『宝島30』:武田崇元とオカルト雑誌『ムー』の軌跡


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投稿者 一刀斎 日時 1999 年 1 月 23 日 00:23:09:

『宝島30』95年11月号
特集“オウムを生んだ80年代オカルトのヒーローたち”
武田崇元とオカルト雑誌『ムー』の軌跡
原田実

(前略)
一九八一年、武田氏は出口王仁三郎の師あたる国学者.大石凝真素美の全集を
刊行、さらにその刊行会を母体として有限会社八幡書店を設立、その社主にな
るとともに自らの名も武田崇元と改める。この前後、武田氏は従来の左翼革命
路線を改め、自らファシストを宣言、当時台頭してきた新右翼との連携路線を
打ち出した。自販機本『ヘヴン』廃刊号(八一年)掲載のインタビューで武田
氏は「十万人の社会民主主義者に読ませるよりも、三百人のファシストに!こ
れが『迷宮』のキヤッチフレーズや」と豪語している。これはそのまま八幡書
店の経営方針ともなっていった。八幡書店は広告媒体として『ムー』を最大限
に活用し、一回広告を打つごとに一冊数万円の本が何百冊も売れた。むろん、
ただ広告を打つだけでは効果は薄い。八幡書店側で新刊の内容を称賛する記事
を書き、それを『ムー』に掲載させることで、読者の目を魅きつけるのだ。こ
うして八幡書店から『竹内文献』『富士古文献』『東日流外三郡誌』など超古
代史のテキストや、明治−昭和初期の神道系オカルティスト、超古代史研究
家、日本−ユダヤ同和論者たちの著書の復刻が、次々と世に送り出されること
になった。ちなみにこのうち、『東日流外三郡誌』については、現所蔵者の和
田喜八郎氏が事実上の作者であることは八幡書店内では暗黙の了解事項となっ
ており、和田氏のご機嫁取りに一同気を遣ったものだ。
(中略)
ところが、その頃から八幡書店の出版戦略を批判する文章があちこちで見られ
るようになったのである。「一九八三年において、既にすべての危険因子の種
は蒔かれていた。と、言うのも、木村鷹太郎の『世界的研究に基づける日本太
古史』や、酒井勝軍の『神秘之日本』といった狂気の書が、中高生を対象とし
た雑誌に堂々と広告されていたのだ。日本民族は超古代において世界の根源的
人種であり、日本は世界の中心であった…上のような妄言を大真面目に論じ、
その論証に一生を費やした狂人達の書物を復刻、あまつさえ水で割って口当た
りをよくした記事を発表するのは如何なものだろう?現在の中高校生は、我々
がそうであった頃と較べて、脅威的なまでに活字に無抵抗であり、また「信じ
られる何か。を求めているのだ」(朝松健「魔都物語−オカルト界で今何が起
きているか−」『ホルスの槍』四号一九八八年一月刊)「八幡書店を主催する
武田崇元は“神国日本の復活”というスローガンを掲げる。……かかる選民思
想を内包する国家社会正義が西武セゾンをはじめとする文化装置を通して単な
る差別ネタ大好き少年少女のたぐいをファシスト予備軍へと感化しつつある現
実は看過できない。六本木西武一ウェイヴ一が昨年末から昭和末日あたりにか
けてそのフロアで八幡書店の出版物等全商品のフェアを開いたことなど、事態
の深刻さを物語る恰好な出来事といえるかもしれない」(久山信一「霊的国家
論とポップ・オカルティズム」『クリティークー5』青弓社、一九八九年四月
刊)
(中略)
さて、私が八幡書店を辞職して二年後、ある教団が次第に世の注目を集めるよ
うになっていた。一九八九年、坂本堤弁護士一家失踪事件で話題になったオウ
ム真理教である。私は教祖・麻原彰晃氏(本名・松本智津夫)と面識こそな
かったが、その人物に心当たりはあった。彼は八幡書店の常連の顧客であり、
しかも『ムー』のライターでもあったのだ。麻原氏は一九八五年、オウムの会
代表を名乗り、『ムー』誌上に「実践ヨガ」を連載。また、同誌の同年十一月
号(六〇号)には、やはり麻原彰晃の名で記事「幻の超古代金属ヒヒイロカネ
は実在した!?」を発表した。
この直後から、麻原氏は有名な空中浮遊写真を用いた信者勧誘や、イベント予
告の広告をさかんに『ムー』およびライバル誌の『トワイライトゾーン』に掲
載し、組織の基盤を固めていった。当時の『ムー』を見ると、一冊ごとにオウ
ムの広告が二、三点は掲載されている。ちなみにこの頃、八幡書店も『ムー』
一冊に二、三点の広告を掲載しているから、『ムー』はさながらオウムと八幡
の広報誌の様相を呈していた。オウム幹部にかつての『ムー』読者が多いのも
当然だろう。
さて、「幻の超古代金属ヒヒイロカネは実在した!?」とは何如なる内容であ
ろうか。それはまず、「かつて本誌でも取り上げた謎の古文書『竹内文献』」
に基づき、太古の地球上に日本を中心として高度な文化があったことを説明す
る。そして、その文化は超能力によって支えられたものだとし、その超能力の
源泉こそ、かつて『竹内文献』の研究家・酒井勝軍が発見したという謎の金属
ヒヒイロカネであったと強弁するのである。かくして麻原氏は酒井の足跡をた
どり、ついに岩手県釜石市は五葉山の一角でヒヒイロカネの現物を見出した。
また麻原氏はそこで、酒井の隠された予言をも知る。その内容は次の通りであ
る。
「●第二次世界大戦が勃発し、日本は負ける、しかし、戦後の経済回復は早
く、高度成長期がくる。日本は、世界一の工業国となる。
●ユダヤは絶えない民族で、いつかは自分たちの国を持つだろう。
●今世紀末、ハルマゲドンが起こる。生き残るのは、慈悲深い神仙民族(修行
の結果、超能力を得た人)だ。指導者は日本から出現するが、今の天皇と違
う」
麻原氏は、さらにヒヒイロカネによる超能力増幅でハルマゲドン後の光景まで
霊視することができた。この記事にはご丁寧にも、ヒヒイロカネ・プレゼント
の応募方法まで明記されている。ちなみに武田氏はこの記事のゲラを『ムー』
編集部から見せられるや、内容に八幡書店の出版戦略に抵触する個所があると
みなし、編集部に一部書き直しを要求する一方、同号の広告に急速、酒井勝軍
編著『神秘之日本』を加えるよう私に命じたのだった。
(中略)
久山信一氏は一九八九年という年を次のように評した。「オカルティズム・
シーンにとって一九八○年代最後の一年は…武田崇元の大本閨閥入りを最大の
ニュースに、学研−八幡ラインのバックアップで教団組織をかためたともいい
得るオウム真理教の麻原彰晃にやたらスポットが当たるなど、相変わらず見え
ざるファシスト・ペースで推移した感が強い。オウムに関して付け加えれば、
かつて麻原が『ムー』誌上でやったのと同様の“日本にもピラミッドがありま
したキャンペーン”を大々的に張ったはずの『サンデー毎日』をはじめとする
週刊誌、テレビの集中砲火が彼らブーフーウーの象軍団に浴ぴせかけられたわ
けだが、結論としてそれは麻原の選挙PRに活用されただけだった。いみじく
も坂本弁護士のお母さんは『テレビはあたかもオウム真理教の宣伝をしている
かのよう』といっている」(「シーン左転回の諸動向」『インバクション』六
ニ号、インパクト出版会、一九九〇年二月刊。武田氏はこの頃、出口王仁三郎
の曾孫娘と結婚している)ここで久山氏がオウムの偽史運動としての側面をす
でに指摘しているのは鋭い。
しかし麻原氏とオウムを世に送り出した『ムー』は今のところ反省の要を認め
ていないようである。麻原氏逮捕後に出た『ムー』一九九五年七月号二七六
号)にも、れっきとした反国家的武装カルトの一ページ広告が堂々と掲載され
ているのだ。余談だが、麻原氏の逮捕が近づいた頃、マスコミではしばしば、
ヒトラー・ファンの麻原氏はベルリン陥落にならって自決するのではないかと
いう予想が報じられていた。それを見聞きするたびに私は苦笑を禁じえなかっ
た。私はすでにあるルートから、麻原氏が、ヒトラーが世界史を操る「影の組
織」によってベルリンの地下壕から救出され、南極の秘密基地に逃れたとする
精神科医・川尻徹(一九三一〜一九九三)の説の信奉者であったことを聞いて
いたからである(また川尻仮説と武田氏の『予言書黙示録の大破局』の内容の
類似も、はやくから八幡書店内で話題となっていた)。
(後略)




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