エドワード・サイード「テロ事件直前」の論考(「みすず」)

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投稿者 YM 日時 2001 年 11 月 07 日 23:52:45:

「みすず」2001.10号より

集団的情熱/プロパガンダと戦争より
「プロパガンダと戦争」抄
エドワード・W・サイード
(早尾貴紀訳)

(訳注1)この論考は、九月十一日のアメリカにおける同時多発テロの直前に発
表されたものである。したがって、このタイトルでいう「戦争」も直接的にはテ
ロの後にアメリカによって宣伝された「戦争」を指しているわけではない。だ
が、だからこそ今回のムスリムやアラブ人への迫害や偏見が例外的なのではな
く、むしろつねに繰り返されている本質であるということを的確に示していると
思われる。また皮肉なことに、この論考の後半はひじょうに明るい見通しで終っ
ている。つまり、メディアにおけるアラブ人やムスリムヘの偏見を打破し、自ら
主体的に人間としての物語を紡ぎ出し発信しようという具体的な努力の形と見通
しについて語られている。
しかしながら、その直後に起きた九月十一日の「テロ」とその後の排外的な愛国
的リアクションによって、またしてもアラブ人・ムスリムは「悪魔」化されてし
まった。明るい見通しは、一転、最悪の事態を迎えたのだ。しかし、その最悪と
も思える事態の中でも、ーサイードはつねに冷静な視点と希望を失っていない。
「集団的情熱」参照。


アル・アクサ・インティファーダのときほど、メディアが戦争の方向の決定にお
いて影響力を持たなかったことはない。このインティファーダは、西欧のメディ
アに関するかぎりは、本質的にイメージと理念の闘争になってしまったのだ。イ
スラエルはすでに何億ドルもの大金をヘブライ語で「ハスバラ」と呼ばれる国外
の世界に対する情報戦(つまりプロパガンダ)に費やしている。これには、あら
ゆる領域が含まれている。つまり、影響力のあるジャーナリストを無料で昼食や
旅行に招待することもあるし、ユダヤ人の大学生に対するセミナーもある。学生
たちは、人里離れた田舎の合宿所で丸一週間かけて、大学のキャンパスでイスラ
エルを「守る」ように思想注入される。議員を訪問や招待やパンフレット送付で
攻め立て、とどめに選挙資金を提供する。現在のインティファーダについて写真
家や記者がある特定のイメージだけを作りだすように仕向ける(必要な場合には
邪魔する)こと、著名なイスラエル人によるレクチャーやコンサートのツアーを
開くこと、ニュース解説者がホロコーストと現在のイスラエルの苦境について頻
繁に言及するように仕込むこと、多くの新聞広告でアラブ諸国を攻撃しイスラエ
ルを称賛すること、などなど。メディアや出版業界においてはひじょうに多くの
有力な人々が強いイスラエル支持者であるため、これらの運動はきわめて容易に
なされるのだ。
これらのことは、一九三〇年代から四〇年代以降、民主的であろうとなかろうと
あらゆる近代国家が目的を追究するために用いるさまざまな方策──ニュース視
聴者の側の同意と承認を捏造すること──のうちのほんの一部にすぎないが、ア
メリカにおいてこれらの方策をこれほどまでに効果的かつ長期間用いている国家
や圧力団体は、イスラエルをおいて他にはない。
このような種類の意図的な誤情報のことをジョージ・オーウェルは「ニュース
ピーク」とか「二重思考」と呼んだ。つまり、犯罪行為を隠蔽するのに、とりわ
け不当な殺人を隠蔽するのに、正義や理性の見せかけを用いようとする意図のこ
とである。イスラエルの場合、土地をパレスチナ人から奪うときに、つねにパレ
スチナ人を沈黙させるか見えなくさせるのだが、これは実際、真実の大部分を抑
圧することであるし、また歴史の大掛かりな偽造なのだ。過去数ヵ月の間イスラ
エルが世界に対してうまく証明しようとしてきたのは、イスラエルこそがパレス
チナ人の暴力とテロによる無実の犠牲者であって、アラブ人とムスリムはただユ
ダヤ人に対する不合理な憎しみのためだけにイスラエルと衝突しているのだとい
うことである。それ以上でも以下でもない。そして、こうしたキャンペーンをひ
じょうに効果的に可能にしてきたものは、西欧が持っている自分たちの反ユダヤ
主義に対する積年の罪悪感なのだ。この罪過を他の民族つまりアラブ人たちの上
に置き換えること以上に効率のいいものがあるだろうか?そうすれば、自らを正
当化できるだけでなく、中傷され迫害されたユダヤ人のために何かいいことをし
たのだと積極的に自分が癒されるのだ。いかなる対価を払ってでもイスラエルを
守ること──パレスチナ人の土地を軍事占領下に置き、強力な軍事力を持ち、イ
スラエル人一人に対してパレスチナ人を四、五人の割合で殺傷してきたのはイス
ラエルの方なのだが──が、プロパガンダの目的である。イスラエルがいままで
どおり弾圧をつづけつつ、同時に犠牲者であるように見せかけることなのだ。
しかしながら、この比類なく不道徳な運動の途方もない成功は、この細部まで注
意深く計画され実行されたキャンペーンのおかげであるだけでなく、事実上アラ
ブの側が不在であったという事実によるところが大きいことは間違いない。アラ
ブの歴史家がイスラエルの存在のはじめの五〇年間を振り返れば、莫大な歴史的
責任がアラブの指導者たちの双肩に破滅的にのしかかるはずだ。指導者たちは、
犯罪的に──そう、犯罪的に──最小限のおざなりの対応さえもせずに、この事
態が続くことを許したのだ。その代わりに、彼らは相互に争い、アメリカ政府に
取り入れば(アメリカのクライアントになることさえ辞さない)、アラブの利益
になるかどうかは別として自らの権力の安泰は約束されるという、救いがたく身
勝手な理屈に走ったのである。こうした考えはひじょうに根深く、パレスチナ人
の指導部までもが染まってしまっている。そしてその結果、インティファーダが
続いていても、一般のアメリカ人たちは、パレスチナ人にも少なくともイスラエ
ルの建国までさかのぼる苦しみや追放の物語があることを微塵も気づくことがな
くなってしまったのだ。一方、アラブの指導者たちは、アメリカの保護を求めて
ワシントンに駆け込んでいるが、アメリカ人が三世代にわたってイスラエルのプ
ロパガンダのもとに成長し、「アラブ人は嘘つきのテロリストである」とか「ア
ラブ人と取引をするのは間違っており、彼らを保護するなんてもってのほかだ」
と信じているということはまったく理解していないのだ。
一九四八年以来、アラブの指導者たちはアメリカ内のイスラエルのプロパガンダ
にあえて立ち向かおうとは一度もしなかった。軍事支出(最初はソ連製の、後に
は西側の兵器)に投資された莫大なアラブ・マネーはすべて無に帰した。それ
は、アラブ側の努力が情報によって守られてもいなかったからであり、忍耐強く
秩序立てて説明されてもこなかったからだ。その結果、文字通り何十万人ものア
ラブ人の死が無駄になった。まったくの犬死である。そして、世界のただひとつ
の超大国の市民は、アラブ人のあらゆる行動とアラブ人のあらゆる存在は無用で
暴力的で狂信的で反ユダヤ的であると信じるまでにいたった。イスラエルだけが
「我々」〔アメリカ人〕の同盟国だ。だからこそ、一九六七年以降九二〇億ドル
もの援助がなんの疑いもなくアメリカの納税者からユダヤ人国家へと行われてき
たのだ。前述のように、アメリカの政治的・文化的シーンに働きかけようとする
計画と思考がまったく欠如していたことが、一九四八年以来駕くべき規模に達す
るアラブ人の土地と生命が(アメリカの援助を受けた)イスラエルによって奪わ
れたことについて(といってもそればかりではないが)大いに責められるべきな
のである。この重大な政治的犯罪について、アラブの指導者たちがいつの日か責
任をとってくれることを私は期待したい。
(中略)

数週間前、アメリカのアラブ反差別委員会(ADC〕という、アメリカで最大か
つもっとも影響力のあるアラブ系アメリカ人組織が、現在のアメリカ人がパレス
チナ=イスラエル紛争についてどう見ているかについて世論調査をおこなった。
ひじょうに広範囲で多様な人々から意見のサンプルが調査されたが、落胆すると
までは言わないにしても、まったく驚くような結果であった。イスラエル人たち
は民主主義の先駆者であるといまだに信じられているのだ。イスラエルの指導者
らは同じ世論調査において誰も評価されていないにもかかわらずである。アメリ
カ人の七三パーセントがパレスチナ国家という考えを容認しているということも
驚くべき結果である。この統計結果は次のように解釈できる。テレビを見、エ
リート紙を読む教養のあるアメリカ人に「あなたはパレスチナ人の独立と自由の
ための闘争に共感するか」と尋ねたら、その答えはたいてい「はい」である。し
かし、同じ人が「パレスチナについてどう思うか」と聞かれれば、ほとんどつね
にその答えは否定的なものである──つまり、暴力とテロリズムだ。パレスチナ
人のイメージは、非妥協的で攻撃的でそして「異人」である、つまり「我々」と
は違う、というものだろう。投石する若者たちは、我々〔アラブ〕にとっては巨
人ゴリアテに対して闘う少年ダビデであるが、たいていのアメリカ人はヒロイズ
ムよりも攻撃性をそこに見るのだ。アメリカ人はいまだにパレスチナ人が和平プ
ロセスを、とりわけキャンプ’デービッドにおける合意成立を妨害しているとし
て責めている。自爆攻撃は「非人道的」であるとみなされ例外なく非難されるの
である。
また、アメリカ人がイスラエル人に対してどのように思っているかは、パレスチ
ナ人に対してよりもずっといいというわけではないのだが、しかし人としてのイ
スラエル人に対する共感はずっと大きい。パレスチナ人への共感を妨げているの
は、質問をされたアメリカ人のほとんど誰もがパレスチナ人の物語をまったく知
らないということだ。一九四八年についても何も知らないし、イスラエルの三四
年にもわたる非合法な軍事占領についても何も知らない。アメリカ人の考え方に
支配的な影響を及ぼしている語りのモデルは、いまだにレオン・エリスの一九五
〇年の小説『エクソダス』であるようだ。それと同じくらい不安にさせるのは、
この世論調査においてもっとも否定的なものとされたのがヤセル・アラファトで
あるという事実だ。アメリカ人がアラファトについて彼の服装(不必要に「好戦
的」に見える)について、彼のスピーチについて、彼の存在について考えたり
言ったりすることは、つねに否定的でしかない。
全体として、結論は、パレスチナ人は彼ら自身の物語の観点から見られることも
なければ、人々が容易に共感できる人間らしいイメージで見られることもないと
いうことになる。これほどまでにイスラエルのプロパガンダが成功しているの
で、パレスチナ人が肯定的な意味合いを持つことは実際ほとんどないようだ。
(中略)
嬉しいことに、ADCの委員長ザイアド・アサーリーから次のことを教えられ
た。ADCは、マスメディアを通じて前例のない情報宣伝キャンペーンに乗り出
し、不均衡を是正し人間としてのパレスチナ人を示そうというのである。このよ
うなことが必要だという皮肉が信じられるだろうか。人間として、つまり、母親
であると同時に教師だったり医者だったりする女性として、畑で働いていたり核
技術者であったりする男性として、何年もの間軍事占領下に置かれそして今でも
抵抗をしている人々として、である。(付け加えておくと、三〜四パーセントの
人が、そもそもイスラエルによる占領がなされているということをまったく知ら
なかったという驚くべき世論調査結果がある。このように。パレスチナ人の生存
の根本的事実でさえもイスラエルのプロパガンダによってぼんやりしたものにさ
れているのだ。)このキャンペーンのような努力はこれまでアメリカでなされて
こなかった。五〇年間の沈黙があったのだが、それがいま破られようとしてい
る。もちろんこれはまだ大したことではないとしても、公表されたADCのキャ
ンペーンは大きな前進でもある。アラブ世界が倫理的・政治的に麻痺している状
態にあると思われ、その指導者らがイスラエルとの、またより重要なことである
がアメリカとの絆の両方に縛られて身動きがとりにくくなっており、人々が不安
と抑圧の状態に置きつづけられているということを考えてみよ。パレスチナ人と
勇敢なレバノンの同志が一九八二年にイスラエルの軍隊によって一万九千人も殺
されたときと同じように、ガザ地区と西岸地区のパレスチナ人が死んでいくの
は、イスラエルが罰せられることなく殺す力を持っていたためだけではない。近
代史において初めてのことだが、イスラエルとその支持者が作り上げた軍事力と
欧米におけるプロパガンダとの積極的な提携が、イスラエルに毎年五〇億ドルも
送られるアメリカの税金によって支えられて、パレスチナ人を継続して集団的に
懲罰することを可能にしたのだ。メディアの描くパレスチナ人表象は、歴史も人
間性もともなわず、攻撃的に投石する乱暴な人々として表象されている。これに
よって、頭は鈍いが政治的には抜け目のないジョージ・ブッシュでさえも、容易
にパレスチナ人を暴力的であると責めることができるようになっているのであ
る。この新しいADCのキャンペーンはパレスチナ人の歴史と人間性を回復しよ
うと試み、彼らを(現実にはこれまでもつねにそうであったように)「我々と同
じような」人々として、つまり自由に生き・子供を育て・平和のうちに死ぬ権利
のために闘っている人々として描こうと試みている。この物語がたとえほのかな
輪郭であってもアメリカ人の良心に届きさえすれば、イスラエルが現実を覆い隠
すのに使っていた邪悪なプロパガンダの膨大な雲も、真実によって吹き払われ始
めるだろうと私は期待している。メディア・キャンペーンにできるのはせいぜい
ここまでであるということは明らかであるのだから、次に期待されるのは、アラ
ブ系アメリカ人が自分たちの力に十分な自信をもってアメリカにおける政治闘争
に乗り出し、アメリカの政策をここまで強固にイスラエルに結びつけている連結
を壊し、擦り切らし、修正することである。そうなってはじめて、我々はふたた
び希望が持てるのだ。

Edward W. Said, Propaganda and war. AI -Ahram Weekly Online 6-12,
Septemlper 2001 Issue No. 550

参考:サイード「パレスチナを去って」

*テロ事件直後に書かれた「集団的情熱」をふくむ全文は「みすず」2001.10号
に収録されています。
「みすず」年購読3150円


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