長官狙撃事件について【Archipelago 勝手に復刻版】より

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投稿者 栗 日時 2001 年 11 月 07 日 23:56:41:

魔法の銃弾


概要: 國松孝次狙撃事件への警察捜査の失敗は、オウム真理教事件の公的もみ消しを明らかにし始めている。日本のマスメディアは警察庁長官に対する暗殺の試みをオウムによるものとするけれども、事件の事実は、50年以上にわたって 日本をコントロールしてきた「地下世界の紳士」についての別のストーリーを語っているのである。By Yoichi Shimatsu (関連ストーリーは"もみ消し"参照)


東京地下鉄毒ガス事件のちょうど11日後に、ガンマンが警察庁長官國松孝次に銃弾を4発撃って逃走し、ターゲットを死ぬに任せた。しかし、警察庁長官は何とか手術に耐えた。國松は、日本のエリオット・ネスという評判を持つタフな警官であり、警視庁から辞任を求める巨大なプレッシャーがあったにも関わらず、職に復帰した。國松を追い出そうとして警視庁が繰り返し試みていることは、不快な疑問を呼び起こす。日本の警察官が警察官を殺すだろうか? その答えは、単純に言えば、我々がふつうではない時代に生きているということである。

國松は、隅田川の東の土手にある分譲マンションの外で、1995年3月30日に撃たれた。共同通信の拡声器が川を渡るピンク色の金属の船の中から最初のレポートを伝えたとき、週刊ジャパン・タイムスにいた編集者たちは、ちょうど五日前に我々が出版しようとしていたことを――そして、東京地下鉄毒ガス事件の謎を吹き飛ばす核心部にいたことを理解した。そのとき、我々の数人のライターが発見したことは、サリンではなく混合神経ガスによって事件が完遂されたということだった。地下鉄攻撃が正面で矢面に立っていて、我々は國松暗殺計画をカバーするために時間に追われて働かなければならなかった。編集者たばたまさのりは電話をとり、それからトレンチコートをつかんで、元暴力団員で警視庁とコンタクトのあるやくざの組長にインタビューするために、視界から消えた。本文の筆者はオウム関連と、名古屋の暗黒街世界という、囲いのもう一方の側で働いていたのである。

徹夜と締め切りのプレッシャーにもかかわらず、4月8日号(印刷はその前の火曜日)では全段見出しで伝えた。「荒川の暗殺者」。記事は、入り口と出口の傷についての分析の特集、名古屋で起こった住友銀行の改革派重役の殺人事件と結び付けての特集記事、警察庁長官のプロフィール、殺し屋の半虚構のプロフィールであった。9か月後、日本版プレイボーイのインタビューのなかで、公安調査庁の元幹部役員が、我々の4月8日号の仮説――國松事件は、「高い地位の会社重役の殺人」と関係がある――を裏付けたのである。

「荒川の暗殺者」の発行からおよそ二年後、連続した事件が、我々の最初のシナリオと、公式見解に対する初期の疑惑を充分に補強し、オウムが周辺的だが重要な役割を果たした日本の政治的階級の力に対する激しい苦闘を投げかけたのである。

公式声明。警視庁はそのレポートを数回改訂し、彼ら自身の法廷での証拠さえも否定することがあった。彼らの筋書きは、1995年3月30日木曜日の早朝から始まっている。警察庁長官國松孝次は、未確認の補佐官につきそわれ、この隅田川の土手に近い荒川区の分譲マンション(住所は明記されていない)を離れた。彼らが、警察官の運転手とボディーガードが乗っているリムジンに向かったとき、ガンマンは長官の27メートル後方から大口径のピストルで四発発射したのである。

警視庁の声明によると、三発の銃弾が長官に命中したが、初期には四発撃たれたと報告されていた。分譲マンションの中の目撃者は、ガンマンは約5フィート11インチ(180センチ)で、四十代半ば、ガーゼのマスクと暗いオーバーコートを着ており、自転車で来て去ったと述べている。目撃者は、銃の発射音は大きく鳴り響き、マンションじゅうに響きわたったという。警察の報告書では、彼らは二つの銃弾と三つ目の破片を回収し、10か月後、第四の銃弾を発見したと述べた。警察は、ガンマンが立っていた場所にタバコの吸い殻の山を発見し、長官の家を数日間張り込んでいたと述べている。数日後、警察は、北朝鮮軍のボタンとコインが、ガンマンの立っていた場所にあったと報告した。未確認の人物が、早朝にゴム製のいかだの上で目撃されていた。


もみ消し:
一人の警察官が9か月前に國松を狙撃していた事実をオウム捜査を率いていた警視庁がもみ消していた、という告白が発覚して、警視庁長官井上幸夫は辞任した。他の8人の警視庁上層部は懲罰を受け、警察庁は庁とオウム捜査を率いる新しい長官を任命した。

しかしながら、警官の陳述には重大な矛盾があり、彼の自白が実質的に捜査を止める試みであった可能性が起きてきた。単にKとのみ名指しされる31歳の警官は、オウム真理教の信徒だった。彼は、東京地下鉄毒ガス事件の本部となった警視庁築地署に配転される前は、警備部(皇居警備)であった(営団地下鉄線の一つは、日産本部と朝日新聞の勤務者が使う築地駅を通っている)。警官の名前が強制捜査で押収されたオウムの信徒リストに発見され、電極のついたオウムのヘッドギアが文京区の警視庁の寮の彼の部屋で見つかった。彼がオウム信徒であることが発覚した後、彼は江東区の運転免許課の事務ポストに配転された。尋問した者は、彼の証言がしばしば一貫せず矛盾していると報告した。

K警官は、20メートル先の1フィートの的を撃つ中級の狙撃手としてランク付けされていた。しかし、別の記事では、狙撃訓練の範囲では、動く対照に命中させるには不十分だと示唆していた。ある警察官のリークでは、彼は隅田川の岸で狙撃訓練をしていたと示唆する――この地域の人口と、銃撃音がすぐに報告されることを考えれば、それはばかげた考え方だ。K警官は、アクロシティーマンションの國松の部屋を近くのバルコニーから前日に見張っていたと述べた。彼は、銃は教団の大臣井上嘉浩から提供され、井上は携帯用無線機で警察長官を打ち続けるように命じ、麻原のマントラを流したという(もしそうなら、それは数秒間のあいだに起こったことになる)。しかし、目撃者はラジオを見ても聞いてもいない。K警官は、井上が彼に38ミリピストルを提供し、狙撃地点の往復を同乗していき、彼らを運転していったのは往復とも教団の建設大臣にして武器輸入者の早川紀代秀であった。二人のオウム幹部はその自白を否定している。後に、彼はストーリーを変え、27才の麻原官房員富永昌弘が現場から連れていったと述べている。

長官を狙撃してオウムの車で逃げたあと、隅田川にさしかかって、K警官は銃を鞄に隠して築地警察署のロッカーの中に置いていくといった。数日後、彼は銃を飯田橋と水道橋の駅の間で神田川に投げ捨てた。警察の潜水夫とクレーン操作の海難救助チームは神田川の底を50日以上捜索し、数百台の廃棄自転車を回収した。彼らは拳銃が川の中にないことが明らかになるまで捜索を行った。

K警官の年齢と身長は、ふつうよりも背の高い40代の日本人男性の狙撃手という目撃証言よりは明らかに数センチ低く、目撃証言と一致していない。彼は後に自白の中で、彼を「補助」した謎の狙撃手について訂正したが、その人物は11月に逮捕された林泰男と思われる。彼の物語の筋は、グル麻原彰晃を暗殺計画の首謀者とするものだった。

しかし、調査者とジャーナリストは、がちがちの反オウムであっても、K警官の物語が明らかに間違いであったと認識し始めた。彼の物語の支離滅裂さがわかる調査結果がいくつか徐々に登場し、彼の誤った記憶は、K警官が催眠術師とソビエト式の精神医によって強烈な洗脳を施され、これらの記憶を植え付けられたがそれを結び付けて統合することに失敗したとしなければ説明のつかないものであった。このようにオズワルド式の濡れ衣を着せるような極端な方法をとる動機は、もちろん、事件の背後からオウムを操ろうという以外にはオウムとほとんど関係のない真実の犯人を、捜査員が発見できないようにすることである。


犯罪解決:
ここで、我々は、赤裸々な分析を行い、知っているすべてを、悪魔のように充分に詳細に、地獄からの探偵をも十分満たすような細部に至るまで提供することにしよう。9月14日、住友銀行の重役で、重役会の役員だったはたなかかずふみの銃撃死に関係するはたなかについて述べる。彼はそのとき、犯罪組織と銀行の名古屋支店との関係を取り除こうとしていた。畑中は、高度に守られたマンションの自室アパートで、早朝狙撃された。彼は新品のレイディ・スミスの38口径リボルバーで近接距離から額を一撃で打ち抜かれて殺された。殺人者の武器は、あとで、巨額の借金を抱えていた前科者によって警察に引き渡された。なぜ銃は殺害を指示した者から返されたのだろうか? 事件に接近し、捜査を終結させるためだ。

しかし、國松警察庁長官は事件を終結させたり、その前科者が殺人者であることを認めたりしなかった。警察長官が狙撃のターゲットだったからだ。國松は個人的に、畑中殺人事件の捜査を監督していた。それは、ほとんどすべての会社を包含する日本銀行制度を横領するホワイト・カラー犯罪の流行に対する戦いにおいてのターニングポイントとなる鍵であった。これは、高度な張り込み捜査の頂点であった。すべての政治階級とほとんどの官僚制度をを破壊しかねなかったからである。國松にとって、それは文字どおり生死をかけた戦いであった。


川:
K警官は、國松暗殺未遂で使った武器を神田川に投げたと言った。東京になじみのない人は、神田川が東京で一番狭い川であることを知らないかもしれない。もしK警官が拳銃を投げたのが、もっと広くて彼も渡り、彼の警察署から一番近いところにある隅田川に投げていたら、拳銃はおそらくもう発見できなかっただろう。彼は多摩川、江戸川、荒川に投げてもよかった。どれも充分広くて深い。あるいは、深みにはまれば二度と銃を発見できない東京湾か相模湾の埠頭の端まで車か徒歩で行ってもよかった。それなのに、彼は15メートル以下の幅で浅い川に投げたというのである。それだけでなく、水道橋と飯田橋駅のあいだの区間は、東京でも非常に交通が激しいところで、職場、道路、両側の歩道、車と徒歩のための橋があり、鉄道と高速道路の高架がかかっているところなのである。正気であれば、そんなところでものを川に投げ込んだりしない。そこで拾い上げられた数百台の自転車は、急流のような嵐のためにもっと交通量の少ないところから流されてきたものである。

しかし、もし腐食された拳銃を再発見させることを計画していたのだとしたら、神田川に拳銃を投げたという強い理由があることになる。それはライフルマークが消えているだろうから、殺人兵器として特定することもできる。畑中事件では、38スミス&ウェッソン・リボルバーが警察に戻された。1995年10月6日の夜、有名なオウムの外報部長上祐史浩が警察に囲まれたとき、一人の右翼が長距離弾ピストルで5発、南青山のオウム外報本部の正面に撃ち込んだ。

この銃は、しかし、國松に対して使われた武器ではなかった。実際の殺害武器は、それを自分自身で処理したか、あるいはもっとありそうなのは、それを記念にとっている奇妙な射撃手のものであった。それゆえ、拳銃は何らかの化学的扱いを受けて、ライフルマークが特定されることを防いだ。そのため、オウム調査者は川に投げたというシナリオをつくったのである。汚れた川のなかでライフルマークがすり減るには時間がかかる。しかし、一人の警視庁の警察官が、公的なごまかしの風潮に逆らって事実を警察庁に報告し、それはすみやかにフレームアップを防ぐために働いた。そのために腐食した拳銃はまだ神田川に投げ込まれておらず、それゆえ、そんなものは発見できなかったのだ。


設定:
警視庁は、オウムを操ることによって、國松捜査の捜査がよけいなところにはどこにも行かないようにしようとした。暗殺事件における彼ら自身の役割を隠そうとしただけではなく、もっと重大なのは、法務省、議会、金融部門における彼らのボスたちを守ろうとしていたのである。

その場の二人の警視庁ボディーガードがいなかったので、ヒットマンは國松の背後からうまく銃撃することができた。広く見渡せる角のバルコニーのしたにあったタバコの吸い殻の山は、日本の警察張り込み場所の特徴である(著者は一度、近所の韓国人コミュニティの近く、オウム活動の主要センターを見張っていた探偵が戸口に残していった吸い殻の山を掃除する羽目になったことがある。ちょうど東京地下鉄毒ガス調査の初期であった。そこのオウム会員の少なくとも3分の1が韓国人であった)。ボディーガードの二人は、1995年3月30日の早朝に足止めされて、警視庁の荒川警察本部にとどめられていたのである! 國松の背後は、まさにヒットマンが到着する数分前までに、無防備にされたのだ! 國松の住所はリストに載らず、トップシークレットにされていた――オウム施設強制捜査のためだけではなく、彼は多くの強力な敵を持っていたのだ。上層部の職員のみが彼の住所と日々の日程を知っているのであり、これこそK警官が住所を見つけたという物語を警視庁がでっち上げた理由であった。


魔法の弾丸:
警察の報告書は、おかしな数遊びをしている。國松は4発撃たれ、それから3発、それから4発、そして最後に背中に3発、ということになった。一発の弾丸が撃ち込まれ、1発はシャツのなかで見つかり、第3の破片が発見された。第4の弾丸は見あたらず、約10か月後に発見されたと思われる。

しかし、國松の下界による最初の医学的報告は、7発の弾丸による傷を示していた。もし一つが撃ち込まれたのなら、3つの入ってきた傷と3つの出ていった傷がほかにあったのだろう。言い換えれば、彼は4発撃たれたのだ――それがケネディ暗殺に使われたような「魔法の弾丸」でなければ! 警視庁は、弾丸の銅の覆いはへこんでいたと発表した。イツハク・ラビンは、へこんだ小さな22口径の弾に撃たれ、出口の裂傷をふさぐことができなかった。國松がもしそういう砲で撃たれていたのなら、彼は大きな裂傷によってほとんど即死していたはずだ。しかし、実際の弾丸はきれいに侵入し、外科医は入り口と出口を見分けることがむずかしいと報告している。

ウィークリーはすぐに、警察の報告に挑戦し、報道に偽情報を渡した理由を追及した。それは奇妙な物語をもたらした。それでは、銃と弾丸についての証拠を検討しよう。7つの傷ときれいな貫通跡は、國松が金属衝撃板で胸骨を覆ったケブラー製のボディーアーマーを来ていたことを強く示している。ヒットマンはこれを知っており、それゆえテフロン加工された弾丸を背中から高速で撃ち、それはケブラー布を打ち抜くことができた。一発の弾は背中から貫通し、もう一発は上部弾道から尻に抜けて出た。どちらも衝撃板を内側から叩き、服のなかに落ちたのだ。あとで一発が服のなかから発見された。もう一つの可能性は、病院への輸送中に失われたというもので、おそらくは道に落ちて病院の車のタイヤに埋もれていた。これが第4の弾丸がなくなった理由である。そして、もう一発はボディーアーマーの正面から撃たれ、背中に回って、衝撃で遅くなり、体の内部に残った。これですべての弾丸と傷が説明できる。

長官は、貫通弾が出ていったにもかかわらず、別の理由のために生き残った。暗殺者は頭へのとどめを撃つことができなかった。それは、予測できなかった小雨のために傘で隠れていたからであり、彼が地面に倒れてからも、頭は補佐官によって守られたからである。


KTW弾薬:
アクロシティの目撃者は、ヒットマンが長身の黒いリボルバーを使うのを見ており、マンション中に響きわたる4発の轟きを聞いている。通常の0.38弾薬の発射音は破裂音であり、轟いたりしない。それは火薬発火で起こった者ではない。住人が聞いたのは、弾丸が音速を超えた音だった。つまり、銃身を離れてから秒速1100フィート(330m)以上のスピードがあったということである。

これが意味するのは、ガンマンが特別な弾薬を手に入れたか、高爆発粉末でカートリッジを埋めていたかである。超音速スピードは、ケブラー布を貫通するか、衝撃板を貫通するために必要である。また、弾丸のテフロン加工も、KTWアンモにあるように必要だ(KTWアンモの名前は、オハイオ州ローラインの発明者ポール・コプシュ、ダン・ターカス、ドン・ワードにちなんだものである。これは北米銃器協会から、公認の警察か軍事機関にだけ売られるものである)。このタイプの弾薬となじんでいることから、暗殺者はアメリカ軍特殊部隊かSWAT警察部隊に関係があることがわかる。そうでなければ、彼はテフロンを周りに塗っただけだということになる。KTWとロシア人暗殺者の弾丸は、衝撃を分散し、高速で飛んでいるときにケブラー布を通って弾丸を包むように、平らな円錐型の銅の覆いのついた弾丸になっている。中空の点と違って、外側が鋭い縁に分かれてしまうことはない。そのかわり、パテの断片のように広がるのである。


逃走:
警察のレポートは、ヒットマンガ自転車で逃げ、それで最寄りの地下鉄駅に行ったとしている。しかし、駅の監視カメラにはその特徴に合う人物が写っていなかった。自転車は発見されなかった。

ウィークリー記者は、ヒットマンがどうやって逃げたかを最初に知った(しかし、そのときには報道しなかった。それが事件の鍵だったからだ。また、警察のレポートへの目撃者について騒ぎ立てることもしなかった――それは、わたしたちの間違いだとわかった。わたしたちは、そのときには警視庁に対して最小限の信頼をまだ抱いていたのである)。川の土手に座っていた二人の浮浪者が、その日の朝、黒いメルセデス・ベンツがアクロシティのほうから加速してくるのを目撃した。この報告書に基づけば、K警官は二人のオウム信者が彼を犯罪現場から連れ出したということになっている。しかし、K警官はそのとき、ホームレスの目撃者が、車のなかにたった二人しかいないのを目撃していたことを知らなかった――一人は40代(ヒットマン)、もう一人は50代半ばかそれ以上の重装備のドライバーである。K警官の物語は、たった一人の運転手富永によるものと改訂されたが、その容疑者は30代半ばよりずっと若く見えるのである。


ヒットマンのプロフィール:
國松攻撃の準軍事的スタイルは、ヒットマンが軍事的背景を持っていることを示している。おそらくは特殊軍事部隊であろう。彼の兵器における優秀さ――アクロシティと名古屋事件での重装備のレディー・スミスで示された防護服貫通の火力は、高度に熟練した射手であることを示している。わたしたちの考えるプロフィールを簡単に示せば、アジア系アメリカ人でベトナム退役軍人、40代後半、家族はおそらく武装仏教宗派に属しており、いま多くのカネを与えられて第3国にいる。リボルバーを持つトップの射手であるが、プロの暗殺家ではなく、前科はない。


厳格な結果:
ヒットマンが外国人であるというのは、数人の元暴力団員が示唆したものである。日本には、そのレベルで正確・迅速・冷静に動くターゲットに向けて拳銃を撃てる者はいないというのである。この外国人という性質は、ウィークリー記者にも注目されていたことだった。日本人の殺人者は、ターゲットの頭を決して損傷させない――首は狙うが、顔は無傷で残すのである。日本のガンマンはふつう、胴を狙う。畑中を撃った人物は明らかに海外からの者であり、西洋流暗殺技術を訓練されていた。

わたしたちは後に、警視庁がウィークリーによって展開されたこの理論を真剣に考慮していることを知った。1か月以内に、北関東のコンビニで3人の女性事務員が強奪中に頭を打たれた。わたしたちは、これは頭狙撃事件の数が増えているのだと考えたが、そうすると畑中事件は異常なものではなかったということだ。わたしたちは、ピストル攻撃に巻き込まれた警察官について、読者に何らかの結論を残すとしよう。


後援者:
國松攻撃は、議会と政治的エスタブリッシュメントの操作のための主要な勢力争いの一部であった。それが近畿地方でのいくつかの法人重役の殺人事件に通じている。政治抗争は、大阪・名古屋・神戸犯罪トライアングルに集中している。そしてそのトライアングルの中心は、住友銀行だ。一人の元暴力団員がウィークリーに語ったように、「住友は我々にたかってくる銀行であり、(元銀行頭取を)皇帝と呼んだものだ」。

畑中は、住友と黒社会とのつながりを切る改良運動を導いていた。大阪本社で彼は、山口組との関係をある程度なくすことに成功した。山口組は国内最大の犯罪組織で、暴力団対策法に協力すると決めていた。しかし、名古屋は壊せないほど頑丈なナットであるとわかった。それは、黒社会グループの中心地であり、その歴史のなかでホワイトカラー犯罪を開拓していったところだった(それは銀行と主要会社に根ざしていた)。名古屋は住吉連合の砦である。これは伝統的に麻薬密輸の主要勢力である。

愛知地域は、日本の「金権政治」のための違法献金が最も潤沢な地域でもあった。それは元公明党(創価学会の政党)党首の石田幸四郎と元首相海部俊樹の地盤である。この二人は、バブル経済の頂点での最大の建設事業である関西新空港建設運動を導いた。愛知出身の二人の政治家は、今や新進党の主軸であり、その党の議員の数名がオウム事件と関わっている。その結果は、日本経済に、また最近の最悪のニュースである平和相互銀行の数兆円緊急援助に影響している。平和銀行頭取の殺害から、企業重役暗殺の波が始まり、それはついに日本の警察官僚トップ暗殺未遂に至ったといえよう。日本の堕落した報道機関が何でもかんでも麻原に罪を着せようとしているのは、不思議ではないか!

警視庁警官の最近のどんでん返しは、一連の調査全体の再開にあたっての最初の大きな亀裂であり、日本の政治的とビジネスと金融機関のエスタブリッシュメントの大掃除をして暗殺者を法廷に連れて来るには、世論と国際的な応援が必要なのである。

Archipelago 勝手に復刻版
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Acropolis/6246/kawakami/pelago/index.html


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