★阿修羅♪  Ψ空耳の丘Ψ16
 ★阿修羅♪
Ψ空耳の丘Ψ16検索
 次へ  前へ
坂上香「私が見たNHK番組「改編」と過剰な自主規制」(上)『創』2002年1・2月号より 投稿者 YM 日時 2002 年 2 月 17 日 23:25:09:

『創』2002年1・2月号
坂上香「私が見たNHK番組「改編」と過剰な自主規制」

改編が問題となったETV2001「シリーズ戦争をどう裁くか」の担当ディレクターだった筆者が、当事者として見聞きした事件の詳細な経緯を、退社後のいま、初めて明らかにする!


排除される制作会社
NHKのETV2001「シリーズ戦争をどう裁くか」の第2回「問われる戦時性暴力」において、何らかの外部圧力を理由に、放映直前に局上層部による「介入」で番組「改編」がなされた可能性があるということは、本誌5月号でも報告された。
今回のシリーズは、いわゆる外部委託という形態をとっていた。局(NHKの教養番組部)が、関連会社(NHKエンタープライズ21。以下NEP21と表記)を通じて、外部制作会社(ドキュメンタリージャパン。以下DJ)に実際の番組制作を依頼する、という方法である。NHKの海老沢勝二会長および松尾武放送総局長は、国会答弁などを逓じて、今回の問題はさも制作会社のせいであるかのような発言をしたり、三社間のコミュニケーションがうまくいっていなかったと責任をその制作体制にあったかのように発言してきた。しかし、これらの見解は、制作スタッフの一人だった私からすると、真相の歪曲に他ならない。
当時、私はDJに所属しており、第3回「いまも続く戦時性暴力」の担当ディレクターだった。第3回についても、程度の差はあれ局上層部から同様の「介入」が起きていた。しかし、第2回のように番組の趣旨そのものを変えてしまうような致命的な「改編」ではなかった。というのも、第2回は、天皇や日本政府の戦争責任といった、直接日本が問われる問題を扱っていたが、第3回では海外の事例が主で、日本が直接間われる内容ではなかったからである。
問題視されている第2回は、DJの別のディレクターが担当だった。そのため、私が彼女の代弁をすることはできない。しかし、第2回と第3回の企画書を書いたのは私であり、企画当初から関っていたことになる。また、私自身、第2回に対して行われてきた数々の不条理を目の当たりにし、憤ってきた。
その私が明らかに言えるのは、今回の問題は、NHK側が指摘しているような「制作会社」の問題ではないということ。むしろ、局の絶大な権力を前に、制作会社は制作者としての自主性や公平性を奪われたといえる。議論が完全にすり替えられている。
さらに、この事件以降、局は「制作会社との関係を見直す」という方針を打ち出し、NHKスペシャルなどの看板番組は局内制作のみにするといった動きも見せている。実際、今までNHKと仕事をしてきた制作会社からは、企画が通りにくくなった、もしくは全く通らない、という声が聞こえてくる。確実に、制作会社を制作現場から排除しよう、という傾向が強まっている。
このような不条理な事態に陥っているというのに、それに対して番組の直接の制作者であったはずのDJは声をあげず、沈黙し続けている。

制作会社の暴走などありえない
年々ドキュメンタリー枠が減るテレビ業界にあって、NHKは希有な存在である。衛星放送の長時間枠や情報系の番組を含めるとかなりの番組枠を持っている。90年代に入ってからは制作会社に広く門戸を開いてきた。特にここ10年、NHKはDJにとってなくてはならない存在であったし、NHKにとってもDJは欠かせない存在であったはずだ。
DJは、1981年に番組制作会社としてスタートした。放送業界では、ドキュメンタリー作りにこだわる個性的な制作者集団として知られてきた。NHKと外部制作会社との共同制作は90年初頭に始まり、その先駆け的存在であった。NHKとの最初の作品であるNHKスペシャル「あなたの声が聞きたい」では、植物状態の人が生還するまでの過程を看護婦の視点で描き、郵政大臣賞を含めた数数の賞を受賞。以来、ドキュメンタリーを中心に、情報系やトークショーなど、NHKの番組を数多く手がけてきている。
私自身、HIVと共に生きる家族の日常を描いたNHKスペシャル「僕たちずっと一緒だよね」、殺人事件の被害者遺族と死刑囚の家族が共に旅するなかで、死刑制度を問う姿を描いたBSー1日曜スペシャル「ジャー二ー・オブ・ホープ」などの企画・制作にディレクターとして携わり、文化庁芸術祭優秀賞などの賞も受賞してきた。
一般に、DJのような外部制作会社がNHKと番組制作を行う場合、実際の取材(撮影〉や編集作業は制作会社が行い、局の関連会社はNHK本体と制作会社との調整役を果たす。今回でいえば、NEP21がその調整役だった。今回の第2回と第3回に関しても、番組最後に、「共同制作」としてNEP21とDJが並記されていたが、局上層部からの「介入」がなされるまで、実質上の作業はDJが「主体」となって行っていた。
ただ、制作会社が「主体」といっても、常に三社間の合意が前提である。編集方針を決める「構成会議」や実際に編集したビデオを見て検討する「試写」など、議論を重ね、合意を得るプロセスを経てきているわけだ。もちろん、番組によっては三社間の意見が大きく異なりもめることもあるが、今回の番組に関しては、上層部の「介入」が始まる以前は、基本的には合意のもとに滞りなく進んでいた。放映前日までNHKのホームページに出ていた番組宣伝でも、企画意図や編集方針は基本的に変わっておらず、私たちの姿勢は明らかだった。NHKが指摘するような制作会社の暴走などあり得ない。

「降りる自由」も与えられていない
第2回の編集に関しては、ある時点から局の手に完全に渡った。最後の三社合同試写で出た局側からの要求が、当初の企画意図を大きく変えるものであまりにも理不尽であったため、また局側がその姿勢を変えることはあり得なかったため、DJの担当プロデューサーB氏が、「今後の作業はそちらの方(NHK)でやっていただきたい」と事実上DJが降りることを示唆。局はその意見に合意し、教養部を中心に「改編」が進む。そういう中で、放映されるものに関して、DJは責任を取りきれない。そこでB氏はさらに「共同制作ドキュメンタリージャパンの名は外して欲しい」と願い出た。その時点では、DJの要求は了承されていたはずだった。
しかし、放映された第2回には、共同制作の項目に、DJの名前がしっかりと明記されていた。私は画面を見ながら、制作会社には「降りる自由」さえ与えられていないのか、とかく然としたことを思い出す。

企画はNEP21から持ちかけられた
(中略)
しかし、途中でこの2回シリーズは4回へと変わった。2回では通らない可能性が高いことを懸念して、教養部が企画書を書き直すことになったようだった。その新しいシリーズでは、「慰安婦」に対する罪を「人道に対する罪」と捉え、世界は軍事性暴力を含む「人道に対する罪」をどう裁いてきたか、という視点にすると聞いていた。DJが提案した2回以外は局制作だという。
10月半ぱ、番組にゴーサインが出た。教養部のC氏が部長に直談判して15分で通した、という報告をDJのB氏から受けた。この時点で、すでに4夜シリーズになっていた。このように、企画を通すために局や関連会社が調整を行うことはある。私自身、特に異論はなく、企画が通ったということにひたすら驚いた。さらに、第2回の番組の構成や編集方針に関しても、イニシアチブを取ったのは局側といえる。

12月中旬に開かれた三社合同会議
12月中旬、局内で三社合同の構成会議が開かれた。第2回のディレクターが用意してきた構成案を叩き台として、具体的な構成について検討しあった。構成案のVTR部分には、右翼の反応、教科書問題、国内の「慰安婦」をめぐる訴訟等、法廷外の要素も幾つか盛り込まれていた。話し合いでは、政府要人へのインタビューの是非も検討した。
一方、教養部のC氏は、出演者の高橋氏から「法廷」の参加報告を聞き、法廷だけでVTR部分を構成できると確信したようだった。話合いの末、C氏は「法廷内の世界のみ」で行こうと提案。その意見に特に異論を唱える者はおらず、事実上、C氏の提案が第2回の編集方針となる。これ以降、第2回のVTR部分に関しては、法廷外の要素は全て落とし、法廷内だけで構成することになった。なお、落とした要素の幾つかについては、高橋氏ど米山リサ氏(米・カリフォルニア大学準教授)の対談部分でカバーすることにしたので、法廷外の話題を番組から全て排除しようとしたわけではないことを記しておきたい。
海老沢会長は、国会答弁で「編集にあたった責任者が、公平を期して番組を放送した」と今回の局上層部による「改編」を正当化している。彼の見解では、この「法廷内の世界のみ」という方針自体に偏りがあり、問題だとするのだろう。実際、教養部の部長から私たちはそのような指摘を多々受けた。しかし、私はそうは思わない。
そもそも44分という限られた時間枠の番組一つで、全ての視点を含むことなど物理的に不可能で、幻想である。ETVは政見放送ではない。右派、左派、中道派の意見を均等に入れ、賛成、反対、そのどちらでもないという様々な意見がありますよ、と知らせることが「公平公正」だと考えているなら、視聴者をバカにしていることになり、その短絡的な見解自体に問題がある。
(中略)
異例の部長試写が行われた
今回の事件以降、ETVの現場だけでなく、様々な番組において部長レベルもしくはそれ以上の役職による「試写」が行われるようになったと聞く。
私自身、事件の半年程前に「医療過誤」のテーマでETVの制作に携わっていた。物議をかもし出すことが予想されるテーマであったにもかかわらず、部長試写など話にもあがらなかった。放映直前に局内で行われるオーディション(完成試写)にも、部長の姿はなかった。NHKスペシャルや大型企画等で上層部が試写を行うことは通常であるが、丑TVにおいて、荒編段階(ラフにつないだスタジオ編集前のもの)での部長試写など滅多に行われることはなかったはずである。NHKは上層部による試写があたり前であるかのような意見を述べているが、今回行われた部長試写自体、当時は希有であったこと、また、第3回に関しては行われなかったことを強調しておきたい。
教養部の部長試写が行われる、と聞かされたのは、1月に入ってからだった。私はNHKの別番組の取材で米国に出張だったため、1月19日に行われた最初の部長試写には立会っていない。しかし、滞在先に報告が入り、大きくモメたことは聞いていた。
「法廷との距離が近すぎる」「企画と違う」「ボタンのかけ違いは修正できない」「お前らにハメられた」「このままではアウトだ」等々。部長は激怒し、番組そのものを否定するような指摘をしたという。しかし、具体的な改善点が全く提示されなかったため、関係者間で部長の意向を推測しながら、修正点を検討する他なかった。その結果、「VTR部分は法廷内のみ」という当初の編集方針をやめ、海外の「法廷」に関する報道などを加えることになった。編集方針の変更にともなって、アナウンサーのコメントの撮り直しも行われることになった。

1月には2回目の部長試写が
1月24日、2回目の部長試写が行われ、私も参加した。教養部の部長の他に、局やNEP21から数名が加わった。彼らは部長に同調したり制作スタッフをなだめたりする役回りのようで、部長の顔色を始終窺っているのが印象的だった。
ここでも再び、部長によって番組の趣旨が完全否定された。「全く変わっていない」「これじゃ出来レース(結果がすでにわかっているという意味だと思われる)」「完全なボタンのかけ違え」……。前回と違ったのは、部長からの具体的な修正案が幾つか出されたことである。ただし、部長の発言はどれも単なる思いつきとしか思えない軽いものであり、最初は彼の意図がどこにあるのか読めなかった。
VTR部分では、かつて性暴力を振るった加害者側として、2人の元男性兵士が証言台に立つシーンが含まれていたが、その証言者たちを見て「違和感がある」と疑問が投げかけられた。その後、加害者証言は外すべきだというニュアンスで一方的に話が進んでいった。
続いて、スタジオ対談部分の米山氏の発言が否定された。彼女の発言とは、次のような内容であった。
元「慰安婦」の証言を聴く側の私たちは、証言に圧倒されてしまう。そして、沈黙してしまう。そのこと自体は自然な反応で、仕方のないことである。しかし、聴く側がそのまま沈黙し続けるのは間違っている。なぜなら、元「慰安婦」が証言する背景には、自分達の身に起こった被害に対して、聴く側に何らかの手だてをして欲しいという要求があるのだから。
これは、第2回の根幹になるメッセージでもあった。「法廷」は、「加害者を裁いて欲しい」という被害者の要求に基づいて行われた。これが否定されるとなると、全く違う番組を作り直せ、と言われているようなものである。私は部長に反論した。今回の番組は、証言を聞くことの重要さから出発していること。それをどう受け止めるか、という私たち「聴く側」の姿勢を問うている米山氏の発言は、番組の要であることなどを告げた。それを聞いた部長は、激怒した。その後議論は、米山氏を番組からはずすか否か、第2回の放映を中止するか否かにまで発展。しかし、どれも本気で考えているとは思えないような議論だった。
試写の間中、NHKとNEP21だけが部長との話合いに参加し、私たちDJのスタッフは完全に背を向けられた形になっていた。私たちが話に割って入れるような雰囲気では全くなかった。
私自身、今までNHKとは幾つも番組を作ってきており、それなりの修羅場も経験してきているつもりだ。しかし、今回の問題は質が違う気がした。部長の数数の発言や場の雰囲気、12月から激化している右翼の圧力などを考えると、私たち制作者にはどうすることもできない、何らかの力が働いていると感じた。DJのB氏が、第2回に関して「今後の作業はそちらの方(NHK)でやっていただきたい」と発言した背景には、このようないきさつがあった。

右翼からかかった圧力
今回の問題が、一部の新聞・雑誌などで報じられているように、右翼もしくは自民党による圧力が直接原因だったか、私にも確証はない。しかし、いずれにせよ、そういったものを強く意識しての過剰な自主規制であったことは間違いない。
右翼からの圧力について、教養部の担当者が頻繁に口にし始めたのは、12月の撮影後の構成会議からだった。ニュースが「法廷」を取り上げたことに対して、右翼団体が電話やFAXで執勘にクレームをつけてきたということに始まり、年が明けると、教養部のC氏の自宅にまで嫌がらせが及んでいるという話を耳にした。ある日の試写では、右翼団体のチラシが教養部から回された。ETVの放映中止を求める決起集会についてだったと記憶している。私は右翼による圧力が日に日に激化しているのを感じていた。
部長試写は、こういった緊張状態の中で行われたのである。また、第2回がDJの手から雄れ、局の手に渡った後27日には、右翼団体が直接NHKに押しかけている。放映された第2回は、全く骨抜きにされていた。24日にはかろうじて残っていた天皇有罪の判決(ナレーションで判決内容が紹介される程度ではあったが)、加害者兵士の証言、そして「法廷」主催団体についての基礎的な情報でさえも、完全に消されていた。一方、話題にも上ったことがなかった秦郁彦氏のインタビューがつけ加えられていた。
(中略)
第3回に対する局上層部の「介入」が始まったのは、28日の夜、完パケ(完全パッケージの略で、白素に音楽効果やナレーションを加え、そのまま放映出来る完成番組)作業が終了してからのことだった。突然、局長レベルの試写が局内で行われることになったという報告を受けた。DJのB氏が参加したいと申し出たが、拒否された。「改編」作業の命令が出されたのは、この直後だった。
「法廷」の一環として「公聴会」が開かれたというナレーションの削除、「女性国際戦犯法廷」というテロップの削除、元「慰安婦」が映っている場面と説明ナレーションの削除等。それらは全て、第2回とのつながり、すなわち「法廷」とのつながりを断つことが目的であることは、一目瞭然であった。
私はB氏から説得されて、部分的な「改編」には仕方なく応じたが、「法廷」とのつながりを完全に消してしまう命令は飲まなかった。すると、局から「部分的な直しは直しにならない」と突き返されてきた。納得のいく理由もなく、一方的な命令を飲むことは、制作者としての自主性に反する。これ以降、私は一切「改編」作業に関らないと宣言した(かわりに、DJのB氏が「改編」した)。
また、放映前日には、NEP21のA氏が局の命令で、アナウンサーのコメントを削除したという報告が入った。これも、第2回とのつながりを断つものだった。
さらには、放映5時間程前になって、A氏からヒステリックな電話がかかってきた。「公聴会の証言内容は事実なのか」「性暴力を受けたという根拠はどこにあるのだ」といった信じられない問合せである。企画の依頼をしてきた当人が、同じ番組の制作に5ヵ月余りも携わってきたスタッフが、番組放映直前に口にする言葉とは思えない。どうやら局上層部からの詰問にあい、慌ててDJに連絡してきたようだった。私は呆れながらも、可能な限りの資料をFAXした。
海老沢会長は、今回放映されたものに関して、「品質的にも何ら問題のないものだったと考えている」と答えている。しかし、品質上の問題は至る所に見られた。ETVは通常44分である。しかし、第2回は4分弱の40分であった。それに対し、番組が長くなったり短くなったりするのは日常茶飯事という回答をしているが、それは明らかに違う。滅多にないことだと.言い切れる。それでも「よくあること」と主張するなら、今まで何本のETVが時間枠外で放映されたのか答えて欲しい。また、素人目にもわかる編集の荒さが目立った。第3回で、NEP21のA氏がカットしたアナウンサーのコメントは、つなぎ目部分が激しくジャンプしており、制作者として非常に恥ずかしい編集だった。第2回に至っては、よくもあんな編集で放映出来たものだと驚いた。

7月、ドキュメンタリー・ジャパンを辞めた
7月、私はDJを辞めた。事件後の対応については、局やNEP21だけでなく、DJに対しても不満を抱いたからである。局との関係において、制作会社が圧倒的に弱いことは、今回の経緯を見ても明かである。構造的な問題は大きい。そんなことは以前からわかっていた。しかし、だからといって、ほとぼりが冷めるまで黙する、という姿勢を未だ守っているDJ取締役には、よく考えて欲しいと思う。沈黙し続けることは、真相を隠し続ける局の姿勢に加担することだ。それは、番組によって傷つけられた取材対象者や出演者を、さらに傷つけることでもある。同時に、局と制作会社の歪んだ関係を支え続けてしまうことにもなりはしないだろうか。私たちは制作者の自主性や局とのより良い関係を求めてきたのではなかったか。今回のように、組織の存続(=経営)を守ることだけに走るのであれば、結局のところ、局と何も変わりがないではないか。私はDJでディレクターとして育ててもらったことに感謝している。給料が安くても、仕事がどんなにきつくても、自由で創造性溢れる環境に愛着を感じてきた。局の顔色をうかがう制作会社が多いなかにあって、自主性を重んじるDJは「闘う制作会社」でもあった。そのことが私は誇らしかった。
ドキュメンタリーや番組を作るとはどういうことなのか、作り手の責任とは何なのか。今回の事件を機に、もう一度、問い直してみる必要があるのではないか。

 次へ  前へ



フォローアップ:

全★阿修羅♪=

 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。