★阿修羅♪  Ψ空耳の丘Ψ16
 ★阿修羅♪
Ψ空耳の丘Ψ16検索 AND OR
 

難民の暴挙は不条理な戦争に向けられた憎しみと怒りのシンボルだ:Robert Fisk

投稿者 dembo 日時 2001 年 12 月 29 日 11:26:11:

難民の暴挙は不条理な戦争に向けられた憎しみと怒りのシンボルだ:Robert Fisk

国境での裁きを受けて……。キラ・アブドゥラからレポート

My beating by refugees is
a symbol of the hatred and fury of this filthy war
Independent 10 December 2001


握手でそれは始まった。我々は「サラーム・アレイクム(平和があなたにありますように)」と挨拶をした。その途端、最初の小石が私の顔めがけて飛んできた。小さな子どもが私のかばんをひったくろうとする。そしてもう一人。誰かが私を後ろから殴る。そして若い男が私の眼鏡をこわし、顔と頭をめがけ石で打ちつける。額から流れ目に入った血のため、何も見えなくなった。それでも、理解はできる。彼らがやっている行為に対して、非難などできなかった。実際、私自身、キラ・アブドゥラ、アフガン・パキスタン国境に近い村のアフガン難民だったら、ロバート・フィスクに同じことをしてやっただろう。あるいは、通りかかった別の欧米人に。

アフガン国境に近い場所で起こった襲撃で、血を流して動物のように叫ぶ私の、数分の恐怖と自己嫌悪を記録して何のためになるのか? 数百の(正直にいえば、それは数千の、と言うべきだ)無罪の市民がアメリカの爆撃を受けて死んでいく時に、“善”は“悪”に勝利すべきであるという理由で、“文明国のための戦争”がカンダハールのパシュトゥーンを焼き、不具にし、その家々を破壊している時に。

ここ、一部のアフガニスタン人は何年も前から住み着いている小さな村に、2週間ほど前から愛する人々が惨殺されたことに絶望し、怒り、喪に服す他所の人々がたどり着いた。車が故障するには最悪の場所だった。それも、ラマダンの期間中、日々の断食に終わりを告げるイフタールの直前という最悪の時間に。しかし、我々に降りかかったことは、この不条理な戦争の、憎悪と凶暴さと偽善の象徴でしかなく、貧窮を生きる若いそして年老いた男たちの膨れあがった群れが敵である外国人どもを、自分たちのすぐ隣に見つけだし、少なくともそのうちの一人を殺そうとしただけなのだ。

あとで知ることになるのだが、村のアフガン人の多くは、捕虜たちが両手を後ろで縛られたまま殺されたマザリシャリフの惨殺をテレビで見たばかりで、怒りは頂点に達していた。彼らは、“マイク”と“デイブ”という2人のCIA工作員が、ひざまずいたマザリシャリフの捕虜に、「殺す」と脅している場面のビデオテープを見たのことを、あとになって村民の一人がドライバーに語っている。彼らは教育を受けていない、おそらく多くは読み書きもできないだろう。けれど、B-52戦闘機での爆撃によって愛する人の死に反応するのに学校へ行く必要はない。途中、叫ぶ一人の少年が、私の運転手に向かって、真剣に聞いていた「これがミスター・ブッシュなのか?」

午後4時半ごろだったか、パキスタンの地方都市クエッタと国境の町シャマンのちょうど真ん中にあるキラ・アブドゥラに我々はたどり着いた。一行は、運転手のアマヌラ、通訳のファイヤズ・アフメッド、マザリシャリフの虐殺報道を終えたばかりのインディペンデント紙のジャスティン・ハグラー、そして私。

混んだ狭い道の真ん中で、車が止まってしまったのが、最初の悪い兆しだった。ジープのボンネットから白い蒸気が上り、乗用車とバスとトラックとリキシャ(人力車)のクラクションがひっきりなしに甲高い音をあげて、我々の作った障害物に抗議する。4人とも車から降りて、道の脇まで車を押した。私はジャスティンに「故障するには最悪の場所だ」と愚痴をもらした。何千人ものアフガン難民の村、パキスタン領キラ・アブドゥラには、戦争によって生まれた貧しい集団が群れ集う。

アマヌラは別の車を見つけに出かけ、白煙を上げる我々の車の周りに男たちが集まってくる。怒れる男たちの群れでも、ことに恐れるべき最悪の集団、それは闇の中の群れだ。夕闇が迫るなか、当初は友好的だった群集に向かって、ジャスティンと私は笑いかけた。そして何回も「サラーム・アレイクム(平和があなたにありますように)」と繰り返した。笑いが止まるとき何が起きるか、私は知っていた。 

群集はさらに大きくなり、私はジャスティンにジープから離れようと提案し、道に出た。ひとりの子どもが私の手首をその指でパチンと叩いた。これはアクシデントに過ぎないと自分に言い聞かせた。子どもっぽい軽蔑の一瞬。そして小石が投げられ、私の頭を越えてジャスティンの肩にはね返った。ジャスティンは振り向いた。彼の目は不安げで、私がどんな風に息をしていたか、今でも思いだす。お願いだ、これは単なる悪ふざけなのだ、と私は考えた。そしてもう一人の子どもが、私のショルダーバッグをひったくろうとした。パスポート、クレジットカード、現金、手帳、アドレス帳、携帯電話が入っている。私はバッグを引っ張り返し、ストラップを肩にまわした。ジャスティンと私が道を渡ろうとしたとき、誰かが背中にパンチを入れた。

夢の中で、登場人物が突然、豹変したらどうやって逃げ出すだろう? 私と握手したとき、笑っていた男を見た。今はもう笑ってはいない。小さい子どもの何人かは、まだ笑っていたが、その笑いの意味するものはほかの何かに変わっていた。尊重された外国人、数分前の「平和があなたに……」男はうろたえ、恐怖し、逃げる。毛唐は卑屈になっている。ジャスティンは周りから乱暴に突かれ、道の真ん中で我々はバスの運転者に我々を乗せてくれるよう、手で合図した。まだ車の脇にいる通訳のファイヤズは、なぜ我々が立ち去ったのかわからなないままで、こちらに気づくことすらなかった。ジャスティンはバスまでたどりつき、中によじ登った。私がバスのステップに足をかけたとき、3人の男がバッグをひっつかみ、私を地上にねじ落とした。ジャスティンは手を差し出し「つかまれ」と叫んだ。私はそのとおりにした。

そのとき、最初の強力な一撃が頭に振り下ろされた。ショックで私は転倒しそうになり、その衝撃で耳鳴りがした。私はこれを予期していたが、こうも辛く、激しく、急激だとは思いもしなかった。そのメッセージは恐ろしいものだ。誰かが私を傷つけるまでに憎んでいる。さらに2発くらった。肩の後ろのパンチで、ジャスティンの手にしがみついていた私は、バスの横っ腹に激しくぶつかった。バスの乗客は窓から私とジャスティンを見ていた。でも誰も動こうとはしなかった。誰も助けようとはしなかった。

「ジャスティン、助けてくれ」と私は叫んだ。ジャスティンは、私の今にも離れそうになる手首を人間以上の力でつかみながら、群衆の叫び声に消されそうになりながらどうしたらいいのか、私にたずねた。そして私は理解した。私には彼の言うことがやっと聞こえる。そう、彼らは叫んでいた。「カフィール(異教者)」という言葉を私は聞いただろうか? 間違いかも知れない。そのとき、ジャスティンから手が離れた。

もう2発、頭にくらった。頭の両サイドに、そして奇妙な具合に、学校に行っていた頃の記憶が、脳みその小さなひび割れによみがえった。50年以上も前、マイドストーンのセダーズ小学校の遊び場で、背の高い砂の城を作っていた少年が、私の頭をたたいたのだ。私は、鼻がやられたみたいに、その強打の匂いを覚えている。次の一撃は、右手に大きな石を持っていた男からきた。男はそれを猛烈な力で私の額に振り下ろし、なにやら熱い液状のものが噴き出て、顔に、口に、あごに流れた。蹴りを入れられた。背中とすねと右太もも。もう一人のティーンエージャーがまたバッグを取ろうとしたので、ストラップを握り締め、見上げると、突然目の前には60人ほどの男たちがわめいていることに気づいた。不思議に怖くはなかったが、一種の驚嘆を感じていた。そう、こうやってそれは起きるのだ。やり返すべきなのだ。私はぼうっとなった状態で理屈づけた。さもなければ殺される。

たった一つショックだったのは、自分の肉体的な感覚が薄れていくことだった。ただ何か液体が体を覆い始めている、という自覚は高まっていた。以前、そんなたくさんの血を見たことはないと思う。一瞬、バスのウインドウに映っている何やら恐ろしげなもの、悪夢の顔が、ちらりと見えた。血で縞模様になった、マクベス夫人のようにたっぷり汚れた両手、セーターの上から流れ、シャツの襟をつたい、背中まで濡れてきた。真っ赤に滴る私のバッグ。だしぬけに細かなしぶきがズボンに落ちた。

出血が増すと、その分暴徒も多くなり拳骨で殴ってきた。小石と小さい岩が私の頭と肩にはね返ってきた。どのくらいの間これは続くんだ、と私は考えていた。突然、頭の両サイドに同時に石が当たった、それは投石ではなく、私の頭蓋を割ろうという意図を持って、男たちの手に握られた石だ。そして、最初のパンチが顔に当たって鼻の上のめがねを割り、別の手が、首にかけていたスペアのめがねをひっつかみ、皮製ケースをストラップから引きちぎった。

この点については、私はレバノンに感謝すべきだと思う。25年間、私はレバノン戦争を取材し、レバノン人は何度も何度も、私にひとつのことを教えてくれていた。生き延びるには、決断を下せ。それがいかなる決断でも。とにかく何かしろ。

それで、つかまっている男の両手からバッグをねじり取った。男は後ずさりした。そこで、私は右手にいる血のついた石を持っている男の方に向きを変え、口をめがけこぶしで殴りつけた。目がよく見えなかった。眼鏡なしの近眼のせいばかりではなく、赤いもやまでかかっていた。けれどその男が、咳きのようなものをして歯が一本口から落っこち、地面に倒れるのを見た。一瞬、群集の動きはストップした。そこで、私はもう一人の男のところまで行って、脇の下にバッグを抱えたまま、鼻に一発、バンとお見舞いした。この男は怒って怒鳴り、急に真っ赤になった。もう一人へのパンチははずれたが、別の男の顔に一発入れてから、私は走った。

道の真ん中まで来たが、目が見えなかった。両手を目にやったが、手は血だらけで、指を使ってネバネバするものをこすり取ろうとした。ベトベトした音がして目が見え始め、自分がわめき、泣いているのに気がついた。涙が血を洗い流したのだ。私はいったい何をしたのか? と自分に問いただしていた。アフガン難民を殴り、攻撃したところだ。この人々のために、私は長い間書き続けてきた。他の国々に混ざって我が母国が引き裂き、国境のすぐ近くでタリバンとともに次々に殺していった、まったく所有せざる者。神よ助けたまえ、と私は思った。実際、そう言い続けていたのだと思う。我々の爆撃機によって家族を殺されてきた男たちは今また、私の敵なのだ。

その時、なんとも驚くべきことが起こった。男が一人、静かに歩いてきて、私の腕をとった。目に入った血のために良く見ることはできなかったが、彼は一種のローブとターバンをまとい、白髪の混じったのあごひげがあった。そして群集から遠くに私を連れ出した。私は肩越しに振り返った。今、背後には100人の男がおり、道沿いにいくつかの石が飛んでいたが、それは私を狙ったものではなかった。たぶん異邦人攻撃は回避された。彼は、旧約聖書の中の人物か聖書物語の善きサマリア人のように見える、ムスリムの男−おそらく村のムッラー(イスラム指導者の尊称)で、私の命を救おうとしたのだ。

彼は私を警察のトラックの後ろに乗せた。しかし、警察官は動こうとしなかった。彼らは怖れていた。「助けてくれ」運転席の後ろの小さなガラス窓越しに私は叫び続け、両手はガラスに血の跡を付けていた。トラックは数メートル進んで止まり、あの背の高い男が話しかけるまで動かなかった。そしてまた300メートル進んだ。

道の脇に赤十字・赤新月社チームが設営されている。群集はまだ私たちの背後にいた。医療アシスタントの二人が、診療車両の後ろに私を乗せ、両手と顔を洗い流してから頭と顔と後頭部に包帯をまいた。「横になって毛布をかぶりなさい。そうすれば彼らには見えない」と一人が言った。両方ともムスリムのバングラデシュ人。善き、真実の男たち、記録されるべきこの二人の名はモハメッド・アブドゥル・ハリムとシクデール・モカデス・アフメッド。私は車床に横たわった。うめきながら、生き延びられるかもしれないのだ、と気がついた。

数分してジャスティンがやって来た。彼は、大英帝国の幽霊を目の当たりにしたような屈強なバルチスタン兵にガードされていた。兵士は小銃を一発放って、ジャスティンの乗る車の周辺の群集を追い払った。私はバッグの中を手探りした。パスポートとクレジットカードがまるでキリスト教の聖杯でもあるかのように、バッグは取られなかったと、独り言を繰り返した。しかし残り一つのスペアの眼鏡は奪われていた、これがなければ私は、めくら同然だ。そのうえ携帯電話と、さらに25年間の中東のいたるところで築いた関係者への連絡先を記したアドレス帳がなくなっていた。何ができるって言うんだ。会ってきた全部の人間に、電話番号を送り返してくれと頼むのか?
(※バルチスタンBaluchistan…パキスタンからイランにわたる地域)

くそったれ、と言ってげんこつでそこらへんを打とうとして、手首にかなりの深傷があり出血しているのに気がついた。私があごを殴った男の歯の跡だ。この男は、この世界の犠牲者になっただけで、いっさい何の罪も犯していない。

ムスリム世界の貧困と人道問題を、25年以上もリポートし続けてきた。そして今、彼らの怒りは私までも包み込んだ。そうだろうか? 赤新月社のモハメッドとシクデール、我々のために息を切らせて車まで走って来てくれたファイヤズ、そして治療のため我々を自宅に連れて行ったくれたアマヌラ。それに私を腕に抱えてくれた、ムスリム聖人がいる。

私はあらためて実感する。私を襲った大人や子どもたちも、本来はこんな事をするはずではなかったのだ。彼らアフガン人の暴力性は完璧に他者、そう、我々が作り出した産物なのだ。我々が、対ロシア戦での軍備を供給した。我々が、彼らの苦悩を無視し、民族紛争を笑った。そしてまた“文明のための戦争”で、彼らに武器を供給し、金を払った。何マイルしか離れていない場所で、彼らの家々を爆撃し、彼らの家族を粉みじんにし、それを“付帯被害(collateral damage)”と呼んだ。

そういったわけで、我々に起こった怖ろしい愚かな血なまぐさい小事件について私は記述しなければならなかった。どのように英国ジャーナリストが“アフガン難民暴徒に襲われたか”違った見方が違った物語を作り上げることを、私は恐れた。

そしてもちろん、問題とは以下のものだ。急襲を受けたのはアフガンの人々であり、傷跡は我々がB-52を使って残したもので、彼らのやったことではないのだ。もう一度繰り返す。もし私自身がキラ・アブドゥラのアフガン難民だったら、同じことをしただろう。ロバート・フィスクに襲いかかっただろう。あるいは、通りかかった別の西洋人に襲いかかっただろう。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1123/annex/fisk/index.html





フォローアップ:

全★阿修羅♪=

 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。