Flying Goim?


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投稿者 SP' 日時 1999 年 6 月 16 日 10:39:01:

回答先: Gを求めて半世紀 投稿者 SP' 日時 1999 年 6 月 16 日 10:35:11:

 最も不運なUFO目撃の一例として、ベティ・キャッシュ、そして一緒に居合わせたヴィッキーとコルビーのランドラム夫妻、この3名の体験があげられる。この事件は、1980年12月29日に米テキサス州ハフマン付近で起きた。
 夜の9時頃、車に乗った目撃者達は、進行方向に、木の頂部と同じ高さで静止したダイヤモンド型の物体に遭遇した。物体は明るく輝き、かなり大きな音を立てていた。物体からは炎が伸びていたので、近くにあった彼らの車は熱くなり、ドアに手を触れたベティは火傷しそうになった。
 彼らや別の目撃者達はまた、相当の数のチヌーク〔ボーイング社の大型輸送ヘリCH-47の愛称。米陸軍が多用した〕がその物体を護衛しているようだったと報告している。
 その後の経過からみて、目撃者達は明らかに強い放射線を浴びていたようだ。ベティは頭痛と首の痛みを訴え、両目は腫れ、悪心、吐き気、下痢に悩まされた。髪の毛はごっそりと抜け、そして乳ガンになり、乳房切除の手術を受ける羽目になった。ヴィッキーもやはり脱毛と目の腫れに悩まされ、コルビーの顔には火傷の痕のようなものが現われ、更に彼は視力障害を訴えた。
 この物体は軍絡みのもので、恐らくはある種の事故の後で遮蔽物を失った原子炉だったのではないかという噂があるが、これにはそれなりの根拠があるらしい。この物体が実は回収された異星人の乗物で、当局によって移動されていく所だった、という考えは、何の裏付けもないように思えるが、これを完全に無視する事もできない。というのも、この乗物が政府の所有物であるという根拠に基づき、目撃者の内の2名が政府を相手取って(総額2000万$の損害賠償を求める)訴訟を起こした所、米軍及び民間の機関ではそのような物体を所有する事も操縦する事もないという事で、却下されているのである。(『UFO百科事典』p111)

…マクダネル・ダグラス社の科学者ジョン・F・シュスラーによって、この事件はUFOテクノロジーに基づく反重力のテスト飛行だったという、次のような証言がなされている。
「キャッシュ・ランドラム事件で目撃されたUFOが『逆推進点火』がなされていたとされている事。空中にホバリングし、軍のヘリを伴っていたのが目撃されている事。目撃者の女性らが放射能を浴びている事。このUFOが、他で多く目撃されている典型的な外見(円盤型)とは異なっている事等から、核燃料を使った反重力テクノロジーを装着した『UFO・テスト機』の可能性が非常に高いと思われる。『逆推進点火』とは『反重力場』が弱まったり、期待通り作動しなかった場合に備えられた『バックアップシステム』ではないかと考えられ、これはパイロットの安全性の見地からも、また目撃された時の様子(機体は明らかに、意志に反して降下していた)からも推測できる」(『UFOはこうして飛んでいる!』p29)

 
 ロバート・M・ボンド中将を乗せた「特殊な改造を施した航空機」がネリス空軍基地(その一角にはエネルギー省、つまり昔の原子力委員会管轄の土地もある)で墜落したとの報道が、AP通信を通じて流された事から、それは明るみに出た。ニューズ・ウイーク誌(1984年5月14日号)は即死したボンド中将の写真を掲げ、ボンド・ミステリーとして大きく紹介した。空軍システムズ司令部副司令という要職にある三つ星の将軍がなぜ自ら操縦していたのかという疑問があった事、それに空軍が中将の乗っていた機種を公にせず極簡単な発表で済ませた事から、この事件は憶測を呼んだ。(中略)
 ニューズ・ウイークの報道は軍事筋からの情報を紹介しているが、それらを総合すると、どうやら中将は、ステルス技術に関する何らかのテストを行っている最中に操縦を誤ったのではないか、という観測が成り立つ。(『UFOはこうして製造されている!』p220-221)


…3月30日に発生した事件の詳細な報告書が、ベルギー空軍とSOBEPSにより共同作成され、1990年6月22日、レーダーの映像を含めて公開された。(中略)「パイロット達は都合3回に亘ってターゲットを捕捉したが、そのつどUFOは、機上と地上のレーダーから姿を消す為に、急降下したかと思うと、すぐにまた上昇する等、奇妙な動きを見せた。まるで戦闘機を相手にして、隠れんぼを楽しんでいるかのようだった…」
 ここからも、UFOが明らかに高度に知的にコントロールされていた事実を知る事ができる。
 今回のUFO騒ぎの張本人は、あのF-117A型機ではないか、という説が唱えられた。が、ブローワー大佐はきっぱりとこれを否定した。
「F-117A型機は、正に超低空で侵入する目的で造られたものだ。最低速度も270kmだ。が、UFOの時速は40kmまでに落ちている。それに、ゆっくり飛行するには噴射口を下向きにしなければならない。かと思えば、時速1800kmまで加速もする。F-117A型機では不可能だ。否、いかなる航空機といえども、低速から時速1800kmまで、しかもソニックブーム(空震)を出さずに飛ぶ事はできない」
 同大佐は念を押すかのように、米大使館から送付されたベルギー空軍宛のテレックスを示した。それには、「我国のF-117A型機は、ヨーロッパのいかなる地域にも配備されておらず、ましてその上空を飛行した事実はない」と記されてあった。
 今回のベルギーでの目撃報告を総合すると、UFOの特徴は3つに大別された。
 1.形は三角形。2.音もたてずに飛ぶ。かなりの低空を飛行しても、地上には一陣の風さえ舞わない。3.あらゆる方向に旋回可能。数分の内に、猛スピードで加速し、視界から消え失せる。
 こうした特徴と、この三角形UFOがステルス機等、既知の物体の誤認ではない、という軍の声明に、ベルギー国内では、正体を地球外に求める機運が弥が上にも高まった。(『UFO 地球滅亡の危機』p68-71)


1990年12月5日に行われた<エリア51>の外縁部への観測旅行の予備的概況報告 ノリオ・ハヤカワ

 1990年12月5日、水曜日、<秘密円盤基地探検隊>のゲーリー・シュルツ氏と<シビリアン・インテリジェンス・ネットワーク>を代表する私自身の2人をリーダーとする、非公式な混成調査隊が結成され、ネバダ州の<エリア51>として知られている地域に赴いた。調査目的は、<エリア51>のティカブー・バレー地区の北東端の外で、合衆国政府が所持すると思われ、“秘密任務計画”という名の下に隠蔽工作を行っているとされる、従来とは異なる高度の“航空機”による継続中の試験飛行を記録する事にあった。
 私にとっては、その地域への4度目の旅行であった。私がこの地域で初めてUFOを目撃したのは、1990年2月21日の水曜日の事である。同日、私が同行していた日本テレビ放送網撮影班は、オレンジがかった黄色に明るく輝きながら極めて異様な飛行パターンで機動飛行を繰り広げていた発光体を目撃し、ビデオテープに収めた。発光体は、(極めて限定された空間・時間内で行われ、何Gもの力がかかったであろう)急加速・ 急減速・急上昇を、それどころかジグザグ飛行まで見せた−何もかもが、従来の航空学からすると、到底信じられない飛行パターンであった。
 今回、12月5日(またしても水曜日である)、凡そ25ないし28名の調査隊参加者は、午後6時45分前後以降、未知の航空機による明確な機動飛行を断続的に目撃した。しかし、今回は、私の見る所、飛行パターンはそれ程目ざましいものではなかった。午後9時から午前4時45分までの間は、私の知る限り、UFOの活動はなかった。
 ゲーリーにとっては、5度目の調査旅行であった。私の4度の調査旅行の内、2度が土曜日(全く活動なし)、2度が水曜日であった。ゲーリーの5度目の調査旅行の内、水曜日には必ずUFOを目撃できた。この事は、主だったテストは水曜日に行われる事が多い、というロバート・ラザーの主張を裏づけているように思える。
 約14台の車で構成されるキャラバンは、午後5時15分頃にアッシュ・スプリングスを出発して、ハイウェイ375号線を西へ進み、ハンコック・サミット地区で停止して、彼方のグルーム・レークを囲む山並まで伸びているグルーム道路を見晴らした。興味深い出来事がハンコック・サミットに向かう途中で起きた。反対方向から、標識のないバス(10人程乗っていた−試験場の作業員か? それともエリア51の作業員か?)が疾走してきて、375号線を東に向かって走り去ったのである。
 まもなく、我々は車のライトを弱くし、キャラバンを組んだまま“郵便受けエリア”に着いた。我々は郵便受け道路を南に向かう事にしたが、1、2km進んだ所で、右手(丁度グルーム・レークがある筈の方角)から最初のオレンジがかった黄色の発光体が上昇して、1分足らず空中で停止した後、降下して稜線に隠れるのを目撃した。
 数分後、リンカーン郡保安官のパトカーが近づいてきて、無舗装の郡道は駐車禁止だと我々に注意した。シェリフは郵便受けエリアに戻るようにと忠告した。それ以降、観測は全て郵便受けエリアで行われた。S-4エリアを旨い具合に外部の目から隠している山々のすぐ上で、オレンジがかった黄色の発光体が機動飛行する様子が、断続的に目撃できた。
 目撃時刻は、私が記憶している限りでは、午後7時15分、午後7時半、午後8時15分、午後9時であった。午後9時頃以降、朝になるまでいかなる活動も観測できなかったが、漸く午前4時45分、オレンジがかった黄色の明るい発光体が突然出現して、明るさを増しながら、1分間程空中で停止した後、右に移動し、降下して再び山並に隠れた。更に午前5時15分と午前6時に、最後の2度の目撃があった。
 最大の不満は、今回も、観測地点から実際の航空機までの距離が遠かった事−少なくとも24乃至27km離れていたのである。しかし、今回の観測旅行で興味深かったのは、一晩中、BLMエリアでは警備兵(巡回)を全く見かけなかった事である。我々が目にした軍の警備と言えば、グルーム・レークに続くグルーム道路の“警告標識”だけであった。
 午前2時に、参加者の何人かが標識の所まで行ってみた。一見した所、標識の周りが警備されているようには思えなかった。しかし、数分で警備兵が急行してきて、パトロール車両の強烈な投光照明を我々に浴びせ、一瞬、我々の目を眩ませた。この時の意志疎通は一方的だった。「その場から動くな…!」。しかし、我々がゆっくりと引き下がって境界外に出ると、彼らは追いかけるそぶりを見せなかった…基地の敷地内から出ようとすらしなかったのである。
 我々は、これからもこの地域への観測旅行を企画し続けて、試験飛行をしている謎の航空機をもっとよく観察するつもりでいる。S-4で謎の生物達が高度な科学技術を提供し、米軍の選抜きパイロット達がその生物達から操縦法を教えられている、という噂が流れているが、確固たる証拠が得られるまで、我々には、可能な限り現場に接近して、謎の飛行物体をできるだけはっきりと観察する事しかできない。
 尤も、1つだけはっきりしている事がある−“レッドライト計画”だろうが何だろうが、<エリア51>では確かに何かが進行しているのである。(『異星人は地球にいた!』p177-82)


 1991年10月31日午前6時30分、カリフォルニア州サンディエゴからロサンゼルス北方にかけての米西海岸で、大地を揺るがす強烈な空震が発生した。米地理調査所の震源地観測センサー・システムの220ヵ所の内、25ヵ所がこれを観測した。この装置は、かつてロッキード戦略偵察機「SR-71」やスペースシャトル・オービターの帰還飛行時の空震も観測している。
 この空震について地理調査所の科学者達は、マッハ3クラスの航空機が高度23000から33000フィートで飛行して、ネバダの実験場に帰還した際のものだ、と推測したのである。
 しかし、米空軍、海軍、NASAドライデン飛行研究センター当局者達は、何れもその時間の高速機飛行の事実を否定した。ところが、1992年に入り、月1回木曜になると空震が発生。遂に、オレンジ郡の『ザ・オレンジ・カウンティ・レジスター』紙が3月7日付で「米国が新型のスパイ機を所有している!」と『オーロラ』の名を初めて公開したのである。
 1984年にペンタゴンはオーロラという、密かに進めてきた超ハイテクを擁した秘密兵器開発プロジェクトのコードネームをうっかり漏らしてしまった事があった。しかし、以後2度とこの名が表面に出てくる事はなかったが、今回の空震事件で再びクローズアップされたのだ。
 同紙では、英スコットランドのNATO英空軍基地周辺でも高速飛行し、空震を起こした謎の物体がレーダーにキャッチされた事実も報じている。レーダースクリーンに映った光点は、通常の航空機では考えられない急速移動や方向転換を示したという。

 カリフォルニア工科大学地震研究所のジム・モリ氏は、この新たな空震の犯人は、SR-71でもシャトルでもない、と断言する。彼の調査では、空震は60から90秒間隔で3〜4回生じる事が判った。
 このウェーブパターンは、極めてユニークな未知のタイプで、大きさもシャトルより小型である事が判ったのだ。つまり、空震は大平洋上から始まり、サンタカタリナ島辺りから大気圏内に降下する物体によって生じていた。更に、ロサンゼルス上空からパサディナを通って、エドワーズ空軍基地に向い、チャイナレイクにある海軍兵器試験所辺りを通過して、ネバダへ向うのだ。だが、興味深いのは、それから後のコースだ。謎の飛行物体は更に、ラスベガスより約200km北北西に進んだ場所で、突然停止してしまうのである。
 因みに、そこはあのステルス機を初め数々の極秘テストが実施されている、ネリス空軍基地があり、その敷地内に、米最大の極秘施設といわれるエリア51がある。この事から、物体はこのどこかに着陸しているに違いない、とみなされたのだ。
 同年9月16日午前8時55分、再び空震が発生、ロサンゼルス市民を騒然とさせた。そして翌日のロサンゼルスタイムズ紙が、エリア51で米軍の極 秘機のテストフライトが実施されている事、それが空震の原因になっている事を指摘。更に「S-4」と呼ばれる秘密基地と地球製「空飛ぶ円盤型」機という名称まで、初めて活字として登場させたのである。
「“エリア51”で、地球製のUFOが造られている!」
 その後も同地では、謎の飛行物体の目撃事件が多発。この問題は更に、NBC等テレビ局が、カメラにUFOを捉える、という事件にまで発展していった。

「マッハ6の偵察機を開発中!」
 1992年4月16日付のロサンゼルスタイムズ紙は、ペンタゴンが超高速で飛行する新型偵察機の開発を密かに進めていると報じた。それは、同日早朝、NBCテレビの取材班がエリア51で、謎の飛行物体をキャッチした事に端を発していた。
 NBCでは、この物体がペンタゴンのプロジェクトの一環として極秘に開発されている『オーロラ』ではないかという疑問を投げかけた。そして、このオーロラがSR-71に代わる偵察機として開発されており「革命的なエンジン」を搭載。最高速度は時速8000km近くにも達すると報じたのである。(中略)
 1992年11月11日。ロサンゼルス最大のケーブルテレビ局『チャンネル13』のスタッフ達は、ゲーリー・シュルツ氏のコーディネートによってエリア51を訪れ、UFOの撮影を試みた。
 というのも、ジャンブルドヒルズ上空やその近辺で、不思議な物体や奇妙なライトが毎晩のように目撃されており、近隣の住人達の間でかなりの話題になっていたからだ。そこで同局では、UFO目撃の確率が100%とされている水曜のこの日を選び、現地での状況に詳しいシュルツ氏と彼が主催する「秘密円盤基地探索隊」のメンバーを伴ってやってきたという訳だ。
 はたして…目的の“相手”は期待に違わず、その赤味がかった橙色の姿を見せた。午後6時過ぎ、ジャンブルドヒルズの稜線上空に、巨大な円形の物体が出現したのだ。(中略)
 米科学局のスティーブ・アフターグッド氏は「証言を含め、徹底的に調査した結果、新型機の開発実験が実施されているのは確実だ、という結論に達した」とテレビのニュースの中でこの物体について述べた。(中略)『チャンネル13』では、2夜連続でエリア51で撮影された謎の飛行物体の映像を流し、ペンタゴンが超ハイテク機の開発を行っている、と報じた。(『UFO 地球滅亡の危機』p94-104)


 F-117A計画に先行した「Have Blue」計画を決定、推進したのは第38代米大統領ジェラルド・フォード。続いて量産型、F-117Aの計画スタートを承認したのは第39代ジミー・カーターである。(『ブラック・プロジェクト』P42)

「米下院軍事委員会のUFO公聴会議事録」は、世界の議会の中で、最も初めに公の場で開催された(報道関係者も会議室に入室できた)UFOの会議として記録されている。日本の外務省が、どうしてこの議事録を収集したのか定かではないが、実を言うとこの公聴会は、当初秘密会議という形で開始され、途中から公聴会になったものだ。
 この会議は、当時米下院議員であったジェラルド・フォードの熱烈な要請によって開始された事が、同議事録に掲載されている。後に大統領となるフォード議員は、“UFO問題は合衆国にとって、緊急かつ重要な課題である”と認識していたらしい。(『日本政府はUFOを知っていた』p113-114)

 フォード元米大統領は、ビルダーバーグの会合に出席した時、レポーターにその理由を聞かれ、次のように答えている。
「私は33位階のメンバーであり、しかも“デルタ・カッパ・イプシロン”と“ファイ・デルタ・ファイ”“ミシンガス”という秘密結社のメンバーでもあるからだ」(『秘密結社がわかる』P164)

#B-2が定規なら、F-117はコンパス、「反重力エンジン」搭載機は合体メカかっ!?...ってサイズ違う(自爆)



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