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天皇陛下68歳に 記者会見全文〔産経新聞〕

投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 12 月 24 日 00:07:12:

(回答先: 天皇陛下の「韓国とゆかり」発言、韓国各紙が一面掲載〔朝日新聞〕 投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 12 月 23 日 22:18:58)

――今年は国内外で悲惨な事件や事故、災害が相次いだ年でした。国内の景気も回復せず社会的な不安が高まっていますが、この一年間を振り返って印象に残った出来事や感想についてお聞かせ下さい

天皇陛下 経済情勢がますます厳しさを増し、失業率も高まり、国民の暮らしに大きな影響が生じていることを深く案じています。このような状況の中で、稲をはじめ農産物は豊作であったことは幸いなことでした。ただ、狂牛病のために、畜産農家や、それに関連する産業が大きな影響を受けたことは残念でした。今年は大勢の命が失われるような自然災害はありませんでしたが、それでも年初からこんにちまで、総計七十人以上の人が亡くなり、日本の自然の厳しさを感じます。
人為的災害としては、いくつかの痛ましい事件が起こりました。二月には宇和島水産高校の漁業実習船「えひめ丸」が、米国潜水艦の衝突により沈没し、九人の命が失われました。家族の大切な一員を亡くした遺族や、学校関係者の気持ちはいかばかりかと察しています。遺体や遺品の引き揚げに米国海軍が誠意をもって尽くしたことを多としています。六月には大阪教育大学付属池田小学校に痛ましい事件が起こりました。
九月には世界貿易センタービルの破壊をはじめとする同時多発テロが起こり、日本人二十四人を含む三千人以上の死者、行方不明者が生じました。旅客機を衝突させるという、考えも及ばなかったような方法でこの事件は行われ、世界に衝撃を与えました。この事件に引き続き、テロの撲滅を目指してアフガニスタンに戦争が起こりました。ちょうど三十年前、私どもはアフガニスタンに訪問し、カブールをはじめ、ことし完全に仏像が破壊されたバーミヤン、激しい戦争が行われたクンドゥズ、また、当時発掘中であったギリシャ文化の遺跡のあるアイハーヌムを訪れました。最近、カブールの女性が顔の覆いを上げて、喜びに満ちて映像に映っている姿を見るにつけても、この地にしっかりした平和が根付くことを願わずにはいられません。
痛ましい事件が相次ぎましたが、そのような中で、野依教授のノーベル賞受賞と、イチロー選手をはじめとする日本選手の米国大リーグでの活躍は、うれしいことでした。百年を超える日本の野球の歴史の中で、大きな出来事であったと思います。
私自身が関係したこととしては、四月に阪神・淡路大震災の被災地を訪れたことがまず挙げられます。被災直後に被災地をまわったことを思い起こしつつ、被災地を訪れましたが、皆が防災に心がけつつ、美しい街をつくろうとしていることに心強さを覚えました。察することのできないさまざまな思いがあることと思いますが、健気に過ごしている姿に心を打たれました。
また、七月には、昨年、地震の被害を受けた新島と神津島を訪れました。島の急峻な斜面は至る所、崩落のあとがみられ、訪れた小学校では、崩落した岩石が校舎間際に迫っていました。今後、復興していくにあたり、島の安全性が高められるよう願っています。三宅島は帰りのヘリコプターから見ましたが、雄山の頂は雲に覆われていて見えませんでした。全島避難から一年以上が経ちましたが、火山ガスの噴出はおさまらず、帰島にはまだ相当の時間がかかりそうです。さまざまな苦労があることと思いますが、島民がまわりの人と協力しあい、体に気をつけて帰島までの日々を元気に過ごされるよう願っています。また、厳しい環境の中で復旧工事に携わっている人々の安全と健康を念じています。
六月には香淳皇后の一周年祭が執り行われ、たびたびお参りした吹上大宮御所の権殿も、それを機になくなりました。吹上大宮御所がさみしくなりました。永年にわたり香淳皇后に尽くした職員に対し、深く感謝しています。
十二月に皇太子夫妻に内親王が誕生したことは、嬉しいことでした。
現在、日本は、経済情勢をはじめさまざまな困難な問題を抱えていますが、戦後、国民が荒廃から立ち上がり、こんにちを築き上げてきたことを考えるとき、これらの困難を国民が必ずや乗り越えていくものと期待しています。来年が人々にとり、少しでもよい年であるよう願っています。

――先日、皇太子ご夫妻に待望の内親王が誕生されました。今の率直なお気持ちとともに、女性皇族の役割、立場の変化、今後求められるご養育の内容などについて、陛下のお考えをお聞かせ下さい

天皇陛下 無事に内親王が誕生し、多くの国民が喜んでくれたことを嬉しく思っています。関係者の努力に感謝する次第です。また、諸外国の元首からもお祝いの言葉をいただきました。母子ともに健やかな様子に安堵しつつ、私どもが子供たちと過ごした遠い日々のことが思い起こされました。
自然の流れで、私どもは子供を手元で育てましたが、公務と育児の両立という点で、皇后にとり、子育ては長く厳しい年月であったと思います。皇太子誕生の年に私どもは米国、イラン、エチオピア、インド、ネパールの五カ国を二度にわたって訪問しましたが、最初の米国訪問の時は、授乳期間をかろうじて終わっての出発でした。皇后が、育児のために公務や私の生活に支障を及ぼさないよう、常に心遣っていました。また、昭和天皇と香淳皇后が育児を許して下さったことへの感謝と、周囲の人々に助けられて育てているという自覚を常に持っていたことを私は嬉しく思っています。
現在、育児は、技術面でも、周囲の環境という点でも、非常に恵まれたものになってきていますが、皇太子夫妻が初めての育児をするにあたり、さまざまな経験を経ていくものと思います。養育については、二人でいろいろ考えて事に当たっていくことと思いますが、内親王が健やかに育っていくことを願っています。
秋篠宮の二人の内親王も、両親の努力のもと、よく育っています。三人の内親王が仲良く育っていくことを念じています。
皇族の立場について、男女の差異はそれほどないと思います。女性皇族の立場は過去も大切であったし、これからも重要と思います。しかし、今は新内親王が健やかに育っていくことが最も重要であり、家族みなで見守っていきたいと思っています。

――世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年、日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつれ、両国の市民レベルの交流も活発化していますが、歴史的、地理的にも近い国である韓国に対し、陛下が持っておられる関心、思いなどをお聞かせ下さい

天皇陛下 日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や、招聘された人々によって、さまざまな文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽士の中には、当時の移住者の子孫で代々、楽士を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と、韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に大きく寄与したことと思っています。
私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は、日本との関係が深く、この時に五経博士が代々、日本に招聘されるようになりました。また、武寧王の子・聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。しかし残念なことに、韓国との交流はこのような交流ばかりではありませんでした。このことを私どもは忘れてはならないと思います。
ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ、このことを通して両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。

――米国での同時多発テロでは、陛下が侍従長を通じ駐日米大使に弔意を伝えられました。自然災害以外での弔意伝達は異例であり、宮内庁でも対応を慎重に検討したと聞いておりますが、この間の陛下の胸の中の思いを聞かせて下さい

天皇陛下 この同時多発テロは、無辜の人々の、極めて多くの人々の命を失う、極めて異例の事件でした。その中には、救助に駆けつけた三百五十人以上の消防士や警察官も含まれていました。弔意伝達は異例とのことですが、このような事件は過去にもなく、その事件そのものが異例であったと思います。皇室が前例を重んじることは大切なことと思いますが、各時代に前例のないことが加わっていることも考えに入れなければなりません。今回はこのことを踏まえて、侍従長を通じて駐日米国大使に弔意を伝えました。

――四十一年前の皇太子さまのご誕生の際には、両陛下の子育ての様子が様々に報道されました。皇孫のご誕生は、皇太子ご夫妻の「プライバシー」の問題も含んでいますが、国民的な関心事であり、皇位の世襲を明記した憲法の規定からもすぐれて公的な事柄です。皇室の活動にも、公的な側面と私的な側面があると思いますが、陛下は双方の兼ね合いをどう整理し、考えていらっしゃいますか

天皇陛下 皇族がプライバシーを保ちつつ、国民の関心にどのように応えていくかということは、常に難しい問題だと思います。子供との関係で言いますと、私どもは極力、子供の私生活を守ることに努力してきましたが、一方で、皇室の子供が健やかに育っているという姿を国民に見せてほしいという要請にも応えていく義務があると思います。一回一回、不安を抱えながら、二人して相談し、宮内庁とも相談して、この問題に対処してきたつもりです。これからは皇太子夫妻が二人で責任をもって周囲の意見を聞きつつ、判断していってほしいと思っております。  報道上のことになりますが、プライバシーを守ることは、他人の尊厳を守ることであり、大切なことです。また、プライバシーに関する誤った報道は、これを正すことは非常に難しく、時には長期間にわたって誤った報道が社会に流れていくことになります。おかしな例ですが、私が「柳行李(やなぎごうり)一つで」と皇后に結婚を申し込んだと今も言われていますが、このようなことは私は一言も口にしませんでした。
皇室の活動について、公私の兼ね合いのことですが、私が育ったころは、未成年の皇族が公的行事に参加するということはほとんどありませんでした。私が公的立場への自覚を深めたのは、十八歳で成年式と立太子礼を挙げ、その後、外国を、欧米諸国を旅したころからでありましたが、公的、自分の役割をはっきりと、深く考えるようになったのは、結婚を境にしてでありました。
比較的早く三人の父となり、その間に公務も増え、昭和天皇の名代として外国を訪問することもありました。私にとり、家族は大切でありましたが、昭和天皇をお助けし、国際儀礼上の答礼訪問を含め、国や社会のために尽くすことは、最も重要なことと考えていました。皇后が、私のそのような考えを十分に理解し、また子供たちにも理解させてきたことを感謝しています。
私どもは、やはり私人として過ごす時にも、自分たちの立場を完全に離れることはできません。ただ、行事などで、立場上の必然性から天皇として臨む場合と、より私的に自分自身を高め、充実した自己をつくるために臨む場合とに分けられ、その比重は前者の方に多くかかっております。

――内親王さまご誕生に関連してですが、敬宮愛子さまのお名前について、漢字と読み方についてどのような印象を持たれていますか。また今回、命名は皇太子ご夫妻が実質的にお決めになったとおうかがいしてますが、陛下がご自分のお子さまを命名された時のことも踏まえ、どのようなお考えでご夫妻に委ねられたのでしょうか

天皇陛下 皇太子夫妻が一生懸命に、勧申者の意見も聞きながら考えたことで、やはり名前というものは、両親が最も深く関わることが望ましいと思っております。ですから、そのような過程が一番良いのではないのかと考えて、そのようにしました。
私どもの場合においても、内々に相談はありまして、昭和天皇もそのような形でお決めになっています。

――お名前の漢字の読み方について陛下のご感想はどうでしょうか

天皇陛下 皇太子夫妻が「これが非常によい」と考えた、一生懸命考えたこと、これはやはりよい名前であると考えるべきなのではないかと、思っているわけです。例えば、秋篠宮の時も、相談を受けましたけれども、やはりいま考えてみると、よい名前が付いたのではないかと思っています。名前というのは、だんだんこう使っていくうちに、親しみを持ってくるんではないでしょうか。




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