう言われたと私に手紙を書いてきました。「調査を止めろ。これについてはもう何もせず、最終報告書も書くな」。CINC-SAC 司令部が、これを非常に重大な問題であり、何が起こったかを正確に知る必要があると述べたのに対して、これは非常に普通ではないことです。この調査チームの長が調査の途中で、調査をストップし、最終報告書を書くなと言われたのですから…

ロバート・ジェイコブス教授:アメリカ空軍准将 2000年11月

ジェイコブス教授は合衆国の大学教授である。60年代に彼は空軍にいた。彼は光学器械を担当していて、その仕事はカリフォルニアのヴァンデンバーグ空軍基地から発射される弾道ミサイル実験の模様を撮影することだった。1964年、最初のミサイル実験を撮影しているとき、ミサイルのすぐ横を飛んでいるUFOがフィルムに映った。それはピンポンの球に2枚の皿が組み合わさったような形をしていたという。その球体からはミサイルに向けて光線が向けられた。これは4回起こり、4つの異なった角度から起こった。ミサイルは上空60マイルを時速11,000マイルから 14,000マイルで飛んでいた。ミサイルが宇宙空間に消えるとUFOは去った。翌日、彼は司令官からフィルムを見せられ、これについて決して再び話をしないようにと命じられた。この話題が出たら、レーザー光線だと言うよう告げられた。ジェイコブス教授はこれを不自然に思った。1964年にはレーザー光線はまだ初期の段階だったからである。彼はそれについて18年間話さなかった。後年、フィルムについての記事が出たとき、教授の家には朝早くから嫌がらせの電話が鳴り続けた。家の郵便受けは放火された。

「われわれはフィルムを基地に送り返し、正確には覚えていませんがおそらく1日か2日後に、第一戦略宇宙部門司令部First Strategic Aerospace Division Headquartersのマンスマン大佐のオフィスに呼ばれました。私はオフィスに入り、16ミリフィルムを見ました。私はマンスマン大佐と長いすに座り、グレーの背広を着た2人の若者もいましたが、それはかなり珍しいことでした。…

「われわれは第三発射台が点火するのを見ました。望遠鏡で、ダミー弾頭が見えました。それが飛んでいるとき、炎の中に何かが入ってきました。それは炎の中に飛んできて、弾頭に光のビームを当てました。

「忘れてはならないのは、ミサイルはすべて時速数千マイルで飛んでいたということです。それを、UFOは弾頭にビームを当て、他の側に移って再びビームを当て、また動いてビームを当て、さらに再び動いてビームを当て、それから来たときと同じように去っていきました。そして弾頭は宇宙に消えました。その物体、ビーム、弾頭は上空60マイルの大気圏を飛んでいました。UFOは時速11,000マイルから 14,000マイルで飛んでいるミサイルに追いつき、その周りを飛び、再び去っていったのです。

「私はそれを確かに自分の目ではっきり見たのです!

「明かりがついたとき、マンスマン大佐は私の方を向いてこう言いました。「君たちが飛行訓練でもしていたのか?」私は「いいえ、大佐」と答えました。彼は「じゃあ、あれは何だ?」と言いました。私は言いました。「私にはUFOのように見えます」。私たちが見たものは円形で、二枚の皿をピンポンの球の上で重ねたような格好をしていました。光のビームはピンポンの球から出ていました。フィルムに映っていたのはそういうものでした。

「マンスマン大佐は議論の後で、これについて二度と話さないよう私に言いました。君に関する限り、これは起こらなかったのだ、と。「安全保障上の影響については念を押すまでもないだろう?」と彼は言いました。「はい、大佐」と私は答えました。大佐は言いました。「よろしい。これは起こらなかったのだ」。私が扉に向かおうとすると、彼は「ちょっと待ちなさい」と言いました。「何年か後になって、このことについて話すよう強いられたときには、レーザー光線だと答えなさい」。

「これは聞き伝えの話ではありません。私自身に起こった話です。私は合衆国陸軍の隠蔽工作に18年間関わりました。

「この事件についての記事が出た後、私は職場で嫌がらせを受け始めました。日中はずっといらずら電話がかかり、夜も明け方の3時4時まで電話が鳴りっぱなしでした。受話器を挙げたとたん、大声で卑猥な言葉をわめき散らすのです。…

「ある夜、誰かが私の家の郵便受けに花火を投げ込んで燃やしました。夜中の1時に電話がかかってきて、受話器を取ると、「郵便受けに花火を投げ込んだよ! いい光景だったぜ、このクソ野郎!」とわめく声がしました。

「1982年からそういうことが起こりだしたのです…

「こうしたことは、UFOについての真面目な研究を阻もうとする企みの一環だと思います。真面目に取り上げようとすると、笑いものになるのです。私は大学教授ですが、UFOに興味を持っているなどと言うと馬鹿にされ陰口を叩かれるでしょう。今の状況はそういうものです…

「フィルムがどうなったかはそれ自体が興味深い物語です。マンスマン大佐が私に話してくれました。私が去ってしばらくした後、背広姿の男たちが現れ(私はCIAだと思いましたが、大佐はCIAとは別の人間だったと言いました)、フィルムを取り上げて、UFOの映った箇所を切り取ったのです。彼らは切り取ったフィルムをブリーフケースにしまい、残りをマンスマン大佐に返してこう言いました。「安全保障上の厳格さについて念を押すまでもないだろう。この出来事は封印する」。そして彼らは立ち去りました。マンスマン大佐は再びそれを見ることはありませんでした…

「ですから、当時空軍将校でそのフィルムを見たのは二人だけでした。この話を信じない人々に私が言いたいのは、一体なぜ私がうそをつく必要があるのかということです。マンスマン大佐も私も、うそをついて得るものがあるでしょうか? 私はこれを話すことで苦痛しか得ませんでした。家にまでいやがらせが来るのです。教職を失ったこともあります。私は地獄を味わいました。それでもこの話をし続けるのは、政府の内部で起こっていることを人々が知るのは重要だと思うからです。私が知ることになった政府の隠蔽工作とはこのようなものなのです。だから私は話をするのです。

「私がこの問題を重要だと思う理由は簡単です。人間の歴史上最大の発見は、私たちが独りではないこと、宇宙には他にも知的生命体が存在するのだというのを知ることです。これはとてつもないことではないでしょうか。だから私はこの話が重要だと思うのです…

「私がその日見たのは、核弾頭の撃墜だったのです。そこからくみ取れるメッセージは何でしょうか。核ミサイルを弄ぶなということです。おそらく私たちはモスクワを消滅させるべきではなく、そうしたことを止めるべきなのでしょう。

「ある日。ロナルド・レーガンはテレビで驚くべきことを言いました。彼はSDIを建設し、その使命は私たち全員を保護することだと言ったのです。この技術をロシアと共有するというのです――ほんの数年前まで滅ぼそうとした相手とです。それがいきなり彼らを守る盾をつくると言い出しました。いったい何から守るというのでしょう。

「この情報は私だけの推測に基づくものではなく、他の資料や他の人々との議論に基づくものです。おそらく私たちの心配は根拠のないもので、優秀なテクノロジーを持つ存在に会ったときには、彼らを抱擁し、彼らに愛想よく振る舞うのがいいでしょう。彼らは私たちに生き延びる方法を教えてくれるのですから。…

ドワイン・アーネソン中佐、合衆国空軍(退役)、2000年9月

「アーネソン中佐は空軍で26年間過ごした。彼は特別な最高機密SCI-TK (Special Compartmented Tango Kilo)のクリアランスを持っていた。彼はボーイングのコンピューター・システム解析者として働き、ライト・パターソン空軍基地の兵站術部門長をしていた。彼はドイツのラムステイン空軍基地で暗号部門に勤務しているとき、ノルウェーのスピッツバーゲンでUFOが墜落したという機密メッセージを受け取った。モンタナのマルンストロム空軍基地に勤務しているとき、彼は再びミサイル基地上空に円形のUFOが浮かんでおり、すべてのミサイルが機能不全になったというメッセージを見た。

ロス・デドリクソン、合衆国空軍/AEC(退役)、2000年9月

デドリクソン大佐はスタンフォード・ビジネス・スクールで経営学を学んだ。1950年代にはAECの核弾頭庫の維持管理に関わり、兵器の状態を検査するチームに加わっていた。さまざまな核兵器庫基地でUFOが目撃されたという報告が数多く寄せられ、中には製造プラントでのものもあった。彼自身何度も目撃し、1952年7月の有名な首都上空のUFO飛来事件も自分の目で見た。そのとき、彼は9機のディスク型の飛行船が光り輝いていたのを記憶している。彼は少なくとも二度地球外生命体が大気圏外に発射された核兵器を破壊したという。それは実験のために月に打ち上げられたものであった。それが破壊されたのは、「宇宙では核兵器は地球外生命体にとって受け入れられないものだから」という。

ハリー・アレン・ジョーダン、合衆国海軍、2000年11月

ジョーダン氏は合衆国海軍で6年半過ごし、1962年軍艦ルーズベルトのレーダー技師をしていた。情報機関で訓練を受けた彼は、機密へのクリアランスを持ち、電子対抗策の分野でも働いた。彼は「ルーズベルト」でレーダー技師をしていたとき、6万5千フィート上空に巨大な物体が約1000ノットで進んでいるのをレーダーでキャッチした。艦長は二機のファントム2飛行機を調査に派遣した。ファントムがUFOに接近すると、それは消滅し、約1時間半後に再び現れ、今回はもっと船体に近づいていた。彼は後に、その前年にも「ルーズベルト」は巨大なUFOに遭遇し、雲間から降下する円盤が写真に撮られていたことを知った。こうした出来事は、「ルーズベルト」が核兵器を搭載するようになってからもっと頻繁に起こるようになった。ジョーダン氏が海軍を辞めた何年も後に、彼は自分の無線機でSTS48スペースシャトルの交信をキャッチし、彼らが異星人の宇宙船を目撃したことについて話し合っているのを聞いた。彼は自分の知ったことが知られるようになってから嫌がらせを受けるようになったと語っている。

ジェームス・コップ氏、合衆国海軍、国家安全保障機関(NSA)、2000年10月

コップ氏は1969年海軍に入隊し、核兵器を搭載する軍艦JFKの通信部門で働いていた。彼は1980年から1997年までNSAで勤務した。証言の中で彼は、1979年の夏にJFKのあらゆる電子通信機器がストップした様子を語っている。そのときオレンジ色に輝く巨大なUFOが上空に浮かんでいた。彼自身も、他の多くの乗員と共にUFOを見た。8台の電子タイプマシーンがランダムに印刷し始め、軍艦は2時間戦闘態勢に入った。彼の友人のレーダー技師は、レーダー・スクリーンが輝き、その後で真っ暗になったと語った。この出来事の数日後、指揮官と司令官が戦艦内限定のテレビに出演し、この船内で起こった出来事は機密であり誰とも話してはならないと命じた。戦艦がノーフォーク港に到着したとき、スーツ姿の男たちがさまざまな搭乗員に面接にやって来た。

Joe Wojtecki中佐、合衆国空軍、2000年10月

Wojtecki中佐は空軍に20年間勤務し、1988年に引退した。彼は大半の時期をStrategic Air CommandとTactical Air Commandで過ごした。1969年4月のある夜、メーン州ローリング空軍基地に駐屯しているとき、彼と彼の飛行指導官は三つの非常に明るい光が正三角形を作って静かに空を飛んでいるのを見た。そのUFOは高度3000フィート以下で飛んでいた。翌朝、UFOが核兵器を搭載しているB52編隊の上空に6時間にわたって浮かんでいた。B52がその光に近づくたびに、それらは非常に特殊な動きを見せて互いに離れた。B52が離れると、その光は再び一緒になってB52の一団に焦点を合わせるのだった。何年も後になって、Wojtecki中佐はグリア博士の講演に出席し、彼が以前目撃したのとまったく同じUFOの写真を見た。

ストーニー・キャンベル軍曹、合衆国海軍、1999年10月

キャンベル軍曹は1966年空軍に入隊した。1967年の夏、彼はオクラホマのSAC空軍基地でB52の警備をしていた。そのとき突然、あるB52の真上に巨大な光が現れた。それはブーメランのような形をし、輝いていたが固体ではなかった。レーダーにも捕らえられ、多くの人々に目撃された。


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