(記事)教養教育、宗教理解欠かせず 中教審が最終報告骨子案

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投稿者 踊る藁人形 日時 2001 年 10 月 29 日 02:19:03:

中教審が最終報告骨子案

 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)は十日、教養教育の在り方に関する最終報告の骨子案をまとめた。「国際化時代を生きる現代人に求められる教養として、宗教に関する理解が不可欠だ」と明記。世界の宗教に関する解説資料などを作り、小中高校段階から異文化理解を促す教育を求めたのが特徴だ。
 教育基本法は戦前の国家神道教育などの反省を踏まえ、国公立学校が「特定の宗教のための宗教教育や宗教的活動」を行うことを禁じている。これは宗教一般についての客観的知識や様々な宗教についての公平な理解を深める教育までを禁じるものではないとされているが、国公立学校では及び腰だった。学校現場での指導の在り方をめぐって議論を呼そうだ。
 骨子案は新しい時代に求められる教養を「知性と感性の融合を軸とした人格形成」と定義。教養教育が軽視されてきた背景として、合理性や個人の利益を過度に追求する風潮が強まる半面、生活文化や宗教に関する理解など価値観を育む教育が軽視されてきたと指摘。
 「米同時テロに象徴されるように、国際化時代を生きる世界市民【をいをい…決めつけるなよ;;】として、特に宗教に関する理解は不可欠だ」と強調した。
 具体的には、主に大学にゆだねていた教養教育を小学校から発達段階に応じて実施することを提言。宗教や異文化への理解を促す教材を作成し、宗教と社会生活とのかかわりや、他人の信仰を尊重する態度などを養うことを求めている。
[日経10/11]


★コメント

これって、「ドサクサ」ものか?
なぜ「宗教」というカテゴリーに固執させる必要がある?
「宗教」といっても範囲が漠然と広すぎるし、どういう価値規範に基づいて、どんな宗教、宗派の何を、どのように、どのくらいまで、どのような隠された目的のために「理解」させようとするつもりなのか。

その「理解」てのは、単に
 >他人の信仰を尊重する
つまり「(どんな悪魔的イデオロギーでさえも)絶対肯定」の言い換えの表現に過ぎない、なんて意味だろうか?そんなのは綺麗ごとで済まないだろ?

「客観的知識」とは、各宗教のどういう視点の「知識」が、どのような片寄った集団にとって「客観的」なんだ?
「公平でない」と

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